れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

『きのうの神さま』

年末年始に小説を何冊か読んでいたのですが、そのなかでとても心に残った1冊がこちら。 

([に]1-2)きのうの神さま (ポプラ文庫 日本文学)

([に]1-2)きのうの神さま (ポプラ文庫 日本文学)

  • 作者:西川美和
  • 発売日: 2012/08/07
  • メディア: 文庫
 

僻地医療を題材にした5つの短編がおさめられています。

私が特にいいなと思ったお話は、「ノミの愛情」と「ディア・ドクター」というお話でした。

 

「ノミの愛情」は、乃木朱美という元看護師の専業主婦が主人公のお話です。

朱美は、医師として非常に優れた夫・啓一郎の仕事を尊敬しながらも、愛情とは違う冷めた感情を夫に抱いています。幼稚園生の息子・駿平の教育方針や、日常のちょっとした癖や考え方のズレ、そして家庭にしか居場所がなくなった専業主婦という退屈な生活が、朱美の心に少しずつ暗い影を重ねていきます。

私の未知数は、あの夫に全てやってしまった。あの虚勢と誇りを混同し続ける夫の、高潔な生業と、品行方正な人間性とを、守るため、それが世界のため。けれど未知数を放棄した代わりに、そんな完全無欠の男が家族にだけ見せるほころびを、かつて私は確かに、舌の先でなめて喜んでいたではないか。小さな秘密の急所に歯をあてて、大きな大きな象の背中に乗っているノミのような気分だったではないか。(中略) おれがこの血を吸い取らなければ、あれはいつ倒れるか、分かったことではないのだと、それだけを支えに、この静寂に耐えてきた。これが愛だと思っていた。一人愛した男を悪者に仕立て上げながら。これが愛か。

夫を嫌いではない。破綻の気配もない。でも何かが欠けている―――そんな結婚生活が巧みな文章で描かれているのですが、最後の最後に痛快な展開がおこります。

ある日の夜中に少し大きな地震が起こり、朱美がピカピカに磨いていたらせん階段で足を滑らせた啓一郎は転倒し、頭を打ってしまいます。息子の心配をして飛び起きた朱美は頭から流血している夫を見つけると、すぐさま応急手当と救急車の手配と介抱に着手します。その流れるような身のこなしは、まさに救急救命センターの看護師そのものです。

ちょっと痛いですよ、と言って夫の右足をまっすぐにして、台所にたたんであった段ボールを添え木代わりに足に巻きつける。

「あーあ」

「痛いんだよね。もうちょっとよ」

「ちょっと鏡を見てみろよ」

「あら私?ひどすぎる?」

「昔のあんたの表情だ」

「なあに。どういう表情よ」

「いやな感じ。いい顔をしてる」

「いったいどっちよ」

鏡を見に行く暇はないけれど、確かに私の手は、自分でも、少し見惚れてしまうくらい、いやに華麗に、ひどくしなやかに動いている。 

夫を介抱しながら、かつて一線で活躍していた記憶が蘇っていく朱美。看護師としてバリバリ働くことで得ていた生きる喜びを思い出し、ここのところ沈みがちだった心が一気に明るくなっていきます。

 

このくだりを読んで、医療現場で生きる女性の強さにあらためて感心させられました。素早くて的確な応急処置や救急車の呼び方は、まさに「お見事」といった感じです。敬服します。

実は私は、高校3年生の時に個人で申し込んで大学病院の看護体験に参加したことがあるのですが、看護師の女性たちのしなやかで強い仕事ぶりに、しばし圧倒されました。

よく「母は強し」とか言いますけど、私からすると「看護師の女は強し」って思います。"母"よりもさらに心強く大きな存在に感じます、看護師の女性というのは。

世の中に大変な仕事は沢山あり、管理職につく女性も少しずつ増えていますが、こうした医療従事者の仕事を鮮やかに描かれると、「ああ、やっぱり敵わないなあ」とつくづく感じます。昔から少し医療現場の仕事に憧れをもっているせいかもしれません。

 

次のお話「ディア・ドクター」は、中年サラリーマンの慎也と、彼の兄と父の家族の物語です。

昔からクールでかっこよかった医師の父が脳梗塞で倒れ、緊急搬送されます。

実家の近所に所帯を持っていた慎也はいそいで駆け付け、母と2人で経過を見守りますが、しばらく疎遠になっていた兄がなかなか病院にやってきません。

昔からひょうきん者だった兄は、『白い巨塔』の田宮二郎よりクールな医師だった父を敬愛していて、まったくの理系音痴だったにもかかわらず、大学受験直前まで医学部を志望するほど強い憧れを持っていました。

そんな息子に、どうも上手く接することができずにいた父。慎也とは気の置けないジョークを交わす父は、兄にはどこかよそよそしい態度しかとることができませんでした。

慎也から見れば、面白い兄と面白い父で、3人で上手くやっていきたかったのに、兄の父に対するあまりに強い想いと、それが叶わぬ絶望で、ついに兄が自分たちと疎遠になってしまったことを、慎也は非常に残念に思っていました。

兄があんなに焦がれていた父が、今病に倒れこんな状態になっているのを見たら、兄はどうなってしまうのだろうか、と心底不安に思っていた慎也のもとに、とうとう兄がやってきます。

数年ぶりに会った兄は、全てを克服したような芯の強さを備えていました。医者にはなれなかったものの医療事務や医療機器メーカーの営業など、医者にかかわる仕事をこなしてきた兄は落ち着いた態度で、慎也の不安を取り除きました。

押し黙って目をつむり、不自然な音を立てて呼吸する父を目の前にしても、兄はうろたえることもなく、周りの計器を少し見回したりした後、しばらくじっと黙ってその顔を見下ろして、幾度か頷いただけだった。そして、薄い患者衣の肩にかすかに手をあてると、胸の上のタオルケットをすいっと引き上げて、その上から肉厚な手でゆっくりと、温めるように摩った。

ぼくは理解した。兄は、とっくに父を卒業していたのだ。

兄は、長い長いトンネルを抜けて、蒼く、広い空の下に出ていたのだ。ぼくは、大きな安堵感が胸を湿らせるのと同時に、大好きなシリーズ物のテレビアニメが最終回を迎えた後のような、身勝手な空しさを感じた。 

この描写、素晴らしいと思います。

 

しばらく会っていないけど、ずっと気にかかっている人っていませんか。

もしくは自分が、誰かにとってそういう存在である可能性もあります。

ずっと会っていないと、その人の情報は上書きされることなく、いつまでも"あの時のまま"です。月日が流れ、ああ、今もあのまま苦しんでいるのだろうか、とお節介な心配をしてしまったりすることもありますよね。

でも、人は様々な苦難や喜びに出会いつづけて、案外勝手に成長しているものです。自分だけが成長して、あの人は今もあそこで立ち止まったまま、なんてことはほとんどありません。

自分の知らないところで、自分にとって大切な誰かが大きく成長し変わっていくことは、どこか淋しいものですが、それでいいのだと思います。

止まりかけていた兄と父と自分との関係の時間が、また少しずつ動き始めるような最後は、とてもほっこりする、非常にいいお話でした。

 

著者の西川美和さんは、映画の脚本や監督をメインになされてる方のようです。

『きのうの神さま』は、とてもセンスのある心理描写が冴え渡った、非常に完成度の高い短編集でした。

小説を読むことの醍醐味が味わえる、優れた作品だと思います。おわり。