れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

2次元と3次元の間の圧倒的な壁:ツキウタ。

9月まで放送していたアニメ『ツキウタ。THE ANIMATION』をご存知でしょうか。

ツキウタ。』とは、2012年からムービックより発売されているキャラクターCDシリーズです。

メンバーの苗字はそれぞれ暦の月の旧名で、師走〜皐月までが「Six Gravity」、水無月〜霜月までが「Procellarum」というグループで活動しています。なので全員で12名です。

私はこのアニメが始まるまで、ツキウタについてほとんど知りませんでした。

が、

ただいまどハマり中なのです。

 

2次元界でもアイドル戦国時代の昨今、そもそも今期の夏アニメはB-PROJECTという違った男性アイドルアニメもあり、そちらもとても面白かったんですよね。西川貴教が楽曲プロデュースしてたり、絵も綺麗でキャラも良かったのです。

ツキウタもよくあるほのぼのアイドルアニメな感じで、キャラはそれぞれかっこいいしかわいいけれど、よく見ると目元がみんな似ているし、そもそも12人もいて多いしメンバー全員なかなか顔と名前が一致しないし、ストーリーは乙女向けによくあるぶっ飛び系ギャグアニメの様相を呈しており、アニメとしては中の下でした。

ただ、CGを駆使したオープニング映像と楽曲は非常にクオリティが高く、毎週楽しみにしておりました。


Tsukiuta. The Animation: "GRAVITIC-LOVE" - Six Gravity


[Tsukiuta: THE ANIMATION] LOLV-Lots of Love-: Procellarum

めちゃめちゃカッコよくないですか?

そしてこれ、毎週聴いていると思わず口ずさみたくなるのです。

 

毎回かっこいいオープニングと(どうでも)いいエピソードで綴られた『ツキウタ。THE ANIMATION』ですが、最終回、メンバー全員の合同ライブがありまして、そこで用意された新曲「ツキノウタ。」のステージが破壊的なまでにクールでカッコ良かったのです。


Six Gravity&Procellarum/Tsuki no uta

↑これは本当にアニメ本編でぜひ観てほしいです。

アニメ放映時は「かっこいい曲だな〜すごいな〜」というくらいだったのですが、最終回から少し経って「また聴きたいな」となり、いざ映像を見返してみると1回、2回とリピートが止まらず、いつの間にかステージが終わると「くぁぁっこいいよぉぉぉぉうわーん」と唸るほどカッコよく、すっかり夢中になってしまいました。

しかもこの「ツキノウタ。」は歌っている各メンバーの名前が、歌っているパートの歌詞に盛り込まれており、繰り返し見ているうちに、絶対に覚えきれないと思っていた12人の顔と名前、さらには声を当てている声優さんまでバッチリ覚えてしまいました。ツキノウタ恐るべし。

 

ツキウタのステージがとにかくかっこいいのは、楽曲のセンスの良さ、声優さんたちの表現力、そしてキャラクターの美しさとダンスのキレの良さと曲にピッタリな振り付け、そして精巧に計算されたカメラワークのすべてが素晴らしいからです。

現実世界にも可愛い・かっこいいアイドルはたくさんいるかもしれませんが、彼らは親から(天から?)授けられ・持って生まれた体と声を駆使して表現しており、そこには人の力ではどうにもできない不完全性が内包されています。

対して、ツキウタを始めとするアイドルアニメーションは、容姿も声も、キャラクターも演出もすべて人間が一から組み立て創り上げた総合芸術の結晶であり、そこには人々が自分たちの理想や夢を必死に具現化しようとした想像力のすさまじさと迫力が宿っています。

私は3次元のアイドルは男性も女性も興味がわかず、2次元のアイドルだけどうしてこんなに魅力的に感じるのかずっと不思議でしたが、ツキウタの圧倒的にかっこいいステージを観続けるうちに、その理由が少し分かった気がしました。

私はきっと、人の想像力が現実を凌駕するのを見たいんだと思います。

ツキウタを観ていると、人々の現実を変える力がものすごい勢いで世界を塗り替えるような未来を感じることができます。

初音ミクやIAのライブ映像を観たときにも少しそういう感覚を得ました。

 

