れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

『透明人間は204号室の夢を見る』

久々に面白い小説に出逢いました。

透明人間は204号室の夢を見る

透明人間は204号室の夢を見る

 

奥田亜希子『透明人間は204号室の夢を見る』。

先日東北のとある有名な書店員さんのいる本屋へ行きまして、そこで見つけた作品です。

私は奥田さんのことすら知らなかったのですが、ぱっと見が読みやすそうだったので手に取ってみたら、まさかこんなに面白いとは!恐れ入りました。

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主人公の佐原美緒(23)は友達も恋人もいない処女でいわゆる”喪女”キャラです。

学生時代からずっとひとりぼっちで根暗な美緒は自然と読書が好きな文学少女となり、高校時代に書いて送った小説が新人賞をとり作家デビューします。

高校生の文壇デビューはたちまちニュースとなり、授賞式やインタビューなどのきらびやかな世界を体験した美緒の世界はひらけます。

しかしその後、大学進学せずに専業作家を目指して上京した美緒でしたが、まったく筆が進まず失意の底へ落ちていきます。

美緒を気にかけてくれる編集者のつてでライター業をはじめますが、それだけでは食べていけないので、深夜の棚卸のバイトもかけもちする日々。

そんなある日、美緒はとある書店に1冊だけ置いてある自著に手を伸ばした青年を目撃します。

存在感のまるでなかったその本に触れてくれた青年に心を奪われた美緒は、その後青年を尾行し、彼の自宅をつきとめます。

さらにはポストを調べ、青年が204号室に住む千田春臣という大学生であることを知ります。

帰宅した美緒は、久々に物語を書きたい衝動に駆られ、ひとつの話を紡いだ後、数日にわたり推敲を重ね、完成したその掌編を、無記名の封筒に入れて春臣の家のポストに入れるという奇行にでます。

さらに美緒はSNSで春臣のページを見つけ、それから毎日チェックします。さらには、そこで知った春臣の彼女・津埜いづみのページまでチェックするようになります。

しかしいづみに嫉妬心があるのかというとそうではなく、いづみの可憐さに快さをおぼえ、春臣のセンスを誇らしく思うような、そんな感情を抱いていきます。

 

そうした日々の中、ある日いづみの投稿に不穏な影を見つけた美緒。

本が好きで小説を投稿していたいづみは、とある出版社から共同出版の打診を受けたという話を書いていました。

共同出版の中には詐欺まがいの自費出版など、トラブルになるケースが多々あることを知っていた美緒は、いづみが心配でたまらなくなり、ついに本名で登録し直しいづみの投稿に偶然見つけたと装い忠告コメントを書きしるします。

いづみは美緒のコメントを受け出版社の依頼をもう一度精査し、やはり怪しい依頼だったことが判明し、助けてくれた美緒にお礼がしたいと言い出します。

元来断れない性格なのと、いづみへの好奇心から話を受けた美緒。そして、いづみはその後も何かと美緒に連絡をとり、ついには春臣にも美緒を紹介して・・・。というような話です。

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まず、主人公の美緒に物凄く感情移入してしまいました。

私は美緒のように無口でもないし、学校生活では常に友人たちと行動をともにしていたし、まったく共通点のない青春時代を送っていたのに、何故か非常に共感できました。今現在友達も恋人もいないからでしょうか。

美緒のような不器用さをもつ登場人物と言うのは、おどおどしている感じが癇に触ったりすることもあるのですが、この物語ではとても応援したくなるいい主人公だったと思います。

特に同情というか、ああそうだよなぁと心が震えた記述が、はじめていづみと会話したカフェの場面で、いづみが「書くことによって救われたのか」というような質問をしたのに対し、美緒が自分が本を読む・文章を書く理由についてせきを切ったように吐露する場面でした。

 「本当は、こんなふうに生きたくなかった気がしています、ずっと」

「えっと、ライターにはなりたくなかったってことですか?」

空になったグラスに目を移す。氷は半分以上がすでに溶け、かすかに色づいた水が底のほうに溜まっていた。

「友だちが欲しかった」

グラスを摑むと。水滴が手のひらに張りついた。氷がグラスの中を泳ぐ。時折ガラスの壁に当たり、涼しい音が鳴った。

「書くことを仕事にするより、友だちと学校生活を送ってみたかったです。通学路の途中で待ち合わせて、一緒に登校して、帰りは友だちの部活が終わるまで、私は空き教室や下駄箱のところで待つんです。移動教室も、もちろん友だちと一緒です。好きな子同士で班を作れと先生が言ったら、その瞬間に目配せして、組むよね、もちろんって、互いの気持ちを確認し合います。友だちと離ればなれにならないか、クラス替えにどきどきして、体育祭や文化祭の打ち上げで騒いで。修学旅行も、もう楽しみで仕方がないんですよ。二日目の私服の日になにを着ようか、放課後に話し合うんです。そっちがワンピースを着るなら私もそうするね、とか言って、お菓子とか食べながら、何時間も。次の日も学校で会えるのにどうでもいいことで夜中メールしあったり、お弁当を食べながらテレビの話をしたり、本やCDの貸し借りを先生に見つかって怒られたり、誕生日のプレゼントを贈り合ったり。そういうことをしたかった。友だちの恋愛相談にのって、そんな男とは別れなよって言って友だちを怒らせて、だから仲直りの手紙をノートに書いて、それをハート形に折って。そういうことをやりたかった。少し大人になってからは、花見とか海とかスキーに一緒に行くんです。友だちの取り立ての免許で。あ、温泉もいいな。運転中に私が話しかけたら、喋りかけないでって、すごく焦った声が返ってきて。思わず笑ったら友だちが拗ねちゃって、私はお詫びに途中のサービスエリアでコーヒーをご馳走します。そういうことでいっぱいの人生を、本当は送りたかったように思うんです。でも無理だったから。叶わなかったから。誰とも話さないと、一日ってすごくすごく長いんです。昼休みも放課後も、本当に果てしないんです。だから、本ばかり読んでいました。本を読むしかなかった。その延長で、自分でも書くようになりました。書くことには相手がいりません。私の場合はパソコンがあればよくて、たどたどしい言葉しか綴れないときでも、パソコンは私を拒否したり軽蔑したりしません。それだけのことなんです。救われたとか、そんなきらきらしたことでは全然なくて、私はもう、文章と生きていくしかないんです」

