れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

物語に寄り添うかっこよさ:tricot「いない」

春の呪い』がドラマ化されていまして、ドラマは観ていないんですが、ドラマ主題歌のtricot「いない」がとても良いです。

J-WAVEの土曜朝の番組『RADIO DONUTS』のゲストでヴォーカルの中嶋イッキュウさんが出演していて、その時は寝ぼけた意識できちんと聴いていなかったけど、脳みその片隅に情報がメモされていました。

今思い出してYouTubeでミュージックビデオを観てみたら、めちゃくちゃ素晴らしかったです!


www.youtube.com

曲もかっこいいし、歌詞も『春の呪い』にすごく合ってる。

MV自体も『春の呪い』っぽさ全開。小西先生(漫画原作者)のあの独特の暗いパワフルさがそのまま音楽になっていて、「tricot、すごっっ!!」って驚きました。

しかもリピートすればするほど音楽自体が気持ちよくて、こういうのをスルメ曲とかいうんですかね。

 

もともと音楽がついてない、作中にもなんの音楽要素もない2次元の物語を、これだけ巧みに音楽に昇華できて、さらにそれが物語に寄り添ってより原作をもパワーアップさせてしまう。優れたアニソンとかドラマ主題歌ってそういう力があります。

音楽を聴くだけで、聴衆を物語の世界へトリップさせてしまう。漫画を開かなくても、動画を観なくても、一瞬で作品世界に浸らせることができる。

魔法のような、まさに職人技です。

 

tricotは存在感があって気になるバンドでしたが、楽曲を繰り返し聴くことはこれまであまりなかったんですよね。

でもこの「いない」は『春の呪い』の力と相まってすごく気分が上がるので、間違いなくプレイリスト入りです。めちゃくちゃいい音楽に出会えて嬉しい。幸せ。おわり。

 

映画『82年生まれ、キム・ジヨン』を観ました

韓国で「『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだ」と言った女性芸能人が、写真を燃やされたりネット上でバッシングを受けたりSNSが炎上したりしているそう。何それ怖、って感じです。

私は原作小説は読んでませんが、今しがた映画を観ました。

J-WAVEで日曜の午前中に放送している『ACROSS THE SKY』という番組が好きで、そこでナビゲーターの玄理さんが映画を観た感想をお話しされていて興味を持ちました。

 

物語のあらすじは以下。

結婚・出産を機に仕事を辞め、育児と家事に追われるジヨン。常に誰かの母であり妻である彼女は、時に閉じ込められているような感覚に陥ることがあった。そんな彼女を夫のデヒョンは心配するが、本人は「ちょっと疲れているだけ」と深刻には受け止めない。しかしデヒョンの悩みは深刻だった。妻は、最近まるで他人が乗り移ったような言動をとるのだ。ある日は夫の実家で自身の母親になり文句を言う。「正月くらいジヨンを私の元に帰してくださいよ」。ある日はすでに亡くなっている夫と共通の友人になり、夫にアドバイスをする。「体が楽になっても気持ちが焦る時期よ。お疲れ様って言ってあげて」。ある日は祖母になり母親に語りかける。「ジヨンは大丈夫。お前が強い娘に育てただろう」――その時の記憶はすっぽりと抜け落ちている妻に、デヒョンは傷つけるのが怖くて真実を告げられず、ひとり精神科医に相談に行くが・・・。

 

公式サイトより)

ラジオで玄理さんがいうには「原作より旦那さんが優しい」らしいです。「優しいからこそ真綿で首を絞められるようだった」みたいなことを言っていた気がします。

私は概ね旦那のデヒョンはいい人だなぁと思って観ていました。もちろん「あ?」と思う場面もありましたけど。

 

レボリューショナリー・ロード』と似たテーマもありつつ、もっと女性の生きづらさ全体を表現したような作品でした。

主婦の苦悩だけじゃなくて、幼い頃の扱われ方から、思春期の時に受けた侮辱や、職場でのセクハラや待遇差別その他もろもろ、脈々と続いてきた「女が女であるから悪いのか?」と絶望するような苦痛の連続です。

 

チーズ・イン・ザ・トラップ』のことも思い出しました。チートラの雪も、自分の方が優秀なのに弟ばかり恵まれて腹を立てていましたね。韓国ってそういうお国柄(男子が猫可愛がりされる家族制度の国)なのだなぁと改めてわかりました。

私の親の世代くらいは、日本でも似たようなものだったと思うのですが(父やハハ方の叔父に祖父母は甘い)、今はどうなんですかね。私は一人っ子で、男兄弟がいる友人もあまりいなかったので、こういったあからさまな区別を受けて育った女の子は周りにいませんでした。

 

ジヨンの立場だったら、確かに姑に腹立つと思いますよ。結婚を急かし、孫を急かし、男の子が欲しいとかなんとかしつこく電話してくるなんて地獄です。

でも自分が姑の立場だったら、そうしてしまう気持ちも全然不思議じゃないと思うんですよね。自分の可愛い息子が結婚したら子供を持って欲しいと思うかもしれません。息子の嫁が職場復帰したいから、息子が育休を取ると言ったら、息子が無理をしていないか心配になります。嫁なんて所詮他人ですし、嫁がどんなに頭のいい美人ないい子でも、それとこれとは話が別だと思うかも。

 

カフェで子連れのジヨンがコーヒーを床にぶちまけてしまうシーンも印象的でした。慌ててジヨンが床を拭くのを遠目で見ていたサラリーマンたちが悪態をつくんですけど、韓国のカフェって本当にあんな感じなんですかね?それともちょっと過剰演出なのかな?

