れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

意志と正しさ:『十二大戦』

観ていたアニメが次々と最終回を迎え、年の瀬を感じます。

クリスマスイブですが、干支の話を・・・もうすぐお正月ですし。

十二大戦 BDBOX [Blu-ray]

十二大戦 BDBOX [Blu-ray]

  • 発売日: 2018/12/21
  • メディア: Blu-ray
 
十二大戦

十二大戦

  • 作者:西尾 維新
  • 発売日: 2015/05/19
  • メディア: 単行本
 

十二大戦』、アニメがこの秋から冬にかけて放送されており、楽しく視聴しておりました。

原作は西尾維新先生ということで、物語シリーズ戯言シリーズなどでおなじみの天才、この作品も例に漏れず大変面白かったです。

アニメ終盤で「これは・・・!」と思わず記録したくなるようなシーンがあったので、原作も読むことにしました。原作もとてもいいです。西尾先生の作品の中でも非常に読み易いタイプでした。

 

物語は、12年に一度開催される世界的な代理戦争の話です。

干支を冠した十二家のそれぞれの代表が命をかけて戦う裏では、国家間の領土が賭けられているというもので、戦っている戦士たちはそのことを知りません。

戦士たちはそれぞれの事情、それぞれの思いを携えて戦地に集結します。

優勝した最後の1名に与えられる賞品は「どんな願いでもたったひとつだけ、叶えることができる」権利。

 

亥から割とあっさり死んでいき、最初はびっくりしました。

そのあとも、戌、酉、申、未に午と、それぞれの過去の描写を挟みながらもそれぞれが命を落としていきます。

そして最後まで残ったのは卯、寅、丑、子・・・。

 

私が心を打たれたのは寅の過去編です。

寅の戦士ーーー姶良(あいら)香奈江(かなえ)。彼女は元々武門の家系の娘で、真面目で純粋な女の子でした。

様々な格闘技の造詣が深く、正義感の強かった彼女は戦地でも大活躍していましたが、正義のために戦っているはずが、自分が赴くことで戦争を活性化させている矛盾にうまく向き合えずに、いつしか彼女は酒に溺れ、道を外れることになります。

さらに悪いことに、彼女は酔えば酔うほど強くなる酔拳の使い手となりました。

自暴自棄になり酒に溺れる少女の姿は、人間の簡単に転落する様子を巧みに描いていると思いました。

真面目で健全だった少女は、不真面目で不健全な大人になったーーーあるいは単に、『大人になった』。それを成長と呼ぶことも、ひょっとしたら可能なのだろう。こんなのはただの、ありふれたくだらねー挫折だと、自分でも思った。 

そんな酒に溺れた自堕落なある日、とある戦地でとある戦士に出会います。

破れかぶれの適当な戦いでへたっていた彼女の前に現れたのは、”皆殺しの天才”と称される丑の戦士・失井(うしい)でした。

寅を酒を無理やり飲まされた一般人の少女と勘違いした丑は、正しさと潔さと美しさを兼ね備えた完璧な剣筋で寅を助け出しました。

寅はかつて、まだ健全だった少女の時の憧れを具現化したような丑の戦士の振る舞いに胸を打たれました。そして彼女は丑に、「どうすればそんな正しいことができるのか。迷わず、不安を感じず、間違わずにーー正しいことができるのか」を、たどたどしくも訊いてみました。

この時の丑の回答をアニメで観た時、寅と同じく私も胸を打たれました。打ちひしがれました。

「まず、正しいことをしようとするだろう?」言って、鞘にしまったサーベルに手をかけた。「次に、正しいことをする」鞘から刃を、居合のように抜いた。「以上だ」①正しいことをしようとする。②する。

(中略)

「わかったかね?つまり、正しいことというのは、しようと思わなければ、できないということなのだがね」(中略)「人は、なんとなく、間違う。流れにそって、悪へと堕ちる。理由もなく、思想もなく、思い切りもなく、気付いたときには、当たり前のように、『道』を誤るものだ。しかしね、それに相反して、『気付かないうちに正しいことをしていた』とか、『いつのまにか善行を働いていた』とか、『うっかりいいことをしていた』とか、そういうことはないーー絶対にない。意志がなくては正しさはない。正しい行動には、正しい意志が不可欠なのだ。正しいことは、しようと思わなければ、できないーーもしもきみが正しいことができなくて苦しんでいるのだとすれば、それはきみが、正しいことをしようと思っていないからだ」

この、バケツの中の冷水を顔面にぶっかけられたような容赦のない正論は、しかしこれ以上ないくらい目覚ましに効果的でした。酔いもさめるほどの天才の理論です。

さらに追い討ちをかけるように丑は畳み掛けます。

「正しいことを、しなくていい理由はいくらでもある。迷う材料は山ほどあるし、不安材料も、売るほどある。人のせいにするのもいいし、社会のせいにするのもいいだろうーー時代のせいにだって、運のせいにだってできる。だが、正しいことをしていない人間は、できないのではなく、やらないだけだということを、自認すべきだがね。きみもまったく、無理に正しいことをしなくてもいいが、それは、できないわけではなく、やらないことを選んだのだということを、ゆめゆめ忘れぬことだ。正しき者はみな、①すると決めて、②する。きちんと段階を踏むことだーー①の段階にいながらにして、②を悩むのは、愚の骨頂だがね」 

