れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

自分を守るために:『1%の努力』

ひろゆき『1%の努力』、何かがすごく役に立ったわけではないけど、色々と思うところがあった書籍でした。

1%の努力

1%の努力

 

帯にあるような「頭のいい生き方」については、正直どの辺が頭がいいのかよくわかりませんでしたが。

 

ひろゆき氏が幼い頃暮らしていた低所得者層の団地の話や、サービス業のバイトの人たちのモラルが案外そうでもない話などを読んでいると、

是枝監督の映画『空気人形』とかジョージ朝倉の漫画『ハッピーエンド』とかを観たり読んだりした時の、独特の落ち着きを感じました。

空気人形

空気人形

  • 発売日: 2016/05/01
  • メディア: Prime Video
 
新装版 ハッピーエンド

新装版 ハッピーエンド

 

あらかじめ諦められている生活を見ると落ち着くのです。上記2作品以外にも、そういった意味で好きな作品はたくさんあります。

 

インスタグラマーやan・anのグラビアみたいなおしゃれな生活も素敵だとは思うけど、知恵と苦労がないとそういう生活が手に入らないのであれば、多分それは身の丈に合っていないんですよね。

確かに人は努力できるけど、たくさん努力しないと手に入らないようなものは、そもそも手に入れる必要が本当にあるのか、一度よく考えたほうがいい。

あらかじめ諦められている生活を心地よく感じるのは、無理がないからなんだと思いました。

 

若い頃は、自分の学力やセンスやその他もろもろ、自分が持っているものは自分の力で獲得してきたような気になっていました。

けれど大人になって、旅行したり仕事したりしていろんな環境やそこで暮らす人々を目にしたら、自力で獲得してきたと思っていたことは、大体環境や時の運のおかげであったことがよくわかりました。

それによって自分の無力さを感じたわけではなく、そもそも「自分の力で」とか「環境や時代のおかげで」とか、何かに原因や理由をつける必要って本当はそんなにないよなぁと思ったのです。そして人間はなんでも理由を見出したくなる習性なので、このことは案外忘れがちだとも感じました。

 

今回この『1%の努力』を読んで、付箋を貼った箇所が1つだけあります。それが下記。

遺伝子や環境がどうだったのか。

一歩引いてみて、自分だけのせいにせず、「1%の努力」で変えられる部分はどこなのかを考えてみるのだ。(中略)

100%遺伝子のせいにして、親を恨みながらコンプレックス解消しか考えなかったよしよう。

整形をして顔を変えれば、一瞬の安らぎは得られるかもしれない。

けれど、すぐに顔の他の部分が気になってくる。頭の良し悪しや身体能力まで親のせいにするはめになってしまう。

顔の整形よりも、考え方を整形したほうがたくさんの人を救える。

ひろゆき『1%の努力』ダイヤモンド社 2020.3.4)

「考え方を整形」という言い回しがいいなと思いました。

美容業界で働いていると、つくづくキリがないなと辟易することが多いんですよね。

なのですごく納得できる発想でした。

考え方を整形することも決して簡単ではないと思いますが、顔やらなんやらの整形地獄・美容地獄に陥って終わりのない(時に無駄とも思える)努力を続けるよりは、考え方をなんとか整形して、諦めのついた人生を歩むほうが確かに楽だと思います。

 

@@@

 

もう一つ考えたのは、自分より不幸な人や恵まれない環境を見て(自分が考える最悪を想定して)幸せのハードルを下げることについて。

この本では、若い時に貧乏暮らしをしといたほうがいいとか、底辺と思えるようなバイトをしたほうがいいとかいった話が出てきます。

年をとってから生活水準をいきなり下げるのは非常にストレスがかかるため、若いうちにあらかじめ最低水準の生活を経験しておいて、何かあった時すぐにレベルを下げられるようにしておいたほうがいいといった理論です。

 

上を見てもキリがないですが下を見てもキリがないんですよね。不幸の多様性といったらもう・・・それが文学とかエンターテイメントの礎にもなるんですけど。

下を見て自分の幸せのハードルを下げることって、どことなく抵抗ありませんか?同情なのかプライドなのか、何が主な要因なのか自分でもはっきりしないですが、なーんか嫌だな、と思ってしまう。

でも、やっぱりそれも仕方のないことかもしれない、時にそういうことも必要なのかもしれないと感じました。

下を見て安心しないと自分の心が壊れてしまう、そういう危機的状況がいつ訪れるか、誰にもわからないんですよね。

 

とくに今の日本社会は、失われたうん10年の不景気、地震や大雨などの大震災、さらにこの感染症での長期的な抑圧などなどで、本当にみんな疲れてるなぁと感じるのです。

疲れると余裕がなくなって、余裕がなくなるといろんなことに厳しく当たってしまいます。

みんなが狭量になってギスギスして生きづらくなるくらいなら、切なくても時には下を見て安心することで、多少の余裕を取り戻してもらったほうがいいかなって思いました。

豊かじゃない社会の必要悪ってところでしょうか。

 

@@@

 