客が飲み物をこぼしたら、店員は掃除を手伝わないんでしょうか?もしくは、他のお客さんの中にも一人くらい手伝う人っていませんか?

ジヨンの立場だったら、もちろん自分を「ママ虫」とか陰口叩いたサラリーマンに腹立ちますよ。「なんだてめー今なんつった??」ってメンチ切るかもしれません。

でも、サラリーマン側の気持ちも実はちょっとわからなくもないのです。悪態はつかないですが、子供がうるさいなぁとは思うことはあるかもしれません。子供の泣き声というのは不快に感じるように作られてると学校で習ったことがあります。本能的に泣き止ませる行動を親に取らせるためだとかなんとか(うろ覚え)。だからかわかりませんが、子供の泣き声というのは苦痛を伴うものです。

子連れを鬱陶しく思うことが全然ない人って世の中にどれくらいいるんでしょうか。綺麗事抜きで。

もし私が子持ちで、自分も子育てしていたら、ママ側に感情移入できるのかなぁ。

子育てが大変なことは、頭ではわかっているんですけど、何も同情できないんですよね。自分が子供だった時代があるのもわかっていますし、自分だって子供の頃ギャーギャー泣き喚いていたかもしれない。きっと泣き喚いていたでしょう。でもそれと他人の子供の鳴き声がうるさいのは全然別の事象だと感じてしまう。

「あなたも産めばわかるよ」と言われても、私は絶対に子供は産んではならないと思っているし、産まないんですよ。

 

さらにいうと、専業主婦になりたいと思っていても、貰い手もいないので仕方なく働いて生き延びてるだけなんです。だから外で働きたくてもがくジヨンに共感することもできません。

 

でも、高校生のジヨンがバスで痴漢を受けた場面は辛かったです。近くに居合わせたOLのおばさんが助けてくれて本当によかった。

助けに呼んだ父に「スカートが短い」と叱られた時、あまりの理不尽さに腹が立ったのもわかります。悪いのはスカートの長さじゃない。悪いのは痴漢です。

・・・でも、もし自分の娘が短いスカート履いてたら、可愛いと思いつつもちょっと心配してしまうかもとも思います。叱りはしないけど、心配はする。

だ・け・れ・ど・も、大事なことなのでもう一度言います。

悪いのは短いスカートじゃない。悪いのは痴漢です。

性犯罪被害にあった女性に落ち度は求めません。

 

そんな感じで、ジヨンやジヨンの母も姉も元上司も元同僚も、女性たちが連綿と受け続けてきた不当な扱いや苦しみに、共感したり同情したりしながらまぁ泣きました。

泣きながら、ではどういった社会になったらこの課題は解決したと言えるのかと考えていました。

 

男子ばっかり可愛がられない子育てとか?

文化の違いもあるかもしれないですが、どの子供を一番可愛く感じるかは、性別もあるけど性格的なものも大きい気がするんですよね。別に自分の子供だからといって全員平等に愛さなければならないとも思わないですし。子供でもなんでも、個人の好みはどうしようもない部分もありますよね。

 

育休を取ってもキャリアが傷つかない労働社会とか?

まぁこれはできますよね。やる気がないだけで。

私の今いる会社は育休上がりの優秀な女性上司は何人もいます。

ただ、女性役員が申し訳程度にしかいないのは問題だと思いますけどね。男性役員があんまり優秀に見えないのも問題ですが・・・。

 

シッターや保育園が十分に用意されている社会とか?

何人のシッター、どれくらいの保育園があれば需要が満たされるんでしょうね。

保育ロボットが誕生すれば変わりますかね。人間より優れたアンドロイド保育士とかだったら子供の養育面にもプラスかも?

 

無意識下で女性蔑視してくるおじさんおばさんが再教育されて思想改造されるとか?

倫理的に問題があるのはわかりますが、多分それくらいしないともうしばらくこの問題って消えないですよね。女性蔑視が染み込んだ社会で育つと、若者でも女性蔑視するんですよ。おまけに、蔑視されてる女性側も同じ蔑視を内在していたりして、ますますタチが悪い。単純に男対女の構造でもないんですよね。幼少期から刷り込まれていて、女の中にも女性差別が眠っていたりする。いつ刷り込まれたのか、自分でもわからない時があります。

 

色々考えましたが、ひとまず今よりマシな社会にしていくためには、ジヨンの姉・ウニョンの行動パターンが一番いいかと思いました。

腹が立ったら抗議する、変だと思ったら指摘する、闘うべきだと思ったら闘うこと。

ジヨンも「疲れない?」って心配してましたけど、言っても無駄だからと黙っていても、結局損なわれた心は誰も救ってくれないし、受けた傷は自分で「大したことない」と思い込んでも静かに蓄積して自分を蝕むものです。

(本人が望んだかどうかに関わらず)女性である私が、大学教育まで受けられて、正社員として就職できて、選挙で投票もできて、一人でなんとか生き延びていられるのは、これまで闘って闘って闘ってきたたくさんの女性たちのおかげであることは間違いないと思うので。

