れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

会えない不幸を生きる 『ちょうちんそで』

先週、職場の上司に「おすすめの本何かある?」と訊かれました。

その女性主任は普段はそんなに本を読まないらしいのですが、秋だし、最近涼しくなってきたし、何か読んでみたい気分になっていたのかもしれません。

ジャンルは小説とのことだったので、いくつかおすすめをリストアップしたのですが、そのほとんどが学生時代に読んだものでした。

そういえば今の仕事を始めてからアニメと漫画ばかりで本を読むペースがだいぶ落ちていたと思い、この連休に何か読もうと久々に近所の図書館に行きました。

あまり難解な文章を読む気力がなかったので、さらっと読める文体のものがいいと、江國香織の割と新しい作品を手に取りました。

ちょうちんそで

ちょうちんそで

 

文体は美しくも平易で非常に読みやすかったですが

内容は胸をゆっくり絞りねじるような、切なく哀しいお話でした。

 

主人公の雛子は50代半ばの元主婦で、現在は高齢者向けの手厚いサポートが受けられるマンションに一人暮らしをしています。

隣室の丹野夫妻の旦那さんがたまになぜか訪ねてくる以外、あまり他人との交流がない雛子。他の住人はもっと高齢な中、異例の若さでこのマンションにやってきたこともあり、雛子は変わり者として距離を置かれているようです。

雛子はしかし、架空の妹・飴子と常に会話しており、あまり淋しい様子は表面上はありません。

飴子は実在する雛子の実の妹で、とても仲の良かった2人ですが、雛子が30代の頃に飴子は失踪してしまい、それっきり会っていません。

 

雛子の最初の夫との間に生まれた息子の正直は、モデルをするほどの美人妻・絵里子との間に愛娘・萌音が生まれたばかりで幸せの絶頂にいました。

雛子の最初の夫は病死してしまい、再婚した次の夫との間に生まれた次男の誠は大学生で、なかなかハンサムに育ち、これまたなかなか可愛い彼女・亜美と仲良く付き合っています。

父親は違えど仲の良い兄弟の正直と誠ですが、雛子に対する態度は全然違っています。

雛子は誠がまだ義務教育の時に、夫でない男性と駆け落ちして蒸発しています。そのことを正直は心底恨んでおり、今でも許していません。

一方の誠は正直ほど頑なではなく、どこかドライで他人事のようです。

しかし駆け落ちした雛子は、相手の男が自殺したことと妹の飴子にもずっと会えていないことで精神の均衡を崩し、アルコール中毒になり病院に運ばれました。

両親ももう死んでおり天涯孤独の雛子の身元は正直たちの家族へ戻り、病院を退院するタイミングで今のマンションに入居する流れとなったのです。

 ***

こんな壮絶な人生を歩んできて、頭の中にいる架空の妹とずっと話をしているなんて、完全に精神病みたいですが、雛子は自分の幻覚と現実をきちんと分けることができており、発狂もしないし薬も飲んでいないし、お酒も今では少したしなむ程度にとどめているし、そういう意味ではとても強い女性だなと思います。

しかし、雛子はもうどこにも進まないのです。架空の妹と楽しかった昔話ばかりして、これといった楽しみはもうないように見えました。

 

たまに様子を見に来る丹野氏は、最初は雛子に気でもあるのかと思っていましたが、全然違いました。

穏健な丹野氏は、若かりし頃に車で人を轢き殺してしまい、それを嵐で増水した川に放り込み、翌日もその翌日もニュースにそれらしい死体の報道がなく、殺した人は失踪扱いとなったという過去を持っており、”失踪”というものに人一倍敏感なのです。

だから妹が失踪している雛子を気にかけていたのでした。

誠実で穏やかな丹野氏がこんな過去を持っていることは、この世で丹野氏本人以外誰も知りません。妻の丹野夫人でさえ。

丹野夫人は自分の夫をとても誇りに思い、また愛しています。そして世の中の「妻に暴力をふるったり、子供を虐待したり、お酒やギャンブルに溺れたり、犯罪に手を染めたり」する恐ろしい男性たちを誰よりも嫌悪している潔癖な人です。

自分の夫が人殺しとも知らずに、よその旦那を心の底で蔑んだりけなしたりしている様は、見ているとなんだか意地悪な気分になって少し笑ってしまいました。

 

この本は雛子の生活を軸に、正直の生活、誠の生活、亜美の生活、丹野氏の生活、丹野夫妻の生活、丹野夫人の仲良しな岸田夫妻の生活が変わりばんこに描写されて少しずつ進むのですが、そこに唐突に異国の小学生・なつきの生活も描かれます。

なつきは東京都杉並区から、親の仕事の都合でカナダに転校しました。現地で友達もでき、勉強も順調な彼女ですが、自分の本当に話したいことを話せる大人がたった一人だけいます。

