れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

物語の芸術、乙女ゲーム『大正×対称アリス』

4年ぶりにコンシューマー向け乙女ゲームをしました。

乙女ゲーマーシスイ復活に際しプレイした『大正×対称アリス all in one』が素晴らしく面白くて美しくて悲しくも愛おしい作品だったので、記録に残しておきたいと思います。

大正×対称アリス all in one - PS Vita

大正×対称アリス all in one - PS Vita

  • 発売日: 2016/06/02
  • メディア: Video Game
 

 物語の大筋は以下。

ある日、少女は真っ暗闇の世界で目を覚ます。自分の名前すら思い出せず、途方に暮れていたところ、アリスと名乗る少年から「ありす」と呼ばれる。

二人は鏡を見つけて覗き込むと、その鏡の向こう側の世界に入ってしまった。

鏡の向こう側で、性別の逆転したおとぎ話の登場人物たちが、彼女を受け入れてくれた。

Wikipediaより)

本来女性である童話の主人公「シンデレラ」「赤ずきん」「かぐや」「グレーテル」「白雪」、そしてキーパーソンとなる「魔法使い」「アリス」が全てイケメン男性となっている対称ラブストーリーで、主人公・有栖百合花はもう一人の「ありす」として彼らを救っていき、真実にたどり着きます。

乙女ゲームには童話をモチーフにした作品は数々ありますが、この『大正×対称アリス』はその収束の仕方がすごかったです。

そもそもまず彼らの過去の壮絶さがひどくて、でもそれくらいひどくないとこんなことにはならないだろうという納得感もありました。

買い物依存症のシンデレラ、

対人(女性)恐怖症の赤ずきん

自傷癖と記憶の混濁が見られるかぐや、

薬物ジャンキーでキレると手に負えないグレーテル、

拒食症で味覚障害の白雪、

彼らの記憶を一同に引き受けながらも心に空虚を抱えた魔法使い、

みんな悲惨で可哀想で、でも個性豊かで魅力的なキャラクターです。

 

特に私が大好きなのは「グレーテル」です!

このゲームを選んだのも、どこかの感想ブログでグレーテルのヤンデレ具合を垣間見たのがきっかけだったのです。

期待以上の素晴らしいヤンデレを見せてもらいましたよ。グレーテル愛しい。

 

問題多い彼らをハッピーエンドに導き続けるうち、この物語全体の真実に近づいていきます。

プレイしてきた物語群は全て鏡の国(夢)の中で起きていること。

夢の外の現実世界には、眠りから覚めない少年「アリステア」がいること。

百合花の幼き頃の初恋の相手・アリステア。彼は百合花と出会った時はお金持ちの恵まれた子供でしたが、百合花が親の都合で海外に引っ越し離れ離れになった後、家庭環境が大きく変わり転落人生へ、そこで様々なトラウマを抱えていきます。

そんな壮絶な日々の中でアリステアは多重人格となり、その各々の人格こそが、シンデレラやグレーテルたちなのでした。

帰国して医師となった百合花の兄・諒士がたまたまアリステアと再会し、百合花を呼び戻しアリステアを救うために治療にあたっているのでした。

 

すったもんだあってアリステアがついに目を覚ました時は、思わず「よかったぁ〜」と唸ってしまいました。

シンデレラたちの物語はやはり相当重く、読み進めるうちに気力をだいぶ削ぎ落とされていたようです。でも、そんな苦しい物語たちが一つ一つのピースとなり、それらがだんだんと組み合わさってパズルが埋まった時の腑に落ちる感じは、なんとも言葉にできない感動がありました。

めろさんの繊細で美しいイラストと、love solfegeの緻密で心を打つ音楽も組み合わさって、思わず虜になるような壮大で芳醇な世界観に魅了されました。

まさに総合芸術だと思います。

 

久々にプレイした乙女ゲームがこんなに面白くて、大変幸せです。

やはり乙女ゲームはいいですね。改めて実感しました。

特に幼少期に「りぼん」や「花とゆめ」なんかを読んでいた女性は絶対にはまると思います。私ですけど。

 

