れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

調子が悪くても:『夢も見ずに眠った。』

最近精神的に調子が悪いです。

仕事でミスが続き、いつも時間に追われている心地がしてイライラし、何をしても楽しくない。

季節の変わり目だし、このご時世だし、不調の原因を考え出したらキリがないですね。きっと同じような方は世の中にたくさんいるだろうと想像したところで、自分の辛さは何も変わりません。

 

思えば10代の終わりくらいからずっと、出口の見えないトンネルが続いている感じです。

死ぬまでずっとこんなんだったらとっとと死んだほうがいいかもなぁと思わないこともないような、決定的ではない不愉快がずっと横たわっています。

 

病んだって誰も助けてくれないし、なんとか自分を鼓舞して生き延びる以外手はないことは重々承知。なんですが、それでも人の心が沈んでいく描写を読むと共感できすぎて思考を引っ張られるのでした。

夢も見ずに眠った。

夢も見ずに眠った。

  • 作者:絲山秋子
  • 発売日: 2019/01/26
  • メディア: 単行本
 

絲山秋子さんの小説は、日本の地方都市の描写が実に豊かで好きです。

この『夢も見ずに眠った。』も、なかなか旅行しにくい情勢の中、物語の中だけでも旅したいと思って手に取りました。

 

主人公の沙和子と高之は熊谷に暮らす夫婦です。

就職氷河期を乗り越え立派なキャリアウーマンとなった沙和子。婿入りした高之は非正規雇用で職を転々としていました。彼は結婚を機に沙和子の実家の敷地に地元・中延から引っ越してきたのです。

二人は大学の同級生でした。

 

沙和子はどちらかというと真面目な性格で、高之は飄々としておおらかな感じです。

二人は全然似ていないですが、私はそれぞれに強く共感できる部分がありました。

 

物語の序盤で、沙和子の札幌への栄転が決まります。

高之は熊谷に残ることを選択して、二人は単身赴任という形の別居状態に。

沙和子の引っ越しの日、空港で高之と別れた後に沙和子が高之のことを思う場面がとてもいいなと思いました。

あのひとは、自分のためにしか動けないのだ。

まったく、それでいい。

ひとの身になって考える、ということが苦手なのだ。そしてそんなことをしたら、いつも間違いのもとだから、自分のために生きた方がいいのだ。

絲山秋子『夢も見ずに眠った。』河出書房新社 2019.1.30)

私も自分のためにしか動けないです。多分。

ひとの身になって考えるって、お客様視点とかそういうことはするかもしれないですが、結局それも想像の域を出ないし、つまるところ自分のためでしかない。

確かに下手に”ひとの身になって”考えたりしたら、かえって間違えそうです。

 

沙和子が札幌に行って数か月経った頃、彼女は知人の結婚式に出席するため京都へやってきました。せっかく本州に来たならと、高之は車で滋賀へ向かい沙和子と小旅行することにします。

久々に会った二人ですが、高之の様子がなんだかおかしいのです。基本的に穏やかでつまらないことで突っかかったりしない彼が、どうも機嫌が悪そうで、ドライブの目的地にも気づくことができず立て続けに通り過ぎてしまいます。

具合の悪そうな高之を見た沙和子は、職場で何人か見た鬱病患者を連想します。心配する沙和子の問いかけに高之も自身の不調を自覚し、二人は旅行を切り上げて熊谷に戻りました。

 

病院で中程度の鬱病と診断された高之。なぜ自分が鬱病になったのか、心当たりが思いつかず混乱する高之は、非正規雇用で休職もできず職を失うことになってしまいます。

薬局を出てひとまず落ち着きたかった二人は、熊谷の”雪くま”を食べられる菓子屋に入りました。

向かい合ってかき氷を食べている時の、高之の心理描写が読んでて非常に辛かったです。

溶けかけた氷をスプーンで集めながら、高之は、なんでもないことが楽しい日々なんてもう二度と来ないのではないか、と思っていた。旅行の計画に夢中になった。本を読むのが好きだった。酒を飲んで笑っていた。新しく興味を持てそうなことを見つけるのが嬉しかった。でも、なにがどう楽しかったのか、思い出せないのだ。二度とそんな日は来ないと思うのだ。

(同上)

精神的に本当に参ると、こういう気持ちになりますよね。もう二度となにも楽しめないような気持ち。このままつらい沼に永遠に足を取られ続ける絶望感。

楽しかったと思う昔を思い出して、さらにしんどい気分になって・・・負のループです。

 

思えば社会人になってからいつも、働き続けるうちにだんだんと、そういう負のサイクルに嵌ってしまう気がします。

高之と同じで、何か決定的に嫌なことがあったわけでもないのに、無意識の我慢や自己欺瞞がいつしか大きな歪みを生んでいて、気づいた時には抜け出せなくなっているのです。

なんとか自力で抜け出すために退職して、数か月ニートしながら旅行したり読書にふけったりして心の平穏を取り戻し、再就職してまた・・・の繰り返しでここまで来ているようです。

 

今の職場でも、もう嵌りかけてるかも。はぁ。また繰り返すのも嫌だなぁ。何より旅行が満足にできない世の中になっちゃったのが痛いです。

 

***

 