それは日本人学校の小島先生です。

非常に華奢な体で、トマトもきゅうりも食べられない小島先生こそ、雛子の実の妹・飴子なのでした。

飴子は友達とルームシェアしながら日本人学校で先生をしていたのです。なつきのどんな話もバカにしたりせず真剣に聞くし、秘密を決して親に告げ口しない、なつきから見ればとても粋な先生です。

飴子は異国で元気にやっているのです。

でもその事実を日本にいる誰一人として知らないのです。

 

今の雛子には、最初の夫も2番目の夫も、駆け落ちして自殺してしまった男も、自分が産んだ息子の正直と誠も、また正直のところに生まれた孫の萌音も、すべてが特に気にかけるほどでもないことなのです。

雛子の今唯一の気がかりは、もうずっと会えていない、生きているのか死んでいるのかもわからない妹の飴子だけです。

 

カナダにいる飴子は、ミルク紅茶に浸したビスケットをこぼしてしまったなつきを見て笑い出し、こう言うのです。

「知ってる?なつきちゃん」

笑ったまま、笑いのすきまから先生は言った。

「あなたは私に姉を思い出させるわ。ほんとよ、そっくり」 

飴子は雛子に会いたいと思わないのか、少し不思議です。

 

丹野氏が思い切って雛子の妹を探す手伝いを申し出る場面があるのですが、ここがとても心を打ち砕かれるシーンなのです。

「妹は見つからなかったんです」

それで、ただそう言った。

「ええ」

穏やかに、男は相槌を打った。

「でも、その後、たとえばいま、探してみようとは思わないんですか?昔とは違って、いまはいろいろ方法がありますよね、ツイッターだとか、フェイスブックだとか」

雛子は首を振った。

「考えたこともありません。妹は、私がどこにいるか知っています。ええと、つまり、知っていました。そこに私はもういませんけれど、夫と息子はいまもいて、もし妹が連絡をくれれば、必ず私に知らせてくれます。それは確かです。夫は、ごめんなさい、元の夫は、とても善い人ですから」

雛子はいったん言葉を切って、ワインを喉に滑り込ませた。自分が次に口にする言葉から、すこしでも身を守りたかった。

「妹は、私と連絡をとりたがっていないんです」

そう考えることは苦痛だったが、もう一つの可能性を考えるより、ずっと良かった。現実の飴子が、もうどこにも存在していないという可能性を考えるよりは。 

この本の中で、唯一雛子の心が怒りで震えるシーンでした。無論、雛子は怒りを露見させませんが、心の底から怒り、そしてそれは疲労に変わり、雛子はつとめて穏やかに、しかし切実に、丹野氏に部屋から早く出ていってほしいと願うのでした。

***

私には少し失踪願望があります。

10代の頃から、誰も自分を知らない場所に身を置いて、一から生活してみたいなぁと、ぼんやりした憧れがあります。

でも冷静に考えて、ただでさえ人見知りで思慮に欠ける私が、異国の地で人脈を築けるはずもなく、またそこまでして逃げ出したい何かがあるわけでもないので、しませんが。

ただ、もし、どこかに逃げたとして、そこで何とか楽しくやっていけるとして、

故郷の誰かと連絡を取るだろうか?

実の親は・・・もう一生会いたくないくらい好きじゃないですし、連絡しないでしょう。

祖父母は・・・彼らが死んでしまったら、葬儀に参列したい気持ちはあります。でも、わざわざこちらから連絡を取るかというと、やはり取らないでしょう。

友人も恋人もいないし、世話になった先輩や職場の人々もそこまでずっと繋がっていたい人はいません。

・・・こうやって考えると、私も飴子のように消えたまま、残された人の苦しみをそこまで考慮せずに、現地で楽しく暮らしていくでしょう。

いや、飴子は能天気に見えて実は考え抜いた結果なのかもしれませんが。

 

私は今、雛子にとっての飴子のように、幻覚を見るほど会いたい人・大切な人がいないので、なかなか自分に置き換えて考えることができないのですが

それでも雛子が老人ばかりの管理されたマンションで一人、架空の妹とひたすら過去を生きる様を思うと、とても胸が苦しくなり、涙が静かにこみ上げてくるのです。

「たのしみだなー、あした」

と、姉妹の母親そっくりの口調で呟く。そしてピアノを弾き始める。ジグだ。賑やかで速い、素朴で陽気な架空の音がピアノからこぼれ、部屋を満たし、雛子は立ったまま目をとじて、全身でそれを聴きとる。現実には存在しない音の一つ一つが、現実に存在する自分の上に、周囲に、次々降りてきては消えるのを感じる。雪のように、記憶のように。 

雛子と架空の妹が、楽しかった思い出を話せば話すほど、読んでて辛くなる最後の描写は、絶望的なまでに美しく軽やかなのでした。

久々に読んだ小説でしたが、最近の涼しくてしっとりした秋雨の夜長にぴったりの、心に残る秀作です。おわり。

宇宙と日常をつなぐ音楽:ナユタン星人『ナユタン星からの物体X』

最近お風呂に入る時によく音楽を流すのですが

とみに気に入っているのが「ナユタン星人」さんの曲です。

ナユタン星からの物体X (remake)