寅は丑の持論にいたく感銘を受け、この日から寅の心の中には目標にしたい師匠ができました。そうしてその師匠ーー丑にもう一度会いたくて、此度の十二大戦に参戦したのでした。

 

この大戦での丑と寅のくだりは非常にドラマチックでした。二人で力を合わせて卯の戦士を倒したのに、そのあと卯の戦士のウォーキングデッドに攻撃されて、丑をかばった寅は深い傷を負ってしまいます。そのあとの、初めて取り乱す丑がまたいいんですよねぇ。アニメの丑のキャラクターボイス梅原裕一郎さんで、これまた最高なんですよ。今年はいいなと思うアニメキャラのCV.梅原裕一郎率が大変高かったです。

寅が死んで、丑も申のウォーキングデッドに死の淵に追いやられるのですが、そこで丑も昔寅に話した上記の記憶を思い出すんですね。寅とは気づいていないのですが、丑にとっても、昔少女に説いた正しさの自説は心に残る出来事だったのです。

そして「ずいぶんと偉そうなことを言ったものである」と振り返る・・・ああ、素敵です。丑と寅の、恋愛とも友情とも違う、恩人というような、運命というような、不思議な縁と互いを思い合いつつも、微妙にすれ違う関係。実にドラマチックで切なくて素晴らしいです。

 

まあ、最後はまとめて子の戦士が爆発させて子が優勝したんですが、そのあとの話もなかなか面白かったです。それはまた別の話で、そちらもいつか記録しておきたいですが。。

 

丑の正しさに関する持論は、正しさ以外にも適用できると思いました。

本当、間違うのは簡単です。堕落するのも道を外れるのも、いとも容易くできてしまう。

正しいことも、いいことも、自分のやりたいことも、成し遂げるには意志の力が必要不可欠なのですね。

大学で健康心理学の講義を受けていた時に、先生が「ネガティブは感情、ポジティブは意志」とよく言っていたのを思い出しました。

私がついつい後ろ向きな思考に走ってしまうのは、ひとえに意志が薄弱なためなのでしょう。

「①すると決めて、②する。」ーーー来年の座右の銘にしようかな。なんて・・・

 

ちなみに、原作を読んで知ったのですが、丑の戦士と同じ誕生日でした。ちょっと嬉しい。丑の本名は樫井栄児さんというそうです。身長は181センチもあるんですって。かっこいい〜。そんでもってCV.梅原裕一郎なんて、最高〜。おわり。

まさかの想起:『クジラの子らは砂上に歌う』と天下り

以前、登場人物「オウニ」のかっこよさについて綴った梅田阿比クジラの子らは砂上に歌う』のアニメ最新話を見て

これまでと全く違うことを考え、自分でその思考にちょっとびっくりしたので記録したいと思います。

letshangout.hatenablog.com

先日放送されたアニメ第11話「夢の話だ」では

主人公たちの暮らす孤島”泥クジラ”の中での2つの人種とそのありかたについて描かれていました。

 

泥クジラの民は、サイミアという超能力が使える”印(シルシ)”と、サイミアが使えない”無印(むいん)”の2種類の人種がいます。

印はサイミアを使って戦うことも、農作業を効率良く行なうことも力仕事もできますが、無印は我々と変わらないただの人です。

そして、印はサイミアを使える代わりに皆短命で、無印は総じて長寿です。

なので、泥クジラの政は代々無印がおこなってきました。印が長となってしまっては、代替わりが早すぎますし。

 

しかし、泥クジラの首長となる無印はただの無印ではありません。

「印のことを誰よりも大事に思うことのできる」無印なのです。

 

現在泥クジラの首長であるスオウは、幼いころから印の短命を治そうといろんな実験をしてきた生粋の印思いの無印でした。妹のサミが印なことも影響していたかもしれません。

先代の首長であるタイシャ様も、やはり誰よりも印の短命を嘆き、印の幸せを願う無印でした。

印たちも、自分たちを大事にしてくれる首長を尊敬しており、泥クジラはサイミアを持つものと持たざる者が絶妙なバランスで互いを敬い平和に暮らしていました。

 

ところが、そこに帝国の奇襲から始まる戦争の脅威がやってきました。

どうしてもサイミアという圧倒的な力を持つ印たちに泥クジラの民は頼らざるをえず、対して無印は戦では足手まといになるため身を隠すことしかできない。

印たちはその能力を単純に身体的な差異としか考えないので、特に疑問も持たず最前線で戦いました。

そして印は多くの命を落とし、無印で死んだのは長老会の老人1人のみ。

その事実に疑問を呈し、印による印のための政治を目論む双子の少年・シコンとシコクが集会を開き印たちをけしかける場面が、アニメ11話の終盤でした。

 

原作の漫画も読んでおり、話の流れはわかっていたのですが

今回改めてアニメを観てはじめて、自分の職場のことを想起してしまいました。

 