元気があればガシガシ頑張る生活もいいかもしれないです。が、多分しばらく(もしかしたらこの先一生?)そんなエネルギーは湧いてこなそうなので、

こういった連想を喚起してくれるという意味では、読んで良かったかもしれない一冊でした。おわり。

忘れられない:『シン・エヴァンゲリオン劇場版』

大事なことなので最初に書きますが、このブログは全ての記事がネタバレだらけです。

私自身がネタバレを全然気にしない性質なので。

でも、この映画はできれば前情報無しで観た方がいいなと思いました。

それが『シン・エヴァンゲリオン劇場版』です。

www.evangelion.co.jp

一昨日の夕方、仕事を早めに切り上げて劇場へ走りました。

今も読後感というか、じんわり感情の波が広がりつづけている感じです。

 

10代の頃テレビシリーズと劇場版を一気見して精神をやられて、

20代で新劇場版を追いつづけて、

31歳になった今年ついに完結。

長い間話を追っていた作品が完結すると、待っていたはずなのに物寂しくなりますね。嬉しいと悲しいが混ざる。

 

エヴァンゲリオンって、全体を通して話が簡単じゃないと思います。

子どもの頃は自分が子どもだから理解しきれないのかと思ってたけど、大人になっても明快に理解できてる感じはしないです。だから他人にもうまく説明できない。

そういう意味で”雰囲気アニメ”とか言われてしまうこともあるかもしれませんが、その雰囲気・空気感が圧倒的に群を抜いて秀逸だと思います。

 

テレビシリーズは(主にアスカのくだりが)精神的に追い込まれる感じで、本当に辛くてちょっとしたトラウマでしたが、

新劇場版シリーズは最後まで観ると、救われたような心持ちになりました。

 

終盤の、マイナス宇宙でミサトさんやゲンドウやアスカやカヲルくんやレイが、それぞれ本当のこと・本当の気持ちを語って解放されていくところ、本当に良かったなぁ。

魂の浄化ってこういうことなのかな〜とか思いました。

私も消えてなくなるときはあんな感じの穏やかな気持ちになりたいです。

解放が一種の浄化なら、拘束や束縛は汚染なのかな。対義語辞典的に・・・

 

そしてラストシーンからエンディングの流れもほんっっっっとうに素晴らしかったです。

始まりから怒涛の展開続きで、全ての登場人物のエピソードが濃いんですが、それを踏まえた上でとても軽やかなラストでした。

エヴァのない世界、大人になったシンジとマリ、田舎の懐かしい景色。

でももちろん忘れたわけじゃない、むしろ”忘れられない”です。

シンジにとって忘れられないであろう人、忘れられないに違いないことの記憶が、エンドロールでぐわーっと思い出されて、エンディングテーマがこれ以外あり得ないくらいガシッとハマりました。


宇多田ヒカル『One Last Kiss』

 

今もずっとこの曲聴いてます。

One Last Kiss

One Last Kiss

  • 発売日: 2021/03/09
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

ジャケットもいい・・・

 

「忘れられない」って、苦しいこともあるけど

「忘れたくない」と思える誰かがいたり、思い出があったりするのって、やっぱり救いだと思いました。

私は基本的にいつも過去に生きてる人間なので、忘れたくない過去と忘れたい過去をぐるぐる思い出したり煮詰めたりして自家中毒を起こしてしまうタイプです。が、

それでも

忘れたくないことがあってよかった。素直にそう思いました。

 

ま、年とって全部忘れて死んじゃうかもしれないですけど。

「忘れたくない」「忘れられない」と思って、いろんなものを遺す人間の願いや祈りのようなものを尊く感じます。

そういう気持ちになる映画でした。おわり。

現世に希望のない人に:『無職転生 ~異世界行ったら本気だす』

今月31歳になります。

他人が病気や事故で31歳で亡くなったら「まだ若かったのに」と思いますが、

自分が31年生き延びたことを振り返ると「なんて長い人生だろう」と感じます。

コロナ禍で自宅に引きこもっているせいなのか、仕事がつまらないからなのか、

もしくは理由なんてそもそもないのかもしれませんが、

日々生き延びるのは本当にしんどいです。

 

今期観ているアニメの中で、毎週楽しみにしているのが『無職転生異世界行ったら本気だす』。

第1話 無職転生

第1話 無職転生

  • メディア: Prime Video
 

今や数え切れないくらい使い古された設定”異世界転生もの”。

タイトルだけで切ってしまう人もいるかもしれません。

 

私は過去に、タイトルのラノベ臭で嫌厭して面白い作品を観るのが遅れた経験があるので、どんなに惹かれないタイトルでも必ず1話は目を通すようにしています。

原作は未読ですが、アニメ『無職転生異世界行ったら本気だす』はまず序盤の杉田智和さんの独白演技が本当に素晴らしくて、一瞬で物語に引き込まれました。

 

あらすじは以下。

「俺は、この異世界で本気だす!」

34歳・童貞・無職の引きこもりニート男。

両親の葬儀の日に家を追い出された瞬間、トラックに轢かれ命を落としてしまう。

目覚めると、なんと剣と魔法の異世界で赤ん坊に生まれ変わっていた!

ゴミクズのように生きてきた男は、少年・ルーデウスとして異世界で本気をだして生きていく事を誓うー!