この凄い妄想力・・・さすが作家と思いました。

でも、こんな思いをいだいていたら、いづみのようなきらきら星人(美緒の願望を全部体験してきた、それでいていやにポジティブ思考で意思の強そうな人)に反感の一つでもおぼえても不思議ではないと思うんです。ところが、美緒はそうじゃないのです。

美緒は自分の体験したつらい学校生活も、そこで受けた残酷なヒエラルキーも、全部諦めて運命として受け入れているのです。そしていづみや春臣のようなきらきら星人を素直に”健やかな人々”として好意的にとらえ、なおかつ憧れと尊敬の念を抱いているのです。この健気さがさらに胸を打つのです。

 

さらにその後、実は出版業界の人脈がほしいという下心をもっていたいづみは美緒をいろんなところに誘うようになり、同じく文学が好きな彼氏の春臣もいっしょに、美緒の家で宅飲みしたり海へ行ったりします。

友だちを持ったことのなかった美緒は、はじめての体験に多少うろたえながらもときめきが止まらないのです。

特に夏の終わりに3人で海に行った時、「夏がこんなに楽しかったの、生まれて初めて。二人のおかげだと思う。本当にありがとう」と言った美緒には、本当に胸が締め付けられます。

 

が、もちろん美緒はただの根暗で健気な女の子ではございません。何せ春臣の後をつけて自宅をつきとめ、さらに無記名の掌編を何通もポストに入れるような、さらにSNSストーカーまでするような女の子ですからね。やっぱり変なんです。

物語の最後、春臣に掌編の犯人であることがばれて、今までのストーカーまがいの奇行もすべてばれて、一瞬のうちにすべてが終わってしまいました。

春臣は激昂して美緒の部屋に今まで送りつけられた掌編をぶちまけ、もう二度と自分たちに関わるなと捨て台詞を吐いて去っていきます。

ここで夢が覚めたような雰囲気で終わるのかと思いきや、その直後に美緒を何かと気にかけてくれていたデビュー当時の担当編集者から着信がきます。

「どんなに短くてもいいから、なにか書けたら本当に見せてよ。雑誌に載せてあげる、みたいなことはできないけどさ。僕、本当に佐原さんの作品が好きだから」

焦点が定まった。視界の明るさも正常値を取り戻す。冷え切っていた体の奥に熱が灯り、美緒は踊るように部屋を見回した。長方形の紙が散乱している。裏返っているもの、重なり合っているものもあって、印刷面の全てが読めるわけではない。しかし、膨大な数の言葉が、文章が、物語が、今、自分を見上げているのを感じた。すべてが消えてしまったわけではなかった。

一度出たら二度と戻れない。いつか書いた、誰かの台詞が目に入る。自分はもう、薄暗い水の中には引き返せない。

「あの、実は掌編が」

「掌編?」

「いっぱい、あの、たぶん二十作以上はあり、ます。でも、どこかに出すつもりで書いたわけではないので、出来は、ちょっと分からないんですけど」

「え、読みたい読みたい。渡す当てもないのに書いたってことは、佐原さんが本当に書きたくて書いたものってことでしょ? 読ませてよ」 

そうだ、書きたくて書きたくて、書いたのだ。掌編に取り組んでいるときは、書かなければならない焦りとは無縁だった。改めて床に散らばった紙を見つめる。小説を書く理由など、書きたい意思がすべてだ。

私には小説しかない、のではない。私は小説を書く。読んで欲しい人は、いつだって私の中にいる。

この着地の仕方には、思わず声を上げてしまいました。美緒の奇行からはじまったひと夏の思い出が、切なく仕舞われておわり、ではなく、大爆発したあとに強い意思が宿り、確実に一歩前へ進むというエンディングが、痛快であり読後感も非常にいいものにしてくれて、「面白い!」と無意識に声を出していました。

 

ちなみに、こんな屈折した描写ができる奥田亜希子さんというかたは、さぞや鬱屈した人生を送っているのだろうと調べてみると全然違くて、なんと結婚して子どもまでいらっしゃる大変まっとうな方でした。驚きました。偏見をもってしまい反省しました。

小さなお子様を育てながら、こんな物語を描けるなんて、ますます凄い人だと思いました。

ただの自虐ではない、不思議で心地よい喪女の夏物語を、是非読んでみてください。おわり。