れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

『違国日記』

読んだら胸がスッとする漫画に出会いました。

胸がスッとするというか、頭の中が少しクリアになるというか、そういう感じ。

違国日記(1) (FEEL COMICS swing)

違国日記(1) (FEEL COMICS swing)

 

あらすじは以下。

「へんな人と 暮らしはじめた。 お父さんとお母さんが 死んだので。」

35歳、少女小説家。(亡き母の姉) 15歳、女子中学生(姉の遺児)。

不器用女王と子犬のような姪が おくる年の差同居譚。

手さぐり暮らしの第1巻!

少女小説家の高代槙生(35)は 姉夫婦の葬式で遺児の・朝(15)が

親戚間をたらい回しにされているのを 見過ごせず、

勢いで引き取ることにした。 しかし姪を連れ帰ったものの、

翌日には我に返り、持ち前の人見知りが発動。

槙生は、誰かと暮らすのには不向きな 自分の性格を忘れていた……。

対する朝は、人見知りもなく “大人らしくない大人”・槙生との暮らしを

物珍しくも素直に受け止めていく。 

pixivコミックより)

 

槙生さんってすごく真っ当な大人の女性だと思うのですが、こういう人って現代の日本社会では生きづらいのかもしれませんね。繊細だし。

読者である私自身、槙生さんの言葉に救われたような気がします。

例えば、両親が突然死んだけれどもいまひとつ悲しみがやってこないことに不安を覚えた朝ちゃんにいった槙生さんの一言。

 「・・・・・・わたしがへんなのかと思ってた・・・・・・」

「・・・どうだろう へんかも知れない」

「えっ」

「でもあなたの感じ方はあなただけのもので誰にも責める権利はない」

ああそうだよなぁ、と目がさめるような気持ちでした。

仕事で、自分の感想とか意見に対して変だのおかしいだの間違ってるだの言われて過ごしていると、責められることが当たり前になってしまっていたけど

本来そんなものを責められる筋合いはないよなぁ、としみじみ思いました。

 

槙生さんはそのあと、朝ちゃんに日記を書くことを勧めます。

「この先 誰があなたに何を言って

・・・誰が 何を 言わなかったか

あなたが 今・・・ 何を感じて何を感じないのか

たとえ二度と開かなくても

いつか悲しくなったとき

それがあなたの灯台になる」 

 

朝ちゃんの親・槙生さんの姉の葬儀が終わり、親戚一同の心ないたらい回し談義から朝ちゃんを救い出して家に連れ帰った槙生さんのかっこよさったら・・・女が惚れる女ですね、槙生さんは。

「あなたの寝床はきのうと同じだ そこしか場所がない

部屋はいつも散らかってるし

わたしは大体不機嫌だしあなたを愛せるかどうかはわからない

でも

わたしは決してあなたを踏みにじらない

それでよければ明日も明後日もずっとうちに帰ってきなさい

たらいまわしはなしだ」

人って案外簡単に他人を踏みにじってしまうものだと思います。

私も、多分意識的にも無意識的にも他人の気持ちや感性を踏みにじって生きてきました。踏みにじられることもたくさんあります。

「わたしは決してあなたを踏みにじらない」って、簡単に言えるようでなかなか言えない言葉だなって気づいてハッとしました。

槙生さん自身が繊細であり、相手の気持ちに立ってものを考えられるからこそ発することのできるセリフだと。

 

槙生さんと朝ちゃんが一緒に暮らし始めて、朝ちゃんがノートに日記を書き始めるシーンも好きです。

「日記は 今 書きたいことを書けばいい

書きたくないことは書かなくていい

ほんとうのことを書く必要もない」

「・・・・・・日記なのに?」

「日記なのに

別に誰にも怒られないし

書いていて苦しいことをわざわざ書くことはない」 

私も中学生の頃、ノートに手書きの日記をつけていた時期があります。

いつの間にか捨ててしまったけど、書いたことは結構覚えていて、多分今読み返したらめちゃめちゃ楽しめると思います。バレンタインデーに好きな男の子に手作りチョコ渡したときのこととか、テストでいい順位が取れて嬉しかったこととか。

オンラインのブログも同じ時期から書いていて、こちらは高2くらいからずっとログを残してあり、今でもたまに読み返します。

ほんとうのことも、もしかしたら妄想かもしれないことも、嬉しいことも悲しいことも腹が立ったことも書いたり書かなかったりしています。

最近は仕事の愚痴が9割で、正直読み返しても面白くないし、書いててもすっきりしないです。いつの間にか書くスタンスが歪んでいたのかもしれません。

一度槙生さんの助言を受けて立ち返ってみたいと思いました。

 

物語の中で少しずつ出てくる槙生さんの姉・朝ちゃんの母について、

まだ全貌はわかりませんが、読んでいると自分の上司(部長)と似ているなぁと感じる部分があります。

「あ でも・・・

わたしは落ち込みやすいクズなので・・・

圧は弱めで」

「え? あはっ!「圧」

おかーさんがよく言うやつだ!

