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ひまをつぶしましょう

『美容は自尊心の筋トレ』

多くの日本人に必要と思われる本が長田杏奈『美容は自尊心の筋トレ』です。

美容は自尊心の筋トレ (ele-king books)

美容は自尊心の筋トレ (ele-king books)

  • 作者:長田 杏奈
  • 発売日: 2019/06/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

表紙の感じがぱっと見女性向けですが、男性にも読んでほしいと思いました。

 

美容ライターの著者が”この世に「ブス」なんていない”という全員美人原理主義の立場に立って、自尊心を育てるための美容のHow toから心も持ちようまで幅広くわかりやすく解説しています。

年々難しい文章を読むのが辛くなってきている中、この文章はとにかく読みやすかったです。ものすごい早さで読み終わってしまいました。

さらっと読めるけどとても良いことがたくさん書いてある、というか、いまの私に必要なことが凝縮された本でした。

 

私がこの本を手にとったのは何かの女性誌でオススメされてたのを目にしたからで、多分10代や20代前半の頃に目にしていても気に留めなかったと思います。

昔の私は今以上に自分に厳しくて、激しく高い理想を掲げて自分で自分を追い詰めていました。

当時の日記が今もEvernoteにとってあり、たまに読み返すと「君は何と戦ってるの」ってくらい「〜すべき」「〜してはいけない」の羅列があります。自分でたくさん条件やしがらみを作っていました。

思春期って潔癖なものだし仕方がなかったかなといまは思いますが、その頃の負の遺産が今もなお根深く残っているのです。その負債とは「劣等感」「無能力感」「自己嫌悪」です。

 

何においても「私なんて」「こんなんじゃダメだ」とずっと何かと一人相撲してきた10代〜20代のうちに、自分の価値をどうにも測れないというか評価できなくなってしまい、何に関しても自信が持てない状態がつづいているんですね。

悲観主義には防衛的側面もあるので、それでもいいかなと思っていたんですが、30代に突入していよいよ心身が持たなくなってきました。

この30年、死ぬほど長くて辛かった、ゴミみたいな人生だった、と思っていると、まだ目の前にいつ終わるかわからない人生が続いてるのがしんどくてたまりません。さらに、若い頃と違ってこのままだと自分がどうなるかなんとなくイメージが湧いて、それがまた地獄絵図で、ああだめだ、私はこのままだといよいよまずいことになる、もう生き延びられない、と毎日恐怖と絶望に苛まれて疲労困憊です。

 

私が今一番欲しいもの、それが「自尊心」でした。

「劣等感」「無能力感」「自己嫌悪」のフィルターがかかったヘッドセットを外して捨てて、「自尊心」を手に入れて見える世界を変えないと、いよいよ悲惨な結末を迎えてしまうだろうという恐怖がかつてないほど切実に湧いていました。本当に信じられないほど毎朝起きるのがしんどくて一日が長くて生きるのが辛いのです。

ずーっと欲しかった自尊心、でも何をすれば手に入るのか皆目見当がつかなかったとき、この『美容は自尊心の筋トレ』というタイトルが目に飛び込んできたわけです。

 

美容。

 

このブログでも書いたことがあるとおり、私にとって美容は「好きでもなければ興味も持てないけれど取らないと卒業のための単位が揃わないから渋々履修している教養科目みたいなもの」でした。

まさかこの美容が自尊心の筋トレになるとは!というか、自尊心って筋トレするものなのかと目から鱗でした。

 

何も、高い化粧品を買ったりコールドプレスジュースを飲むのが美容のすべてではなかったのです。そういうものは美容の本質ではなかったのです。

美容というと、たくさんの化粧品を買って、いろいろな手間をかけることのように思われがちだけれど、触れ方をやさしくして物理的な刺激を避けるだけでも、肌は変わる。

(長田杏奈『美容は自尊心の筋トレ』Pヴァイン 2019.7.17)

まずは肌に優しく触れることから始めてみることにしました。手のひら全体を優しく当てるか中指〜小指だけを使うといいらしいです。

 

***

 

