れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

集中力と才能:『左ききのエレン』

「明けましておめでとうございます」って年明けていつくらいまで使うんでしょう。

明けましておめでとうございます。

2021年も相変わらず大変な世の中で、ニュースで首都圏の感染者数を耳にするたびに外出するのがますます億劫になります。

 

10代の頃からインドア派だった私はひたすら漫画を読み、アニメを観て、たまに読書もしたり映画を観たりして過ごしていました。

それは30歳になった今でも変わらないのですが、明らかに変化(退化)したことがあります。それは「集中力」です。

少し難しいストーリーだったり、セリフや独白が長い漫画を読むのが昔に比べて辛くなっています。

だんだん面白くなっていくのかもしれなくても、最初の数秒〜数分で心掴まれないアニメは、1話を観終わる前に離脱してしまいます(大人気『鬼滅の刃』でさえ、一度それで離脱しています。再チャレンジして無事26話観終えましたが)。

 

「加齢により集中力が弱くなっている!」と最初は考えていました。

しかしよくよく思い返すと、私はそもそも生まれつきあまり集中力が高くないのかもしれないと気づきました。

大学受験の時、クラスメイトたちが1日7時間とか10時間とか勉強したという話を聞くたびに、どうやったらそんなに長時間勉強できるのか全く見当つきませんでした。

私は得意だった数学でもせいぜい試験時間の2、3時間が限界だったと思います。

 

しかし集中力というのは何も時間だけではないんですね。

2時間しか問題を解けないけど正解率100%の人と、7時間考え続けることができるけど30%しか正解できない人がいたら、私は前者の方が才能がある気がします。

そういった、集中力と才能について非常にわかりやすく解説されている漫画が『左ききのエレン』でした。

昨年末にKindle無料本になっていて、読んでみたらすごく面白かったです。

ジャンプコミックスになっているもう少し絵がきれいなバージョンもあるんですが、私はそちらがどうしても合わず読めませんでした。

上記に添付した原作版は、最初の数巻は絵がお世辞にも綺麗とは言えません。しかし、感情の生っぽさ、キャラクターの生き生きした感じが圧倒的で、ストーリーに引き込まれるのはこの原作版でした(巻数が進む中で絵もだんだん上手くなってます)。

映像化もされてるみたいですがそれも観てません。

 

この漫画は、大手広告代理店で若きデザイナーとして働く朝倉光一と、彼の高校の同級生で絵画の天才・山岸エレンの物語を軸とした、彼らを取り巻く魅力的なキャラクターたちの群像劇です。

 

光一の働く環境はまさに理不尽と葛藤が渦巻くサラリーマン世界そのもので、作品全体を通して格言や名言が散りばめられています。

その中でも最初に感心したのが、3巻で光一の元チームメイトでコピーライターのみっちゃんと、その上司・寺田さんが才能の正体について会話している場面です。

「オレが思うには

才能とは集中力の質だと思うーーー

(中略)

集中力は・・・

「深さ」「長さ」「早さ」 この3つの要素のかけ算だと思う

 

「深さ」は集中力の強度だな

「長さ」は集中力の継続時間・・・

「早さ」は集中に入るまでの瞬発力」

 

(かっぴー『左ききのエレン③』ピースオブケイク 2016.11.3)

「本の受け売りだけど」と寺田さんは言ってましたが、これって実在する誰かの理論なんでしょうかね。なるほど〜と思いました。

 

確かに何かの天才といわれる、いわゆる”プロ”の人たちは、対象に対してこれらの要素が非常に高いレベルで保たれていて、それゆえに集中力が高い。

自分がこれまでまあまあ集中力保てていたなと思う事柄(中高時代の数学、部活動の合唱や吹奏楽、習い事の茶道など)について3つの要素を考えてみると

  • 「深さ」・・・まあまあ深かった(古典とか他のことに比べると)
  • 「長さ」・・・どれも2、3時間が限界
  • 「早さ」・・・これは早かった。すぐに取り組める

という感じでした。

ちなみに今の仕事に関しては

  • 「深さ」・・・基本的に浅い。紐解いたり掘り起こしたりできない。表層だけ
  • 「長さ」・・・2時間もたない。1時間でも厳しいかも
  • 「早さ」・・・遅い。取り組むまでにものすごく自分を甘やかしてご褒美あげないと取り組めない

というわけで、今の仕事に対しての才能は多分あまりないと思われます。

 

勉強や仕事とはかけ離れた部分で、私が一番集中できるのはやはり物語に触れている時だと思いました。漫画でもアニメでもゲームでも、ストーリーに没頭すると上記の3つがグンと上がります。

よく覚えているのは高校生の時に読んだ『DEATH NOTE』、大学時代に観た『デュラララ!!』『コードギアス 反逆のルルーシュ』『HELLSING OVA』、フリーター時代に初めてプレイした乙女ゲーム『華アワセ 蛟編』などです。

  • 「深さ」・・・ご飯食べるのも忘れるレベル。眠らずにぶっ通しでストーリーを追ってしまう。目移りできない
  • 「長さ」・・・ストーリーが完結するまで続く。24時間を超えることも
  • 「早さ」・・・何の助走もいらない。一瞬

まあ物語に没入するのは受け身の動作が多く、基本的には観ているだけなので、そりゃあハードル低いですよね。別に才能とかいらないことなのかもしれません。

 

よく「夢中になれるもの・ことがほしい!」とか、「何かに一所懸命になりたい!」とか昔は考えていましたが、それは言い換えると「高い集中力を発揮できる対象を見つけたい!」ということなのでした。

 