ルーデウスを待ち受けるのは、ロリっ子魔術師、エルフ耳のボクっ子幼馴染、凶暴ツンデレお嬢様、

そのほかの様々な人間との出会い。そして過酷な冒険と戦い。

新しい人生が動き出す! 「人生やり直し」ファンタジー、開幕!

 

公式サイトより)

前世の男の人生って、本当に救いようがない感じだったんですよね。

アニメの中でも度々描写がありますが、思春期に学校でひどいいじめに遭い、外に出るのが怖くなって引きこもりになり、そのままキモオタニート一直線。20年近く人と会話することがなく、ただ食べるだけの生活で肥えて見た目も不潔で、もちろん社会人経験もないまま30代半ばに差し掛かっていました。

人生何歳からだって何者かになれるのかもしれないですけど、この当時の主人公が社会復帰する手立てって本当にあったのかな?と疑問に思います。

彼は前世で何か希望を抱くことが果たして可能だったのだろうか?と。

 

前世でひたすら絶望しかなかった彼が、その絶望と恐怖の記憶を抱えたまま、剣や魔法が活躍する異世界で新しい生を受けます。

世界の成り立ちは違うかもしれないけれど、父がいて母がいて、なんとメイドまでいて、前世と同じように家族とか集落とかの人の営みが存在している新しい世界。そんな異世界で、彼はルーデウスという少年として、前世とは比べ物にならないくらい豊かな人生を歩むんです。

 

もし仮に生まれ変わった世界が異世界じゃなくて、同じ地球上の似たような時代だったとしても、彼は異世界と同じように前を向いて生きていくことができたのかなぁと考えました。

異世界では、魔法の能力の成長が人より早かったルーデウス。これは見方によっては才能・ギフトの類です。

そういうギフトがあったから、前世より上手くいったのかも?

例えば前世でも、もし外見がもう少し整っていたら、もしくは頭がよかったら、何かちょっとした才能があったなら。あんな悲惨ないじめに遭うこともなく、いくらかマシな人生を送っていたのかも?

そう考えると、生まれた時の環境・スペックで、ある程度そのさきの人生の豊かさは決まってしまうということになります。

確かにそれも一つの真実ではあるかなーとも思いますが、どこかそれだけで納得できない気持ちもあります。

***

第2話で、魔法の試験のために家の門の外に出るところがちょっとしたカタルシスで泣きました。

前世の悲惨ないじめの記憶がこびりついているルーデウスは、ずっと家の外に出るのが怖くてたまりませんでした。

外には自分を嘲笑する奴ら、攻撃してくる奴らが大勢いると、本能に刻み込まれていたのです。

怯えているルーデウスを、馬を怖がっていると勘違いした家庭教師のロキシーは笑って「私がいるから大丈夫です」と言って、ルーデウスを抱っこして馬に乗りました。

恐怖でぎゅっと目を閉じ固くなっていたルーデウスですが、町の人が皆明るく自分たちに挨拶してくるのを目の当たりにして、この新しい世界では理不尽に自分を攻撃してくる人間はいないのだと気づきます。

トラウマを克服し、一気に世界が開けたシーンは観ていてじ〜んとしてしまいました。

そしてこの、外の世界に連れ出してくれた瞬間から、ロキシーはルーデウスの恩人になりました。

***

現世に希望がなくて、来世での明るい未来を夢想するのって、人間の本能なのかもしれないなぁと思いました。

すごく悲しい本能ですけどね。

内戦地区とかで、テロの鉄砲玉として自爆する人たちは「ここで自爆すれば救われて、来世で幸せになれる」みたいな教えを受けているという話を、どこかで聞いたことがあります。

現世では何の望みもなくて、失うものがないから、死んで来世で幸せになろうとする。

本能というか、自己防衛ですかね。

 

異世界転生もののライトノベルや漫画や小説やアニメやゲームがこれだけ溢れる現代って、やっぱりみんな結構生きづらい世の中なんだなとも思いました。

コメディものも結構多いので、今まであまり気にしたことがなかったです。きっと物語を作る人たちの中にも、受け取る側の人の中にも、「こんな辛い人生すっ飛ばして、異世界で生まれ変わって楽しい人生送りたい」っていう気持ちがどこかにあるのかもなーと。

 

私は輪廻転生を信じるタイプではないですが、ルーデウスの新しい人生を観ていると、素直にいいなぁ素敵だなぁと感じます。

現世の、今のこの世界は、もうじゅうぶんだなぁって、思います。

別に転生して今よりいい世界で暮らしたいなんて言わないです。

私はもう生まれたくないです、どんな世界でも。

ただただ、私はこの人生もうじゅうぶんだ、とこのアニメを観て思ったのでした。おわり。

集中力と才能:『左ききのエレン』

「明けましておめでとうございます」って年明けていつくらいまで使うんでしょう。

明けましておめでとうございます。

2021年も相変わらず大変な世の中で、ニュースで首都圏の感染者数を耳にするたびに外出するのがますます億劫になります。

 