人間の想像力と、それを具現化しようとする試行錯誤の結果生まれた新たな芸術を、心から愛し、尊敬します。おわり。

ツキウタ。 THE ANIMATION 主題歌 通常盤

ツキウタ。 THE ANIMATION 主題歌 通常盤

 

甘ったるいけどさらっとした音楽 "DAOKO"

先日ラジオから流れていていいなと思ったのがDAOKOの「BANG!」という曲でした。


DAOKO 『BANG!』 Music Video[HD]

ポップだけど綺麗なメロディで、声は甘くて柔らかいけど鼻につかないさらっとした気持ち良さがあって、ミュージックビデオも面白くて、なかなかいいなぁと思いました。

彼女の他の曲も観てみたり、公式サイトをみたりするうちにアルバムを聴いてみたくなって、アマゾンでダウンロードしたのがファーストアルバム『DAOKO』。

DAOKO

DAOKO

  • 発売日: 2015/03/25
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

1曲目の「水星」からとても美しくて、買ってよかったなぁと思うアルバムでした。


DAOKO 『水星』 Music Video[HD]

凄くいい曲ですよね。心地よいし、切ないし、儚いし、綺麗だし。

この前感想を書いた江國香織『ちょうちんそで』を読んでいた時、ずっとこのアルバムを流していました。

哀愁と寂寥にとてもよくなじんで大変よかったです。

 

新曲もシングルでぽこぽこ出ているようですね。次のアルバムが待ち遠しいアーティストにまた一組出会えて、とても嬉しいです。

いつかライブも行ってみたいですねぇ。おわり。 

会えない不幸を生きる 『ちょうちんそで』

先週、職場の上司に「おすすめの本何かある?」と訊かれました。

その女性主任は普段はそんなに本を読まないらしいのですが、秋だし、最近涼しくなってきたし、何か読んでみたい気分になっていたのかもしれません。

ジャンルは小説とのことだったので、いくつかおすすめをリストアップしたのですが、そのほとんどが学生時代に読んだものでした。

そういえば今の仕事を始めてからアニメと漫画ばかりで本を読むペースがだいぶ落ちていたと思い、この連休に何か読もうと久々に近所の図書館に行きました。

あまり難解な文章を読む気力がなかったので、さらっと読める文体のものがいいと、江國香織の割と新しい作品を手に取りました。

ちょうちんそで

ちょうちんそで

 

文体は美しくも平易で非常に読みやすかったですが

内容は胸をゆっくり絞りねじるような、切なく哀しいお話でした。

 

主人公の雛子は50代半ばの元主婦で、現在は高齢者向けの手厚いサポートが受けられるマンションに一人暮らしをしています。

隣室の丹野夫妻の旦那さんがたまになぜか訪ねてくる以外、あまり他人との交流がない雛子。他の住人はもっと高齢な中、異例の若さでこのマンションにやってきたこともあり、雛子は変わり者として距離を置かれているようです。

雛子はしかし、架空の妹・飴子と常に会話しており、あまり淋しい様子は表面上はありません。

飴子は実在する雛子の実の妹で、とても仲の良かった2人ですが、雛子が30代の頃に飴子は失踪してしまい、それっきり会っていません。

 

雛子の最初の夫との間に生まれた息子の正直は、モデルをするほどの美人妻・絵里子との間に愛娘・萌音が生まれたばかりで幸せの絶頂にいました。

雛子の最初の夫は病死してしまい、再婚した次の夫との間に生まれた次男の誠は大学生で、なかなかハンサムに育ち、これまたなかなか可愛い彼女・亜美と仲良く付き合っています。

