韓国で「『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだ」と言った女性芸能人が、写真を燃やされたりネット上でバッシングを受けたりSNSが炎上したりしているそう。何それ怖、って感じです。
私は原作小説は読んでませんが、今しがた映画を観ました。
J-WAVEで日曜の午前中に放送している『ACROSS THE SKY』という番組が好きで、そこでナビゲーターの玄理さんが映画を観た感想をお話しされていて興味を持ちました。
物語のあらすじは以下。
結婚・出産を機に仕事を辞め、育児と家事に追われるジヨン。常に誰かの母であり妻である彼女は、時に閉じ込められているような感覚に陥ることがあった。そんな彼女を夫のデヒョンは心配するが、本人は「ちょっと疲れているだけ」と深刻には受け止めない。しかしデヒョンの悩みは深刻だった。妻は、最近まるで他人が乗り移ったような言動をとるのだ。ある日は夫の実家で自身の母親になり文句を言う。「正月くらいジヨンを私の元に帰してくださいよ」。ある日はすでに亡くなっている夫と共通の友人になり、夫にアドバイスをする。「体が楽になっても気持ちが焦る時期よ。お疲れ様って言ってあげて」。ある日は祖母になり母親に語りかける。「ジヨンは大丈夫。お前が強い娘に育てただろう」――その時の記憶はすっぽりと抜け落ちている妻に、デヒョンは傷つけるのが怖くて真実を告げられず、ひとり精神科医に相談に行くが・・・。
(公式サイトより)
ラジオで玄理さんがいうには「原作より旦那さんが優しい」らしいです。「優しいからこそ真綿で首を絞められるようだった」みたいなことを言っていた気がします。
私は概ね旦那のデヒョンはいい人だなぁと思って観ていました。もちろん「あ?」と思う場面もありましたけど。
『レボリューショナリー・ロード』と似たテーマもありつつ、もっと女性の生きづらさ全体を表現したような作品でした。
主婦の苦悩だけじゃなくて、幼い頃の扱われ方から、思春期の時に受けた侮辱や、職場でのセクハラや待遇差別その他もろもろ、脈々と続いてきた「女が女であるから悪いのか?」と絶望するような苦痛の連続です。
『チーズ・イン・ザ・トラップ』のことも思い出しました。チートラの雪も、自分の方が優秀なのに弟ばかり恵まれて腹を立てていましたね。韓国ってそういうお国柄(男子が猫可愛がりされる家族制度の国)なのだなぁと改めてわかりました。
私の親の世代くらいは、日本でも似たようなものだったと思うのですが(父やハハ方の叔父に祖父母は甘い)、今はどうなんですかね。私は一人っ子で、男兄弟がいる友人もあまりいなかったので、こういったあからさまな区別を受けて育った女の子は周りにいませんでした。
ジヨンの立場だったら、確かに姑に腹立つと思いますよ。結婚を急かし、孫を急かし、男の子が欲しいとかなんとかしつこく電話してくるなんて地獄です。
でも自分が姑の立場だったら、そうしてしまう気持ちも全然不思議じゃないと思うんですよね。自分の可愛い息子が結婚したら子供を持って欲しいと思うかもしれません。息子の嫁が職場復帰したいから、息子が育休を取ると言ったら、息子が無理をしていないか心配になります。嫁なんて所詮他人ですし、嫁がどんなに頭のいい美人ないい子でも、それとこれとは話が別だと思うかも。
カフェで子連れのジヨンがコーヒーを床にぶちまけてしまうシーンも印象的でした。慌ててジヨンが床を拭くのを遠目で見ていたサラリーマンたちが悪態をつくんですけど、韓国のカフェって本当にあんな感じなんですかね?それともちょっと過剰演出なのかな?
客が飲み物をこぼしたら、店員は掃除を手伝わないんでしょうか?もしくは、他のお客さんの中にも一人くらい手伝う人っていませんか?