ナユタン星からの物体X (remake)

  • 発売日: 2017/01/04
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 前々からニコニコ動画などで好んで動画は観ていたのですが

先日なんとなくアルバムをダウンロード購入したらますます癖になってしまいました。

特に好きな曲は「アンドロメダアンドロメダ」「飛行少女」「ハウトゥワープ」の3つです。


アンドロメダアンドロメダ - ナユタン星人 feat. 初音ミク


飛行少女 - ナユタン星人 feat 初音ミク


ハウトゥワープ - ナユタン星人 feat 初音ミク

歌詞カードを見てから気づいたんですが、歌詞も実はとても良くて、ボカロ曲では珍しくバランスのとれた楽曲たちだと思いました。

ボカロの曲って、曲がよくても歌詞が壊滅的にダメなやつが多いんですよね〜。誰とは言いませんが…。

ナユタン星人さんについて詳細は全く知らないのですが、非常に優れたミュージシャンだと思うので、もっともっと聴きたいと思っています。

楽曲全体を通して宇宙がテーマとして敷かれていることが多いみたいですが

宇宙のことを思えは、日頃のつまらない些細なことも許せるというか、あらためて宇宙っていいなと感じました。

逆に、自分の人生の中の出来事なんてありふれたどうでもいいことばかりでもあるけれど、別の見方をすれば自分の全ての事象は世界で、ひいては宇宙でたった一度のことなわけで、そう考えると全てが特別で無駄でないものにも感じられるわけです。

そういう宇宙と自分との距離感が歌詞世界に反映されているのも、今時なかなか珍しい音楽だと思うのです。

もっと活躍してほしいアーティスト・ナユタン星人さん。今後も期待しています。おわり。

『HER』

「あー確かに!」ととても共感したセリフを発掘しました。

HER (FEEL COMICS)

HER (FEEL COMICS)

 

ヤマシタ先生曰く「女の子がもがいている様が大好き!という気持ちをふんだんにぶち込んだ話」との本作品は短編集で、話に出てくる女性はわりとお洒落だったりわりと美人だったりわりと仕事ができたりする、中の上くらいの女性がほとんどでした。

そんなわけで、あんまり共感できるわけではなかったのですが、ひとつだけ「まったくそのとおりだな」と思うセリフがあったんです。

それがこちら。

「…わたしはさ ソリの合わない女と話しててもソリの合わない男と話すときみたいな憎しみは湧かないから」

「にくしみ…高子さんてさ けっこう男きらいだよね」

「そうね!」

「即答っ」 

6番目の短編の最初のほうに出てくる会話です。

いや~本当にその通りです。ソリの合わない男と話すとき、私は憎しみを覚えていたのだとはっきり自覚しました。

さっぱり系美人の高子さんとその恋人・柳井君が居酒屋で話している内容なのですが、まず作品の冒頭で2人が初対面のときの場面が出てきて、そこで高子さんが極めてにこやかに爽やかにぶちかまします。

「わたし「女の人って恐いよね~」とかふぬけたツラで抜かす男の人ってほとんど殺したいくらいの気持ちなの!!」

このときの晴れやかな表情と言葉のインパクトに柳井君はやられたといいます。

私もやられました。高子さんの指摘はどれも的確で一寸の狂いもないくらい気持ちをピタリと言い表してくれます。

 

いままで「男の人ってなんとなく苦手」とか「なんとなく嫌い」とかわりとぼんやりした自覚だったのですが、これは憎しみだったのかと腑に落ちました。

どうして憎んでいるのかまではいまだにはっきりしませんけど。

ソリの合わない女だってたくさんいるのに、彼女たちには憎しみは湧かないのです。それは彼女たちが”女”だからに他ならない。

自分が女だからというのももちろんありますけどね。

なんでだろう。。思索はまだまだ終わらないですが。おわり。

90年代に子供だった私たち『岡崎に捧ぐ』

昨日なんのけなしに手に取った漫画が結構面白かったです。

岡崎に捧ぐ(1) (コミックス単行本)

岡崎に捧ぐ(1) (コミックス単行本)

 

1巻しか読んでないですけど、自分の世代とドンピシャかかなり近くて、懐かしいけどどこか残酷なお話でした。

作者の山本さほさんはおそらく私と同い年か少し先輩くらいだと思います。

このコミックはエッセイ漫画で、山本さんが小学生のころのお話が第1巻でした。

小4のときに岩手から横浜に引っ越してきた山本さんは、同じクラスの少し風変わりな女子・岡崎さんと、ひょんなことから仲良くなり、彼女と青春を過ごします。

小学生時代の山本さんはあんまり女子女子していない印象の子で、ゲームしたりジャンプ読んだり(「なかよし」も好きだったらしい)新しい遊び(キムタクゲームとか)を考案したり、さばさばしていてアホなことが大好きな面白い子だったようです。そして絵が上手で、このころから漫画家になるという意識があったみたいですね。