父親は違えど仲の良い兄弟の正直と誠ですが、雛子に対する態度は全然違っています。

雛子は誠がまだ義務教育の時に、夫でない男性と駆け落ちして蒸発しています。そのことを正直は心底恨んでおり、今でも許していません。

一方の誠は正直ほど頑なではなく、どこかドライで他人事のようです。

しかし駆け落ちした雛子は、相手の男が自殺したことと妹の飴子にもずっと会えていないことで精神の均衡を崩し、アルコール中毒になり病院に運ばれました。

両親ももう死んでおり天涯孤独の雛子の身元は正直たちの家族へ戻り、病院を退院するタイミングで今のマンションに入居する流れとなったのです。

 ***

こんな壮絶な人生を歩んできて、頭の中にいる架空の妹とずっと話をしているなんて、完全に精神病みたいですが、雛子は自分の幻覚と現実をきちんと分けることができており、発狂もしないし薬も飲んでいないし、お酒も今では少したしなむ程度にとどめているし、そういう意味ではとても強い女性だなと思います。

しかし、雛子はもうどこにも進まないのです。架空の妹と楽しかった昔話ばかりして、これといった楽しみはもうないように見えました。

 

たまに様子を見に来る丹野氏は、最初は雛子に気でもあるのかと思っていましたが、全然違いました。

穏健な丹野氏は、若かりし頃に車で人を轢き殺してしまい、それを嵐で増水した川に放り込み、翌日もその翌日もニュースにそれらしい死体の報道がなく、殺した人は失踪扱いとなったという過去を持っており、”失踪”というものに人一倍敏感なのです。

だから妹が失踪している雛子を気にかけていたのでした。

誠実で穏やかな丹野氏がこんな過去を持っていることは、この世で丹野氏本人以外誰も知りません。妻の丹野夫人でさえ。

丹野夫人は自分の夫をとても誇りに思い、また愛しています。そして世の中の「妻に暴力をふるったり、子供を虐待したり、お酒やギャンブルに溺れたり、犯罪に手を染めたり」する恐ろしい男性たちを誰よりも嫌悪している潔癖な人です。

自分の夫が人殺しとも知らずに、よその旦那を心の底で蔑んだりけなしたりしている様は、見ているとなんだか意地悪な気分になって少し笑ってしまいました。

 

この本は雛子の生活を軸に、正直の生活、誠の生活、亜美の生活、丹野氏の生活、丹野夫妻の生活、丹野夫人の仲良しな岸田夫妻の生活が変わりばんこに描写されて少しずつ進むのですが、そこに唐突に異国の小学生・なつきの生活も描かれます。

なつきは東京都杉並区から、親の仕事の都合でカナダに転校しました。現地で友達もでき、勉強も順調な彼女ですが、自分の本当に話したいことを話せる大人がたった一人だけいます。

それは日本人学校の小島先生です。

非常に華奢な体で、トマトもきゅうりも食べられない小島先生こそ、雛子の実の妹・飴子なのでした。

飴子は友達とルームシェアしながら日本人学校で先生をしていたのです。なつきのどんな話もバカにしたりせず真剣に聞くし、秘密を決して親に告げ口しない、なつきから見ればとても粋な先生です。

飴子は異国で元気にやっているのです。

でもその事実を日本にいる誰一人として知らないのです。

 

今の雛子には、最初の夫も2番目の夫も、駆け落ちして自殺してしまった男も、自分が産んだ息子の正直と誠も、また正直のところに生まれた孫の萌音も、すべてが特に気にかけるほどでもないことなのです。

雛子の今唯一の気がかりは、もうずっと会えていない、生きているのか死んでいるのかもわからない妹の飴子だけです。

 

カナダにいる飴子は、ミルク紅茶に浸したビスケットをこぼしてしまったなつきを見て笑い出し、こう言うのです。

「知ってる?なつきちゃん」

笑ったまま、笑いのすきまから先生は言った。

「あなたは私に姉を思い出させるわ。ほんとよ、そっくり」 

飴子は雛子に会いたいと思わないのか、少し不思議です。

 

丹野氏が思い切って雛子の妹を探す手伝いを申し出る場面があるのですが、ここがとても心を打ち砕かれるシーンなのです。

「妹は見つからなかったんです」

それで、ただそう言った。

「ええ」

穏やかに、男は相槌を打った。

「でも、その後、たとえばいま、探してみようとは思わないんですか?昔とは違って、いまはいろいろ方法がありますよね、ツイッターだとか、フェイスブックだとか」

雛子は首を振った。

「考えたこともありません。妹は、私がどこにいるか知っています。ええと、つまり、知っていました。そこに私はもういませんけれど、夫と息子はいまもいて、もし妹が連絡をくれれば、必ず私に知らせてくれます。それは確かです。夫は、ごめんなさい、元の夫は、とても善い人ですから」