もちろんほんとに疲れたら休みますけどね。おわり。

死に際に立ち寄りたい場所:『光の箱』

不思議な読後感を味わえる漫画に出会いました。衿沢世衣子『光の箱』。

表紙が可愛くて手に取ったのですが、なかなか味わい深い作品でした。

 

この世とあの世の狭間の世界に存在するコンビニエンスストアで、

店長とアルバイトのタヒニ(ともに魔)、

事故で死にかけていたところ店長に面接され、魔の刻印を得て一命を取り留めたアルバイトのコクラ(半分人間)、

タヒニが飼い育てるヤミネコ(闇)といった多種族が働いています。

現世で死にかけている人間(の魂?)たちが客としてコンビニを訪れ、買い物したり何かに迷ったりしながら、そのままあの世に行って死ぬか、生き延びて現世に戻るかしています。

 

すごく不思議な世界観でしたが、コンビニという身近な舞台のおかげで、すっと物語に没入できます。

ブラック企業に27連勤させられて過労死寸前のOLや、

決断力がなくて仕事に追い詰められたサラリーマン、

部活の顧問や父親に暴力を振るわれボロボロになって自ら死ぬことにした女の子たち、

死ぬ直前まで仕事を続け天寿を全うした名俳優、

前科持ちだけど今は慎ましく真面目に働くも同僚に襲われた工場勤務の女性など、

死にかけている人間たちがふらっとコンビニにやってきて、闇に襲われたり不条理な状況に追い込まれてパニックになったり、酒を買ったりタバコを買ったりしながら、ふと大切なことに気づき現世に帰ったり帰らなかったりする。

 

なんだか夢の中みたいな作品だなぁと思いました。

私がよく見る夢は、現実世界が少し捻れてズレたような世界であることが多いです。

中学の同級生と職場の同僚が同時に出てきたり、持っていないはずの車を飛ばして追っ手から逃げていたり、石田彰と会話してたり、産んでいないはずの子供がいたりします。

目覚めて夢から醒めた後も結構引きずることが多いです。たまに、あまりに現実に近すぎて、夢なのかそうでないのか長い間なかなか判断がつかないような夢もあります。

夢から醒める直前のふわふわした”狭間”の時間が私は好きで、いつも醒めたくないと思うのですが、醒めてしまう。

醒めないままあの世に行けるのはいつなのでしょう。

 

このコンビニは外は真っ暗闇で人間には何も見えないのですが、特殊な光で周囲を照らしてみると、実は本屋なども存在しているのでした。

「死に際に立ち寄りたいのが

コンビニという人ばかりではないでしょう」

「・・・・・・・・・

オレはコンビニにするかな」

「お待ちしてます」

 

衿沢世衣子『光の箱』小学館 2020.7.15)

自分が死に際にお店に立ち寄るならどこがいいかなぁと考えました。

コンビニはいいですね。肉まんとかアイスとかチューハイとかを買うかもしれない。

TSUTAYAみたいな書店もいい。雑誌を立ち読みしたり、漫画を買ったりするかも。

伊勢丹みたいなデパートだと、ちょっとトゥーマッチな気がします。逆にスーパーやドラッグストアもどこか物足りない感じ。

 

この漫画を読んで、自分は結構コンビニが好きだということに気づきました。

台湾や香港やシンガポールやタイに行った時もかなりの頻度で立ち寄りました。海外のコンビニのローカルなスイーツやドリンクが好きです。

ヨーロッパにはあまりコンビニないですよね。あちらの人は死に際にどんなお店に立ち寄りたいのでしょう。エノテカ(ワインショップ)やカフェとかかな。

 

東京の夜は明るすぎると言われることがありますが、本当に真っ暗な夜というのは怖いです。本能的に恐怖を感じます。

地方のローカル線に乗るとき、昼間は美しい自然を眺めることができますが、夜は灯りのほとんどない闇の中を走ったりするんですね。その時の寂しくて心許ない気持ちをよく思い出します。

窓の外の真っ暗な闇の中に、ぽつりとコンビニの看板が見えると、すごくほっとします。まさに「光の箱」といった佇まいですよね。

真っ暗闇に呑まれたまま人生を終えるのもそれはそれでアリかもしれませんが、死ぬ間際に電気がまぶしいコンビニに立ち寄れたら、少しは救われた気持ちになるかもしれないと思いました。終わり。

 

岸本佐知子さんの爆笑エッセイ『ひみつのしつもん』

明るい作品をもう一つ。

翻訳家・岸本佐知子さんはエッセイストとしても有名らしいのですが、お恥ずかしながら全然存じ上げませんでした。

表紙がかわいいな〜とたまたま手にとってパラパラ流し読みした時、目についた一文が下記でした。

五十年以上人間をやっていると、私のようなぼんくらでも、人生の法則、と呼んでいいようなものを一つか二つは見つけたりする。

そのうちの一つは、「人とはウジの話でけっこう盛り上がれる」というものだ。

 

岸本佐知子「人生の法則一および二」『ひみつのしつもん』筑摩書房 2019.10.10)

「ウジ」?!って驚くし、「五十年以上人間をやっていると」という書き出しも好感がもてて、一気に興味が湧きました。

 

自虐かもしれない表現でもいやらしさや嫌味がなく爽やかで、エスプリがきいたユーモアあふれる軽快な文章は、実に不思議で心地よい読後感です。

そして空想力も素晴らしい。エッセイですが、まるでショートショートのような物語的面白さもあります。

岸本さんの翻訳された本も読んでみたいと思いました。

 