最後に、オープニングムービーを観たいと思います。


PS Vita版「大正×対称アリス all in one」OPムービー

このオープニングが大好きでもう何回観たかわからないくらいです。

love solfegeのアルバムもダウンロード購入しました。毎日聴いてます。ハマり具合がすごいです。

美しいですよねぇ。こんな素敵な作品に出会えて本当に本当に幸せです!おわり。

物語と自分の在り方:『親愛なるA嬢へのミステリー』

なんとなく表紙につられて読んでみた漫画に、思考を引きずられています。

親愛なるA嬢へのミステリー(1) (KCx)

親愛なるA嬢へのミステリー(1) (KCx)

 

本好きで、気がつけばいつも物語の世界に浸っている少女・綾乃と、わけあって断筆中の小説家探偵・能見啓千(たかゆき)。

遠い親戚の二人ですが、ひょんなことから綾乃が啓千の身の回りの世話をすることになり、やがて二人に次々と数奇な事件が降りかかる・・・というあらすじです。

正直最初は、少し話に厚みが足らないような気もしました。でも絵が緒川千世さんに似ていて好みだし、啓千も綾乃も魅力的なキャラクターだったので読み進めました。

 

すると、いつも創作世界に浸って誰かの物語を生きていた文学少女の綾乃が、啓千の存在と次々に遭う事件を通して”自分の人生もまた一つの物語である”事実に思い至ったのです。

 

綾乃とは少しタイプが違いますが、私も小さな頃から漫画・アニメ・小説・テレビドラマや映画など、あらゆる物語に触れ続けて生きのびてきましたが、

常に他人の物語を生きている感覚があります。

”自分もある種の物語世界に生きている”という事実に真剣に向かい始めたのは高2くらいからでした。

しかし結局、自分の物語世界について深く考えることはやめました。

愚かに思われるかもしれませんが、世の中に溢れるエンタメ作品に比べたら、やはり自分の人生はつまらなすぎて耐えられません。

私も綾乃レベルかそれ以上の「物語中毒者」ですが、それは自分の生活があまりに面白くないので、そこから現実逃避して意識を飛ばすために、必死に他人の人生を貪っているのだと思います。

 

”私は私の人生の主人公”的な言説がよくありますが、そんなことは今更百も承知の上で

私は私の物語について考えること・コントロールしようとすることを放棄したのだということに、今日この漫画を読んで思い至りました。

私はこれからも面白い作品に出会ってその世界観に浸りたいし、他人に翻弄されながら他人の人生にちょこっと登場させてもらう方がいいです。

綾乃と啓千の物語の行方も、また他のモリエサトシ作品も、引き続き追っていこうと思います。おわり。

いがわうみこさんの漫画が面白い

たまたま目に止まって、なんとなく読んだ漫画が面白いと嬉しいです。

あれがいいこれがいい (FEEL COMICS)

あれがいいこれがいい (FEEL COMICS)

 

『あれがいいこれがいい』は、ちょっとDQNな高校生たちを中心とした短編の連作なのですが、なんだか、面白かった。

ギャグもあり、少し切なさもあり、とにかくユーモアあふれる、そんな作品でした。

私も中学生の時、上下スウェットにキティちゃんサンダルを履き、つけまつげをつけて、ヴィトンのパチモンの財布を片手にマクドナルドに行くような女の子だったので、表紙の”プリン”ちゃんにとても親近感が湧きました。

ちょっと田舎の、アホだけどたまに鋭い子供たちを巧みに描いた作品でした。

この漫画を読んでから、いがわ作品が気になり、他のものも読んでみました。

虹の娘 (Feelコミックス)

虹の娘 (Feelコミックス)

 

この『虹の娘』は、表紙がとても印象的で、もう読んだことがあると思っていたのですが、中身をぱらっと見たら、未読の作品でした。勘違い。。

こちらも短編集で、笑いとシュールがないまぜになった独特の世界観でした。

それと、読んでいるうちに気づいたのですが、いがわさんの描く美人がとても好きです。イケメンも好きです。この人の絵をもっと見たい、そんな気持ちにさせる作家さんだと思いました。

続いて『ちぇみと三兄弟』を読みました。 

ちぇみと三兄弟(1) (FEEL COMICS)

ちぇみと三兄弟(1) (FEEL COMICS)

 

