ノンフィクションでこんなに面白い本を読んだのは久しぶりかもしれません。
現代英国の労働者階級社会で生きる著者とその家族・友人たち(主にベビー・ブーマー世代のおっさんたち)をユーモアたっぷりに描いたコラム集『ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち』。
EU離脱(ブレグジット)の国民投票で若い妻と喧嘩になり、仲違いを治めるために「平和」と刺青するはずが「中和」と彫ってしまった元修理工のレイ、
NHS(英国の国民保健サービス)と労働組合に熱い思いを抱く配送ドライバーのサイモン、
眼光鋭くいつも同じマッドネスファンな格好をしていて、図書館の公共サービスを執念的に利用する大型スーパー店員・スティーヴなどなど、個性豊かで人間くさい登場人物がたくさん出てきます。
一つ一つのエピソードは短めで読みやすいテンポで綴られていますが、どの話もとてもドラマティックで非常に物語的な余韻を残すものばかりでした。小説よりも小説っぽいくらいストーリーが精巧で豊かなのに、これが全てノンフィクションで、彼らが自分と同じ現代世界に生きているなんて、すごいとしか言いようがない感じがします。
特に好きなエピソードは、NHSで長年看護師として働き、のちに早期退職したローラとその夫・マイケルの話です。
子供を持たなかったローラたち夫妻は、ともに仕事を早期リタイアして旅行をしつつ悠々自適に過ごしていました。
しかしマイケルは膝を悪くして車椅子生活となり、習慣にしていたラグビーができなくなるとぶくぶく太って肥満おやじ化してしまいます。
一方ローラはマイケルのサポートをするうちにますますほっそり若々しくなり、二人は「美女と野獣」と言われた過去を通り越して「娘と要介護の父親」状態に。
著者をはじめ周囲の人間が内心「マイケルのどこがいいの?」と疑問に思っていたけれど、ローラは妖精のように優しく微笑みながらこう話します。
「私が彼を好きなのは、彼ほど私のことを好きな人はいないからよ」
(中略)
「彼と出会うまで、いろんな人と付き合った。でも、彼みたいに無条件に、何があっても、私がどんな顔をしてどんなバカなことをしても私を好きでいてくれる人はいなかった。そこまで好かれたら、好きになり返すしかないもの」
著者が「それは詰まるところ自分のことが好きということでは」と指摘すると、ローラは笑って「そうかもしれない」と返します。
けれど、私はこれはまさに愛の究極形なんじゃないかと思いました。
その後の著者の考察がまたいいんですよね。
(前略)不釣り合いとか、似合わないとか言うのはまったく的外れな観察なのだろう。誰かの幸福の前には、すべての既成概念は瓦解する。
(同上)
そして一緒に遊びにきたジャズのフェスで、ジェイミー・カラムが「グラン・トリノ」を歌いはじめたとき、熟睡しているマイケルに優しくキスするローラの描写が最高に美しいです。なんて文学的なんだろうと感動しました。
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人間ドラマが熱いコラム集ではありますが、どのエピソードからも浮かび上がるのが英国の階級社会と格差、世代間ギャップ、不景気などの社会情勢です。
戦争で負けたことがなくて、私から見ると”なんだかんだ言っても真の先進国”って感じがする英国ですが、どこの国にも何かしら問題はあるんですね。何もかも上手くいく人生がないように、問題のない国というのもやっぱりないんだなと、当たり前のことを再認識しました。
かつて上流・中流・労働者の3つに分かれていた階級は、今や職業と収入に加えてソーシャルな側面や文化的側面まで加味し、さらに細分化されていると言います。
さすがだなと思ったのは、どの階級にいても皆それぞれ、政治に対して己のポリシーを持っていて、それをオープンに対話するのが日常になっているところでした。
パブの一角で次の選挙でどの政党を選ぶか悩んだり議論したり、時にはプチ演説したりして(立候補者ではなく投票者が演説するという情熱がすごい)、非常にオープンに自分の考えを話すことができるなんて、成熟した社会だなぁと思いました。
我が日本でもつい先日衆議院選挙がありましたね。
SNSではかつてないほどいろんなインフルエンサーが「選挙に行こう!」と声を上げ、選挙割を実施するメーカーやお店も多々出てきていました。
でも、「私はこういう考えで、こういう政策を望んでいるからこの政党に入れる」とか「この公約は絶対反対!だからあの政党には入れない」とか「この問題についてはこういうスタンスなんだけど、どの政党とも考えが違うから迷う・・・」とか、日常会話で話すことはそんなに多くなかったんじゃないかと思います。
相手との距離感にもよるけど、政治について自分の意見を表明することに、(私も含め)多くの日本人がまだまだ抵抗を持っている気がします。考えてみれば家庭内でもあんまり話されてこなかったなぁ。「うちは代々〇〇党に入れてる」という英国人は結構いるらしいです。
コロナ禍で社会に対する不満が膨らんだのもあるけど、現代はそもそも未だかつてないほどソーシャルな時代ですよね。だからSDGsとかエシカルとか、ソーシャル・グッドなことがクールとされ、社会問題に関心を持ったりアクションを起こしたりすることがかっこいいとなる。
これからもっと、誰もが政治について話すことが日常的になって、誰もが自分の意見を表明することが当たり前の時代になっていくといいなと思いました。
そういうことができる社会イコール自由な社会、ですからね。
「もう私は自分の国には住めないだろうと思う」とベトナム人の女の子が言っていたのをわたしは思い出していた。
「英国はあまりに自由で、何をしても、どんな格好をしても誰も気にしていないし、何も言われないから好きなように生きられる。でも、ベトナムはそうじゃないから」
(同上)
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先日選挙が終わって、革新派を推していた若い人たちが絶望の気持ちをtweetしたものをよく見かけました。
昔から自分が投票した人がだいたい落選する私も、毎回それなりにがっかりするものです。
でも、選挙はきっとこの先まだまだ何度もあります。
「まあなー、でも死ぬこたあねえだろ。俺ら、サッチャーの時代も生きてきたし」
と連合いは言う。
そりゃそのとおりだ。英国のおっさんたちは、スウィンギング・ロンドンも、福祉国家の崩壊も、パンク時代も、サッチャー革命も、ブレアの第三の道やイラク戦争も、金融危機も大緊縮時代も見てきた、というか、乗り越えてきた。
政情がどうあろうと、時代がどう変わろうと、俺たちはただ生き延びるだけ。
彼らを見ていて感じるのは、そんないぶし銀のようなサバイバル魂だ。
(同上)
社会のあり方について考えたい人にも、面白い短編集を読みたい人にもおすすめできる良著でした。おわり。