れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

病気と健康のはざまで:『シュガーレス・ラヴ』

このブログで既に何度も書いていますが山本文緒さんの小説が本当に面白くて大好きです。でも全部読んでるわけではないんですよね。

Amazonであらすじを読んで、ああ未読だなと思ったやつを気まぐれにポチりました。そして期待を裏切らず、やっぱりすこぶる面白かったです。

骨粗鬆症自律神経失調症など、疾患をモチーフにした短編集です。

最初に出版されたのは1997年らしいです(Wiki調べ)。

山本文緒さんの短編集をはじめて読んだのは小学生の頃で、そのころは少し大人の世界を覗くような気持ちで読んでいましたが、31歳独身女性になった2021年の今読むと、だいぶ共感度や感動度が上がるなぁと思いました。発見も多い気がします。

 

平成初期の日本社会を舞台にした短編ばかりですが、どの作品でも不況などによる社会全体の余裕の無さを感じるし、男女格差やセクハラの横行具合が今よりさらにひどいです。

現代だってもちろん解決されるべき問題がまだまだあるけど、確実に時代は変わってきている、少しずつ改善されていると、この小説を読んで実感しました。

 

びっくりしたのが、入口に<携帯電話使用禁止>と紙が貼られたカフェなんかが普通に出てきたこと。「え〜?!そんな時代があったんだ!」ってカルチャーショックでした。確かに私が小学校低学年の頃は、携帯を持っている大人はまだ少数でしたが、そこから数年、小学校高学年になる頃にはプリペイド式のケータイをクラスメイトの何人かが持っているくらいになったんですよね。そう考えると90年代〜2000年代で相当常識って変わったんですね。

 

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では印象的だったことを物語ごとに振り返ります。

最初の「彼女の冷蔵庫」は、若い頃に略奪婚をした主人公の30代女性と、その結婚相手の連れ子の20代OL・未矢の話でした。

バブル崩壊後の不況の中、なんとか希望の転職を叶えた未矢は、入社早々不摂生な生活が祟った骨粗鬆症のせいで足首を骨折・入院し、せっかく頑張って内定を取った転職先を解雇されてしまいます。

殺伐とした血のつながらない親子関係を面倒に思いつつも、主人公は渋々未矢の入院の世話をすることに。

着替えなどを取りに未矢の一人暮らしの部屋に上がると、そこはベッドと服と小さな机だけでぎゅうぎゅうのうさぎ小屋みたいなワンルームでした。

全く使われていないピカピカのミニキッチン、コンビニの袋に入ったままの冷凍食品くらいしか入っていないスカスカの冷蔵庫をみた主人公は、東京砂漠でもがき苦しむ若い娘の苦悩に思い至ります。

そして、自分も20代のころ、娘と同じように社会と戦っていたことを思い出すのでした。

「醜かったり、弱かったり、役に立たないものは葬り去られる運命にある。その原因がなんであろうとも。それが淘汰というものだ。

彼女は決して淘汰されまいと決心したに違いない。

(中略)

 私もやってきたことだ。生半可なことではなかった。生き残るための戦いだ。

しかし私は本当に勝者だろうか。

あの戦いに、どんな意味があったのだろう。

山本文緒「彼女の冷蔵庫」『シュガーレス・ラヴ』角川文庫 H31.4.24.)

原因がなんであろうとも淘汰されてしまう。これが病気の怖さですよね。

未矢の骨粗鬆症は自業自得な部分もゼロではないにしろ、別に骨折したくてしたわけではないです。でも、入社早々骨折して入院した社員を休職扱いにできず解雇してしまう会社も確かにあるだろうなと思いました。

主人公が呈した”淘汰されないための戦い”への疑問は、2021年の今も、これからもしばらく続いていく気がします。

 

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「ご清潔な不倫」は大人になってからアトピー性皮膚炎になってしまったOLと、その上司の男性のラブストーリーでした。

今年に入って頻繁に皮膚科に通っている私はなんだか他人事に思えず、読んでいて辛い部分も多かったです。

皮膚の不調って精神にきますよね。痒さのストレスもあるし、見た目の不快さに追い討ちをかけられたりもする。肌が不調なだけで、人生の全てが悪化しているような感覚になる心情がとてもリアルに描かれていました。

