先日会社の女性陣5人で外にランチに行きました。
メンバーは私と営業事務2名、制作部2名。
制作部の主任と私は独身で、他の3名は既婚子なし。そのうち2名は現在妊活中です。
そんな5人でおしゃれなイタリアンに行き、料理が来るまでの間、好きな映画についての話になりました。
それぞれが結構映画を観る人間で、そんな中独身上司が「サム・メンデス監督の暗い作品が好き」という話をしました。
彼女があげた作品は『アメリカンビューティー』と『レボリューショナリーロード』で、特に『レボリューショナリーロード』は観た後の救いのない気持ちがなんともいえないと熱弁していました。
その話をずっと覚えていて、今その2本を観ました。
最初に出てきた感想としては「そんなに暗くなかったなぁ」でした。
救いがないといえばないかもしれませんが、観た後の心地はわりとよかったです。もっと胸糞悪くなるかと思っていたけれど、むしろすがすがしい気分でした。
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あらすじは以下。
1950年代のアメリカ。フランクとエイプリルは、子供にも恵まれ幸せに暮らしていた。郊外の「レボリューショナリー・ロード」と呼ばれる通りに面した庭付きの一軒家、都会の大企業への電車通勤、週末のリゾートへの小旅行。まさに二人は戦後のアメリカが黄金期を謳歌していた時代の体現者だった。だが、2人はそんな暮らしにどこか閉塞感を抱いており、絵に描いたような「幸福な家族」の崩壊は間近に迫っていた。
エイプリルは俳優志望だったが才能に恵まれなかった。フランクと結婚して2児を儲け、主婦業に専念しようとしていた。他方、フランクは、かつて父親が働いていた会社で、生き甲斐を見いだせず、浮気したりしていた。ある日、エイプリルは、結婚当初にフランクが憧れていたパリでの生活が、フランクの人生を意味あるものにすると考えた。自分が諦めた人生の生き甲斐を、夫に追求して貰うべく、そこに生き甲斐を見出そうとした。フランクもエイプリルの計画に賛同し、両者は、この点で意見の一致を見た。しかし、不運にも、エイプリルは妊娠してしまい、計画は御破算になった。フランクに自分の人生をやり直させようとしたエイプリルにとって、計画通りに事が運ばないことは、自分の人生の終わりを意味していた。出世という平凡な幸運に引き寄せられるフランクの子供を産み育てることにも意味を見出せなかった。何か別の生き方・価値観を模索するエイプリルと、そうではないフランクとの間には、決定的な溝があった。エイプリルには、自らの手で堕胎する道しか残っていなかった。エイプリルは出血多量で死亡し、フランクは2児を連れて「レボリューショナリー・ロード」を去り、ニューヨークに居を移した。
(Wikipediaより)
1950年代を舞台にしているので今から60年以上前の話ということになるのですが、
フランクやエイプリルの抱える閉塞感は現代人が非常に共感しやすいものだと思いました。
60年前よりは多少社会の雰囲気も制度もマシなものになっているとは思いますが、それでもエイプリルたちの絶望にこんなに共感できてしまうのは、まだまだ社会の発展が足りない証拠でしょう。
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私が主人公の夫婦を見て思ったのは「そもそもエイプリルは結婚に向いてないよね」ってことでした。
エイプリルは自分の夢(女優になること)を凄く大切にしていたし、女優でなくても外で何か仕事するのが好きそうなタイプです。
愛する男性に出会ったのはいいけど、第1子妊娠の時点で本当はまだ子どもなんてほしくなかったのでしょう。でも産んだんです。この時代ならその選択肢をとるのは仕方なかったかもしれません。
心の底では嫌だった第1子出産を「これでよかったんだ」と自分に言い聞かせるために、第2子の出産、さらにはマイホームの購入にも踏み切ったと、後に彼女は吐露します。
最初の自己欺瞞が、その後の破綻への引き金となり、結局エイプリルは2人の子どもが小さいうちに死んでしまいました。
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60年前の話なのに、この不幸の本質は現代の問題と同じだと感じました。
