ひろゆき『1%の努力』、何かがすごく役に立ったわけではないけど、色々と思うところがあった書籍でした。
帯にあるような「頭のいい生き方」については、正直どの辺が頭がいいのかよくわかりませんでしたが。
ひろゆき氏が幼い頃暮らしていた低所得者層の団地の話や、サービス業のバイトの人たちのモラルが案外そうでもない話などを読んでいると、
是枝監督の映画『空気人形』とかジョージ朝倉の漫画『ハッピーエンド』とかを観たり読んだりした時の、独特の落ち着きを感じました。
あらかじめ諦められている生活を見ると落ち着くのです。上記2作品以外にも、そういった意味で好きな作品はたくさんあります。
インスタグラマーやan・anのグラビアみたいなおしゃれな生活も素敵だとは思うけど、知恵と苦労がないとそういう生活が手に入らないのであれば、多分それは身の丈に合っていないんですよね。
確かに人は努力できるけど、たくさん努力しないと手に入らないようなものは、そもそも手に入れる必要が本当にあるのか、一度よく考えたほうがいい。
あらかじめ諦められている生活を心地よく感じるのは、無理がないからなんだと思いました。
若い頃は、自分の学力やセンスやその他もろもろ、自分が持っているものは自分の力で獲得してきたような気になっていました。
けれど大人になって、旅行したり仕事したりしていろんな環境やそこで暮らす人々を目にしたら、自力で獲得してきたと思っていたことは、大体環境や時の運のおかげであったことがよくわかりました。
それによって自分の無力さを感じたわけではなく、そもそも「自分の力で」とか「環境や時代のおかげで」とか、何かに原因や理由をつける必要って本当はそんなにないよなぁと思ったのです。そして人間はなんでも理由を見出したくなる習性なので、このことは案外忘れがちだとも感じました。
今回この『1%の努力』を読んで、付箋を貼った箇所が1つだけあります。それが下記。
遺伝子や環境がどうだったのか。
一歩引いてみて、自分だけのせいにせず、「1%の努力」で変えられる部分はどこなのかを考えてみるのだ。(中略)
100%遺伝子のせいにして、親を恨みながらコンプレックス解消しか考えなかったよしよう。
整形をして顔を変えれば、一瞬の安らぎは得られるかもしれない。
けれど、すぐに顔の他の部分が気になってくる。頭の良し悪しや身体能力まで親のせいにするはめになってしまう。
顔の整形よりも、考え方を整形したほうがたくさんの人を救える。
「考え方を整形」という言い回しがいいなと思いました。
美容業界で働いていると、つくづくキリがないなと辟易することが多いんですよね。
なのですごく納得できる発想でした。
考え方を整形することも決して簡単ではないと思いますが、顔やらなんやらの整形地獄・美容地獄に陥って終わりのない(時に無駄とも思える)努力を続けるよりは、考え方をなんとか整形して、諦めのついた人生を歩むほうが確かに楽だと思います。
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もう一つ考えたのは、自分より不幸な人や恵まれない環境を見て(自分が考える最悪を想定して)幸せのハードルを下げることについて。
この本では、若い時に貧乏暮らしをしといたほうがいいとか、底辺と思えるようなバイトをしたほうがいいとかいった話が出てきます。
年をとってから生活水準をいきなり下げるのは非常にストレスがかかるため、若いうちにあらかじめ最低水準の生活を経験しておいて、何かあった時すぐにレベルを下げられるようにしておいたほうがいいといった理論です。
上を見てもキリがないですが下を見てもキリがないんですよね。不幸の多様性といったらもう・・・それが文学とかエンターテイメントの礎にもなるんですけど。
下を見て自分の幸せのハードルを下げることって、どことなく抵抗ありませんか?同情なのかプライドなのか、何が主な要因なのか自分でもはっきりしないですが、なーんか嫌だな、と思ってしまう。
でも、やっぱりそれも仕方のないことかもしれない、時にそういうことも必要なのかもしれないと感じました。
下を見て安心しないと自分の心が壊れてしまう、そういう危機的状況がいつ訪れるか、誰にもわからないんですよね。
とくに今の日本社会は、失われたうん10年の不景気、地震や大雨などの大震災、さらにこの感染症での長期的な抑圧などなどで、本当にみんな疲れてるなぁと感じるのです。
疲れると余裕がなくなって、余裕がなくなるといろんなことに厳しく当たってしまいます。
みんなが狭量になってギスギスして生きづらくなるくらいなら、切なくても時には下を見て安心することで、多少の余裕を取り戻してもらったほうがいいかなって思いました。
豊かじゃない社会の必要悪ってところでしょうか。
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元気があればガシガシ頑張る生活もいいかもしれないです。が、多分しばらく(もしかしたらこの先一生?)そんなエネルギーは湧いてこなそうなので、
こういった連想を喚起してくれるという意味では、読んで良かったかもしれない一冊でした。おわり。