れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

今一番オススメしたい漫画:『デビルズライン』

あまりに面白い作品に出会うと、寝食を忘れて没頭してしまいます。

それくらいのめり込む作品に出会いました。 

 1巻から表紙は怖いし、絵もそこまで丁寧ではなかったんですが

ストーリー、キャラクター、世界観すべてがずば抜けて面白く、夢中になりました。

ハードな青年漫画かと思いきや、”りぼん”や”なかよし”も顔負けの胸キュンラブストーリーもあり、「人間とは何か」という根源的な問いまで兼ね備える意欲作です。

 

あらすじは以下。

吸血欲をもった「鬼」と呼ばれる存在が静かに息づく現代日本。人と鬼のハーフであり、警視庁公安五課で鬼の犯罪を取り締まっている安斎結貴は、捜査の最中、大学院生の平つかさと出会う。惹かれあう2人は、やがて鬼の抹殺を企てる組織「CCC」や、それを裏で操る黒幕の陰謀に飲み込まれていく。 

Wikipediaより)

つかさは最初は隙だらけで優しいけど頼りない女の子だったんですが、安斎に本気で恋していろんな苦難を経験するうちに、すごく強い女の子になりました。

つかさは乙女ゲームの主人公になれるくらい、真摯で一生懸命な子ですね。応援したくなる感じの。

安斎も理屈抜きでつかさに惹かれていきますが、彼は自分の中の鬼が暴走してつかさを傷つけてしまうことをとっても恐れているので、なかなか強くなれない。現在10巻まで出ていますが、10巻通してやっと前に進むことができてきたのが安斎、安斎が前に進むために懸命に愛し支えてきたのがつかさ、というふうに捉えています。

安斎とつかさはとにかく相手を思いやっていて愛し合っていて微笑ましいです。健気で可愛いカップル。

他にもいろんな登場人物たちが紆余曲折しながら愛や恋に右往左往する様子が物語として非常に面白く引き込まれます。

 

私が特に好きなキャラクターは李ハンス!安斎と同じヒトと鬼のハーフでありながら、研究所で数々の人体実験にさらされた彼は、血を定期的に一定量摂取することで自分の中の鬼を制御できている稀有な存在です。

外見からかなり奇抜で、デスノートのLとリトルウィッチアカデミアのスーシィを足して2で割ったような変人なんですが、私はとにかくこういうキャラが大好きです!

ここのところ私はずっとスーシィ目指して髪を伸ばしてきたのですが、10巻のハンスのようにウルフヘアにするのもありか・・・?なんて思ったり。

 

また、ラブストーリーや魅力的なキャラクターもさることながら、誰が味方で誰が敵かが二転三転するスリルとサスペンスもこの作品の大きな魅力です。

鬼の抹殺を企てる組織「CCC」、この組織自体、謎が深まるばかりなんですよね。前半CCCのキーパーソンである菊原がかなり怖くて、でもどこかカリスマ性があって惹かれて、まるでPSYCHO-PASS槙島聖護のよう。ところが、物語が進むにつれて菊原の新たな側面が見えてきて、前ほど怖くないというか、むしろ心配になるような不思議な心持がします。

他にも、スパイや二重スパイ、そこに厚生労働省など国の陰謀や恋愛・嫉妬・怒りや悲しみといった人間の感情が複雑に絡み合うダイナミックなストーリー。シビれます!

 

このブログは基本的に容易くネタバレしてしまうのですが、この作品はぜひ真相をその目で見ていただきたいです。というか、ネタバレレベルで掘り下げるといつまでたっても終われない気がするくらい見所が多すぎます。

さらに嬉しいことに、今年の4月からアニメ化するそうです!キャストを見ると、思わず「よくわかってるな」と唸ってしまうほどのピッタリな配役。菊原を槙島聖護と重ねてしまうのは私だけではなかったのですね。CV.櫻井孝宏さま、我が意を得たりです。あー楽しみ!

アニメ放送開始前に、読んでみてほしいオススメ漫画です。おわり。

『サトコとナダ』

私は来月28歳になる、かなりいい年こいた成人女性なのですが

生まれてこのかた日本国の外に出たことがありません。

ここ数年で飛行機嫌いを克服し、北海道や沖縄や奄美大島などには出かけたのですが

所詮は同じ国、大きなカルチャーショックは経験したことがありません。

そんな引きこもりの私に世界の広さを面白おかしく教えてくれる4コマ漫画がありました。 

サトコとナダ(1) (星海社コミックス)

サトコとナダ(1) (星海社コミックス)

 

日本人留学生のサトコと、サウジアラビア人留学生のナダが、アメリカでルームシェアしながら仲良く暮らす模様を描いた4コマ漫画です。

WEBで読むこともできます。

 

イスラム教徒について、日本にいるとついつい過激派のイメージばかり先行してしまうことがありますが

イスラム教がどういう宗教で、イスラム教徒の女性がどういう気持ちで生活しているのかを漫画を通して少しだけ垣間見ることができました。

 