「こんなあたりまえのこともできないの?」

わかった かけない 「圧」」 

今の上司(部長)って、周囲も認める”圧の塊”みたいな人なんですよね。

もうね、はす向かいに座ってるだけで圧を放ってくるんですよ。

槙生さんほど繊細じゃない私でも、かれこれ2年弱くらい圧に少しずつやられてメンタル参ってます。

槙生さんにはつくづく共感させられます。

 

自分が最近生活の中で貯めていた”しっくりこないもの”の正体を

槙生さんが非常に鮮明に言語化してくれる場面がたくさんあり

読んだ後ものすごく穏やかな気持ちになったんです。

ストーリーも面白いし、これから物語はさらに進んでいきますが

今のタイミングでこういう作品を読めた幸運を記録しておきたいと思いました。

他人の感受性を責める権利は誰にもない、自分の迂闊な一言で誰かの人生を変えてしまうこともある、そういう”当たり前だけど忘れがちなこと”を改めて再確認するきっかけとなった作品です。おわり。

肉体関係と人間関係と性産業と:『目を閉じても光は見えるよ』

新年明けましておめでとうございます。

晦日から元旦へ向かう午前0時を跨いですぐ、なぜかBL漫画をダウンロード購入して読んでいました。

年明けから読み応えのある良作に出会えました。

年末年始、家族とともに過ごす方も多いと思いますが

改めて家族とか友達とか、人とのつながりの在り方について考えるきっかけを与えてくれる作品でした。

 

舞台はゲイビデオの制作会社です。

主人公の天羽光は人気急上昇のネコ男優。

そしてもう一人の主人公・猪原仁35歳は、ノンケ向けのAV男優として活躍していましたが、仕事仲間のマリ子さんが腐女子向けのゲイビデオレーベルを立ち上げる際にスカウトされ、ゲイビデオのタチ男優として光とタッグを組むことになります。

体の相性は良い二人でしたが、仕事以外ではほとんど関わりがありませんでした。

 

そんなある日、光の家にストーカーが侵入し部屋に猫の死体を送りつけられる事件が発生し、実は光と仁は同じマンションに暮らしていたことがわかります。

事件を解決する中で二人はだんだんと打ち解け、友人関係になります。

 

光は仁と付き合いが長いマリ子から、仁のとある過去について聞かされました。

それは、仁が昔、セフレだったAV女優に本気で惚れられて、避妊具に細工されて子供ができてしまった時のことでした。

「絶対堕ろせ 産むな 産んだとしても俺は絶対認知しないって一筆書かせ」た仁のことをマリ子は”男としてはゴミカス”と評しましたが、仁本人もそれに反論するつもりはないようです。

ここの、仁と光が釣り堀しながら仁の考え方について会話する場面が印象的で好きです。

「俺は特定の一人とつきあったり家庭を持つことに昔からまったく興味がなくて・・・

というか生理的に無理なんだよね

子供なんてできたら困るから避妊はキッチリ神経質にしてたし

用心してたんだけどなぁ・・・若かったし甘かった

怖いから俺もうパイプカットしちゃったよ」

私はここまで徹底した考え方を持つ仁をゴミカスとは思えませんでした。

仁はフツーの家庭で育ったそうですが、どことなく他人に対して冷めていて常識とズレているところがあると光は感じていて、だからこそ一緒にいて居心地がいいのでした。

 

ふたりが釣り堀で遊んでいた帰り、突如仁のケータイに連絡があります。

前述した仁の中学生の息子・斗真が万引きして捕まり、母親が連絡がつかず父親である仁の元に連絡が来たのでした。

元AV女優の母親は金だけ置いて恋人のところに行ってしまい、金を遣い切ってしまった斗真は腹が減って菓子パンを盗んでしまったとのこと。

店に頭を下げ斗真を引き取り3人で仁の家に向かう途中、仁と斗真は言い合いになります。

ここもなかなか読み応えのある場面です。

「他人にチンコ見せて金取ってる奴が偉そうにするんじゃねぇぞ恥さらし!」

「・・・・・・痛烈だな」

「薄汚え仕事しかできねぇド底辺のくせによく堂々と生きてんな」

「言っとくけど俺だって迷惑

急に君と暮らせだなんてまったく気がすすまない

でも俺は法的に責任があるから君の面倒をみなきゃならない

君も成人するまでは大人の保護のもとに暮らさなきゃいけない

それだけだ」

仁を冷たい父親だと思うことも可能ですが、これくらいハッキリ気持ちを伝えてくれる仁をある意味誠実だとすら思う私。

 

その後、斗真は隙を見て仁の家を抜け出し光の家に避難します。

光は思春期の難しい斗真にオロオロしながらも、放っておけず少しの間面倒をみることに・・・

だんだん光になついてきた斗真は、自分の家庭のことや学校でうまくいかないことをぽつぽつと吐露し始めます。

子供のことを1番に考えることができない元AV女優の母と現役AV男優の間に生まれた斗真。

運動神経抜群でサッカー部のレギュラーでもあった斗真ですが、ある日自分の母親のアダルト動画がクラスの間で拡散され、周りから笑い者にされて学校に行くのが億劫になってしまったのでした。

家庭内も、恋人にうつつを抜かして息子のことはお構いなしの母親と存在すらろくに認知していない離れて暮らす父親しかいない斗真は、「オレは・・・ひとりぼっちなんだよ」と光の同情を引こうとしおらしく振る舞います。

しかし、そこで「そんなことないよ」とか気休めを言わない光。

父も母も、1番とはいかなくても、何番かには斗真のことも大切に思っているかもしれないと励まし、切ない顔のまま続けます。

 「そういう・・・2番とか3番とか10番とか100番くらいの愛情を細かく稼いで生きてくしかないときってあるんだよ」

「普通オヤって子供に1番の愛情をそそぐもんじゃねえのかよ!!」

「普通なことばっかじゃないんだよ

でも・・・生きていかなきゃ」

励ましている様子が伝わって、斗真はいつしか光にメロメロになってしまいます。

仁のDNAを受け継いだ色気のある中学生・斗真にちょっとクラッときてしまう光もかわいくて笑えました。

 