先週末、朝方に用事があって眠気を引きずりながらカフェでお茶しつつこの本を読んでいたんですが、あまりに笑えて気だるい朝がすっかり愉快なものになりました。

活字でこれだけ笑わせられるって、本当にすごいです。

これまで同じくらい笑った文章は、夏目漱石吾輩は猫である』と三島由紀夫三島由紀夫レター教室』くらい。

 

とくにめちゃくちゃ笑ったのが下記。

そういえば何年か前のオリンピックで、ハンマー投げ金メダルの選手のドーピング疑惑がもちあがり、メダルを剥奪されたために日本の選手が繰り上げで一位になったことがあった。尿検査の際にカプセルに入れた他人の尿を肛門に隠していたという疑惑だったのだが、その選手の名前はアヌシュさんだった。

オリンピックは嫌いだが、このエピソードだけ、ちょっと好きだ。

 

岸本佐知子「名は体を」同上)

下ネタと言えば下ネタなんですが、面白すぎて他人に教えたくなるレベルの小話でした。名は体を表す例でこのエピソードが浮かぶセンスが最高。

 

このエッセイを読んでいると、難しいことや重苦しいことはとりあえず横に置いて一時休戦したいような気分になりました。

悲しいことや腹の立つ出来事でも、見方を変えるとなんだか可笑しく思えることがあるかもしれない、そんなふうに思わせてくれる力がある文章でした。

笑えるって大事なことです。おわり。

登場人物全員かわいい『恋と呼ぶには気持ち悪い』

昨日書いたエントリが暗かったので、今日は明るい作品について語りたいです。

今期観ているラブコメディアニメ『恋と呼ぶには気持ち悪い』!

初回から笑わせてもらって、すっかり作品のファンになり、原作漫画も読みました。

女子高生・有馬一花が駅の階段で偶然助けたイケメンサラリーマン・天草亮。

彼は実は一花の親友・天草理緒の兄で、2人は理緒の家でばったり再会します。

女にモテてモテてしょうがなくてすっかり天狗になってた亮の態度を「気持ち悪い」と一蹴した一花。これまでされたことのない扱いを受けた亮は、一瞬で一花を好きになってしまい、猛アタックを開始するーーーというお話です。

 

割とよくある展開のラブコメなんですが、とにかく登場人物がみんな可愛くて、アニメを観ては毎週悶えています。

特に大好きなのが・・・一花たちのクラスメイト・多丸快くん!!!

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アニメ公式サイトより

多丸くん最高にかわいいんです・・・不憫萌えでもある。

文化祭で亮が一花に抱きついてるところを偶然目撃してしまい、それからちょこちょこ一花を気にかける多丸くん。

特に修学旅行のシーンはもう〜〜〜かわいさ大爆発です!!!

水族館でグループからはぐれた一花と偶然二人きりになった多丸くんが、一花の手を握ろうとして未遂に終わるところとか、「クゥ〜〜〜〜ッッッ」と悶絶しました。

またその次の日に、一花と同じ趣味であるラノベ聖地巡礼にかこつけて、自由行動に一花を誘ってデートするところも最高です。あー多丸くんかわいいよ多丸くん。

ポジション的に絶対一花と結ばれないことが嫌というほどわかるので、それも切ない。はい、大好きな不憫萌えです。

 

多丸くんと同じようなポジションである、亮の同僚・松島有枝さんもすごくよかった。

一花との出会いのおかげで雰囲気が柔らかくなった亮。松島さんは偶然アニメのキーホルダーを拾ってもらったことから亮のことが気になりだします。

松島さんが頑張って亮にアプローチする姿はとても胸打たれました。こういう人を「大人かわいい」って言うんだな〜って感じです。美しくも健気。

松島さんが真摯なので、亮も真剣に向き合って、最終的にはきっぱり断るんです。ホワイトデーのお返しとして亮からもらったクッキーを、帰りの駅のホームで一口齧ってうるっとしてしまう松島さん、本当にかわいかった。もう〜〜〜抱きしめたい!!!って感じ!!!(暴走)

 

もちろん主人公の一花も乙女ゲームのヒロインちゃんよろしく健気で素直で頑張り屋でとってもいい子ですし、亮も一花にメロメロになってからは不器用ながらも懸命に一花を想っていてかわいらしいです。亮の妹であり、一花の親友である理緒も、クールビューティーな美人さんだけれども温かい心を持つとってもいい人。

とにかく作品全体を通して、悪人が全然いません。どこまでも優しい世界です。癒されます。

 

アニメを観てると、作品舞台が恵比寿駅周辺みたいなんですよね。

以前職場が恵比寿だったので、見覚えがある場所がたくさん出てきて勝手にキャラクターたちに親近感を抱いたりします。

恵比寿、いい街ですよね〜。また恵比寿で働いてみたいなぁ。

 

そんなわけで、萌えと癒しを存分に味わいたい方に大変おすすめな作品です。おわり。

 

***

 

年の差ラブコメディという点で、下記楽曲がBGMとなって頭を駆け巡りました。このゲームほんとよかったんだよなぁ。誰かシリーズ制作再開してくれないかなぁ。


www.youtube.com

 