高之は沙和子の両親の支えや通院を経て徐々に回復しますが、離れて暮らすうちに二人は夫婦の形を保つことが難しくなり、離婚します。

仲違いしたわけではない極めて円満な離婚でしたが、ちょっとしたことで互いの不在を認識する高之たち。

わざわざそんなくだらないことを聞いてくれる相手がほしいわけでもなかったが、自分の生活の色のなさは、そういうことなのだと思った。途中で使うのをやめてしまったスケジュール帳のような白い日々に彼は飽きていた。

(同上)

このスケジュール帳の例えにとても共感しました。秀逸、と思いました。

ニートの生活を長いこと続けていると、確かに楽だしいくらでも自分を可愛がるネタはあるのですが、ふとした時にこの日々の白さに心許なさを感じることがあります。

家族や恋人や友人がいたら、そんなこともないのかもしれませんが。

なんなら今も白い日々を送っているような気さえします。うまく言えないですが、このうまく言えない心持ちを実に的確に表現している箇所が、この作品にはたくさんありました。

 

ある日沙和子が血迷って横浜で不倫デートをし、事故にあって足を骨折したところに見舞いにやってきた高之との会話もそういうシーンでした。

沙和子は深いため息をついた。

「私ね、自分がどうしたいのかわかんなくて。誰かに悪いとか、相手の気がそれで済むんならとか、そういうことしか考えてなかった。でも、もうだめみたい」

(中略)

まさかこの年になってこんなことで悩むとは、と思う。

自分さえ我慢すればいいと思って暮らしてきたのだ。母とのわだかまりがあっても問題にしたりやり直したりしなくても済むように。出向先の待遇に満足しなくてもやっていけるように。だが、今までのやり方は失われてしまった。乗り継ぎに失敗したときの列車のように、行ってしまった。沙和子は今、誰もいない駅のホームに佇んでいるような気持ちなのだった。

(同上)

乗り鉄の私にはこの描写もグッときました。行ってしまった列車が脳裏に浮かぶくらいわかりやすいです。

鬱病になるほどではないにせよ、沙和子も溜まりに溜まった自己欺瞞に心の均衡を崩されてしまっていたのでした。

 

今こうして書いているうちに思い出しましたが、アニメ『君が望む永遠』を観て自分に嘘をつくことがどんなによくない結果をもたらすか学んだはずなのになぁ。

人間って自分を騙せずには生きられないんですかね。

少なくとも社会生活を営む上では、大なり小なり自分に嘘をつく必要ってあるのでしょうか。

・・・それにしたって生きづらいなぁ。

 

***

 

この小説は長編で12の章からなっており、それぞれに日付が付いています。

一章は2010年ですが、最終章の十二章は2022年です。

これは作者も意図していなかったと思いますが、2020年に東京オリンピックが開催された旨の描写があって、そこで一気に現実に引き戻されてしまいました。

遠い未来だとSFだと認識して普通に楽しめるのですが、あまりに近い未来がズレているとなんとも咀嚼しづらいフィクション感が出てしまうのだなと驚きました。

それでも、12年の歳月で大人がどう年をとるのか、とても生々しく表現されていました。

寛ちゃんのところでは、娘たちもすっかり成長し、大人と話すことに慣れている様子だった。食べ終わってからはさっと席を立ち、片付けを手伝うと姉は塾へ、妹はジムへ出かけてしまった。寛ちゃんの奥さんが車で送っていった。

寛ちゃんの家の夕方はとても忙しい。

でも、高之の夕方は暇なのだ。

それを寂しいことのように感じた。私たち自身が、暇な夕方みたいな年齢なのだろうかとも思った。

(同上)

このブログを書き始めたのは6年前で、その頃から変わらず私は子供を産むべきではないとずっと思っています。今でもそれは変わりません。

けれども、6年前には”子供を持たない人生”がどういうものなのか、きちんと把握していなかったなとも最近よく考えます。

 

子供や家族がおらず、友人や恋人もおらず、打ち込める仕事も趣味もない独りの大人の人生というのは、果てしなく暇です。

肉体は確実に老いていて少しずつガタがきたり、何かに好奇心を抱くことが以前より格段に難しくなっている。そういう中で余った空洞の時間がある。これは結構しんどいことでした。少なくとも私にとっては。

退屈が好きだと嘯いてた若い頃が嘘みたいに、退屈は苦痛を伴います。忙しいのも嫌なはずなのに、持て余した暇が案外怖くて足がすくむ。

もし子供を産んでいたら、こんな暇とは無縁だっただろう。そう想像してさらに恐怖するのです。

「もし子供を産んでいたら」?冗談じゃない。あんなに生まれてくることの悪を呪ったのに、そんな想像するなんて、と。

しかし、そんな自分にとって禁忌とも言える発想をしてしまうほど、この加齢を伴った時間の空洞は精神的に辛いものなのでした。

 

***

 

暗い話になってしまいましたが、この小説のラストはどちらかというとハッピーエンドです。

何かが決定的にゴールしたような終わりではないのですが、不思議と涙が溢れてきて、しかもその涙が結構複雑な感動なのです。

この言語化できない感情こそが、物語を読む醍醐味だよなぁと改めて思いました。

 