10代の頃からインドア派だった私はひたすら漫画を読み、アニメを観て、たまに読書もしたり映画を観たりして過ごしていました。

それは30歳になった今でも変わらないのですが、明らかに変化(退化)したことがあります。それは「集中力」です。

少し難しいストーリーだったり、セリフや独白が長い漫画を読むのが昔に比べて辛くなっています。

だんだん面白くなっていくのかもしれなくても、最初の数秒〜数分で心掴まれないアニメは、1話を観終わる前に離脱してしまいます(大人気『鬼滅の刃』でさえ、一度それで離脱しています。再チャレンジして無事26話観終えましたが)。

 

「加齢により集中力が弱くなっている!」と最初は考えていました。

しかしよくよく思い返すと、私はそもそも生まれつきあまり集中力が高くないのかもしれないと気づきました。

大学受験の時、クラスメイトたちが1日7時間とか10時間とか勉強したという話を聞くたびに、どうやったらそんなに長時間勉強できるのか全く見当つきませんでした。

私は得意だった数学でもせいぜい試験時間の2、3時間が限界だったと思います。

 

しかし集中力というのは何も時間だけではないんですね。

2時間しか問題を解けないけど正解率100%の人と、7時間考え続けることができるけど30%しか正解できない人がいたら、私は前者の方が才能がある気がします。

そういった、集中力と才能について非常にわかりやすく解説されている漫画が『左ききのエレン』でした。

昨年末にKindle無料本になっていて、読んでみたらすごく面白かったです。

ジャンプコミックスになっているもう少し絵がきれいなバージョンもあるんですが、私はそちらがどうしても合わず読めませんでした。

上記に添付した原作版は、最初の数巻は絵がお世辞にも綺麗とは言えません。しかし、感情の生っぽさ、キャラクターの生き生きした感じが圧倒的で、ストーリーに引き込まれるのはこの原作版でした(巻数が進む中で絵もだんだん上手くなってます)。

映像化もされてるみたいですがそれも観てません。

 

この漫画は、大手広告代理店で若きデザイナーとして働く朝倉光一と、彼の高校の同級生で絵画の天才・山岸エレンの物語を軸とした、彼らを取り巻く魅力的なキャラクターたちの群像劇です。

 

光一の働く環境はまさに理不尽と葛藤が渦巻くサラリーマン世界そのもので、作品全体を通して格言や名言が散りばめられています。

その中でも最初に感心したのが、3巻で光一の元チームメイトでコピーライターのみっちゃんと、その上司・寺田さんが才能の正体について会話している場面です。

「オレが思うには

才能とは集中力の質だと思うーーー

(中略)

集中力は・・・

「深さ」「長さ」「早さ」 この3つの要素のかけ算だと思う

 

「深さ」は集中力の強度だな

「長さ」は集中力の継続時間・・・

「早さ」は集中に入るまでの瞬発力」

 

(かっぴー『左ききのエレン③』ピースオブケイク 2016.11.3)

「本の受け売りだけど」と寺田さんは言ってましたが、これって実在する誰かの理論なんでしょうかね。なるほど〜と思いました。

 

確かに何かの天才といわれる、いわゆる”プロ”の人たちは、対象に対してこれらの要素が非常に高いレベルで保たれていて、それゆえに集中力が高い。

自分がこれまでまあまあ集中力保てていたなと思う事柄(中高時代の数学、部活動の合唱や吹奏楽、習い事の茶道など)について3つの要素を考えてみると

  • 「深さ」・・・まあまあ深かった(古典とか他のことに比べると)
  • 「長さ」・・・どれも2、3時間が限界
  • 「早さ」・・・これは早かった。すぐに取り組める

という感じでした。

ちなみに今の仕事に関しては

  • 「深さ」・・・基本的に浅い。紐解いたり掘り起こしたりできない。表層だけ
  • 「長さ」・・・2時間もたない。1時間でも厳しいかも
  • 「早さ」・・・遅い。取り組むまでにものすごく自分を甘やかしてご褒美あげないと取り組めない

というわけで、今の仕事に対しての才能は多分あまりないと思われます。

 

勉強や仕事とはかけ離れた部分で、私が一番集中できるのはやはり物語に触れている時だと思いました。漫画でもアニメでもゲームでも、ストーリーに没頭すると上記の3つがグンと上がります。

よく覚えているのは高校生の時に読んだ『DEATH NOTE』、大学時代に観た『デュラララ!!』『コードギアス 反逆のルルーシュ』『HELLSING OVA』、フリーター時代に初めてプレイした乙女ゲーム『華アワセ 蛟編』などです。

  • 「深さ」・・・ご飯食べるのも忘れるレベル。眠らずにぶっ通しでストーリーを追ってしまう。目移りできない
  • 「長さ」・・・ストーリーが完結するまで続く。24時間を超えることも
  • 「早さ」・・・何の助走もいらない。一瞬

まあ物語に没入するのは受け身の動作が多く、基本的には観ているだけなので、そりゃあハードル低いですよね。別に才能とかいらないことなのかもしれません。

 

よく「夢中になれるもの・ことがほしい!」とか、「何かに一所懸命になりたい!」とか昔は考えていましたが、それは言い換えると「高い集中力を発揮できる対象を見つけたい!」ということなのでした。

 