この作品は面白いけれど若干惜しい感じもしました。終わり方が少し尻切れというか、もっと膨らむと思っていたので期待を裏切られた感がありました。

でも、次男の言くんがすごく面白かったです。腹がたつと兄が可愛がっていた熱帯魚も兄のメガネもなんでも天ぷらにしてしまうところなど、とても笑えたしちょっと愛しいと思ってしまいました。笑

 

@@@

 

いがわさんの漫画を何作品か読んで思い至ったのですが、こういう、べったり仲良しではないけれど、言いたいことが言えて丁度いい距離感をとっている家族っていいですね。

人との付き合い方も、そんなに気を使わずに、でも離れすぎない距離感で一緒に居られるととても楽しそうだと思いました。

喧嘩して、相手のメガネを天ぷらにできるような、そんな家族なら私も欲しいなぁとぼんやり考えてしまいました。

 

社会に出て仕事したりしていると、人と話したり働きかけたりするのって本当に面倒でしんどいと感じることがほとんどですが、

過去をかえりみると、やっぱりいろんな人と関わって会話して、怒ったり悲しんだり呆れたりしている時の方が記憶に残っているし、思い出して笑えたりします。

腹も立つけど、疲れるけど、やっぱり私は人を嫌いになれないなぁと改めて思い返す、

そんな思考喚起力を持つ作家さんを見つけた気がしました。

これからも楽しみにしたい漫画家・いがわうみこさんです。おわり。

『あなたのことはそれほど』

自分の好きなシナリオライターさんのtwitterを見ていたら、とあるテレビドラマの実況が盛り上がっていました。

火曜日の夜10時〜TBSで放送しているという『あなたのことはそれほど』。


[新ドラマ] 「結婚相手は人生最愛の人ですか…!?」 火曜ドラマ『あなたのことはそれほど』 4/18(火)よる10時スタート【TBS】

私はテレビを持っていないのでインターネットで探して観ました。

普段からアニメばかり観ているせいか、最初はなんだか白々しくてテンポが遅くて観ていられなかったのですが、

先に原作を読んでから改めてドラマを観ると、原作よりドラマの方が面白かったです。

あなたのことはそれほど(1) (FEEL COMICS)
 

いくえみ綾さんの漫画で最新巻まで読んだのはこれが初めてでした。

今まで何故か物語にうまく没頭できず、途中で読むのをやめていたのです。

でもこの作品は読めました。ドラマの後押しもあったのかもしれません。読後感は非常に胸糞悪い感じですが。笑

ドラマは最高です。何が最高かというと・・・

 

東出昌大さんの演じる主人公の夫・涼ちゃんが控えめに言っても最高なのです!

 

思わず文字を大きくしてしまいました。

いや〜、無類のヤンデレ好きな私ですが、それは所詮は2次元での話。3次元のヤンデレなんて全然萌えないですよ。別物ですよ。

そう思っていたのですが、東出昌大氏演じる渡辺涼太は萌えました。

イケメンのヤンデレって、3次元にも現れるのですね。素晴らしいです。

ちなみに原作の渡辺涼太は全然かっこよくないし、下手すると気持ち悪いです(嫌いではないですが)。

そんなわけで、東出昌大氏演じる渡辺涼太を見たいがためにドラマを観ようと思います。

 

それにしても、作品のタイトル『あなたのことはそれほど』って、非常に優れた題名だと思いました。

このタイトルに文学賞をあげたいくらいです。

私の人生、出逢う人皆「あなたのことはそれほど」って感じの方ばかりですから。

勿論、私もそう思われているのでしょう。

それほどでもない、そんな人々に囲まれて、つまらない日常を今日も生きているのです。

3次元のイケメンヤンデレ旦那に萌えながら。おわり。

『リップヴァンウィンクルの花嫁』

ひさびさに邦画を観まして、面白い作品にであえました。

リップヴァンウィンクルの花嫁【劇場版】

リップヴァンウィンクルの花嫁【劇場版】

  • 発売日: 2016/09/02
  • メディア: Prime Video
 

主人公の皆川七海がネットで知り合った男性と結婚するにあたり、式の参列者不足のため、これまたネットで知り合った怪しい男性・安室に参列者の代理出席サービスを依頼するところから、物語はおかしな方向へ転がって行きます。