女性の貧困と性犯罪被害、「一人で大丈夫」であること

美しい彼』で好きになった作家・凪良ゆうさんが2020年本屋大賞を受賞したベストセラー小説『流浪の月』を(今頃)読みました。

小学生女児・家内更紗9歳は、最愛の父を病気で亡くし、夫の死を引き金に色に溺れた母に捨てられ、引き取られた先の伯母の家で従兄に性的虐待されます。

伯母の家に帰りたくない更紗は放課後一人で公園で時間を潰していて、彼女に救いの手を差し伸べたのが19歳の男子大学生・佐伯文。文は更紗を一人暮らしの自宅に招き、そのまま住まわせます。

文も文で問題を抱えている少年で、更紗と文は互いに心の空洞を癒し合い、絆を深めていきました。

彼らは2か月共同生活を送ったのち、ひょんなきっかけで社会の目に見つかり、文は誘拐犯として逮捕され、更紗は伯母の家に戻されるもまたもや襲いかかる性的虐待に反逆し、伯母宅から施設に引き取られることに。

成人した更紗はDV彼氏に粘着されたりすったもんだありつつも、文と再会しまた二人は一緒に生きていくことにするのです。誘拐犯とその被害者という世間の目から逃げながら。

大まかな話の流れはそんな感じなのですが、とにかく読後感が後味悪くてちょっと引きずりました。

 

まず一番強く思ったのは「何にも問題が解決してないじゃん」ということでした。

更紗は「誘拐・性犯罪の被害者」という周囲の勘違い固定観念と地道に戦い続けていたし、読者はみんな文と更紗が世間から誤解されて可哀想なことがわかっています。

でも結局どうしようもなくて、彼らは素性がバレると別の土地に引っ越す、を繰り返す流れ者状態で終わるのです。

例え更紗が「次はどこへ行こうか?」とワクワク話していたとしても、そんなふうに逃げ続けなければならない人生は何だか腑に落ちないなぁと私は思ってしまいました。

私は引っ越しも旅も好きだし、各地を転々と渡り歩いて暮らすことには憧れもあり好ましく感じます。

でも、それが何かから逃げ続けなければならない人生の結果だとしたら、それはしんどいし何か失敗してる気がするのです。

 

もう一つ思ったのは「結局更紗は一人で生きていくことができないってこと?」という疑念です。

更紗は高校を卒業して就職し、育った施設を出ます。犯罪被害者であることその他もろもろ、過去の十字架を背負う更紗はその後もいろいろあり、前職で出会って親密になった年上の彼氏・亮と同棲し、転職後はファミレスのアルバイトとして生活していました。ことのき24歳です。

亮が結婚の話をちらつかせて、だんだんと大きくなっていく違和感。そしてついに亮のDV気質が露見し、いよいよ身の安全が危うくなります。

更紗はファミレスでの勤勉な態度と理解ある店長の計らいで、正社員登用の話をもらうのですが、過去の誘拐事件と再会した文との関係、それを面白おかしく後追いするメディアの暴走などによって正社員登用の話を帳消しにされてしまいました。

結果的には文とともに生きていくことにして、それで更紗本人は幸せなんだと思いますが、もし文が病気などで死んだらどうなるのでしょうか?

 

更紗が亮に殴られてボコボコにされた時、相談に乗ってくれたのが更紗のファミレスの同僚・安西さんです。彼女はシングルマザーでDV夫から逃げてきた過去があり、非常に実践的なアドバイスをたくさんくれます。

安西さんもいろんな仕事を渡り歩きながら何とか娘と二人で生きていますが、やはり生活はそれなりに苦しいのです。

コロコロ彼氏を作る安西さん。もちろん単純に恋愛として接してる部分もあるでしょうが、娘ひとりと自分の生活の安定を、未来の旦那さんに求める気持ちもあると思います。

環境に恵まれなかったり、学歴や職歴やスキルが積めない女性の苦境と、そこから脱するための生存戦略として男性に依存してしまう構造が見てとれます。

 

更紗や安西さんをみていて、女性の貧困っていろんな別の不幸を招きやすい構造になっているんだなぁと改めて思いました。

すごく嫌だなぁと思った話が、更紗が亮の地元に連れて行かれ、そこで亮の親戚一向と食事会になり、トイレに立った時の亮の従妹と更紗の会話シーンです。

 「更紗さんも、昔いろいろつらいことがあった人でしょう。前の彼女もね、更紗さんほどじゃないけど、複雑な家庭で育った人だったみたい。亮くんはいつもそういう人を選ぶんだよ。そういう人なら、母親みたいに自分を捨てないと思ってるんじゃないかな」

「そういう人って?」

「いざってとき、逃げる場所がない人」

 

(凪良ゆう『流浪の月』東京創元社 2019,8,30)

とても嫌な話じゃないですか。あらかじめ「逃げる場所がない」人間を嗅ぎつけて、支配しようとするDV犯の陰湿な習性・・・ゾッとしました。

 

もう一つ嫌な気分になったのは、更紗が従兄に性的虐待されるシーンです。単純にすごく気持ち悪いしつらかった。

性的虐待については、最近もう一つ記憶に残った作品があります。それは田村由美『ミステリと言う勿れ』第8巻。

天然パーマのよく喋る東大生・久能整くんがコナンくんばりにいろんな事件に巻き込まれて真相を解明していく物語で、整くんがとあるきっかけで仲良くなった入院中の女性・ライカさんの過去について描かれているのがこの8巻でした。