結果的に強く集中できるものにはいまだに出逢えておらず、相変わらず無気力で退屈な人生を送っています。

しかし集中できないなりに、一体「深さ」「長さ」「早さ」のどれがボトルネックなのかということを考えるようになりました。

例えば今の仕事で一番集中力の足を引っ張っているのは「早さ」です。取り組むまでうだうだしていることが多い。夏休みの宿題になかなか手をつけない心情に近いです。

別に改善しなくても、お給料変わらないのでどうでもいいと思っていますが。

”才能”とか”売上”とか”魅力”とか、よく使うけど構成要素が多い事象を因数分解するのって、面白いし役に立つなぁと思いました。おわり。

金はひねくれたシワをのばすアイロン:『パラサイト』

先日、帰宅途中に怖い場面を見ました。

平日夜の帰宅ラッシュだったのか、人の往来が激しい駅の出口付近で

推定40代くらいの女性がうっかり前方を歩いていた年齢不詳の男性の踵を踏んでしまったのです。

するとその踵を踏まれた男性はものすごい勢いで女性を後ろ蹴りしました。

あまりの痛さに叫んだ女性でしたが、蹴った方の男性はイライラした様子で舌打ちをするとそのまま改札を出て行きました。

大柄な男性に蹴飛ばされたショックで女性は少しの間おとなしく歩いていましたが、

やはり許せなかったようで、走って駅員さんにことの顛末を訴えに行きました。

 

その後どうなったのか見届けていないのでわかりませんが、駅員さんも警察ではないし

蹴った男性は早足で姿を消してしまったし

示談というわけもなく、きっと何も清算できなかったのではないかと思います。

 

みんな余裕がないのかもしれないなぁとぼんやり考えました。

ただでさえ自殺者も増えているというこのご時世、不安が渦巻く社会のなかで、ちょっとした刺激にさえ過剰に反応しないと気が済まないのかもしれません。

 

では余裕とはどこから生まれるのか?

それがすべてとは言わないですが、お金によるところは大きいのではないかと、先日観た『パラサイト』を思い出しました。

パラサイト 半地下の家族(字幕版)

パラサイト 半地下の家族(字幕版)

  • 発売日: 2020/05/29
  • メディア: Prime Video
 

言わずと知れた名作。アカデミー賞を獲った韓国の映画です。

劇場公開時から観たいなぁと思っていたのにタイミングを逃しつづけ、今頃になって自宅で観ました。

度肝を抜かれる面白さに、通しで2回観ちゃいました。こんなこと初めてです。

 

あまりにも有名な作品ですが、念のためあらすじは以下。

 過去に度々事業に失敗、計画性も仕事もないが楽天的な父キム・ギテク。そんな甲斐性なしの夫に強くあたる母チュンスク。大学受験に落ち続け、若さも能力も持て余している息子ギウ。美大を目指すが上手くいかず、予備校に通うお金もない娘ギジョン… しがない内職で日々を繋ぐ彼らは、“ 半地下住宅”で 暮らす貧しい4人家族だ。

“半地下”の家は、暮らしにくい。窓を開ければ、路上で散布される消毒剤が入ってくる。電波が悪い。Wi-Fiも弱い。水圧が低いからトイレが家の一番高い位置に鎮座している。家族全員、ただただ“普通の暮らし”がしたい。

「僕の代わりに家庭教師をしないか?」受験経験は豊富だが学歴のないギウは、ある時、エリート大学生の友人から留学中の代打を頼まれる。“受験のプロ”のギウが向かった先は、IT企業の社長パク・ドンイク一家が暮らす高台の大豪邸だった——。

パク一家の心を掴んだギウは、続いて妹のギジョンを家庭教師として紹介する。更に、妹のギジョンはある仕掛けをしていき…“半地下住宅”で暮らすキム一家と、“ 高台の豪邸”で暮らすパク一家。この相反する2つの家族が交差した先に、想像を遥かに超える衝撃の光景が広がっていく——。

 

公式サイトより)

ほんっっっっとうに面白かった!!笑えてドキドキして、でも不気味で、最後になんとも言えない感情の涙が出ました。

感動というのでもない、悲しいともちょっと違う。実に不思議な感じでした。

すごくジメジメした作品なんですが、読後感というか、観終わったあとの心地は結構良いのです。ほんと、不思議。

 

冒頭の話に戻りますが、余裕の生成源としてお金の存在が大きいと思ったのは、劇中でキム家の母・チュンスクが放った一言が心に残ったからです。

「奥様は本当に純粋で優しい 金持ちなのに」

「”金持ちなのに”じゃなくて”金持ちだから”だよ 分かってんの?

はっきり言ってーー

この家の金が全部私のものだったら? 私は もっと優しいよ 優しい」

「母さんの言う通り 金持ちは純粋で素直だ 子どももひねくれてない」

「金はシワをのばすアイロンだ ひねくれたシワをピシッと」

「金はシワをのばすアイロン」、なるほど言い得て妙って思いました。

でもシワをのばすためには少額ではダメで、かといって高額でも泡銭ではきっとダメなんでしょう。

 

このシーンは、パク一家がキャンプに出かけて留守にしている晩に、キム一家がパク家の豪邸のリビングで酒盛りしているときの会話です。

同じ家で同じ冷蔵庫や食料庫から食べ物や飲み物を取ってきているのに、両家の食事の様相は全然違うんですよね。

キム家の酒盛りは”食い散らかす”という表現がぴったりの、雑然とした食卓です。酒もとにかく手当たり次第、高い酒でも瓶からラッパ飲み。

キム家は束の間の夢を見るような、その場限りの贅沢なので、さらにそうなってしまうのかもしれません。

まあ、仕事でもないのに洗い物を増やしたくない母の意向もあるのかもですが。

 

キム一家はどんなにパク家に寄生して高い給料を得ても、それを元手に堅実な人生を歩もうとは思わないんです。あればあるだけ金を使い、なくなってもっともっとお金が欲しくなる。

きっとキム家がどんなにパク家に寄生し続けてお金を得ても、パク家のような”天性の余裕”は生まれないんだろうなぁと思いました。

少なからず、騙している後ろめたさもあるでしょうしね。

 

***

 

キム一家がパク家のリビングで食い散らかしている最中、パク家の元家政婦・ムングァンが突然訪ねてきて、キム一家はショッキングな事実にぶち当たります。さらにムングァンに家族総出で詐欺を働いていることがバレて窮地に陥り、パク家にチクられる瀬戸際まで追い詰められるのをなんとか回避したも束の間、今度は荒天のせいでキャンプの中止と帰宅を余儀なくされたパク一家からの電話がきます。

