れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

恋愛の唯一性:『孤独な夜のココア』

電車やカフェでのちょっとした空白の時間に短編集を読みたいと思い、田辺聖子『孤独な夜のココア』を手に取りました。

初版が発行されたのは昭和58年とのことなので、少し古き良き時代というか、終始能天気な雰囲気なのがよかったです。

 

私がよく自分に対して「生まれた時代を間違えたなぁ」と思うのはこういう小説を読んだ時で、私も高校や短大を出たら適当な中小企業でちょっとしたOLをやって、適当に結婚して寿退職して家庭に入って子育てに追われたりしたかったなーとか妄想するのです。なんていうか、無思考に幸福になりたかったなと。

この本の中の短編の多くの主人公たちはそんな感じで、彼女たちなりに真剣に考え恋愛したり職場での振る舞いに気を遣ったりしながら暮らしているけれど、自分の人生を自分一人でなんとかしなければという殺伐とした切実さは全然感じられないんですよね。それがいいなぁと思いました。

 

時代背景が今とはだいぶ違うのんびりした恋愛模様が描かれているこちらの本ですが、文庫版の解説は綿矢りさ先生が担当しており、そこに時代を超えたひとつの真実が書いてありました。ほんまにそのとおりですなーと感心。

自分の恋人の男性を見るとき、“普通なら”とか“男なら”という世俗の、一般的な見方をしてはいけない。自分は十分幸せなのに世間のものさしで測って損をしているような気持ちになってはいけない。本作品の主人公たちはそんなこともよく分かっている。

 

田辺聖子「解説 綿矢りさ」『孤独な夜のココア』新潮文庫 S58.3.25)

恋愛に限らず、あらゆる幸福な状態に対して言えることですよね。自分が十分幸せだったら、世間の物差しなんて気にしたっていいことありません。

特に恋愛なんて一種の特殊な熱病みたいなものであり、一回一回が“唯一”と感じるからこそ光り輝いて見えるわけで、誰かといちいち比較なんてしたら台無し、興醒めというものです。

 

まあでも、もしかしたら別に幸福でなくたって、世間の物差しを気にしていいことなんて一つもないのかもしれないとすら思いました。おわり。