れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

日々の燃料としての音楽:ペトロールズ「表現」

台風来てますね。

幸い昨日から休日なので映画館に行ったり美術館に行ったりしてのんびり過ごしましたが、明日から4連勤で憂鬱です。

今まで土日祝日休みの典型的週休2日制で暮らしてきましたが、今の仕事に就いてから3日以上の連勤がとても苦痛になりました。

息の詰まる労働、朝から晩まで働けどもしんどい日々。

そんな日々をなんとか生き抜くのに、いい音楽が欠かせないのだということを、最近ひしひしと実感します。

 

職場からヘトヘトになり帰宅して、アニメを観たりお酒を飲んだりひとしきりした後、なんとなくyoutubeでいろんなアーティストのライブ映像を流し観ていた際、ペトロールズに行き着きました。

ラジオなどでさらっと聴いたことはあるけれど、きちんと聴いてこなかったペトロールズ。

改めて聴くととても心地いい音楽でした。


ペトロールズ - 表現 @Taipei

トロールズの音源って、あまりダウンロードできないんですね。

なのでトリビュートアルバムを聴いてみることにしたのです。

WHERE, WHO, WHAT IS PETROLZ?

WHERE, WHO, WHAT IS PETROLZ?

 

トリビュートアルバムってほとんど聴くことなかったんですが、これはとても素敵なアルバムでした。

 

特に5曲目の「表現」という曲。カバーが本家を超えてきたとすら思いました。とても好きです。

表現

表現

  • provided courtesy of iTunes

というか、イントロで「ああっ!!ゴゴモンズのジングルじゃん!」ってなって埼玉が懐かしくなりました。(ゴゴモンズとは埼玉のFMラジオ局NACK5の平日午後のワイド番組で、私はこの番組が大好きです。今はほぼ聴けてないですが)

 

トロールズのバンド名の由来は英語でガソリンを意味するpetrolからきているそうですね。

ギターの長岡さんが星野源のラジオ番組に出演している音源を聴きましたが、「いい音楽は人生の燃料となる」的なことをおっしゃっていて、その言い回しがとてもしっくりきて腑に落ち、気に入りました。

 

いい音楽もゴゴモンズみたいなラジオ番組も、しゃらくさい毎日を生き延びて行くための燃料なのです。

明日からのまた憂鬱な日々。ガス欠にならないように、心地いい音楽でパワーチャージしていきたいと思います。おわり。

感情の洪水:『セザンヌと過ごした時間』

アニメじゃない映画でここまで心を揺さぶられる作品は本当に久しぶりでした。

美術に明るくない人でもセザンヌの名前だけは聞いたことがあると思います。私もそのレベルの知識しかなくて、セザンヌの絵もどこかで見たかもしれないけれど記憶に残ってませんでした。

今では有名なセザンヌも、ゴッホなどと同じく生前は不遇だった画家の一人だそうです。そういう画家の人生は得てして映画になりやすい気がします。前に観た『エゴン・シーレ 死と乙女』もそうでした。

 

しかしこの『セザンヌと過ごした時間』は、有名画家の不遇な生涯ではなく、彼の少年時代からの友人で作家のエミール・ゾラとの複雑で深い友情を描いた映画であり、その二人の関係の在り方が非常にドラマティックでなおかつ人間くさく切ない、端的に言い表せないほど心に響く傑作なのです。

 

ストーリーの概要は以下。

少年時代に出会ったセザンヌとゾラの絆は、境遇は違うが芸術家になる夢で結ばれていた。ひと足先にパリに出たゾラは、小説家としてのデビューを果たす。一方、セザンヌもパリで絵を描き始め、アカデミーのサロンに応募するが、落選ばかり。やがてゾラは、ベストセラー作家となって栄光を掴むが、セザンヌは父親からの仕送りも断たれ転落していく。そして、ある画家を主人公にしたゾラの新作小説が友情にひびを入れるが・・・。

公式サイトより) 

現代日本の悪しき風習のせいで”絆”とか”友情”とかいう言葉が陳腐に聞こえてしまうようになり、私自身あまり好きな言葉ではないんですよね。

セザンヌとゾラの関係性は確かにわかりやすい言葉で表せば友情ですが、その実友情というのはこんなに面倒くさくて複雑でいやらしくてでも眩しい感情なんですね。

 

大人になって社会的に成功したゾラと、とことん社会に適合できず生活も苦しいセザンヌの間には、子供の頃のような無邪気な親愛は保てないんです。

お互いを好きな気持ちがあり、互いの才能を信じて認めているけれど、一方には相手の扱いを面倒に思う気持ち、もう一方には嫉妬や羨望とそれがねじれてどこか馬鹿にした気持ちなどを抱えていて、話すと言い合いになったり周囲の人たちの雰囲気を凍りつかせてしまったりします。

