れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

やむなし。『お慕い申し上げます』

今日は仕事で上手くいかない事があって、職場で泣いてしまいました。

トイレで、ですけど。

本当は泣きたくないです。泣くと気持ちが昂って落ち着かなくなるし、冷静じゃない状態はあまりいいものではないと思うので。

一刻も早く落ち着きたくて、合掌して唱え続けました。

「やむなし」と。

今回ご紹介する漫画、朔ユキ蔵『お慕い申し上げます』は、田舎のお寺を舞台にした仏教の漫画です。

 

主人公の佐伯清玄(29)は田舎寺「祥願寺」に生まれ、僧侶となり、このまま生家を継ぐつもりでいます。さらに清玄は、立派な僧侶となるために、妻帯はしないと心に決めています。しかしそんな心とは裏腹に抑えきれない性欲に悶々とする日々。

そこへ檀家さんの紹介で見合いをすることになった元・マラソンの世界的ランナー清沢節子(29)がやってきます。かつて憧れていた美女が目の前にあらわれ動揺するも、必死に自分の信念を貫こうとする清玄。

一方節子は、陸上界でずっと勝てなかったライバル・山本恵への妬み嫉みに塗れ辟易する生活から抜け出したいともがいていました。陸上界から離れ、このまま寺に嫁入りするつもりでいた節子は、清玄の考えを知りショックを受けます。

そこで節子は、清玄の祖父であり大僧正である佐伯峰博(89)に頼み込んで、峰博の弟子として寺に住まわせてもらうことにします。

清玄の婚約者としてではなく、仏の教えを乞いに来た峰博の弟子として寺で生活することになった節子に、清玄は戸惑いながらも仏教の教えを伝えていきます。

そんな中、祥願寺の知り合いの寺の手伝いから1年半ぶりに帰ってきた、清玄の幼馴染で同じく僧侶の高木清徹(29)。昔からデキよし顔よしでモテる清徹に、なんだかんだで警戒心が隠せない清玄ですが、2人は幼い頃から互いを分かりあえる親友同士でもあるのです。

清玄と清徹と節子の三角関係と、そのまわりで起こる様々な変化、そしてそれらの中で気づかされる仏教の教えを、巧みに描いた作品です。

 

最初は清玄をちょっといいかもと思っていた節子ですが、ある日ふとしたきっかけで清徹が彼女にキスをしてしまい、それから徐々に節子の気持ちは清徹へ向いていきます。

思わせぶりな行動をしながらも、節子には絶対靡かない清徹に、節子の心は乱されていきます。

そんなある日、認知症が始まった峰博が野山で行方不明になるという事件が起きてしまいます。

皆で捜索する中、ついに節子は峰博を見つけ、峰博をおぶって帰るのですが、そこでの峰博の教えが大変心に沁みるのです。

「節子さん 諦めるのじゃ」

「あきらめる?」

「といっても断念するとかではないぞい

教の教えで『諦める』とは

『物事を明らかに 見極め 知る』ということじゃ

とても大切な言葉じゃよ」

(中略)

「真実を知り 原因を明らかにする

さすれば 己の振る舞い方も見えてくる

生老病死

人が逃れられぬ苦しみじゃ

ワシは老いた

器だけではなく頭も老いた

老いを老いとして認めねば

後から大きな老いに自分が追いかけられることになる」

「理屈ではわかっても ・・・とても難しいです」

「そこで形の出番じゃよ

口の端を上げて ニッコリして言ってみる

 

止む無し

 

無常の世に生まれてしまったのだから仕方ない

老いも止む無し じゃ

しかめっ面ではいかんぞ

ニッコリが肝心じゃ

さぁ節子さん やってみなされ」

「やむ・・・なし」

「うーむ まだ固いのう」

「すみません」

「何度もくり返してよい『形』のクセをつけるのじゃ

後には心も追いついてくる」

この漫画のキーワードともいえる言葉が"無常"です。

世の中に変わらないものは何もない、ということです。

すべてが絶えず変化する無常の世において、いつも物事をあるがままに見つめ、受け入れることができたら・・・。

現実はなかなか上手くいかなくて、

今日の私みたいに思い通りにならない自分に悔しがって泣いたり、変化が怖くて立ち止まって動けなくなってしまったりするのですが、

そんなとき、しかめっ面したり泣き顔になっていたら、

一度ゆっくり深呼吸して

両手を合わせて

口角を上げてニッコリほほ笑み

静かに唱えるのです。「止む無し」と。

すると峰博和尚の顔が浮かびます(あれ?)。

まずは形から入るのです。

いつか心が追いつく日を待ちながら。

 

この漫画はストーリーも非常にドラマティックで笑いあり涙ありですが、

その中で仏教についても学べるお得なお話です。

日本人は自分が仏教徒であるなどと普段意識する方は少ないと思いますが(私もそうでした)

この漫画を読んでみて、確かに私はキリスト教イスラム教というよりは明らかに仏教だなあと感じました。

そんなに仏教教育を受けた覚えはなかったのですが、

やはり仏教の教えが自分の中では一番しっくりくるような気がしたのです。

皆さんもぜひ一度、自分の中の仏教徒を発見してみてください。おわり。