れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

のんきに、真摯に、ひとを愛す『いとしの猫っ毛』

BLばかりおすすめしていてアレかもしれませんが、優れた作品が多いのですよ。ボーイズ・ラブ。

いとしの猫っ毛 (シトロンコミックス)

いとしの猫っ毛 (シトロンコミックス)

 

近所のTSUTAYAで見かけてなんとなく手に取ったのです。

作者の雲田はるこさんは、現在好評放送中のアニメ『昭和元禄落語心中』の原作者でもあり、どことなく昭和っぽい絵がコミカルでほのぼのします。

『いとしの猫っ毛』はストーリーと言うほどのストーリーはないというか、どちらかというとドラえもんクレヨンしんちゃんのような、個性的で魅力的なキャラクターの日常を描き出す作品です。

 

主人公の沢田恵一(恵ちゃん)が、地元・小樽から恋人の住む東京に上京してくるところから、物語ははじまります。

小学生のころから幼馴染だった花菱美三郎(みいくん)と高校3年生のときに恋人同士になり、みいくんの事情で6年間遠距離恋愛になってしまったものの、なんとか一緒に暮らせるようになった2人。

ところが、クタクタになって空港からみいくんの住むアパート”またたび壮”にたどり着いた恵ちゃんを待っていたのは、オカマのポンちゃん、夜の蝶ヨーコさんとその息子ケンタ、そしてオタクの蛭間さんという変人達でした。

クセがありながらもやさしい住人たちと、いとしい恋人に囲まれて、恵ちゃんの新生活がはじまるのです。。

 

1巻が春、2巻が夏、3巻が秋で4巻が冬という流れで描かれています。

また、恵ちゃん・みいくんの学生時代を描いた「小樽篇」もありますが、そちらは若干シリアスな内容です。でもそれもいい。

みいくんは幼いころからとにかく恵ちゃんが大好きで、それは24歳のいまでも変わらないのです。それどころか、一緒にいればいるほど、どんどんもっと好きになっていくようです。

恵ちゃんも、もとはノンケだったのですが、みいくんと真剣に向き合えば向き合うほど、彼にさらに恋に落ちる自分に気づいていきます。

 

ほんtttっとーーーーーーーーーに、仲良しなんですよね、この2人。

 

世の中にどれくらいこんなに愛し合っているカップルがいるのかわからないですが、世界一好きあってるんじゃないかと思うくらい、仲がいいです。

4巻でみいくんが祖母の仕事の手伝いで海外に出かけてしまう回があるのですが、そこでヨーコさんが2人のあまりの仲のよさに心底びっくりするシーンがあって、私もやはりヨーコさんと同じようにびっくりしました。

「そういえばおれ

一人でいる方が楽とか 考えたことないなあ」

「え゛っ そうなのアンタら」

「ウンそうだよ

みいくんに何も気い使う事ないしょお」

「アタシだってケンタが遊べってうっとおしい時あるし

ケンタに邪魔にされる事もあるし」

「ウーン邪魔かあ

ン――― 無いなあ

いつまでだって一緒に居れますよ」

「ちょっとアンタたち変よ」

「そう?」

「人間じゃないよ」

「嫌だあ~」 

邪魔に思うことが無いって、他人に対して滅多にないのではないでしょうか。

私はどんなに好きな相手でも、邪魔にならないことは無いです。今までの経験上。

みいくんと恵ちゃんって、本当に2人で1人というか、まさに「ニコイチ」といった風情なんですよね。

ファンタジーですけど、そういう相手に出会えたことを羨ましく思う部分もあったりして、だから2人の世界にものすごく引き込まれるのです。

 

そして、そんな愛し合う2人ですが、とにかく性格がのんき。

2人だけではなく、またたび壮の住人全員のんき。

オマケに恵ちゃんの家族もみいくんの家族も、みいくんの友だちもみんなのんきです。

この漫画の大きなキーワードでもあると思います。「のんき」って。

いい意味で肩の力が抜けて、「ああ、これでいいのだ」と赤塚先生のようなセリフが出そうになるくらい、ゆるい気分になれる漫画です。

この絶妙な脱力具合って、実は描くの難しいと思うんですよね。

あんまりお気楽すぎては、かえって腹が立つような気がしますが、『猫っ毛』にはそういう癇に障る能天気さはなくて、自然に腑に落ちるのんきさなのです。

それが凄く心地いいです。

だから、結構寝る前なんかに読みます。幸せな気持ちで眠りにつけます。

 