 

とても好きなシーンの中に、セザンヌが”ある画家を主人公にしたゾラの新作小説”に対して気に触る箇所を取り正して罵倒したりするものの、小説の中の登場人物たちの青春時代の描写を読み上げているうちに涙がこみ上げてしまう場面があります。私もここでセザンヌと一緒に泣いてしまいました。

自分を小説のモデルにされて不当な描かれ方をしたと怒りを覚えたはずのセザンヌですが、それでもゾラの圧倒的な文学的才能は認めざるを得ないし、彼の書いた少年時代の描写から自分たちの輝かしい青春時代を鮮やかに思い出してしまうのです。幸福だった過去から随分と経ってしまった月日とその間でこぼれ落ちてしまった若さ、可能性、信じていた明るい未来・・・そういうキラキラしたものがもはや永遠に失われていることへの絶望と、それでも昔の楽しかった思い出が切なく心の中で今も息づいていることが、複雑に絡み合いセザンヌの心を締め付けます。

友情という関係性はこんなに豊かな感情を内包したものなのかと本当に驚きました。恋愛とも家族愛とも似ていて、でもそのどちらとも違うややこしく絡まったつながり。恋をしていても疲れますが、本気の友情もこんなに激しく扱いに困るものなんですね。

 

また、最後のシーンもとても胸に迫りました。決定的にこじれた話し合いから月日が流れ、しばらく音信不通でもうこのまま会うこともないと思われたある日、南仏エクス=アン=プロヴァンスセザンヌの元に「街にゾラが来た」という知らせが届きます。

最初は気に留めずそのまま静かに絵を書き続けていたセザンヌですが、数分経ってからいてもたってもいられず、杖をつきながらよたよたと小走りで街へ出かけるのです。

有名人であるゾラがカフェで談笑している周囲には人だかりができていました。長年子供に恵まれなかったゾラの横には、以前彼が歳の差の恋に悩んでいた若い娘・ジャンヌと、2人の間に授かった娘と息子がいました。ゾラは子供達に自分が青春時代を過ごしたこの雄大な自然を見せたかったのだと語っていました。

人混みに紛れてセザンヌは数年ぶりに友人の顔を遠くから垣間見て、懐かしさと彼が家族とともに幸福そうにしている様子に頬を緩めます。その直後、ゾラたちの会話にセザンヌの話題が上がりました。

ゾラはセザンヌが元気にしているか気にかけた後、「彼は天才だった。だがその才能は花開かなかった」というようなことを呟きます。それを聞いたセザンヌは、失望とも悲しみとも取れない静かな表情で、来た道をとぼとぼ引き返し帰って行くのです。そしてそこで映画は終わります。

もう、号泣しましたよ。声が出ないのに涙が込み上げて、悔しいような悲しいような気持ちでいっぱいになりました。彼らはその後も互いを想い続けて、でももう会って話をすることはなく、それぞれの人生を終えていったのだそうです。

 

***

 

セザンヌもゾラも芸術家で、今となっては著名な偉人ですが、彼らの人生は決してかっこよくも伝説的でもなかったのだなと思いました。

どんなに才能があっても、ものすごい名声があったとしても、人の人生でみっともなくない人生なんてないし、惨めな気持ちになることもあるんだなと。

そして、友情というのは私が想像するよりはるかに高度で豊かな人間関係なんだということもわかりました。私は多分今までもこれからも友人を持つことはないと思いますが、こんなに多くの感情を呼び起こす濃くて深い関係性なら、来世で一人くらい経験してみたいなとも思いました。おわり。

自分を受け入れて、ゆるく:『ルームロンダリング』

なんの気なしに映画館で観た映画が好きな雰囲気のものでほっこりする休日。

roomlaundering.com

オダギリジョーに釣られて観たんですが、音楽やテンポもよくてなかなか楽しめました。

 

あらすじは以下。

5歳で父親と死別した八雲御子。翌年には母親も失踪してしまい、祖母に引き取られた御子だが、18歳になると祖母も亡くなり、天涯孤独となってしまった。しかし、祖母の葬式に母親の弟である雷土悟郎が現れ、住む場所とアルバイトを用意してくれた。その仕事とは、ワケあり物件に住み込んで事故の履歴を帳消しにし、次の住人を迎えるまでにクリーンな空き部屋へと浄化すること=“ルームロンダリング”。引っ込み思案で人づき合いが苦手な御子にとって都合の良い仕事だったはずが、行く先々で待ち受けていたのは、幽霊となって部屋に居座る、この世に未練たらたらな元住人たち。ミュージシャンになる夢を諦めきれないパンクロッカーや見ず知らずの男に命を奪われ恨み節が止まらないOL、カニの扮装をした小学生!?なぜか彼らの姿が見えてしまう御子は、そのお悩み相談に振り回されて…!?

