先日の亜獣譚エントリにも書きましたが、pixiv漫画『売れっ子漫画家×うつ病漫画家』がマインドをえぐりまくりでどえらいハマっています。
売れっ子とまではいかないまでも、誠実にいい作品を描いて賞なども獲っていた漫画家・古印葵こと福田矢晴は、編集者との齟齬などから精神に不調をきたします。
いつしか矢晴のアパートはゴミ屋敷となり、矢晴はアルコール中毒にもなり、当然ながら漫画も書けず、貯金は底をつき、文字通り死にかけます。
そんななか、あるきっかけで古印葵の大ファンだという売れっ子漫画家・望海可純こと上薗純と出会うや否や、純はかつて憧れていた古印葵の変わり果てた姿に驚愕し、度を越した庇護欲をもって彼を自宅に居候させます。
こうして売れっ子漫画家の、うつ病漫画家への献身的で倒錯的な看病の日々が始まるのですが…。
まずはですね、矢晴の言葉の力にとても引っ張られます。
私はうつ病って、普段人が見ないようにしている真実から目を逸らせなくなる病気って感じがするのですが、矢晴はまさにみんなが忘れたふりしている「本当のこと」を的確に言い当てていると思います。
「愛されない弱者を救う方法は
強者の中で他人を愛する才能のある人が多数派になれば解決する話ですが
強者の中身なんて普通の人と同じで
全員へ老婆心を持ち合わせてるわけじゃないから解決しませんよね
好きなものしか愛せないのが人間の弱さですから」
(溺英恵『売れっ子漫画家×うつ病漫画家』pixiv)
「愛されない弱者」っていうのはキーワードのひとつですね。
矢晴は純と出会ったことで「愛された弱者」となれたわけですが、もし純との出会いがなかったら、あのまま衰弱して死んでいたでしょう。
愛されたって救われずに死んでしまう人もいますが、愛されない弱者はもっと悲惨な死に様になるよなぁと思いました。
きっと私も死ぬ時は「愛されない弱者」としてくたばるに違いないです。
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まだ矢晴が元気だった頃のシーンも印象的でした。
出版社のパーティーにて壇上で挨拶する矢晴の台詞は、その後の彼の転落を思うとものすごく切ないです。
「ーーきれいだな 忘れたくないなと思ったものをカメラで撮るのが日課で
漫画も
忘れたくないと思ったモノや感情を取り込んで形にしてます
それがたくさんの人に読まれたり褒められたりすると なんだか不思議な気持ちです
とても嬉しいです」
(同上)
このときのウブな矢晴の横顔が可愛くて…。ああ切ない。
私もカメラ付きのガラケーを持った思春期の頃からずっと「きれいだな 忘れたくないなと思ったものをカメラで撮るのが日課」です。最近はフィルムカメラでも撮ってます。
でも、仕事やなんやで心が荒んでくると、いつの間にかカメラを起動しなくなるんですよね。
すっかり病んでしまった矢晴も、写真なんてずっと撮っていないです。
スマホ社会になって一億総カメラマンみたいな時代になってますが、案外こういうことも健康のバロメーターになっているのかもしれません。
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矢晴には共感する部分も多いのですが、純のほうは少し超人的なところがあって、共感というよりはハッとさせられる発言が多いです。慧眼、という感じ。
「暴言って動機に下心がありがちだし
その瞬間は自分がスッキリするけど人類にとってそんなに必要ないし」
(人類…)
(同上)
ほんまその通りやな、と思いました。
私は結構短気なので、すぐ苛立ってトゲのある言葉を吐いてしまうのですが、それが人類にとって必要かと考えると、全然必要ないなって感じです。
暴言を吐かれるのももちろん嫌ですが、吐いて一時的にスッキリしても、結局響きが残って後味悪いんですよね、暴言って。
悪口はセンス良く言えば笑いに昇華できることもありますが、暴言は文字通りただの言葉の暴力で、暴力はどう転んでも笑えないわけです。
別のシーンで、合コンについての持論も興味深かったです。
「……それに合コンとか婚活とかさ
人間が人間を品定めする場面を見るのがしんどいんだよね
私も他人を品定めするの気分悪いし
品定めしなきゃいけない場所なのは分かるんだけどさ」
(同上)
「人間が人間を品定めする場面を見るのがしんどい」。ほんと、それな、略してほんそれ(何)。
前の職場で婚活イベントやるたびに感じていたなんともいえない徒労感はこれだったんだなぁと腑に落ちました。
同じような理由で就職面接も苦手です。それこそ品定めしなきゃいけない場面ですけどね。
何故人間が人間を品定めする場面を見るとしんどくなるのかっていうと、やっぱり自分が品定めされた時に感じる、自分の底が割れたような居心地の悪さとか不当に評価された時の怒りと失望などを思い出してしまうからですかね。
なんかもー好きにさせてくれ、ほっといてくれって気分になりますよね。
その一方で、好きなものしか愛せない弱さも併せ持ってるのだから、人間ってタチが悪いなーとあらためて思ったのでした。
さらにさらに、しばしば我々が自己嫌悪に陥る己の“ガキっぽさ”に対しても、純の慧眼は役に立ちます。
「人間ってみんなもともと子供だろ?