パク家の唐突な帰宅をチームプレーでどうにかやり過ごし、家主たちが寝静まった豪邸から無事脱出したキム家の父と兄妹たち。しかし外は大雨と雷でひどい嵐です。

高台の高級住宅街からいくつもの階段を下り、ずぶ濡れになりながらなんとかたどり着いた自分たちの街は、海抜が低いせいで大洪水になっていました。

慌てて自宅に走るキム一家。半地下のキム家はもうほぼ水に沈みかけていました。

 

どうにか家を守ろう、大事なものを持ち出そうと汚水溢れる自宅を右往左往する父や兄とは別に、諦めの境地になった妹のギジョンは、自宅で一番高い場所にある洋式トイレの上に三角座りし、天井裏に置いていた煙草を取り出し一服します。この、ギジョンの絶望的な喫煙シーンがこの映画の中で一番好きです。

 

つい数時間前まで、高台の豪邸のゴージャスなお風呂に入って、高い酒を飲み、柔らかなソファの上でゴロゴロしていたのに。

一気に天から地へ引き摺り下ろされた感覚だったろうと思います。

ドブ水が氾濫するトイレでなす術なく、もう笑うしかないといった絶望と諦め。かろうじて手元に残った煙草は果たしてうまかったのだろうか・・・うまかったらいいなと思います。

 

この一連の流れを観ていて改めて思ったんですが、酒と煙草って低所得者のためにある気がします。パク家が煙草吸ったり酒をガバガバ飲む場面は全然なかったですが、キム家では酒も煙草も当たり前のように日常に馴染んでいるものとして描かれていました。

それがまた両家の対比を色濃くしているように見えました。

 

***

 

翌日のパク家のパーティーの場面も本当に胸がキュッとなる光景でした。

避難所の体育館ですし詰めの避難生活を余儀なくされたキム家でしたが、急遽ホームパーティーをすることにしたというパク家からそれぞれにお誘いや招集の連絡が入ります。寝不足の彼らは、避難所に寄付された服の山からどうにか身繕いをしパク家へ。

美しい庭で開かれる優雅な宴。仕立てのいい服を着た大人たちと可憐な子どもたち、教養を感じる音楽と高そうな楽器の演奏、ふわふわした犬、テーブルに並べられたご馳走の数々・・・。

窓からそれらを見下ろしたギウがぽつぽつと呟くのです。

「みんな優雅だな

急に集まったのにクールで すごく自然だ

ダヘ 俺は似合う?」

「何が?」

「似合ってるか? ここに」

何をどう偽装しても、絶対に超えられない壁があることをまざまざと感じるシーンです。まさに”住む世界が違う”。

 

身の程を知ることが大切なのはよくわかります。

絶対に超えられないのに壁を登ろうと無駄に足掻くのはみっともないというのもわかる。

けれど、上を見て悔しくて、その悔しさが捻れて卑屈になる気持ちも理解できるし、”ひねくれたシワ”ができてしまうのも仕方がないことだと思うのです。

 

少額の金じゃシワをピシッとはのばせないかもしれない。

泡銭じゃスチームが足らないかも。

それでも、ほんの少しシワがごまかせるだけでも、余裕のある佇まいに近づけるのでしょうか。

それとも本当はお金なんか微塵も関係なくて、温暖な気候と美しい海と甘いフルーツでもあれば、人間はみんな陽気で余裕たっぷりにいられるんでしょうか?

 

***

 

優雅なパーティーで突如大事件が起き、その後キム一家はそれぞれ離れ離れになって、それでもいつかまた一緒に暮らせる未来を思い描くところで物語は終わります。

お金も余裕もないかもしれないけれど、希望はあるから生きていける、そんな終わり方でした。

つまるところ、人が生きていくのに一番必要な心の燃料は「希望」なのだなぁと、今年何回めかの実感をしたのでした。おわり。

絶望したまま生活する:『心臓』

さらっと読めるけど心に傷跡をのこすような漫画に出逢いました。

心臓 (トーチコミックス)

心臓 (トーチコミックス)

 

結構前から気になってたんですが、なんとなくスルーしていた作品。

取引先からAmazonギフト券をもらったので購入してみました。

なぜ気になっていたかというと、作者の名前が”オクダアキコ”で好きな作家の奥田亜希子さんと漢字一文字違いだったので。それだけです。

 

『心臓』は短編集で、特にいいなと思ったのは2話目の「ニューハワイ」と最後の「神様」という話。

 

***

 

「ニューハワイ」は27歳古本屋バイトのなおちゃんの日記調の独白がメインです。

なおちゃんの高校時代からの友人・冬子は、DV彼氏にしょっちゅう暴力を振るわれてなおちゃんに泣きついてきます。

「通報しよう」となおちゃんが言うと、必死に止める冬子。

「私は私のやり方で彼のメンタルを救ってみせる」とニコニコして帰っていく冬子を”一人芝居でもしてるみたいで痛々しい”と評するなおちゃんの、一歩引いた冷めたスタンスが好感持てます。

 

ブックオフっぽい古本屋でのバイトの様子も面白いです。ズレた感じの変な男性客の描写とか。

ある日、年下の女の子バイトと年上の男性バイトが自分の話をしているところを立ち聞きしてしまう場面が特に好きです。

「なおさん?夢でもあるんじゃないっすかね」

「だからってこんなとこ2年もいます?」

「オレ4年」

「だって なおさんもう

27才っすよ」

(中略)

9月15日

陰口に

腹も立たない

私、人生のどの地点から ここまで自分に絶望してるんだろう

 

(奥田亜紀子「ニューハワイ」『心臓』リイド社 2019.7.30)

読みながら私も、自分にいつから絶望してるのか考えてしまいました。

 

実は大学生の頃一瞬だけ、なおちゃんみたいにブックオフでバイトしたことがあります。ブラックで1か月くらいでやめましたけど。

あの頃はもう自分に絶望してた気がする。となると、二十歳の時点でもう絶望してるなぁ。

 