当初の目的通り、旅の思い出もたくさん想起できました。

岡山、広島、島根、鳥取、盛岡、札幌、横浜などなど、行ったことのあるスポットや乗ったことのある路線や駅が次々出てきて面白かったです。

奥多摩や青梅はあまりきちんとみたことがないので、近々行こうと思いました。

 

暇な夕方みたいな年齢を重ねなければならない現実にはほとほと辟易します。が、

適度に旅に出たりしながらやり過ごすしかないんですよね、やっぱり。

仕事でミスが続いても、

時間に追われてイライラしても、

無意味に悲しくなったりしんどくなったりしても、

自分の人生は誰も代わってくれないし、何よりいつかはみんな死ぬので。

「イヤなことっていうのは、ひとつひとつ片付けていくしかないんだ」

いつだったか、一緒に残業していた同僚が苦々しく言った言葉を思い出しながら、重たいレンガを積むようにして日々の仕事をこなしているうちに、年度末の忙しさに呑まれた。

(同上)

真理の言葉だなと思いました。イヤなことっていうのは、ひとつひとつ片付けていくしかない。しんどい度に思い出します。おわり。

ひとに勧めたくなる映画:『恋人たち』

お盆ですが猛暑のニュースにビビって家から出る気が起きない30歳の夏。

暇なときGYAOの無料映画欄をのぞくのですが、今とてもいい映画やってました。橋口亮輔監督作品『恋人たち』。

恋人たち

恋人たち

  • 発売日: 2016/09/07
  • メディア: Prime Video
 

今月30日までGYAOで無料で観られるようです。別にPR案件じゃないですよ。

 

何の前情報もなくたまたま目について再生しただけだったんですが、こんな良作に出会えるなんて何だか嬉しいです。

 

Wikipediaからあらすじを拾ってこようと思ったら、ネタバレどころかストーリーの全てが書いてあって笑ってしまいました。

ストーリーの内容よりも、一つ一つの場面の描写に胸を打たれる映画だと思います。

観た後すごく「いいもの観たなぁ」と感動して、ひとに勧めたくなるんですが、「どういうところが面白いの?」とか聞かれると多分かなり悩む気がします。

 

愛していた妻を通り魔に殺されたアツシの話は本当に辛くて悲しいし、長年の片想いがこじれて色々うまくいかない弁護士の四ノ宮の話もしんどいし、田舎の弁当工場で働く瞳子の話も何だか滑稽で居心地が悪い。

どれもこれも不幸の無数のパターンの中からピックアップされたような話で、現実世界のどこかにありそう。リアルな描写にとても引き込まれました。

 

特に瞳子とアツシの暮らしぶりは、私に新卒時代働いていた食品工場を思い出させました。

何度も転職を繰り返し、今はたまたま東京の高層ビルでOL勤めをしていますが(といってもここ数ヶ月狭い賃貸マンションでテレワークですけど)、私の原体験ってやっぱりあの田舎の工場なんだなって改めて実感しました。

瞳子とその同僚たちが自転車置き場から「お疲れ様です」と言い合って散り散りに帰宅していく様子も、狭い事務所で作業着を着たおじさんや事務のお姉さんたちが馬鹿話で笑い合う様子も、既視感でいっぱいでした。

 

あの頃マーケティングとかブランディングとか、そんなカタカナなことは微塵も気にしなかったし、考えてなかったです。

朝早く起きて、ママチャリで田舎道を走り、おんぼろな畳敷の更衣室で作業着に着替えて、おばちゃんおじちゃんたちと腰痛いとか暑いねとか寒いねとか言い合って、朝から晩まで働いてクタクタになって、帰り道にそうめんとかお酒とか買って、帰って食べて飲んでお風呂に入って眠る。

シンプルで、忙しいけど全く充実していなくて、難しいことは何にもないけど憂鬱な日々。

多分一緒に働いていたおばちゃんたちも色んな不幸を抱えて生きていたんだと思います。当時はそのことにあまり思い至らなかったですが。

 

偏見もあるのを承知で言うと、あの場にいた誰もが何かを諦めていたんだなって感じます。

みんな多分「こんな仕事つまらない」って思ってました。もちろん私も。こんな仕事誰でもできるって。(今の仕事だってそうですけどね)

そして単調な仕事に加えて、単調な生活。単調な家庭。刺激のない田舎の生活と村社会。

車のローンや子どもの学費や親戚づきあいや同僚たちとの人間関係といった面倒で瑣末なこと。

改めて思い出すと、本当に閉鎖的で平坦な生活だと思います。

けれど、みんなそれを受け入れていて、諦めていて、足掻くことなく、変に飾りたてることもしなかったです。

諦めた上で、それぞれがささやかな楽しみを持っていて、無駄に前向きになることも後ろ暗くなることもなく、ただただ生きていました。

 

ブルーカラーとホワイトカラーという言葉がありますよね。近年ではゴールドカラーというのもあるようです。

ゴールドカラー以外は大きな違いはあまりない、どちらもただの労働者だと思います。

ただ、ホワイトカラーはゴールドカラーに比べて虚飾がちょっと多いなと感じました。諦めが足らないというか。

特に都会であればあるほど虚飾具合が過剰になる気がします。きっと都会はその虚しさでお金を回している節があるんじゃないでしょうか。別にそれが悪いとかではなく、それはそれで面白いなと思います。