イスラム教徒の女性のイメージといえば、ニカブ・ヒジャブ・チャドル・ブルカと言ったかぶりもので顔や目元以外ほとんどわからない印象ですが、

そもそもこうして肌を見せない根幹には「肌を見せなきゃ男に狙われることなく安心」など、女性保護の意識があるんですね。他にも、映画館のような狭い部屋の中で女性と男性が一緒に過ごすのは良くないとされるというのも似たような原理だそう。

逆に、サトコとナダが暮らす家の中は女性しかいないので、女子の友達も呼んで女子会をするときは皆かぶりものを脱いで思い思いのオシャレをして過ごしており、最初はびっくりしました。

サトコとナダがショッピングする場面で、印象的だったシーンが下記。

「あら かわいいじゃない

セールだし買っちゃいなさいよ」

「かわいすぎて私が着ちゃいけないような気がして」

「ふ〜ん・・・

私は私のために服を買うけどね どうせ知り合いしか見ないから 大好きな服を着るわよ 

サトコって服装自由なのに

私よりよっぽど不自由ね」

サトコみたいにかわいい服に萎縮してしまう日本女性って結構たくさんいるのではないでしょうか。かくいう私もそういう気持ちわかるなーと思っていたので、ナダの慧眼に驚きました。

 

他にも、サトコがナダたちのお祈りの様子を見学していた際、ヒジャブ等をかぶっていないムスリマの人がいることに驚いているシーンも勉強になりました。

ヒジャブをかぶっていないムスリマの人もいるんだね」

「そうね

みんな世界中から来てるものイスラム教徒は世界中にいるしね(中略)

自分と違う格好や暮らし方をしてる人を 蔑視したり仲間はずれにしては いけないのよ 強制もしてはだめ」 

そうなんだ〜って感心してしまいました。視野が世界中に向いていれば、自分と違う格好や暮らし方をしている人ばかりなのが当たり前だから差別意識が生まれにくいのかもしれません。

今でこそ日本にもたくさんの人種・宗教の方が暮らしていますが、それでも職場によってはまだまだ純日本人の似たような階層の人で固まっているので、ちょっと異端なことをするとたちまち悪目立ちして孤立したりしますよね。

 

一番感動したのは1巻の巻末に描かれている、ナダがサトコと出会う前のシーンです。

サウジアラビアから単身アメリカへ留学してきたナダは、ホームシックを紛らわせるためにハディースイスラム教の預言者ムハンマドの言行録)を読み返し、

「豊かさとは富の多さではない。豊かさとは心の満足(知足)によるものである。」という一文に感銘を受けました。

それからナダは一念発起してルームメイトを探し始めます。

「なあにナダ あなた ルームメイトを探してるの?」

「そうよ」

ムスリマコミュで聞けば すぐ見つかるわよ」

「それじゃダメなの!

・・・新しいことに挑戦したいと思ったの

せっかくアメリカに来たんだもの

アラビア語で話すのもほどほどにして

新しい扉を開けなくちゃ・・・」 

それでもなかなかルームメイトは見つからず、諦めかけていたところにサトコから連絡が来て、2人は出会ったのでした。

 

英会話スクールの体験講座でフィリピンの女の子とちょっと話したことがあるのですが、ほんの数時間話しただけでもいろんな驚きや発見があったのを思い出しました。

異国で、自分と違う文化を持つ人と同じ部屋で暮らすなんてことがあれば、それとは比べ物にならないくらいのカルチャーショックがあるのでしょう。

外国に行ってみたくなる作品でした。おすすめです。おわり。

『違国日記』

読んだら胸がスッとする漫画に出会いました。

胸がスッとするというか、頭の中が少しクリアになるというか、そういう感じ。

違国日記(1) (FEEL COMICS swing)

違国日記(1) (FEEL COMICS swing)

 

あらすじは以下。

「へんな人と 暮らしはじめた。 お父さんとお母さんが 死んだので。」

35歳、少女小説家。(亡き母の姉) 15歳、女子中学生(姉の遺児)。

不器用女王と子犬のような姪が おくる年の差同居譚。

手さぐり暮らしの第1巻!

少女小説家の高代槙生(35)は 姉夫婦の葬式で遺児の・朝(15)が

親戚間をたらい回しにされているのを 見過ごせず、

勢いで引き取ることにした。 しかし姪を連れ帰ったものの、

翌日には我に返り、持ち前の人見知りが発動。

槙生は、誰かと暮らすのには不向きな 自分の性格を忘れていた……。

対する朝は、人見知りもなく “大人らしくない大人”・槙生との暮らしを

物珍しくも素直に受け止めていく。 

pixivコミックより)

 

槙生さんってすごく真っ当な大人の女性だと思うのですが、こういう人って現代の日本社会では生きづらいのかもしれませんね。繊細だし。

読者である私自身、槙生さんの言葉に救われたような気がします。

例えば、両親が突然死んだけれどもいまひとつ悲しみがやってこないことに不安を覚えた朝ちゃんにいった槙生さんの一言。

 「・・・・・・わたしがへんなのかと思ってた・・・・・・」

「・・・どうだろう へんかも知れない」

「えっ」

「でもあなたの感じ方はあなただけのもので誰にも責める権利はない」

ああそうだよなぁ、と目がさめるような気持ちでした。

仕事で、自分の感想とか意見に対して変だのおかしいだの間違ってるだの言われて過ごしていると、責められることが当たり前になってしまっていたけど

本来そんなものを責められる筋合いはないよなぁ、としみじみ思いました。

 