物語はその後、大地震とかいろいろあって、さまざまな心の機微がありつつもなおちゃんと冬子とDV彼氏で熱海旅行に行ったところで終わります。

ざっと説明するとなんじゃそりゃ、と言う感じですが、いい話でした。

 

***

 

「神様」は四時子という女性と彼女の炊飯器やマフラーや靴などの付喪神として振舞う神様の話です。

あまり笑わない四時子には、学生時代に交通事故に遭って以来寝たきりの双子の妹・五時子がいます。

また、サトという彼氏もいて、サトは四時子を本気で好きで、結婚したいと思っています。

サトが本当にいい彼氏で、自分と結婚したがっていることもわかっている四時子ですが、五時子のことを言い訳にして自分が幸せになることを避け続けるんです。

「私 幸せはこれ以上要らない

・・・五時子が死んじゃう気がして」

 

(奥田亜紀子「神様」『心臓』リイド社 2019.7.30)

「ニューハワイ」も「神様」も、他の短編も、この作品に出てくる主人公たちはみんな自分や自分の人生に絶望しているんですね。

そしてそういう”自分や自分の人生に絶望している人”に強く惹かれる私自身に気づきました。

惹かれるというか、ひたすらに共感する感じ。

 

「幸せはこれ以上要らない」なんていうほど幸せではないんですが、この絶望を脱ぎ捨てられるイメージが全く湧かないです。

今までもこれからも、この絶望を背負って生き延びるしかないんだという諦念。

絶望したまま生活する疲労感と、その中で見出すあるかないかの小さな幸せ(熱海旅行に行くとか、面白い漫画に出逢うとか)をかき集めて記憶する作業。

そういう絶望人生にすごく共感して、なんとなく励まされ安心するのだなぁと思いました。

 

生身の人間が生きるろくでもない感じを、とても軽やかに表現した良作漫画でした。終わり。

『サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3』

村上春樹海辺のカフカ』が本当に好きなんですが、紙の本を所有するのがイヤで図書館に借りに行きました。

その時ついでに手にしたエッセイが面白かったです。

サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3

サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2012/07/09
  • メディア: ハードカバー
 

世界的にも有名な作家である村上さんが、文章について述べた下記の記述。めちゃめちゃ説得力あります。

僕にはとてもそこまで英雄的なできそうにないけど、でも文章を書くときには、できるだけ読者に対して親切になろうと、ない知恵をしぼり、力を尽くしています。エッセイであれ小説であれ、文章にとって親切心はすごく大事な要素だ。少しでも相手が読みやすく、そして理解しやすい文章を書くこと。

村上春樹『サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3』マガジンハウス 2012.7.9)

冬の河川に不時着し、救助のロープを女性に譲り続けて亡くなった銀行監査官・ウィリアムズさんの話から親切心について語った一説です。

村上さんの文章はbot化されるくらい特徴的な小気味いい文体で、私は好きです。あの文体を書く時、そういう心持ちなのか〜と感心しました。

時間もかかるし、手間もかかる。いくぶんの才能も必要だ。適当なところで「もういいや」と投げ出したくなることもある。

そんなとき僕はウィリアムズさんのことを考える。猛吹雪の中、ポトマック川の氷混じりの水に浸かりながら、まわりの女性に「お先にどうぞ」と言い続ける親切心に比べれば、机の前で腕組みして正しい言葉を探すくらい、大したことじゃないよなと思う。

(同上)

 

プレゼントについての話から文体について言及していた下記も得心です。

考えてみたら衣服というのは、小説家にとっての文体に似ているかもしれない。他人にどう思われようと、批判されようと、そんなことはどうでもいい。「これが自分の言葉で、これが自分の文体だ」と確信できるものを用いることで初めて、心にあるものを具体的なかたちにできる。どんなに美しい言葉も、洒落た言い回しも、自分の感覚や生き方にそぐわなければ、あまり現実の役には立たない。

(同上)

私はライティングの仕事をメインでやっているわけではないですが、これまで仕事で文章を書いて世に出したことはあるし、こうしてブログも10代の頃からずっと書いています。世の中を文章書く人と書かない人に二分するとしたら、書く人側に入ると思います。

けれど、自分の言葉とか自分の文体とかを意識したことはあまりなかったなぁと思い至りました。

 

仕事は別ですが、自分のブログは未来の自分が読者だと思って書いてます。私は自分の昔の日記を読むのがかなり好きです。

昔のエントリを読むと、すごく共感できる他人が書いた文章みたいで面白いのです。

今の自分と同じ考えのこともあれば、全然違っていることもあり、本当に別人が書いてるみたいに感じる時があります。それが楽しい。

ただ、仕事で文章を書くようになってから、少し読みやすさに注意することが増えました。自分の日記でさえも。

だからそれ以前の日記を読むと、ちょっと直したくなる時があります。面倒なのでそのままにしてますが。誤字脱字も補完して読めれば放っておいちゃいます。

 

自分の文体って、文章書く人はみんな意識してるんですかね?

文体とは違いますが、私の文章は強いて言えば一文がめちゃめちゃ長くなりがちです。駄目な文ですね・・・読みづらいです。英語の長文問題で、無理矢理直訳したみたいな日本語を書きがちです。

でも、自分だけにはすごくよく伝わることもあって、多分辞めることはないと思います。私のために書いているものに関しては、ですが。仕事では気をつけようっと。

 

***

 

村上さんの、生活に対するスタンスのようなものにもとても共感しました。

小説家になってよかったなと思うのは、日々通勤しなくていいことと、会議がないことだ。この二つがないだけで、人生の時間は大幅に節約できる。世間には通勤と会議がなにより好きだという人もひょっとしておられるのかもしれないが、僕はそうではない。

(同上)

テレワークといろんな画策のおかげで、最近の私も通勤と会議は結構減らせたかも。

 

僕が人に何か忠告を与える、というようなことはまずない。もともと「なるべく余計な口出しはするまい」という方針で生きているせいもあるけど、もうひとつには、これまで僕が何か助言をして、それで良い結果がもたらされた例をひとつとして思い出せないからだ。

