れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

どうしようもなく寂寥:「心の瞳」とグリッドマン

毎日いろんなアニメを観てるんですけど、ちょっとしたエピソードで泣けて、つくづく歳をとったなぁと感じます。

やがて君になる』の七海先輩の姉への投影とそれが両親や周囲の人々に受け入れられない葛藤とか、『寄宿学校のジュリエット』のペルシアが自分のせいで恋人がズタボロになってしまったことへの不甲斐なさと悲しみと悔しさとか、そういう登場人物の感情の起伏がいちいち心の琴線に触れて涙がホロリと出てしまうんですよね。

で、今日は『SSSS.GRIDMAN』を観ていて、物語に共感して泣いたわけではないんですけど、劇中歌で有名な合唱曲「心の瞳」が流れて、中学から高校にかけて何度も聞いたことのあるこの曲が、10年以上の時を経てこんなに心に響くものなのかと本当に驚いたので記録しておこうと思いました。


2年2組 心の瞳

 

私は中学3年から高校1年にかけて合唱部でした。

もともと音感があって音楽だけは何も努力しなくても得意で、ソプラノがとてもよく出るので歌うのは大好きでした。

中学でも高校でも学校行事でクラス対抗の合唱コンクールというものが毎年あって、クラスの誰よりも良く通るソプラノだったので得意げになってました。

歌の上手いクラスメイトたちにも恵まれて優勝した年もいくつもありました。けれど、この「心の瞳」は自分のクラスでも部活でも歌うことはありませんでした。

いい曲だとは思っていたけど他にもっと歌いたい曲があって、定番だけれどこの曲では優勝は狙えないとも考えていました。そして実際この曲は銀賞や銅賞のクラスの歌でした。

部活の地区大会や吹奏楽部でさえも、演奏の良し悪しと同じくらい選曲というのは賞に響くものです。いくら高い技術を持つチームでも、つまらない選曲をすると勝てないことがままあるのが音楽コンクールなのです。

「心の瞳」はメロディも美しいし、歌詞も年長者にとってはぐっとくるものがありますが、どこか平均点でどこか無難で当たり障りのない優しい歌、というのが長年合唱に携わっていた学生から見た感覚でした。

 

けれど、そんな青春をかけて合唱に打ち込んだ日々も遠い過去に消え、惰性で日々を生きる中年となった今の私には、「心の瞳」という曲はどうしようもなく沁みる歌となっていたのでした。

記憶に焼き付いているピアノの優しいイントロが始まっただけで、胸が締め付けられ切ない気持ちになり涙もろくなった瞳からほろほろ涙がこぼれ出します。

自分のクラスでも部活でも一度も歌ったことがないのに覚えているメロディと歌詞が口をついて出て、それと同時にもう戻らない若かった日々の思い出が次々と思い出されて苦しくなりました。

 

認めたくないけれど、あの頃の私は本当に本当に幸福で仕方なかったんだと思います。

何にでもなれて無敵で可能性しかなくて弱いけど速いから強くなれたんです。スーパーマリオBダッシュみたいに、七色に点滅してダメージを食らって小さくなっても意に介さず前進することができていました。そういう時代が私にとっては10代半ばだったんですね。

 

改めて、きっと私は死ぬまでその自分にとって輝かしい過去を拠り所にしながら生きてくんだろうなと思いました。ダサいしアホくさいししんどいけど、きっとそうなのだろうなと。

どんなに自己欺瞞しても、あの頃以上に幸せを感じられないのです。もうずっと、何年も何年も。

信じられないくらい楽しかったあの日々。もうかさかさになった手の中には何一つ残っていなくても、その記憶だけがよすがなのです。

毎週なんとなく観ているロボットアニメからこんなに哀愁を感じるとは思いませんでした。

 

あの素晴らしい愛をもう一度」とかもそうですけど、合唱曲って、中学生や高校生にとってはピンとこないけどなんか深いっぽい歌詞の曲が多いですね。

若さが永遠に失われて人生の苦さをしみじみ振り返るような歌を、若くて何にも怖くないようなあどけない子供の声で歌わせるというのは、なかなか倒錯してる感じがします。でもそのアンバランスさがいいのでしょうね、きっと。

おわり。