私が現在働いているのは某マスメディアで、社長を始め取締役会の役員たちは皆、役所や地銀や他のマスメディアから天下ってきたオジサンたちばかりです。

彼らは定年を過ぎてから、全くの異分野であるこのマスメディア企業へやってきて、使いこなせないパソコンの前で昼寝したり、無駄に長い会議をしてみたり、思いつきで会社の方針を決めたりしながら、何十万円もの月収と役員報酬と何百万円もの退職金を吸い上げていきます。

現場のことは何もできない・何も知らない60歳を過ぎたオジサンたちが、会社の大事なことや社員の報酬などについて決定を下すことに、部長をはじめとするプロパーの社員や契約社員、外注の制作会社の人々たちも不満でいっぱいです。しかし、もともと天下り先として立ち上げられた会社なので、大赤字をこいて回らなくなるまでおそらく今の体制は変わりません。もしかしたら、倒産しかけたところで役所が税金を遣って救済してしまう恐れすらあります。

 

2〜4,5年単位でコロコロ変わる腰掛けの天下り役員たち。

そのほとんどが、偉そうな口だけ叩く使えないオジサンとして社員たちから嫌われるわけですが、稀に”いい人”として名を残す役員も存在します。

「あの人はいい役員だった(もしくはマシな役員だった)」と言われる人の特徴は下記です。

  • 現場の社員も顔負けなくらい仕事ができる(パソコンスキルが凄かったり、制度を合理的に変えたり)
  • 社員に対して羽振りがいい(おごってくれる、いいお土産を買ってくれるなど)
  • 社員の意見を真摯に訊いて、場合によっては取り入れてくれる・対応してくれる

これです。

 

一緒にしたら怒られるかもしれないし、そういうことではないと思われるかもしれませんが、

今回『クジラの〜』アニメ11話を観て、憤りで声高らかに反旗を翻そうとする印の双子・シコンとシコクが、会社の同僚たちと重なって見えてしまいました。

会社の人たちだって、役員がみんなスオウやタイシャ様みたいに、自分たちのことを心から思って尽くしてくれる人々ならば、もうちょっと仲良く頑張ろうと思うのかもしれません。

しかし、現実にそんな役員は現在いません。

 

社員が稼げば稼ぐほど役員報酬が弾み天下りはウハウハ。

社員の給与は定額で歩合制ではないので、頑張っても頑張んなくても手取りは変わりません。

社員がバカバカしい気持ちになるのもわかります。

若い社員が数年で辞めていくのも理解できます。

私だって・・・と思います。

 

こんなことを考えて、最近しみじみ思うのですが

同じ作品でも、何度も読み返したり、違う媒体(漫画とアニメ、漫画とドラマCD、アニメと小説など)で多方面から鑑賞すると

違った見方や新しい視点が宿ったりするんですね。

物語って奥が深いなぁと感じました。おわり。

愛の「おとぎ話」の贈り物:『大正×対称アリス HEADS & TAILS』

今年は乙女ゲームを何作品もプレイした年でした。

PS Vitaを購入して1番最初にプレイした『大正×対称アリス』の感想も書きましたが、今月発売されたそのファンディスク(続編)がこれまた大変素晴らしく、この感動をどうしても書き留めたいと思いました。 

大正×対称アリス HEADS & TAILS - PSVita

大正×対称アリス HEADS & TAILS - PSVita

 

大正×対称アリス』は、主人公の有栖百合花17歳が、幼い頃に出会った初恋の相手・アリステアの精神疾患を独自の方法で治療し、オーバードーズして昏睡状態だったところから救い出す様子を大変ドラマティックに描いた傑作でした。

そしてそのファンディスクとなる今作『大正×対称アリス HEADS & TAILS』は、前作でサブキャラクターであった主人公の兄・有栖諒士と主人公の友人・大神ゆうき君を主軸に置いた別サイドの物語と、前作のその後を描いたアフターストーリー、そしてパラレルワールドの”学園アリス”編が楽しめます。

メインの有栖諒士編と大神ゆうき編は、まさに物語の”舞台裏”であり”真相”と呼ぶにふさわしい内容でした。

 

今作をプレイして、あらためて百合花のただならぬアリステアへの愛情を目の当たりにした感じです。

壮絶で過酷な運命をたどり、その過程で重度の多重人格となってしまったアリステアと、そんなアリステアをどうしても助けたくてもがく百合花や彼らを放っておけない諒士と大神が、皆不器用ながらも愛おしく、ゲームをプレイする中で繰り返し「愛とは何か」と考え込んでしまいました。

この作品の登場人物は、大神くん以外は総じて親や家族からの愛を感じずに育ちました。

アリステアもとい彼のいろんな人格は、母の過保護な愛情が若干あったかもしれませんが、愛とは程遠い環境で育った人ばかり。父に捨てられたシンデレラ、学校に行かせてもらえず閉じ込められていた赤ずきん、母親の腐乱死体と暮らしていた白雪、心ない親類の間をたらい回しにされたかぐや、などなど・・・。

