れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

雰囲気映画、雰囲気小説、雰囲気アニメの存在意義

映画『ドライブ・マイ・カー』を観ました。

原作は村上春樹『女のいない男たち』に収録されている短編?で、私はこの本を2年前くらいに読んだことがあります。が、そこまで強い印象は残ってなくて、覚えている感想は「全然女いたやんけ」ってことだけでした。

「女のいない男」と聞いて私が思い浮かべていたのは、彼女いない歴=年齢で素人童貞、みたいな男性像だったのですが、実際作品の中の男性たちは全然そんなことなくて、どちらかというと「かつては女がいて(しかも複数だったりする)、今はいない」だけだった記憶です。


そんなわけで、原作が既読にもかかわらず特に心に残っていなくて、でも映画作品としてはカンヌで賞獲ったりいろんな文化人が褒め称えたりしているようなので、もしかして面白いのかも、と期待して劇場へ行きました。


観た感想を率直にいうと「やっぱようわからんかったわ」。これです。

音楽はよかったです。常温の心地いい感じ。

映像も好きな雰囲気でした。柔らかで、日常を愛おしく美しく映し出す感じが好印象でした。

脚本が???だったのかな。もともと村上作品の語り口調も独特だし、全体的に台詞が説明過多というか、この人何言ってるのかなって場面がかなり多かったです。まあもともとのストーリー自体も私からすれば???だったのかもしれません。


でも、そんな「ようわからん」かった内容でも、鑑賞後の余韻は不思議と悪くなくて、強烈に感動したことはないんですが、ふんわり記憶に残る感じがしました。

俗にいう「雰囲気アニメ」に近いものがあります。

私が雰囲気アニメと聞いて真っ先に思い浮かべるのは『空の境界』シリーズ。

私はこのアニメ作品の物語について正直ほとんど理解できていないし、だから他人にも説明できないのですが、劇場版が公開されると映画館に足を運ぶくらいには好きです。

別に心に残る名シーンや台詞があるわけでもなく、キャラクターの熱烈なファンであるわけでもないし、登場人物たちが何と対峙しているのかもよくわかっていないのですが、不思議と観ていて惹き込まれて、その世界観に浸れるのです。


私はこのブログで、自分の感情や思考に深く影響を与えたと思える作品を通して、自分の内面を見直す作業をしてきました。

けれど思い返すと、激しく感動したわけではないけれど、なんだったら作品タイトルもうろ覚えだったりするけど、ふとしたときに思い出す物語というものもあって、そういう小さなかけらも案外自分の思考に影響を及ぼしているのかもしれないと思い至りました。

さらに、この「なんとなく好きな感じ」「なんとなく心に引っかかる感じ」というのは、微弱であるぶん言語化するのがさらに難しいです。


私は来月32歳になるのですが、年々日々の記憶の抜け落ちが著しいなーと感じています。

このブログも含めて、20年近く日記を書き続けていますが、読み返さないと数日前や数ヶ月前に何をしていたか全然思い出せなかったりするのです。

特にコロナ禍のこの2年くらいは、旅行にもほとんど行っていないし、コンサートやお祭りなどのイベントごとからも遠のいているので、だらだら似たような日常を送っていると本当に印象的なことが少なくて、記憶に残らないみたいです。


いまここに存在している私の視点、意識、perspectiveの中には、私の記憶が内包されています。なかば記憶に準拠しているともいえるくらいです。

だから記憶が増えないと(もしくは変化しないと)私の視点や意識やperspectiveも変化しない・更新されないわけで、それらが更新されないということは、文化的に・社会的に・形而上学的に(?)生きていないのと等しいと思うのです。

ただ有機物である肉体が生存維持しているだけでは、私は生きているとは感じられないのだということに気づきました。気づいたというか、多分昔からそういう思想ではあったと思いますが、改めて認識しました。


ほんのわずかに・少しでも思ったこと、考えたこと、気づいたことがあったら、今まで以上にまめに記録しておきたい。映画『ドライブ・マイ・カー』は、そう思ったきっかけになりました。おわり。