美容系の会社に転職して1年が経ちました。
三十路目前独身女性となった私は、中学や高校の頃のようにファッションに興味があるわけでもコスメに関心があるわけでもなく、いつも同じ髪型で休みの日はスッピンでいつも同じユニクロか無印良品の服を着ています。
「いつまでも若く美しくいたい」なんていう思想は不自然で不健康だとさえ思う私が、なぜ大手エステ企業に転職したかというと、WEB面接というお手軽採用方法に惹かれたのと、自分の貯金を崩さずに引越ししたかったからでした。
それでも、やっぱり自分が微塵も関心を持てないような、例えば車メーカーとか不動産とか、そういう業種には当然目が向かないわけで、美容に興味ないとか言いながらも無関係ではいられないとは考えていたのです。
社会人女性としてやっていく中でどうしても化粧はするし、いくらネットが普及した社会だからといって、休みの日のパジャマすっぴん姿のままで他人と仕事するのには限界があります。
いわば私にとって、化粧やオシャレや美容とは、好きでもなければ興味も持てないけれど取らないと卒業のための単位が揃わないから渋々履修している教養科目みたいなものなのです。
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今の仕事に就いてから、”美意識”について考える機会が増えました。
頭のてっぺんからつま先まで綺麗に整えているお客様を目の前にして「なにがそこまでこの人を掻き立てるのだろう?」と疑問に持ったり
指導しながら私の美意識の低さを嘆く先輩スタッフを見ながら「なんでこの人はそんなに美しいことにこだわるんだろう」とか思ったり。(実際訊いてみても要領を得ない回答しか返ってこない)
美意識を私に振りかざす人々は、各々自分の中に絶対的に掲げる”美しさ”の基準があり、それを目指すことは当然であると考えているのです。まるで生まれたときから遺伝子に組み込まれているような迷いのなさで。
そんな折、先日本屋でたまたま手にとった作品が、また思考の種になりそうな良作だったので記録しておきたいと思います。
美意識やセクシャリティについて発展途上の女子高生たちが織りなすオムニバスの群像劇、松崎夏未『ララバイ・フォー・ガール』。
特に意識に残るのは2作目の「今夜、ヴォーグのフロアで」と、4作目の「EVER GREEN UTOPIA」です。
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「今夜、ヴォーグのフロアで」は、読者モデルで生まれつき”カワイイ”を手に入れている主人公・ありさが、年齢を重ねる中で自分の身の丈を知る話です。
あれから何年も経ってしまった
”カワイイ”ひとつ手に入れるのにもめちゃくちゃ苦労するようになった
もう前みたいに無条件で”カワイイ”は手に入らなくなった
普通に大人になったし普通に就職してOLになった
(中略)
普通なりにもっとキレイになりたいし
もっとカワイくなりたい
特別にカワイイと思ってた自分が実はそうでもなくて、でもやっぱり昔の快感を忘れられなくて苦しむ姿は、美しさに限らず10代の頃に栄光を手にしたことのある人間なら共感せずにはいられないだろうと思いました。
ある日高校の同窓会に行ったありさは、昔自分がブスだと馬鹿にしていじめていた同級生・花岡が、見違えってミスユニバース級美人に生まれ変わった姿を目の当たりにします。
この、劇的変貌を遂げた花岡という同級生がなんともまた・・・花岡サイドからみれば逆境に立ち向かって成功を手にしたサクセスストーリーなんですけど、ありさ側からみるとどこか薄ら寒くて手放しにおめでとうって気持ちになれないんですよね。
ありさたちが高校生の時、ひょんなきっかけでありさが花岡を蹴っ飛ばしてボロクソにシメあげる場面があるんですが、花岡もブスなりに芯のある人間なのでありさの脚を掴んで反抗するんです。
「ゴミのくせに・・・!」
「見た目が悪かったらこういうのも甘んじて受け入れると思わないでくれる?
鈴木さん顔は可愛いのに そういうのもったいないよ」
この時点では、私は花岡の考えに全面賛成なんです。確かに可愛いのはいいことですが、だからって何してもいいとは思わないし、見た目が悪いからってナメた真似されたら怒って当たり前だと思います。
でも、花岡はその後見た目の悪さを自分で否定して覆すわけです。ある意味でありさの主張に屈しているようにも見えてしまって、その手のひら返した感じがどうにもいけすかないのかもしれません。
同窓会で再び相見えたありさと花岡は化粧室で言い合いになります。
「私は あなたの言うとおりにブスだったの
でも今はちがう 私は変わった
昔が懐かしい!
鈴木さんにはずいぶん外見のことでからかわれたけど
今はもう昔と比べ物にならないくらい楽しく過ごせてるの
私ね ミスユニバースの代表になって・・・
(中略)
今ならあの時あなたが言ってたことよく分かるの
これが価値ある人生なんだ・・・・・・って
あなたみたいな普通の人生もう考えられない・・・!
私は特別なんだって思えるの」
「っさいわね だからなんだっての
勝手にユニバースでも何でもなってれば?
張り合ってるつもりなんか全然ないし
あたしはあんたのことなんか今の今まで忘れてたし
あたしはあたしで幸せなのよ!」
ありさの反論もどことなく負け犬の遠吠え感が拭えないですが、でも私は花岡よりはありさの方が共感できるというか、ありさの方が健康的に見えました。
物語の最後、ありさは普通に結婚して可愛い娘と2人でまったり過ごしている場面で終わります。
すごく短い話なんですが、とてもよく練られた構成で無駄がなくいい短編だと読み返して改めて思いました。まるで芥川龍之介の作品のようです。
結局カワイイとか美しいとか以前に、自分の人生の幸福度を他人と比べることで実感するような態度が虚しいのだなと感じました。だから花岡に賛同できないし、「あたしはあたしで幸せ」だと中指を立てるありさもどこか滑稽に感じてしまう。
可愛さや美しさは手段であって、それ自体が目的になるのかだんだん疑問になってきました。
美しさが手に入ったからといって幸せになれるとは限らないというか、そこに相関関係や因果関係が果たして生じうるのでしょうか?