BL作品としてのエロもあるにはありますが、どうもこの作品のエロは常に笑いとセットなので、ドロドロのエロBL希望の方にはおすすめしません。

どこまでもほのぼのした、そしていとしい漫画です。おわり。

劇場版アニメ、ひいては映画の最高峰『同級生』

映画館に同じ映画を3回以上観に行くという経験をはじめてしました。

観るたびにキュンとくる、観るたびにジーンとする、観るたびに幸せな気持ちになる。

そういう映画が中村明日美子原作『同級生』です。

f:id:letshangout:20160227194026j:plain

20日の公開初日に観に行って、本当に感動して、

次の日中野ブロードウェイで開催されていた原画展にも行ってきました。

f:id:letshangout:20160227194213j:plain

f:id:letshangout:20160227194835j:plain

作者の中村明日美子さんの作品は『ウツボラ』と『鉄道少女漫画』シリーズしか読んだことがなかったのですが、この「同級生」展を観た後、また劇場で映画を観て、その後原作シリーズを購入して読みました。

原作ももちろん素晴らしいです。BL界では知らない人はいないとまで言われることもある名作中の名作です。

しかし、原作が素晴らしくても、アニメ化したり実写化したりして、残念な結果になってしまうものも世の中にはたくさんあります。

でも、映画『同級生』は原作を超えるほどの良作になりました。

アニメやBLという枠を超えて、映画としてこんなにも美しい作品がこの世にどれくらいあるのか?と思うほど、美しい映画です。

人物の描写、背景となる校舎や街並みや木々や雫の一粒にいたるまで、非常に繊細に美しく活き活きと描かれています。

そして音響や音楽も大変良いです。絵や効果を引き立てる、最高にいい仕事をされています。

初日の舞台挨拶で原作者の中村先生が、作品を「絵と音の総合芸術」と評した話をネットで見かけましたが、非常に的確な表現でびっくりしました。

本当に”総合芸術”そのものだと思います。

この映画に関しては、あらすじやら前評判やらすべて流して、とにかく観てほしいと心から思います。

観るとね、本当に胸のところがキュンとなりますよ。

恋したくなるし、優しい気持ちになれます。

そういう映画です。

こんなに美しい映画に出逢えて、心から幸せに思います。おわり。

 ***

こちらの曲をBGMに書いていました。

毎日聴いてます。名曲。

同級生

同級生

 

ヤクザにはなれる とりあえずは誰もが 『囀る鳥は羽ばたかない』

ここ数ヶ月BL漫画を読み漁っている私ですが、BLの枠を超えてとにかく底抜けに面白い!と夢中になっている作品がこちら。

囀る鳥は羽ばたかない 1 (HertZ&CRAFT)

囀る鳥は羽ばたかない 1 (HertZ&CRAFT)

 

もう、びっくりするくらい面白くて毎朝目覚めた布団の中で読んでいます。

 

あらすじは以下。

真誠会若頭の矢代は、男なら誰でもいい淫乱と噂される男だったが、部下には手を出さないと決めていた。 けれど、付き人兼用心棒の百目鬼だけは例外だった。 性的に不能で感情を見せない百目鬼の存在は、何をしても性的対象として見られることのない安心できる存在のはずだった。 一方、何者かの銃弾に倒れた矢代を目にした百目鬼は、自分の矢代への想いがなんであるのか、はっきりと理解した。 矢代のために変わることを決意した百目鬼と、そんな百目鬼に戸惑う矢代。 ふたりの関係が変わり始めた——!?

(ドラマCD『囀る鳥は羽ばたかない』公式サイトより)

主人公の矢代がとにかく大好きです。

美人で淫乱ネコで真性マゾのヤクザの若頭って、すごいキャラですよね。その性質ひとつひとつが飛びぬけててこんなぶっ飛んでるのに、

かわいいんです。

高校からの腐れ縁で医者の影山にずっと片想いしている様子なんて、ほんと乙女なんです。そんな乙女が美男でマゾで淫乱でヤクザの若頭なんて・・・萌え禿げます!!

