れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

怯えながら生きる:『群青の夜の羽毛布』

最近山本文緒大先生のエッセイや小説を立て続けに読んでいます。

その中で、なかなか読み応えがあったのが『群青の夜の羽毛布』。

登場人物が煙草をよく吸う、1995年に書かれた小説のようです。

 

主人公・家事手伝いの毬谷さとる24歳は、電車に乗るのもバスやタクシーに乗るのも怖くてできない神経症の女性です。

さとるがよく行くスーパーで出会った恋人の鉄男は大学4年生で、友達も多いし過去にガールフレンドを切らしたこともない社交的な好青年。そんな鉄男はこれまで付き合ったどの恋人とも違う線の細いさとるに不思議と惹かれていき、毬谷家の女たち(ヒステリックな母親、姉と対照的な活発さと要領の良さをもつさとるの妹・みつる)とも関わっていく中で、徐々に明らかになる毬谷家の闇に近づいていきます。

 

読後感があんまり良くなくて、どよーんとした印象でした。主人公のさとるがとにかく終始くよくよしていて暗くて、読んでいるとそれに引きずられる感じがあります。クライマックスでは大きな破綻もあるのですが、それでも結局浄化されない毬谷家の闇は澱んでいます。

 

私はさとると違って一人で電車にもバスにもタクシーにも乗れるし、外食も一人でできるけど、常に未来に怯えていて、そのくせ何の対策もせずただうだうだ悩むだけの性格はさとるとよく似ている気がしました。

季節だけがどんどん巡るのに、自分はどこにもいけないまま、いろんな悪い可能性を想像しては怯え、憂鬱な気持ちになり、何も対策できずに、気を逸らすために酒(さとるの場合は薬)に逃げて眠りに逃げる。こんなことをしても自分の首を絞めるだけだとわかっているのに。

 

さとるは、恋人である男性に抱かれているときだけ不安を忘れることができるといいます。なんだかそれもだいぶ病んでるなぁと思いながら読んでいましたが、そういう女性(または男性)って結構いるのかなぁとも少し思いました。別にビッチってわけではなくて、でももやもやとした大きな不安から避難するためにセックスする人。

私は残念ながら(?)ちょうどいい相手がいないので検証ができませんが、セックスってそんなに不安解消に役立つんですかね。人によっては筋トレとかヨガとかでもいいのかな。

 

私は最近怯えることに疲れ果てて死にたい気持ちが常に横たわっています。空気の綺麗な田舎に出かけても、花火大会に行って大きくて綺麗な花火を見ても、ずっと面倒くさくて死にたい気持ちが意識の底に寝そべっています。

階段やビルの窓から地面を見下ろす時、私はいつここから飛び降りる勇気を持つことができるのかなと考えることがあります。

踏切を渡る時、私はいつ走りぬける列車の前に飛び出す勇気を出すことができるのかなと思います。

今はまだどちらの勇気も出ませんが、毎日うじうじ何かに怯えて死にたい気持ちに静かに寄り添っていたら、いつかその勇気が持てるのでしょうか。

それとも、さとるみたいに、何か別の形で(父の布団に灯油を撒くとかそういう)感情の発露の仕方があるのでしょうか。

終わりの見えない怖いものだらけの世界で生きることと、そこでもがく人々に思いを馳せるような小説でした。おわり。