れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

念のために生きている:『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』

中学生の頃、同じクラスで近所の友人(女子)が西尾維新クビキリサイクル 青色サヴァン戯言遣い』を朝の読書の時間に読んでいました。

表紙が可愛かったので、私も借りて読んでみたのですが、中学時代の私はあまり気が長くなくて、いかんせん本が分厚くて、最初だけ読んでほとんどわからず返してしまいました。

そんな作品が、十数年の時を経てOVA化されました。

物語シリーズ』でおなじみのシャフト制作、音楽は梶浦由記Kalafinaがテーマソングを歌っていて、キャストも豪華声優陣の文句無しのアニメ化でした。

特にOVA最終巻の、哀川潤が登場するところは、観ていて非常に引き込まれる回で、あまりに良かったのでこれを機にもう一度原作を読んでみようと思いました。

読んだ感想は「この文体は・・・読むのちょっと厳しい・・・」でした。

しかし、原作でもやはり終盤の哀川潤との会話シーンは素晴らしいと思いました。

 

物語のあらすじは以下。

日本海に浮かぶ孤島、鴉の濡れ羽島。 そこに建つ屋敷には、島の主の赤神イリアによって あらゆる分野の天才たちが客として招かれていた。 だがある朝、屋敷の中で、首斬り死体が発見される。 そして事件は、それだけでは終わらなかった――

OVA「クビキリサイクル」公式サイトより)

首切り殺人とか、ミステリ的要素は私はそこまでアツくならない質なのですが、

主人公のいーちゃんが全て解決し、島を出て日常に戻ったところに哀川潤という人類最強の請負人がやってくる後日談の部分が秀逸なのです。

 

哀川潤という女性は名探偵的ポジションで、一応事件を解決に導いたに見えた主人公・いーちゃんたちの、微妙な違和感を巧みに説き伏せていきます。

そして、一見解決したように思えた事件には、さらなる真相が隠されていることを諭します。

犯人(園山紅音)が死体(伊吹かなみ)を再利用して連続殺人に見せかけたと思いきや、事件の前にそもそも犯人とされる人物(園山紅音)と被害者とされる人物(伊吹かなみ)があらかじめ入れ替わっていたという事実に突き当たるいーちゃん、そしてその事実に困惑するいーちゃんの、事件と関係ない根底的な部分にまで言及してくる哀川潤のやりとりがとにかく面白かったです。

「動機は・・・・・・それだったっていうんですか。でも、それ、一体なんのためにそんなこと・・・・・・」

「はっ!」哀川さんは嘲笑たっぷりに目を細め、身体を揺する。「それは実に、筆舌につくしがたいほどつまらない質問だぜお兄ちゃん。ヘイお兄ちゃん、お前、たとえば何のために生きてるって訊かれたとき、なんて答える?」

「・・・・・・・・・・・・」

「お兄ちゃん。確かにお前みたいなタイプは思ったことがないかもしれねえな。お前、何かになりたいって思ったことはないだろう?何者かになりたいって思ったことがないだろう?だったらいくら説明しても、伊吹かなみの気持ちは分からねえ。てめえでてめえのスタイル確立しちまってる人間には、伊吹かなみの気持ちは三千世界に行っても理解できねえよ」

(中略)

「・・・潤さんには分かるみたいな物言いですね」

「分からねえさ。他人の気持ちなんか分かるもんか。だけど考える頭があれば想像することくらいはできる。(後略)」 

”何かになりたい”、”何者かになりたい”と思ったことがない人って、世の中にどれくらいいるのだろうと考えてしまいました。

私は幼い頃から何かになりたかったです。薬剤師とか服飾デザイナーとかいう職業的なことではなく、誰もが一目おく地元の先輩とか、勉強なんて全然しないでおしゃれとプリクラと彼氏のことしか考えてないクラスの可愛い女子とか、魔法少女とか、そういう何者かになりたかったです。

何者にもなれないことに気づいたのは高校生くらいになってからかもしれません。

 

さらに話が進むにつれて、物語全体を通して描かれている”天才”という存在についても言及されます。

「お兄ちゃんは天才をどう定義した?《遠い人》だってな。イリアから聞いた。だけどそりゃ間違いだ。ベクトルなんだよ、要するにな・・・・・・。人生における時間を、一つの方向に向けて全部発揮できる人間。人間にはいろんなことができる。だけどいろんなことをやらずに、たった一つだけにそれが集中したとき、それはとんでもねえ力を発揮できる。それこそ、遠くの人だと思えるくらいにな」

そして、ついつい予定調和のように小さくまとまろうとしてしまういーちゃんに、激励とも言える言葉を投げかける哀川潤。だっていーちゃんだって、能力は高いですしね。あとはそれこそベクトルの問題だけなのです。

「ダスト・ザ・ダスト・・・・・・つまりはそういうこったよ。よくやったよ、お兄ちゃん。本当によくやった。誉めてやろう。だけどもう少し、もっともっと頑張りな。不満があったら誤魔化すな。不安定なもんはちゃんとちゃんと安定させろ。不条理は条理の中へと押し込んじまえ。てめえの考えをくだらない感傷だなんて思うな。オッケイ?」

「・・・・・・オーケイ」

いい返事だ、と哀川さんは真っ赤な舌を出す。

「そんじゃ、そういうわけでお邪魔様。世界はお前らみたいなのがいるから生きてるだけの価値がある。そう思うよ。だけどお兄ちゃん、お前は少しばかりサボり過ぎだ。人間っつうのはもっとスゲエ生き物なんだからよ、ちゃんとしろ、ちゃんと」 

すごい、この言葉を中学2年生の私に聞かせてあげたかったです。そしたらもうちょっと頑張った人生になったかも・・・なんて思ったり。

しかし、27歳の私と同じく、大学生のいーちゃんもそんな素直に頑張ろうとは思わないのです。

これ以上考えるのは、もう、面倒臭い。あとは考えたい奴が勝手に考えればいい。哀川さんには悪いけれど、僕は別に、世界に価値を与えるために生きているわけじゃない。

たとえばきみは何のために生きているのかと訊かれたら、ぼくは念のためだと答えるだろう。人が生きている理由なんてその程度のものだし、ぼくが生きている理由もその程度のものだし、大抵の人はその程度のものなのだ。 

「念のため」!これには目からウロコでした。念のために生きている、その通り、むしろそれ以外の表現がありえないくらいしっくりくる表現だと思いました。

そうなのです、生まれてきてしまった事実に文句もとっくに言い飽きて、ただ「念のため」に生きているのです。そして大抵の人はその程度のものなんですね。

あ〜、この後日談だけでも、中学のうちに読んでおけばよかった、とちょっと後悔しました。

読んだからって、何かが変わっていたのかというと、多分何も変わらないのかもしれませんが。

むしろ、今だからここまで自分の心に残るのかもしれないですね。十数年の時を経て、ようやく読むべき時がきたということでしょうか。西尾維新さん、凄過ぎです。まさに”天才”ですね。おわり。