主人公の百合花やその兄の諒士も、金銭的な援助は惜しみなく注がれていますが、ふれあいはほとんどなく放置同然の扱いで育った人々です。

そんな彼らが、出会って少しずつ一緒に過ごす中で、互いを想い合う気持ちが生まれるんですね。

 

愛って教育で授けられるものではないんですね。

誰に教わらなくても、誰かを愛することができる。

逆に、親や家族に愛されて育っていても、他人を誰一人愛することができない私のような人間もいるわけで、その非対称性にまた「なんだかなぁ」と思う気持ちもありますが・・・。

現実生活で関わる人間は誰も好きになることができない私ですが、ゲームの中のキャラクターたちは皆本当に愛しく感じます。赤ずきん可愛い。グレーテル大好き。

 

ゲームを一通りプレイした後、あらためてオープニングムービーを観て、しみじみ「素敵な作品だなぁ」と感動しました。

『大正×対称アリス』は、百合花が決死の思いで紡ぎだした”愛のおとぎ話”の記録なんですね。


PS Vita用ソフト「大正×対称アリス HEADS & TAILS」オープニングムービー

また、今作に触発されて図書館でルイスキャロルの『鏡の国のアリス』も読んでみました。読んだことなかったんですが、読んでもよくわからなかったです(残念)。

でも、確かに冒頭文はよかったです。

 

さらに、あらためて実感しましたが、とにかくこの作品は絵と音楽も素晴らしいです!

特に感動したのが、アフターストーリーの白雪編で流れた白雪のキャラクターソング「White kiss」。こんな素晴らしい曲があったなんて、今までノーマークでした。


『大正×対称アリス キャラクターソングシリーズ vol.5 白雪(cv:蒼井翔太)』

アフターストーリーではこの曲のpiano versionが流れます。これがまた素晴らしい。ぜひフルで聴きたいです。

love solfege様は本当に素敵なBGMを奏でますね。物語にぴったりな、他の音は考えられないくらい「これしかない!」という音楽です。

 

大正×対称アリス』、そして『大正×対称アリス HEADS & TAILS』は、乙女ゲーマーにかかわらず、すべての物語中毒の皆様にプレイしてほしい傑作です。

人間はここまで胸を打つ感動的な物語を紡ぎ出すことができるのか、ここまで美しい作品を生み出すことができるのか、と畏怖の念を抱かざるをえません。

この作品に出会えたことが、今年一番の幸運と言っても過言ではないくらい、本当に本当に大好きな作品です。おわり。

こんな世界はもうどうでもいい:『クジラの子らは砂上に歌う』

現在放送中の梅田阿比原作のアニメ『クジラの子らは砂上に歌う』は

イラストも音楽も素晴らしく美しい作品です。

クジラの子らは砂上に歌う Blu-ray BOX 1

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  • 発売日: 2018/01/26
  • メディア: Blu-ray
 

先月から放送開始されたばかりなのですが、第3話のある一場面が妙にずっと頭から離れないので、記録しておこうと思います。

  

物語全体のあらすじは以下。

砂がすべてを覆い尽くす世界。砂の海に浮かぶ巨大な漂泊船“泥クジラ”で暮らす人々の多くは、感情を発動源とする超能力“情念動(サイミア)”を操るも短命だった。 「外界から閉ざされた“泥クジラ”で短い一生を終える」 その運命を受け入れる少年チャクロは、ある日突然漂着した廃墟船の中で1人の少女と出会う。彼女の故国「帝国」は“泥クジラ”の住人の祖の故郷であり、自分達が流刑囚の末裔であることを知る。帝国との戦いの後、第3勢力「スィデラシア」の青年貴族ロハリト一党を仲間として迎え入れた矢先、チャクロらは短命の原因が“泥クジラ”に命を吸われているためだと知る。あまりにも残酷な秘密に他の者には隠し、守ってゆく誓いを立てる。しかし、無印を蔑み彼らに仕切られることに不満を抱く双児シコクとシコンが印である自分達が泥クジラの運命を決めて無印を切り捨てる呼びかけをし、泥クジラの住人の間に動揺が走る。

Wikipediaより)

原作の漫画は2017年11月現在も連載中で、アニメでどこまで描くのかわかりませんが

アニメは各話のタイトルが登場人物のセリフから取られているんです。

その中で、第三節「こんな世界は、もうどうでもいい」がなぜか異様に好きなのです。

 

平和だった泥クジラがいきなり帝国に襲われ、無抵抗な人々が次々と殺されます。

泥クジラ一強いとされる青年・オウニは、泥クジラが襲撃された直後まで”体内エリア”と呼ばれる、船の中の監獄のようなところに収容されていました。

外の異変に気付いて体内エリアから出てきたときには、すでに仲間の何人かが殺された後でした。

オウニは元々泥クジラでの日々を面白く思っておらず、外の世界にずっと憧れていた青年です。自分の信頼できる仲間だけでグループを作り活動していて、泥クジラの規律を度々乱しては体内エリアに収容されることが多かったので、彼のグループは”体内モグラ”と呼ばれていました。オウニはそこのリーダー格なのです。