槙生さんはそのあと、朝ちゃんに日記を書くことを勧めます。

「この先 誰があなたに何を言って

・・・誰が 何を 言わなかったか

あなたが 今・・・ 何を感じて何を感じないのか

たとえ二度と開かなくても

いつか悲しくなったとき

それがあなたの灯台になる」 

 

朝ちゃんの親・槙生さんの姉の葬儀が終わり、親戚一同の心ないたらい回し談義から朝ちゃんを救い出して家に連れ帰った槙生さんのかっこよさったら・・・女が惚れる女ですね、槙生さんは。

「あなたの寝床はきのうと同じだ そこしか場所がない

部屋はいつも散らかってるし

わたしは大体不機嫌だしあなたを愛せるかどうかはわからない

でも

わたしは決してあなたを踏みにじらない

それでよければ明日も明後日もずっとうちに帰ってきなさい

たらいまわしはなしだ」

人って案外簡単に他人を踏みにじってしまうものだと思います。

私も、多分意識的にも無意識的にも他人の気持ちや感性を踏みにじって生きてきました。踏みにじられることもたくさんあります。

「わたしは決してあなたを踏みにじらない」って、簡単に言えるようでなかなか言えない言葉だなって気づいてハッとしました。

槙生さん自身が繊細であり、相手の気持ちに立ってものを考えられるからこそ発することのできるセリフだと。

 

槙生さんと朝ちゃんが一緒に暮らし始めて、朝ちゃんがノートに日記を書き始めるシーンも好きです。

「日記は 今 書きたいことを書けばいい

書きたくないことは書かなくていい

ほんとうのことを書く必要もない」

「・・・・・・日記なのに?」

「日記なのに

別に誰にも怒られないし

書いていて苦しいことをわざわざ書くことはない」 

私も中学生の頃、ノートに手書きの日記をつけていた時期があります。

いつの間にか捨ててしまったけど、書いたことは結構覚えていて、多分今読み返したらめちゃめちゃ楽しめると思います。バレンタインデーに好きな男の子に手作りチョコ渡したときのこととか、テストでいい順位が取れて嬉しかったこととか。

オンラインのブログも同じ時期から書いていて、こちらは高2くらいからずっとログを残してあり、今でもたまに読み返します。

ほんとうのことも、もしかしたら妄想かもしれないことも、嬉しいことも悲しいことも腹が立ったことも書いたり書かなかったりしています。

最近は仕事の愚痴が9割で、正直読み返しても面白くないし、書いててもすっきりしないです。いつの間にか書くスタンスが歪んでいたのかもしれません。

一度槙生さんの助言を受けて立ち返ってみたいと思いました。

 

物語の中で少しずつ出てくる槙生さんの姉・朝ちゃんの母について、

まだ全貌はわかりませんが、読んでいると自分の上司(部長)と似ているなぁと感じる部分があります。

「あ でも・・・

わたしは落ち込みやすいクズなので・・・

圧は弱めで」

「え? あはっ!「圧」

おかーさんがよく言うやつだ!

「こんなあたりまえのこともできないの?」

わかった かけない 「圧」」 

今の上司(部長)って、周囲も認める”圧の塊”みたいな人なんですよね。

もうね、はす向かいに座ってるだけで圧を放ってくるんですよ。

槙生さんほど繊細じゃない私でも、かれこれ2年弱くらい圧に少しずつやられてメンタル参ってます。

槙生さんにはつくづく共感させられます。

 

自分が最近生活の中で貯めていた”しっくりこないもの”の正体を

槙生さんが非常に鮮明に言語化してくれる場面がたくさんあり

読んだ後ものすごく穏やかな気持ちになったんです。

ストーリーも面白いし、これから物語はさらに進んでいきますが

今のタイミングでこういう作品を読めた幸運を記録しておきたいと思いました。

他人の感受性を責める権利は誰にもない、自分の迂闊な一言で誰かの人生を変えてしまうこともある、そういう”当たり前だけど忘れがちなこと”を改めて再確認するきっかけとなった作品です。おわり。

肉体関係と人間関係と性産業と:『目を閉じても光は見えるよ』

新年明けましておめでとうございます。

晦日から元旦へ向かう午前0時を跨いですぐ、なぜかBL漫画をダウンロード購入して読んでいました。

年明けから読み応えのある良作に出会えました。

年末年始、家族とともに過ごす方も多いと思いますが

改めて家族とか友達とか、人とのつながりの在り方について考えるきっかけを与えてくれる作品でした。

 

舞台はゲイビデオの制作会社です。

主人公の天羽光は人気急上昇のネコ男優。

そしてもう一人の主人公・猪原仁35歳は、ノンケ向けのAV男優として活躍していましたが、仕事仲間のマリ子さんが腐女子向けのゲイビデオレーベルを立ち上げる際にスカウトされ、ゲイビデオのタチ男優として光とタッグを組むことになります。