 

でも本当に矢代に惹かれるのはその飄々としたたたずまいと独特のものの見方・考え方です。

矢代は小学生のときに母親の再婚相手の親父に性的虐待を受けます。中学を出るまで義理の父に犯され続けた彼は、いつしか真性マゾでセックスのことが頭から離れない淫乱に育ってしまいました。

しかしそんな境遇で育った自分を特に哀れに思うでもなく、すべてを受け入れ、どこまでも変態になっていく矢代のすがすがしさに、私はどうしようもなく焦がれました。

 

矢代の言葉はとっても心に残ります。

百目鬼の内ポケットに入っていた百目鬼妹が絵で賞を取った記事の切り抜きを見つけたときの独白がこちら。

自慢じゃないが俺は俺のことが結構好きだ

俺という人間をそれなりに受け入れている

 

よって人を羨んだことはない 

ただの一度も―――

 

(ヨネダコウ『囀る鳥は羽ばたかない①』大洋図書 2013.1.30)

 

明け方鉄砲で撃たれて死にかけたときに見た走馬灯のはざまの独白はこちら。

俺は 全部受け入れてきた

 

何の憂いもない 誰のせいにもしていない

 

俺の人生は誰かのせいであってはならない

 

人間を好きになる孤独を知った

 

それが”男”だという絶望も知った

 

俺は もう充分知った

 

(ヨネダコウ『囀る鳥は羽ばたかない②』大洋図書 2013.11.1)

 

行方不明になった部下を探して病院を抜け出したときの独白はこちら。この部分は特に好きです。

ヤクザにとって欠かせないものとは何かと問われたら

多分こう答える

 

その1 金(をつくる頭)

その2 金(を作る行動力)

その3 面子(見栄)

その4 権力(出世欲)

 

ただし

欠かせないものが欠けていてもヤクザにはなれる

とりあえずは誰もが

 

(ヨネダコウ『囀る鳥は羽ばたかない③』大洋図書 2015.6.1)

仕事が嫌になったとき、この言葉をよく言い換えて唱えたりします。

「欠かせないものが欠けていても営業にはなれる とりあえずは誰もが」とか。

”ヤクザ”の部分に自分の向いてない職業名を入れて唱えると、なんだか気が楽になります。

矢代は無駄な力がまったく入ってないんですよね。柳のような人です。

それでいて賢くて、申し訳程度に人情もある。

だからとにかく魅力的なんです。

 

百目鬼は一目惚れしてどんどん心酔してるし、影山も腐れ縁といいつつずっと気にかけているし、三角(矢代の上司)は矢代がかわいくてしょうがないし、竜崎(矢代の兄弟分)もなんだかんだ言って矢代を嫌いになれない。っていうか好きなんです。

みんな矢代が大好きなんです!!!!

だってかわいいし美人だし賢いし優しいし!!!!

私も大好きです!!!!

 

これでもし矢代が女だったら、またぜんぜん違った感じになるんでしょうけどね。

やっぱり男っていいですね。

BLを読めば読むほど、自分の女体やジェンダーが面倒に感じます。

私だって矢代みたいにすべてを受け入れて、自分という人間をそれなりに好きになりたいんですけどね。難しいですね。おわり。

1人で。産まないで。『Revolutionary Road』

先日会社の女性陣5人で外にランチに行きました。

メンバーは私と営業事務2名、制作部2名。

制作部の主任と私は独身で、他の3名は既婚子なし。そのうち2名は現在妊活中です。

そんな5人でおしゃれなイタリアンに行き、料理が来るまでの間、好きな映画についての話になりました。

それぞれが結構映画を観る人間で、そんな中独身上司が「サム・メンデス監督の暗い作品が好き」という話をしました。

彼女があげた作品は『アメリカンビューティー』と『レボリューショナリーロード』で、特に『レボリューショナリーロード』は観た後の救いのない気持ちがなんともいえないと熱弁していました。

レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで (字幕版)
 

その話をずっと覚えていて、今その2本を観ました。

最初に出てきた感想としては「そんなに暗くなかったなぁ」でした。

救いがないといえばないかもしれませんが、観た後の心地はわりとよかったです。もっと胸糞悪くなるかと思っていたけれど、むしろすがすがしい気分でした。

***

あらすじは以下。

1950年代のアメリカ。フランクとエイプリルは、子供にも恵まれ幸せに暮らしていた。郊外の「レボリューショナリー・ロード」と呼ばれる通りに面した庭付きの一軒家、都会の大企業への電車通勤、週末のリゾートへの小旅行。まさに二人は戦後のアメリカが黄金期を謳歌していた時代の体現者だった。だが、2人はそんな暮らしにどこか閉塞感を抱いており、絵に描いたような「幸福な家族」の崩壊は間近に迫っていた。