憧れていた外の世界からやってきた帝国の人間に仲間を殺されたオウニは、外の世界が思い描いていたような未知なる世界でないことを知り、また、仲間を救えなかった自分への深い絶望からやけになります。

「・・・こんなもんかよ

俺やこいつらが憧れてきた砂の海の外は

顔の見えない人間かもわからない連中が

簡単に俺たちの夢を踏みにじる

・・・そんな世界だったのかよ」

「オウニ!!」

「・・・目ぇ覚めたわ

 

もういい

 

どうでもいい」

梅田阿比クジラの子らは砂上に歌う②』秋田書店 H26.4.30) 

アニメでは、オウニの声は梅原裕一郎さんが演じていらっしゃるのですが

もう彼の「どうでもいい」が脳裏に焼き付いて離れないのですよ。

観ているこちらも、「ああ、ほんと、もうどうでもいいや」と感情を引き摺られるような、迫真の「どうでもいい」なんです。

 

この第3話を観てから、つまんない仕事も、めんどくさい取引先も心の底から「どうでもいい」と感じるようになり、あまりとり合わなくなりました。

投げやりだけれど気は楽です。

 

オウニはその後帝国の兵士を次々と殺し、捕虜をとらえて帝国の情報を吐かせたりして、なんだかんだ言いながらも泥クジラの主要戦力として帝国に立ち向かっていきます。オウニは本当に強くてかっこよくてイケメンです。オウニ大好き。

 

アニメはエンディングテーマもとても良いのです。

TVアニメ『クジラの子らは砂上に歌う』ED主題歌「ハシタイロ」

TVアニメ『クジラの子らは砂上に歌う』ED主題歌「ハシタイロ」

  • アーティスト:rionos
  • 発売日: 2017/10/25
  • メディア: CD
 


rionos/ハシタイロ MUSIC VIDEO(FULL SIZE) (TVアニメ『クジラの子らは砂上に歌う』ED主題歌)

美しいメロディと和音、このエンディングに乗って展開される次回予告も毎回とてもドキドキする演出で大変素晴らしいです。

続きが楽しみなアニメがあるというのは実に幸せなことです。

どうでもいい世界における、ほんの一粒の光のような。おわり。

 

原作も面白いです。やっぱりストーリーをきちんと追うには漫画ですね。

 

ダーク成分補給:『SWEET CLOWN ~午前三時のオカシな道化師~』

毎日笑ってゴキゲンに過ごしたい。そう思う気持ちも嘘ではないですが

時折どうしても暗いもの、悲しいもの、怖いものに惹かれてしまいます。

自分の中の明るい部分と暗い部分のバランスをとるように。

そんなわけで、『SWEET CLOWN ~午前三時のオカシな道化師~』は暗いけど面白いゲームでした。

主人公の橿野柘榴17歳は、5年前に双子の弟と白樫の森で離れ離れになって以来、心の中の何かが欠けたままの女の子です。

ある日明らかに怪しげな"午前3時のお茶会"の招待状を受け取った彼女は、

そのお茶会の場所と日時が弟を失った日と同じであることに引っかかりを感じ、その危ないお茶会に出向いてしまいます。

そこで出会ったのは、柘榴と同じように「何かを失い欠けている」少年たちと、「スイートクラウン」と名乗る悪魔とその部下たちで・・・というような話。

 

BGMも背景デザインも全体的に不気味でダークでゴシックな雰囲気で、物語世界にぐんぐん引き込まれました。

イラストは綺麗で幼い感じで可愛らしいですが、キャラクターの性格は主人公の柘榴も含めて総じて悪くて、でもそこがいいと思いました。

明るくていい子で応援したくなるような登場人物には心が洗われますが、共感できるかどうかは別問題です。

その点、このゲームのキャラクターたちは、ゲスすぎて呆れてしまう人もいますが、「気持ちはわかる」と思わず共感してしまいます。

 

以下キャラクターの感想です。

【蜜原誠丞】

生まれついた美貌と両親から正しい愛を注がれなかったことによる歪んだ性格で女たらしのゲス野郎になってしまった少年。話せば話すほどクズ、でも嫌いにはなれないタイプでした。彼は演技をするのが大変上手な分、綺麗事を許せない純粋さと真理を見抜く慧眼を持ち合わせていて、そこは素直に感心しました。

「俺は最初から誰も好きなんかじゃないし、誰も信じちゃいない」

「”ありのままの貴方が知りたい?”綺麗事言うな」

「人間、知り合いには皆偶像を作る。興味があればあるだけ、偶像は膨らんでいく」

「そしてその通りの人物でなければ、人は失望する。”ありのまま”を受け入れる人間なんていないんだよ」

さすがよくわかっていますね、蜜原少年。私も肝に銘じたいと思います。

【久瀬蒼馬】

スイートクラウンの手によって柘榴のために作られた菓子人形の少年。魂は蜜原が生まれるときに失った双子の弟。菓子人形なので人生の記憶がほとんど無いけど柘榴のことを大切に思っている、都合のいい存在でした。こんな人形が1人くらいいたらいいかもしれません。