体の相性は良い二人でしたが、仕事以外ではほとんど関わりがありませんでした。

 

そんなある日、光の家にストーカーが侵入し部屋に猫の死体を送りつけられる事件が発生し、実は光と仁は同じマンションに暮らしていたことがわかります。

事件を解決する中で二人はだんだんと打ち解け、友人関係になります。

 

光は仁と付き合いが長いマリ子から、仁のとある過去について聞かされました。

それは、仁が昔、セフレだったAV女優に本気で惚れられて、避妊具に細工されて子供ができてしまった時のことでした。

「絶対堕ろせ 産むな 産んだとしても俺は絶対認知しないって一筆書かせ」た仁のことをマリ子は”男としてはゴミカス”と評しましたが、仁本人もそれに反論するつもりはないようです。

ここの、仁と光が釣り堀しながら仁の考え方について会話する場面が印象的で好きです。

「俺は特定の一人とつきあったり家庭を持つことに昔からまったく興味がなくて・・・

というか生理的に無理なんだよね

子供なんてできたら困るから避妊はキッチリ神経質にしてたし

用心してたんだけどなぁ・・・若かったし甘かった

怖いから俺もうパイプカットしちゃったよ」

私はここまで徹底した考え方を持つ仁をゴミカスとは思えませんでした。

仁はフツーの家庭で育ったそうですが、どことなく他人に対して冷めていて常識とズレているところがあると光は感じていて、だからこそ一緒にいて居心地がいいのでした。

 

ふたりが釣り堀で遊んでいた帰り、突如仁のケータイに連絡があります。

前述した仁の中学生の息子・斗真が万引きして捕まり、母親が連絡がつかず父親である仁の元に連絡が来たのでした。

元AV女優の母親は金だけ置いて恋人のところに行ってしまい、金を遣い切ってしまった斗真は腹が減って菓子パンを盗んでしまったとのこと。

店に頭を下げ斗真を引き取り3人で仁の家に向かう途中、仁と斗真は言い合いになります。

ここもなかなか読み応えのある場面です。

「他人にチンコ見せて金取ってる奴が偉そうにするんじゃねぇぞ恥さらし!」

「・・・・・・痛烈だな」

「薄汚え仕事しかできねぇド底辺のくせによく堂々と生きてんな」

「言っとくけど俺だって迷惑

急に君と暮らせだなんてまったく気がすすまない

でも俺は法的に責任があるから君の面倒をみなきゃならない

君も成人するまでは大人の保護のもとに暮らさなきゃいけない

それだけだ」

仁を冷たい父親だと思うことも可能ですが、これくらいハッキリ気持ちを伝えてくれる仁をある意味誠実だとすら思う私。

 

その後、斗真は隙を見て仁の家を抜け出し光の家に避難します。

光は思春期の難しい斗真にオロオロしながらも、放っておけず少しの間面倒をみることに・・・

だんだん光になついてきた斗真は、自分の家庭のことや学校でうまくいかないことをぽつぽつと吐露し始めます。

子供のことを1番に考えることができない元AV女優の母と現役AV男優の間に生まれた斗真。

運動神経抜群でサッカー部のレギュラーでもあった斗真ですが、ある日自分の母親のアダルト動画がクラスの間で拡散され、周りから笑い者にされて学校に行くのが億劫になってしまったのでした。

家庭内も、恋人にうつつを抜かして息子のことはお構いなしの母親と存在すらろくに認知していない離れて暮らす父親しかいない斗真は、「オレは・・・ひとりぼっちなんだよ」と光の同情を引こうとしおらしく振る舞います。

しかし、そこで「そんなことないよ」とか気休めを言わない光。

父も母も、1番とはいかなくても、何番かには斗真のことも大切に思っているかもしれないと励まし、切ない顔のまま続けます。

 「そういう・・・2番とか3番とか10番とか100番くらいの愛情を細かく稼いで生きてくしかないときってあるんだよ」

「普通オヤって子供に1番の愛情をそそぐもんじゃねえのかよ!!」

「普通なことばっかじゃないんだよ

でも・・・生きていかなきゃ」

励ましている様子が伝わって、斗真はいつしか光にメロメロになってしまいます。

仁のDNAを受け継いだ色気のある中学生・斗真にちょっとクラッときてしまう光もかわいくて笑えました。

 

まあ、すべての親御さんが子供を1番に愛してくれていればいいなとは他人事のように思いますが、現実にそんなことは全然ないことはよくわかっています。

人の親だと言っても、所詮はただの人間です。自分本位になって当たり前です。

最初は可愛かったかもしれない子供も、自我を持ちわがままになったら面倒になるかもしれないし、そもそも生まれる前から面倒に思う母親・父親だっているでしょう。

自分勝手だとは思うけど、どうにもなんないんでしょうね、きっと。いつの時代もそういう親はいるでしょう。斗真の母親のような。

 