例えば朝起きて自分の顔や体が北川景子ばりに美しくなっていたからといって、多分私は何にも幸せではないだろうなと思いました。
でも朝起きて職場から「今日は休業」とか言われていきなり休みの日になって1日ゴロゴロしてゲームできることになったら、多分めちゃくちゃ嬉しくて小躍りするくらい喜ぶと思います。幸せを噛みしめるでしょう。
しかしさらに、朝起きて急に顔面蕁麻疹とか体重が30kgくらい増えてたりとか、大きく容姿が損なわれていたら、多分今以上にダメージを受けてダウナーな気分になるとも思います。
つまり、幸せに美しさは大きく関与しないけれど、不幸には美醜がある程度影響を及ぼしているということですかね?
美しさは、増えても大して嬉しくないけど、大きく目減りするとかなり困るものってことでしょうか。・・・何だかすごくグラフを描きたくなるような理論です。
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4作目の「EVER GREEN UTOPIA」は、登場人物が好みでした。特に宇津見という同性愛者の子が美人で理知的で好きです。
主人公のゆかりは少し無神経なところもあるけど心根の優しい子で、宇津見とは高校で知り合って以来親友同士。
ある日校内でいちゃついているレズカップルを偶然見たことから、宇津見が同性愛者であることや、自分の中に無意識レベルの差別意識や偏見があることがだんだんわかってきて、様々な考えを涵養していって最終的に少し成長したところで物語は終わります。
こちらもさっぱりした話ですが問題の根の深さをきちんと描いていて心に残りました。
特にいいスパイスというか、当て馬的な存在なのがゆかりの彼氏・かずきです。
かずきは別に悪人ではないのですが、彼もまた無意識のうちに差別意識や偏見を刷り込まれていて、きっとこういう男子がそのまま大人になって老害的男性になっていくんだろうなと思いました。こことか↓
「見てあれすっげーな デモ行進なんて恥ずかしくないのかね
(中略)
つーか別学にそこまでメリットあるか?3年間野郎ばっかの中で過ごすのがいいなんてヤベーだろ
やっぱホモとかレズとかいんのかね?」
こことか↓
「出た!女同士のドロドロ
仲良いふりして裏では〜みたいな」
「いや違うから」
「宇津見さんプライド高そうだしなー
顔いいのにもったいねーモテないよ」
「ーー・・・」
このものすごい短絡的決めつけ思考に最後はゆかりも呆れ果てて、その場で別れを決意します。
今の職場は男性が全然いないので最近こういうことに腹を立てることはありませんが、昔男性社会で働いていたときは、やっぱりこういう無神経な発言にイラっとしたことがあったなぁとぼんやり思い出しました。
でも、イラっとしてもその齟齬を噛み砕いてしっかり対話して歩み寄るほど相手を大切に思ってるわけでもないので、面倒で結局流しちゃうんですよね。だから全然何も解決しないまま、かみ合わないままになってしまう。
こうしてオジサンとオンナノコの溝は深まる一方・・・という社会構図。
もちろん物語序盤のゆかりみたいな、無神経な女性だっています。何も男性だけが全面的に悪いわけではないです。が、やはり私自身が女性なので、女性に何かを決めつけられるよりも圧倒的に男性に勝手に断罪されることの方が多かったんですよね。余計なお世話感がすごいというか。
でも自分はヘテロなので、やっぱり男性からの評価を意識してるのです。
むしろ最近気づきましたが、私は女性からの評価は微塵も欲していなかったのです。
だから今の仕事について周囲に男性がいなくなったら、スカートも履かないし最小限の化粧しかしないしそもそも自分の容姿を美しく保とうという動機が生まれないのでした。
同性だけの環境に身をおいて初めて、自分がいかに男性を意識して振る舞っていたのかということに思い至りました。
私は自分のためや女性の同僚や知人たちのためにはおしゃれも化粧もしない人間だったのです。
私は自分の好き嫌いに関わらず、男性の目を気にしてそれまで洋服や化粧や髪型を選択しているのでした。
29年近く生きてきてやっとその事実に気づいた時、それまでの自分がひどくバカバカしく矮小に思えましたが、でももう変わらないのかもとも思います。
一体いつの間にこんなふうに刷り込まれてしまったのか、自分が自分をいつどのようにそんなふうにしたのか。。
でも、見た目もそうだし勉強や仕事のモチベーションにも男性が関わっているだろうなと思います。
私は共学の学校にしか通ったことはありませんが、もし女子校に行っていたら、多分あれほど勉強しなかっただろうなと思います。私は同性に対する闘争心が皆無なのです。
成績でも何でも、男子に勝ちたかった。男子に負けたくなかった。
仕事でもそう。女性でバリバリ頑張ってる人を尊敬はしても妬んだり羨んだりすることはなかったですが、男というだけで優遇される奴には負けたくないと思っていました。
この思考形態は、いつ私に染み付いたのだろう。不思議です。
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そんなこんなで、読み心地はとても軽くさっぱりしたものでしたが、
美しい絵と計算された構成で実に示唆にとんだ良作漫画でした。おわり。