山本文緒作品についてつらつら書いてきましたが、一旦ここで終わります。
山本先生の訃報を聞いてから、最後に出版された短編集『ばにらさま』を買いました。
発売は今年の9月ですが、収録されている作品は5〜10年以上前のものです。
文藝春秋の作品ページに概要が載ってました。
冴えない僕の初めての恋人は、バニラアイスみたいに白くて冷たい
日常の風景が一転! 思わず二度読み!
痛くて、切なくて、引きずり込まれる……。
6つの物語が照らしだす光と闇
島清恋愛文学賞、本屋大賞ノミネート『自転しながら公転する』の山本文緒最新作!
伝説の直木賞受賞さく『プラナリア』に匹敵るす吸引力! これぞ短編の醍醐味!
ばにらさま 僕の初めての恋人は、バニラアイスみたいに白くて冷たい……。
わたしは大丈夫 夫と娘とともに爪に火をともすような倹約生活を送る私。
菓子苑 舞子は、浮き沈みの激しい胡桃に翻弄されるも、彼女を放って置けない。
バヨリン心中 余命短い祖母が語る、ヴァイオリンとポーランド人の青年をめぐる若き日の恋。
20×20 主婦から作家となった私。仕事場のマンションの隣人たちとの日々。
子供おばさん 中学の同級生の葬儀に出席した夕子。遺族から形見として託されたのは。
(文藝春秋BOOKS 作品ページより)
やっぱり面白いなぁ、としみじみ思いました。山本文緒の小説は、いつどれを読んでも本当に面白い。
作品ページの作者メッセージに「どの作品にも「え?!」と驚いて頂けるような仕掛けを用意しました」とあるように、山本文緒作品はどれもプロットが作り込まれていて、読者の心情誘導がとても計算されているんですよね。楽しませよう、伝えようという作者の熱意を猛烈に感じる物語設計がなされているのです。
『ばにらさま』にはそんな山本節とも言える緻密な展開がてんこ盛りなのと同時に、本意でない人生を生きる人間の苦悩や見栄や葛藤をまざまざと突きつけられました。
それは自分の内面を暴かれる感覚でもあります。
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表題作の「ばにらさま」こと主人公の彼女・瑞希は、30歳を目前にひかえた独身派遣OLです。
主人公の広志は浮いた話のなかった新人サラリーマンでしたが、突然瑞希に告白され、2人は付き合うことになりました。
瑞希は華奢で色白でおしゃれで体温の冷たい女です。瑞希から告白したものの、これといって情熱的な感じでもなく、お互い一定の距離感を保ったまま関係が続いていました。
2人のデートや職場の描写と、瑞希の日記らしい文章が交互に書かれており、終盤その日記(ブログ)を広志が読んでいてなおかつ瑞希に黙っていることが読者に判明します。
彼女は誰もが読めるインターネット上に心情を綴って、誰かが心を寄せてくれるのを無意識に期待している。でも誰かが読むことを意識しているからこそ本音は曖昧にされ演技が抜けきっていなかった。そこが一番痛かった。
(中略)
そんなにも不安なのか。こんなモテた例しのない半人前の男にしがみつかなければならないほど、彼女の目に見えている世界は厳しいのか。契約が更新されないかもしれないと上司に嫌味を言われただけで、好きでもない男に抱かれようとするのか。すき焼き鍋だって買ったばかりのものだった。霜降り牛とその細くて冷たい体で、将来の食い扶持を確保しようという気なのか。
長年インターネット上に日記を書き続けている身としては、瑞希の境遇は他人事とは思えませんでした。
私も十分痛々しいかもしれない。いや、確実に痛々しい。
でも、これからもネットに日記をつけることはやめないだろうなぁと思います。中学時代からあちこちで書いてますが、もはやネット上に心情を吐露することは私にとってライフラインというか、精神衛生のために欠かせない行為になっている気さえします。
このブログ以外にも私の日記はネット上にあって、ものによってはもっと乱暴なことが書いてあったり、ただの愚痴しか書いてなかったりします。
このブログに関しては、自分を省みることが中心テーマなので、己の過去についてかなり詳細に書いてきました。
おまけに取り上げてきた作品タイトルによっては、検索上位に引っかかるエントリもあるので、リアルに私を知っている人間がこのブログを発見する可能性はそこそこあるんじゃないかと思います。
幸い今のところ「これ書いてるのお前か?」と聞かれたことはないですが、広志みたいに黙って読んでる知人がいないとも限りません。
それによって不都合が生ずることもあるかもしれないけど、多分誰かにここがバレても今更書くのをやめることもないです。
むしろクソ長い自己紹介ツールとして機能するレベル。
私の暗さ、安直さと短絡さに狭い視野と、何もかもがこのブログから読み取れるんじゃないかと思います。それを他人が読んでももちろんつまらないので、”心を寄せてくれる”なんてことも勿論ありません。が、書いてる私自身は読み返すのがめちゃくちゃ面白いんです。
瑞希も本当はそうなんじゃないかという気がしました。
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「そんなにも不安なのか」と広志は言っているけど、そりゃ不安ですよね。
瑞希みたいに、本当はこんなはずじゃなかったという感じの人生を歩む人間はもれなく不安なんじゃないでしょうか。私だって不安です。
でも仮に、広志みたいな正社員で土地持ちで将来有望そうな男性と結婚して専業主婦になれたとして、それで不安が消えるのかどうかは、実際なってみないと本当にわからないですね。
結婚したらしたで、また違う「こんなはずじゃなかった」事態が起こるかもしれないですし。
2話目の「わたしは大丈夫」の主人公も、最初は夢に向かって堅実に頑張っていたのに、ひょんな恋愛で道を踏み外し、思い描いていた未来とは全然違った人生を歩むことになってしまいました。
私は一人で大丈夫だったし、これからも大丈夫。だって一人でやっていくしかないのだ。男手が身近にあってもなくても、恋愛があってもなくても、生きていかねばならないことに変わりはない。背が低くたって電球は脚立に乗って自分で取り換えるし、重い荷物も自分で持って歩ける。
「人をあてにすると癖になっちゃうから」
(山本文緒「わたしは大丈夫」同上)
確かに大丈夫といえば大丈夫でした。でも、いつ大丈夫じゃなくなる時が来るかわからない。結局はどれだけ頑張っても、生きている限り、未来がわからない限り不安が消えることはないんですね。
不安や本意じゃない人生、思い通りにならない自分に対する疲れと諦め。
そういった人間のどうしようもなさと、それでも生きていく中で起こりうる物語と心の機微。
自分ひとりでは掬いきれない感情や思想を、山本文緒という小説家が的確に表現し提示し続けてくれたのだと思います。
素晴らしい作品の数々に出会えて、本当によかったです。心の底から感謝を伝えたいです。
まだ読んでいない山本作品が数冊あるので、この先大事に大事に、読んでいこうと思います。おわり。