 

公式サイトより)

他殺のOL幽霊が登場するところはちょっとホラーで怖かったけれど面白かったです。

 

映画はストーリーがいいのも好きですが、景色や音楽や小物の一つ一つのテイストがいいだけでもとても満足できるんですよね。

この作品に関しては、ヒューマンドラマとして物語も悪くはないですが、それよりも主人公・御子やその叔父の悟郎の洋服とか、御子が引っ越す時に出てくる水色の軽トラックとか、悟郎たちが度々食事をする中華料理屋とか、そういうディテールが紡ぎ出す作品全体の印象がとてもよくて、わたしはそこにとても救われました。

なんと表現すればいいか・・・独特のゆるさのようなもの?ですかね。そういうのが自分にとってすごく大事なんです。きっちりしてない感じというか、猥雑だけど不潔ではないというか、そういう絶妙なバランスを持った緩さです。

 

特にここのところきっちりして息の詰まる職場にいることが多いので、緩さに飢えてるんだと思います。

御子みたいに髪の毛おろして化粧もせず他人と話さず目を合わせないコミュ障とか、悟郎みたいにビールばっかり飲んでチンピラみたいな仕事してるダメ〜な大人みたいな、人の弱さをわかってる人間というのが周囲にいないんですよね。みんなバッチリ化粧して髪の毛もきっちり夜会巻きとかにしてポジティブモンスターみたいなキラキラ女子(白目)ばっかりに囲まれてると、生来ボンクラダメ人間の自分の精神にどうしても無理が生じてきてしまう。

そこで「何くそ」と踏ん張りながらも、こういう赦しを与えてくれるような作品に触れてガス抜きも必要なのです。難儀ですね。。

 

さらに良かったのが音楽です。アニメでない映画でここまで「おおっ」と思ったサントラって、意外とないかもしれません。 

映画「ルームロンダリング」 オリジナル・サウンドトラック

映画「ルームロンダリング」 オリジナル・サウンドトラック

 

音楽もやはり緩めで、でも切ない和音が確かにいい塩梅で、物語全体にいい奥行きをつくっていると感じました。

 

本当に偶然こうして自分の琴線に触れる作品に巡り会えるととても嬉しいですね。おわり。


池田エライザ主演『ルームロンダリング』予告編

ただじゃ起き上がらない:『来世は他人がいい』

小西明日翔先生に完全にどハマりしてます。なんて面白い作品を描くんでしょう。素晴らしすぎます。

来世は他人がいい コミック 1-2巻セット

来世は他人がいい コミック 1-2巻セット

 

主人公の染井吉乃と深山霧島は高校生ってことなんですけど、こんな高校生居たら怖すぎです。笑

でもそれが面白い。

 

概要は以下。

極道の家で生まれ育った女子高生、染井吉乃。 家庭環境は特殊でも、おとなしく平穏に日々を過ごしてきた。婚約者の深山霧島と出会うまでは——! 前作『春の呪い』で「このマンガがすごい!2017」(オンナ編)2位にランクインした小西明日翔が「アフタヌーン」に初登場。 はみ出し者たちが織りなす、スリルと笑いが融合した極道エンタメがここに誕生!

アフタヌーン公式サイトより)

 

この作品はストーリーもさることながらキャラクターの魅力が際立って良いですね。

特に吉乃は同性から見て超かっこいい女です。

と言ってもそのかっこよさは美人だとかクールだとか表面的なことだけではなくて、精神的にとにかくタフなんです。自分で決めたこと・自分の信念・メンツのためなら命を張るくらい強い矜持を持っていて、でも全く不遜ではなくて、むしろかなり自分を卑下している節があるんです。ヤクザの家系で育ったというのもあるでしょうが、自分のことを「ろくな死に方しない」と思っています。

でもそこで自暴自棄には絶対にならなくて、泥臭くてもひたむきに”自分に恥じない自分”であろうとする姿勢を持っている。とても芯のある屈強なメンタルを持つ女性です。そして非常に負けず嫌いです。

 

私が吉乃を心から尊敬するに至るエピソードの中に、2巻冒頭の、他所の組のいざこざに巻き込まれてクラブでチンピラに顔を強打されてうずくまる吉乃がつくづく「霧島といるとろくなことない」と絶望しつつ、大暴れする霧島の人並外れた強さに恐怖し、そこから自分の弱さを省みて自分で自分を叱咤して流血しながらも立ち上がり、自分を殴ったチンピラを殴り返してどやすシーンがあります。ここの吉乃が最高にシビれました。

クソッ・・・

この男と一緒におっていいことなんか一つもない

やっぱり東京に来たのが間違いやったんか?