イカさんは実は、千夜子さんという虐待(性的虐待も含む)を受けて解離性同一性障害(多重人格)になった女性のもう一つの人格だったのです。

イカさんの素性と過去を知った整くんは、性暴力の被害者を、被害から生き抜いた人という意味を込めて「サバイバー」と呼ぶことがあるという話を実例を交えてしました。

イカさんと千夜子さんは、ともに戦ってつらい日々を生き延びたサバイバーなのだと。

 

確かにそうなんですけど、サバイバルしたくてしたわけじゃないし、讃えられてもなぁって少し思ってしまいました。

イカさんみたいな症例や、性的虐待を取り巻く問題について知りたくていろいろネットで調べてみたんですが、読めば読むほど心が重くなってひたすらにしんどかったです。

暗い気持ちになるとわかっているのに、時たまこうしてひどい事件や判例を読み漁ってしまうことってありませんか。この心理って何なんでしょう・・・。

 

性的虐待や性犯罪の記事、そして小説の中の更紗の描写を読んで改めて思ったことは、性犯罪の被害というのは、他の犯罪の被害にあった時よりも、もっと被害者が語りづらいのだということです。

そもそも犯罪の被害に遭ったとき、人間は自分が傷つけられた現実を直視するのがとても苦痛です。

振り込め詐欺にあったり、ひったくりにあったり、どんな犯罪でも自分が被害にあったことを認めて第三者に語るのは大きなストレスを伴います。これは自分の実感もそうですし、心理学を専攻していた大学時代に研究から学んだことでもあります。

でも今回、性犯罪はそれに輪をかけて語りにくいのだと知りました。

小学生だった更紗は文から離されて警察に保護されたとき、自分を侮辱し汚そうとしたのは文ではなく従兄の孝弘なのだと何度も弁明しようとしました。

でも言えなかった。言おうとすると体が強ばり声が出せないのです。

大人になってからも、自分に哀れみの目を向ける周囲の人に何とか事実を伝えようとします。でも言えない。彼氏にも本当のことを知ってほしくて言おうと試みました。でも言えなかった。

自分がされた本当に恐ろしいことを、知ってほしいのに知られるのが怖い。

この、性被害にあったことを言い出せない心の動きって根が深い問題なんですね。

 

わからない人には「なんで?」って感じだとも思うんですよね。想像しづらいというか。

かくいう私も「言ったほうがいいじゃん!訴えたほうがいいじゃん!」て思う気持ちもある。

しかし、言えない気持ちにも身に覚えがあるのです。

 

私は更紗やライカさんみたいに、トラウマになるほどの性犯罪の被害歴はないです。

けれど、嫌な思いをしたことは何度かあります。

なかでもあまり口に出して言いたくないのは、小学生時代の記憶です。

子供だったし、充分な性教育を受けておらず知識がなかったというのもあります。

親戚のおじさんからとある身体的接触を受けたとき、言葉にできないけれど何か決定的に自分が損なわれた嫌な感触がありました。体が強ばり、冷や汗が出て、うまく声が出せなかった。

私が被害に遭う瞬間を見ていたハハや叔母さんたちが一瞬で顔色を変えたとき、「あ、私は今何かとてもよくないことをされたのだ」と認識し、鳥肌が立ちました。

ハハたちはそのおじさんを個別に呼び出しいろいろと厳重注意したらしいですが、その後そのおじさんとは親戚の集まりがあっても、今に至るまで一言も口をきいていないし目も合わせません。

それは裏を返せば今もあの時の嫌な気持ちを引きずっているということでもあり、多分この先もなくならないと思います。なんなら今こうして書いている間も結構嫌な気分になってます。書くけど。

今になって振り返ると、ハハたちには間をおいておじさんを注意するより、私が被害にあったその場ですぐ大声をあげて欲しかったかもしれないと思いました。

されたこと自体が嫌なんですけど、時間をおくとますます気持ち悪さがへばりつく感じがする。

デリケートな問題だからそっとしようと思ったのかもしれないけど、私は逆に騒ぎ立ててほしかった。今ではそう思います。

 

先日2ちゃんねる創業者のひろゆき氏のYouTubeをみていたとき、猥褻行為に遭ったら直ちに警察に行けという話を聞きました。

猥褻行為を受けた直後というのは、自分の体や現場や持ち物に、犯人の物的証拠(DNA鑑定に使えるものとか)が残っていることが多々あり、それを確実に提出したほうがいいとのことでした。確かに。

被害にあっただけで死ぬほど苦痛だし、時には本当にそのまま死んでしまいたいと思うこともあります。でも、もしその後も生きるつもりで、自分を貶めた犯人を許したくないなら、つらくても届け出たほうがいいと感じました。

警察とかその後の周囲の人間からセカンドレイプにあうのもめちゃくちゃ嫌ですけどね。マジで頼みますよほんと。自分も気をつけないと無意識に傷つけてしまうことがあるかもしれないです。

 

***

 

話が散漫になってしまいました。

私が今回『流浪の月』をはじめ、関連トピックを読んで学んだことは下記です。 

  • DV男とはまず物理的に徹底的に距離を取るべし
  • DV男(支配欲が強い人)は執着心が強く粘着質である
  • 性犯罪被害にあったら直ちに警察に行って立件すべし
  • 性犯罪被害の精神的・身体的ダメージから回復するには長い時間がかかる。被害を言語化すること、言葉にして話すことにはとてつもない苦痛が伴う

 

そして再認識した問題意識は下記です。

  • 「一人じゃない」は解決になっていない。「一人でも大丈夫」なほうが私はいい。そのためにはどうしたらいいか?
  • 男性に頼らず自立して生きることが困難な女性=女性の貧困の根深い構造的問題から抜け出すにはどうしたらいいか?

