間が空きましたが前回のつづき。
自分の人生にもっとも影響を与えた本を1冊だけ選ぶとするなら、私は山本文緒『みんないってしまう』を挙げます。
はじめてこの作品を読んだのは高校3年生の終わりのことです。
高校生の頃の私は、これまで何度かここでも書いてきましたが、生まれてきたことがとにかく嫌で、生きているのがしんどかったです。
生きていることに希望が何もなかったので、進路についても真面目に考える気が起きず、周囲の勧めるまま、センター試験の結果を踏まえて「もしかしたら受かるかもしれない」レベルの国立大学の理学部数学科を受験しました。
将来の夢なんてなかったけれど、数学の先生に高校3年間惚れ続けていたので、数学の成績がとても良かったのです。
前期試験で受けたのは関西の大学で、ちょっとした旅行気分でしたが、試験は普通に解きました。ただ、受験当日初めて訪れたその大学の校舎や周辺の街並みを見て「ここに通うのは嫌だなぁ」とぼんやり思いました。
卒業式を終え、合格発表当日、自宅のPCで合否を確認すると、なんと合格していました。
当時の担任に電話で合格したことを告げるととても驚かれたのを覚えています。合格はしたけど入学はしないことを告げるとさらに驚かれました。
後期試験では別の大学の理学部数学科を申し込んでいましたが、そこに受かる確率は前期より低い見込みでした。
クラスメイトと面白半分で受験した近隣のFラン大学に、学費や入学金など全額免除の特待生で合格していたので、もうそこでいいやという気持ちでした。
けれども、これまで色々世話になった先生たちや親戚たちの期待や、自分の見栄や、将来本当はどうしたいのか分からない気持ちなどいろんな考えや感情がごちゃ混ぜになって、どうしたものかと悶々としていました。
その日の高校は、入試準備のため部活動が全て休みになっていて、前期試験で落ちて後期にかける受験生たちが勉強に励めるようにだけ解放されていました。
私は勉強する気はほとんどなかったけれど、家にいても埒があかないので気晴らしに学校に行きました。
シーンとした校舎。教室にはほとんど誰もいませんでした。
よく晴れた、春を待つ陽気の日でした。今まで見たどんな日よりも静かな学校をふらふら歩き回り、それまでよく利用していた図書室に入りました。
図書室にも誰もいませんでした。机にノートや問題集を出してみたけど全く開く気にならず、窓を開けてベランダに出てぼーっとしていました。
誰もいない校庭。青い空。静寂。
私これからどうするんだろう。あとどれくらい生き延びなければならないのだろう。
まだ若い肉体。でももう何の可能性も残されてない気がする。
虚無。
室内に戻って本棚をざっと見ていると、文庫の棚にあった『みんないってしまう』に目が止まりました。
山本文緒の本だ。でもまだ読んでなかったなぁ。
そう思って暇つぶしに手に取ったオレンジ色のその文庫は、人々が生きていく中でいろんなものを失くしていく、喪失のようなことがテーマの短編集でした。
相変わらず一編一編面白い。そのうちの一作品「ハムスター」の中の一節を読んだ時、衝撃が走りました。
***
「ハムスター」の主人公・ラン子は、高校中退のフリーターです。
ハハと妹のミキ(高校生)と赤ん坊のスウちゃんの4人家族で暮らしていて、ハハはある男の愛人でありパート勤めもしています。
ハハとラン子は性格のゆるさが似ていて、スウちゃんが近くにいてもスパスパ煙草を吸うし、家賃を踏み倒しても特に何とも思わないズボラさを持ちます。
一方次女のミキはルーズなことが許せない性格で、計画性や世間の常識を重んじるタイプ。学校での成績もトップクラスだそう(でもラン子もミキも同じ県立高校です)。
ある日、ミキが修学旅行で家にいない間に飼っていたハムスターが全滅しました。