エイプリルは俳優志望だったが才能に恵まれなかった。フランクと結婚して2児を儲け、主婦業に専念しようとしていた。他方、フランクは、かつて父親が働いていた会社で、生き甲斐を見いだせず、浮気したりしていた。ある日、エイプリルは、結婚当初にフランクが憧れていたパリでの生活が、フランクの人生を意味あるものにすると考えた。自分が諦めた人生の生き甲斐を、夫に追求して貰うべく、そこに生き甲斐を見出そうとした。フランクもエイプリルの計画に賛同し、両者は、この点で意見の一致を見た。しかし、不運にも、エイプリルは妊娠してしまい、計画は御破算になった。フランクに自分の人生をやり直させようとしたエイプリルにとって、計画通りに事が運ばないことは、自分の人生の終わりを意味していた。出世という平凡な幸運に引き寄せられるフランクの子供を産み育てることにも意味を見出せなかった。何か別の生き方・価値観を模索するエイプリルと、そうではないフランクとの間には、決定的な溝があった。エイプリルには、自らの手で堕胎する道しか残っていなかった。エイプリルは出血多量で死亡し、フランクは2児を連れて「レボリューショナリー・ロード」を去り、ニューヨークに居を移した。

(Wikipediaより)

1950年代を舞台にしているので今から60年以上前の話ということになるのですが、

フランクやエイプリルの抱える閉塞感は現代人が非常に共感しやすいものだと思いました。

60年前よりは多少社会の雰囲気も制度もマシなものになっているとは思いますが、それでもエイプリルたちの絶望にこんなに共感できてしまうのは、まだまだ社会の発展が足りない証拠でしょう。

***

私が主人公の夫婦を見て思ったのは「そもそもエイプリルは結婚に向いてないよね」ってことでした。

エイプリルは自分の夢(女優になること)を凄く大切にしていたし、女優でなくても外で何か仕事するのが好きそうなタイプです。

愛する男性に出会ったのはいいけど、第1子妊娠の時点で本当はまだ子どもなんてほしくなかったのでしょう。でも産んだんです。この時代ならその選択肢をとるのは仕方なかったかもしれません。

心の底では嫌だった第1子出産を「これでよかったんだ」と自分に言い聞かせるために、第2子の出産、さらにはマイホームの購入にも踏み切ったと、後に彼女は吐露します。

最初の自己欺瞞が、その後の破綻への引き金となり、結局エイプリルは2人の子どもが小さいうちに死んでしまいました。

***

60年前の話なのに、この不幸の本質は現代の問題と同じだと感じました。

フランクのエイプリルに向けた罵声の数々は、カッとなって正気を失ってたとしても、女性の心を殺すには十分なものです。

特に終盤の「本当は堕ろしてほしかった」というような一言は思わず「あー・・・終わったな・・・」と心の中で呟いてしまいました。

自己中絶の道具を見つけて怒り狂って説得した人が「本当は堕ろしてほしかった」だと?って感じですよ。私がエイプリルだったらあの時点でフランクを殺してますね。

フランス行きが消えてどんどん追い詰められるエイプリルを見ていると、妊娠が女性しかできないっていうのは本当に最悪だと改めて思いました。

妊婦のことを”身重”と表現しますけど、まさに身が重くなりますよ。あんなに追い込まれたら。

妊娠なんてしてなくたって、エイプリルは今の生活が既に窮屈だったのです。家に閉じ込められ、顔見知りに囲まれた町に閉じ込められ、夢を断たれた世界に閉じ込められていたんですから。

そこに追い討ちのように妊娠。もうゲームオーバーといった感じですよ。

***

今回この映画を観て改めて”1人で生きていく決意”・”産まない決意”について思い返しました。

以前も書いたように、私はずっと、自分は生まれてこなければよかったと思っています。

生きるのが怖くて苦しくて嫌だったので、その気持ちを自分が誰かに産み与えるなんて絶対に嫌なのです。

だから周囲に何を言われようと、もし愛する人に「産んでくれ」と頼まれても、それだけはしてはいけないことだと心しています。

 

その決意は固いんですが、やはり女性という性別と25歳という年齢もあり、今の社会環境からは容赦なく「子ども産め」という圧力がかかってきて、それはしんどいです。

「結婚しないの?」というのもありますが、そのセリフの背景もやはり”子ども産め”でしょう。

 

最近は行政との仕事も多くて、それがまた「少子化対策→婚活パーティ」とか「少子化対策→結婚啓発セミナー」とか、もっとダイレクトに「少子化対策→妊活応援プロジェクト」とか、そんなんばっかりで、本当にゲンナリなんですよね。

別に自分が参加するわけでもないんですけど、絶対に生みたくない自分が、こんなイベントの企画や運営に携わっているというだけで、仕事だと言い聞かせていても不協和が気持ち悪くてしょうがないんです。

 

さらに、営業職について毎日他人とたくさんお話しするようになって、あらためて自分は他人と一緒にいることが向いてないなと感じたんですよね。団体行動が駄目だし、2人でも長時間一緒いるのは無理です。旅行ももう嫌ですね。