ジヨンの立場だったら、もちろん自分を「ママ虫」とか陰口叩いたサラリーマンに腹立ちますよ。「なんだてめー今なんつった??」ってメンチ切るかもしれません。
でも、サラリーマン側の気持ちも実はちょっとわからなくもないのです。悪態はつかないですが、子供がうるさいなぁとは思うことはあるかもしれません。子供の泣き声というのは不快に感じるように作られてると学校で習ったことがあります。本能的に泣き止ませる行動を親に取らせるためだとかなんとか(うろ覚え)。だからかわかりませんが、子供の泣き声というのは苦痛を伴うものです。
子連れを鬱陶しく思うことが全然ない人って世の中にどれくらいいるんでしょうか。綺麗事抜きで。
もし私が子持ちで、自分も子育てしていたら、ママ側に感情移入できるのかなぁ。
子育てが大変なことは、頭ではわかっているんですけど、何も同情できないんですよね。自分が子供だった時代があるのもわかっていますし、自分だって子供の頃ギャーギャー泣き喚いていたかもしれない。きっと泣き喚いていたでしょう。でもそれと他人の子供の鳴き声がうるさいのは全然別の事象だと感じてしまう。
「あなたも産めばわかるよ」と言われても、私は絶対に子供は産んではならないと思っているし、産まないんですよ。
さらにいうと、専業主婦になりたいと思っていても、貰い手もいないので仕方なく働いて生き延びてるだけなんです。だから外で働きたくてもがくジヨンに共感することもできません。
でも、高校生のジヨンがバスで痴漢を受けた場面は辛かったです。近くに居合わせたOLのおばさんが助けてくれて本当によかった。
助けに呼んだ父に「スカートが短い」と叱られた時、あまりの理不尽さに腹が立ったのもわかります。悪いのはスカートの長さじゃない。悪いのは痴漢です。
・・・でも、もし自分の娘が短いスカート履いてたら、可愛いと思いつつもちょっと心配してしまうかもとも思います。叱りはしないけど、心配はする。
だ・け・れ・ど・も、大事なことなのでもう一度言います。
悪いのは短いスカートじゃない。悪いのは痴漢です。
性犯罪被害にあった女性に落ち度は求めません。
そんな感じで、ジヨンやジヨンの母も姉も元上司も元同僚も、女性たちが連綿と受け続けてきた不当な扱いや苦しみに、共感したり同情したりしながらまぁ泣きました。
泣きながら、ではどういった社会になったらこの課題は解決したと言えるのかと考えていました。
男子ばっかり可愛がられない子育てとか?
文化の違いもあるかもしれないですが、どの子供を一番可愛く感じるかは、性別もあるけど性格的なものも大きい気がするんですよね。別に自分の子供だからといって全員平等に愛さなければならないとも思わないですし。子供でもなんでも、個人の好みはどうしようもない部分もありますよね。
育休を取ってもキャリアが傷つかない労働社会とか?
まぁこれはできますよね。やる気がないだけで。
私の今いる会社は育休上がりの優秀な女性上司は何人もいます。
ただ、女性役員が申し訳程度にしかいないのは問題だと思いますけどね。男性役員があんまり優秀に見えないのも問題ですが・・・。
シッターや保育園が十分に用意されている社会とか?
何人のシッター、どれくらいの保育園があれば需要が満たされるんでしょうね。
保育ロボットが誕生すれば変わりますかね。人間より優れたアンドロイド保育士とかだったら子供の養育面にもプラスかも?
無意識下で女性蔑視してくるおじさんおばさんが再教育されて思想改造されるとか?
倫理的に問題があるのはわかりますが、多分それくらいしないともうしばらくこの問題って消えないですよね。女性蔑視が染み込んだ社会で育つと、若者でも女性蔑視するんですよ。おまけに、蔑視されてる女性側も同じ蔑視を内在していたりして、ますますタチが悪い。単純に男対女の構造でもないんですよね。幼少期から刷り込まれていて、女の中にも女性差別が眠っていたりする。いつ刷り込まれたのか、自分でもわからない時があります。
色々考えましたが、ひとまず今よりマシな社会にしていくためには、ジヨンの姉・ウニョンの行動パターンが一番いいかと思いました。
腹が立ったら抗議する、変だと思ったら指摘する、闘うべきだと思ったら闘うこと。
ジヨンも「疲れない?」って心配してましたけど、言っても無駄だからと黙っていても、結局損なわれた心は誰も救ってくれないし、受けた傷は自分で「大したことない」と思い込んでも静かに蓄積して自分を蝕むものです。
(本人が望んだかどうかに関わらず)女性である私が、大学教育まで受けられて、正社員として就職できて、選挙で投票もできて、一人でなんとか生き延びていられるのは、これまで闘って闘って闘ってきたたくさんの女性たちのおかげであることは間違いないと思うので。
もちろんほんとに疲れたら休みますけどね。おわり。