(同上)

結婚を勧めた2組のカップルがどちらも離婚したエピソードは声出して笑いました。が、思えば私も自分の助言で好転した事象を一つも思い出せません。

さらに悪いことに私は結構お節介な質で、思ったことはわりとすぐ口出ししてしまうことがあります。「なるべく余計な口出しはするまい」。年取れば取るほど気をつけなきゃなーと思いました。年寄りって説教くさくなりがちですからね。

 

墓碑銘について考える話で引用された下記は、正確にはトルーマン・カポーティ『最後のドアを閉じろ』の作中の言葉だそう。

でも墓碑銘なんてなくても、もちろん全然かまわない。ゆっくり寝かせてもらえれば、それでいい。ただ自前の文章でなくてよければ、これがいいんじゃないかと思うものはある。

「何ひとつ思うな。ただ風を思え」

(同上)

英語では「Think of nothing things, think of wind」で、村上さんの最初の本『風の歌を聴け』のタイトルもここからつけたそうです。へぇ〜って感じでした。カポーティの本って、大学生の時に何か読んでピンとこなかった記憶しかないんですが、確かにこの一文はいいなぁと思いました。気分が波風立ってる時に脳内で唱えるようになりました。

 

あと最後に笑ったのが下記。

テレビにも一度も出演したことはない。僕はバスに乗ったり、あてもなく散歩をしたり、近所の店で大根とネギを買ったり、ごく普通に日常生活を送っている人間なので、道を歩いていて声をかけられたりすると面倒だ。だいたい「ねえねえ、お母さん、見てごらんよ。村上春樹がテレビに出てるわよ。ずいぶん面白い顔してるわねえ」なんてこと言われたくないですよね。どんな顔をしてようが僕の勝手だ。

(同上)

確かに!どんな顔してようが本人の勝手ですね。

でも私はテレビで村上さんの顔を見た記憶があります。海外の何かの席でスピーチしたニュースの時かな。卵と壁の話?でしたっけ?スピーチの内容は全然覚えてないのに村上さんの顔は結構覚えている気がします。やっぱり視覚情報って強いなぁ。

 

そんなわけで、尊敬するストーリーテラーの日常的な思考が想像以上に面白く、勉強になりました。おわり。

調子が悪くても:『夢も見ずに眠った。』

最近精神的に調子が悪いです。

仕事でミスが続き、いつも時間に追われている心地がしてイライラし、何をしても楽しくない。

季節の変わり目だし、このご時世だし、不調の原因を考え出したらキリがないですね。きっと同じような方は世の中にたくさんいるだろうと想像したところで、自分の辛さは何も変わりません。

 

思えば10代の終わりくらいからずっと、出口の見えないトンネルが続いている感じです。

死ぬまでずっとこんなんだったらとっとと死んだほうがいいかもなぁと思わないこともないような、決定的ではない不愉快がずっと横たわっています。

 

病んだって誰も助けてくれないし、なんとか自分を鼓舞して生き延びる以外手はないことは重々承知。なんですが、それでも人の心が沈んでいく描写を読むと共感できすぎて思考を引っ張られるのでした。

夢も見ずに眠った。

夢も見ずに眠った。

  • 作者:絲山秋子
  • 発売日: 2019/01/26
  • メディア: 単行本
 

絲山秋子さんの小説は、日本の地方都市の描写が実に豊かで好きです。

この『夢も見ずに眠った。』も、なかなか旅行しにくい情勢の中、物語の中だけでも旅したいと思って手に取りました。

 

主人公の沙和子と高之は熊谷に暮らす夫婦です。

就職氷河期を乗り越え立派なキャリアウーマンとなった沙和子。婿入りした高之は非正規雇用で職を転々としていました。彼は結婚を機に沙和子の実家の敷地に地元・中延から引っ越してきたのです。

二人は大学の同級生でした。

 

沙和子はどちらかというと真面目な性格で、高之は飄々としておおらかな感じです。

二人は全然似ていないですが、私はそれぞれに強く共感できる部分がありました。

 

物語の序盤で、沙和子の札幌への栄転が決まります。

高之は熊谷に残ることを選択して、二人は単身赴任という形の別居状態に。

沙和子の引っ越しの日、空港で高之と別れた後に沙和子が高之のことを思う場面がとてもいいなと思いました。

あのひとは、自分のためにしか動けないのだ。

まったく、それでいい。

ひとの身になって考える、ということが苦手なのだ。そしてそんなことをしたら、いつも間違いのもとだから、自分のために生きた方がいいのだ。

絲山秋子『夢も見ずに眠った。』河出書房新社 2019.1.30)

私も自分のためにしか動けないです。多分。

ひとの身になって考えるって、お客様視点とかそういうことはするかもしれないですが、結局それも想像の域を出ないし、つまるところ自分のためでしかない。

確かに下手に”ひとの身になって”考えたりしたら、かえって間違えそうです。

 

沙和子が札幌に行って数か月経った頃、彼女は知人の結婚式に出席するため京都へやってきました。せっかく本州に来たならと、高之は車で滋賀へ向かい沙和子と小旅行することにします。

久々に会った二人ですが、高之の様子がなんだかおかしいのです。基本的に穏やかでつまらないことで突っかかったりしない彼が、どうも機嫌が悪そうで、ドライブの目的地にも気づくことができず立て続けに通り過ぎてしまいます。

具合の悪そうな高之を見た沙和子は、職場で何人か見た鬱病患者を連想します。心配する沙和子の問いかけに高之も自身の不調を自覚し、二人は旅行を切り上げて熊谷に戻りました。

 