結果的に強く集中できるものにはいまだに出逢えておらず、相変わらず無気力で退屈な人生を送っています。

しかし集中できないなりに、一体「深さ」「長さ」「早さ」のどれがボトルネックなのかということを考えるようになりました。

例えば今の仕事で一番集中力の足を引っ張っているのは「早さ」です。取り組むまでうだうだしていることが多い。夏休みの宿題になかなか手をつけない心情に近いです。

別に改善しなくても、お給料変わらないのでどうでもいいと思っていますが。

”才能”とか”売上”とか”魅力”とか、よく使うけど構成要素が多い事象を因数分解するのって、面白いし役に立つなぁと思いました。おわり。

金はひねくれたシワをのばすアイロン:『パラサイト』

先日、帰宅途中に怖い場面を見ました。

平日夜の帰宅ラッシュだったのか、人の往来が激しい駅の出口付近で

推定40代くらいの女性がうっかり前方を歩いていた年齢不詳の男性の踵を踏んでしまったのです。

するとその踵を踏まれた男性はものすごい勢いで女性を後ろ蹴りしました。

あまりの痛さに叫んだ女性でしたが、蹴った方の男性はイライラした様子で舌打ちをするとそのまま改札を出て行きました。

大柄な男性に蹴飛ばされたショックで女性は少しの間おとなしく歩いていましたが、

やはり許せなかったようで、走って駅員さんにことの顛末を訴えに行きました。

 

その後どうなったのか見届けていないのでわかりませんが、駅員さんも警察ではないし

蹴った男性は早足で姿を消してしまったし

示談というわけもなく、きっと何も清算できなかったのではないかと思います。

 

みんな余裕がないのかもしれないなぁとぼんやり考えました。

ただでさえ自殺者も増えているというこのご時世、不安が渦巻く社会のなかで、ちょっとした刺激にさえ過剰に反応しないと気が済まないのかもしれません。

 

では余裕とはどこから生まれるのか?

それがすべてとは言わないですが、お金によるところは大きいのではないかと、先日観た『パラサイト』を思い出しました。

パラサイト 半地下の家族(字幕版)

パラサイト 半地下の家族(字幕版)

  • 発売日: 2020/05/29
  • メディア: Prime Video
 

言わずと知れた名作。アカデミー賞を獲った韓国の映画です。

劇場公開時から観たいなぁと思っていたのにタイミングを逃しつづけ、今頃になって自宅で観ました。

度肝を抜かれる面白さに、通しで2回観ちゃいました。こんなこと初めてです。

 

あまりにも有名な作品ですが、念のためあらすじは以下。

 過去に度々事業に失敗、計画性も仕事もないが楽天的な父キム・ギテク。そんな甲斐性なしの夫に強くあたる母チュンスク。大学受験に落ち続け、若さも能力も持て余している息子ギウ。美大を目指すが上手くいかず、予備校に通うお金もない娘ギジョン… しがない内職で日々を繋ぐ彼らは、“ 半地下住宅”で 暮らす貧しい4人家族だ。

“半地下”の家は、暮らしにくい。窓を開ければ、路上で散布される消毒剤が入ってくる。電波が悪い。Wi-Fiも弱い。水圧が低いからトイレが家の一番高い位置に鎮座している。家族全員、ただただ“普通の暮らし”がしたい。

「僕の代わりに家庭教師をしないか?」受験経験は豊富だが学歴のないギウは、ある時、エリート大学生の友人から留学中の代打を頼まれる。“受験のプロ”のギウが向かった先は、IT企業の社長パク・ドンイク一家が暮らす高台の大豪邸だった——。

パク一家の心を掴んだギウは、続いて妹のギジョンを家庭教師として紹介する。更に、妹のギジョンはある仕掛けをしていき…“半地下住宅”で暮らすキム一家と、“ 高台の豪邸”で暮らすパク一家。この相反する2つの家族が交差した先に、想像を遥かに超える衝撃の光景が広がっていく——。

 

公式サイトより)

ほんっっっっとうに面白かった!!笑えてドキドキして、でも不気味で、最後になんとも言えない感情の涙が出ました。

感動というのでもない、悲しいともちょっと違う。実に不思議な感じでした。

すごくジメジメした作品なんですが、読後感というか、観終わったあとの心地は結構良いのです。ほんと、不思議。

 

冒頭の話に戻りますが、余裕の生成源としてお金の存在が大きいと思ったのは、劇中でキム家の母・チュンスクが放った一言が心に残ったからです。

「奥様は本当に純粋で優しい 金持ちなのに」

「”金持ちなのに”じゃなくて”金持ちだから”だよ 分かってんの?