おまけに病気の原因もはっきり分からないのでますます不安に駆られるのです。

「いったい私が何をしたというのだろう」

「何故、私はこんな目にあわなければならないのだろう」

という、病に罹ることの理不尽さ・不条理さと、頑張っても一向に治らないことで蓄積される疲労。どんな病気でも、患い続けるって本当に辛いです。

この物語は、それでも支えてくれる恋人の上司がいるからまだ救いがありますね。救いのない現実もたくさんありますが。

完全に健康であること、完璧に愛しあうことを理想に生きる必要はないのかもしれない。

山本文緒「ご清潔な不倫」同上) 

 

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「月も見ていない」は生理痛、というより月経前症候群が重すぎて別の婦人科系の病気も疑われるレベルのOLが主人公。

彼女は生理前のイライラが酷すぎて、その憂さ晴らしをスタンガンを使った通り魔行為で発散させているヤバい奴です。

彼女は父親に暴力を振るわれていたり会社の上司から粘着質なセクハラを受けていたり他にも問題がたくさんある女性ですが、最後まで救いのない感じでした。

 

私はコロナ禍になってから低容量ピルを服用するようになり、それから生理前の不調や生理痛はかなり無くなりました。今思うと、もっと早く服用すればよかったとも思います。

10代の頃からペースの早い生理不順だったし、1日目〜3日目くらいはいつもお腹が痛かったのに、それを女に生まれてきたための不幸な宿命くらいにしか思ってなくて、体育休めるしいいかと騙し騙し過ごしていました。

私の今の職場は生理の正しい知識を広めるCSRに積極的な会社で、広報の男性上司にとても詳しく生理痛の怖さやピルの有効性を聞いて初めて、自分の生理が重いものであり放っておくべきではないものなのだと気づきました。

 

小学校4年生の時の、あの多目的ホールに女子だけ集められて微妙な雰囲気の中申し訳程度のナプキンをもらった謎の授業の時、生理痛は放っておかずに病院に行って場合によってはピルを飲むべきだと、はっきり教えてほしかったと思いました。

あの頃は股から血が出るようになる、妊娠しうる体になることをなんとなく理解しただけだったけど、この小説くらい生々しい話でなくても、もう少しリアルな症状や対策を教えてほしかったですね。

 

また、この話を含めて作品全体で、「男は馬鹿」だという言葉が何度か出てくることに気づきました。2021年現在でも日本社会は相変わらず女性の地位が低い社会ですが、きっとこの時代はもっと酷かったんでしょう。そして作家の山本さんもそれに対して思うところがきっとたくさんあって、作品の中でそれが爆発した痕跡だと感じました。

 

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「夏の空色」はアルコール依存症になってしまった女子高生・由里の話で、これはとても切なかったです。

幼馴染の咲は可愛くて頭も運動神経も良くて優しいマドンナ的存在。そんな咲が大好きで、咲とずっと一緒にいたくて死に物狂いで勉強してなんとか入った県下一の進学校で、由里は勉強についていけず挫折を味わいます。

母譲りの歯止めの効かなさで朝からビールを飲み、学校に行ってもろくに授業を受けずに屋上でこっそり酒盛りし、ナンパされて仲良くなった三流大学のギャル男の龍一と居酒屋でまた飲んでセックスするという堕落した生活を送る由里。そんな由里がある日悪酔いして龍一に本音を漏らすシーンは思わず泣いてしまいました。

自分の能力の無さを自覚し受け入れた由里は、急に周りを冷静に見渡すことができるようになったこと。そうしてあらためて優秀な同級生たちを見て、こういう人たちがいい大学に入って、いい企業に就職したり官僚になったりして世の中を動かすのだと考え至った独白は、本当に切ないです。何かを諦めるのって、やっぱり楽じゃないなと思いました。

彼らが社会というチェスを指す人で、私や龍一みたいな人間が駒なのだ。頭のいい人たちがお金を沢山使って綿密にマーケティングして、会議に会議を重ねて作った商品を、これってグーじゃんなんて言いながら私達のような人間が買い漁り、そうやってケイザイってやつが発展するのだ。

