れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

命と尊厳は数値化できない:『ガヨとカルマンテスの日々』

今年も何度か映画館でいろんな映画を観た気がするのですが、ぱっと思い出せるほど記憶に残っていないんですよね。

そんななかかなりインパクトがあって、2日連続で映画館に足を運ぶほど惹きつけられた作品が『ガヨとカルマンテスの日々』でした。

初見の日はお酒も入っていたので大感動してしまい泣きました。

「もう一度観たい!」と思ってその場で次の日のチケットを取って、翌日も映画館に行きました。2日目は素面だったのでそれほど感動はなかったですが、印象深い場面や台詞のメモを取りながら観ました。メモしながら映画を観たのは初めてでした。

映画館の中って真っ暗なので、手元は見えず感覚で書いてたんですが、まあまあ読解可能な感じでした。

 

あらすじは以下。

米国国家財政破綻後の世界。為政者の喧伝装置となったマスコミによってテロ容疑を着せられたマルラは、余儀なく逃亡生活を送り、精神安定剤を片時も離せない日々を送っていた。一方、ルイスは移住資金捻出のため、闘鶏に人生を賭け、一発逆転を夢みる。

 

prime video 商品ページより)

メモをもとに思ったことを書いていきます。

 

・砂糖や貧困を野放しにする社会

砂糖の中毒性はいまでは広く知られていますが、なかなかやめられないのも事実。私もたぶん砂糖中毒です。

www.shinjuku-stress.com

おまけに砂糖をたっぷり使った飲料メーカーや製菓会社は多くのマスメディアの巨大スポンサーでもあるので、おそらくこれらが規制を受けることは今後も日本ではないんじゃないかなと思います。

このように、人々の健康に有害であることがわかっていても、自由経済に組み込まれているがために野放しにされているものはいろいろあって、そういうものは大抵高所得者よりも貧困層のあいだで大量に消費されるんですね。

ギャンブルでもアルコールでも、低所得者ほど中毒になりやすいのは世界共通です。

酒を飲むのもタバコを吸うのもコーラを飲むのも個人の自由、と言えなくもないですが、それに依存しては、せっかく手にしていたはずの自由も溶けて消えてしまう。

では、国民の健康を守るためにそれを規制できるのでしょうか?それとも、中毒者を増やして不健康経済を回したほうが税収は上がるのでしょうか(医療費も上がると思うけど)?国家はどちらの選択をするのが望ましいんでしょうね。

個人としては、有害物質からは距離を置いたほうがいいんでしょうが、これも人間の欲望システム的に結構難しいんですよね。ケーキを一口食べたらもう、美味しくて笑顔になっちゃいますもん。

 

・この国の威張った奴らが嫌い

主人公のマルラを助けた看板屋のおじいさんが言った言葉で、すごく共感したのでメモしました。

ニュースで見る政治家のおじいさん達も、いままで学校や職場で出会ってきた中年男性達も、どうしてああもいけ好かないやつらばかりなのだろうと思っていましたが、その一つの答えを発見した気がしました。そうそう、なんでかみんな無駄に威張ってるんですよ。私もこの国の威張ったやつらが嫌いです。

 

・本物は広告しない

これもどうかな~とちょっと思いましたが、でもやっぱりそうかもと思い直した一言でした。

いいものを作っても上手に宣伝しなければ売れないとも考えていましたが、これだけインターネットで世界が繋がっていると、大事なのは宣伝の仕方ではなく、如何に最初の1人に届けられるかだけかもしれません。

昨今は、よさそうなものでも、広告を見て白けてしまうことが増えてきました。なんなら、その広告に加担しているいわゆる"インフルエンサー"にも白けてしまったりします。

 

ソーシャルメディアはコカインより中毒性がある

本当かどうか調べてないですけど、まあその可能性もあるなと思った言葉でした。

先月か先々月くらいに、LINEでたまに話すアメリカ人看護師が、心の安定のためにはソーシャルメディアは全部やめるべきだと言っていたのを思い出しました。人は意識的にも無意識的にも他人と自分を比べてしまうもので、それが精神的不調のトリガーなのだと。仰る通り。

 

・この国に産業があるか?大国の保護下、庇護下/成長こそ第一?

この映画はアメリカが財政破綻した後のキューバというのが舞台なんですが、今の日本を重ねることもできる世界観でした。自国で産業が育っていないことって、本当に未来を暗くしますね。国を開いて大国の庇護下に入ったところで、それはまるで生殺与奪の権を明け渡してしまうようなものです。

さらに、産業を起こしたとして、各企業がひたすら成長を追い求めた結果が今の環境問題や奴隷問題なわけで、なんとかしなければならない一方これよりうまく行っている新しい仕組みがまだないのも事実。今が本当に時代の転換点だなと感じました。

 

・人は誰でも前向きだし後ろ向き、真面目だし破天荒、人はどちらかに決めつけたがる

これは最近の私の信条になりました。本当そうだな、と思いました。

その日の健康状態や環境の変化、起こった出来事や人との出会いによって人の性格特性は常に変化します。もちろんある程度考え方の癖や傾向はありますが、一つの側面に決めつけるのはやはり乱暴ですよね。決めつければ色んな判断が楽になるので、気持ちはわかりますけどね。あらためて気をつけようと思いました。

 

・人は自分の物語を探してる、だがそんなものはない、時間が過ぎるだけ

自分探しとかしてる人に伝えたい言葉でした。笑

 

・やることがなきゃ地獄?彷徨い続けるのは苦しい?