 
別れさせ屋にはめられ離婚した七海はまたも安室に助けを依頼し、月給100万円のこれまた怪しいメイドの仕事を請け負います。
大きな屋敷に先輩メイド・里中真白(ましろ)と2人で暮らすうち、自由奔放な真白に惹かれ、どんどん仲良くなっていたある日、真白が高熱を出してしまいます。
そこにかけつけた真白のマネージャーの女性から、真白が実はAV女優であること、屋敷のオーナーも真白であることを知らされた七海。
七海は真白のことを心から想い、メイドの仕事を辞めて、2人でつつましく暮らす提案をします。
新居探しの途中でウエディングドレス屋さんに入った2人は、ドレスを着てフォトウエディングをあげ、ドレスのまま屋敷で食事をし、そしてベッドで仲良く眠ります。
 
この、七海と真白の2人のフォトウェディングが、とても素敵でした。
物語序盤の七海が参列者代行サービスを頼んだ時の結婚披露宴は、失笑ものの薄ら寒い式でしたが
七海と真白の結婚式は、指輪すらごっこだったのに、とても神秘的で感動的でした。
お金と見栄にまみれた結婚式は、美しくないですね。この映画を観てよくわかりました。
 
ドレスのままベッドの上でじゃれあう七海と真白。
そんななか、真白が自分の考える”しあわせ”についてぽつりぽつりと話しはじめます。
世の中は優しさや幸せで溢れており、その幸せがいっぱいになると、胸が苦しくて耐えられなくなってしまうと。
だから真白はそういうものにお金を払わずにはいられないと。
 
この真白の理論、少しわかるなぁと思いながら聞いてしまいました。私はいちいち払えるほどお金ないですけど。
 
真白の言葉を静かに聞いていた七海が何か言いたげな顔をしていると
真白が「自分が一緒に死んでくれと言ったら死んでくれるか」と問いかけます。
七海はびっくりしつつも、真白を心から愛していたので、それを承諾します。
そして次の日の朝、真白だけが死んでいました。服毒自殺でした。
真白が事前に呼んでいた葬儀屋と安室が部屋に入った時、七海もまだ寝ていたので、七海は全容を知らないかもしれませんが
安室は真白から「自分と一緒に死んでくれる人間を紹介する」という依頼を1000万円で受けていたのでした。
結局その人間はみつかったけれど、一緒には死ななかった。真白は満足したのでしょう。
 
このお金の遣い方、なかなかすごいですよね。
万が一見つからなかったら、どうなっていたのでしょう。
真白は、末期ガンだったのでした。
 
遣いきれないお金があって、余命がわずかだったら、私は何にお金を遣うか、ちょっと思いをめぐらせてみましたが
乙女ゲーを買い込んでプレイするくらいしか思い浮かびませんでした。笑。しょーもなくてすみません。
 
七海は真白を失った悲しみからなんとか立ち直り、ようやく新しい一歩を踏み出すところで物語は終わります。
観終わった後、なんだかすっきりと心が軽くなるお話でした。
 
悲しくも美しく、切ないけれど軽快。素晴らしい映画でした。おわり。

女に生まれたのは私のせいじゃない、『13月のゆうれい』

このエントリは少し時間をかけて書きました。

というのも、『13月のゆうれい』第1巻を読んで、思わず書き連ねたもののまとまらず、下書きフォルダで長いこと塩漬けになっていたのです。それが前半です。

そして先週末、第2巻を読んで、ああ続きを書きたいと思い加筆したのが後半です。

〜ここから前半〜

13月のゆうれい(1) (FEEL COMICS swing)

13月のゆうれい(1) (FEEL COMICS swing)

 

佐波ネリは彼氏なしのOLで、彼女が合コンに向かうところから物語ははじまります。

合コンに行くというネリの恰好はブルゾンにカーゴパンツをブーツイン、友人に「また随分ごっつい恰好してきたね」と言われますが、「好きな格好してモテてえ~」と自分の洋服選びのポリシーを覆そうとはしません。

ネリは子供のころから男勝りで空手も得意で少年のような女の子でした。双子の弟・キリはうってかわっておとなしめのかわいい系男子で、ネリはそんなキリをいろいろなものから守ってきた逞しい姉でした。