そんな山本さんとたいてい一緒にいる岡崎さんは、いつも半裸で自宅にいる父親と普段何をしているのかわからないワインばかり飲む母親とヒステリーな妹の4人家族で、小汚いが無法地帯で自由な家に暮らしている、優しくてひかえめな女の子。

山本さんの突飛なアイディアを面白がって一緒に楽しんでくれる懐の深い彼女も、色気づかない独特の女子ですね。

他にも「あ~こういうやつクラスにいたかもな」という感じの個性的なキャラクターがたくさん出てきて、90年代の小学生あるあるを面白おかしく描いた作品でした。

 

この漫画でたくさん出てくるゲーム機やゲームソフト、ジャンプやコロコロ、バトル鉛筆やハイパーヨーヨーポケモンのカードやシールやたまごっちなどなど、私が小学生の時も周りで持っている人がいたり話題になったりしていました。

私も少しは興味があって、たまに母親がパチスロの景品でゲームやヨーヨーをとってくれたり、拾ったバトル鉛筆をとりあえず持っていたこともありましたが、ポケモンは初代すら最後までクリアできないまま失くしてしまったし、ヨーヨーも遊ぶよりも分解するほうが楽しかったし、ジャンプやコロコロよりはりぼんや花とゆめやLaLaや別冊フレンドのほうが好きでした。

こうして振り返ると、自分ってもともとめっちゃ女子脳だったんだなと思いました。

 

作中のエピソードで、クラスのトップヒエラルキーの女子2人が喧嘩をして、他の女の子たちがそれぞれどちらの味方になるかで決選投票することになり、山本さんが「めんどくさい」といって岡崎さんと2人だけで中立票を入れた話があるのですが、とても感心してしまいました。

私も26歳の今なら山本さんと同じことをしたと思います。やっぱりめんどくさいし、別にどちらかの大きな力に迎合しなくても日々を楽しくやっていける自信があるからです。

でも、小学生の頃の私は違います。特にこういう問題がよく起きる小学校高学年のころ、女子(とくに少しマセた子)グループは定期的に誰かがハブられ、そこから化学反応が起き新たな人脈が生まれるというループを繰り返しており、常にギスギスした雰囲気があったのを覚えています。

今日仲良しだったあの子も明日何かが変わって敵になるかもしれない、そういう世界が女子の世界でした。

私も小5くらいまではそういう波の中でぐるぐるしていましたが、小6のとき、私にとっての”岡崎さん”みたいな人ができて、それからはだいたいその子と2人で本屋で立ち読みしたりアニメイトに行ったり絵を描いたり、2次元趣味に没頭していました。(ちなみに私も”漫画クラブ”に入っていたことを思い出しました)

でも、山本さんたちみたいにさばさばはしていなかったです。作中でも言及されていましたが、りぼん派・なかよし派で分けると私は完全にりぼん派の女子でした。りぼん作品はそこまで読んでなかったですけど。もっと詳しく言うと私は白泉社派でしたけど。

小学校高学年のころはpopteenとかのファッション誌を読むのが好きだったし、ルーズソックスとかも好きでギャルとかに走り始めていましたね。。

そんなマセガキだった私は、大人になった今、小学生の山本さんに凄く共感できるし好感が持てるようになっていました。

同じクラスに同じタイミングで居たら、タイプが違くてたいして興味を持たなかったかもしれないですが、今になって見ると、背伸びしてマニキュア塗ったりコロンをつけたりするよりも、自分の頭で考えて面白いことだけを追求している山本さんみたいな子供のほうが、成熟しているように見えます。

 

あとがきもまたよかったです。

世の中には子供だから気付けないことと、大人だから気付けないことがある。

小学校のクラスメイトの家に遊びにいくといつもいる若い男性、この人は誰なんだろうと不思議に思いながら挨拶をしてたけど、大人になりアルバイト帰りのバイクに乗っている途中に突然気付いた。「あ!あれおばちゃんの彼氏か!!」

そんな感じの「今思うと」はたくさんある。

今思うとおかしなことを言うのでみんなが避けていたあの子は、ただみんなより頭が良いだけだったと思う。

今思うと授業中に白目を剥いで倒れてみんなの気を引くあの子は、両親がいなくて寂しかったんだと思う。

今思うとあの子が大人たちから煙たがられているのは、家族ぐるみで変な宗教にハマっていたからだと思う。 

子供のころのことに限らず、一定の時間が流れた後の物事には「今思うと」が溢れていますよね。

私も、今思うと過剰なくらい女の子でした。

それがどうして、今ではこんなに”女の子”が苦痛なのだろう。

 

この作品は過去の話を描いたものではありますが、ただノスタルジーに浸るだけでもなければギャグだけで終わるものでもない、かといってセンチメンタルでもなくて、子供のころの体験を生き生き描きながら浮き上がる「今思うと」をざくざく突き刺してくる、そういう作品だと感じました。