雛子はいったん言葉を切って、ワインを喉に滑り込ませた。自分が次に口にする言葉から、すこしでも身を守りたかった。

「妹は、私と連絡をとりたがっていないんです」

そう考えることは苦痛だったが、もう一つの可能性を考えるより、ずっと良かった。現実の飴子が、もうどこにも存在していないという可能性を考えるよりは。 

この本の中で、唯一雛子の心が怒りで震えるシーンでした。無論、雛子は怒りを露見させませんが、心の底から怒り、そしてそれは疲労に変わり、雛子はつとめて穏やかに、しかし切実に、丹野氏に部屋から早く出ていってほしいと願うのでした。

***

私には少し失踪願望があります。

10代の頃から、誰も自分を知らない場所に身を置いて、一から生活してみたいなぁと、ぼんやりした憧れがあります。

でも冷静に考えて、ただでさえ人見知りで思慮に欠ける私が、異国の地で人脈を築けるはずもなく、またそこまでして逃げ出したい何かがあるわけでもないので、しませんが。

ただ、もし、どこかに逃げたとして、そこで何とか楽しくやっていけるとして、

故郷の誰かと連絡を取るだろうか?

実の親は・・・もう一生会いたくないくらい好きじゃないですし、連絡しないでしょう。

祖父母は・・・彼らが死んでしまったら、葬儀に参列したい気持ちはあります。でも、わざわざこちらから連絡を取るかというと、やはり取らないでしょう。

友人も恋人もいないし、世話になった先輩や職場の人々もそこまでずっと繋がっていたい人はいません。

・・・こうやって考えると、私も飴子のように消えたまま、残された人の苦しみをそこまで考慮せずに、現地で楽しく暮らしていくでしょう。

いや、飴子は能天気に見えて実は考え抜いた結果なのかもしれませんが。

 

私は今、雛子にとっての飴子のように、幻覚を見るほど会いたい人・大切な人がいないので、なかなか自分に置き換えて考えることができないのですが

それでも雛子が老人ばかりの管理されたマンションで一人、架空の妹とひたすら過去を生きる様を思うと、とても胸が苦しくなり、涙が静かにこみ上げてくるのです。

「たのしみだなー、あした」

と、姉妹の母親そっくりの口調で呟く。そしてピアノを弾き始める。ジグだ。賑やかで速い、素朴で陽気な架空の音がピアノからこぼれ、部屋を満たし、雛子は立ったまま目をとじて、全身でそれを聴きとる。現実には存在しない音の一つ一つが、現実に存在する自分の上に、周囲に、次々降りてきては消えるのを感じる。雪のように、記憶のように。 

雛子と架空の妹が、楽しかった思い出を話せば話すほど、読んでて辛くなる最後の描写は、絶望的なまでに美しく軽やかなのでした。

久々に読んだ小説でしたが、最近の涼しくてしっとりした秋雨の夜長にぴったりの、心に残る秀作です。おわり。

宇宙と日常をつなぐ音楽:ナユタン星人『ナユタン星からの物体X』

最近お風呂に入る時によく音楽を流すのですが

とみに気に入っているのが「ナユタン星人」さんの曲です。

ナユタン星からの物体X (remake)

ナユタン星からの物体X (remake)

  • 発売日: 2017/01/04
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 前々からニコニコ動画などで好んで動画は観ていたのですが