まあ、すべての親御さんが子供を1番に愛してくれていればいいなとは他人事のように思いますが、現実にそんなことは全然ないことはよくわかっています。

人の親だと言っても、所詮はただの人間です。自分本位になって当たり前です。

最初は可愛かったかもしれない子供も、自我を持ちわがままになったら面倒になるかもしれないし、そもそも生まれる前から面倒に思う母親・父親だっているでしょう。

自分勝手だとは思うけど、どうにもなんないんでしょうね、きっと。いつの時代もそういう親はいるでしょう。斗真の母親のような。

 

もう一つ、斗真の境遇を見て”性産業で働く人”を取り巻く環境についても考えてしまいました。

大学の応用倫理の講義でもこの話題を何時間も掘り下げて議論したことがあります。

大学生の頃の私は、フェミニズム的な考えと、それでもあんまり女性の味方もしたくない、複雑な気持ちでレポートを何枚も書いていましたが、今でも先生が言っていたことを覚えています。

「性産業も一つの産業として成り立っているし、そこに需要も供給もあることは確か。でも、例えば母親がAV女優だったり父親がAV男優だったりする子供が、自分の親の仕事を誇りに思って周りに自慢できるかといったら、どうしてもそうはならないと思う」

話を聞いていた自分も、もし自分の親が・・・と思考してみましたが、やっぱり先生と同じ結論に辿り着きました。

自分の子供が周りにおおっぴらにできないからといって、性産業で働く事が絶対悪になるとは思いません。

光も、虐待されたり医療少年院送りになったりした辛い過去の末行き着いた今のゲイビデオの現場を充実していると感じているし、仕事を楽しいと心の底から思っていたし、仁も多少後ろめたい気持ちはありつつも自分の仕事を恥じたりはしていません。

「世界中に顔とケツの穴晒して仕事してんだよ・・・

今更おれに守りたいもんがあると思う?」 

上記は光のセリフです。光は綺麗な顔で普段は穏やかな青年ですが、このセリフの時は迫力がありました。

 

この話題をあまり掘り下げても仕方ないとは思いますが、光みたいな男優と、AV女優ではまた違う部分もあると思うんですよね。

社会システムもそうですけど、この性産業界、ひいては性に関するあらゆる面で未だに男性と女性の扱いの非対称性は強固だと思います。

 

なんにしても、一般企業のしがない営業マンとしてくさくさしながら働いている自分よりは、体張ってゲイビデオで稼いでいい仕事仲間にも囲まれている光や仁たちの方がずっと幸せだと思いました。

私は中度の男性潔癖性で世の中のほとんどの男の人に触ると気持ち悪くなってしまうのと、レズビアンでもなければ顔も体も人前に晒せるようなレベルじゃないので生涯性産業では働かないし働けないですが、もし働けたらもうちょっといい稼ぎにありつけたのになぁとしみじみ思うことはあります。

 

***

 

物語はその後、光の重い過去がネットに広まったりその過去の清算があったりすったもんだありますが、最終的には仁と光は互いを1番に愛し合うようになりハッピーエンドとなります。よかった。

いろんなBLがありますが、やっぱり愛に溢れたセックスが1番ですね。やっぱ愛でしょ、愛!

 

ま、そうは言っても愛とはそうそうありつけるものではありません。現実には。

そんなわけで、今年も物語の中の愛の夢をたくさん見て、心の栄養としながら孤独に生きていく所存です。おわり。

意志と正しさ:『十二大戦』

観ていたアニメが次々と最終回を迎え、年の瀬を感じます。

クリスマスイブですが、干支の話を・・・もうすぐお正月ですし。

十二大戦 BDBOX [Blu-ray]

十二大戦 BDBOX [Blu-ray]

  • 発売日: 2018/12/21
  • メディア: Blu-ray
 
十二大戦

十二大戦

  • 作者:西尾 維新
  • 発売日: 2015/05/19
  • メディア: 単行本
 

十二大戦』、アニメがこの秋から冬にかけて放送されており、楽しく視聴しておりました。

原作は西尾維新先生ということで、物語シリーズ戯言シリーズなどでおなじみの天才、この作品も例に漏れず大変面白かったです。

アニメ終盤で「これは・・・!」と思わず記録したくなるようなシーンがあったので、原作も読むことにしました。原作もとてもいいです。西尾先生の作品の中でも非常に読み易いタイプでした。

 

物語は、12年に一度開催される世界的な代理戦争の話です。

干支を冠した十二家のそれぞれの代表が命をかけて戦う裏では、国家間の領土が賭けられているというもので、戦っている戦士たちはそのことを知りません。

戦士たちはそれぞれの事情、それぞれの思いを携えて戦地に集結します。

優勝した最後の1名に与えられる賞品は「どんな願いでもたったひとつだけ、叶えることができる」権利。

 

亥から割とあっさり死んでいき、最初はびっくりしました。

そのあとも、戌、酉、申、未に午と、それぞれの過去の描写を挟みながらもそれぞれが命を落としていきます。

そして最後まで残ったのは卯、寅、丑、子・・・。

 