殴られて腹立つのに・・・

それ以上に怖い

なんであんな全力で人のこと殴れるんや・・・

なんであの男あんなに強いねん・・・

・・・違う

わたしが弱いだけや

こんなとこで逃げてたまるかボケ・・・!!

 

小西明日翔『来世は他人がいい(2)』講談社 2018.7.1) 

 

吉乃は1巻の冒頭でも学校の同級生から程度の低いイジメにあったり霧島の本性に振り回されたりしますが、祖父からの「何があっても1年耐えろ」という励ましから自分の思考のスイッチを完全に切り替え戦闘モードに入るんです。この「絶対勝つ」という気概に燃える吉乃の気迫が最高にかっこいいんですよ。

そして自分の勝利のためなら腎臓すら売り渡す行動力も凄い。思い切りの良さが極道レベルで、18歳にしてすでにあねさんって感じです。

 

個人的に最近、新しい職場で悔しいことやままならないことが多々ありへこたれそうになっているのですが、そのたびに脳裏に舌打ちして鬼の形相でつかつか歩き出す吉乃を浮かべ「このままじゃ終わらせられへん」って踏ん張ってます。

どんなにどん底に落ちてもそこからただでは起き上がらない。這い上がるか、敵もろとも引き摺り下ろすかしてくれるわ・・・そんな仄暗い情熱を静かに滾らせるのです。

とことん泥臭い、爽やかさのかけらもない吉乃の強さが私は好きで憧れます。

 

そしてもう一人とにかくツボなキャラクターが、吉乃の兄弟分のような青年・鳥葦翔真です。

彼は吉乃の祖父に拾われて事実上の養子のようになった青年で、吉乃と兄弟のように育ってきました。今は京都の大学生ですが、腕には立派な刺青があります。

まず見た目が完全にタイプだし、何より彼からは大好きなにおいがするのですよ・・・そう、不憫萌えのにおいが・・・!!

翔真はあからさまに吉乃が大好きなんです。吉乃も翔真は家族として大事に思っているけれど、恋愛対象ではない。純粋に兄弟のような家族愛だけなんですよね。

翔真もそれはわかっていて、それでも静かに吉乃を想っているのです・・・なんて不憫で可愛いのでしょうか・・・好きです・・・。

それでいて霧島に敵意むき出しなところもいい。あ〜この三角関係を見るたびニヤニヤしてしまいます。大好物すぎて。

 

そんなわけで、笑いと萌えと学びにあふれた良作でございます。

続きが気になって楽しくて仕方がない作品がまた増えて嬉しい限りです。おわり。

罪悪感と胸騒ぎと恋と愛情:『春の呪い』

ずーっと前から本屋で表紙を見るたびに気になっていたのに、なかなか読まずにいた作品をついに読みました。

繰り返し読み終わるたびに「いい話だなぁ」と声に出してしまうほど好きな作品でした、小西明日翔春の呪い』。

癖のある独特の絵柄もインパクトがありますが、ストーリーと登場人物の感情の描写がとても胸に迫る良作です。

 

あらすじは以下。

妹が死んだ。名前は春。まだ19才だった。

妹が己のすべてだった夏美は、春の死後、家の都合で彼女の婚約者であった柊冬吾と付き合うことになる。

夏美は交際を承諾する条件として、冬吾に、春と二人で行った場所へ自分を連れて行くよう提示した。

そうして、妹の心を奪った男と夏美の季節は巡り始める――。

pixivコミックより) 

 

一般中流家庭で育った夏美とその妹の春ですが、彼女たちの父親の血筋が少し特殊なことから”婚約者”として2人の前に冬吾が現れます。

眉目秀麗な冬吾に一目惚れする春、溺愛していた妹・春の心を奪われた冬吾を殺したいほど憎く思いつつも愛する妹の想い人を受け入れるしかない夏美、家の意向のまま何も考えることなく春と交際しつつもその姉の夏美に惹かれ続ける冬吾という三角関係は、春の病死によって夏美と冬吾2人だけの閉じた関係に形を変えます。

 

2話で冬吾がどのように夏美に惹かれるようになったかが描かれるのですが、私も夏美に惹かれる冬吾の気持ちにとても共感してしまいました。

夏美は基本的には明るくて闊達で社交的な女性です。たくさんアルバイトしていてよく働きよく笑う、それでいてとても気がつく心優しい女性だと思います。

けれどどこか見ていて不安になる心もとなさや儚さを持っていて、そのギリギリのバランスが目を離せなくて放っておけないんですね。

 