先日なんとなくアルバムをダウンロード購入したらますます癖になってしまいました。

特に好きな曲は「アンドロメダアンドロメダ」「飛行少女」「ハウトゥワープ」の3つです。


アンドロメダアンドロメダ - ナユタン星人 feat. 初音ミク


飛行少女 - ナユタン星人 feat 初音ミク


ハウトゥワープ - ナユタン星人 feat 初音ミク

歌詞カードを見てから気づいたんですが、歌詞も実はとても良くて、ボカロ曲では珍しくバランスのとれた楽曲たちだと思いました。

ボカロの曲って、曲がよくても歌詞が壊滅的にダメなやつが多いんですよね〜。誰とは言いませんが…。

ナユタン星人さんについて詳細は全く知らないのですが、非常に優れたミュージシャンだと思うので、もっともっと聴きたいと思っています。

楽曲全体を通して宇宙がテーマとして敷かれていることが多いみたいですが

宇宙のことを思えは、日頃のつまらない些細なことも許せるというか、あらためて宇宙っていいなと感じました。

逆に、自分の人生の中の出来事なんてありふれたどうでもいいことばかりでもあるけれど、別の見方をすれば自分の全ての事象は世界で、ひいては宇宙でたった一度のことなわけで、そう考えると全てが特別で無駄でないものにも感じられるわけです。

そういう宇宙と自分との距離感が歌詞世界に反映されているのも、今時なかなか珍しい音楽だと思うのです。

もっと活躍してほしいアーティスト・ナユタン星人さん。今後も期待しています。おわり。

『HER』

「あー確かに!」ととても共感したセリフを発掘しました。

HER (FEEL COMICS)

HER (FEEL COMICS)

 

ヤマシタ先生曰く「女の子がもがいている様が大好き!という気持ちをふんだんにぶち込んだ話」との本作品は短編集で、話に出てくる女性はわりとお洒落だったりわりと美人だったりわりと仕事ができたりする、中の上くらいの女性がほとんどでした。

そんなわけで、あんまり共感できるわけではなかったのですが、ひとつだけ「まったくそのとおりだな」と思うセリフがあったんです。

それがこちら。

「…わたしはさ ソリの合わない女と話しててもソリの合わない男と話すときみたいな憎しみは湧かないから」

「にくしみ…高子さんてさ けっこう男きらいだよね」

「そうね!」

「即答っ」 

6番目の短編の最初のほうに出てくる会話です。

いや~本当にその通りです。ソリの合わない男と話すとき、私は憎しみを覚えていたのだとはっきり自覚しました。

さっぱり系美人の高子さんとその恋人・柳井君が居酒屋で話している内容なのですが、まず作品の冒頭で2人が初対面のときの場面が出てきて、そこで高子さんが極めてにこやかに爽やかにぶちかまします。

「わたし「女の人って恐いよね~」とかふぬけたツラで抜かす男の人ってほとんど殺したいくらいの気持ちなの!!」

このときの晴れやかな表情と言葉のインパクトに柳井君はやられたといいます。

私もやられました。高子さんの指摘はどれも的確で一寸の狂いもないくらい気持ちをピタリと言い表してくれます。

 

いままで「男の人ってなんとなく苦手」とか「なんとなく嫌い」とかわりとぼんやりした自覚だったのですが、これは憎しみだったのかと腑に落ちました。

どうして憎んでいるのかまではいまだにはっきりしませんけど。

ソリの合わない女だってたくさんいるのに、彼女たちには憎しみは湧かないのです。それは彼女たちが”女”だからに他ならない。

自分が女だからというのももちろんありますけどね。

なんでだろう。。思索はまだまだ終わらないですが。おわり。

90年代に子供だった私たち『岡崎に捧ぐ』

昨日なんのけなしに手に取った漫画が結構面白かったです。

岡崎に捧ぐ(1) (コミックス単行本)

岡崎に捧ぐ(1) (コミックス単行本)

 

1巻しか読んでないですけど、自分の世代とドンピシャかかなり近くて、懐かしいけどどこか残酷なお話でした。

作者の山本さほさんはおそらく私と同い年か少し先輩くらいだと思います。

このコミックはエッセイ漫画で、山本さんが小学生のころのお話が第1巻でした。

小4のときに岩手から横浜に引っ越してきた山本さんは、同じクラスの少し風変わりな女子・岡崎さんと、ひょんなことから仲良くなり、彼女と青春を過ごします。

小学生時代の山本さんはあんまり女子女子していない印象の子で、ゲームしたりジャンプ読んだり(「なかよし」も好きだったらしい)新しい遊び(キムタクゲームとか)を考案したり、さばさばしていてアホなことが大好きな面白い子だったようです。そして絵が上手で、このころから漫画家になるという意識があったみたいですね。