子供の性質は人間の持って生まれた性質だよ
性質は成熟過程で薄まりはしても消えはしない
みんな死ぬまで持ってる 君も私も」
(同上)
間寛平のギャグ「いくつになっても甘えん坊〜」もまったくこの理論なわけです。諦めようと思いました(白目)。
純って視座が高いですよね。人間とか人類とか、広く一般化して物事を見ています。
そういう視座の持ち方は、かえって矢晴のような病人と対峙するときはいいのかもしれません。不用意に引き摺られずに済むし、落ち着きを失わなそう。
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最後に、現時点での最新話に大きな山場があるので、そこに触れたいと思います。
純が「矢晴には」危害を加えないということから発展して、その純の物言いに激昂した矢晴の怒涛の反論が、なんかもう、すごすぎました(語彙力)。
「考えろ!!どうして四階はクソになったか?
不出来を他人に助けてもらえず壊れていったからだ
誰かが助けないと自分の中に助けるべきものがあることすら人間は気付けないから!
不出来が原因で歪んだ思考が人に嫌われる言動として発露したら誰もそいつを助けようと思わない!
誰も止めないと壊れた車になる!
修理されない車は歪みは増えても減ることはない!
歪みが増えれば増えるほどもっと止められなくなる!誰も助けない!
私もお前もだぞ!
自分の中に必ず壊れた車がある!
いつかなにかの歯車が狂って私も四階になるかもしれない!
なにも考えずになにが「矢晴には」だ!!」
(中略)
「そんなにたくさん他人の人生を考えられる人が 四階みたいになるもんか!」
「なにが再現だ なにがならないだ お前の低解像度でモノを語るな!
(中略)
お前だってなにかのかけ違いでこっち側にくる未来がどこかで待ってるぞ」
(同上)
四階というのは矢晴たちが出会った出版社の嫌われ社員です。四階が矢晴の漫画をボロクソに言ったところに純が来て、四階にバチバチの精神攻撃を仕掛けて撃退したのでした。
四階みたいなクソ野郎に対して、どうしてそのような人間になってしまったかに思い至る矢晴の想像力も確かにすごいですが、言われてみれば確かにそういうものだよなと納得しました。
よく、ブスに生まれたり出来のいい兄弟と比べられたりすると、心無い言葉をたくさん言われて育つので、その中で性格が歪んでしまう、みたいな話ってありますよね。
別に醜い容姿や劣等感だけじゃなくて、人間の心を殺しにくる事象ってたくさんあります。そんな何かに傷付けられて、誰も助けてくれなくて、さらには自分が傷ついてることにも気づけなくて、歪んで壊れたまま生き続けると、四階みたいなクソ野郎に成り下がってしまう可能性も、誰しもが持ち合わせているのかもしれません。
まあ、それに思い至ったところで助けてやる義理はないし、とっとと逃げたほうがいいんですけどね。
私もすでに壊れたまま走り続けて歪みきってしまった車を何台も所持しているのかもしれません。
廃車手続きしたいんですけど、どうしたらいいですかね。おわり。