続きも読もうと思います。おわり。

包丁で切り裂いた人生の断片『平田俊子詩集』

先日ご紹介したマツモトトモ『インヘルノ』の中に、平田俊子の詩集が出てきました。

さらには引用もされていて、その詩集『ターミナル』は日本全国でも数えるほどの図書館にしか置いていないようでした。

なんだか少し気になって、とりあえず近所の図書館にあった『平田俊子詩集』でざっくり読むことにしました。

平田俊子詩集 (現代詩文庫)

平田俊子詩集 (現代詩文庫)

 

詩集を読んでこんなに「面白い!」と強く感じたことは、今までなかったかもしれません。茨木のり子くらいでしょうか。

自分にとってかけがえのない詩集の一つに金子千佳『遅刻者』があるのですが、『遅刻者』はもっと追い詰められたヒリヒリとした感触があって、引き込まれるし夢中になってページをめくるけれど「面白い!」というのとは少し違う気がするのです。エンターテイメントではないというか・・・

それにひきかえ平田俊子の詩は一番初めの「ラッキョウの恩返し」から、面白くてびっくりしました。え〜!面白い!どうしよう・・・という感じです。笑えるしドキドキしました。

まったくの創作物というよりは、平田俊子その人が垣間見える作品も多く、エッセイに近いものからSFが混じったようなシュールなものまで幅広いです。

しかしそれらの作品が、まるで平田俊子の(もしくはとある女の)人生を刃物で切り裂いた切れ切れのように、生々しくリアルで、色鮮やかで血が滴るような体温の残る肉片みたいなのです。んん〜上手く言い表せなくてもどかしいんですけど。

生い立ちや生来の性格によるものなのかもしれませんが、物事を他の人とは違ったレベルで正直に捉え、涵養し、小気味よく歪に形作られた言葉と物語を紡ぐことができるこの平田俊子という人の才能に、完全に魅了されてしまいました。

 

・・・ああ、ダメですね。全然彼女と彼女の作品の凄さを言い表せていない。

一言に集約すると「面白い」となってしまう。だって面白いんですもの!!

詩集の裏表紙に辻征夫(詩人)のコメントが載っているのですが、とても共感できます。

平田俊子はめずらしく、退屈しないでおしまいまで読める詩を書く人である。彼女が朝日新聞日曜版に詩を連載したときには、あまりのおもしろさにふと危惧さえ感じたくらいだった。 

詩人が危ぶむほど面白い詩を書く詩人、それが平田俊子なんですね。

詩を読んでも退屈しか感じない人にも、他に好きな詩人がいる人にも読んでほしい作家です。詩ってこんなに豊かな表現方法だったのかと驚きます。

 

最後に「これは名言だな」と思わず笑ってしまった一節を引用します。

夫を殺したくなったときはがまんしないでやるべきです。殺意と尿意をこらえるのは女性のからだに大敵です。おもいきって実行しましょう。

詩集<(お)もろい夫婦>「ネンブツさん大忙し」より。

あ、こんな話ばっかりじゃないですよもちろん。男性の方にも是非読んでいただきたいです。おわり。

 

飢えるほどの愛と後輩君が可愛くてたまらない『インヘルノ』

昨日コミックコーナーでなんとなく目を惹かれた作品が、マツモトトモ『インヘルノ』。

インヘルノ 1 (花とゆめコミックス)

インヘルノ 1 (花とゆめコミックス)

 

正直読み応えとしてはそこまで深い作品でもないのですが、とにかく主人公の生徒会での後輩・古庄君が可愛すぎて可愛すぎて・・・この気持ちを書き留めておこうと思いまして。

 

高校2年生の主人公・家入更(さら)と一つ年下の家入轟(ごう)は実の姉と弟で、

4年前両親が離婚し離れ離れになった2人でしたが、その両親が再婚することになり、再びともに暮らすようになるところから物語は始まります。

更は眉目秀麗・才色兼備の超人みたいな人ですが、情緒に少し欠陥があるというか、他人への興味が人一倍薄い人間です。

そんなアイスドールな更が唯一心から求めてやまない人間が弟の轟。小さい頃から大好きな弟ではあったものの、今では弟ではなく一人の男性として轟を手に入れたい気持ちがあります。

一方の轟も、物心ついた頃から更に特別な感情を抱いていました。大人になるにつれて自分の気持ちが社会的にも倫理的にも許されないものだと何度も思い知るのですが、それでも更を想う気持ちをどうしようもできない苦しみを味わい続けます。

4年ぶりの再会ではピリピリしていた轟ですが、本能に抗えるわけもなく、2人は互いに求め合うようになります。

と言ってもまだある程度プラトニックではあるみたいですが。

家に2人きりだと結構チュッチュチュッチュしてて「この姉弟すごいなー」って感じです。

 