病院で中程度の鬱病と診断された高之。なぜ自分が鬱病になったのか、心当たりが思いつかず混乱する高之は、非正規雇用で休職もできず職を失うことになってしまいます。

薬局を出てひとまず落ち着きたかった二人は、熊谷の”雪くま”を食べられる菓子屋に入りました。

向かい合ってかき氷を食べている時の、高之の心理描写が読んでて非常に辛かったです。

溶けかけた氷をスプーンで集めながら、高之は、なんでもないことが楽しい日々なんてもう二度と来ないのではないか、と思っていた。旅行の計画に夢中になった。本を読むのが好きだった。酒を飲んで笑っていた。新しく興味を持てそうなことを見つけるのが嬉しかった。でも、なにがどう楽しかったのか、思い出せないのだ。二度とそんな日は来ないと思うのだ。

(同上)

精神的に本当に参ると、こういう気持ちになりますよね。もう二度となにも楽しめないような気持ち。このままつらい沼に永遠に足を取られ続ける絶望感。

楽しかったと思う昔を思い出して、さらにしんどい気分になって・・・負のループです。

 

思えば社会人になってからいつも、働き続けるうちにだんだんと、そういう負のサイクルに嵌ってしまう気がします。

高之と同じで、何か決定的に嫌なことがあったわけでもないのに、無意識の我慢や自己欺瞞がいつしか大きな歪みを生んでいて、気づいた時には抜け出せなくなっているのです。

なんとか自力で抜け出すために退職して、数か月ニートしながら旅行したり読書にふけったりして心の平穏を取り戻し、再就職してまた・・・の繰り返しでここまで来ているようです。

 

今の職場でも、もう嵌りかけてるかも。はぁ。また繰り返すのも嫌だなぁ。何より旅行が満足にできない世の中になっちゃったのが痛いです。

 

***

 

高之は沙和子の両親の支えや通院を経て徐々に回復しますが、離れて暮らすうちに二人は夫婦の形を保つことが難しくなり、離婚します。

仲違いしたわけではない極めて円満な離婚でしたが、ちょっとしたことで互いの不在を認識する高之たち。

わざわざそんなくだらないことを聞いてくれる相手がほしいわけでもなかったが、自分の生活の色のなさは、そういうことなのだと思った。途中で使うのをやめてしまったスケジュール帳のような白い日々に彼は飽きていた。

(同上)

このスケジュール帳の例えにとても共感しました。秀逸、と思いました。

ニートの生活を長いこと続けていると、確かに楽だしいくらでも自分を可愛がるネタはあるのですが、ふとした時にこの日々の白さに心許なさを感じることがあります。

家族や恋人や友人がいたら、そんなこともないのかもしれませんが。

なんなら今も白い日々を送っているような気さえします。うまく言えないですが、このうまく言えない心持ちを実に的確に表現している箇所が、この作品にはたくさんありました。

 

ある日沙和子が血迷って横浜で不倫デートをし、事故にあって足を骨折したところに見舞いにやってきた高之との会話もそういうシーンでした。

沙和子は深いため息をついた。

「私ね、自分がどうしたいのかわかんなくて。誰かに悪いとか、相手の気がそれで済むんならとか、そういうことしか考えてなかった。でも、もうだめみたい」

(中略)

まさかこの年になってこんなことで悩むとは、と思う。

自分さえ我慢すればいいと思って暮らしてきたのだ。母とのわだかまりがあっても問題にしたりやり直したりしなくても済むように。出向先の待遇に満足しなくてもやっていけるように。だが、今までのやり方は失われてしまった。乗り継ぎに失敗したときの列車のように、行ってしまった。沙和子は今、誰もいない駅のホームに佇んでいるような気持ちなのだった。

(同上)

乗り鉄の私にはこの描写もグッときました。行ってしまった列車が脳裏に浮かぶくらいわかりやすいです。

鬱病になるほどではないにせよ、沙和子も溜まりに溜まった自己欺瞞に心の均衡を崩されてしまっていたのでした。

 

今こうして書いているうちに思い出しましたが、アニメ『君が望む永遠』を観て自分に嘘をつくことがどんなによくない結果をもたらすか学んだはずなのになぁ。

人間って自分を騙せずには生きられないんですかね。

少なくとも社会生活を営む上では、大なり小なり自分に嘘をつく必要ってあるのでしょうか。

・・・それにしたって生きづらいなぁ。

 

***

 

この小説は長編で12の章からなっており、それぞれに日付が付いています。

一章は2010年ですが、最終章の十二章は2022年です。

これは作者も意図していなかったと思いますが、2020年に東京オリンピックが開催された旨の描写があって、そこで一気に現実に引き戻されてしまいました。

遠い未来だとSFだと認識して普通に楽しめるのですが、あまりに近い未来がズレているとなんとも咀嚼しづらいフィクション感が出てしまうのだなと驚きました。

それでも、12年の歳月で大人がどう年をとるのか、とても生々しく表現されていました。

寛ちゃんのところでは、娘たちもすっかり成長し、大人と話すことに慣れている様子だった。食べ終わってからはさっと席を立ち、片付けを手伝うと姉は塾へ、妹はジムへ出かけてしまった。寛ちゃんの奥さんが車で送っていった。

寛ちゃんの家の夕方はとても忙しい。

でも、高之の夕方は暇なのだ。

それを寂しいことのように感じた。私たち自身が、暇な夕方みたいな年齢なのだろうかとも思った。

(同上)

このブログを書き始めたのは6年前で、その頃から変わらず私は子供を産むべきではないとずっと思っています。今でもそれは変わりません。

けれども、6年前には”子供を持たない人生”がどういうものなのか、きちんと把握していなかったなとも最近よく考えます。

 

子供や家族がおらず、友人や恋人もおらず、打ち込める仕事も趣味もない独りの大人の人生というのは、果てしなく暇です。

肉体は確実に老いていて少しずつガタがきたり、何かに好奇心を抱くことが以前より格段に難しくなっている。そういう中で余った空洞の時間がある。これは結構しんどいことでした。少なくとも私にとっては。

退屈が好きだと嘯いてた若い頃が嘘みたいに、退屈は苦痛を伴います。忙しいのも嫌なはずなのに、持て余した暇が案外怖くて足がすくむ。

もし子供を産んでいたら、こんな暇とは無縁だっただろう。そう想像してさらに恐怖するのです。

「もし子供を産んでいたら」?冗談じゃない。あんなに生まれてくることの悪を呪ったのに、そんな想像するなんて、と。

しかし、そんな自分にとって禁忌とも言える発想をしてしまうほど、この加齢を伴った時間の空洞は精神的に辛いものなのでした。

 