ネリは合コンへ行く前に銀行へ寄ろうとすると、”かわいい系の恰好”をした自分と瓜二つの女の子に出会います。

それは、女装をしていた弟のキリでした。

約3年ぶりに会った弟の様子にネリは混乱しましたが、詳しい話はあとにして合コンに向かうことに。

合コンで顔がモロタイプな男・周防に迫られるものの実は周防が同棲しているということがわかりネリはがっかりします。おまけになぜか酔っぱらった周防の介抱までする羽目になり散々でしたが、周防を迎えに来た同棲相手というのは、なんと弟のキリでした。

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キリは子供のころからかわいいかわいいともてはやされていましたが、小学生のころとある不審者にいたずらをされてしまいます。

それから「かわいい」と言われることが我慢ならなくなり、言われると暴れるようになりましたが、高1の学園祭でひょんなことから急遽男子校の女装コンテストに出ることになり、女装をすれば「かわいい」と言われても嫌じゃないことに気づきました。

それから女装はキリにとって一種の鎧となりました。

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一方キリの同級生の周防は、自分がどうしても恋愛できないことに悩んでいました。

顔が悪くない彼はモテて、いろんな女の子に告白されますがどの子にも執着できず、自分には恋愛の才能がないのだと考えるようになります。

しかし高1の女装コンテストに出場したキリの女装姿に胸を鷲掴みにされ一目惚れしてしまった周防。男の恰好に戻ったキリには何も感じないのに、女装したキリには心を奪われるというちぐはぐで幻想を追うような恋に苦しみます。

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それぞれの事情がだんだんわかってきたネリは、合コンの時からほとんど一目惚れで周防のことが好きです。奇妙な三角関係ははたして・・・というようなストーリーです。

 

ネリがすごくカッコいい女なんですよねぇ。強い女ってこういう人だと思います。

自分の好みや思考経路がはっきりしていて、腕もあるし勇気もある。少し不器用なところもあるけど懐の深さを併せ持っている。素敵な女性です。

特にカッコいい場面が、キリが女装姿を会社の同僚に盗撮されて、ショックで引きこもってしまうのですが、それを助けにきたときのネリ。

「キリ

 

もう大丈夫

 

今度は誰をぶっとばせばいい?」 

そういってキリを抱きしめるネリ、めちゃめちゃカッコいい。男前で女前です。

後日ネリが盗撮男に天誅を下すところがまたスカッとしていいです。

 

そんなカッコいい女・ネリですが、物語の中でちょくちょくネリの少女時代が描かれます。

髪が短くて活発でちょっと乱暴者なネリはどこからみても男の子にしか見えず、よくキリに間違えられました。

そんなネリも中学に上がるころには、容赦ない体の変化に飲み込まれていくわけです。

その時の絶望が繰り返し描かれるんですね。

初潮やら第二次性徴期やらってよく文学や漫画やアニメのエッセンスにされますけど、正直私はこれが全然ピンとこないんですよね。

初潮がきたとき、私はネリみたいにお腹もいたくなかったし、体もそんなに重いと感じなかったし、確かに少しはめんどくさかったですが、そんなもんだと思ってました。

ブラジャーもスポブラなんてほとんど使った記憶がなくて、中1くらいのころにはすでにワイヤー入りのかわいいブラを着けていました。

子供を産むとか産まないとかそういうことも特に考えてなかったです。思春期の私にとっての月経は、なんだかめんどくさいしょうがないもの、体育サボる言い訳に使えるもの、くらいの認識でした。

生理痛を本格的に感じ始めたのは高校の半ばくらいからで、それからはまれに「子宮取りたい」とか考えるようになりましたけどね。

そう考えると、単純に感受性の貧しい子供だっただけかもしれませんが。。

こういうの、男の子はどうなんですかね?性同一性障害だったらまた話は別ですが、ヘテロでも抵抗あるんでしょうか。

@@@

以前にも書きましたが、私は10代の中盤くらいまでは、自分の性別にケチをつける気はそんなになかったです。

女に生まれてよかったと思っていたし、かわいい恰好をして「かわいい」と言われれば嬉しかったし、化粧も服も派手で露出が高く、ヒールとスカートが大好きでした。

少しは「女のくせに生意気」とか文句を言われる場面もありましたが、どちらにせよ子供だったので、おおよそ流せる範囲でした。

でも、今は女は不便でしょうがないです。

 

 

〜ここから後半〜

さてさて前半を書いてから数ヶ月たち、第2巻を読みました。

13月のゆうれい(2) (FEEL COMICS swing)