フランクのエイプリルに向けた罵声の数々は、カッとなって正気を失ってたとしても、女性の心を殺すには十分なものです。
特に終盤の「本当は堕ろしてほしかった」というような一言は思わず「あー・・・終わったな・・・」と心の中で呟いてしまいました。
自己中絶の道具を見つけて怒り狂って説得した人が「本当は堕ろしてほしかった」だと?って感じですよ。私がエイプリルだったらあの時点でフランクを殺してますね。
フランス行きが消えてどんどん追い詰められるエイプリルを見ていると、妊娠が女性しかできないっていうのは本当に最悪だと改めて思いました。
妊婦のことを”身重”と表現しますけど、まさに身が重くなりますよ。あんなに追い込まれたら。
妊娠なんてしてなくたって、エイプリルは今の生活が既に窮屈だったのです。家に閉じ込められ、顔見知りに囲まれた町に閉じ込められ、夢を断たれた世界に閉じ込められていたんですから。
そこに追い討ちのように妊娠。もうゲームオーバーといった感じですよ。
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今回この映画を観て改めて”1人で生きていく決意”・”産まない決意”について思い返しました。
以前も書いたように、私はずっと、自分は生まれてこなければよかったと思っています。
生きるのが怖くて苦しくて嫌だったので、その気持ちを自分が誰かに産み与えるなんて絶対に嫌なのです。
だから周囲に何を言われようと、もし愛する人に「産んでくれ」と頼まれても、それだけはしてはいけないことだと心しています。
その決意は固いんですが、やはり女性という性別と25歳という年齢もあり、今の社会環境からは容赦なく「子ども産め」という圧力がかかってきて、それはしんどいです。
「結婚しないの?」というのもありますが、そのセリフの背景もやはり”子ども産め”でしょう。
最近は行政との仕事も多くて、それがまた「少子化対策→婚活パーティ」とか「少子化対策→結婚啓発セミナー」とか、もっとダイレクトに「少子化対策→妊活応援プロジェクト」とか、そんなんばっかりで、本当にゲンナリなんですよね。
別に自分が参加するわけでもないんですけど、絶対に生みたくない自分が、こんなイベントの企画や運営に携わっているというだけで、仕事だと言い聞かせていても不協和が気持ち悪くてしょうがないんです。
さらに、営業職について毎日他人とたくさんお話しするようになって、あらためて自分は他人と一緒にいることが向いてないなと感じたんですよね。団体行動が駄目だし、2人でも長時間一緒いるのは無理です。旅行ももう嫌ですね。
コミュ障と言われればそれまでですが、1人でいるほうが精神の安定を得られるようです。
こないだネット記事かなにかで「老人の自殺で多いのは二世帯・三世帯住宅に住んでる人で、独居老人のほうがストレスが少なくて長生きする」みたいな話を読み、嘘かホントか定かではありませんがとても腑に落ちました。
淋しい日もありますが、やっぱり私は1人で生きていこうと改めて思いました。
そもそも人間はみんな1人ですけどね、それでも改めてそう思ったんです。
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最後、自分で堕胎して、出血しながらも窓の外をどこかスッキリした顔で眺めるエイプリルが、とても綺麗で印象的でした。
憑き物がとれたような、肩の荷が下りたような。
だって、胎児って、いずれ人間になるのかもしれませんが、”異物”ですからね。
特にエイプリルみたいな「本当は産みたくない人」にとっては。
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私は自分が子どもを産むのは嫌ですが、他人が子どもを産むのは嫌ではありません。むしろ、子どもをほしいと思う人には、無事に産んでほしいと願っています。
結婚だって、自分はする意味がさっぱりわかりませんが、したい人はどんどんすればいいし、結婚式だって挙げたい人は挙げた方がいいと思っています。
私が嫌なのは、私みたいな結婚も出産もしたくない人に「結婚って・結婚式ってこんなにいいものだ」「子どもをもつ・家族をつくるってこんなに素敵なんだ」と共同幻想を押し売りすることです。
こんなことがまかり通る世界が、一刻も早く終焉を迎えますように。
エイプリルたちのような苦しみから、1人でも多くの方が解放されることを願います。おわり。