著者の掲げる全員美人原理主義という考え方は、はじめはかなり極端に感じたのですが、噛み砕いて考えると「他人にやさしくする」と「自分にやさしくする」が表裏一体となった合理的なものの見方なのだと思いました。

顔立ち、体つき、内面、暮らし方や履歴などが複雑に絡み合って個性となり、紆余曲折を経てスタイルとして醸成される。コンプレックスは個性の種、スタイルのフラグである。もし、あなたを苛むコンプレックスがあるのなら、まずは心ときめく少しでもましなワードに言い換えてほしい。もし誰かが、本当のこと言ってやるよ顔でディスってきたら、その人はそれで自分を保っている or 生計を立てている、もしくは心が貧しく審美眼が未熟でセンスが寒い人なので放っておけばよい。意地悪にピントを合わせず、よきイリュージョンに包まれて暮らそう。

(同上)

コンプレックスをましなキーワードに言い換えるのはなかなか楽ではないですが、意地悪にピントを合わせないことは心がけ一つでできることだと思いました。

また、この一節を読んで思い当たったのですが、自分に非常に厳しかったこれまでの十数年間、私は他人に対しても常に厳しかったです。他人を断罪するのだから、自分も断罪されなければならない=私がこれだけ慎ましくしているのだから他人も同じくらい控えめであるべき、という、冷静に考えればはた迷惑なジャッジを誰彼構わず振り回してきたのです。

他人に向けた厳しい眼差しは翻って自分自身に返ってくるわけで、自分にやさしくしたいなら他人を見る目もやさしくしたほうがいいし、この二つは根本的に同じことなのだと改めて気づきました。

 

妬みや嫉みについても似たような構造が潜んでいます。

比べる気持ちや嫉妬を感じたら、心がザワつく対象を鏡に、自分を研究する。悪感情を自分を磨くチャンスにする。これに尽きる。

(同上)

「羨ましい」という気持ちの根底には「自分もそうなりたい」「自分も欲しい」という欲求が存在します。そこをもっと掘って「なぜ自分はそうなりたいのか?」「なぜ私はそれが欲しいのか?」と自己と対話することで、悪感情を自己研究・研鑽に変えるわけですね。なんていいライフハック、義務教育で教えるべきでは?とまで思いました。(もしかして道徳とかで教えてるのかも、私が覚えていないだけで)

 

自分に向けた矢印と他人に向ける矢印の関係を深く探っていくと、自尊心というものの本質が見えてきます。

自分の大切さやかけがえのなさの根拠を、他人に求めてはいけない。自分が大切な存在かどうか、相手の出方次第で決めるのはやめよう。(中略)酷かもしれないが、どんな日も易きに流れず、自分を大切にしようとする意思の最後のひと葉を守り、尊厳を投げ出さないように抵抗し踏みとどまってほしい。「あなたが期待通りにしてくれないから、私には価値がない」というのは、「私の期待通りにしてくれないから、あなたには価値がない」と背中合わせだ。これは恋愛に限った話ではなく、家族、友人、同僚、袖触れ合う有象無象の人々との関わりにおいても同じこと。自尊心は人間関係の基本だと私は思う。

(同上)

ビジネスの場にいると価値にお金が紐づいてることがほとんどなので、お客様の満足に繋がらない→売上が上がらない→価値がないという場合は往往にしてあると思います。期待される仕事が果たせない→価値がない、とかも、確かにある。

けれど、ビジネスではなく純粋な人間関係、人間存在について言及する場合の価値については、確かに著者の言う通りだと思いました。ここのところ仕事での売上のことばっかり考えてたので、価値と言うものをすごく狭くとらえていたことに気づき反省しました。価値という言葉には、ものすごく幅広い意味が内在しているんでした。

 

***

 

本書の終盤では世の女性像の窮屈さについて悲痛な叫びが満載でした。

私がこれまで美容をどこか毛嫌いしていた原因の大部分はここにあります。悲しいことですが、本来純粋に自尊心の筋トレであるはずの美容が、いらない尾ひれがたくさんついた禍々しいものに感じられるのは、社会に長年深く根ざしている”「女」の呪い”のせいです。

