れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

不幸を刻み、染み付かせて:『かか』

ここ数日、いろんなものへの興味が萎んでいく感じがしています。

寒さのせいでしょうか。

アニメを観るのも面倒くさく、音楽を聴いても心が動かなくて、寒くて散歩に出るのも億劫で、自炊する気力もなくて冷凍餃子ばっかり食べたりしてます。

こんな状態になる少し前に読んだのが、宇佐見りん『かか』。

『推し、燃ゆ』で有名な若手作家さんのデビュー作です。

独特の西っぽい語り口調で綴られた文体はなかなか読みづらかったですが、心情描写はとても巧みで圧巻でした。

 

あらすじは以下。

19歳の浪人生うーちゃんは、大好きな母親=かかのことで切実に悩んでいる。かかは離婚を機に徐々に心を病み、酒を飲んでは暴れることを繰り返すようになった。鍵をかけたちいさなSNSの空間だけが、うーちゃんの心をなぐさめる。 

脆い母、身勝手な父、女性に生まれたこと、血縁で繋がる家族という単位……自分を縛るすべてが恨めしく、縛られる自分が何より歯がゆいうーちゃん。彼女はある無謀な祈りを抱え、熊野へと旅立つ――。 

未開の感性が生み出す、勢いと魅力溢れる語り。  痛切な愛と自立を描き切った、20歳のデビュー小説。

 

河出書房新社作品ページ より)

この作品の中で、共感というのかはわからないですが、一番感情移入しやすかったのは“かか”、つまり主人公の母親です。

かかは離婚を機に徐々に心を病んでいったふうですが、彼女は物心ついたときから不幸をべったり身に纏っていたんじゃないかと思います。

次女であるかかは、母親に“おまえはかわいい長女のおまけとして産んだ”といった趣旨のことを幼い頃に言われており、それがずっと心に染み付いているんです。自分は受けるべき愛情をあらかじめ欠いた存在であると。

きっと人生で嬉しかったことや楽しかったこともそれなりにあるでしょうが、“自分はおまけとして生まれたにすぎないのだ、愛されていないのだ”という呪いは彼女の心の根底にずっしり根を下ろしています。

 

DV夫との間に子供が生まれ、浮気されて別れて、自分を“おまけ”と断言し長女の忘れ形見の孫娘ばかり可愛がる親と同居せざるを得なかったかか。

たぶんもともと精神的に強くなかった上に、離婚のストレスが追い討ちをかけたんでしょう。

彼女が不幸のスパイラルに沈んでいく様子を的確に表現した下記の一節がとても好きです。

かかは、ととの浮気したときんことをなんども繰り返し自分のなかでなぞるうちに深い溝にしてしまい、何を考えていてもそこにたどり着くようになっていました。おそらく誰にもあるでしょう、つけられた傷を何度も自分でなぞることでより深く傷つけてしまい、自分ではもうどうにものがれ難い溝をつくってしまうということが、そいしてその溝に針を落としてひきずりだされる一つの音楽を繰り返し聴いては自分のために泣いているということが。

 

(宇佐見りん『かか』河出書房新社 2019.11.30)

不幸に浸り、不幸を出涸らしになってもなお飲み続ける悲劇のヒロイン的言動を秀逸に表現していて感嘆しました。

 

かかははたして幸せになりたいとか思うんでしょうかね。愛されたいのかな。愛されれば幸せなんでしょうか。

私自身、自分は幸せになりたいのかどうかつくづく疑問に思っています。

そもそも、すでに自分の幸せな状態というのがうまく思い浮かべられないんですよね。愛とか言われても「誰から?」って感じですし。

美味しいものを食べたときとか、ライヴチケットの抽選に当たったときとか、素敵な接客を受けたときとか、面白い本や漫画や映画やアニメに出逢ったときとか、嬉しいし幸運だと思いますが、それが“幸せな状態”なのかと問われると…?

 

幸せが手に入らないから、認知的不協和から逃れるために「私は別に幸せなんてもとめてない」とか合理化してるだけだとも考えられます。

手に入らないどころか、それが一体どんな形をしているかもわからないわけですしね。

かかもそうなのかなぁと思いました。

きっと今更夫が振り向いても、母親に「おまえはおまけなんかなじゃない、ちゃんと我が子として愛している」とか言われても、かかは何にも救われなさそう。

もはや誰が何を言っても、何を祈っても救われなくて、死ぬまで不幸と二人三脚するんじゃないでしょうか。

 

かかの娘である主人公のうーちゃんは、かかを真摯に愛しているようですが、そんなことはかかの心に一ミリも響いてないみたいで、それもまた興味深いと思いました。

私は子供を持たないので想像しかできないですが、自分が産んだ子供に愛されたら、はたして嬉しく思のでしょうか。「お母さん大好き」とか言われたら喜びますかね?多分喜ばないだろうなー。

子供が親を好きに思う気持ちって、あらかじめプログラムされてるものって思っちゃうんですかね。もちろん世の中には、自分の親を塵ほどにも好きになれない子供もいるかもしれないですが、子供というのは本能的に愛されるために愛すのが大半ですよね。親に愛されないと育ててもらえないかもしれないので、生命の危機なわけです。

そういうどう考えても弱者である立場の子供に、保護者だからというただそれだけで愛されたところで、全然嬉しくないです。

子供が大きくなって弱者でなくなったとして、それでも好きだと言ってもらったとしても、やはり微妙な気分にしかならなさそう。親子って難しいですね。

 

かかは自分が親から愛されず、夫からも結局愛されなくて絶望しかなくて、自分が産んだ娘に愛されたところで何にも救われす、ひたすら自分が作り出した不幸の渦に飲み込まれています。

かかの娘であるうーちゃんも、終生一方通行なかかへの愛情を抱え、的外れな祈りと行動しかできなくて報われないまま。

ああ、なんて不幸なんだろうなぁと思いました。

そして、不幸だからこんなにも心に染みついて、物語として記憶に残るんだなぁと実感しました。おわり。