もう一つ、斗真の境遇を見て”性産業で働く人”を取り巻く環境についても考えてしまいました。

大学の応用倫理の講義でもこの話題を何時間も掘り下げて議論したことがあります。

大学生の頃の私は、フェミニズム的な考えと、それでもあんまり女性の味方もしたくない、複雑な気持ちでレポートを何枚も書いていましたが、今でも先生が言っていたことを覚えています。

「性産業も一つの産業として成り立っているし、そこに需要も供給もあることは確か。でも、例えば母親がAV女優だったり父親がAV男優だったりする子供が、自分の親の仕事を誇りに思って周りに自慢できるかといったら、どうしてもそうはならないと思う」

話を聞いていた自分も、もし自分の親が・・・と思考してみましたが、やっぱり先生と同じ結論に辿り着きました。

自分の子供が周りにおおっぴらにできないからといって、性産業で働く事が絶対悪になるとは思いません。

光も、虐待されたり医療少年院送りになったりした辛い過去の末行き着いた今のゲイビデオの現場を充実していると感じているし、仕事を楽しいと心の底から思っていたし、仁も多少後ろめたい気持ちはありつつも自分の仕事を恥じたりはしていません。

「世界中に顔とケツの穴晒して仕事してんだよ・・・

今更おれに守りたいもんがあると思う?」 

上記は光のセリフです。光は綺麗な顔で普段は穏やかな青年ですが、このセリフの時は迫力がありました。

 

この話題をあまり掘り下げても仕方ないとは思いますが、光みたいな男優と、AV女優ではまた違う部分もあると思うんですよね。

社会システムもそうですけど、この性産業界、ひいては性に関するあらゆる面で未だに男性と女性の扱いの非対称性は強固だと思います。

 

なんにしても、一般企業のしがない営業マンとしてくさくさしながら働いている自分よりは、体張ってゲイビデオで稼いでいい仕事仲間にも囲まれている光や仁たちの方がずっと幸せだと思いました。

私は中度の男性潔癖性で世の中のほとんどの男の人に触ると気持ち悪くなってしまうのと、レズビアンでもなければ顔も体も人前に晒せるようなレベルじゃないので生涯性産業では働かないし働けないですが、もし働けたらもうちょっといい稼ぎにありつけたのになぁとしみじみ思うことはあります。

 

***

 

物語はその後、光の重い過去がネットに広まったりその過去の清算があったりすったもんだありますが、最終的には仁と光は互いを1番に愛し合うようになりハッピーエンドとなります。よかった。

いろんなBLがありますが、やっぱり愛に溢れたセックスが1番ですね。やっぱ愛でしょ、愛!

 

ま、そうは言っても愛とはそうそうありつけるものではありません。現実には。

そんなわけで、今年も物語の中の愛の夢をたくさん見て、心の栄養としながら孤独に生きていく所存です。おわり。

意志と正しさ:『十二大戦』

観ていたアニメが次々と最終回を迎え、年の瀬を感じます。

クリスマスイブですが、干支の話を・・・もうすぐお正月ですし。

十二大戦 BDBOX [Blu-ray]

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  • 発売日: 2018/12/21
  • メディア: Blu-ray
 
十二大戦

十二大戦

  • 作者:西尾 維新
  • 発売日: 2015/05/19
  • メディア: 単行本
 

十二大戦』、アニメがこの秋から冬にかけて放送されており、楽しく視聴しておりました。

原作は西尾維新先生ということで、物語シリーズ戯言シリーズなどでおなじみの天才、この作品も例に漏れず大変面白かったです。

アニメ終盤で「これは・・・!」と思わず記録したくなるようなシーンがあったので、原作も読むことにしました。原作もとてもいいです。西尾先生の作品の中でも非常に読み易いタイプでした。

 

物語は、12年に一度開催される世界的な代理戦争の話です。

干支を冠した十二家のそれぞれの代表が命をかけて戦う裏では、国家間の領土が賭けられているというもので、戦っている戦士たちはそのことを知りません。

戦士たちはそれぞれの事情、それぞれの思いを携えて戦地に集結します。

優勝した最後の1名に与えられる賞品は「どんな願いでもたったひとつだけ、叶えることができる」権利。

 

亥から割とあっさり死んでいき、最初はびっくりしました。

そのあとも、戌、酉、申、未に午と、それぞれの過去の描写を挟みながらもそれぞれが命を落としていきます。

そして最後まで残ったのは卯、寅、丑、子・・・。

 

私が心を打たれたのは寅の過去編です。

寅の戦士ーーー姶良(あいら)香奈江(かなえ)。彼女は元々武門の家系の娘で、真面目で純粋な女の子でした。

様々な格闘技の造詣が深く、正義感の強かった彼女は戦地でも大活躍していましたが、正義のために戦っているはずが、自分が赴くことで戦争を活性化させている矛盾にうまく向き合えずに、いつしか彼女は酒に溺れ、道を外れることになります。

さらに悪いことに、彼女は酔えば酔うほど強くなる酔拳の使い手となりました。

自暴自棄になり酒に溺れる少女の姿は、人間の簡単に転落する様子を巧みに描いていると思いました。

真面目で健全だった少女は、不真面目で不健全な大人になったーーーあるいは単に、『大人になった』。それを成長と呼ぶことも、ひょっとしたら可能なのだろう。こんなのはただの、ありふれたくだらねー挫折だと、自分でも思った。 