はっきり言ってーー

この家の金が全部私のものだったら? 私は もっと優しいよ 優しい」

「母さんの言う通り 金持ちは純粋で素直だ 子どももひねくれてない」

「金はシワをのばすアイロンだ ひねくれたシワをピシッと」

「金はシワをのばすアイロン」、なるほど言い得て妙って思いました。

でもシワをのばすためには少額ではダメで、かといって高額でも泡銭ではきっとダメなんでしょう。

 

このシーンは、パク一家がキャンプに出かけて留守にしている晩に、キム一家がパク家の豪邸のリビングで酒盛りしているときの会話です。

同じ家で同じ冷蔵庫や食料庫から食べ物や飲み物を取ってきているのに、両家の食事の様相は全然違うんですよね。

キム家の酒盛りは”食い散らかす”という表現がぴったりの、雑然とした食卓です。酒もとにかく手当たり次第、高い酒でも瓶からラッパ飲み。

キム家は束の間の夢を見るような、その場限りの贅沢なので、さらにそうなってしまうのかもしれません。

まあ、仕事でもないのに洗い物を増やしたくない母の意向もあるのかもですが。

 

キム一家はどんなにパク家に寄生して高い給料を得ても、それを元手に堅実な人生を歩もうとは思わないんです。あればあるだけ金を使い、なくなってもっともっとお金が欲しくなる。

きっとキム家がどんなにパク家に寄生し続けてお金を得ても、パク家のような”天性の余裕”は生まれないんだろうなぁと思いました。

少なからず、騙している後ろめたさもあるでしょうしね。

 

***

 

キム一家がパク家のリビングで食い散らかしている最中、パク家の元家政婦・ムングァンが突然訪ねてきて、キム一家はショッキングな事実にぶち当たります。さらにムングァンに家族総出で詐欺を働いていることがバレて窮地に陥り、パク家にチクられる瀬戸際まで追い詰められるのをなんとか回避したも束の間、今度は荒天のせいでキャンプの中止と帰宅を余儀なくされたパク一家からの電話がきます。

パク家の唐突な帰宅をチームプレーでどうにかやり過ごし、家主たちが寝静まった豪邸から無事脱出したキム家の父と兄妹たち。しかし外は大雨と雷でひどい嵐です。

高台の高級住宅街からいくつもの階段を下り、ずぶ濡れになりながらなんとかたどり着いた自分たちの街は、海抜が低いせいで大洪水になっていました。

慌てて自宅に走るキム一家。半地下のキム家はもうほぼ水に沈みかけていました。

 

どうにか家を守ろう、大事なものを持ち出そうと汚水溢れる自宅を右往左往する父や兄とは別に、諦めの境地になった妹のギジョンは、自宅で一番高い場所にある洋式トイレの上に三角座りし、天井裏に置いていた煙草を取り出し一服します。この、ギジョンの絶望的な喫煙シーンがこの映画の中で一番好きです。

 

つい数時間前まで、高台の豪邸のゴージャスなお風呂に入って、高い酒を飲み、柔らかなソファの上でゴロゴロしていたのに。

一気に天から地へ引き摺り下ろされた感覚だったろうと思います。

ドブ水が氾濫するトイレでなす術なく、もう笑うしかないといった絶望と諦め。かろうじて手元に残った煙草は果たしてうまかったのだろうか・・・うまかったらいいなと思います。

 

この一連の流れを観ていて改めて思ったんですが、酒と煙草って低所得者のためにある気がします。パク家が煙草吸ったり酒をガバガバ飲む場面は全然なかったですが、キム家では酒も煙草も当たり前のように日常に馴染んでいるものとして描かれていました。

それがまた両家の対比を色濃くしているように見えました。

 

***

 

翌日のパク家のパーティーの場面も本当に胸がキュッとなる光景でした。

避難所の体育館ですし詰めの避難生活を余儀なくされたキム家でしたが、急遽ホームパーティーをすることにしたというパク家からそれぞれにお誘いや招集の連絡が入ります。寝不足の彼らは、避難所に寄付された服の山からどうにか身繕いをしパク家へ。

美しい庭で開かれる優雅な宴。仕立てのいい服を着た大人たちと可憐な子どもたち、教養を感じる音楽と高そうな楽器の演奏、ふわふわした犬、テーブルに並べられたご馳走の数々・・・。

窓からそれらを見下ろしたギウがぽつぽつと呟くのです。

「みんな優雅だな

急に集まったのにクールで すごく自然だ

ダヘ 俺は似合う?」

「何が?」

「似合ってるか? ここに」

何をどう偽装しても、絶対に超えられない壁があることをまざまざと感じるシーンです。まさに”住む世界が違う”。

 

身の程を知ることが大切なのはよくわかります。

絶対に超えられないのに壁を登ろうと無駄に足掻くのはみっともないというのもわかる。

けれど、上を見て悔しくて、その悔しさが捻れて卑屈になる気持ちも理解できるし、”ひねくれたシワ”ができてしまうのも仕方がないことだと思うのです。

 

少額の金じゃシワをピシッとはのばせないかもしれない。

泡銭じゃスチームが足らないかも。

それでも、ほんの少しシワがごまかせるだけでも、余裕のある佇まいに近づけるのでしょうか。

それとも本当はお金なんか微塵も関係なくて、温暖な気候と美しい海と甘いフルーツでもあれば、人間はみんな陽気で余裕たっぷりにいられるんでしょうか?

