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ひまをつぶしましょう

徒労感だけがつのる理由:『世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?』

大屋夏南さんがYouTubeでまたまた面白い本を紹介されていました。山口周『世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?』。

私は別にエリートでもなんでもないんですが、読んでいて「わかりみが深すぎる〜」と思う内容があったのでメモしとこうと思います。

 

この本は2017年に出版されたそうなので新しい本ではないですが、2023年現在においても良いこと言ってるなって感じの内容でした。

著者の主張としては、現代社会では

  1. 論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつあるので、全体を直感的に捉える感性と「真・善・美」が感じられる打ち手を内省的に創出する力が必要
  2. 世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつあるため、人の承認欲求や自己実現欲求を刺激するような感性や美意識が重要
  3. システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生しているが故に、内在的に「真・善・美」を判断するための美意識が求められる

という理由で、世界のエリートたちは日々美意識を磨くためにあれこれやってるということでした。

 

特に腹落ち感が高かったのが1に関する話です。というのも、私の今の職務はデータサイエンス界隈に近いんですが、正直上司も同僚もみんなデータ分析に夢見過ぎではと思うことが多かったんですよね。顧客に関するデータはたくさんあって、あとはそれを適切に分析さえすれば現状打開策が見つかるのではみたいな空気があるのですが、そんなたいそうなもん見つからんやろ、となんとなく思っていて。

もし経営における意思決定が徹頭徹尾、論理的かつ理性的に行われるべきなのであれば、それこそ経営コンセプトとビジネスケースを大量に記憶した人工知能にやらせればいい。(中略)しかし、そのような乾いた計算のもとになされる経営から、人をワクワクさせるようなビジョンや、人の創造性を大きく開花させるようなイノベーションが生まれるとは思いません。

 

(山口周『世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』光文社新書 2017.7.20)

同業他社も似たり寄ったりなデータを持っているのが普通なわけで、それを極めて科学的に分析すれば、同じような答えになり、その結果同じような施策を打つことになってどんどんレッドオーシャンになるという悪循環・・・。

著者はこの問題を解決する一つのモデルとして、PDCAのPをアート人材が、Dをクラフト人材が、そしてCをサイエンス人材が担うという方法を挙げています。

 

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ビジョンと美意識というテーマの話も興味深かったです。

著者は現代のビジネスパーソンにとって美意識は非常に重要なコンピテンシーとなると言っています。何故なら、ビジョンを打ち出すために美意識は必要不可欠であり、現代の日本企業の苦境の大きな要因は「ビジョンがないから」だと。

ビジョン=これから向かう場所をありありとイメージが湧くように記述したもの、と定義すると、ビジョンがない=行き先が見えない状態であり、行き先が見えないまま走り続けなければならないため、ただ徒労感だけがつのるという・・・あ、まさに私がこれまで働いてきた会社じゃん、て思ってしまいました。ハハハ(無表情)。

いま、我が国の多くの企業がなんとも言えない「閉塞感」のようなものに覆われていますが、最大の原因はこの「行き先が見えないままにただひたすらに死の行軍を求められている」状況にある、というのが私の見立てです。このような状況を打開するには、目指すべきゴール、つまりビジョンを示すことが必要です。

 

(同上)

さらに、人を共感させるような「真・善・美」が全く含まれていないようなビジョンは、ビジョンじゃなくて単なる「目標」であり「命令」でしかないと著者は言い切っています。ほんまや〜とこれも腑に落ちました。

 

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さらにここ数年社内で感じることの一つが「お客様アンケートとりすぎ問題」です。

商品開発もEコマースもマーケティングも、みんなこぞってしょっちゅうお客様アンケートとってるんですけど、それで何かが改善されたり売上アップしたかと言われると「?」な現状。

そんな状態に著者のこの指摘はまさに膝を打つような感じでした。

このような社会において、論理と理性に軸足をおいたサイエンス主導経営は、競争力をやがて喪失していくことになるでしょう。求められるのは、「何がクールなのか?」ということを外側に探していくような知的態度ではなく、むしろ「これがクールなのだ」ということを提案していくような創造的態度での経営ということになります。

 

(同上)

まあ、自分も含めて「これがクールだ」と提案できる人がどれくらいいるか謎ですが、外側に答えを探していくことの限界はだいぶ前から感じています。

 

さらに、さまざまな判断を下す上で、判断基準を会社の外部に持つのではなく内部に持つことの重要性も著者は説いています。

論理的な推論については最善の努力をしつつも、どこかでそれを断ち切り、個人の直感に基づいた意思決定を適宜行っていかなければ、組織の運営は「分析麻痺」という状況に陥ることになります。

そして、この転換、すなわち「論理から直感」という転換は、意思決定基準を「外部から内部」へと転換することに他なりません。

 

(同上)

「分析麻痺」ってシビれる言葉だな〜と思いました。今いる会社もまさにこれかも。

 

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この本がきっかけで著者の山口周さんのVoicyも聴きました。面白かったです。

voicy.jp

たまにちょっと説教くさいというか、憂き世を嘆く感もありますが。「魂の貧しい人々」とか、ディスりが秀逸で笑えます。

 

比喩を含むレトリックがとても上手い人だなぁと感じました。めちゃくちゃ読書家で知識も豊富で話が面白いです。

「デートの前に行きたい場所や食べたいものや観たい映画を細かくアンケートとってくる男」の例えは笑いました。そう、まさに企業の「アンケート取り過ぎ問題」を揶揄したものです。

 

ビジネスパーソンとしても現代を生きる一般人としても、美意識が重要なのはよくわかったんですが、それと同時にめんどくさい、本当に窮屈な世の中だなぁとも思いました。

思考停止して気楽な雑用を決まった時間内でこなして、くだらないバライティを観ながらビール飲んでお風呂入って寝るだけの牧歌的で単調な暮らしでは、もはや生き延びていけないんですかね。自己実現とか、まじめんどくさいんですけど。おわり。