13月のゆうれい(2) (FEEL COMICS swing)

 

 かっこよかったネリが、周防と付き合いだして少しずつ変化していきます。

周防に「付き合おう」と言われて幸せいっぱいのネリですが、周防が自分を女装したキリの代替品のように思っているのではないかと懐疑的になります。

それでも、いわゆる”かわいい”格好をして褒められると嬉しいことに気づいたネリは、これまで築き上げたいかつい自分と”かわいいと言われて嬉しい自分”との間になかなか折り合いがつけられずに悩みます。

 

そんな悩めるネリに、友人の愛佳(かわいい系ブランドアパレル店長)がたくさんの助言をくれます。2巻ではこの愛佳が大活躍します。

「彼氏受けがきっかけだとしてもさ

新しい服着るだけで 自分が変われる気がしてよくない?」

(中略)

「悩むな 悩むな

どうせ着るんだったら ネリが楽しんで着られるのを探しゃいいじゃん

そのためにたくさん種類あんだからさ

 

服は気分よく着てこそだよ」

愛佳店長さすがです。愛佳みたいな定員さんから服を買いたいものです。 

そんな愛佳ですが、流れでキリと付き合い始めることになります。

ネリとは違った角度でキリもいろいろ悩ましい青年で、自分の男性的な部分にいくらか抵抗があるようです。

そんなキリといいムードになりつつも、やはりキリの精神的な課題のため、初めてはスムーズにいかず、気をとりなおして2人でお風呂に入る場面があります。

そこでも愛佳の慧眼が発揮されます。

「さっきさあ

『汚い』って言ってたじゃん

私からはキリ君はそう思えないんだけど

でもきっとそういう問題でもないのね」

「・・・うん」

「難しいねえ」

(中略)

「もしかしてだけど

『あなたは汚くなんかないですよ』て表明?するのに

舐めたり入れたりするのかな」

「え」

「まあ私は

キリ君と舐めたり入れたりしたけどね」 

愛佳さん、攻めますね。

結局この日2人は仲良く眠るだけですが、キリの心は少しずつ着実に軽くなっていきます。そして最終的にはこの2人は結婚します。素敵だなぁ。

 

このキリたちが仲良くお泊まりする晩、ネリと周防もネリの家でお泊まりするんですよ。たまたま。

でもネリたちもいろんなタイミングの悪さからうまくいかなくて、ここのネリの正直さが読んでて笑えます。

久々のディープキスにうろたえるところとか、すね毛とかいろんなところが急な話でネイチャーなままで焦るとか、相手の男の体毛が薄毛で羨ましくてムカつくところとか、すごく共感できて笑ってしまいました。

 

終盤、ネリは周防を信じきれずに別れを切り出します。

しかし、周防との付き合いやキリや愛佳などの友人とのやりとりを通して、ネリはだんだん新しい自分、「選択肢が増えて好きな服が増えて」いく自分を受け入れることができるようになります。

心機一転、合コンに繰り出す頃には、ひらひらのスカートも難なくコーディネートに取り入れることができるほどになりました。 

「女の子」に生まれたのは私のせいじゃない

だから「女の子」への呪いに付き合ってあげる義理だってない 

好きな恰好して何が悪いんだよ

 

楽しむ権利が私にはあるのだ

この作品の中で一番好きな文節です。

私は本当はかなりシビアな部分があって、「着るのは自由かもしれないけどブスは何着てもブス」とか「可愛い子は何着ても可愛いし許される」とか、結構ひどい偏見も持っているんですけど、

それでも”「女の子」への呪いに付き合う義理はない”というのに相当救われる部分があります。

 

現実は依然として厳しいです。

今いる日本社会は、まだまだ”「女の子」への呪い”に付き合わなければやっていけないようにできています。

それでも先人たちが、呪いに終止符を打ちたい女性たちが戦って戦って、少しずつ少しずつ、その呪いが弱まってきたと思います。

だから今の時代に生まれて、幾分かマシだとは感じています。

呪いに付き合った方が楽なことも多い世の中ですが、

今回こうして『13月のゆうれい』を読んで、やっぱりネリのように呪いを跳ね除ける方にシフトしようと決めました。

楽だからといって呪いに付き合い続けるのは思考停止ですね。

「女の子」を演じるのはやめます。おわり。

もう二度と会えない事実:『塩狩峠』

私は祖父母を含む親戚一同皆生きており、身近な家族を亡くしたことがありません。

小中高校、大学の同級生や社会人の同期も、今は誰とも会うことはないけれど、亡くなった知らせを聞いたことはありません。

仕事で出会った様々な人も、病気したりすることはあっても訃報を聞いたことはなく、おぼろげな記憶の曽祖母のお葬式以外、葬儀に出た記憶はないです。

 