夏美と春は思春期の少し前くらいに実の母親が家出しており、現在の母親は父親の再婚相手です。血の繋がらない新しい母親はとても分別のある善良な女性ですが、彼女と父親の間に年の離れた弟も生まれ、夏美と春はどこか新しい家に馴染めず、互いだけが唯一の家族と考えるようになります。

2人はとても仲のいい姉妹でしたが、夏美の方が幾分か愛情が強く、二十歳を迎えてもなお恋人も作ったことすらなく、ひたすら妹だけを愛していました。

妹だけが自分のすべてだった夏美は、ずっと2人でいたいという願望と、それが叶わない現実への失望と、自分の異常性を後ろめたく思う諦念と、大好きな妹の心を奪っていった冬吾への言いようのない嫉妬心と、いろんな闇を抱えていました。

そんな闇の気配にいち早く気づき、またそこから目が離せない冬吾は、婚約者である春の見舞いに病院を訪れるたびに夏美の方を気にしてしまうんです。

 

冬吾は生まれた時から学歴もキャリアもあらかじめ決められているような典型的金持ちのエリートで、生まれ持った素質と欲のなさでほとんど表情筋が動かないような穏やかな男性なんです。そんな彼が初めて恋をしたのが夏美で、自分で制御できない強い感情に翻弄される冬吾を見ていると胸がきゅっと苦しくなります。

春が死んだ時本当は夏美の家とは縁が切れるはずだったのを、これまで何も要求したことがなかった母親を説き伏せ、夏美に嘘をついてまで夏美を自分のそばに置こうとした冬吾。冬吾も春への罪悪感が全くないわけではないし、夏美が自分以上の罪の意識に苦しみ追い込まれるとわかっていても夏美のそばにいたい気持ちを抑えられない冬吾の、静かなる強い恋心がたまらないです。なんて素敵なラブストーリーだろうと思いました。

 

しかし、ラブストーリーだけではないのがこの作品の素晴らしいところで、2巻では夏美が偶然見つけた春の生前のSNSから、さらに深い群像劇になっていきます。

春は自分が入院して見舞いの場で鉢合わすようになった冬吾と夏美の様子を見ているうちに、だんだん不安に襲われるようになります。

冬吾は春に対してとても優しいけれど、一緒にいてもあまり楽しそうにはしません。冬吾にとって春は親が用意した婚約者であってそれ以上でも以下でもないんです。進学先や就職先と同じようなレベルの存在だったのです。

そんな冬吾が夏美に向ける視線は、自分に向かうものとどこか違って見えるわけです。とある冬の雪の日、夏美が足を滑らせて冬吾と2人すっ転んだ時など、冬吾は楽しそうに微笑みさえしたのです。そのかすかな微笑みを見た春はどうしようもないほど焦燥し、姉・夏美に対して羨望と嫉妬と憎しみを抱いてしまいます。

さらに、一向に回復しない自分の病状への不安もあいまって、最終的には冬吾の幸せだけを望み、冬吾への強い愛情だけを確かなものとし、姉は地獄に道連れにしてもいいとすら思うようになっていたのでした。

夏美は春の知られざる内面を彼女の死後知って、ただ一人溺愛していた妹の感情に完全に打ちのめされます。

 

私は一人っ子なので兄弟姉妹の間の情というのがどういう感じなのか想像することしかできませんが、どんなに仲の良い姉妹でも、恋愛による軋轢には勝てないんですかね。

春のSNSで一層罪悪感を深くした夏美に、今度は母親からの忠告も飛んできます。

夏美が冬吾と付き合うようになってから生じた夏美の変化(週末必ず出かけるけれど夜9時までには必ず帰る、携帯でこまめに誰かと連絡を取っている等)に気づき「冬吾と付き合っていた頃の春に似てきた」という母親の指摘に激しく動揺した夏美は、それまで心の底で抱えてきた母親や父親への鬱憤を思わず口にしてしまいます。

この、夏美の2番目の母親が、本当にいいお母さんなんですよねぇ。つくづく家族というのは血のつながりじゃないですよ。所詮は人と人、思慮と性格の問題です。

最後、夏美が家を出て行くときのお母さんの独白のシーンは何回読んでも泣いてしまう名シーンです。

 

***

 

ほかに特に好きなシーンは、主に冬吾が夏美が死ぬ(もしくは死んだ)んじゃないかと焦っているところです。読んでて本当にドキドキします。

夏美は春が死んだ絶望で生きる意味を見出せず、さらに春が愛してやまなかった冬吾と交際している罪悪感で相当切羽詰まっているんですね。そこで実際一度線路に身を投げようとしたことがあって、冬吾はそれを止めたんです。