私が心を打たれたのは寅の過去編です。

寅の戦士ーーー姶良(あいら)香奈江(かなえ)。彼女は元々武門の家系の娘で、真面目で純粋な女の子でした。

様々な格闘技の造詣が深く、正義感の強かった彼女は戦地でも大活躍していましたが、正義のために戦っているはずが、自分が赴くことで戦争を活性化させている矛盾にうまく向き合えずに、いつしか彼女は酒に溺れ、道を外れることになります。

さらに悪いことに、彼女は酔えば酔うほど強くなる酔拳の使い手となりました。

自暴自棄になり酒に溺れる少女の姿は、人間の簡単に転落する様子を巧みに描いていると思いました。

真面目で健全だった少女は、不真面目で不健全な大人になったーーーあるいは単に、『大人になった』。それを成長と呼ぶことも、ひょっとしたら可能なのだろう。こんなのはただの、ありふれたくだらねー挫折だと、自分でも思った。 

そんな酒に溺れた自堕落なある日、とある戦地でとある戦士に出会います。

破れかぶれの適当な戦いでへたっていた彼女の前に現れたのは、”皆殺しの天才”と称される丑の戦士・失井(うしい)でした。

寅を酒を無理やり飲まされた一般人の少女と勘違いした丑は、正しさと潔さと美しさを兼ね備えた完璧な剣筋で寅を助け出しました。

寅はかつて、まだ健全だった少女の時の憧れを具現化したような丑の戦士の振る舞いに胸を打たれました。そして彼女は丑に、「どうすればそんな正しいことができるのか。迷わず、不安を感じず、間違わずにーー正しいことができるのか」を、たどたどしくも訊いてみました。

この時の丑の回答をアニメで観た時、寅と同じく私も胸を打たれました。打ちひしがれました。

「まず、正しいことをしようとするだろう?」言って、鞘にしまったサーベルに手をかけた。「次に、正しいことをする」鞘から刃を、居合のように抜いた。「以上だ」①正しいことをしようとする。②する。

(中略)

「わかったかね?つまり、正しいことというのは、しようと思わなければ、できないということなのだがね」(中略)「人は、なんとなく、間違う。流れにそって、悪へと堕ちる。理由もなく、思想もなく、思い切りもなく、気付いたときには、当たり前のように、『道』を誤るものだ。しかしね、それに相反して、『気付かないうちに正しいことをしていた』とか、『いつのまにか善行を働いていた』とか、『うっかりいいことをしていた』とか、そういうことはないーー絶対にない。意志がなくては正しさはない。正しい行動には、正しい意志が不可欠なのだ。正しいことは、しようと思わなければ、できないーーもしもきみが正しいことができなくて苦しんでいるのだとすれば、それはきみが、正しいことをしようと思っていないからだ」

この、バケツの中の冷水を顔面にぶっかけられたような容赦のない正論は、しかしこれ以上ないくらい目覚ましに効果的でした。酔いもさめるほどの天才の理論です。

さらに追い討ちをかけるように丑は畳み掛けます。

「正しいことを、しなくていい理由はいくらでもある。迷う材料は山ほどあるし、不安材料も、売るほどある。人のせいにするのもいいし、社会のせいにするのもいいだろうーー時代のせいにだって、運のせいにだってできる。だが、正しいことをしていない人間は、できないのではなく、やらないだけだということを、自認すべきだがね。きみもまったく、無理に正しいことをしなくてもいいが、それは、できないわけではなく、やらないことを選んだのだということを、ゆめゆめ忘れぬことだ。正しき者はみな、①すると決めて、②する。きちんと段階を踏むことだーー①の段階にいながらにして、②を悩むのは、愚の骨頂だがね」 

寅は丑の持論にいたく感銘を受け、この日から寅の心の中には目標にしたい師匠ができました。そうしてその師匠ーー丑にもう一度会いたくて、此度の十二大戦に参戦したのでした。

 

この大戦での丑と寅のくだりは非常にドラマチックでした。二人で力を合わせて卯の戦士を倒したのに、そのあと卯の戦士のウォーキングデッドに攻撃されて、丑をかばった寅は深い傷を負ってしまいます。そのあとの、初めて取り乱す丑がまたいいんですよねぇ。アニメの丑のキャラクターボイス梅原裕一郎さんで、これまた最高なんですよ。今年はいいなと思うアニメキャラのCV.梅原裕一郎率が大変高かったです。

寅が死んで、丑も申のウォーキングデッドに死の淵に追いやられるのですが、そこで丑も昔寅に話した上記の記憶を思い出すんですね。寅とは気づいていないのですが、丑にとっても、昔少女に説いた正しさの自説は心に残る出来事だったのです。

そして「ずいぶんと偉そうなことを言ったものである」と振り返る・・・ああ、素敵です。丑と寅の、恋愛とも友情とも違う、恩人というような、運命というような、不思議な縁と互いを思い合いつつも、微妙にすれ違う関係。実にドラマチックで切なくて素晴らしいです。

 

まあ、最後はまとめて子の戦士が爆発させて子が優勝したんですが、そのあとの話もなかなか面白かったです。それはまた別の話で、そちらもいつか記録しておきたいですが。。

 

丑の正しさに関する持論は、正しさ以外にも適用できると思いました。

本当、間違うのは簡単です。堕落するのも道を外れるのも、いとも容易くできてしまう。

正しいことも、いいことも、自分のやりたいことも、成し遂げるには意志の力が必要不可欠なのですね。

大学で健康心理学の講義を受けていた時に、先生が「ネガティブは感情、ポジティブは意志」とよく言っていたのを思い出しました。

私がついつい後ろ向きな思考に走ってしまうのは、ひとえに意志が薄弱なためなのでしょう。

「①すると決めて、②する。」ーーー来年の座右の銘にしようかな。なんて・・・

 