***

 

暗い話になってしまいましたが、この小説のラストはどちらかというとハッピーエンドです。

何かが決定的にゴールしたような終わりではないのですが、不思議と涙が溢れてきて、しかもその涙が結構複雑な感動なのです。

この言語化できない感情こそが、物語を読む醍醐味だよなぁと改めて思いました。

 

当初の目的通り、旅の思い出もたくさん想起できました。

岡山、広島、島根、鳥取、盛岡、札幌、横浜などなど、行ったことのあるスポットや乗ったことのある路線や駅が次々出てきて面白かったです。

奥多摩や青梅はあまりきちんとみたことがないので、近々行こうと思いました。

 

暇な夕方みたいな年齢を重ねなければならない現実にはほとほと辟易します。が、

適度に旅に出たりしながらやり過ごすしかないんですよね、やっぱり。

仕事でミスが続いても、

時間に追われてイライラしても、

無意味に悲しくなったりしんどくなったりしても、

自分の人生は誰も代わってくれないし、何よりいつかはみんな死ぬので。

「イヤなことっていうのは、ひとつひとつ片付けていくしかないんだ」

いつだったか、一緒に残業していた同僚が苦々しく言った言葉を思い出しながら、重たいレンガを積むようにして日々の仕事をこなしているうちに、年度末の忙しさに呑まれた。

(同上)

真理の言葉だなと思いました。イヤなことっていうのは、ひとつひとつ片付けていくしかない。しんどい度に思い出します。おわり。

ひとに勧めたくなる映画:『恋人たち』

お盆ですが猛暑のニュースにビビって家から出る気が起きない30歳の夏。

暇なときGYAOの無料映画欄をのぞくのですが、今とてもいい映画やってました。橋口亮輔監督作品『恋人たち』。

恋人たち

恋人たち

  • 発売日: 2016/09/07
  • メディア: Prime Video
 

今月30日までGYAOで無料で観られるようです。別にPR案件じゃないですよ。

 

何の前情報もなくたまたま目について再生しただけだったんですが、こんな良作に出会えるなんて何だか嬉しいです。

 

Wikipediaからあらすじを拾ってこようと思ったら、ネタバレどころかストーリーの全てが書いてあって笑ってしまいました。

ストーリーの内容よりも、一つ一つの場面の描写に胸を打たれる映画だと思います。

観た後すごく「いいもの観たなぁ」と感動して、ひとに勧めたくなるんですが、「どういうところが面白いの?」とか聞かれると多分かなり悩む気がします。

 

愛していた妻を通り魔に殺されたアツシの話は本当に辛くて悲しいし、長年の片想いがこじれて色々うまくいかない弁護士の四ノ宮の話もしんどいし、田舎の弁当工場で働く瞳子の話も何だか滑稽で居心地が悪い。

どれもこれも不幸の無数のパターンの中からピックアップされたような話で、現実世界のどこかにありそう。リアルな描写にとても引き込まれました。

 

特に瞳子とアツシの暮らしぶりは、私に新卒時代働いていた食品工場を思い出させました。

何度も転職を繰り返し、今はたまたま東京の高層ビルでOL勤めをしていますが(といってもここ数ヶ月狭い賃貸マンションでテレワークですけど)、私の原体験ってやっぱりあの田舎の工場なんだなって改めて実感しました。

瞳子とその同僚たちが自転車置き場から「お疲れ様です」と言い合って散り散りに帰宅していく様子も、狭い事務所で作業着を着たおじさんや事務のお姉さんたちが馬鹿話で笑い合う様子も、既視感でいっぱいでした。

 

あの頃マーケティングとかブランディングとか、そんなカタカナなことは微塵も気にしなかったし、考えてなかったです。

朝早く起きて、ママチャリで田舎道を走り、おんぼろな畳敷の更衣室で作業着に着替えて、おばちゃんおじちゃんたちと腰痛いとか暑いねとか寒いねとか言い合って、朝から晩まで働いてクタクタになって、帰り道にそうめんとかお酒とか買って、帰って食べて飲んでお風呂に入って眠る。

シンプルで、忙しいけど全く充実していなくて、難しいことは何にもないけど憂鬱な日々。

多分一緒に働いていたおばちゃんたちも色んな不幸を抱えて生きていたんだと思います。当時はそのことにあまり思い至らなかったですが。

 

偏見もあるのを承知で言うと、あの場にいた誰もが何かを諦めていたんだなって感じます。

みんな多分「こんな仕事つまらない」って思ってました。もちろん私も。こんな仕事誰でもできるって。(今の仕事だってそうですけどね)

そして単調な仕事に加えて、単調な生活。単調な家庭。刺激のない田舎の生活と村社会。

車のローンや子どもの学費や親戚づきあいや同僚たちとの人間関係といった面倒で瑣末なこと。

改めて思い出すと、本当に閉鎖的で平坦な生活だと思います。

けれど、みんなそれを受け入れていて、諦めていて、足掻くことなく、変に飾りたてることもしなかったです。

諦めた上で、それぞれがささやかな楽しみを持っていて、無駄に前向きになることも後ろ暗くなることもなく、ただただ生きていました。

 

ブルーカラーとホワイトカラーという言葉がありますよね。近年ではゴールドカラーというのもあるようです。

ゴールドカラー以外は大きな違いはあまりない、どちらもただの労働者だと思います。

ただ、ホワイトカラーはゴールドカラーに比べて虚飾がちょっと多いなと感じました。諦めが足らないというか。

特に都会であればあるほど虚飾具合が過剰になる気がします。きっと都会はその虚しさでお金を回している節があるんじゃないでしょうか。別にそれが悪いとかではなく、それはそれで面白いなと思います。

社会は階層構造で、それぞれの階層にそれぞれのスタンスと不幸があるんだなって。

 