そんな私が「死んだ人間にはもう二度と会えない」という事実を突きつけられたのは、中学時代に三浦綾子塩狩峠』を読んだ時でした。

塩狩峠 (新潮文庫)

塩狩峠 (新潮文庫)

 

この物語は長編で、あまり好んで読み返す作品ではないのですが

初めて読み終えた時の衝撃があまりにも強く、10年以上たった今でも意識に深く刻まれていて、何かのきっかけで思い出すことがあります。

この作品はまるで何かの美談のように語り継がれたりすることも多くて、作者の三浦綾子キリスト教信者なせいもあって、後半はややキリスト賞賛っぽい雰囲気も出てきてしらける場面もあります。

それでも私がこの作品をどうしてこんなに忘れられないかというと、一番最後の、恋人を失った女性・ふじ子の絶望が全く救いようがなかったからです。

 

結納の日、もう結婚するという日の、幸せの絶頂にいたふじ子。彼女は幼い頃から片足に障害があって、いろいろと不憫な人生を歩んできた女性です。

そんな彼女が、大人になってようやく掴みかけた幸せが、一瞬にして消え去ります。

物語の主人公であり、ふじ子の恋人である信夫は、結納に向かう列車で事故に遭い、多くの乗客の命を救うために自らが犠牲となり、帰らぬ人となります。

信夫は死んでしまいますが、その勇敢なおこないに周囲は彼を褒め称えます。

 

しかし、私は信夫が賞賛されればされるほど、やりきれない虚しい気持ちでいっぱいになるのでした。

どんなに信夫が素晴らしい人間だと称えられたところで、信夫は二度と帰ってこない。

もう二度と会えない。

この事実にどうすることもできないふじ子の、最後、信夫が亡くなった場所に花を手向けに行く場面は、思い出すだけでもやり場のない悲しみで胸がいっぱいになります。

 

 

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私はこの場所(このブログ)で、自分が直近で観て・聴いて・読んで、心に残った作品を通して私自身をかえりみるということをしています。

しかし、上記の『塩狩峠』は、最近読み返したわけではありません。

 

自分のよく知る場所で、自分のよく知る場所の人々が、突然に命を落とした悲しい事故がありました。

自分がすごく親しかった人でなくても、ある程度距離の近い人が、全国ニュースになるくらいの大きな事故に巻き込まれて亡くなりました。

職場でニュースを観た時、思考がすっと静かになり、報道を見ながら言いようのない・それまで体験したことのないような気持ちになりました。

そんな時、脳裏にふっと現れたのが、『塩狩峠』を読んだ時にひたすら訴えられた、死んだ人間にはもう二度と会えないという事実でした。

 

冒頭に書いたように、私は家族も同級生も同期も同僚も、身近な人間をなくした経験がありません。

自分にとって大切な誰かを失った経験がありません。そして、大切な人というものを持っていません。

どんなにイメージしても想像の域を出ませんが、もし自分にとってかけがえのない人(恋人か、配偶者か、愛する人との間に生まれた子供か・・・)が、事故や事件や病気や災害で命を落とし、もう二度と会えなくなったとしたら、

私はきっと立ち上がれないのではないかと思うのです。

想像するだけで、怖くて動けなくなります。

前に別の何かでも書きましたが、私はとにかく人一倍「失うこと」が怖いです。

だからあらかじめ、失いたくないものは持たない。そういう人生を送ってきました。

それでも、今回のニュースで、心がこんなに抉られるなんて、思ってもみませんでした。

 

ぼやぼやと不真面目に生活していて、いきなり闇から殴られたような、そういう出来事でした。

20代や30代くらいで、何も考えずに生きていると、”死”というものが知らぬ間に遠くへ隠れてしまいます。

本当はいつも自分とともにあるのに。

 

 

 

亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。