ちなみに、原作を読んで知ったのですが、丑の戦士と同じ誕生日でした。ちょっと嬉しい。丑の本名は樫井栄児さんというそうです。身長は181センチもあるんですって。かっこいい〜。そんでもってCV.梅原裕一郎なんて、最高〜。おわり。

まさかの想起:『クジラの子らは砂上に歌う』と天下り

以前、登場人物「オウニ」のかっこよさについて綴った梅田阿比クジラの子らは砂上に歌う』のアニメ最新話を見て

これまでと全く違うことを考え、自分でその思考にちょっとびっくりしたので記録したいと思います。

letshangout.hatenablog.com

先日放送されたアニメ第11話「夢の話だ」では

主人公たちの暮らす孤島”泥クジラ”の中での2つの人種とそのありかたについて描かれていました。

 

泥クジラの民は、サイミアという超能力が使える”印(シルシ)”と、サイミアが使えない”無印(むいん)”の2種類の人種がいます。

印はサイミアを使って戦うことも、農作業を効率良く行なうことも力仕事もできますが、無印は我々と変わらないただの人です。

そして、印はサイミアを使える代わりに皆短命で、無印は総じて長寿です。

なので、泥クジラの政は代々無印がおこなってきました。印が長となってしまっては、代替わりが早すぎますし。

 

しかし、泥クジラの首長となる無印はただの無印ではありません。

「印のことを誰よりも大事に思うことのできる」無印なのです。

 

現在泥クジラの首長であるスオウは、幼いころから印の短命を治そうといろんな実験をしてきた生粋の印思いの無印でした。妹のサミが印なことも影響していたかもしれません。

先代の首長であるタイシャ様も、やはり誰よりも印の短命を嘆き、印の幸せを願う無印でした。

印たちも、自分たちを大事にしてくれる首長を尊敬しており、泥クジラはサイミアを持つものと持たざる者が絶妙なバランスで互いを敬い平和に暮らしていました。

 

ところが、そこに帝国の奇襲から始まる戦争の脅威がやってきました。

どうしてもサイミアという圧倒的な力を持つ印たちに泥クジラの民は頼らざるをえず、対して無印は戦では足手まといになるため身を隠すことしかできない。

印たちはその能力を単純に身体的な差異としか考えないので、特に疑問も持たず最前線で戦いました。

そして印は多くの命を落とし、無印で死んだのは長老会の老人1人のみ。

その事実に疑問を呈し、印による印のための政治を目論む双子の少年・シコンとシコクが集会を開き印たちをけしかける場面が、アニメ11話の終盤でした。

 

原作の漫画も読んでおり、話の流れはわかっていたのですが

今回改めてアニメを観てはじめて、自分の職場のことを想起してしまいました。

 

私が現在働いているのは某マスメディアで、社長を始め取締役会の役員たちは皆、役所や地銀や他のマスメディアから天下ってきたオジサンたちばかりです。

彼らは定年を過ぎてから、全くの異分野であるこのマスメディア企業へやってきて、使いこなせないパソコンの前で昼寝したり、無駄に長い会議をしてみたり、思いつきで会社の方針を決めたりしながら、何十万円もの月収と役員報酬と何百万円もの退職金を吸い上げていきます。

現場のことは何もできない・何も知らない60歳を過ぎたオジサンたちが、会社の大事なことや社員の報酬などについて決定を下すことに、部長をはじめとするプロパーの社員や契約社員、外注の制作会社の人々たちも不満でいっぱいです。しかし、もともと天下り先として立ち上げられた会社なので、大赤字をこいて回らなくなるまでおそらく今の体制は変わりません。もしかしたら、倒産しかけたところで役所が税金を遣って救済してしまう恐れすらあります。

 

2〜4,5年単位でコロコロ変わる腰掛けの天下り役員たち。

そのほとんどが、偉そうな口だけ叩く使えないオジサンとして社員たちから嫌われるわけですが、稀に”いい人”として名を残す役員も存在します。

「あの人はいい役員だった(もしくはマシな役員だった)」と言われる人の特徴は下記です。

  • 現場の社員も顔負けなくらい仕事ができる(パソコンスキルが凄かったり、制度を合理的に変えたり)
  • 社員に対して羽振りがいい(おごってくれる、いいお土産を買ってくれるなど)
  • 社員の意見を真摯に訊いて、場合によっては取り入れてくれる・対応してくれる

これです。

 

一緒にしたら怒られるかもしれないし、そういうことではないと思われるかもしれませんが、

今回『クジラの〜』アニメ11話を観て、憤りで声高らかに反旗を翻そうとする印の双子・シコンとシコクが、会社の同僚たちと重なって見えてしまいました。

会社の人たちだって、役員がみんなスオウやタイシャ様みたいに、自分たちのことを心から思って尽くしてくれる人々ならば、もうちょっと仲良く頑張ろうと思うのかもしれません。

しかし、現実にそんな役員は現在いません。

 

社員が稼げば稼ぐほど役員報酬が弾み天下りはウハウハ。

社員の給与は定額で歩合制ではないので、頑張っても頑張んなくても手取りは変わりません。

社員がバカバカしい気持ちになるのもわかります。

若い社員が数年で辞めていくのも理解できます。

私だって・・・と思います。

 

