れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

水は命:『We the Bathers』

素敵なショートフィルムを観ました。

石鹸などで有名なブランド”LUSH”のチャンネルで限定公開されている、水とバスタイムにフォーカスしたショートフィルムです。

『We the Bathers』は、ロンドン在住のフィービー・アーンシュタイン監督が世界12の場所で出会った、水によって解き放たれる人間の感情を主題とした短編ドキュメンタリー映画です。ひそかに観察するような視点で展開する本作品は、あなたを世界中のバスルームへと誘い込みます。 日常が不確かに思える今だからこそ、水で繋がる一人ひとりの暮らしや人生に触れたとき、私たちにもまた明日がくることに感謝の気持ちが持てるかもしれません。本作品が、皆さんの日常に心地よく染み渡ることを願って。

 

とても静かで、力強く、切なく、途方もない願いを抱かせるような、美しく素晴らしい作品だと思いました。

 

日本は水に恵まれていると昔から言われてますね。

小学校でソフトボール部だった時、真夏の太陽の下で汗だくになりながら校庭でボールを投げたりバッドを振って走ったりした後、水道の蛇口からゴクゴク飲んでいた水の味の美味しさといったらなかったです。

幼い頃住んでいた市営住宅では、ベランダや駐車場近くの共用水道のところで子供用のビニールプールに水を貯めて水鉄砲したりして遊びました。小学校低学年の時には水風船が流行って、男子と投げ合ってびしょ濡れになったものでした。

子供の頃は、水は遊びの道具であり、ありふれて特に気にも留めない、生活に溶け込みすぎて意識することもない、空気みたいな存在だったように思います。

 

小学6年生の時、修学旅行で東京のホテルに泊まった時、どうも水が塩素臭い味がする気がしました。今でも飲めなくはないですが美味しくはないと思います。

小樽の街中のトイレを利用した時、ゴールデンウィークの真っ只中でしたが、凍てつくような冷たい水道水にびっくりしました。

ロンドンで泊まったホテルのシャワーは、見た目は綺麗だけれどなんとなくあまり体に良くない感じのにおいがしました。

バンコクのホテルで浴びたシャワーは、ホコリっぽい雑多な外気のにおいがしました。

今住んでいるマンションの水道水はなぜか藻を連想させる独特の風味がして飲み込めず、齢30にして料理で使う水や飲み水などは全て買ってきたミネラルウォーターを使う、欧米のような生活になりました。

 

今は港町に住んでいるので、散歩に出歩くだけで海が見られます。これはとても画期的なことです。

私の故郷は海なし県で、近所に大した川も湖もなく、せいぜい神社の裏手にちょっとした池があるくらいだったので、水辺に対しては焦がれる気持ちが特に強いです。ゴールデンウィークや夏休みの晴天の日には、車で隣県の砂浜に行くのが好きでした。

鉄道が好きになり一人旅するようになってからも、新潟の海のテトラポットの上で昼寝したり、大荒れの日本海をひたすら眺めて北上する五能線に乗ったり、宍道湖や琵琶湖の雄大さに心奪われたりと、水辺の近くにくるとテンションが上がるので好きでした。

今のような気の塞ぎがちな時、私が行きたいと思うのはいつだって親しんだ森林や山に囲まれた盆地ではなく、風が波音を立てる水辺です。

ただ水面やその先の水平線や上空に広がる空を見つめてぼーっとするだけなのに、どうしてああも心穏やかになるのでしょう。水の不思議です。

 

***

 

このショートムービーでは、世界のいろんな場所のいろんな境遇の人たちの入浴シーンが映っています。

エヴァンゲリオン葛城ミサトが「風呂は命の洗濯」と言っていたのを先日また鑑賞したところで、つくづくその通りだなぁと改めて感心しました。

アニメやゲームに夢中になっていたり、疲れていたりすると、入浴って結構面倒に感じるものですが、それでも風呂上がりはやっぱりさっぱりして心も体も軽くなります。

 

思春期の頃、よく半身浴しながら学校の人間関係で思い悩んだり好きな人のことを考えてやきもきしたり、何かとお風呂場で考え込む癖がありました。この頃から今に至るまで、私はどちらかというと長風呂タイプだと思います。

高校の合格発表の後に合格者は中学に集まって学校に報告するという慣習があり、その日の夜お風呂場でものすごく号泣したのを今でもよく覚えています。

無事志望校に合格し、報告しに行った中学の教室で最後に見かけた好きな男の子に、私は結局なんの告白もせずに帰宅しました。

毎日好き好き大騒ぎしていたので、相手の男の子も私に好かれていることはほぼ確実に認識しているんですが、結局最後まで面と向かっては何も言わなかったのです。バレンタインに手作りのお菓子をあげた時も、なんて言ったのか全然覚えてません。

志望校に入学が決まったのに、万事うまく行っているのに、夜ひとりでお風呂に浸かると楽しかったそれまでの生活の様子がわーっと頭の中に浮かんでは消えまた浮かんでは消え、そして気づきました。

もうあの日々はいってしまったんだなぁって。過ぎ去って遠くにいってしまったんだって。

毎日あんなに近くで見つめていたあの子にも、もう会えないんだって。

(同じ町に住んでるのだし会おうと思えば方法はあるのですが)

なんの努力もせず、好きな男の子をただただ盗み見て好き好き騒いでいたあの楽しかった日々は、もう終わってしまったのだ、ということをじわじわと認識してきて、どうしようもなく悲しくて声を殺して大泣きしました。

お風呂にまつわる自分の記憶の中で、一番強く残っている思い出です。

 

水やお湯がそうさせるのか、一糸まとわぬ無防備な姿になるからなのか、あるいはその他の要因もあるのかわかりませんが、

お風呂は自分と対話するのにとても適した空間の一つだと、この映画を観て再認識しました。

 

なんとなく、この作品を観ながら頭の片隅に谷川俊太郎「朝のリレー」が想起されました。

あさ/朝

あさ/朝

 

目覚め、食事、入浴、セックス、眠り、

感染症、政治問題、格差、差別、環境問題、

世界のどこにいても、自分が男でも女でもどんな人種でも職種でも何歳でも、

 

全ての人にそれぞれの生活がありそれぞれの問題があり諦めがある。

 

という、当たり前のことを思い出すいいきっかけになる作品だと思います。詩も映画も。

いい作品に出会えてよかったです。おわり。