社会は階層構造で、それぞれの階層にそれぞれのスタンスと不幸があるんだなって。

 

ただ、この『恋人たち』みたいな映画や漫画や小説に出会うたび、きっと私はこれからもあの工場での日々を思い出すし、そこで一緒に働いていたみんなの生活を思い出します。

そしてどんなにオシャレでキレイなところに行ったとしても、私の本質的なところは多分ああいう場所にあるんだろうなと思い返す。

飾りを剥がされるような感じです。

ああ、そうか。この映画は精神的な飾り・虚飾を剥がしにくる作品なんです。だから読後感がいいのかな。

ゴテゴテしてんな〜と思う人に観てほしいかも。おわり。

ルーティーンワークの孤独:『オールドファッションカップケーキ』

私はまったくもっていわゆるparty people略してパリピではない、のですが

今年の夏はフェスもなければ花火大会も縁日もない、そのことに非常に憂鬱になっていて大変気分の晴れない日々を過ごしています。

別に毎年海辺でBBQしていたわけでもキャンプに繰り出していたわけでもないのに、例年たいした夏は過ごしていなかったはずなのに、どうしてこうも落ち込むのか不思議でたまりませんでした。

そんななか、昨日読んだ佐岸左岸『オールドファッションカップケーキ』の中にその答えの一欠片を見たような気がしたので記録しておきたいと思います。

主人公の野末さん39歳独身男性は、おしゃれな平屋の一軒家で慎ましく暮らしていました。

端正な美形で仕事もできて小綺麗な野末さんは、年を重ねるごとに小さくまとまったルーティーンワークな日々を送るサラリーマンです。

柔らかい笑顔と人当たりの良さで職場の信頼も厚いし、女性にもモテるのに、本人の意欲が低いせいでかわり映えのない毎日を送っている野末さん。

他人と深い関係になったり、

新しいことに挑戦したり、

そういうことが面倒になった。

 

その面倒を楽しめないことを

年齢のせいにして、公私共に

ルーティーンワークばかりしている。

(佐岸左岸『オールドファッションカップケーキ』大洋図書 2020.1.4)

そんな憂鬱を抱える野末さんの10歳年下の部下・外川は、憧れの上司・野末さんの憂鬱にいち早く気づきました。

出先の駅で女子高生2人組がおしゃべりしたり自撮りしたりする様子を見て「楽しそう、羨ましい」と呟いた野末さんに、外川はすかさずある提案をします。それは、女の子ごっこという名目で、若い女性に人気のパンケーキ店に行くこと。

 

その日の昼休み、早速パンケーキを食べにカフェに来た2人。女性客ばかりでうろたえる野末さんに、外川は辛辣な指摘をしました。

野末さんが新しい経験や恋愛ごとを面倒に感じるのは、本当は恐怖心の裏返しであると。

「恋愛するのも、

昇進して 新しい仕事を任されるのも、責任が重くなるのも、

こうやってパンケーキ食べるのすら、こわいんでしょう。

 

四十路手前で仕事以外 何も無い自分に気付いて、

でも何をしていいのか 何がしたいのかもわからなくて、

(中略)

わからないまま新しいことをして失敗するのがこわくて、

 

このまま三十代を終えようとしていることがこわくて、

今まで仕事に情熱注いできたことまで後悔してるんでしょう。」

 

(同上)

図星を突かれて反射的に立ち上がった野末さんでしたが、あまりに的を得ていた外川の指摘に落ち込みます。

外川はそんな野末さんを励まし、自分がいかに野末さんを尊敬しているか、どれほど野末さんに元気を取り戻してほしいかを力説しました。外川の真摯な訴えに心打たれた野末さんは、外川の提案を受け入れ、少しずつ変わらなければという意識が芽生えます。

 

それから週末ごとに、野末さんと外川は”女の子ごっこ”による色々な初体験のために、オシャレなカフェやスイーツを求めて連れ立って出かけるようになりました。

生活に新しい楽しみができた野末さんは、目に見えて明るく変化します。

部下たちに「野末さん、なんだが最近元気ですね。何かいいことあったんですか?」と聞かれるほどに。

 

さらには頑なにガラケーを使っていた野末さん、ついにスマホデビューも果たします。

まだ慣れないスマホのカメラと格闘しつつ、いつものように外川とオシャレなカップケーキをつついていた時、野末さんは外川のアンチエージングセラピーが大成功していることに言及しました。

「 女の子だから楽しいとか、若いから楽しいとか、

そういうことじゃなかったかなって。

(中略)

俺には仕事を通して得たものが沢山あるのに、それが見えてなかった。

外川が色んなところに連れてってくれたお陰で

目の前しか見えてなかった脳味噌の老眼が治ったと思う。」

 

(同上)

”脳味噌の老眼”ってとてもいい表現だなぁと思いました。

かわり映えしない日々を送っていると、脳味噌の老眼が起こって色んなことが見えなくなるんですね。

見えるものが少ないと不安になります。自分には何もなく思えて途方にくれるし、何もないまま同じような日々を生き延びなければならない事実に辟易します。

変化のない日々、刺激のない日常に溺れて、生きることがより憂鬱になっていく・・・。

 