ただ、この『恋人たち』みたいな映画や漫画や小説に出会うたび、きっと私はこれからもあの工場での日々を思い出すし、そこで一緒に働いていたみんなの生活を思い出します。

そしてどんなにオシャレでキレイなところに行ったとしても、私の本質的なところは多分ああいう場所にあるんだろうなと思い返す。

飾りを剥がされるような感じです。

ああ、そうか。この映画は精神的な飾り・虚飾を剥がしにくる作品なんです。だから読後感がいいのかな。

ゴテゴテしてんな〜と思う人に観てほしいかも。おわり。

ルーティーンワークの孤独:『オールドファッションカップケーキ』

私はまったくもっていわゆるparty people略してパリピではない、のですが

今年の夏はフェスもなければ花火大会も縁日もない、そのことに非常に憂鬱になっていて大変気分の晴れない日々を過ごしています。

別に毎年海辺でBBQしていたわけでもキャンプに繰り出していたわけでもないのに、例年たいした夏は過ごしていなかったはずなのに、どうしてこうも落ち込むのか不思議でたまりませんでした。

そんななか、昨日読んだ佐岸左岸『オールドファッションカップケーキ』の中にその答えの一欠片を見たような気がしたので記録しておきたいと思います。

主人公の野末さん39歳独身男性は、おしゃれな平屋の一軒家で慎ましく暮らしていました。

端正な美形で仕事もできて小綺麗な野末さんは、年を重ねるごとに小さくまとまったルーティーンワークな日々を送るサラリーマンです。

柔らかい笑顔と人当たりの良さで職場の信頼も厚いし、女性にもモテるのに、本人の意欲が低いせいでかわり映えのない毎日を送っている野末さん。

他人と深い関係になったり、

新しいことに挑戦したり、

そういうことが面倒になった。

 

その面倒を楽しめないことを

年齢のせいにして、公私共に

ルーティーンワークばかりしている。

(佐岸左岸『オールドファッションカップケーキ』大洋図書 2020.1.4)

そんな憂鬱を抱える野末さんの10歳年下の部下・外川は、憧れの上司・野末さんの憂鬱にいち早く気づきました。

出先の駅で女子高生2人組がおしゃべりしたり自撮りしたりする様子を見て「楽しそう、羨ましい」と呟いた野末さんに、外川はすかさずある提案をします。それは、女の子ごっこという名目で、若い女性に人気のパンケーキ店に行くこと。

 

その日の昼休み、早速パンケーキを食べにカフェに来た2人。女性客ばかりでうろたえる野末さんに、外川は辛辣な指摘をしました。

野末さんが新しい経験や恋愛ごとを面倒に感じるのは、本当は恐怖心の裏返しであると。

「恋愛するのも、

昇進して 新しい仕事を任されるのも、責任が重くなるのも、

こうやってパンケーキ食べるのすら、こわいんでしょう。

 

四十路手前で仕事以外 何も無い自分に気付いて、

でも何をしていいのか 何がしたいのかもわからなくて、

(中略)

わからないまま新しいことをして失敗するのがこわくて、

 

このまま三十代を終えようとしていることがこわくて、

今まで仕事に情熱注いできたことまで後悔してるんでしょう。」

 

(同上)

図星を突かれて反射的に立ち上がった野末さんでしたが、あまりに的を得ていた外川の指摘に落ち込みます。

外川はそんな野末さんを励まし、自分がいかに野末さんを尊敬しているか、どれほど野末さんに元気を取り戻してほしいかを力説しました。外川の真摯な訴えに心打たれた野末さんは、外川の提案を受け入れ、少しずつ変わらなければという意識が芽生えます。

 

それから週末ごとに、野末さんと外川は”女の子ごっこ”による色々な初体験のために、オシャレなカフェやスイーツを求めて連れ立って出かけるようになりました。

生活に新しい楽しみができた野末さんは、目に見えて明るく変化します。

部下たちに「野末さん、なんだが最近元気ですね。何かいいことあったんですか?」と聞かれるほどに。

 

さらには頑なにガラケーを使っていた野末さん、ついにスマホデビューも果たします。

まだ慣れないスマホのカメラと格闘しつつ、いつものように外川とオシャレなカップケーキをつついていた時、野末さんは外川のアンチエージングセラピーが大成功していることに言及しました。

「 女の子だから楽しいとか、若いから楽しいとか、

そういうことじゃなかったかなって。

(中略)

俺には仕事を通して得たものが沢山あるのに、それが見えてなかった。

外川が色んなところに連れてってくれたお陰で

目の前しか見えてなかった脳味噌の老眼が治ったと思う。」

 

(同上)

”脳味噌の老眼”ってとてもいい表現だなぁと思いました。

かわり映えしない日々を送っていると、脳味噌の老眼が起こって色んなことが見えなくなるんですね。

見えるものが少ないと不安になります。自分には何もなく思えて途方にくれるし、何もないまま同じような日々を生き延びなければならない事実に辟易します。

変化のない日々、刺激のない日常に溺れて、生きることがより憂鬱になっていく・・・。

 

ライヴとかフェスとか、夏祭りとか海水浴とかっていうのは、単調な日常に刺激と変化を与える脳味噌の栄養だったんです。

今年の夏の鬱屈とした気分は、その栄養を享受できなかったために起きている栄養失調みたいなものなのだと思い至りました。

 

今年はこの先もこんな調子の栄養不足がつづくのだと思います。

少しでも脳味噌の老眼を防いで精神衛生を保つために、可能な範囲で野末さんたちのように新しいことを生活に取り込みたいです。

行ったことないカフェでも、少し気おくれするニュースポットでも、やったことない習い事でもなんでもいい。

ルーティーンワークで雁字搦めになってろくでも無い考えにとらわれる前に、どうか少しでも明るい方へいきたい、そう強く思いました。

 

***

 

この漫画はストーリーも非常に良いですが、出てくる服や小物や家具一つ一つがとてもおしゃれで見ていて気持ちがいいです。

野末さんの家みたいな部屋で暮らしたいなぁ。おわり。