 

私は大した学歴もなければ能力もスキルもないし、立派な職歴もありません。

28歳の時、DV被害にあったわけでもつらい過去から逃げたかったわけでもないですが、地元を離れて生活したいと思いました。

そんななか出会ったのが今の会社です。

未経験者でも大丈夫で、家賃補助も引っ越し費用も出してもらえて、充分な給与と待遇(もちろん正社員)が得られました。しかも面接もスマートフォンだけで済みました。交通費もスーツ代も証明写真代もいらなかったです。

仕事は接客業でサービス業なので、体力的・気力的にきつい部分もありました。

けれど、同僚も上司もお客様も全員女性だったので、異性にまつわる嫌な思いは全くありませんでした。

同僚には高卒の人もブラック企業出身の人もフリーターしかなったことがなかった人もたくさんいました。

今は転属して社宅も出ていますが、この会社に入ったおかげで地元から離れて一人で暮らすことができています。

だから今の仕事がものすごくつまらなくても、多少理不尽に思うことがあっても、この会社には本当に感謝しています。

 

今の会社は別に女性の貧困を救うNPOでもなんでもないので、女性を全員救えるわけではないです。採用基準もいろいろあるはずです。

けれど「今いる環境を抜け出したい」「彼氏や夫の経済力に頼らず自分の力で生き延びたい」と考える若い女性にとって、有効な機会を提供していることは間違いないと思います。

 

見方によっては今の私の状態は、依存しているのが男性ではなく会社であるだけかもしれません。

何にも依存せず生き延びられたらそれは素晴らしいですが、今の私にはその術がわからないです。

 

私のハハは多少の資格や職歴はあるけれど、結婚や出産を経て結局ワーキングプアとなり、今でも自分が大嫌いな私の父親に依存することで生活を成り立たせています。ハハも女性の貧困を体現しているのかも。(でも彼女には助け合える姉妹としっかりした実家があるんだよなぁ。私にはそれがない。)

ハハがいろいろと我慢して、私はここまで育ったのかもしれないとも思います。私も我慢したと思うけど。

私が言うのもお門違いかもしれないですが、本当はハハにも「一人で大丈夫」な人になってほしかった。

 

愛する人に出会えたり、支え合える生涯の盟友がいたり、あたたかい家族がいたりする「一人じゃない」人生もとても素敵だと思います。そういう人生も経験してみたかったです。

でも、一人じゃないのは素敵だけど、それは私のゴールにはなり得ないのだとはっきり認識しました。

幸せとか不幸とかそういう尺度じゃない。ただ単純に「一人で大丈夫」でありたい。そう強く思ったのでした。おわり。

 

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【目を通した関連トピック】

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子供が性犯罪に遭ってしまった時、知識とメンタルの持ちようは大事だと思います。下記はすごく参考になりました。私も被害に遭う前に読みたかったです。

 

『なぎさ』

面白い小説を読みたいとき、期待を裏切らない作家が山本文緒大先生。

『なぎさ』を読みました。やっぱり、すごく面白かったです。

なぎさ (角川文庫)

なぎさ (角川文庫)

 

本を手に取りパラパラ目を通すと、目についたのは久里浜の描写でした。

実在する土地をここまで詳細に取り上げた山本作品は珍しいかもと思ったのと、久里浜は私にとってまあまあ馴染みのある土地でもあったので、興味を持ちました。

 

主人公の冬乃は30代の専業主婦です。

彼女が現在夫と二人暮らしをしている街が久里浜で、彼女たちの出身地は長野の須坂なのですが、

この土地のチョイスがとても絶妙だと思いました。登場人物の性格に強い説得力を与えたように感じます。

 

冬乃はそれなりに感情豊かではあるけれど、少し控えめで弱気な印象もあったし、夫の佐々井くんにいたっては本当に辛抱強くて穏やかな我慢の人です。

冬乃たちのような人間は、温暖で海が近い土地ではなかなか育たないと思います。

 

私は須坂の近くに2か月くらい出張で暮らしていたことがあります(この頃です)。

それまで海の近くの平野で暮らしていたので、大きな山々に囲まれ、東京の桜が散ってもいつまでも寒々しい長野はどこか閉塞感や圧迫感があったのを覚えています。

それでいて、私も海なし県の出身なので、どことなく懐かしい気持ちもしていました。

 

海が遠く山が近い内陸は、夏は盆地で熱が溜まって灼熱地獄になったり、でも夕立が毎日のようにきて夜は涼しくなったりします。冬は体の芯まで刺すような厳しい寒さと強い北風、そして美しい星空があります。

聳え立つ山々に行き場を塞がれているような錯覚と、村社会甚だしい田舎の人々の古い価値観、そして気温差の激しい独特の気象条件の中で生きていると、なぜか変化を避けて辛抱強く耐え凌ぐタイプの人格が出来上がりやすい気がします。

 