私の人生は基本的に何にもやることがないんですけど、この苦しさはそれとは関係があるのかないのか。正直よくわからないけど、気になったトピックでした。

 

・体も心も動かない年齢

最近本当にフットワークが重くなっているのを実感したので、この言葉はずしんときました。もちろん60歳でも80歳でも元気な人はいますが、相当意識して気をつけないと、まじで体も心も動かなくなります。まあ、動じないという側面もあるかもしれませんが。

 

・その縁を信じるか無視するか、運命や縁を感じるか、気づくか

私は相変わらず孤独な人生を送っており、今まで特に運命や縁を感じたことはないのですが、そういうのってあるんですかね。私が気づかなかっただけ?それとも本当に存在してない?うーん。

 

・人は目先のお金のために生きてるんじゃない

うーーん確かにそうあるべき?と思いつつも、結果的に目先のお金のために生きてるような人っていっぱいいる気がしました。私は誰のためにも何かのためにも生きてるつもりはなくて、ただ死ぬ時の痛みが怖くて念のために生きてるだけなんですが、イコール目先のお金のために生きてると言えなくもない?

 

・人の命や尊厳は数値化できない

これは初見で見たとき一番印象に残った言葉でした。この映画を見てから「尊厳」というものについて考えるようになりました。私はそれを「人間として扱われる権利」みたいなニュアンスで考えています。まだまとまってないですけどね。

 

・民主主義をマスコミが書き換えている、資本家のしもべ

・ビルの高さ、軍事力 ≠ 豊かさ

・情報操作、分断

・権力は虚構

・人種や資産の違い

・自由の名を借りた奪い合い

終盤は明確な新自由主義へのアンチテーゼになっていきます。現代社会に感じる違和感をガンガン炙り出していくような感じでした。

豊かさとは何なのかを自分の頭で考えていかないと、勝手に煽動されて特定の価値観を植え付けられてしまうなぁと思いました。多分、人々のマインドを悪質な方に変えるのって、想像以上に簡単なんですよね。善良にするのは難しいのに。

 

・誇り高く高貴な人で国であろう

「誇り」というものも最近気になるワード上位です。

先日とあるパリ在住の日本人YouTuberさんが「自分の仕事に誇りを持って働いているウェイターさんがいるレストランは感じがいい」というようなことを言っていて、誇りを持つってそういうことなのかと思ったんですよ。

ところが先日、旅先の図書館でたまたま読んだ中島義道氏の新書に「誇りを持つということは、他者を見下すことと紙一重」みたいな言説があって、それも納得いく話で、必ずしもいいものでもないなとも感じました。

まあいずれにせよ、私が自分や自分の仕事に誇りを持つことは未来永劫なさそうですが。

 

・視聴率、テレビは本当もそうじゃないことも、ソーシャルメディアは都合の良いことだけ

・本当のことは自分で探しにいくしかない

まさにそうだなぁと。ここ数年本当にフットワークが重くなって、旅行にいきたい気持ちが萎んで、他人のvlogで満足してしまう体質になっちゃってるんですが、所詮自分の目で見たものではないですから、結局なんの血肉にもならないんですよね。

本当に知りたいことは、自分が動いて見にいくしかないんだ、と当たり前のことを再認識したのでした。

 

・権利とは生命、自由、幸福の追求

・小さな幸せを大切にすること

幸福の追求…幸せになりたいわけじゃないと言っても、あんまり信じてもらえないですが、幸福を追求すること自体が苦しく感じます。幸福に限らず、何かを求めることそれ自体が苦痛。

不幸になりたいわけでもないんですが、なんかもう勝手に幸せを感じたり不幸になったりするんですよね。

しかも幸福ってつまるところセロトニンとかそういう物質的世界に言い換えが可能なわけで、それを生命とか自由とかと同列に並べるとだいぶ違和感はあります。

でも、寒空の下一口食べた、温めたチョコレートチャンクスコーンが想像以上に美味しかった時、幸せを感じたんですよね。つまるところ幸せなんてその程度で、不幸の無数のバラエティ性に比べたら本当に小さなもので、それを大切にすることは生きやすさに繋がるのかも?

 

・民主社会主義、自由と信仰

新自由主義批判の末に行き着いた新たなアイディア「民主社会主義」。

社会主義がそのままではあまりうまくいかないことは歴史が証明していると思いますが、資本主義の"自由の名を借りた奪い合い"の末に今色んな問題が起こっているのを見ると、大衆に好き勝手やらせるよりは、マイルドな社会主義の方がありなのかも?とか思っちゃいますよね。マイルドな、というのが詰めようとすると大変そうですが。

そして信仰。政教分離というものも、つまるところ新自由主義が力技で信仰をねじ曲げた結果ですよね。そして金銭的豊かさが手に入ると、いつの間にか"消費教"とも言える、新自由主義の信者になってしまうという…。

 

***

 

つらつらと書いてきましたが全然まとまらないですね。でも、いくつも思考の種を手に入れたような気持ちになる映画でした。

そしてカリブ海の陽気な雰囲気が見ていて楽しい映画でもありました。あー暖かいところに行きたい。おわり。