花とゆめコミックスを久しぶりに読んだのですが、花ゆめってページの脇に作者のコメントとか解説が入っているんですよね。

2巻の最初のコメントに書いてあるのですが、この作品の素材として近親愛を選んだのは”激しい恋を描く手段”としてであり、それ自体を目的としているのではないということでした。なるほど。

確かに、轟の激しい感情なんかは近親愛だからこそあそこまで熱く描きあらわせるのかもしれません。

1巻の最後の部分の表現が非常にいいなと思いました。

これは   地獄

 

楽しくなんかない

優しくもなれない

火を飲んだみたいに

胸を焦がし

出口は ない

永遠に

 

だけど

 

それでも いい

それでも いい

それでも いい

 

と 

”火を飲んだみたいに”って、素敵な表現だなぁと感心しました。

それくらい激しい気持ちで人を好きになれるのって、やっぱり素晴らしいですね。羨ましいです。

ちなみに「インヘルノ」とはポルトガル語で「地獄」という意味なのだそう。

 

しかし、この作品には轟とはまた違った雰囲気の、更に静かに燃える恋心を抱く少年がいるのですよ・・・

それが、更の後輩の古庄君です!!

更は生徒会長なんですけど、古庄君は更の側近のような立ち位置の男の子で、年は高1で轟と同じです。

古庄君は更ほどではないにしても秀才で賢い子なので、更たちの立ち居振る舞いから家入姉弟のただならぬ関係に気づいています。

そしてその上で更に恋しているのです。

「返事はいいです」と予防線を張りながら更に想いを打ち明けるのですが、更は自分と轟のために古庄君を利用します。更は古庄君と付き合うことにするのです。

古庄君も更の気持ちが自分の方を向いていないことはわかっています。それでも「どうしたら轟から奪い取れるか」日々思考を重ねます。

・・・匂いませんか、彼からそこはかとなく”不憫”の香りが・・・!!

以前も書いたかどうかわかりませんが、私は大の不憫萌えであります。

アルドノア・ゼロのスレイン、涼宮ハルヒの憂鬱の古泉くんなど、報われない想いを静かに抱き続ける少年が大好物なんです。悪趣味ですみません。

もう、とにかく古庄君が可愛すぎます。特に、更と初めてのデートで築地に行った時の可愛さといったら・・・下調べしたことが更にバレて顔真っ赤にしてる古庄君最高すぎて悶えました・・・可愛すぎかよ・・・

そして余裕がなくなると大阪弁が出るところも最高に可愛いです。狙ったような萌えキャラです。古庄君、恐ろしい子

しかしそんな楽しかったデートの翌週、古庄君は生徒会室の机の上に投げ出されていた更の手帳の中をうっかり見てしまいます(わざとじゃないです。風にはためいてたまたま見えたのです。目は凝らしましたけど)。

更の手帳の、楽しかったデートの土曜日に書いてあった文字は「轟 体育祭」。

更の心が全く手に入らないことを再認識しつつ、それでも轟から更を奪いたいと再び闘志に燃える古庄君なのでした・・・。

 

ああ、誰かをこんなに好きになって、求めて、苦しんで・・・

当人は絶対に辛いんですけど、やっぱり憧れます。人をそんなに好きになれるということに。

私も今まで付き合った人とか、片想いした人とか、いるにはいるんですけど、

最近「本当にあの人のこと好きだったのかな?」と疑問を抱く時があります。

なんとなく好きだと思っていたとか、ただ好きと言われたから一緒にいたとか、

そういうぼんやりした気持ちではなかったか?と顧たりすることが、最近多々あるんです。

・・・ここ1年くらい誰も好きになってないからかもしれません。

恋愛から遠ざかっているうちに、過去の恋愛まで不審に思ってしまうなんて、なんだか薄情で嫌だなぁ。

轟や古庄君みたいに、誰かを強い気持ちで想うことが、果たしてあるのか。

なんだかしみじみ考えてしまいました。おわり。

女、男、取り分の差と暴力・・・『先生の白い嘘』

一昨日と昨日、仕事で研修に行ってきました。

営業の勉強会のような内容で、日中座学やディスカッションなどがあり、夜は2日間懇親会という名の宴会でした。

1日目の宴会ではテーブルが各グループごとに分かれた形となっており、余興なども用意されていました。

私の所属する業界では、営業マンはまだまだ男性の数が多く、各テーブルに女性は1人ずつしかいませんでした。

グループ対抗でゲームをいくつかやらされ、優勝チームには大したことない賞品が用意されていました。

私はもともと懇親会や飲み会が大嫌いなのですが、職業柄止むを得ずと考えていましたので、ちびちびビールを飲みながらご飯を黙々と食べていました。

ところが、ゲームがそこそこ盛り上がりを見せる中、部長や支社長レベルのオヤジたちの女性への(おそらく無意識レベルの)セクハラが目に余るようになってきました。

身体に触るという分かりやすいセクハラは、他の男性陣がワーワー避難したりもしますが、それもどこかおざなりというか、ニヤニヤしながら軽くいなす程度。

言葉でのセクハラについては、おそらく若い男性も含めてまったく気にとめられないようでした。

 