こんなことを考えて、最近しみじみ思うのですが

同じ作品でも、何度も読み返したり、違う媒体(漫画とアニメ、漫画とドラマCD、アニメと小説など)で多方面から鑑賞すると

違った見方や新しい視点が宿ったりするんですね。

物語って奥が深いなぁと感じました。おわり。

愛の「おとぎ話」の贈り物:『大正×対称アリス HEADS & TAILS』

今年は乙女ゲームを何作品もプレイした年でした。

PS Vitaを購入して1番最初にプレイした『大正×対称アリス』の感想も書きましたが、今月発売されたそのファンディスク(続編)がこれまた大変素晴らしく、この感動をどうしても書き留めたいと思いました。 

大正×対称アリス HEADS & TAILS - PSVita

大正×対称アリス HEADS & TAILS - PSVita

 

大正×対称アリス』は、主人公の有栖百合花17歳が、幼い頃に出会った初恋の相手・アリステアの精神疾患を独自の方法で治療し、オーバードーズして昏睡状態だったところから救い出す様子を大変ドラマティックに描いた傑作でした。

そしてそのファンディスクとなる今作『大正×対称アリス HEADS & TAILS』は、前作でサブキャラクターであった主人公の兄・有栖諒士と主人公の友人・大神ゆうき君を主軸に置いた別サイドの物語と、前作のその後を描いたアフターストーリー、そしてパラレルワールドの”学園アリス”編が楽しめます。

メインの有栖諒士編と大神ゆうき編は、まさに物語の”舞台裏”であり”真相”と呼ぶにふさわしい内容でした。

 

今作をプレイして、あらためて百合花のただならぬアリステアへの愛情を目の当たりにした感じです。

壮絶で過酷な運命をたどり、その過程で重度の多重人格となってしまったアリステアと、そんなアリステアをどうしても助けたくてもがく百合花や彼らを放っておけない諒士と大神が、皆不器用ながらも愛おしく、ゲームをプレイする中で繰り返し「愛とは何か」と考え込んでしまいました。

この作品の登場人物は、大神くん以外は総じて親や家族からの愛を感じずに育ちました。

アリステアもとい彼のいろんな人格は、母の過保護な愛情が若干あったかもしれませんが、愛とは程遠い環境で育った人ばかり。父に捨てられたシンデレラ、学校に行かせてもらえず閉じ込められていた赤ずきん、母親の腐乱死体と暮らしていた白雪、心ない親類の間をたらい回しにされたかぐや、などなど・・・。

主人公の百合花やその兄の諒士も、金銭的な援助は惜しみなく注がれていますが、ふれあいはほとんどなく放置同然の扱いで育った人々です。

そんな彼らが、出会って少しずつ一緒に過ごす中で、互いを想い合う気持ちが生まれるんですね。

 

愛って教育で授けられるものではないんですね。

誰に教わらなくても、誰かを愛することができる。

逆に、親や家族に愛されて育っていても、他人を誰一人愛することができない私のような人間もいるわけで、その非対称性にまた「なんだかなぁ」と思う気持ちもありますが・・・。

現実生活で関わる人間は誰も好きになることができない私ですが、ゲームの中のキャラクターたちは皆本当に愛しく感じます。赤ずきん可愛い。グレーテル大好き。

 

ゲームを一通りプレイした後、あらためてオープニングムービーを観て、しみじみ「素敵な作品だなぁ」と感動しました。

『大正×対称アリス』は、百合花が決死の思いで紡ぎだした”愛のおとぎ話”の記録なんですね。


PS Vita用ソフト「大正×対称アリス HEADS & TAILS」オープニングムービー

また、今作に触発されて図書館でルイスキャロルの『鏡の国のアリス』も読んでみました。読んだことなかったんですが、読んでもよくわからなかったです(残念)。

でも、確かに冒頭文はよかったです。

 

さらに、あらためて実感しましたが、とにかくこの作品は絵と音楽も素晴らしいです!

特に感動したのが、アフターストーリーの白雪編で流れた白雪のキャラクターソング「White kiss」。こんな素晴らしい曲があったなんて、今までノーマークでした。


『大正×対称アリス キャラクターソングシリーズ vol.5 白雪(cv:蒼井翔太)』

アフターストーリーではこの曲のpiano versionが流れます。これがまた素晴らしい。ぜひフルで聴きたいです。

love solfege様は本当に素敵なBGMを奏でますね。物語にぴったりな、他の音は考えられないくらい「これしかない!」という音楽です。

 

大正×対称アリス』、そして『大正×対称アリス HEADS & TAILS』は、乙女ゲーマーにかかわらず、すべての物語中毒の皆様にプレイしてほしい傑作です。

人間はここまで胸を打つ感動的な物語を紡ぎ出すことができるのか、ここまで美しい作品を生み出すことができるのか、と畏怖の念を抱かざるをえません。

この作品に出会えたことが、今年一番の幸運と言っても過言ではないくらい、本当に本当に大好きな作品です。おわり。

こんな世界はもうどうでもいい:『クジラの子らは砂上に歌う』

現在放送中の梅田阿比原作のアニメ『クジラの子らは砂上に歌う』は

イラストも音楽も素晴らしく美しい作品です。

クジラの子らは砂上に歌う Blu-ray BOX 1

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先月から放送開始されたばかりなのですが、第3話のある一場面が妙にずっと頭から離れないので、記録しておこうと思います。