一方で久里浜のある三浦半島は、三方を海に囲まれています。

須坂を通る長野電鉄は終点の湯田中で行き止まりですが、久里浜を通る京急電鉄三崎口でやはり行き止まり。

神奈川の海沿いの街の中で、三浦半島の街だけが他と感じが違うなぁと常々思っていたのですが、それはこの行き止まり感が海のない内陸に通づる部分があるからかもしれないと、今回『なぎさ』を読んで思い至りました。

 

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東京で暮らしていた冬乃の妹・菫が、自宅でボヤを起こし住む場所を失って、冬乃の家を訪ねてくるところから物語は始まります。

ずいぶん久しぶりに会った姉妹の様子や、佐々井くんと菫の注意深い会話描写などから、過去に彼らには何か重大な出来事があったことを印象付けられます。

菫が突然久里浜のスナック跡地で一緒にカフェをやってほしいと言い出したり、そこに菫の友人だという謎の大男・モリが登場したりと、慎ましくもパッとしなかった冬乃の生活は次々と変化し、過去の謎とあいまって続きがどんどん気になり読む手が止まりませんでした。

 

実に多彩な登場人物たちとそれぞれの生き方が、いろんなテーマを内包していて考えることがいっぱいある作品でした。

手持ちの付箋が2枚しかなくて、その2枚のうちの1枚を貼った箇所が、菫が軌道に乗った「なぎさカフェ」をフランチャイズ元に売りに出すことを冬乃に告げ、口論になった場面です。

「何かをはじめる時、おねえちゃんは終わる時のことを考えないの?」

急にそんなことを言われて私は怪訝に思い、眉をひそめた。

「なんのこと? 私は何かはじめる時はできる限り続けていく覚悟でやるよ。だから簡単にははじめないし」

「人の気持ちは変化するものじゃないの。人の命はいつか終わるんだし」

「詭弁を言わないで」

菫は言い返してこなかった。怯えは消え、表情からは何も読み取れない。

 

山本文緒『なぎさ』角川書店 2013.10.20)

私はなんでも終わる時のことばかり考えていると、菫のセリフを読んで気づきました。

冬乃のように、できる限り続けようなどとは、人付き合いでも仕事でも住む場所でも考えないなぁと。

 

多分生まれつきではないと思います。が、仕事は新卒入社の時から転職を前提に考えていたなと今思い出しました。どの職場でも、自分がいつ突然消えても業務が回るよう、資料や手順書をいつも整理して準備してあります。

仕事を転々とするので自ずと住む場所も転居が前提となり、そのために持ち物を少なくするよう努めています。

人付き合いはそもそもはじめることすらなくなりました。連絡を取り合ったりして続いている人付き合いは皆無、その場限りの間柄ばかりです。

 

冬乃みたいな人と、菫や私のような人では、どちらの方が多数派なのだろうと考えました。たぶん時代的に菫派の方が多いだろうと思います。

続けることに対する価値観が、この数十年でとても変わった気がします。

それがいいことかどうかは分かりませんが。

 

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もう一箇所付箋を貼った場面は、カフェの売却が決まり、その前に冬乃の久里浜での知り合いのおじいさん・所さんの奥さんがパーティーを開くシーン。

所さんは冬乃が「くりはま花の国」でよく会い話をするようになったおじいさんで、冬乃が苦しい時に相談に乗ってくれる頼れる他人です。

カフェを切り盛りしていたのに結果的に追い出される形になった冬乃を心配した所さんに、冬乃はこの数ヶ月で自分の心持ちに起こった変化を語りました。

「私、ちょっと前まで自分は何もできない人間だって思ってたんです。今でも私なんかにできることはすごく少ないって思いますけど、でも今まで自己評価が低すぎたと思うんです。何にもできない、働く自信がないってただ嘆いて、できないんだからしょうがないってどこかで開き直ってたところもあったと思います。自己評価が低すぎるのって、高すぎるのと同じくらい鼻もちならないのかもって最近気が付いたんです」

 

(同上)

以前はネットカフェの狭い個室で求職サイトを見てはどんよりした気持ちになっていた冬乃。

それが菫に巻き込まれながらも一つのお店を切り盛りするようになって、ブラック会社にぺしゃんこにされた夫を支えたい気持ちも強く持って、確実に成長したことがわかるセリフです。

「自己評価が低すぎるのは高すぎるのと同じくらい鼻もちならない」・・・身に沁みる言葉でした。

 

働くことはいつまで経っても好きになれないけど、働いていると冬乃のように自信を持てることがあるのも事実です。

逆に、働かないで自信をつけるのって結構難しいかもしれないと思いました。

別にただのバイトだって、誰かの手伝いの雑用だっていいのです。

私は転職するたびに、新卒で働いていた工場のおばちゃんに「ここでこれだけ頑張れたんだから、どこ行ったってやっていけるよ」と言われたことを思い出します。別におばちゃんも何の気なしに放った一言だと思いますが、10年近く経った今でも心の支えになっています。

 

続けようが終わろうが、やったことは消えないし、確かにあった過去の時間は人が覚えている限り存在します。

そしてその過去の時間が楽しかった思い出になるのか、今につながる自信になるのか、後悔や足枷になるのかは、自分の捉え方や心持ち次第なのかもしれません。おわり。

 

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くりはま花の国に行ってみました。ポピーが綺麗でいいところでした。

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