【古橋旺一郎】

パッケージデザイン的にメインヒーローっぽいのに影が薄い青年でした。物語の根幹に関わる元王子様で、スイートクラウンの双子の兄だった人。

【日之世武尊】

眼帯のイカれサド少年。とにかく頭おかしい感じの人ですが、柘榴と両想いになった後は結構可愛い男の子でした。ツンデレはやっぱりいいですね。いや、ツンデレとはちょっと違うかもしれませんが・・・一番性欲もありそうで、性格はゲスですが健康的な少年でした。

【真井知己】

このゲームの中で一番萌えました。実は柘榴の双子の弟であった少年。

双子の姉である柘榴のことが好きすぎて好きすぎて(もちろん性的な意味で)、己の欲に耐えられずにスイートクラウンの力に頼らざるをえず、5年前に離れ離れになったのでした。

血縁の兄弟なので、彼のルート(真相ルート)ではラブラブになることはありません。でも、どのエンディングも胸がきゅっとなるストーリーでした。

私は一人っ子なので姉弟の近親相姦ものには抵抗がなく萌えに萌えます。双子の姉と弟で愛し合う閉じた世界は歪んでいますが美しいと思いました。

【スイートクラウン】

骨のピエロみたいな姿をした悪魔。午前3時のお茶会を開いた首謀者。

彼の能力はゲーム全体の核なんですが、非常にユニークな能力ですね。「他人の願いを叶えることができるが、願いを叶えた本人をお菓子にして食べてしまう」という。

さらに、「スイートクラウンになると甘いお菓子と紅茶しか受け付けない体になる」って、面白すぎます。私もスイートクラウンになってみたい。

柘榴を次のスイートクラウンにしようとするのですが、スイートクラウンになるためには"欲"の力が足りない柘榴。強欲になればなるほどスイートクラウンに近づくのです。すごいなぁ、この設定ひらめいた企画者は天才です。

柘榴が攻略対象に恋心を抱き始め、好きになればなるほどお腹が減ってお菓子を食べずにいられなくなる様は、やっぱり不気味で怖いです。でも面白い。

恋の、相手の全てが欲しくて欲しくて仕方がなくなるどうしようもなさを巧みに効果的に描く素晴らしい設定だと思います。

【ネージュ】

サブキャラクターのロバでスイートクラウンの部下である悪魔なんですが、彼(彼女?)の一挙一動には本当に笑いました。多分登場人物の中で一番性格が悪いんじゃないでしょうか。でも好きです。

以下、ネージュの名言。

「卑劣なのは当たり前。人間なんて皆不幸のどん底に落ちて泣きわめけば良い。 その方がずっと面白いです」

「この面白さが分からないなんて哀れです。心から可哀想な奴ですよ」

共感しちゃいけないかもしれませんが、共感できて笑ってしまいました。

 

 

私だって、いつも他人の不幸を望んでいるわけではありません。

世界が平和になればいいと思うし、皆好き勝手して幸せになれればそれが一番いいとも思います。

しかし、世界はいつまでたっても平和になんかならないし、理不尽と不条理に満ちているし、綺麗事にはヘドが出るのが現実です。

そんな現実に揉まれて、時には「皆死ね」と思ってしまうことはありませんか?

私はあります。

そういう心の毒素をいい感じにエンターテイメントにした作品がこのゲームだと思います。


SWEET CLOWN ~午前三時のオカシな道化師~ オープニングムービー

音楽も本当に世界観によく合っていました。サントラ欲しいな〜。

 

前向きでおあつらえ向きな予定調和に辟易している乙女にオススメのゲームでした。おわり。

至上の愛。:『イトウさん』『I-イトウさん2-』

素晴らしいラブストーリーに出逢えました。 

イトウさん (EDGE COMIX)

イトウさん (EDGE COMIX)

 

 

I-イトウさん 2- (EDGE COMIX)

I-イトウさん 2- (EDGE COMIX)

 

胸のあたりがキュッとして、切なさで涙がこみ上げる、

こんな気持ちを生きている間にあと何回味わえるのでしょう・・・この作品は傑作です。

 

物心ついた頃から娼夫として保護者に使役され体を売っている少年・キョウスケと、

ある日キョウスケの前に現れ、毎週火曜日の常連客となったスーツ姿の男性”イトウさん”のラブストーリーです。

イトウさんは実は殺し屋で、これまでひたすら任務に忠実で自分の意思どころか名前さえない、コードネーム”I"という存在でしたなかったのに、

キョウスケと出会い自我が目覚め、キョウスケが当てずっぽうで呼んだ「イトウさん」を自分の名前として生きていくことにします。

 

仕事以外では人を殺すことを禁じられていたのに、キョウスケにまとわりつくたちの悪い客を自らの意思で葬ってしまうイトウさん。

自分を育ててくれた"ボス"の命令に背いてしまったことで、属していた組織から追われる身となります。

最初は自分の罪を受け入れおとなしく処分される気でいたのに、キョウスケに「会いたい」と言われたことで決意が崩れ、キョウスケを連れて逃避行します。

 

イトウさんはキョウスケに自分の欲望を全然ぶつけないんですよね。優しく見守っているだけです。キョウスケは生まれてこのかた誰にもそういう形の愛を向けられたことがないので、イトウさんのために何もできない自分が歯がゆくて不安になります。