咲も最高に強いチェスを指せる人だ。私とは違う。

なのにどうして友達になってしまったのだろう。

山本文緒「夏の空色」同上) 

「これってグーじゃん」なんてほんとに言ってたのかなこの時代、ってちょっと笑いましたが泣きました。住む世界が違うとわかっていても咲のことが大好きな由里の気持ちが痛いほど伝わってきて、悲しいけど温かい気持ちになるシーンでとても好きです。

私も駒側の人間なのでとても共感できました。

 

また、由里が一口目のビールを本当に美味しそうに飲むところも好きですね。

最初の一口。天国の一口。

(同上) 

龍一のことを少し馬鹿にしながらも、彼のような人の明るさに救われる気持ちもすごくよくわかるなぁと思いました。

 

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「秤の上の小さな子供」は、この本の中で一番名言の多い物語でした。

大学の同級生同士の柊子と美波がアラサーになって再会して、一緒にプールに遊びに行くのですが、ちょこちょこ学生時代の回想も入ります。

柊子も美波も大学進学を機に上京してきて、二人とも美人でもないし垢抜けない冴えない見た目だったのに、美波にはやたらと男が寄ってくるのです。男子にも柊子にも誰にでも美波は同じトーンで話しかけます。別に媚びているわけではないのです。でも美波だけがひたすらモテる。

美波のあまりのモテっぷりに恐怖すら抱いた柊子はだんだんと美波から離れ、メイクやファッションを勉強し、ダイエットに明け暮れ、なんとか”都会の女の子”になってOL人生を歩んでいきました。

一方の美波は好きなものを好きなだけ食べるので常に太り気味、よく言えばぽっちゃり・悪く言えば肥満です。 服にも興味がないので大学を卒業する頃になってもセンスのない服装のままです。けれど大学のどんな可愛い女子たちよりも美波は男にモテていました。そして誰とでも寝るのです。

そんな美波は現在売れっ子ソープ嬢なのでした。

 

この美波が名言製造機なんですよね。達観してて、真理をスコンと言い当てる人なのです。

プールサイドで二人が食事をするシーンで、昔話をしながら豪快にピザを食べる美波を見ていて、柊子は反対に目の前のリゾットを残してしまいました。

そんな柊子を「可哀相な柊子ちゃん」と楽しそうに笑う美波。

「こんなにも世の中には美味しい食べ物や出来事があるのに、それを食べようとしないで飢えてるなんて」

(中略)

「あなたは好き放題食べる人が許せないんでしょうね。だからわざわざプールなんかに私を連れて来た。断られると思ったでしょう?でも私は平気。私は自分のこと、恥ずかしいなんて思ってないもの」

「そんなつもりじゃ・・・・・・」

「いいのよ。怒ってなんかないの。あなたは可哀相な人。私には許せないことなんかひとつもないの」

山本文緒「秤の上の小さな子供」同上)

許せないことがひとつもない人間に、人は勝つことができないんだとこの場面を読んで気づきました。

許せないことがひとつもない人間は、最初から勝負のフィールドから何段も上の階層にいるのです。適用されるルールが違う。

 

プールを後にした二人は、柊子の家で晩御飯を食べることにします。

普通のOLにしてはやたらといいマンションに住んでる柊子に美波は少し驚き、二人は酒を飲みながら就職活動していた時のことを話しました。

美波は最初は百貨店に就職したのですが、入社してすぐの売り場研修の際に、美波が入るサイズの制服がなく、それで馬鹿馬鹿しくなってさっさとやめてしまったとのこと。そして、服なんてもともと興味はないのだから、服なんて気にしないでいい商売はないかと思っていたら、ソープ嬢が天職だったと明るく話す美波は、ここでまた秀逸な台詞を発します。

「ねえ、本当に面白いわね。もてたかったら痩せろって世の中は女の子を煽ってるじゃない。雑誌でもエステの広告でも。でも、痩せてようと太ってようと美人だろうとブスだろうと、もてない女はもてないの」

(中略)