コミュ障と言われればそれまでですが、1人でいるほうが精神の安定を得られるようです。

こないだネット記事かなにかで「老人の自殺で多いのは二世帯・三世帯住宅に住んでる人で、独居老人のほうがストレスが少なくて長生きする」みたいな話を読み、嘘かホントか定かではありませんがとても腑に落ちました。

 

淋しい日もありますが、やっぱり私は1人で生きていこうと改めて思いました。

そもそも人間はみんな1人ですけどね、それでも改めてそう思ったんです。

***

最後、自分で堕胎して、出血しながらも窓の外をどこかスッキリした顔で眺めるエイプリルが、とても綺麗で印象的でした。

憑き物がとれたような、肩の荷が下りたような。

だって、胎児って、いずれ人間になるのかもしれませんが、”異物”ですからね。

特にエイプリルみたいな「本当は産みたくない人」にとっては。

***

私は自分が子どもを産むのは嫌ですが、他人が子どもを産むのは嫌ではありません。むしろ、子どもをほしいと思う人には、無事に産んでほしいと願っています。

結婚だって、自分はする意味がさっぱりわかりませんが、したい人はどんどんすればいいし、結婚式だって挙げたい人は挙げた方がいいと思っています。

 

私が嫌なのは、私みたいな結婚も出産もしたくない人に「結婚って・結婚式ってこんなにいいものだ」「子どもをもつ・家族をつくるってこんなに素敵なんだ」と共同幻想を押し売りすることです。

こんなことがまかり通る世界が、一刻も早く終焉を迎えますように。

エイプリルたちのような苦しみから、1人でも多くの方が解放されることを願います。おわり。

『彼女とカメラと彼女の季節』

このあいだ久々に夢中になって読んだ漫画、『彼女とカメラと彼女の季節』。

Kindleで1巻が無料だったのですが、面白くて5巻まで購入してしまいました。

最近BLをよく読んでいましたが、こちらはどちらかというと百合です。

あらすじは以下。

高校3年生になった春、深山あかりは、代わり映えしない日常と窮屈なトモダチ関係に、違和感を覚えていた。しかし、二眼レフを携えたクールな美少女・仙堂ユキと出逢い、くすんだ毎日が、とたんに輝き始める。奔放なユキに振り回されるうち、あかりの「好き」という気持ちは次第に高まっていく……。

(講談社コミックプラスより) 

物語の舞台は岩手県盛岡市で、豊かな自然がとてもよく描かれています。

私は盛岡は電車で通りかかって少し途中下車したことしかないのですが、この漫画を読んで旅行したくなりました。

***

まず、物語の主軸となる3人のキャラクターがとても魅力的でした。

深山あかりは顔は可愛い系、性格は地味だが家庭環境があまり裕福でないこともあって卑屈な一面があります。

仙堂ユキは個性的な美人でカメラ・写真狂です。写真のことばかり考えているけれど、その奥には仕舞い込んだ強い感情があり、本人はそれを忘れています。天才肌で奇特だけれど、素直で憎めないタイプ。かっこいいですね。

そしてそんな二人の女子に翻弄される野球少年・香川凜太郎。幼いころユキと義理の兄妹だった過去があり、現在もユキを気にかけています。あかりのことがずっと好きで、屈託なくアタックするさわやか少年ですが、自分のその外面のよさに少し思うところもあるようです。勉強もよくできるし、気配りもできるすばらしいイケメン。

 

3人とも凄く好きで、でもやっぱりユキが1番好きです。

美人だし、「私にはこれしかない」っていう迷いのなさがかっこいいし、性格もさっぱりしていて、憧れます。

 

ユキの1番好きなエピソードを思い出したのでご紹介します。

あかりがだんだんユキと一緒にいる時間が長くなって、かつてあかりがつるんでいた女子のグループが、面白くないのかユキにちょっかいを出すんです。

あかりのところにユキがくると「カップル2人おそろいで♪」「結婚式はいつですかぁ?」と冷やかすのですが、その低俗ぶりにあかりがげんなりしていると、

ユキはひらめいたように鞄からある写真を出します。

その写真は・・・先日あかりがユキの家に泊まりにいった日、ユキがあかりの入浴中に乱入してふざけて撮った2人のキスショットでした(とても色っぽいんですこれが)。

からかっていた女子たちはその写真に大騒ぎして「何!?やっぱり2人っていつもこういうことして遊んでんのー?」「マジだね!!」「えーでもなんか絵になるっていうか」「写真カッコいいかも!」と調子に乗り、