私はどんどんバカらしい気持ちになり、後半はずっと煙草を吸っていました。

 

女性陣の中には男たちのセクハラを逆手にとってうまく立ち回る利口な人もいました。(というか、実際私以外の女性は皆そうやってうまくかわしていたように見えました。)

でも私はその雰囲気自体がどうしてもダメで、不快感を押し殺すことができなかったように思います。

顔が険しくなったり、もともと良くない愛想がさらに悪くなったりしたかもしれません。

日中に聴いた勉強になる話が全部流れてしまうかと思うくらい腹立たしい気分になっていました。

 

どうしてあんなにイラついていたのか、そして今もモヤモヤした気持ちが消えないのはなぜなのか、

何に対してこんなに納得がいかないのか、未だに心の整理がつきません。

しかし、この気持ちは初めてではない気がするのです。

社会に出て、いろんな大人と働く中で、何度もこんな気持ちを味わってきたように思えるのです。

 

ふと、この、うまく言語化できない問題のひとかけらを、巧みに表現した漫画を最近読んだことを思い出しました。

それが鳥飼茜『先生の白い嘘』です。

先生の白い嘘(1) (モーニングコミックス)

先生の白い嘘(1) (モーニングコミックス)

 

Kindleで1巻無料だったのです。運良く。

結構話題になっている作品のようですね。

Wikipediaを見ると「レイプを題材にしている」とのことですが、私の読後感としてはレイプというよりは、もっと広い性差別とかジェンダーとか男女差の扱いの難しさのようなものを浮き彫りにした作品だと感じました。

 

主人公は高校教師の美鈴で、ひとえまぶたで内気な24歳です。

大学時代に友人・美奈子の恋人・早藤にレイプされ、以後脅されながら体の関係を続けており、強いストレスから生理は1年止まっています。不眠や味覚障害も自覚しているようで、見かけ以上に重い心の傷を抱えています。

そんな美鈴の受け持ちのクラスの男子生徒・新妻君は、ひょんなきっかけでバイト先の人妻熟女とホテルに行くことになってしまい、そこで自分の意に反してセックスすることになったのを「人妻にレイプされた」と考えていました。

ホテル街での目撃情報が教室で広まり、教師陣の命で美鈴は新妻君の事情聴取をすることになるのですが、そこで新妻君は「女の人のアソコが怖い」と打ち明けます。

この進路指導室での美鈴と新妻君の会話は、現代漫画史上に残る名場面だと思います。ここだけでも読む価値あります。

「あの日

どこまでが俺の「そうしたかった事」なのか

わかんないんです・・・今も」

「自分の欲求満たしておいて

自分のせいじゃなかったって言う話?

(嫌な話)

男の癖に・・・」

「先生も

セックスはいつだって男のせいだって思ってますか

その人はそういう風に言ったんです

あの時直前になってやっぱ違うって思って

「ここまでついて来たけどできません」って謝ったんです

でもすでに遅かった

空気が・・・もうそれまでと違ってたんです

それまでのすごい親切な俺の知ってる青田さんじゃなくなってた」

(嫌)

「俺 なんかその空気にのまれるって思って

のまれたら終わりだって気がして

フタしたんです 怖いって気持ちに

そしたら段々・・・途中から俺 わかんなくなっちゃったんです

違うし嫌だって思ったのに

もしかしてこれ 自分の意思なのかなあ?って

確かに怖いって逃げたいって思ったのに

逃げないでそこに居続けたのはなんで?って」

(嫌な話) 

新妻君の独白を聞いながら、自分の過去を思い出す美鈴。

ここでシーンは美鈴が早藤にレイプされた4年前になります。

 私が声をあげることをしなかったのは ある可能性に気づいたから

すべて私の

すべて女の自分のせいという可能性

 

生きてるだけでこんな目に遭う

私が女のせいで

女が女というせいで

そうして美鈴は自分がされた仕打ちは自分のせいだと思い込むようになったと言います。自分のせい、女のせいだと決めることによって蓋をした美鈴は、男である新妻君が被害者ぶった発言をすることで自分の蓋を開けられるような心地悪さを覚え、新妻君に当たります。

 「・・・みとめない」

「え」

「だって男だもん・・・

本気で逃げようと思ったら 力ではね返すことはできたでしょう?」

「力じゃない暴力もあると思います・・・

暴力の前でやるしかないから・・・やったんです」

「・・・力を持ってる側の人がそれを言うの?」

「だって先生 男も女も平等じゃないんですか?」

(平等のわけないだろう)

「知らないの?