そんな山本さんとたいてい一緒にいる岡崎さんは、いつも半裸で自宅にいる父親と普段何をしているのかわからないワインばかり飲む母親とヒステリーな妹の4人家族で、小汚いが無法地帯で自由な家に暮らしている、優しくてひかえめな女の子。

山本さんの突飛なアイディアを面白がって一緒に楽しんでくれる懐の深い彼女も、色気づかない独特の女子ですね。

他にも「あ~こういうやつクラスにいたかもな」という感じの個性的なキャラクターがたくさん出てきて、90年代の小学生あるあるを面白おかしく描いた作品でした。

 

この漫画でたくさん出てくるゲーム機やゲームソフト、ジャンプやコロコロ、バトル鉛筆やハイパーヨーヨーポケモンのカードやシールやたまごっちなどなど、私が小学生の時も周りで持っている人がいたり話題になったりしていました。

私も少しは興味があって、たまに母親がパチスロの景品でゲームやヨーヨーをとってくれたり、拾ったバトル鉛筆をとりあえず持っていたこともありましたが、ポケモンは初代すら最後までクリアできないまま失くしてしまったし、ヨーヨーも遊ぶよりも分解するほうが楽しかったし、ジャンプやコロコロよりはりぼんや花とゆめやLaLaや別冊フレンドのほうが好きでした。

こうして振り返ると、自分ってもともとめっちゃ女子脳だったんだなと思いました。

 

作中のエピソードで、クラスのトップヒエラルキーの女子2人が喧嘩をして、他の女の子たちがそれぞれどちらの味方になるかで決選投票することになり、山本さんが「めんどくさい」といって岡崎さんと2人だけで中立票を入れた話があるのですが、とても感心してしまいました。

私も26歳の今なら山本さんと同じことをしたと思います。やっぱりめんどくさいし、別にどちらかの大きな力に迎合しなくても日々を楽しくやっていける自信があるからです。

でも、小学生の頃の私は違います。特にこういう問題がよく起きる小学校高学年のころ、女子(とくに少しマセた子)グループは定期的に誰かがハブられ、そこから化学反応が起き新たな人脈が生まれるというループを繰り返しており、常にギスギスした雰囲気があったのを覚えています。

今日仲良しだったあの子も明日何かが変わって敵になるかもしれない、そういう世界が女子の世界でした。

私も小5くらいまではそういう波の中でぐるぐるしていましたが、小6のとき、私にとっての”岡崎さん”みたいな人ができて、それからはだいたいその子と2人で本屋で立ち読みしたりアニメイトに行ったり絵を描いたり、2次元趣味に没頭していました。(ちなみに私も”漫画クラブ”に入っていたことを思い出しました)

でも、山本さんたちみたいにさばさばはしていなかったです。作中でも言及されていましたが、りぼん派・なかよし派で分けると私は完全にりぼん派の女子でした。りぼん作品はそこまで読んでなかったですけど。もっと詳しく言うと私は白泉社派でしたけど。

小学校高学年のころはpopteenとかのファッション誌を読むのが好きだったし、ルーズソックスとかも好きでギャルとかに走り始めていましたね。。

そんなマセガキだった私は、大人になった今、小学生の山本さんに凄く共感できるし好感が持てるようになっていました。

同じクラスに同じタイミングで居たら、タイプが違くてたいして興味を持たなかったかもしれないですが、今になって見ると、背伸びしてマニキュア塗ったりコロンをつけたりするよりも、自分の頭で考えて面白いことだけを追求している山本さんみたいな子供のほうが、成熟しているように見えます。

 

あとがきもまたよかったです。

世の中には子供だから気付けないことと、大人だから気付けないことがある。

小学校のクラスメイトの家に遊びにいくといつもいる若い男性、この人は誰なんだろうと不思議に思いながら挨拶をしてたけど、大人になりアルバイト帰りのバイクに乗っている途中に突然気付いた。「あ!あれおばちゃんの彼氏か!!」