好きな人が死んでしまうかもしれない焦りって、こんなに心臓がバクバクするんだと読みながら実感できるほど描写が迫真なんです。こんな胸騒ぎ、私はこれまで一度も味わったことがないと思うほどに。

物語終盤の、冬吾が街中で投身自殺の噂を耳にして「もしや夏美ではないか」と焦って現場へ走るところもすごく好きです。夏美から離れて、彼女に出会う以前の自分に戻るだけだと思っていたのに、結局夏美のことが頭から離れず彼女が死んだんじゃないかと想像するだけで我を失うほど焦る冬吾は、事故現場で死んだのが夏美じゃない赤の他人であることに図らずも安堵してしまい、そして自分の本当の気持ちをまざまざと認識するのです。もう夏美と会う前の自分になんか戻れるわけがないことに気がつくのです。

その直後、今度は冬吾が交通事故に遭い、その知らせを受けた夏美も同じくらい焦って街中の病院を探し回ってついに2人が再会するところがこの作品最大の山場で、この告白シーンはものっすごくドラマティックでああ本当に、もう・・・(言語化閾値を超える)とにかく最高です。

 

たった2巻で季節が一巡し完結する物語ですが、何度も読み返したくなる極上のラブストーリーでありヒューマンドラマです。大好きな作品がまた一つ増えて嬉しいです。おわり。

『ままならないから私とあなた』

連日の猛暑とスポ根な職場での日々で気分は夏休みの部活動って感じの今日この頃です。

夏休みってどうにも小説が読みたくなるんですよね。物心ついたときから毎年読書感想文を書かされていたからでしょうか。

そんなわけで暑い日でも読みやすそうな文体を、と思い朝井リョウ『ままならないから私とあなた』を手に取りました。

ままならないから私とあなた

ままならないから私とあなた

 

この本には2つの物語が収録されています。

 

最初のお話「レンタル世界」は、学生時代からラグビー部で体育会系な主人公の青年サラリーマンが、同僚の結婚式で気になっていた美人な新婦の友人の女性と街で偶然出会い、なんとか声をかけたところ、実はその女性は新婦の友人ではなく結婚式のために用意されたレンタル友人であったことが発覚するところから始まります。

学生時代のラグビー部で培った人間観を持つ主人公は、自分の一番恥ずかしい部分も全てさらけ出してこそ真の絆が生まれる、というような暑苦しい考え方を持っていたので、友人をレンタルして結婚式を乗り切るという発想が受け入れられずにいました。

友人や家族や恋人をレンタルすることにも、それを仕事とすることにも軽蔑を辞さない主人公は、レンタル業でバイトする美人・高松さんのことをも淋しい人間と認識し、彼女に自分が本当の人間のつながりを教えてあげたいと考えるようになります。そして、そのとっかかりとして、高松さんにレンタル彼女を仕事として依頼して、一緒にラグビー部時代からの先輩・野上の家によばれるというシチュエーションを作ります。

高松さんの素晴らしい演技を演技と見抜けない主人公は、高松さんが仕事を超えて本当に野上先輩やその奥さんと仲良くしたいと思っているように見えて我が意を得たりと得意げになります。が、高松さんは別の意向があって動いていました。

 

レンタル業の御法度として、写真データを残さない・SNSアカウントを教えない・性的サービス・接触は行わないといったことがあります。

高松さんが野上先輩の奥さんにSNSのアカウントを訊いたりしたのは、仕事を超えて本当に仲良くなりたいからではなく、奥さんもまたレンタル妻なのではないかという強い疑いを持ったからでした。

最後に奥さんが生理用ナプキンの場所がわからなかったことで決定的な確信を得ていた高松さんは、主人公が勘違いして自分に真剣な交際を迫ってきたとき鼻で笑って事実を突きつけ完全KOしました。ここがすごくスッキリして好きな場面でした。

 

この話って、もう序盤から主人公の思考を読んでいてイライラするんですよ。自分の手の内を晒して仲良くなろうとする手法とか、高校生かよって。

私の高校時代のクラスメイトの中に、やっぱりこういう”秘密を打ち明けあって初めて友達”みたいな考え方の子がいて、その子に誘われて一緒にご飯を食べたことがあるんですが、その考えが透けて見える感じがもう無理で、結局私はその子と友達にはなりませんでした。

「私がここまでさらけ出したんだからあなたも私に見せてよ」っていうのは完全に押し売りだし厚かましいですよね。その上さらにそういう関係以外を認めず人間関係のレンタルサービスをはなから否定するこの物語の主人公は論外です。

 