  

物語全体のあらすじは以下。

砂がすべてを覆い尽くす世界。砂の海に浮かぶ巨大な漂泊船“泥クジラ”で暮らす人々の多くは、感情を発動源とする超能力“情念動(サイミア)”を操るも短命だった。 「外界から閉ざされた“泥クジラ”で短い一生を終える」 その運命を受け入れる少年チャクロは、ある日突然漂着した廃墟船の中で1人の少女と出会う。彼女の故国「帝国」は“泥クジラ”の住人の祖の故郷であり、自分達が流刑囚の末裔であることを知る。帝国との戦いの後、第3勢力「スィデラシア」の青年貴族ロハリト一党を仲間として迎え入れた矢先、チャクロらは短命の原因が“泥クジラ”に命を吸われているためだと知る。あまりにも残酷な秘密に他の者には隠し、守ってゆく誓いを立てる。しかし、無印を蔑み彼らに仕切られることに不満を抱く双児シコクとシコンが印である自分達が泥クジラの運命を決めて無印を切り捨てる呼びかけをし、泥クジラの住人の間に動揺が走る。

Wikipediaより)

原作の漫画は2017年11月現在も連載中で、アニメでどこまで描くのかわかりませんが

アニメは各話のタイトルが登場人物のセリフから取られているんです。

その中で、第三節「こんな世界は、もうどうでもいい」がなぜか異様に好きなのです。

 

平和だった泥クジラがいきなり帝国に襲われ、無抵抗な人々が次々と殺されます。

泥クジラ一強いとされる青年・オウニは、泥クジラが襲撃された直後まで”体内エリア”と呼ばれる、船の中の監獄のようなところに収容されていました。

外の異変に気付いて体内エリアから出てきたときには、すでに仲間の何人かが殺された後でした。

オウニは元々泥クジラでの日々を面白く思っておらず、外の世界にずっと憧れていた青年です。自分の信頼できる仲間だけでグループを作り活動していて、泥クジラの規律を度々乱しては体内エリアに収容されることが多かったので、彼のグループは”体内モグラ”と呼ばれていました。オウニはそこのリーダー格なのです。

憧れていた外の世界からやってきた帝国の人間に仲間を殺されたオウニは、外の世界が思い描いていたような未知なる世界でないことを知り、また、仲間を救えなかった自分への深い絶望からやけになります。

「・・・こんなもんかよ

俺やこいつらが憧れてきた砂の海の外は

顔の見えない人間かもわからない連中が

簡単に俺たちの夢を踏みにじる

・・・そんな世界だったのかよ」

「オウニ!!」

「・・・目ぇ覚めたわ

 

もういい

 

どうでもいい」

梅田阿比クジラの子らは砂上に歌う②』秋田書店 H26.4.30) 

アニメでは、オウニの声は梅原裕一郎さんが演じていらっしゃるのですが

もう彼の「どうでもいい」が脳裏に焼き付いて離れないのですよ。

観ているこちらも、「ああ、ほんと、もうどうでもいいや」と感情を引き摺られるような、迫真の「どうでもいい」なんです。

 

この第3話を観てから、つまんない仕事も、めんどくさい取引先も心の底から「どうでもいい」と感じるようになり、あまりとり合わなくなりました。

投げやりだけれど気は楽です。

 

オウニはその後帝国の兵士を次々と殺し、捕虜をとらえて帝国の情報を吐かせたりして、なんだかんだ言いながらも泥クジラの主要戦力として帝国に立ち向かっていきます。オウニは本当に強くてかっこよくてイケメンです。オウニ大好き。

 

アニメはエンディングテーマもとても良いのです。

TVアニメ『クジラの子らは砂上に歌う』ED主題歌「ハシタイロ」

TVアニメ『クジラの子らは砂上に歌う』ED主題歌「ハシタイロ」

  • アーティスト:rionos
  • 発売日: 2017/10/25
  • メディア: CD
 


rionos/ハシタイロ MUSIC VIDEO(FULL SIZE) (TVアニメ『クジラの子らは砂上に歌う』ED主題歌)

美しいメロディと和音、このエンディングに乗って展開される次回予告も毎回とてもドキドキする演出で大変素晴らしいです。

続きが楽しみなアニメがあるというのは実に幸せなことです。

どうでもいい世界における、ほんの一粒の光のような。おわり。

 

原作も面白いです。やっぱりストーリーをきちんと追うには漫画ですね。

 

ダーク成分補給:『SWEET CLOWN ~午前三時のオカシな道化師~』

毎日笑ってゴキゲンに過ごしたい。そう思う気持ちも嘘ではないですが

時折どうしても暗いもの、悲しいもの、怖いものに惹かれてしまいます。

自分の中の明るい部分と暗い部分のバランスをとるように。

そんなわけで、『SWEET CLOWN ~午前三時のオカシな道化師~』は暗いけど面白いゲームでした。

主人公の橿野柘榴17歳は、5年前に双子の弟と白樫の森で離れ離れになって以来、心の中の何かが欠けたままの女の子です。

ある日明らかに怪しげな"午前3時のお茶会"の招待状を受け取った彼女は、

そのお茶会の場所と日時が弟を失った日と同じであることに引っかかりを感じ、その危ないお茶会に出向いてしまいます。

そこで出会ったのは、柘榴と同じように「何かを失い欠けている」少年たちと、「スイートクラウン」と名乗る悪魔とその部下たちで・・・というような話。

 