そんな感じの「今思うと」はたくさんある。

今思うとおかしなことを言うのでみんなが避けていたあの子は、ただみんなより頭が良いだけだったと思う。

今思うと授業中に白目を剥いで倒れてみんなの気を引くあの子は、両親がいなくて寂しかったんだと思う。

今思うとあの子が大人たちから煙たがられているのは、家族ぐるみで変な宗教にハマっていたからだと思う。 

子供のころのことに限らず、一定の時間が流れた後の物事には「今思うと」が溢れていますよね。

私も、今思うと過剰なくらい女の子でした。

それがどうして、今ではこんなに”女の子”が苦痛なのだろう。

 

この作品は過去の話を描いたものではありますが、ただノスタルジーに浸るだけでもなければギャグだけで終わるものでもない、かといってセンチメンタルでもなくて、子供のころの体験を生き生き描きながら浮き上がる「今思うと」をざくざく突き刺してくる、そういう作品だと感じました。

続きも読もうと思います。おわり。

包丁で切り裂いた人生の断片『平田俊子詩集』

先日ご紹介したマツモトトモ『インヘルノ』の中に、平田俊子の詩集が出てきました。

さらには引用もされていて、その詩集『ターミナル』は日本全国でも数えるほどの図書館にしか置いていないようでした。

なんだか少し気になって、とりあえず近所の図書館にあった『平田俊子詩集』でざっくり読むことにしました。

平田俊子詩集 (現代詩文庫)

平田俊子詩集 (現代詩文庫)

 

詩集を読んでこんなに「面白い!」と強く感じたことは、今までなかったかもしれません。茨木のり子くらいでしょうか。

自分にとってかけがえのない詩集の一つに金子千佳『遅刻者』があるのですが、『遅刻者』はもっと追い詰められたヒリヒリとした感触があって、引き込まれるし夢中になってページをめくるけれど「面白い!」というのとは少し違う気がするのです。エンターテイメントではないというか・・・

それにひきかえ平田俊子の詩は一番初めの「ラッキョウの恩返し」から、面白くてびっくりしました。え〜!面白い!どうしよう・・・という感じです。笑えるしドキドキしました。

まったくの創作物というよりは、平田俊子その人が垣間見える作品も多く、エッセイに近いものからSFが混じったようなシュールなものまで幅広いです。

しかしそれらの作品が、まるで平田俊子の(もしくはとある女の)人生を刃物で切り裂いた切れ切れのように、生々しくリアルで、色鮮やかで血が滴るような体温の残る肉片みたいなのです。んん〜上手く言い表せなくてもどかしいんですけど。

生い立ちや生来の性格によるものなのかもしれませんが、物事を他の人とは違ったレベルで正直に捉え、涵養し、小気味よく歪に形作られた言葉と物語を紡ぐことができるこの平田俊子という人の才能に、完全に魅了されてしまいました。

 

・・・ああ、ダメですね。全然彼女と彼女の作品の凄さを言い表せていない。

一言に集約すると「面白い」となってしまう。だって面白いんですもの!!

詩集の裏表紙に辻征夫(詩人)のコメントが載っているのですが、とても共感できます。

平田俊子はめずらしく、退屈しないでおしまいまで読める詩を書く人である。彼女が朝日新聞日曜版に詩を連載したときには、あまりのおもしろさにふと危惧さえ感じたくらいだった。 

詩人が危ぶむほど面白い詩を書く詩人、それが平田俊子なんですね。

詩を読んでも退屈しか感じない人にも、他に好きな詩人がいる人にも読んでほしい作家です。詩ってこんなに豊かな表現方法だったのかと驚きます。

 

最後に「これは名言だな」と思わず笑ってしまった一節を引用します。

夫を殺したくなったときはがまんしないでやるべきです。殺意と尿意をこらえるのは女性のからだに大敵です。おもいきって実行しましょう。

詩集<(お)もろい夫婦>「ネンブツさん大忙し」より。

あ、こんな話ばっかりじゃないですよもちろん。男性の方にも是非読んでいただきたいです。おわり。