イトウさんはキョウスケのためなら何だってしてあげたくて、でも人の心の機微に疎いところがあるので、自由になってと言って札束の山を差し出したりしてしまう。

互いが互いをこんなに想い合っているのに、うまくかみ合わないのが切なく、でもとても愛おしく感じました。心の底から彼らに幸せになってほしい気持ちでいっぱいになります。

 

イトウさんは途中でキョウスケに自分の財産を渡し、自由になって好きなことをするよう勧め、"ボス"への贖罪をなすため離れようとしますが、やはりキョウスケに「好き」と言われ離れないことを決心します。心も体も強く結ばれ、二人で”海が綺麗であたたかくて何もない”島国へ逃げようなどとロマンチックなことを言っていた矢先、ボスが自分の失敗作となったイトウさんを自らの手で処分すべく彼らの前に現れます。

 

この”ボス”がまた・・・難儀な人でした。続編の『I-イトウさん2-』ではイトウさんがコードネーム”I”として、ボスにいかにして育てられたかが描かれるのですが、ボスはイトウさんを愛していたのにそれを認めるのが怖くてうまく表現できなかった人です。

イトウさんの脳を処理してキョウスケの記憶を消したボスは、キョウスケを薬漬けにして部下にめちゃくちゃに犯させた挙句、最後に記憶をなくしたイトウさん自らにキョウスケを殺させようと銃を構えさせます。

でも、イトウさんからキョウスケを愛する気持ちを消すことは、ボスの最新鋭の技術をもってしてもできなかったのです。どうしてキョウスケを殺せないのか自分でもわからないイトウさんは、命令に背いているのにボスが自分を”廃棄”しない理由もわからず混乱します。この構図が素晴らしい。

イトウさんが自分にとって絶対であるボスの命令が下っていてもキョウスケを殺せない原理も、ボスが自分の命令をきかない失敗作となってしまったイトウさんを殺せない原理も、同じ「愛しているから」です。

「何故 再び 目覚めた」

「・・・・・・目覚め・・・・・・た・・・?

ボス・・・・・・僕に何が・・・・・・」

「 お前は命令に背き 幾度も同胞を殺めた・・・・・・何故だ」

「何故 僕を撃たないのですか

どうして躊躇している?

僕は処分されるべきだ 何故まだ生きている・・・・・・?

何故・・・・・・どうして僕は この子を殺せない・・・・・・

どうしてこんな・・・・・・

この子がこんなに 心の底から」

(『イトウさん』より)

イトウさんに感情が残ってしまっていたことと、その原因が自分がよく知らないたった一人の少年のせいだと思うと、ボスの怒りは頂点に達し、激情にかられ引き金を引きます。

しかしボスよりイトウさんの一撃の方が速かった。イトウさんはキョウスケを守るためなら本当になんでもします。これまで自分にとって絶対的存在であったボスにさえ引き金を引くほどに。

 

イトウさんに撃たれ、もう彼の心は自分にはどうにもできないことを悟ったボスは、好きに生きて自分の前から消え失せるよう最後の命令を下します。

 

その後ボスに射たれた薬のせいでそれまでの記憶がすべて消え、長い病棟生活の後社会復帰し駆け出しのバーテンダーとなったキョウスケ。

そして毎週火曜日にキョウスケを訪ねてやってくるようになった常連客のおじさん”イトウさん”とのその後が、『I-イトウさん2-』に描かれています。

 

イトウさん、殺し屋をやめて随分人間らしくなりました。笑顔が最初の頃と全然違います。

キョウスケも、暗く澱んだ過去を忘れているせいか、影はあるものの素直な表情を見せるようになり、記憶がなくともイトウさんへの愛情があふれています。

ある日「あたたかくて静かで何もない海」へ行きたいというキョウスケのリクエストでレンタルの無人島へ2人で旅行します。

そこでイトウさんに優しくされ、彼への好意を再認識しつつも、イトウさんが好きなのは記憶がある過去の自分であって、記憶のない今の自分は本当は愛されていないのではないかという不安をキョウスケは抱きます。

でも、イトウさんは記憶があろうがなかろうが関係なく、本当にキョウスケを愛しています。

キョウスケがイトウさんの愛情の深さと、自分の奥底にあるイトウさんを想う気持ちに気づく場面はこの上なく素晴らしかったです。

「記憶を失くして過去を失くしても

君は変わらない 僕の大切な 恭介くんだ

 

・・・僕に キスしてくれないかい

 

そうすれば理解る」

(『I-イトウさん2-』より) 

動揺しつつも、意を決してイトウさんに口付けたキョウスケから涙が溢れ、

こらえきれなくなったイトウさんはキョウスケを抱きしめます。

 

愛だなぁ。この上なく、愛、って感じです。

自分の乏しい表現力が歯がゆくて仕方がないくらい、本当に本当に素晴らしい物語なんです。

読み終わった後ずっと「はぁ〜素晴らしい」ってブツブツ独り言が止まらなかったです。感動を自分の身体の中だけで処理しきれず、口から吐いて出てしまうような。

恋愛は種の保存のための脳のシステムに文学的な名前をつけただけの熱病だとボスは言っていて、確かにそうかもしれませんが、

それでも恋愛に溺れてしまうのが人間だし、そういう人間だからこそ愛おしく感じるのだと思います。

ボスの命令に忠実で優秀なコードネーム"I"だった無表情なイトウさんも魅力的な美少年ではありましたが、

やはりキョウスケへの愛がだだ漏れの微笑みをたたえるイトウさんが一番素敵です。

ああ〜イトウさん大好きです!