そんな酒に溺れた自堕落なある日、とある戦地でとある戦士に出会います。

破れかぶれの適当な戦いでへたっていた彼女の前に現れたのは、”皆殺しの天才”と称される丑の戦士・失井(うしい)でした。

寅を酒を無理やり飲まされた一般人の少女と勘違いした丑は、正しさと潔さと美しさを兼ね備えた完璧な剣筋で寅を助け出しました。

寅はかつて、まだ健全だった少女の時の憧れを具現化したような丑の戦士の振る舞いに胸を打たれました。そして彼女は丑に、「どうすればそんな正しいことができるのか。迷わず、不安を感じず、間違わずにーー正しいことができるのか」を、たどたどしくも訊いてみました。

この時の丑の回答をアニメで観た時、寅と同じく私も胸を打たれました。打ちひしがれました。

「まず、正しいことをしようとするだろう?」言って、鞘にしまったサーベルに手をかけた。「次に、正しいことをする」鞘から刃を、居合のように抜いた。「以上だ」①正しいことをしようとする。②する。

(中略)

「わかったかね?つまり、正しいことというのは、しようと思わなければ、できないということなのだがね」(中略)「人は、なんとなく、間違う。流れにそって、悪へと堕ちる。理由もなく、思想もなく、思い切りもなく、気付いたときには、当たり前のように、『道』を誤るものだ。しかしね、それに相反して、『気付かないうちに正しいことをしていた』とか、『いつのまにか善行を働いていた』とか、『うっかりいいことをしていた』とか、そういうことはないーー絶対にない。意志がなくては正しさはない。正しい行動には、正しい意志が不可欠なのだ。正しいことは、しようと思わなければ、できないーーもしもきみが正しいことができなくて苦しんでいるのだとすれば、それはきみが、正しいことをしようと思っていないからだ」

この、バケツの中の冷水を顔面にぶっかけられたような容赦のない正論は、しかしこれ以上ないくらい目覚ましに効果的でした。酔いもさめるほどの天才の理論です。

さらに追い討ちをかけるように丑は畳み掛けます。

「正しいことを、しなくていい理由はいくらでもある。迷う材料は山ほどあるし、不安材料も、売るほどある。人のせいにするのもいいし、社会のせいにするのもいいだろうーー時代のせいにだって、運のせいにだってできる。だが、正しいことをしていない人間は、できないのではなく、やらないだけだということを、自認すべきだがね。きみもまったく、無理に正しいことをしなくてもいいが、それは、できないわけではなく、やらないことを選んだのだということを、ゆめゆめ忘れぬことだ。正しき者はみな、①すると決めて、②する。きちんと段階を踏むことだーー①の段階にいながらにして、②を悩むのは、愚の骨頂だがね」 

寅は丑の持論にいたく感銘を受け、この日から寅の心の中には目標にしたい師匠ができました。そうしてその師匠ーー丑にもう一度会いたくて、此度の十二大戦に参戦したのでした。

 

この大戦での丑と寅のくだりは非常にドラマチックでした。二人で力を合わせて卯の戦士を倒したのに、そのあと卯の戦士のウォーキングデッドに攻撃されて、丑をかばった寅は深い傷を負ってしまいます。そのあとの、初めて取り乱す丑がまたいいんですよねぇ。アニメの丑のキャラクターボイス梅原裕一郎さんで、これまた最高なんですよ。今年はいいなと思うアニメキャラのCV.梅原裕一郎率が大変高かったです。

寅が死んで、丑も申のウォーキングデッドに死の淵に追いやられるのですが、そこで丑も昔寅に話した上記の記憶を思い出すんですね。寅とは気づいていないのですが、丑にとっても、昔少女に説いた正しさの自説は心に残る出来事だったのです。

そして「ずいぶんと偉そうなことを言ったものである」と振り返る・・・ああ、素敵です。丑と寅の、恋愛とも友情とも違う、恩人というような、運命というような、不思議な縁と互いを思い合いつつも、微妙にすれ違う関係。実にドラマチックで切なくて素晴らしいです。

 

まあ、最後はまとめて子の戦士が爆発させて子が優勝したんですが、そのあとの話もなかなか面白かったです。それはまた別の話で、そちらもいつか記録しておきたいですが。。

 

丑の正しさに関する持論は、正しさ以外にも適用できると思いました。

本当、間違うのは簡単です。堕落するのも道を外れるのも、いとも容易くできてしまう。

正しいことも、いいことも、自分のやりたいことも、成し遂げるには意志の力が必要不可欠なのですね。

大学で健康心理学の講義を受けていた時に、先生が「ネガティブは感情、ポジティブは意志」とよく言っていたのを思い出しました。

私がついつい後ろ向きな思考に走ってしまうのは、ひとえに意志が薄弱なためなのでしょう。

「①すると決めて、②する。」ーーー来年の座右の銘にしようかな。なんて・・・

 

