先日、帰宅途中に怖い場面を見ました。
平日夜の帰宅ラッシュだったのか、人の往来が激しい駅の出口付近で
推定40代くらいの女性がうっかり前方を歩いていた年齢不詳の男性の踵を踏んでしまったのです。
するとその踵を踏まれた男性はものすごい勢いで女性を後ろ蹴りしました。
あまりの痛さに叫んだ女性でしたが、蹴った方の男性はイライラした様子で舌打ちをするとそのまま改札を出て行きました。
大柄な男性に蹴飛ばされたショックで女性は少しの間おとなしく歩いていましたが、
やはり許せなかったようで、走って駅員さんにことの顛末を訴えに行きました。
その後どうなったのか見届けていないのでわかりませんが、駅員さんも警察ではないし
蹴った男性は早足で姿を消してしまったし
示談というわけもなく、きっと何も清算できなかったのではないかと思います。
みんな余裕がないのかもしれないなぁとぼんやり考えました。
ただでさえ自殺者も増えているというこのご時世、不安が渦巻く社会のなかで、ちょっとした刺激にさえ過剰に反応しないと気が済まないのかもしれません。
では余裕とはどこから生まれるのか?
それがすべてとは言わないですが、お金によるところは大きいのではないかと、先日観た『パラサイト』を思い出しました。
言わずと知れた名作。アカデミー賞を獲った韓国の映画です。
劇場公開時から観たいなぁと思っていたのにタイミングを逃しつづけ、今頃になって自宅で観ました。
度肝を抜かれる面白さに、通しで2回観ちゃいました。こんなこと初めてです。
あまりにも有名な作品ですが、念のためあらすじは以下。
過去に度々事業に失敗、計画性も仕事もないが楽天的な父キム・ギテク。そんな甲斐性なしの夫に強くあたる母チュンスク。大学受験に落ち続け、若さも能力も持て余している息子ギウ。美大を目指すが上手くいかず、予備校に通うお金もない娘ギジョン… しがない内職で日々を繋ぐ彼らは、“ 半地下住宅”で 暮らす貧しい4人家族だ。
“半地下”の家は、暮らしにくい。窓を開ければ、路上で散布される消毒剤が入ってくる。電波が悪い。Wi-Fiも弱い。水圧が低いからトイレが家の一番高い位置に鎮座している。家族全員、ただただ“普通の暮らし”がしたい。
「僕の代わりに家庭教師をしないか?」受験経験は豊富だが学歴のないギウは、ある時、エリート大学生の友人から留学中の代打を頼まれる。“受験のプロ”のギウが向かった先は、IT企業の社長パク・ドンイク一家が暮らす高台の大豪邸だった——。
パク一家の心を掴んだギウは、続いて妹のギジョンを家庭教師として紹介する。更に、妹のギジョンはある仕掛けをしていき…“半地下住宅”で暮らすキム一家と、“ 高台の豪邸”で暮らすパク一家。この相反する2つの家族が交差した先に、想像を遥かに超える衝撃の光景が広がっていく——。
(公式サイトより)
ほんっっっっとうに面白かった!!笑えてドキドキして、でも不気味で、最後になんとも言えない感情の涙が出ました。
感動というのでもない、悲しいともちょっと違う。実に不思議な感じでした。
すごくジメジメした作品なんですが、読後感というか、観終わったあとの心地は結構良いのです。ほんと、不思議。
冒頭の話に戻りますが、余裕の生成源としてお金の存在が大きいと思ったのは、劇中でキム家の母・チュンスクが放った一言が心に残ったからです。
「奥様は本当に純粋で優しい 金持ちなのに」
「”金持ちなのに”じゃなくて”金持ちだから”だよ 分かってんの?