女が正しく生きられないのが誰のせいか・・・」

(中略)

「男のせい・・・って言うんですか」

「他に誰がいる?」

「先生は正しく生きてないんですか?」

(そう私は正しさを失ったのだ)

「よく・・・わかんないですけど

男ってだけで先生がそんな怒ってるなら悲しいです

だって俺男に生まれたくて生まれたんじゃないし

先生も好きで女に生まれたんじゃないわけで

両方選べないのは同じなら 男とか女だとかで争わない方法があるんじゃないですか

(中略)

なかったら俺も先生もこの先救われなさすぎます」

(中略)

「アンタが怖いのは女のアソコじゃない・・・

男に生まれてしまった自分自身よ

ホテルであなたは男と女が平等じゃないって知ったのよ

女から正しさを奪って 女から自由まで奪ってしまえる

そういう不条理な力を持ってること・・・誰かに許されたいだけよ

でも大丈夫・・・そのうちすぐ慣れるよ

これから沢山の女をみにくく汚して生きていくの

自分ではそんな気なくても そういう風にしか生きられないの

そんなの誰も許してくれるわけない

少なくとも私は絶対許さない

絶対許したりしない」

この美鈴の慧眼、本当にびっくりしました。

SFとか不条理小説とかいろいろありますけど、こんな身近に一番耐え難い”不条理”があることを、というかそれをまさに”不条理”ということをすっかり忘れていました。

新妻君の言うこともわかるんです。性別を選んで生まれてきたわけじゃないし、こんな考え方じゃ救いがないのもごもっともです。

でも、本当に救いがないんですよ。どうしたって平等じゃないんです。

というか、社会に平等なものなんてありますかね?

 

この美鈴との会話をきっかけに、新妻君は美鈴に強い興味を持ち、急速に惹かれていきます。

他にも、学校一の頭脳派美少女で奥手処女の三郷佳奈、「女のコはみんなかわいい」というチャラいイケメン和田島君、グラビアデビューして謹慎をくらった和田島君の元カノでトップオブヒエラルキー・緑川椿などなど、個性的でそれぞれ問題を抱える登場人物たちが有機的に繋がっていき物語は進みます。

私はまだ4巻までしか読んでないんですが、5巻 の表紙は三郷佳奈でしたね。この子の過去も明らかになるのでしょうか・・・。

 

私が一番好感を持ったのは和田島君です。女のコはみんなかわいくてセックスが楽しくて「チンチン最高!!」とまで言い切る彼はチャラいですが潔いし健全に見えます。

早藤と違って処女マニアでもないしレイプは好きじゃないし、きちんと避妊しているし、大変いい青年ではないですか。

緑川椿もかっこいいです。私は勝気な美人が大好きです。強者ゆえの暴力的なまでの正論を吐いたりしますが、芯が通っていて尊敬できます。

「先生

もっと自分の体のこと大事にしなよ?

 

って他人に言えるほど先生は大事にしてんの?

他人の意識変えようって気で喋るんなら

せめて自分に嘘つかないくらいの責任もちなよ」 

シビれる〜!緑川椿、やっぱりかっこいいです。

 

逆に一番嫌いなのは、当たり前かもしれませんが早藤です。

こんな人、近くにいたら嫌ですね。

婚約者となった美奈子が妊娠し、赤ちゃんのエコー写真を見て吐く早藤を見たときは少し「ざまあ」と思いましたが、早藤の子供として生まれてくる子がなんか不憫で・・・。

早藤はさらに頭がキレるから腹が立ちます。

「こういう・・・二人で会うのも もうやめるから」

「なんで?」

「だって・・・これって暴力ですよね?」

「ぶはは

違うよ? だって今日も自分の意思で会いに来たじゃん俺に」

「だから・・・暴力をやめてもらうために」

「わかんねー女だな 暴力じゃないよって言ってあげてんの

もしこれが暴力だったら 傷付くの誰か 自分が一番わかってんじゃん

ホントは暴力された女になんか成り下がりたくないんだろ?

私は求められた女なんだって思い込めば楽になれるよ

暴力も愛も自分の思い込み次第って

女ってそういうエゲツない生き物だろ」 

この”ヤプーの幸福”的論理構成、それをお前が言うかって感じでした。

こういう考えのもと処女をレイプしてるんですね、この男は。

「暴力も愛も自分の思い込み次第」って、男の人はどうなんですかね。男性もそういう部分ってあるんでしょうか。

でも、早藤ほど鬼畜ドSでなくても、男性は多かれ少なかれこういう考えを持っているんでしょうね、多分。

オヤジであればあるほどその傾向は強いように見えます。

女に一方的に値札をつけて棚に並べたり汚したり壊したりするんでしょう。

自分も値付けされうることを、彼らはいつまでもいつまでも考えないんですね。

 

とても読んでいい気分になれる漫画ではありませんが、読んだほうがいい作品であることは間違いありません。

物語としても非常に面白い優れた作品ですし、この作品を通して少しでも性差やジェンダーに関する問題に思考が生まれれば、とても素晴らしいと思います。

そして、くだらないセクハラまがいの暴力が横行するインチキ懇親会が、一刻も早くこの世から消えればいいのにと切に願うのでした。おわり。