ライヴとかフェスとか、夏祭りとか海水浴とかっていうのは、単調な日常に刺激と変化を与える脳味噌の栄養だったんです。

今年の夏の鬱屈とした気分は、その栄養を享受できなかったために起きている栄養失調みたいなものなのだと思い至りました。

 

今年はこの先もこんな調子の栄養不足がつづくのだと思います。

少しでも脳味噌の老眼を防いで精神衛生を保つために、可能な範囲で野末さんたちのように新しいことを生活に取り込みたいです。

行ったことないカフェでも、少し気おくれするニュースポットでも、やったことない習い事でもなんでもいい。

ルーティーンワークで雁字搦めになってろくでも無い考えにとらわれる前に、どうか少しでも明るい方へいきたい、そう強く思いました。

 

***

 

この漫画はストーリーも非常に良いですが、出てくる服や小物や家具一つ一つがとてもおしゃれで見ていて気持ちがいいです。

野末さんの家みたいな部屋で暮らしたいなぁ。おわり。

生まれてくるとこ間違えたねって:『マイ・ブロークン・マリコ』

昨日書店でデザイン技工に関する棚をぼーっと見ていて、そこに『新しいコミックスのデザイン』という本があり、手に取りました。

新しいコミックスのデザイン。

新しいコミックスのデザイン。

  • 発売日: 2020/06/23
  • メディア: 大型本
 

表紙の山本さほさんの絵に惹かれて読んでみると、このブログでも話題にあげた数々の漫画の装丁デザインについて、タイトルのフォントやレイアウトなど事細かに解説されていました。

私は仕事でバナーやポップアップのデザインをするとき、ゲームやアニメのWEBデザインやパッケージデザインからモチーフや配色を考えることがよくあるので、この本もとても勉強になりました。

 

そんなデザイン事例の一つとして載っていた平庫ワカ『マイ・ブロークン・マリコ』の表紙が、何故か脳裏に焼き付きました。

黄色と水色の配色がすごく良いなと思ったのと同時に、外国っぽい癖のある女性の絵柄と、くわえタバコで遺骨を抱えるシュールなイラストにとても興味をそそられ、早速読んでみることに。

想像以上にいい話で、じんわりと心の栄養になる感じの物語でした。

 

***

 

2人のヒロイン、マリコとシイノは子どもの頃からの友人です。

マリコは泣きぼくろが印象的な可愛らしい女の子で、シイノは少しはすっぱな印象の、制服姿でもいつもタバコを吸っているような子でした。

不思議なバランスでとても仲の良い2人。中学生だったある日、2人は夕方公園で花火をしようという話になりました。

約束の時間を過ぎても公園に来ないマリコを家まで迎えに行くことにしたシイノ。そこでシイノはマリコの壮絶な家庭環境を目の当たりにしました。

 

ゴミだらけの狭いアパートで酒浸りの暴力親父にボコボコにされたマリコが玄関から申し訳なさそうに出てきたときの、苦しく切ない感じ。

私は虐待とか家庭内暴力の話が結構苦手です(得意な人いないと思いますが)。

是枝監督の『誰も知らない』とか観ると、かなりダウナーな気分になって鬱々としたまましばらく立ち直れません。ふみふみこ『愛と呪い』も未だ読み切れていないです。

誰も知らない

誰も知らない

  • 発売日: 2016/05/01
  • メディア: Prime Video
 
愛と呪い 1巻: バンチコミックス

愛と呪い 1巻: バンチコミックス

 

 

私は児童虐待は受けたことがないし、同級生の中でもそういう人を見たことがありません。身近に事例がないことはいいことだと思います。けれど、実際に見たことのない暴力が確実にこの世に存在していることは、ニュースや本その他いくらでも知ることができて、その不気味さと不条理さ、「なんで?」という強い疑問は心の均衡を崩します。

 

昔食品工場で働いていた頃、休憩時間にテレビのワイドショーで児童虐待で亡くなった女の子のニュースが流れていたときのことを思い出しました。

テレビを見ていたおばちゃんたちが「本当に酷い話だね。生まれてすぐこんな痛い思いばかりさせられて死んじゃって、何のために生まれてきたのかわからないよね」とか、「自分が腹痛めて産んだ子なのに、本当に理解できないね」とか口々に言っていたのを覚えています。

おばちゃんたちはみんな結婚してて子供も成人していて、孫までいる人もいました。普通のまっとうな感じの人が大多数で、腰が痛いとか膝が痛いとかボヤきながらも明るく元気な人たちでした。

 

まだ若かった新社会人の私は、そういうまっとうな意見を素直に受け取る能力がありませんでした。

「何のために生まれてきたかなんて、虐待されててもされてなくても関係なくわからないじゃん」と思っていたし、いくら自分が腹を痛めて産んだって、必ずしも可愛がれるとは限らない、所詮自分以外は他人だと考えていました。

今回この『マイ・ブロークン・マリコ』を読んで、おばちゃんたちが言っていたのはそんな分析哲学みたいな問いじゃなく、もっと原始的なレベルの話だったんだなとやっと気づくことができた気がしました。

 

***

 