ミキしか世話をしていなかったので、彼女がいなくなった途端ハムスターたちは食べ物がなくなり共食い争いの果てに滅亡したのです。修学旅行から帰ったミキはその惨状を見てブチギレし、家出してしまいました。
しかし「家出はレジャーのひとつ」くらいに考えているハハもラン子も特に気に留めることもなく放っておく始末。数日後、ミキの担任から学校に保護者呼び出しがかかり、ハハから面倒ごとを押し付けられたラン子は数年ぶりに母校を訪れます。
ミキはクラスメイトの家に世話になると言い、話がまとまって帰宅するラン子に声をかけたのは、ラン子が昔世話になった学年主任の木戸先生でした。
ラン子が在学していた頃の教師は転勤、栄転、左遷などでみんなもういないと木戸は言いました。
「先生は?」
「俺か?俺はいつも平均点だからこのままさ。ずっと主任。教頭にはなれない。でもいいんだ。偉くなんかなりたかない」
私は笑った。そうだ。高校に入ってからいつもテストは四十五点だった。それで何も不都合はなかった。ミキが言うところの”人様”には迷惑がかからなかったはずだし、怒らせもしなかった。でもそんなことはどうでもいいことだ。
ミキは将来スウちゃんを引き取りたいと言っていたけれど、それだけは反対しよう。ミキはきっとスウちゃんに九十五点を求めるだろう。私とハハなら、四十五点の人生でよかったよかったと笑ってあげられる。人様に褒められなければ充実しないような、そんな人生を否定してあげられる。
(山本文緒「ハムスター」『みんないってしまう』角川文庫 H11.6.25)
この文章を読んだ時、本当に驚きました。
テストでいい点を取り続け、JKとしてチヤホヤされ続けているうちに、私の意識もいつしか”九十五点を求める、人様に褒められなければ充実しない”状態になっていたことに気づいたからです。
目が醒めたような気持ちでした。
なんで理学部数学科を受験したのか?数学の成績が良くてチヤホヤされて、先生たちに勧められたから、受かったらまた褒めてもらえるかも、喜んでもらえるかもって思ったのかもしれない(実際とても喜ばれました。入学しないと言ったらみんなに反対されたけど)。
いつの間にか勉強が得意になっていて偏差値がちょっと高くなっていたけれど、元々幼い頃から勉強するより漫画やアニメを観ている方が好きだったし、中2までは入れる高校がないと言われるくらい成績も悪かったんです。
両親も叔父や叔母たちも皆高卒だし、東大や早慶に行った親戚なんてだいぶ遠縁の人たちです。
先生たちに褒めてもらえたから、親戚たちに喜んでもらえたから、一体何になるというのだろう。
九十五点を目指して、それでどうしたいのだろう?
人様に褒められなければ充実しない人生の、なんと虚しく苦しいことか。
本当に面食らいました。
***
結局後期試験は受験したけれど予想通り不合格で、浪人してまで進学したい学校も学科もなく、ましてや働きたくもなかったので、予定調和的に特待生で近隣のFラン大学に進学したのでした。
学歴フィルターは通過できないけれど、かろうじて”大卒”条件は満たせるし、特段頑張らなくても4年間トップの成績が保てて、費用が1円もかからなかったのは助かりました。
元々奨学金を借りずに進学するのは国立でも厳しいレベルの経済状況だったので、もしあの時多少無理して国立に進学していたら、その後ふらふらニート生活したり思いつきで転職したりもできなかったかもしれないと思います。進学後すぐにリーマンショックもありましたし、卒業すら危うかったかも。
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私は元々の気質はどちらかというとミキタイプなので、放っておくとまた人様の評価を気にしたり、九十五点を目指そうとしたりしてしまう時があります。
疲れたな、こんなはずじゃなかったなと思ったら、今でもこの作品を読み返します。
価値観の物差しをゆるいメモリに調整するために。
つづく。