そしてあつかましくも「私たちのことも撮ってよ仙堂さん」などと言い出す始末。

ついにあかりがキレるかというところでユキの名台詞

ブスは撮らない

に爆笑しました。

「いいでしょこれ」とキスショットを得意げに見せると上機嫌で去っていくユキに、あかりはもう「ユキしかいらない」と思うようになるのでした。

***

凜太郎はあかりが好きで、あかりはユキが(性的に)好きで、ユキは実はずっと凜太郎が好きという構図が、物語が進むに連れてどんどん捩れて縺れていきます。

それぞれに傷つけあい、でも惹かれあって、結局大人になってもお互いを思いあっているという、とてもいいラストで、読後感もとてもよかったです。

 

やっぱり同性愛ものを読むと、「好き」って気持ちが純粋に心に入ってきていいなと思ってしまいました。

凜太郎も本当にいい奴だと思うけれど、凜太郎があかりを求める気持ちとあかりがユキを求める気持ちを並べると、どうにもあかりを応援したくなってしまうんです。

最近この傾向が非常に強くて、でも自分は同性を好きになることはほぼなさそうだし、この不協和がたまに気持ち悪いです。

でも、男性を好きになれないなぁ。

 

あと、この漫画を読んだらカメラがほしくなってしまいます!

一眼と二眼、両方ほしいです。おわり。

「アヤナギ・ショウ・タイム」中毒


「スタミュ」 SHOW TIME 6 team鳳&team柊 CM - YouTube

今秋放送中のアニメ「スタミュ」、皆様ご覧になっていますか?

今季やけに目に付くミュージカルアニメのなかでも一際輝いている作品、それが「スタミュ」なんです!

うたプリとはまた違ったキャラ萌えが楽しめます。

 

私は基本的に、ストーリーの中でキャラがいきなり歌いだすとぞわぞわして早送りしてしまうんですが、スタミュの中の「アヤナギ・ショウ・タイム」だけは癖になってリピートしまくりました。

さらにはフル音源もDL購入・・・毎日聴いています。

主人公・星谷率いるteam鳳と、学年トップ集団team柊でアレンジが違うのですが、

どっちも凄くいいんです!でもteam鳳のほうが若干好みかもです。


Ayanagi Show Time ~Otori Arrange Ver.~ - Team ...

那雪くんかわいいーーーーーーーーーーーーー!!!!!!

空閑くんも好きです。

アニメ自体も結構性別問わずに楽しめるストーリーでお勧めですが、

とにかくこの「アヤナギ・ショウ・タイム」は最高傑作です。

ちょっと昭和っぽいメロディとアレンジで、王道のアイドルソング感があって、

また聴きながら各キャラが歌って踊る様子が目に浮かんできて、ああ~萌えます。

聴くと思わず顔がにやけてしまうくらいハマっています。

いや~2015年も終盤ですが、こんないい曲がまだ出てくるなんて、ラッキーです。おわり。

  

アヤナギ・ショウ・タイム

アヤナギ・ショウ・タイム

  • 発売日: 2015/11/11
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

『透明人間は204号室の夢を見る』

久々に面白い小説に出逢いました。

透明人間は204号室の夢を見る

透明人間は204号室の夢を見る

 

奥田亜希子『透明人間は204号室の夢を見る』。

先日東北のとある有名な書店員さんのいる本屋へ行きまして、そこで見つけた作品です。

私は奥田さんのことすら知らなかったのですが、ぱっと見が読みやすそうだったので手に取ってみたら、まさかこんなに面白いとは!恐れ入りました。

***

主人公の佐原美緒(23)は友達も恋人もいない処女でいわゆる”喪女”キャラです。

学生時代からずっとひとりぼっちで根暗な美緒は自然と読書が好きな文学少女となり、高校時代に書いて送った小説が新人賞をとり作家デビューします。

高校生の文壇デビューはたちまちニュースとなり、授賞式やインタビューなどのきらびやかな世界を体験した美緒の世界はひらけます。

しかしその後、大学進学せずに専業作家を目指して上京した美緒でしたが、まったく筆が進まず失意の底へ落ちていきます。

美緒を気にかけてくれる編集者のつてでライター業をはじめますが、それだけでは食べていけないので、深夜の棚卸のバイトもかけもちする日々。

そんなある日、美緒はとある書店に1冊だけ置いてある自著に手を伸ばした青年を目撃します。

存在感のまるでなかったその本に触れてくれた青年に心を奪われた美緒は、その後青年を尾行し、彼の自宅をつきとめます。

さらにはポストを調べ、青年が204号室に住む千田春臣という大学生であることを知ります。

帰宅した美緒は、久々に物語を書きたい衝動に駆られ、ひとつの話を紡いだ後、数日にわたり推敲を重ね、完成したその掌編を、無記名の封筒に入れて春臣の家のポストに入れるという奇行にでます。