 

***

 

優雅なパーティーで突如大事件が起き、その後キム一家はそれぞれ離れ離れになって、それでもいつかまた一緒に暮らせる未来を思い描くところで物語は終わります。

お金も余裕もないかもしれないけれど、希望はあるから生きていける、そんな終わり方でした。

つまるところ、人が生きていくのに一番必要な心の燃料は「希望」なのだなぁと、今年何回めかの実感をしたのでした。おわり。

絶望したまま生活する:『心臓』

さらっと読めるけど心に傷跡をのこすような漫画に出逢いました。

心臓 (トーチコミックス)

心臓 (トーチコミックス)

 

結構前から気になってたんですが、なんとなくスルーしていた作品。

取引先からAmazonギフト券をもらったので購入してみました。

なぜ気になっていたかというと、作者の名前が”オクダアキコ”で好きな作家の奥田亜希子さんと漢字一文字違いだったので。それだけです。

 

『心臓』は短編集で、特にいいなと思ったのは2話目の「ニューハワイ」と最後の「神様」という話。

 

***

 

「ニューハワイ」は27歳古本屋バイトのなおちゃんの日記調の独白がメインです。

なおちゃんの高校時代からの友人・冬子は、DV彼氏にしょっちゅう暴力を振るわれてなおちゃんに泣きついてきます。

「通報しよう」となおちゃんが言うと、必死に止める冬子。

「私は私のやり方で彼のメンタルを救ってみせる」とニコニコして帰っていく冬子を”一人芝居でもしてるみたいで痛々しい”と評するなおちゃんの、一歩引いた冷めたスタンスが好感持てます。

 

ブックオフっぽい古本屋でのバイトの様子も面白いです。ズレた感じの変な男性客の描写とか。

ある日、年下の女の子バイトと年上の男性バイトが自分の話をしているところを立ち聞きしてしまう場面が特に好きです。

「なおさん?夢でもあるんじゃないっすかね」

「だからってこんなとこ2年もいます?」

「オレ4年」

「だって なおさんもう

27才っすよ」

(中略)

9月15日

陰口に

腹も立たない

私、人生のどの地点から ここまで自分に絶望してるんだろう

 

(奥田亜紀子「ニューハワイ」『心臓』リイド社 2019.7.30)

読みながら私も、自分にいつから絶望してるのか考えてしまいました。

 

実は大学生の頃一瞬だけ、なおちゃんみたいにブックオフでバイトしたことがあります。ブラックで1か月くらいでやめましたけど。

あの頃はもう自分に絶望してた気がする。となると、二十歳の時点でもう絶望してるなぁ。

 

物語はその後、大地震とかいろいろあって、さまざまな心の機微がありつつもなおちゃんと冬子とDV彼氏で熱海旅行に行ったところで終わります。

ざっと説明するとなんじゃそりゃ、と言う感じですが、いい話でした。

 

***

 

「神様」は四時子という女性と彼女の炊飯器やマフラーや靴などの付喪神として振舞う神様の話です。

あまり笑わない四時子には、学生時代に交通事故に遭って以来寝たきりの双子の妹・五時子がいます。

また、サトという彼氏もいて、サトは四時子を本気で好きで、結婚したいと思っています。

サトが本当にいい彼氏で、自分と結婚したがっていることもわかっている四時子ですが、五時子のことを言い訳にして自分が幸せになることを避け続けるんです。

「私 幸せはこれ以上要らない

・・・五時子が死んじゃう気がして」

 

(奥田亜紀子「神様」『心臓』リイド社 2019.7.30)

「ニューハワイ」も「神様」も、他の短編も、この作品に出てくる主人公たちはみんな自分や自分の人生に絶望しているんですね。

そしてそういう”自分や自分の人生に絶望している人”に強く惹かれる私自身に気づきました。

惹かれるというか、ひたすらに共感する感じ。

 

「幸せはこれ以上要らない」なんていうほど幸せではないんですが、この絶望を脱ぎ捨てられるイメージが全く湧かないです。

今までもこれからも、この絶望を背負って生き延びるしかないんだという諦念。

絶望したまま生活する疲労感と、その中で見出すあるかないかの小さな幸せ(熱海旅行に行くとか、面白い漫画に出逢うとか)をかき集めて記憶する作業。

そういう絶望人生にすごく共感して、なんとなく励まされ安心するのだなぁと思いました。

 

生身の人間が生きるろくでもない感じを、とても軽やかに表現した良作漫画でした。終わり。

『サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3』

村上春樹海辺のカフカ』が本当に好きなんですが、紙の本を所有するのがイヤで図書館に借りに行きました。

その時ついでに手にしたエッセイが面白かったです。

サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3

サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2012/07/09
  • メディア: ハードカバー
 

世界的にも有名な作家である村上さんが、文章について述べた下記の記述。めちゃめちゃ説得力あります。

僕にはとてもそこまで英雄的なできそうにないけど、でも文章を書くときには、できるだけ読者に対して親切になろうと、ない知恵をしぼり、力を尽くしています。エッセイであれ小説であれ、文章にとって親切心はすごく大事な要素だ。少しでも相手が読みやすく、そして理解しやすい文章を書くこと。

村上春樹『サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3』マガジンハウス 2012.7.9)

冬の河川に不時着し、救助のロープを女性に譲り続けて亡くなった銀行監査官・ウィリアムズさんの話から親切心について語った一説です。

村上さんの文章はbot化されるくらい特徴的な小気味いい文体で、私は好きです。あの文体を書く時、そういう心持ちなのか〜と感心しました。

時間もかかるし、手間もかかる。いくぶんの才能も必要だ。適当なところで「もういいや」と投げ出したくなることもある。

そんなとき僕はウィリアムズさんのことを考える。猛吹雪の中、ポトマック川の氷混じりの水に浸かりながら、まわりの女性に「お先にどうぞ」と言い続ける親切心に比べれば、机の前で腕組みして正しい言葉を探すくらい、大したことじゃないよなと思う。