「世の中には愛されたがってる人ばっかりで、愛してあげられる人はほんの少ししかいないの。貴重がられて当然よ」

(同上) 

生涯モテない村村民の私は美波のこの意見に全面同意だと思いました。

柊子も私も、絶対に美波よりはスリムだし、顔も美波よりは美人かもしれません。服も普通に選べば美波よりはお洒落だと思います。でも絶対に美波よりモテることはありません。

なぜなら誰のことも愛せないからです。もちろん自分のことも。

そして、愛されたいけど上手くいかない。

この後柊子の彼氏がやってきて、3人で飲もうという流れになりますが、柊子は食材を買いに行くと言って外に出てしまいます。そしてそのまま駅のロッカーから荷物を取り出し逃げ出すところで物語は終わります。

柊子の彼氏は厳密には彼氏ではなく「パパ」、柊子は愛人だったのです。

ただのOLに不相応な立派なマンションの家賃は彼が払っていたのでした。

ファッション雑誌を隅から隅まで読んで勉強して、垢抜けたクラスメイトの女子グループになんとか入ることに成功し、いろんな情報源からコミュニケーションスキルも磨こうと切磋琢磨した柊子でしたが、彼女は最後まで年相応の男性とうまく恋愛することができず、かろうじて手に入れられたのが愛人というポジションだったのです。

私から見たら愛人でもまあよかったじゃん、と少し思わなくもないですが、ずっと不倫関係のままでいるしんどさも確かにあるよなぁとも思います。そして結局柊子は逃げることにしたのです。どんなことでも許せる、誰からも愛される美波をあてがって。

 

2021年現在、さらに生涯未婚率は上がっていて、それにはいろんな要因があるんだと思いますが、

えてしてみんな「許せないこと」が多いせいもあるんじゃないかなぁとこの小説を読んで考えました。

私も許せないことがたくさんあります。1年以上前の同僚の不注意をいまだに許せなかったりするくらい、些細なことでも許せない。思い出すと腹が立って、怒りで胸がざわつくことがいくつもあります。

こんなに何にも許せないのに、下手したら自分自身のことも許せないくらいなのに、誰かを愛することなんでできるわけがないです。

おまけに、こんなにしょっちゅうカリカリしている中年を、誰かが愛してくれるはずもありません。

よってこの先も永遠にモテない村村民のままに違いありません。

そして日々、駅で・電車で・デパートで・コンビニで・職場で・街中で・至る所で、「みんなカリカリしてるなぁ、余裕がないなぁ」と感じる場面に遭遇します。

きっと多くの人が私と同じように、ちょっとしたことが許せないんでしょう。

そんな許せない自分に疲れていて、余裕もなくて、余裕がないからさらに誰かを許せない。

生涯未婚にもなるはずだ、と思い至りました。

 

もし美波と柊子が健康診断を受けたら、体脂肪率コレステロール値も、美波の方が悪い可能性が高いと思います。

肥満は糖尿病など生活習慣病も誘発しやすいですし、ソープ嬢をしている美波は性病感染リスクも柊子より高いかもしれません。

でも、美波より柊子の方が健康だとは、一概に言えないですよね。

 

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自律神経失調症の恋人を持つ苦学生が主人公の「過剰愛情失調症」でも、味覚異常に悩まされる嘘つきで見栄っ張りなフードコーディネーターが主人公の表題作「シュガーレス・ラヴ」も、病気になった人の苦悩だけでなく、病人と対峙した”自分はどこも悪くない”と思っている人間の身の程知らずさもよく描いていて、さすが山本文緒大先生!と改めて感嘆してしまうのでした。非常に計算し尽くされた芥川龍之介作品をも彷彿とさせます(山本文緒さんは直木賞作家ですが)。

 

戦争がないことが必ずしも平和ではないように、病気じゃないことが健康であるとは限らないこと。

自分の気持ちを気づかないふりしたり自分に嘘をついたりすると、回り回って健康を損なうこと。

自分はどこも悪くないと思いつめると、知らずしらずのうちに被害者意識を振りかざした加害者になりうること。

どんな人生もえてしてみっともないものだということ。

そういうことを思い出させてくれる、気づかせてくれる、とても優れた短編集でした。おわり。