ちなみに、原作を読んで知ったのですが、丑の戦士と同じ誕生日でした。ちょっと嬉しい。丑の本名は樫井栄児さんというそうです。身長は181センチもあるんですって。かっこいい〜。そんでもってCV.梅原裕一郎なんて、最高〜。おわり。

まさかの想起:『クジラの子らは砂上に歌う』と天下り

以前、登場人物「オウニ」のかっこよさについて綴った梅田阿比クジラの子らは砂上に歌う』のアニメ最新話を見て

これまでと全く違うことを考え、自分でその思考にちょっとびっくりしたので記録したいと思います。

letshangout.hatenablog.com

先日放送されたアニメ第11話「夢の話だ」では

主人公たちの暮らす孤島”泥クジラ”の中での2つの人種とそのありかたについて描かれていました。

 

泥クジラの民は、サイミアという超能力が使える”印(シルシ)”と、サイミアが使えない”無印(むいん)”の2種類の人種がいます。

印はサイミアを使って戦うことも、農作業を効率良く行なうことも力仕事もできますが、無印は我々と変わらないただの人です。

そして、印はサイミアを使える代わりに皆短命で、無印は総じて長寿です。

なので、泥クジラの政は代々無印がおこなってきました。印が長となってしまっては、代替わりが早すぎますし。

 

しかし、泥クジラの首長となる無印はただの無印ではありません。

「印のことを誰よりも大事に思うことのできる」無印なのです。

 

現在泥クジラの首長であるスオウは、幼いころから印の短命を治そうといろんな実験をしてきた生粋の印思いの無印でした。妹のサミが印なことも影響していたかもしれません。

先代の首長であるタイシャ様も、やはり誰よりも印の短命を嘆き、印の幸せを願う無印でした。

印たちも、自分たちを大事にしてくれる首長を尊敬しており、泥クジラはサイミアを持つものと持たざる者が絶妙なバランスで互いを敬い平和に暮らしていました。

 

ところが、そこに帝国の奇襲から始まる戦争の脅威がやってきました。

どうしてもサイミアという圧倒的な力を持つ印たちに泥クジラの民は頼らざるをえず、対して無印は戦では足手まといになるため身を隠すことしかできない。

印たちはその能力を単純に身体的な差異としか考えないので、特に疑問も持たず最前線で戦いました。

そして印は多くの命を落とし、無印で死んだのは長老会の老人1人のみ。

その事実に疑問を呈し、印による印のための政治を目論む双子の少年・シコンとシコクが集会を開き印たちをけしかける場面が、アニメ11話の終盤でした。

 

原作の漫画も読んでおり、話の流れはわかっていたのですが

今回改めてアニメを観てはじめて、自分の職場のことを想起してしまいました。

 

私が現在働いているのは某マスメディアで、社長を始め取締役会の役員たちは皆、役所や地銀や他のマスメディアから天下ってきたオジサンたちばかりです。

彼らは定年を過ぎてから、全くの異分野であるこのマスメディア企業へやってきて、使いこなせないパソコンの前で昼寝したり、無駄に長い会議をしてみたり、思いつきで会社の方針を決めたりしながら、何十万円もの月収と役員報酬と何百万円もの退職金を吸い上げていきます。

現場のことは何もできない・何も知らない60歳を過ぎたオジサンたちが、会社の大事なことや社員の報酬などについて決定を下すことに、部長をはじめとするプロパーの社員や契約社員、外注の制作会社の人々たちも不満でいっぱいです。しかし、もともと天下り先として立ち上げられた会社なので、大赤字をこいて回らなくなるまでおそらく今の体制は変わりません。もしかしたら、倒産しかけたところで役所が税金を遣って救済してしまう恐れすらあります。

 

2〜4,5年単位でコロコロ変わる腰掛けの天下り役員たち。

そのほとんどが、偉そうな口だけ叩く使えないオジサンとして社員たちから嫌われるわけですが、稀に”いい人”として名を残す役員も存在します。

「あの人はいい役員だった(もしくはマシな役員だった)」と言われる人の特徴は下記です。

  • 現場の社員も顔負けなくらい仕事ができる(パソコンスキルが凄かったり、制度を合理的に変えたり)
  • 社員に対して羽振りがいい(おごってくれる、いいお土産を買ってくれるなど)
  • 社員の意見を真摯に訊いて、場合によっては取り入れてくれる・対応してくれる

これです。

 

一緒にしたら怒られるかもしれないし、そういうことではないと思われるかもしれませんが、

今回『クジラの〜』アニメ11話を観て、憤りで声高らかに反旗を翻そうとする印の双子・シコンとシコクが、会社の同僚たちと重なって見えてしまいました。

会社の人たちだって、役員がみんなスオウやタイシャ様みたいに、自分たちのことを心から思って尽くしてくれる人々ならば、もうちょっと仲良く頑張ろうと思うのかもしれません。

しかし、現実にそんな役員は現在いません。

 

社員が稼げば稼ぐほど役員報酬が弾み天下りはウハウハ。

社員の給与は定額で歩合制ではないので、頑張っても頑張んなくても手取りは変わりません。

社員がバカバカしい気持ちになるのもわかります。

若い社員が数年で辞めていくのも理解できます。

私だって・・・と思います。

 

