れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

『サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3』

村上春樹海辺のカフカ』が本当に好きなんですが、紙の本を所有するのがイヤで図書館に借りに行きました。

その時ついでに手にしたエッセイが面白かったです。

サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3

サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2012/07/09
  • メディア: ハードカバー
 

世界的にも有名な作家である村上さんが、文章について述べた下記の記述。めちゃめちゃ説得力あります。

僕にはとてもそこまで英雄的なできそうにないけど、でも文章を書くときには、できるだけ読者に対して親切になろうと、ない知恵をしぼり、力を尽くしています。エッセイであれ小説であれ、文章にとって親切心はすごく大事な要素だ。少しでも相手が読みやすく、そして理解しやすい文章を書くこと。

村上春樹『サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3』マガジンハウス 2012.7.9)

冬の河川に不時着し、救助のロープを女性に譲り続けて亡くなった銀行監査官・ウィリアムズさんの話から親切心について語った一説です。

村上さんの文章はbot化されるくらい特徴的な小気味いい文体で、私は好きです。あの文体を書く時、そういう心持ちなのか〜と感心しました。

時間もかかるし、手間もかかる。いくぶんの才能も必要だ。適当なところで「もういいや」と投げ出したくなることもある。

そんなとき僕はウィリアムズさんのことを考える。猛吹雪の中、ポトマック川の氷混じりの水に浸かりながら、まわりの女性に「お先にどうぞ」と言い続ける親切心に比べれば、机の前で腕組みして正しい言葉を探すくらい、大したことじゃないよなと思う。

(同上)

 

プレゼントについての話から文体について言及していた下記も得心です。

考えてみたら衣服というのは、小説家にとっての文体に似ているかもしれない。他人にどう思われようと、批判されようと、そんなことはどうでもいい。「これが自分の言葉で、これが自分の文体だ」と確信できるものを用いることで初めて、心にあるものを具体的なかたちにできる。どんなに美しい言葉も、洒落た言い回しも、自分の感覚や生き方にそぐわなければ、あまり現実の役には立たない。

(同上)

私はライティングの仕事をメインでやっているわけではないですが、これまで仕事で文章を書いて世に出したことはあるし、こうしてブログも10代の頃からずっと書いています。世の中を文章書く人と書かない人に二分するとしたら、書く人側に入ると思います。

けれど、自分の言葉とか自分の文体とかを意識したことはあまりなかったなぁと思い至りました。

 

仕事は別ですが、自分のブログは未来の自分が読者だと思って書いてます。私は自分の昔の日記を読むのがかなり好きです。

昔のエントリを読むと、すごく共感できる他人が書いた文章みたいで面白いのです。

今の自分と同じ考えのこともあれば、全然違っていることもあり、本当に別人が書いてるみたいに感じる時があります。それが楽しい。

ただ、仕事で文章を書くようになってから、少し読みやすさに注意することが増えました。自分の日記でさえも。

だからそれ以前の日記を読むと、ちょっと直したくなる時があります。面倒なのでそのままにしてますが。誤字脱字も補完して読めれば放っておいちゃいます。

 

自分の文体って、文章書く人はみんな意識してるんですかね?

文体とは違いますが、私の文章は強いて言えば一文がめちゃめちゃ長くなりがちです。駄目な文ですね・・・読みづらいです。英語の長文問題で、無理矢理直訳したみたいな日本語を書きがちです。

でも、自分だけにはすごくよく伝わることもあって、多分辞めることはないと思います。私のために書いているものに関しては、ですが。仕事では気をつけようっと。

 

***

 

村上さんの、生活に対するスタンスのようなものにもとても共感しました。

小説家になってよかったなと思うのは、日々通勤しなくていいことと、会議がないことだ。この二つがないだけで、人生の時間は大幅に節約できる。世間には通勤と会議がなにより好きだという人もひょっとしておられるのかもしれないが、僕はそうではない。

(同上)

テレワークといろんな画策のおかげで、最近の私も通勤と会議は結構減らせたかも。

 

僕が人に何か忠告を与える、というようなことはまずない。もともと「なるべく余計な口出しはするまい」という方針で生きているせいもあるけど、もうひとつには、これまで僕が何か助言をして、それで良い結果がもたらされた例をひとつとして思い出せないからだ。

(同上)

結婚を勧めた2組のカップルがどちらも離婚したエピソードは声出して笑いました。が、思えば私も自分の助言で好転した事象を一つも思い出せません。

さらに悪いことに私は結構お節介な質で、思ったことはわりとすぐ口出ししてしまうことがあります。「なるべく余計な口出しはするまい」。年取れば取るほど気をつけなきゃなーと思いました。年寄りって説教くさくなりがちですからね。

 

墓碑銘について考える話で引用された下記は、正確にはトルーマン・カポーティ『最後のドアを閉じろ』の作中の言葉だそう。

でも墓碑銘なんてなくても、もちろん全然かまわない。ゆっくり寝かせてもらえれば、それでいい。ただ自前の文章でなくてよければ、これがいいんじゃないかと思うものはある。

「何ひとつ思うな。ただ風を思え」

(同上)

英語では「Think of nothing things, think of wind」で、村上さんの最初の本『風の歌を聴け』のタイトルもここからつけたそうです。へぇ〜って感じでした。カポーティの本って、大学生の時に何か読んでピンとこなかった記憶しかないんですが、確かにこの一文はいいなぁと思いました。気分が波風立ってる時に脳内で唱えるようになりました。

 

あと最後に笑ったのが下記。

テレビにも一度も出演したことはない。僕はバスに乗ったり、あてもなく散歩をしたり、近所の店で大根とネギを買ったり、ごく普通に日常生活を送っている人間なので、道を歩いていて声をかけられたりすると面倒だ。だいたい「ねえねえ、お母さん、見てごらんよ。村上春樹がテレビに出てるわよ。ずいぶん面白い顔してるわねえ」なんてこと言われたくないですよね。どんな顔をしてようが僕の勝手だ。

(同上)

確かに!どんな顔してようが本人の勝手ですね。

でも私はテレビで村上さんの顔を見た記憶があります。海外の何かの席でスピーチしたニュースの時かな。卵と壁の話?でしたっけ?スピーチの内容は全然覚えてないのに村上さんの顔は結構覚えている気がします。やっぱり視覚情報って強いなぁ。

 

そんなわけで、尊敬するストーリーテラーの日常的な思考が想像以上に面白く、勉強になりました。おわり。