さらに美緒はSNSで春臣のページを見つけ、それから毎日チェックします。さらには、そこで知った春臣の彼女・津埜いづみのページまでチェックするようになります。

しかしいづみに嫉妬心があるのかというとそうではなく、いづみの可憐さに快さをおぼえ、春臣のセンスを誇らしく思うような、そんな感情を抱いていきます。

 

そうした日々の中、ある日いづみの投稿に不穏な影を見つけた美緒。

本が好きで小説を投稿していたいづみは、とある出版社から共同出版の打診を受けたという話を書いていました。

共同出版の中には詐欺まがいの自費出版など、トラブルになるケースが多々あることを知っていた美緒は、いづみが心配でたまらなくなり、ついに本名で登録し直しいづみの投稿に偶然見つけたと装い忠告コメントを書きしるします。

いづみは美緒のコメントを受け出版社の依頼をもう一度精査し、やはり怪しい依頼だったことが判明し、助けてくれた美緒にお礼がしたいと言い出します。

元来断れない性格なのと、いづみへの好奇心から話を受けた美緒。そして、いづみはその後も何かと美緒に連絡をとり、ついには春臣にも美緒を紹介して・・・。というような話です。

***

まず、主人公の美緒に物凄く感情移入してしまいました。

私は美緒のように無口でもないし、学校生活では常に友人たちと行動をともにしていたし、まったく共通点のない青春時代を送っていたのに、何故か非常に共感できました。今現在友達も恋人もいないからでしょうか。

美緒のような不器用さをもつ登場人物と言うのは、おどおどしている感じが癇に触ったりすることもあるのですが、この物語ではとても応援したくなるいい主人公だったと思います。

特に同情というか、ああそうだよなぁと心が震えた記述が、はじめていづみと会話したカフェの場面で、いづみが「書くことによって救われたのか」というような質問をしたのに対し、美緒が自分が本を読む・文章を書く理由についてせきを切ったように吐露する場面でした。

 「本当は、こんなふうに生きたくなかった気がしています、ずっと」

「えっと、ライターにはなりたくなかったってことですか?」

空になったグラスに目を移す。氷は半分以上がすでに溶け、かすかに色づいた水が底のほうに溜まっていた。

「友だちが欲しかった」

グラスを摑むと。水滴が手のひらに張りついた。氷がグラスの中を泳ぐ。時折ガラスの壁に当たり、涼しい音が鳴った。

「書くことを仕事にするより、友だちと学校生活を送ってみたかったです。通学路の途中で待ち合わせて、一緒に登校して、帰りは友だちの部活が終わるまで、私は空き教室や下駄箱のところで待つんです。移動教室も、もちろん友だちと一緒です。好きな子同士で班を作れと先生が言ったら、その瞬間に目配せして、組むよね、もちろんって、互いの気持ちを確認し合います。友だちと離ればなれにならないか、クラス替えにどきどきして、体育祭や文化祭の打ち上げで騒いで。修学旅行も、もう楽しみで仕方がないんですよ。二日目の私服の日になにを着ようか、放課後に話し合うんです。そっちがワンピースを着るなら私もそうするね、とか言って、お菓子とか食べながら、何時間も。次の日も学校で会えるのにどうでもいいことで夜中メールしあったり、お弁当を食べながらテレビの話をしたり、本やCDの貸し借りを先生に見つかって怒られたり、誕生日のプレゼントを贈り合ったり。そういうことをしたかった。友だちの恋愛相談にのって、そんな男とは別れなよって言って友だちを怒らせて、だから仲直りの手紙をノートに書いて、それをハート形に折って。そういうことをやりたかった。少し大人になってからは、花見とか海とかスキーに一緒に行くんです。友だちの取り立ての免許で。あ、温泉もいいな。運転中に私が話しかけたら、喋りかけないでって、すごく焦った声が返ってきて。思わず笑ったら友だちが拗ねちゃって、私はお詫びに途中のサービスエリアでコーヒーをご馳走します。そういうことでいっぱいの人生を、本当は送りたかったように思うんです。でも無理だったから。叶わなかったから。誰とも話さないと、一日ってすごくすごく長いんです。昼休みも放課後も、本当に果てしないんです。だから、本ばかり読んでいました。本を読むしかなかった。その延長で、自分でも書くようになりました。書くことには相手がいりません。私の場合はパソコンがあればよくて、たどたどしい言葉しか綴れないときでも、パソコンは私を拒否したり軽蔑したりしません。それだけのことなんです。救われたとか、そんなきらきらしたことでは全然なくて、私はもう、文章と生きていくしかないんです」

