梅雨のせいか、最近ほとほと疲れていて、死ぬことばかり考えてしまいます。
仕事は全然暇だし、フレックスだから好きな時間に起きて好きな時間に眠れるのに、なんでこんなにしんどいのか。
死にたみがあるのは物心ついたときからですが、近頃は飛び降りが一番いいかしらなんて考えるようになりました。
そんな折、『serial experiments lain』を鑑賞しました。
アニメ界では知る人ぞ知るSF作品、らしいです。
1998年にテレビ放送されたそうですが、これを地上波で放送するって、90年代ってほんといろいろザルだし病んでた時代なんだなと思いました。
あらすじは以下。
ネットワーク社会。今よりも多少未来の東京のこと。
情報端末NAVIが普及し、テレビと同じくらいに
メディアとしての力を持っている。
人とコミュニケートするにはネットワークを通してがあたり前という時代。
NAVIを通して誰かと「つながる」ことで、
無意識に「安心」という買い物をする、そんな時代。
渋谷に遊びに行ったり雑貨を買い集めたりするのと同じ様に、
まったく自然に携帯NAVIを使いこなす少女たち。
学校での噂話や流行の情報をやりとりする、
そんな彼女たちにとってNAVIは
友達と自分を結び付ける手段としてなくてはならないもの。
肥大化した記録や情報と、拡大していくネットワーク。
現実世界での自分とは違う人格を設定して
ネットワークで行動することはもちろん、
ネットワークの世界でしか存在しない「人種」も生まれ始める。
そして、やがて現れたのは、それを操作し、
コントロールすることに利益と野心を見いだす者たち。
リアル・ワールドで、ワイヤーで、 彼らは動き始める…。
(公式サイトより)
1話の冒頭で、主人公・玲音の同級生の女の子が雑居ビルの屋上から飛び降りるんですが、このシーンが結構好きです。
ああやって柵に片手でつかまって、組体操の端っこの人みたいな体勢でスタンバイすれば、少しは恐怖が薄れるかなぁとイメトレしてみたり。
あの体勢からきちんと頭から落ちられるんですかね?人間の体って頭が一番重いというし。 側転みたいにくるくる回転してしまうことなんてないよな…
こういうとき物理学の知識が必要になるのだなぁと思いました。もっときちんと勉強しておくんだった。(参考ページ)
正直言って物語の内容はあまり理解できませんでしたが、観終わった後の余韻もいいし、記憶に残る雰囲気アニメとして結構好きな作品でした。
主人公の玲音ちゃんも可愛いし。
既視感のある作風だと思ったら、監督がWOWOW放送版『キノの旅』と同じ中村隆太郎氏でした。
雰囲気が似てます。好きだったなぁWOWOW版キノ。
中村監督、2013年に癌でお亡くなりになっていたんですね。知らなかったです。
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玲音ちゃんの台詞で「なるほど」と思ったものがありました。
「人は 人の記憶の中でしか実体なんてない
だから いろんなあたしがいたの
あたしがいっぱいいたんじゃなくって いろんな人の中にあたしがいただけ」
12話に出てくる玲音ちゃんの独白です。
自分の知らないところで"lain"が誰かをそそのかしたり悪戯したりしている。
玲音ちゃんは人から聞かされる"レイン(玲音、lain、れいん)"の話に混乱し、
自分が誰で、どこにいるのかわからなくなります。
レインはもともとプログラムなので、確かに実体なんてないのです。
けどそれは、我々肉体を持つ人類も、実はさほど変わりないのかもなと思いました。
私がこの肉体をもって実感している「今日、いまここにいる」私と、
同級生の記憶の中に残っている私も、
家族や親戚の記憶の中にいる私も、
同僚の記憶の中にいる私も、
みんなバラバラで、別々の実体なんですね。
私が今この体を投げだして、この実体を終わらせたとしても、
いろんな人の中にいる私は情報の影響(更新)はされても消滅はしないんでしょう。
いろんな人の中の私が消滅するのは、その人の記憶から消えるか、その人自体が消えるときだけ。
結局のところ、私が私の命をどう扱うかは、
私自身の認識する私の実体にのみかかっているんですね。
思いがけず救われたような気分になり、どこかほっとしたのでした。おわり。
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OPはほんと名曲ですね。lainを観ようと思ったのも、わしゃがなTVで星野源さんがこの曲を紹介していたからなのでした。