最終的に、高松さんの論証に歯が立たなかった主人公は、その後野上先輩のお気に入りのフーゾク嬢から金にモノを言わせて野上先輩の知られざる真実を聞き出します。

自分と野上先輩は昔からなんでも知っててなんでも話せて隠し事なんて何もないと思っていた主人公。しかし、実は野上先輩は妻とは別居で離婚秒読み、しかもその理由が実は野上先輩はゲイの気があり、もう男の人としかセックスできない体になってきてしまっているから、という事実が発覚しました。昔から仲の良い(と思っていた)自分にはそんな話は一つもせず、抱きもしない外国人のフーゾク嬢にこんなにあけっぴろげに弱みを語っていた野上先輩と、彼のそんな事実に気づかず何でも分かり合えていると思い込んでいた自分の思い上がりに呆然とする主人公。そこで物語が終わります。

 

ライトだけれど良い話でした。人間関係のレンタルサービスの是非を問うような話ではなく、あくまでレンタルサービスを題材に、人間関係の在り方への思いこみや偏見を浮き彫りにするだけの構図がエキサイティングです。

私個人としては、レンタルサービス自体はどうも思いませんが、そういうサービスを使わざるを得ないような環境そのもの(例えば結婚式とか)には否定的です。

友人がいなきゃいけないとか、家族がいなきゃいけないとか、恋人がいなきゃいけないとか、そういう強迫観念があるからこういうサービスが重宝されるわけですよね。もしくはいないと淋しいという”自分には欠けている・足りない”という欠落意識があるんですよね。それこそが問題だと思います。

別に恋人がいなくても友人がいなくても家族がいなくても、自分一人でも充足した人生は送れるはずです。人の幸せに必ずしもなくてはならない要素ではないんです、友人も恋人も家族も。

 

***

 

収録されている2つ目の物語である表題作「ままならないから私とあなた」もなかなかに示唆に富んだお話でした。

昔から飛び抜けた頭脳と発想力を持つ薫と、凡人ではあるものの音楽の道を真剣に志してきた薫の親友・雪子の2人が小学生から大人になるまでの道のりと、その先の未来が描かれます。

薫は非常に合理主義で、タブレット学習もいち早く取り入れ、学校に通うことに学習的意義を見出さなくなります。自分のペースでどんどん勉強を進めていき、無駄な人間関係の軋轢には無頓着ながらも実力があるので文化祭の開会式の演出を手がけたりできる手腕も持っています。

雪子は自分をきちんと持っている女の子だけれど、薫ほど特別な才能は持っていなくて、でも音楽で身を立てようとコツコツ勉強して修練を積んで頑張っています。

全然似てない2人はしかしとても仲が良く、薫は雪子の夢「自分だけの曲を作れるようになりたい」を叶えるために高度な作曲ソフトを、雪子は自分の曲を好きだと言ってくれる薫に少しでも自分らしく良い曲を届けたい思いで作曲を、それぞれ大人になってからも追い求めて努力します。

そしてついに2人がその思いを形にした時、それぞれが自分の成果を相手に発表するのですが、ここで思わぬ結果が出ました。

それは、つい先ほどまで雪子が苦労してやっとの思いで作り上げた新曲と、薫がこれまでの膨大な雪子の曲や雪子の音楽遍歴のデータをもとに作り上げたプログラムが生み出した新しい曲が、びっくりするほど同じ曲だったのです。

コンクールに曲を出そうと思っていた雪子。しかしその新曲とほぼ同じ曲が薫の作ったソフトによって完成しており、しかもその曲は薫の創立したベンチャー企業のホームページでソフトとともに公開されており、好意的なメンションもたくさんついていました。

完全な未発表曲でないとコンクールに出せない雪子は絶望し、そこで薫に対して初めて怒りを爆発させます。雪子の予想外の怒りに困惑した薫ですが、そこからこれまで仲がよかった2人の根本的な考え方の違いが浮き彫りになっていきます。このシーンがいいんですよねぇ。

 

世の中もっともっと便利に楽に簡単になればいいと思っている薫と、簡単にはできないからこそ大切なことがあると考える雪子。

新しい便利なものが生まれればそこから新しい出会いも生まれると思っている薫と、不便があったからこそ出会えた相手が今の恋人であると信じて疑わない雪子。

どっちも言いたいことはわかります。でも、私は薫の考え方の方がしっくりきます。

高校時代の現代文の教科書に”今はカーナビがあるから道に迷うこともできない”みたいな言説があって、それに当時大好きだった国語教師のおじさんがすごく共感していたのを思い出しました。

紙の地図を見てあーでもないこーでもないと言いながら道に迷いやっとの思いで目的地に着く、という行為にとてつもないノスタルジーを感じてしみじみしていた彼のおセンチな気分も分からなくはないです。特に彼は文学的で懐古的中年でしたからね。