(同上)

 

プレゼントについての話から文体について言及していた下記も得心です。

考えてみたら衣服というのは、小説家にとっての文体に似ているかもしれない。他人にどう思われようと、批判されようと、そんなことはどうでもいい。「これが自分の言葉で、これが自分の文体だ」と確信できるものを用いることで初めて、心にあるものを具体的なかたちにできる。どんなに美しい言葉も、洒落た言い回しも、自分の感覚や生き方にそぐわなければ、あまり現実の役には立たない。

(同上)

私はライティングの仕事をメインでやっているわけではないですが、これまで仕事で文章を書いて世に出したことはあるし、こうしてブログも10代の頃からずっと書いています。世の中を文章書く人と書かない人に二分するとしたら、書く人側に入ると思います。

けれど、自分の言葉とか自分の文体とかを意識したことはあまりなかったなぁと思い至りました。

 

仕事は別ですが、自分のブログは未来の自分が読者だと思って書いてます。私は自分の昔の日記を読むのがかなり好きです。

昔のエントリを読むと、すごく共感できる他人が書いた文章みたいで面白いのです。

今の自分と同じ考えのこともあれば、全然違っていることもあり、本当に別人が書いてるみたいに感じる時があります。それが楽しい。

ただ、仕事で文章を書くようになってから、少し読みやすさに注意することが増えました。自分の日記でさえも。

だからそれ以前の日記を読むと、ちょっと直したくなる時があります。面倒なのでそのままにしてますが。誤字脱字も補完して読めれば放っておいちゃいます。

 

自分の文体って、文章書く人はみんな意識してるんですかね?

文体とは違いますが、私の文章は強いて言えば一文がめちゃめちゃ長くなりがちです。駄目な文ですね・・・読みづらいです。英語の長文問題で、無理矢理直訳したみたいな日本語を書きがちです。

でも、自分だけにはすごくよく伝わることもあって、多分辞めることはないと思います。私のために書いているものに関しては、ですが。仕事では気をつけようっと。

 

***

 

村上さんの、生活に対するスタンスのようなものにもとても共感しました。

小説家になってよかったなと思うのは、日々通勤しなくていいことと、会議がないことだ。この二つがないだけで、人生の時間は大幅に節約できる。世間には通勤と会議がなにより好きだという人もひょっとしておられるのかもしれないが、僕はそうではない。

(同上)

テレワークといろんな画策のおかげで、最近の私も通勤と会議は結構減らせたかも。

 

僕が人に何か忠告を与える、というようなことはまずない。もともと「なるべく余計な口出しはするまい」という方針で生きているせいもあるけど、もうひとつには、これまで僕が何か助言をして、それで良い結果がもたらされた例をひとつとして思い出せないからだ。

(同上)

結婚を勧めた2組のカップルがどちらも離婚したエピソードは声出して笑いました。が、思えば私も自分の助言で好転した事象を一つも思い出せません。

さらに悪いことに私は結構お節介な質で、思ったことはわりとすぐ口出ししてしまうことがあります。「なるべく余計な口出しはするまい」。年取れば取るほど気をつけなきゃなーと思いました。年寄りって説教くさくなりがちですからね。

 

墓碑銘について考える話で引用された下記は、正確にはトルーマン・カポーティ『最後のドアを閉じろ』の作中の言葉だそう。

でも墓碑銘なんてなくても、もちろん全然かまわない。ゆっくり寝かせてもらえれば、それでいい。ただ自前の文章でなくてよければ、これがいいんじゃないかと思うものはある。

「何ひとつ思うな。ただ風を思え」

(同上)

英語では「Think of nothing things, think of wind」で、村上さんの最初の本『風の歌を聴け』のタイトルもここからつけたそうです。へぇ〜って感じでした。カポーティの本って、大学生の時に何か読んでピンとこなかった記憶しかないんですが、確かにこの一文はいいなぁと思いました。気分が波風立ってる時に脳内で唱えるようになりました。

 

あと最後に笑ったのが下記。

テレビにも一度も出演したことはない。僕はバスに乗ったり、あてもなく散歩をしたり、近所の店で大根とネギを買ったり、ごく普通に日常生活を送っている人間なので、道を歩いていて声をかけられたりすると面倒だ。だいたい「ねえねえ、お母さん、見てごらんよ。村上春樹がテレビに出てるわよ。ずいぶん面白い顔してるわねえ」なんてこと言われたくないですよね。どんな顔をしてようが僕の勝手だ。

(同上)

確かに!どんな顔してようが本人の勝手ですね。

でも私はテレビで村上さんの顔を見た記憶があります。海外の何かの席でスピーチしたニュースの時かな。卵と壁の話?でしたっけ?スピーチの内容は全然覚えてないのに村上さんの顔は結構覚えている気がします。やっぱり視覚情報って強いなぁ。

 

そんなわけで、尊敬するストーリーテラーの日常的な思考が想像以上に面白く、勉強になりました。おわり。