実の父親に子供の頃から立て続けに殴られ蹴られ、挙句高校生になったら強姦までされて、精神的に壊れるしかなかったマリコ

それでも何とか生き延びられたのは、シイノが唯一の心の拠り所として存在してくれていたからだと思います。

「お前が悪い」と言われ理不尽な仕打ちを受けづつけ、学習性無力感で動けないマリコのかわりに、シイノが全力で怒ってくれる。それだけがマリコの救いでした。

けれどシイノはただの友人であり、いつか恋人を作って自分の存在が薄れてしまうかもしれないという恐怖を、マリコはきっと死の最後の瞬間まで拭えなかったと思います。

 

いつ自殺したっておかしくないくらいの不幸にボコボコにされていたマリコが、どんなきっかけで我慢の閾値を超えて自殺に至ったのか、真相は描かれていません。

事実だけを並べるとひたすら悲惨な話なのですが、主人公のシイノのパワフルさが物語全体を強い力で救っていて、読後感は良いです。良いというか、辛くならない。

マリコの遺骨を忌々しい実家と父親からもぎ取り、抱きかかえながら海へ旅するというプロットも素敵だし、シイノをはじめとし登場人物や数々の出来事や回想シーンがきちんとカタルシスとして機能していて、本当によく練られた作品だなぁと読み返すたびに感嘆します。

 

作中にも出てきますが、「生まれてくるとこ間違えた」という事態は本当にこの世に腐る程あると思います。

どうしても生まれる側は生まれる世界や環境を選べない。

どうしても救えない不幸がこの世にはあると思います。

間違えたねって受け入れるのも悪いことじゃないと思います。それで死にたくなって死んでも仕方ない。

でも、もし生き延びるなら、何かしら救われる意味づけがないとつらい。

救いと希望が同じものか違うものかわからないけれど、そういうものがないと、人は生きられないなと感じました。おわり。

夏の黎明:AAAMYYY「Leeloo」

AAAMYYYはここ数ヶ月気になっているアーティストです。

私が彼女を知ったのは結構遅くて、今年の1月にTENDREのライヴでキーボードとコーラスをやっているのを観てからでした。

ステージ上のAAAMYYYは独特の声と舞台映えする白い肌が印象的でした。

ライヴの後調べてYouTubeを観たりInstagramを見たりしました。

その後ラジオでShin Sakiuraとのフィーチャリング曲が流れたり、アニメ『BNA』のEDで毎週聴いたりするうちにますますハマりました。

 

そんなAAAMYYYが今月リリースした新曲「Leeloo」が、かなり不思議な迫力で心に響いたので記録しておきたいと思います。


AAAMYYY // Leeloo

最初にラジオからイントロが流れてきた時、夢から醒めたような冷たさと、郷愁みたいな懐かしい淋しさがありました。

それから歌い出しの「8月の〜夜は短〜し〜」がピタッとハマって、最初に感じた淋しさは、夏休みの夜にひとりで歩いてる時に感じる感覚に近いのだと分かりました。

 

夏のむわっとした蒸し暑い夜に近所のコンビニに行った帰りや、友人と夏祭りに行って別れたあと帰路につくときの、あのなんともいえない刹那の感覚を見事に音楽に昇華させた感じがしました。

日本には春夏秋冬と大きく4つの季節がありますが、「同じ夏は二度と来ない」という言い方は”夏”以外あまりハマらない気がするんですよね。

私は暑いのがとても苦手ですが、それでも夏という季節が一際特別な概念であるとは長年感じていました。それが何故なのかなかなか言語化できませんでしたが、その一つの答えをこの曲に教えてもらった感じです。

 

サビの幻想的で開放的な音の広がりも素晴らしく、歌詞も皮肉っぽい諦念があって絶妙にマッチしています。

愛と言えば許されるし

懺悔すればそれでおしまい

この言葉すごいパワーだなと感心しました。

少し乱暴にも思える割り切った雰囲気が、特に今年のような抑圧的で息苦しい夏に本当によく合っていると思います。

 

10代の頃にこの曲があったらどんな気持ちになっただろうと想像したりしました。

連想喚起力がある曲なので、いろんな人に聴いてほしくて、他人がどう感じたか知りたくなる、そんな歌でした。おわり。

 

***

 

Amazonの方が価格高い?なんでだろ。

Leeloo

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Leeloo

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  • 発売日: 2020/07/08
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なんだってマーケ:『ぼくは愛を証明しようと思う。』

大学で専攻した心理学は、そこそこ面白かったですがあまり夢中にはなれませんでした。面白かったなーってだけで、卒業したあと生活に役立てることもなかったし、学んだ知識もぼんやりとしか記憶に残っていませんでした。

だからびっくりしたんですが、藤沢数希著『ぼくは愛を証明しようと思う。』の中で、それまで「ふーん」としか思ってなかった理論の数々が活きた知恵として駆使され、次々と結果を出す様子が読んでいてとてもエキサイティングでした。学問って実際きちんとワークしてるところを見ると、こんなに楽しいものだったんだなって。

ぼくは愛を証明しようと思う。 (幻冬舎文庫)

ぼくは愛を証明しようと思う。 (幻冬舎文庫)