この凄い妄想力・・・さすが作家と思いました。

でも、こんな思いをいだいていたら、いづみのようなきらきら星人(美緒の願望を全部体験してきた、それでいていやにポジティブ思考で意思の強そうな人)に反感の一つでもおぼえても不思議ではないと思うんです。ところが、美緒はそうじゃないのです。

美緒は自分の体験したつらい学校生活も、そこで受けた残酷なヒエラルキーも、全部諦めて運命として受け入れているのです。そしていづみや春臣のようなきらきら星人を素直に”健やかな人々”として好意的にとらえ、なおかつ憧れと尊敬の念を抱いているのです。この健気さがさらに胸を打つのです。

 

さらにその後、実は出版業界の人脈がほしいという下心をもっていたいづみは美緒をいろんなところに誘うようになり、同じく文学が好きな彼氏の春臣もいっしょに、美緒の家で宅飲みしたり海へ行ったりします。

友だちを持ったことのなかった美緒は、はじめての体験に多少うろたえながらもときめきが止まらないのです。

特に夏の終わりに3人で海に行った時、「夏がこんなに楽しかったの、生まれて初めて。二人のおかげだと思う。本当にありがとう」と言った美緒には、本当に胸が締め付けられます。

 

が、もちろん美緒はただの根暗で健気な女の子ではございません。何せ春臣の後をつけて自宅をつきとめ、さらに無記名の掌編を何通もポストに入れるような、さらにSNSストーカーまでするような女の子ですからね。やっぱり変なんです。

物語の最後、春臣に掌編の犯人であることがばれて、今までのストーカーまがいの奇行もすべてばれて、一瞬のうちにすべてが終わってしまいました。

春臣は激昂して美緒の部屋に今まで送りつけられた掌編をぶちまけ、もう二度と自分たちに関わるなと捨て台詞を吐いて去っていきます。

ここで夢が覚めたような雰囲気で終わるのかと思いきや、その直後に美緒を何かと気にかけてくれていたデビュー当時の担当編集者から着信がきます。

「どんなに短くてもいいから、なにか書けたら本当に見せてよ。雑誌に載せてあげる、みたいなことはできないけどさ。僕、本当に佐原さんの作品が好きだから」

焦点が定まった。視界の明るさも正常値を取り戻す。冷え切っていた体の奥に熱が灯り、美緒は踊るように部屋を見回した。長方形の紙が散乱している。裏返っているもの、重なり合っているものもあって、印刷面の全てが読めるわけではない。しかし、膨大な数の言葉が、文章が、物語が、今、自分を見上げているのを感じた。すべてが消えてしまったわけではなかった。

一度出たら二度と戻れない。いつか書いた、誰かの台詞が目に入る。自分はもう、薄暗い水の中には引き返せない。

「あの、実は掌編が」

「掌編?」

「いっぱい、あの、たぶん二十作以上はあり、ます。でも、どこかに出すつもりで書いたわけではないので、出来は、ちょっと分からないんですけど」

「え、読みたい読みたい。渡す当てもないのに書いたってことは、佐原さんが本当に書きたくて書いたものってことでしょ? 読ませてよ」 

そうだ、書きたくて書きたくて、書いたのだ。掌編に取り組んでいるときは、書かなければならない焦りとは無縁だった。改めて床に散らばった紙を見つめる。小説を書く理由など、書きたい意思がすべてだ。

私には小説しかない、のではない。私は小説を書く。読んで欲しい人は、いつだって私の中にいる。

この着地の仕方には、思わず声を上げてしまいました。美緒の奇行からはじまったひと夏の思い出が、切なく仕舞われておわり、ではなく、大爆発したあとに強い意思が宿り、確実に一歩前へ進むというエンディングが、痛快であり読後感も非常にいいものにしてくれて、「面白い!」と無意識に声を出していました。

 

ちなみに、こんな屈折した描写ができる奥田亜希子さんというかたは、さぞや鬱屈した人生を送っているのだろうと調べてみると全然違くて、なんと結婚して子どもまでいらっしゃる大変まっとうな方でした。驚きました。偏見をもってしまい反省しました。

小さなお子様を育てながら、こんな物語を描けるなんて、ますます凄い人だと思いました。

ただの自虐ではない、不思議で心地よい喪女の夏物語を、是非読んでみてください。おわり。