れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

感情の洪水:『セザンヌと過ごした時間』

アニメじゃない映画でここまで心を揺さぶられる作品は本当に久しぶりでした。

美術に明るくない人でもセザンヌの名前だけは聞いたことがあると思います。私もそのレベルの知識しかなくて、セザンヌの絵もどこかで見たかもしれないけれど記憶に残ってませんでした。

今では有名なセザンヌも、ゴッホなどと同じく生前は不遇だった画家の一人だそうです。そういう画家の人生は得てして映画になりやすい気がします。前に観た『エゴン・シーレ 死と乙女』もそうでした。

 

しかしこの『セザンヌと過ごした時間』は、有名画家の不遇な生涯ではなく、彼の少年時代からの友人で作家のエミール・ゾラとの複雑で深い友情を描いた映画であり、その二人の関係の在り方が非常にドラマティックでなおかつ人間くさく切ない、端的に言い表せないほど心に響く傑作なのです。

 

ストーリーの概要は以下。

少年時代に出会ったセザンヌとゾラの絆は、境遇は違うが芸術家になる夢で結ばれていた。ひと足先にパリに出たゾラは、小説家としてのデビューを果たす。一方、セザンヌもパリで絵を描き始め、アカデミーのサロンに応募するが、落選ばかり。やがてゾラは、ベストセラー作家となって栄光を掴むが、セザンヌは父親からの仕送りも断たれ転落していく。そして、ある画家を主人公にしたゾラの新作小説が友情にひびを入れるが・・・。

公式サイトより) 

現代日本の悪しき風習のせいで”絆”とか”友情”とかいう言葉が陳腐に聞こえてしまうようになり、私自身あまり好きな言葉ではないんですよね。

セザンヌとゾラの関係性は確かにわかりやすい言葉で表せば友情ですが、その実友情というのはこんなに面倒くさくて複雑でいやらしくてでも眩しい感情なんですね。

 

大人になって社会的に成功したゾラと、とことん社会に適合できず生活も苦しいセザンヌの間には、子供の頃のような無邪気な親愛は保てないんです。

お互いを好きな気持ちがあり、互いの才能を信じて認めているけれど、一方には相手の扱いを面倒に思う気持ち、もう一方には嫉妬や羨望とそれがねじれてどこか馬鹿にした気持ちなどを抱えていて、話すと言い合いになったり周囲の人たちの雰囲気を凍りつかせてしまったりします。

 

とても好きなシーンの中に、セザンヌが”ある画家を主人公にしたゾラの新作小説”に対して気に触る箇所を取り正して罵倒したりするものの、小説の中の登場人物たちの青春時代の描写を読み上げているうちに涙がこみ上げてしまう場面があります。私もここでセザンヌと一緒に泣いてしまいました。

自分を小説のモデルにされて不当な描かれ方をしたと怒りを覚えたはずのセザンヌですが、それでもゾラの圧倒的な文学的才能は認めざるを得ないし、彼の書いた少年時代の描写から自分たちの輝かしい青春時代を鮮やかに思い出してしまうのです。幸福だった過去から随分と経ってしまった月日とその間でこぼれ落ちてしまった若さ、可能性、信じていた明るい未来・・・そういうキラキラしたものがもはや永遠に失われていることへの絶望と、それでも昔の楽しかった思い出が切なく心の中で今も息づいていることが、複雑に絡み合いセザンヌの心を締め付けます。

友情という関係性はこんなに豊かな感情を内包したものなのかと本当に驚きました。恋愛とも家族愛とも似ていて、でもそのどちらとも違うややこしく絡まったつながり。恋をしていても疲れますが、本気の友情もこんなに激しく扱いに困るものなんですね。

 

また、最後のシーンもとても胸に迫りました。決定的にこじれた話し合いから月日が流れ、しばらく音信不通でもうこのまま会うこともないと思われたある日、南仏エクス=アン=プロヴァンスセザンヌの元に「街にゾラが来た」という知らせが届きます。

最初は気に留めずそのまま静かに絵を書き続けていたセザンヌですが、数分経ってからいてもたってもいられず、杖をつきながらよたよたと小走りで街へ出かけるのです。

有名人であるゾラがカフェで談笑している周囲には人だかりができていました。長年子供に恵まれなかったゾラの横には、以前彼が歳の差の恋に悩んでいた若い娘・ジャンヌと、2人の間に授かった娘と息子がいました。ゾラは子供達に自分が青春時代を過ごしたこの雄大な自然を見せたかったのだと語っていました。

人混みに紛れてセザンヌは数年ぶりに友人の顔を遠くから垣間見て、懐かしさと彼が家族とともに幸福そうにしている様子に頬を緩めます。その直後、ゾラたちの会話にセザンヌの話題が上がりました。

ゾラはセザンヌが元気にしているか気にかけた後、「彼は天才だった。だがその才能は花開かなかった」というようなことを呟きます。それを聞いたセザンヌは、失望とも悲しみとも取れない静かな表情で、来た道をとぼとぼ引き返し帰って行くのです。そしてそこで映画は終わります。

もう、号泣しましたよ。声が出ないのに涙が込み上げて、悔しいような悲しいような気持ちでいっぱいになりました。彼らはその後も互いを想い続けて、でももう会って話をすることはなく、それぞれの人生を終えていったのだそうです。

 

***

 

セザンヌもゾラも芸術家で、今となっては著名な偉人ですが、彼らの人生は決してかっこよくも伝説的でもなかったのだなと思いました。

どんなに才能があっても、ものすごい名声があったとしても、人の人生でみっともなくない人生なんてないし、惨めな気持ちになることもあるんだなと。

そして、友情というのは私が想像するよりはるかに高度で豊かな人間関係なんだということもわかりました。私は多分今までもこれからも友人を持つことはないと思いますが、こんなに多くの感情を呼び起こす濃くて深い関係性なら、来世で一人くらい経験してみたいなとも思いました。おわり。