  • 作者:藤沢 数希
  • 発売日: 2018/04/10
  • メディア: 文庫
 

物理学のPh.D.だったりトレーダーだったりして現在投資家としても活躍しているゴリゴリの理系の著者が創出した新学問「恋愛工学」。本書はあらゆる科学的手法を恋愛に組み込んだ、この新しい学問の入門書のようです。小説の形態をしていて物語としてもよく作り込まれており、笑って学べるハウツー本って感じでした。芥川龍之介作品のようによく計算されたタイプの物語で、最後の最後まで楽しめます。

 

主人公の渡辺正樹26歳は、東京・田町の特許事務所で働く弁理士の青年です。男子校出身で女性経験は浅く、物語序盤に付き合っている彼女に高額バッグのクリスマスプレゼントを渡した後トンヅラされ、打ちひしがれて冴えない27歳になったところからストーリーが始まります。

渡辺は気晴らしに学生時代の友人と行ったクラブで、仕事で知り合った永沢さんというイケてるおじさん(?おじさんではないかもですがモデルは多分著者だと思う)が美女にモテモテな様子を偶然目撃します。

永沢さんのモテっぷりに衝撃を受けた渡辺は、メールで永沢さんにアポをとり、どうやったら永沢さんのように美女にモテることができるのか、そしてセックスに困らなくなるのかについて教えを請います。こうして永沢さんによる恋愛工学指南が開始されたのでした・・・。

 

最初に成る程と思ったことは、男性にとってのセックスの重要さって計り知れないなということです。生物学的・遺伝子的要因とか色々理由はありますが、なんにせよ女性が渡辺たちのようにセックスのためにこんなに試行錯誤して取り組むことはそうそうないと思います。

なんだかんだ言って、やはり女性というだけでセックスにありつくハードルは全然低いんだなと。よって女性と男性ではモテの定義も成り立ちも全然違うんですね。

ちなみに、この作品で紹介される男性のモテの公式はこちら。

モテ=ヒットレシオ(女が喜んで股を開く確率)×試行回数 (女を誘った回数)

この説明だけ見ると、女性を道具としか見てないとか軽んじてるとか不快に感じる方もいらっしゃるかもしれません。特にこういう文学的なテーマに科学的アプローチを持ち込むとアレルギー反応を起こす人も少なくないと思うので。

 

しかし作者はそこにきちんと予防線を張っていて、私はとても感心しました。本当のところどう考えているかはわかりませんが、随所できちんと女性を人間として立てている記述があります。

「渡辺、ひとつ言っておくことがある」と永沢さんは言った。「お前もふくめて、多くのモテない男が、無視したり、ひどいことを言ったりする若い女のことをビッチと呼ぶ。本当は自分が相手にされないからむかついてるだけなんだが。世の中にビッチなんて存在しないんだ。彼女たちは、じつは、ただシャイだったり自信がなかったりするだけで、心をいったん開いてやれば、一途でとてもやさしかったりするもんだ。だから、これからは誰もビッチと言うんじゃない。わかったな」

確かにそうだな〜と。男性の言う「ビッチ」はつまり負け惜しみってことですね。

同性である女性がビッチと呼ぶことも結構ありますが、これは男性とは使い方が違いますね。

実際、貞操観念低めの女性が過去にレイプ被害にあっている確率が高い傾向はままあって、”心を開けば一途でやさしかったりする”のはあながち嘘でもないです。

 

下記も女性を立てていて、なおかつビジネスないしマーケティングに通ずる部分もあるなと思いました。

「ちょっとナンパができるようになって、何人かの女とセックスできると、すぐに勘違いしてしまう。女をまるで店の棚の上に並ぶ、お前の欲望を叶えるための商品みたいに思いはじめる。ちょっとばかりの労力、テクニック、それとデートのメシ代を払って、女の心を買おうとする」

「女は、自分をよく見せようと化粧をして、着飾っていても、決して売り物なんかじゃないんですね」

「そのとおりだ。そして、売り物なのは俺たちのほうだ。俺たちがショールームに並んでいる商品なんだよ。俺たちは、自分という商品を必死に売ろうとしている。女は、ショールームを眺めて、一番自分の欲望を叶えてくれそうな男を気まぐれに選ぶ。俺たちのような恋多きプレイヤーは、じつのところ、そうやって気まぐれな女に、選んでもらうことを待つ他ないんだよ」

さらに永沢さんは「だから、ときには売らないという選択をしなければいけないときだってある」と言います。絶対に自分を安売りするなと。

女は決して売り物なんかじゃないと書かれていますが、男も女もある側面では売り物だし、同時に買い手でもあると思うんですよね。なんか就職活動とか営業とかと似てるなーって思って読んでました。

調子に乗って勘違いしている男性が気持ち悪いと言われるのは、自分も同時に商品であり品定めされているということをわかっていないからです。変な圧迫面接するブラック企業も同じ。立場の強弱とは別に、それぞれが売り手と同時に買い手でもあり、どちらもそれぞれレビューされうるということを認識していない人は嫌われると思います。コミュニケーションの基本でしょ、とコミュ障の私でもわかる理屈。

 