この問題については、二階堂奥歯氏の下記のエントリが私は一番的を射ていると思っています。

oquba.world.coocan.jp

oquba.world.coocan.jp

生物学的に女である現実の人間の子供・女の子と、女の子と良く似た身なりの空想上の妖精のような文学的存在である「少女」。

女の子が成長した現実の成人・女と、「少女」が成長した「女」という概念。

 

観念的存在で現実には存在しない「女」の真似事を身に纏わないととやかく言われる社会生活というのは本当に窮屈です。

その「女」の真似事に美容が多く含まれるので、私はそれがずっとモヤモヤして嫌でした。

男性は勿論、同性である女性にだって「女ならみんな普通キレイになりたいでいたいでしょ・若くありたいでしょ・モテたいでしょ」みたいに言われるのは本当に苦痛です。このご時世そんなこと言われないだろうって思いたいですが、全然言う人いますよね。多分私も仕事上止むに止まれず使ったり、無意識のうちに言っちゃうことあるかもってレベルで、物心つく前から刷り込まれているのです。知らずしらずのうちに。

 自分の「普通」が、地図で行ったらどのあたりにまで通用するもので、データで見たらどのくらいのパーセンテージのものなのか。多様な価値観をすり合わせながら共生するこれからの時代は、自分の中の普通や常識をアップデートし、みだりに他人に押し付けないデリカシーこそ大切だ。

(長田杏奈『美容は自尊心の筋トレ』Pヴァイン 2019.7.17)

 

「女」の呪いの延長上に「若さ」の呪いもそういえばあったなと思いました。

まあ、若さは物理的(肉体的)な自由度が違うし、やっぱり若さ特有の美しさというものはあると思います。何事も遅すぎることはないといいつつ、早いに越したことはないこともいっぱいあります。

けれど、誰しも同じ尺度の時間の流れの世界で生きているので、若さだけに絶対的価値を置くとやはり全員詰んでしまいます。

いくら本人が「人間の価値は年齢ではない」と信じていても、婚活や就職など社会との関わり合いの中で扱いを変えられ、「年齢で価値が下がる」と傷つく場面はすぐにはなくならないだろう。ときには「これが現実なんだ」と心が折れるかもしれない。けれど、社会という大きなものは変えられなくても、自分や他人に向ける眼差しを少しずつ変えることはできるし、まずは自分の意識を変えないとその上に築く現実を変えることはできない。

(同上)

”若さ信奉の呪縛”から自分や他人を解放するのも、つまるところ意志の力ですね。

ネガティヴは感情、ポジティヴは意志。つくづくこれだなぁ。

 

「女」の呪いと若さ信奉の呪縛に対抗する、最後の著者のまくし立てがとても面白かったです。

女を捨てる、女を忘れる、女として見られない、女じゃなくなる。四十路の先を見渡せば、年齢に絡めて「女」か否かを問う脅し文句が、銃弾のように飛び交っている。そういう脅し文句は、美容とも親和性が高い。(中略)年をとってもセックスや恋愛をしているか、生理があって女性ホルモンは分泌されているか、愛し愛され、膣は程よく潤っているかなどで、女の合否を断じたり、焦りを植えつけられたくない。お金を払ったり特定のサービスを受けなければ、女でいられないなんて、そんな軽いものではなく、もっと根源的なものだ。こちとら女の体に生まれたら、ほっといても死ぬまで生物学的には女。以上、と宣言したい。

(同上)

「男を捨てる」「男を忘れる」という表現は(別の意味ならともかく)上記のような意味で使われることは確かにないなぁ、とはたと気づきました。やはりこの「女」幻想問題は根深いですね。

 

***

 

なかなか一日二日で自尊心が芽生えることはないですが、気長にこの本のTipsを実践しながら、少しでも生きづらさが減るといいなと思います。

また、文化的な背景もありますが、日本人は特に自尊心が足りないことが男女ともに多いと常々感じます。自尊心が足りないということはイコール自分にも他人にも厳しいということで、それがこの社会の閉塞感の大きな一因となっていると改めて思い至りました。なので、私と同じように八方塞がり感を抱いている人に一人でも多く読んでほしいです。それで少しでも心持ちが穏やかになったらいいなと思いました。おわり。