BGMも背景デザインも全体的に不気味でダークでゴシックな雰囲気で、物語世界にぐんぐん引き込まれました。

イラストは綺麗で幼い感じで可愛らしいですが、キャラクターの性格は主人公の柘榴も含めて総じて悪くて、でもそこがいいと思いました。

明るくていい子で応援したくなるような登場人物には心が洗われますが、共感できるかどうかは別問題です。

その点、このゲームのキャラクターたちは、ゲスすぎて呆れてしまう人もいますが、「気持ちはわかる」と思わず共感してしまいます。

 

以下キャラクターの感想です。

【蜜原誠丞】

生まれついた美貌と両親から正しい愛を注がれなかったことによる歪んだ性格で女たらしのゲス野郎になってしまった少年。話せば話すほどクズ、でも嫌いにはなれないタイプでした。彼は演技をするのが大変上手な分、綺麗事を許せない純粋さと真理を見抜く慧眼を持ち合わせていて、そこは素直に感心しました。

「俺は最初から誰も好きなんかじゃないし、誰も信じちゃいない」

「”ありのままの貴方が知りたい?”綺麗事言うな」

「人間、知り合いには皆偶像を作る。興味があればあるだけ、偶像は膨らんでいく」

「そしてその通りの人物でなければ、人は失望する。”ありのまま”を受け入れる人間なんていないんだよ」

さすがよくわかっていますね、蜜原少年。私も肝に銘じたいと思います。

【久瀬蒼馬】

スイートクラウンの手によって柘榴のために作られた菓子人形の少年。魂は蜜原が生まれるときに失った双子の弟。菓子人形なので人生の記憶がほとんど無いけど柘榴のことを大切に思っている、都合のいい存在でした。こんな人形が1人くらいいたらいいかもしれません。

【古橋旺一郎】

パッケージデザイン的にメインヒーローっぽいのに影が薄い青年でした。物語の根幹に関わる元王子様で、スイートクラウンの双子の兄だった人。

【日之世武尊】

眼帯のイカれサド少年。とにかく頭おかしい感じの人ですが、柘榴と両想いになった後は結構可愛い男の子でした。ツンデレはやっぱりいいですね。いや、ツンデレとはちょっと違うかもしれませんが・・・一番性欲もありそうで、性格はゲスですが健康的な少年でした。

【真井知己】

このゲームの中で一番萌えました。実は柘榴の双子の弟であった少年。

双子の姉である柘榴のことが好きすぎて好きすぎて(もちろん性的な意味で)、己の欲に耐えられずにスイートクラウンの力に頼らざるをえず、5年前に離れ離れになったのでした。

血縁の兄弟なので、彼のルート(真相ルート)ではラブラブになることはありません。でも、どのエンディングも胸がきゅっとなるストーリーでした。

私は一人っ子なので姉弟の近親相姦ものには抵抗がなく萌えに萌えます。双子の姉と弟で愛し合う閉じた世界は歪んでいますが美しいと思いました。

【スイートクラウン】

骨のピエロみたいな姿をした悪魔。午前3時のお茶会を開いた首謀者。

彼の能力はゲーム全体の核なんですが、非常にユニークな能力ですね。「他人の願いを叶えることができるが、願いを叶えた本人をお菓子にして食べてしまう」という。

さらに、「スイートクラウンになると甘いお菓子と紅茶しか受け付けない体になる」って、面白すぎます。私もスイートクラウンになってみたい。

柘榴を次のスイートクラウンにしようとするのですが、スイートクラウンになるためには"欲"の力が足りない柘榴。強欲になればなるほどスイートクラウンに近づくのです。すごいなぁ、この設定ひらめいた企画者は天才です。

柘榴が攻略対象に恋心を抱き始め、好きになればなるほどお腹が減ってお菓子を食べずにいられなくなる様は、やっぱり不気味で怖いです。でも面白い。

恋の、相手の全てが欲しくて欲しくて仕方がなくなるどうしようもなさを巧みに効果的に描く素晴らしい設定だと思います。

【ネージュ】

サブキャラクターのロバでスイートクラウンの部下である悪魔なんですが、彼(彼女?)の一挙一動には本当に笑いました。多分登場人物の中で一番性格が悪いんじゃないでしょうか。でも好きです。

以下、ネージュの名言。

「卑劣なのは当たり前。人間なんて皆不幸のどん底に落ちて泣きわめけば良い。 その方がずっと面白いです」

「この面白さが分からないなんて哀れです。心から可哀想な奴ですよ」

共感しちゃいけないかもしれませんが、共感できて笑ってしまいました。

 

 

私だって、いつも他人の不幸を望んでいるわけではありません。

世界が平和になればいいと思うし、皆好き勝手して幸せになれればそれが一番いいとも思います。

しかし、世界はいつまでたっても平和になんかならないし、理不尽と不条理に満ちているし、綺麗事にはヘドが出るのが現実です。

そんな現実に揉まれて、時には「皆死ね」と思ってしまうことはありませんか?

私はあります。

そういう心の毒素をいい感じにエンターテイメントにした作品がこのゲームだと思います。


SWEET CLOWN ~午前三時のオカシな道化師~ オープニングムービー

音楽も本当に世界観によく合っていました。サントラ欲しいな〜。

 

前向きでおあつらえ向きな予定調和に辟易している乙女にオススメのゲームでした。おわり。