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渡辺が果敢にナンパにチャレンジしどんどんいい女を手中に収める様は、次々とダンジョンをクリアしてボスを倒していくRPGのゲーム実況を観ているようで実にワクワクしました。永沢さんもよく褒めてますが、渡辺はとにかくガッツがあり、駆け出しの新卒が営業部のホープに成長する様子ととてもよく似ています。

まず女性を喜ばせることを大事にし、理論に裏付けされたテクニックを相手の出方に合わせて駆使して無事セックスにありつくことと、まずお客様に喜んでもらうことを大事にし、フレームワークや戦略戦術を駆使してPDCAを回して業績を出すマーケティングはおそらく本質的に同じなんですよね。

営業マン時代、同じく営業歴が長い同僚が「成績のいい営業ほどよくモテる」と言っていたのを思い出しました。この本を読むと余計にそうだろうなと思えます。

 

また、こと恋愛に関して女性の言うことは全く当てにならないと言うのも、顧客アンケートの結果通りに仕様改善しても業績が上がらないケースが多々あることと似てると思います。

恋愛工学を知れば知るほど、そして、実際にたくさんの女の行動を目の当たりにすればするほど、世間に広まっている恋愛に関する常識は、すべて根本的に間違っていることを確信した。恋愛ドラマやJ-POPの歌詞、それに女の恋愛コラムニストがご親切にも、こうしたら女にモテますよ、と僕たちに教えてくれることの反対をするのが大体において正しかった。

本当にこれです!乙女ゲームの攻略対象なら一途なワンコくんも愛が重いヤンデレも素敵ですが、現実にそんな男性に好かれても多分面倒なだけなのです。一途に自分のことだけを愛してくれる優しい男性はフィクションだから価値があり、実際一緒にいて楽しいのは話が面白くてセックスの上手い、適度な距離感で接してくれる男の人なのです。

 

ティーヴ・ジョブズもお客様アンケートなんて多分当てにせず、もっと潜在的な顧客ニーズを掴もうとしていたはずです。相手の表面的な言葉に踊らされていては、きっと結果を出せないんでしょう。

似ている・・・恋愛もビジネスも、やっぱり市場的で、なんだってマーケティングなんだなぁ。

 

ちょうど先日仕事で女性たちに恋愛と結婚に関するアンケート調査をしたんですが、この本のことを思い出してちゃんちゃらおかしくて笑ってしまいました。女の人って、本当に言ってることとやってることが全然一致しないんですね。私も女なんですが、指摘されるまで気づかなかったです。

女が相手の収入を重視しないわけなかろうて。おわり。

 

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なんと漫画もあるようですね。面白いのかな?表紙凄いけど(笑)

熱い情念:「死ぬのがいいわ」

藤井風のアルバムが本当に本当に良すぎて言葉を失うくらいなんです。

HELP EVER HURT NEVER(初回盤)(2CD)

HELP EVER HURT NEVER(初回盤)(2CD)

  • アーティスト:藤井 風
  • 発売日: 2020/05/20
  • メディア: CD
 

「優しさ」のイントロを初めて聴いたときの時の止まるような感動もとても忘れがたいのですが、最近私の心を掴んで離さないのがアルバムの8曲め、「死ぬのがいいわ」。

死ぬのがいいわ

死ぬのがいいわ

  • 発売日: 2020/05/20
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

タイトルから強すぎですが、まさにこの「死ぬのがい〜い〜わ〜〜」のサビがとても印象に残りました。

ライナーノーツなど読んでないので詳細はわかりませんが、吉原っぽいイメージが浮かぶ曲です。イントロのメロディが桜を彷彿とさせるような侘び寂びの効いた旋律で、藤井さんのセクシーな歌声とはんなりした西の言葉の歌詞が、どことなく別の時代や世界観を感じさせます。

 

サビの鬼気迫る、ある意味”ヤンデレ”とさえ言えるような執着と執念に満ちた歌詞が、独特のメロディと本当によくマッチしていて、一度聴いたら忘れられないです。

わたしの最後はあなたがいい

あなたとこのままおサラバするより

死ぬのがいいわ

死ぬのがいいわ

三度の飯よりあんたがいいのよ

あんたとこのままおサラバするよか

死ぬのがいいわ

死ぬのがいいわ

(藤井風「死ぬのがいいわ」『HELP EVERHURT NEVER』2020.5.20)

遊郭ものの乙女系ドラマCDやゲームを想起してしまうオタクの自分・・・。

下記とか。

籠女ノ唄 ~吉原夜話~ 第二話 君影

籠女ノ唄 ~吉原夜話~ 第二話 君影

  • アーティスト:桐生麻都
  • 発売日: 2016/02/24
  • メディア: CD
 

 下記とか・・・。

吉原彼岸花 久遠の契り - Switch

吉原彼岸花 久遠の契り - Switch

  • 発売日: 2018/12/20
  • メディア: Video Game
 

強い慕情を歌っているからですかね。

 

もともと特にドラマのない人生を送っている私ですが、昨今の自宅待機ムードでますます外界との接触がなくなって、強い感情を抱く機会が全然ないんです。だからですかね〜この熱烈な情念が逆に癖になってしまって、心地よくすら感じてしまう。

 

あー何かすごいスペクタクルなロマンに滅茶苦茶に翻弄されたいです。おわり。