こんなことを考えて、最近しみじみ思うのですが

同じ作品でも、何度も読み返したり、違う媒体(漫画とアニメ、漫画とドラマCD、アニメと小説など)で多方面から鑑賞すると

違った見方や新しい視点が宿ったりするんですね。

物語って奥が深いなぁと感じました。おわり。

愛の「おとぎ話」の贈り物:『大正×対称アリス HEADS & TAILS』

今年は乙女ゲームを何作品もプレイした年でした。

PS Vitaを購入して1番最初にプレイした『大正×対称アリス』の感想も書きましたが、今月発売されたそのファンディスク(続編)がこれまた大変素晴らしく、この感動をどうしても書き留めたいと思いました。 

大正×対称アリス HEADS & TAILS - PSVita

大正×対称アリス HEADS & TAILS - PSVita

 

大正×対称アリス』は、主人公の有栖百合花17歳が、幼い頃に出会った初恋の相手・アリステアの精神疾患を独自の方法で治療し、オーバードーズして昏睡状態だったところから救い出す様子を大変ドラマティックに描いた傑作でした。

そしてそのファンディスクとなる今作『大正×対称アリス HEADS & TAILS』は、前作でサブキャラクターであった主人公の兄・有栖諒士と主人公の友人・大神ゆうき君を主軸に置いた別サイドの物語と、前作のその後を描いたアフターストーリー、そしてパラレルワールドの”学園アリス”編が楽しめます。

メインの有栖諒士編と大神ゆうき編は、まさに物語の”舞台裏”であり”真相”と呼ぶにふさわしい内容でした。

 

今作をプレイして、あらためて百合花のただならぬアリステアへの愛情を目の当たりにした感じです。

壮絶で過酷な運命をたどり、その過程で重度の多重人格となってしまったアリステアと、そんなアリステアをどうしても助けたくてもがく百合花や彼らを放っておけない諒士と大神が、皆不器用ながらも愛おしく、ゲームをプレイする中で繰り返し「愛とは何か」と考え込んでしまいました。

この作品の登場人物は、大神くん以外は総じて親や家族からの愛を感じずに育ちました。

アリステアもとい彼のいろんな人格は、母の過保護な愛情が若干あったかもしれませんが、愛とは程遠い環境で育った人ばかり。父に捨てられたシンデレラ、学校に行かせてもらえず閉じ込められていた赤ずきん、母親の腐乱死体と暮らしていた白雪、心ない親類の間をたらい回しにされたかぐや、などなど・・・。

主人公の百合花やその兄の諒士も、金銭的な援助は惜しみなく注がれていますが、ふれあいはほとんどなく放置同然の扱いで育った人々です。

そんな彼らが、出会って少しずつ一緒に過ごす中で、互いを想い合う気持ちが生まれるんですね。

 

愛って教育で授けられるものではないんですね。

誰に教わらなくても、誰かを愛することができる。

逆に、親や家族に愛されて育っていても、他人を誰一人愛することができない私のような人間もいるわけで、その非対称性にまた「なんだかなぁ」と思う気持ちもありますが・・・。

現実生活で関わる人間は誰も好きになることができない私ですが、ゲームの中のキャラクターたちは皆本当に愛しく感じます。赤ずきん可愛い。グレーテル大好き。

 

ゲームを一通りプレイした後、あらためてオープニングムービーを観て、しみじみ「素敵な作品だなぁ」と感動しました。

『大正×対称アリス』は、百合花が決死の思いで紡ぎだした”愛のおとぎ話”の記録なんですね。


PS Vita用ソフト「大正×対称アリス HEADS & TAILS」オープニングムービー

また、今作に触発されて図書館でルイスキャロルの『鏡の国のアリス』も読んでみました。読んだことなかったんですが、読んでもよくわからなかったです(残念)。

でも、確かに冒頭文はよかったです。

 

さらに、あらためて実感しましたが、とにかくこの作品は絵と音楽も素晴らしいです!

特に感動したのが、アフターストーリーの白雪編で流れた白雪のキャラクターソング「White kiss」。こんな素晴らしい曲があったなんて、今までノーマークでした。


『大正×対称アリス キャラクターソングシリーズ vol.5 白雪(cv:蒼井翔太)』

アフターストーリーではこの曲のpiano versionが流れます。これがまた素晴らしい。ぜひフルで聴きたいです。

love solfege様は本当に素敵なBGMを奏でますね。物語にぴったりな、他の音は考えられないくらい「これしかない!」という音楽です。

 

大正×対称アリス』、そして『大正×対称アリス HEADS & TAILS』は、乙女ゲーマーにかかわらず、すべての物語中毒の皆様にプレイしてほしい傑作です。

人間はここまで胸を打つ感動的な物語を紡ぎ出すことができるのか、ここまで美しい作品を生み出すことができるのか、と畏怖の念を抱かざるをえません。

この作品に出会えたことが、今年一番の幸運と言っても過言ではないくらい、本当に本当に大好きな作品です。おわり。