はっきり言ってーー
この家の金が全部私のものだったら? 私は もっと優しいよ 優しい」
「母さんの言う通り 金持ちは純粋で素直だ 子どももひねくれてない」
「金はシワをのばすアイロンだ ひねくれたシワをピシッと」
「金はシワをのばすアイロン」、なるほど言い得て妙って思いました。
でもシワをのばすためには少額ではダメで、かといって高額でも泡銭ではきっとダメなんでしょう。
このシーンは、パク一家がキャンプに出かけて留守にしている晩に、キム一家がパク家の豪邸のリビングで酒盛りしているときの会話です。
同じ家で同じ冷蔵庫や食料庫から食べ物や飲み物を取ってきているのに、両家の食事の様相は全然違うんですよね。
キム家の酒盛りは”食い散らかす”という表現がぴったりの、雑然とした食卓です。酒もとにかく手当たり次第、高い酒でも瓶からラッパ飲み。
キム家は束の間の夢を見るような、その場限りの贅沢なので、さらにそうなってしまうのかもしれません。
まあ、仕事でもないのに洗い物を増やしたくない母の意向もあるのかもですが。
キム一家はどんなにパク家に寄生して高い給料を得ても、それを元手に堅実な人生を歩もうとは思わないんです。あればあるだけ金を使い、なくなってもっともっとお金が欲しくなる。
きっとキム家がどんなにパク家に寄生し続けてお金を得ても、パク家のような”天性の余裕”は生まれないんだろうなぁと思いました。
少なからず、騙している後ろめたさもあるでしょうしね。
***
キム一家がパク家のリビングで食い散らかしている最中、パク家の元家政婦・ムングァンが突然訪ねてきて、キム一家はショッキングな事実にぶち当たります。さらにムングァンに家族総出で詐欺を働いていることがバレて窮地に陥り、パク家にチクられる瀬戸際まで追い詰められるのをなんとか回避したも束の間、今度は荒天のせいでキャンプの中止と帰宅を余儀なくされたパク一家からの電話がきます。
パク家の唐突な帰宅をチームプレーでどうにかやり過ごし、家主たちが寝静まった豪邸から無事脱出したキム家の父と兄妹たち。しかし外は大雨と雷でひどい嵐です。
高台の高級住宅街からいくつもの階段を下り、ずぶ濡れになりながらなんとかたどり着いた自分たちの街は、海抜が低いせいで大洪水になっていました。
慌てて自宅に走るキム一家。半地下のキム家はもうほぼ水に沈みかけていました。
どうにか家を守ろう、大事なものを持ち出そうと汚水溢れる自宅を右往左往する父や兄とは別に、諦めの境地になった妹のギジョンは、自宅で一番高い場所にある洋式トイレの上に三角座りし、天井裏に置いていた煙草を取り出し一服します。この、ギジョンの絶望的な喫煙シーンがこの映画の中で一番好きです。
つい数時間前まで、高台の豪邸のゴージャスなお風呂に入って、高い酒を飲み、柔らかなソファの上でゴロゴロしていたのに。
一気に天から地へ引き摺り下ろされた感覚だったろうと思います。
ドブ水が氾濫するトイレでなす術なく、もう笑うしかないといった絶望と諦め。かろうじて手元に残った煙草は果たしてうまかったのだろうか・・・うまかったらいいなと思います。
この一連の流れを観ていて改めて思ったんですが、酒と煙草って低所得者のためにある気がします。パク家が煙草吸ったり酒をガバガバ飲む場面は全然なかったですが、キム家では酒も煙草も当たり前のように日常に馴染んでいるものとして描かれていました。
それがまた両家の対比を色濃くしているように見えました。
***
翌日のパク家のパーティーの場面も本当に胸がキュッとなる光景でした。
避難所の体育館ですし詰めの避難生活を余儀なくされたキム家でしたが、急遽ホームパーティーをすることにしたというパク家からそれぞれにお誘いや招集の連絡が入ります。寝不足の彼らは、避難所に寄付された服の山からどうにか身繕いをしパク家へ。
美しい庭で開かれる優雅な宴。仕立てのいい服を着た大人たちと可憐な子どもたち、教養を感じる音楽と高そうな楽器の演奏、ふわふわした犬、テーブルに並べられたご馳走の数々・・・。
窓からそれらを見下ろしたギウがぽつぽつと呟くのです。
「みんな優雅だな
急に集まったのにクールで すごく自然だ
ダヘ 俺は似合う?」
「何が?」
「似合ってるか? ここに」
何をどう偽装しても、絶対に超えられない壁があることをまざまざと感じるシーンです。まさに”住む世界が違う”。
身の程を知ることが大切なのはよくわかります。
絶対に超えられないのに壁を登ろうと無駄に足掻くのはみっともないというのもわかる。
けれど、上を見て悔しくて、その悔しさが捻れて卑屈になる気持ちも理解できるし、”ひねくれたシワ”ができてしまうのも仕方がないことだと思うのです。
少額の金じゃシワをピシッとはのばせないかもしれない。
泡銭じゃスチームが足らないかも。
それでも、ほんの少しシワがごまかせるだけでも、余裕のある佇まいに近づけるのでしょうか。
それとも本当はお金なんか微塵も関係なくて、温暖な気候と美しい海と甘いフルーツでもあれば、人間はみんな陽気で余裕たっぷりにいられるんでしょうか?
***
優雅なパーティーで突如大事件が起き、その後キム一家はそれぞれ離れ離れになって、それでもいつかまた一緒に暮らせる未来を思い描くところで物語は終わります。
お金も余裕もないかもしれないけれど、希望はあるから生きていける、そんな終わり方でした。
つまるところ、人が生きていくのに一番必要な心の燃料は「希望」なのだなぁと、今年何回めかの実感をしたのでした。おわり。