 

余談ですが、作品を読んでいる間、イトウさんの声がどうしても速水奨さんで再生されてしまいます。なぜだろう・・・さらにボスは大塚芳忠さん。『亜人』か何かに引っ張られてるのかしら・・・。

 

さらに気になるのが、もしキョウスケが女で、この物語がBLでなかったとしても、私は同じように感動したのだろうかということです。

BLである必然性の闇は深い・・・。おわり。

『それでも町は廻っている』

とにかく笑えて、ちょっと萌えて、最後にほろりと泣ける素晴らしい漫画が

石黒正数それでも町は廻っている』、通称”それ町”です。

丸子町という下町の商店街を舞台に、嵐山歩鳥という元気な女子高生とその友人たち、そして地元の大人や子供達を描いたコメディ群像劇でした。

全部で16巻ありますが、時系列がバラバラに描かれていて、基本的に一話完結型なので、どこから読んでもさほど問題なく楽しめます。

 

主人公の歩鳥は、いい具合にアホな子ですが、頭の回転が早く思慮深いところもある聡い女の子だと思います。私にも歩鳥のようなクラスメイトがいたらよかったなぁと思うくらい魅力的な女の子です。

歩鳥の幼馴染で同じ商店街に暮らす魚屋の息子・真田がこれまた私の”不憫萌え”にドストライクな男の子で大好きです。

他にも、美人で実は甘えん坊なお嬢様の紺先輩とか、近所の頭が良くてミステリアスな静ねーちゃんとかもかっこいいし、歩鳥の弟・タケルと妹・ユキコもすごくいいキャラクターで、とにかく登場人物一人一人が愉快で面白いです。

 

本当にどの話も好きなんですが、特に笑ったのが、歩鳥が小学生の時に好きな男の子に作ったチョコレートを結局渡せず、回り回ってそのチョコレートが真田の元に来たものの、「From嵐山」が「Form嵐山」と書いてあったり、チョコのアクセントとして何故かオカメの落雁が埋め込まれていてびっくりしたドキドキが、吊り橋効果で好意と勘違いしてしまったり(それ以来真田はずっと歩鳥が好き)とにかく笑えました。あのチョコレートは傑作。ぜひ見てほしいです。

 

歩鳥は毎日を本当に面白おかしく楽しく過ごしている子で、それが周りのみんなのおかげだということをちゃんと認識しているのです。そしてそんな大好きな「いつもの感じ」がいつまでも続かないことも理解していて、少し怯えているという描写が要所要所にさりげなく入っています。

それが極限まで高まったのが最終巻の高校3年の初夏、クラスメイトでバイト仲間のメガネ女子・辰野トシ子(通称タッツン)が「真田に告白する」と歩鳥に決意表明したところです。

「あんた 私の事どっかナメてるでしょ」

「そんな事ないって!!

一体この質疑はさっきから何を証明しようとしているの!?」

「もし私が告白すると

上手くいってもフラれてもどっちにしろ

あんたの望まない事が起きる」

「・・・何が起きるの」

「メイド長がいて

あんたと私がバイトしてて

時々 真田君が来て・・・

っていうあの感じが

何かの形で変わるよ」

「!!」

「あんたが ひと一倍好きであろう「いつもの感じ」が

変わっちゃうかもしれないっつってんの!!」 

歩鳥はどこか蓋をしていた自分の心の奥底の気持ちを指し示された事にショックを受けますが、それでもそこまで自分の事をわかってくれていたタッツンに感激し、「変わらないことより尊い」とタッツンを激励します。

結局タッツンもヘタレで告白せずに終わってしまうというオチがありますが。。

 

特に最終巻である16巻は笑いよりも示唆に富んだ話が多く収録されているように思いました。人間の怖さや狂気に触れ、それでもめげずに前を向いて生きていく歩鳥たちは本当に愛しいです。

そしてエピローグがこれまた感動的でした。あの静ねーちゃんの顔。あの3カットで涙がこみ上げます。素晴らしいエピローグでした。これもぜひ見てほしい!

 

こうして感想を書いていて思い出しましたが、私もこれまでの人生で数年だけ、歩鳥のように毎日楽しくて仕方がない時期がありました。

あの頃の私も歩鳥のように、楽しいのが周りのみんなのおかげで、そしてそれが長くは続かないことを、いつか終わりが来ることをわかっていました。

人が生きている限り、変わらないことはありえないし、大好きな「いつもの感じ」はいつかなくなるものです。

それでも、それは思い出になって、何年も何十年も後になっても思い出す、それが人間というものなんでしょう。おわり。