でも、私は道に迷いたくなんてないです。何より時間が勿体無いです。分からない地図片手にウロウロする時間は私には無駄だとしか思えません。グーグルマップでさっさと最短距離・最短時間で目的地について、余った時間は別の好きなことに使いたいです。

スキルや成果についても同じ。習得にたくさん時間がかかったり、たくさんの努力や労力を要したとしても、そのスキル・成果が価値あるものかどうかはそれとは全く関係がありません。価値は評価で決まり、評価は需要と供給のバランスで決まるのです。

 

頭ではわかってます。だから薫の意見に全面的に賛成です。

それなのに、雪子の怒りにも同情できるんですよねぇ。ものすごく努力して苦労してやっとの思いで作り上げた曲と同じものが、機械によって生み出されて一足先に世に出回ってしまったら、「これまでの私の苦労は一体なんだったわけ?」と憤然としてしまう気持ちもわかります。そこであーだこーだ反論したくなるのも仕方がないと思います。

ままならないなぁ、ほんとに。つくづくこの作品はタイトルがいいですね。

 

まぁでも、雪子のつらさも理解できるけど、やっぱりもっともっと便利で技術が進化した社会になってほしいなと思いました。

おふくろの味も職人技も、機械が全部やってくれるならそれで全然いいじゃありませんか。機械にどんどん作ってもらいましょうよ。

掃除も皿洗いも洗濯も乾燥も機械にやらせることができるようになってきたんだから、営業も総務も経理も企画運営も機械にやってもらいましょう。

それでまた違う新しいことを人間がやるもよし、やることがなくなったらアニメでも観てればよし(もちろんそのアニメも機械がつくっている)。

あ〜会社の掃除機も早くルンバにならないかなぁ。この作品を読んで改めて、体育会系とかスポ根とか懐古主義は良くないなぁと思いました。おわり。

過剰な愛に萌える:『殺し愛』

また近所の本屋で面白い漫画を発見しました。

さらっと読むつもりがキャラクターがかなり魅力的で、どんどん続きが気になってしまいます。

 

あらすじは以下。

殺し屋組織に属する女性賞金稼ぎのシャトーは、ある日の現場で、謎の賞金稼ぎ・リャンハと鉢合わせる。圧倒的な実力差を見せつけられて万事休すかと思われたが、リャンハが要求してきたのは連絡先の交換。そしてその日から、リャンハにストーキングされる日々が始まった…。Pixiv閲覧数100万突破の殺し屋サスペンス。 

コミックウォーカーより)

シャトーみたいな無口で無愛想で技術があって端正な顔立ちの女の子も好きだし、リャンハみたいなデフォルトが笑顔で物腰柔らかなのに非道で影があって強くてでも愛がある男も好きです。

リャンハがシャトーに過剰とも言えるほど愛情をもっているのは、シャトーの知られざる過去に理由がありそうなんですが、5巻まで読んだところではまだ真相はわかりません。

 

シャトーはまだリャンハにほだされてはいませんが、何度も自分の危機を救ってくれて、理解不能なほど好意を表してくるリャンハを無下にはしなくなってきていますね。

私は乙女ゲームや少女漫画に1人はいる、無条件に見えるほどひたすらに主人公ちゃんを愛してくれる懐の深い男性キャラクターに、クールな主人公ちゃんが翻弄されつつも心の底では惹かれている展開がかなり好物であることに気づきました。

というか誰しも憧れませんかね。底なしに愛情を注いでくれる(しかもイケメンの)他人に出会えることなんて、奇跡よりも低い確率だと思うんですよ。他人なのに、見返りを与えてるわけでもないのにやたらと自分を愛してくれる、しかもこちらが冷たくあしらったりひどいことしているのにそれすらも受け入れてしまうほどの深い愛情を注がれるわけです。まずなさそうですよね。

でも、あまりに現実的でないこの状態に説得力を持たせるのが”知られざる過去にあった何か”であり、それが読者をより引き込んでくれるんですね。物語ってこうしてつくられていくんですねぇ。まんまと萌えました。

 

他にもシャトーの同僚のインド人の少年やシャトーを妹か娘のように可愛く思っている事務所の社長、敵側の謎の組織のちょっと頭おかしそうなボスや殺し屋たちそれぞれのキャラクターがとても立っていて、ストーリーの奥深さというよりはキャラ萌えサスペンスといった趣を強く感じる作品です。

こういう作品が綺麗な作画と秀逸な脚本でアニメ化されたら本当に素晴らしいですね。すでにドラマCDにはなっているそうなので、なんだか期待してしまいます。

リャンハはCV.遊佐浩二さんだそうです。ぴったりだ〜ドラマCDも聴きたくなってきました。おわり。