れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

終活で身辺整理:展示のチケットその3

前回からの続き。

2018年

ヘレンド展

ヘレンド展。ヘレンドがなんだったかはよく覚えてないけど、観に行ったことは覚えてます。

こういう豪華絢爛な感じの西洋陶器大好き。

 

ブリューゲル展

ブリューゲル展。これはそこまで印象に残ってないです。

ちょうどニートしてて暇つぶしに行ったのでしょう。

 

ヴラマンク展

2018年は初夏に転職して静岡に移住しました。そんなわけで静岡市美術館、ヴラマンク展。

展示はぼんやりとしか覚えてないですが、施設は駅前の綺麗なビルの中にあって快適な感じでしたね。

 

静岡県立美術館

静岡県立美術館。確かロダンの展示がありました。

すごく空いてて、周りに緑があっていいところでした。展示は普通。

 

MOA美術館

熱海にあるMOA美術館。展示は日本美術の何かを観ましたが詳しく覚えてないです。

夏のとても暑い日に行って、空と海が青くてソフトクリームが美味しかった記憶の方が濃いですね。

施設だけでも行く価値があると思います。

 

静岡県富士山世界遺産センター

静岡県富士山世界遺産センター。とことん静岡満喫してますね。

ここも入り口のモニュメントはじめ、建物がとてもいいです。

近くに浅間神社があって、そこも良かったな。富士宮自体はシャッター街もあって裏寂しい感じでしたが。

 

2019年

FLOWERS BY NAKED 2019

FLOWERS BY NAKED。おしゃれなもの観に行ったんだな。展示自体はそこまで覚えてないですが、ピンクのステッカーをもらいました。使ってません。

 

キスリング

東京都庭園美術館で開催された「キスリング展 エコール・ド・パリの夢」。

ラジオかネットか何かで気になったのかな。内容は毎度ながら朧げですが、ここも建物が味があって良かったですね。

帰り道に美味しいピザ屋に寄った記憶があります。

 

中島敦展

中島敦展。2019年の夏には関東平野に戻ってきました。

この展示は東急線に乗ってた時ホームに掲出されていたポスターで気になって、そのまま観に行きました。

中島敦といえば、高校時代の現代文で習った『山月記』。なかなか興味深い展示だった記憶があります。

文豪ストレイドッグス』とコラボしてたみたいで、ノベルティでクリアファイルを貰いました。今も使っています。

 

根津美術館

根津美術館。これもなんの展示を観たのかわからないチケットシリーズ。

サイトを調べると「特別展 江戸の茶の湯 川上不白 生誕三百年」を観たのではないかという気もするけど、「新創開館10周年記念 企画展 美しきいのち 日本・東洋の花鳥表現」だったかもしれなくてよく分からず。いずれにしてもそこまで印象的ではなかったのでしょう。

でも根津美術館自体の記憶は鮮明です。とても強い雨が降っていて、雨宿りしたんですよね。鬱蒼とした庭があって、設備にあった大きい傘をさして散歩しました。庭の中にあるカフェレストランは混んでいました。

 

2020年

彫刻の森美術館

彫刻の森美術館。コロナ禍の箱根ですね。もうこの辺からは最近の出来事って感じです。

世間の気がやや緩んでGoToトラベルとか言い出した時に、なんの割引もなくフツーに出かけました。

箱根登山鉄道に乗ることが目的だったので、彫刻の森美術館はたまたま入っただけでしたが、いいところでした。

ステンドグラスの塔が一番好きかな。ピカソ館にあったピカソの「質素な食卓」って絵もとても良くて覚えてます。

www.musey.net

これ、夫婦の絵だったんですね。ゲイカップルかと思ってました。確かによくみると片方女性ですね。

 

工の芸術

工の芸術― 素材・わざ・風土(国立工芸館)。祖父の葬儀で金沢に行った時に寄りました。

曇って霧雨で肌寒い冬の日に行きました。展示も焼き物系で好きな感じでしたが、ここも建物がなかなか個性的でした。

 

ミレーから印象派への流れ展

ミレーから印象派への流れ展。たまたまそごう横浜に行って気になって入ってみたのかも。

だってミレーと印象派ですよ。気になりますよね。

でも全然内容覚えてないという…。

 

ベルナール・ビュフェ回顧展 私が生きた時代

ベルナール・ビュフェ回顧展 私が生きた時代。チケットに消印がないのでいつ行ったか定かでなく、もしかしたら2021年だったかも。わりと会期ギリギリに行った記憶があります。

こんなコンビニチケットみたいな味気ない半券ですが、展示はインパクト大でしたね。ほんとピエロみが強い作品でした。面白かったです。

 

つづく。

終活で身辺整理:展示のチケットその2

前回からの続き。

2015年

パスキン展

パスキン展。全然記憶にない。

 

山口小夜子 未来を着る人

山口小夜子 未来を着る人。これは覚えてます。

地元の図書館にあった『小夜子の魅力学』が大好きでよく読んでたので、実際にポスターとか観られて良かったです。

この本、古いですがとてもおすすめです。読むと姿勢が良くなります。

 

サントリー美術館

このサントリー美術館のチケットはとても不親切で、なんの展覧会を観たのか手がかりがないです。

ネットで調べたところ「生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村」かもしくは「藤田美術館の至宝 国宝 曜変天目茶碗と日本の美」のどちらか、もしくは両方観た気がするのだけど確証が持てないです。その程度の印象しか残ってないという…。

 

アート オブ ブルガリ

アート オブ ブルガリ 130年にわたるイタリアの美の至宝。これは覚えてます。

これを観た頃、地元のジュエリー店によく営業に行っていたなぁ。受注はなかなかできなかったけど、いつも感じよく対応してくれて、美味しいコーヒーを出してくれるお店でした。

展示はジュエリーそのものももちろん美しいのですが、設計図もとても美しいのだというのが発見でした。

 

池田重子コレクション 日本のおしゃれ展

池田重子コレクション 日本のおしゃれ展。確かこんなのも観たっけ、というくらいの記憶しかないです。

 

2016年

OPAM

大分県立美術館。47都道府県の鉄道を制覇することに情熱を注いでいた頃で、ついに最後の2県である大分と宮崎に行った時に寄りました。

前情報は全然なかったので、大分の街をふらふらしてたらめちゃくちゃ大きい建造物がでーんと現れて、なんじゃこりゃと思って立ち寄ったのでした。

展示よりも建築そのものの印象が強いです。大分市の街並みってかなり整ってたなぁ。今はどうなんでしょうね。

 

アートアクアリウム2016

アートアクアリウム2016。毎度同じような展示なのにまだ行ってたんですね。

 

TOKYO DESIGN WEEK

TOKYO DESIGN WEEK 2016。私が観に行った数日後に火災事故があって、子供が亡くなったんですよね。

www.fashionsnap.com

観た展示についてはなんとなく記憶にあるんですが、もうこの事故のことで上書きされてしまった感じですね。

 

カップヌードルミュージアム

カップヌードルミュージアム。展示もさることながら、ここも建物の印象の方が強いです。ラーメンは作ってません。

 

お城EXPO 2016

お城EXPO 2016。

旅行した先にお城があると大概天守閣まで登るんですが、歴史に疎いのであんまり背景とか構造とかわかってないんですよね。それでこのEXPOを観に行ってみたんですが、ミニチュアが写真映えしたことだけ覚えてます。

 

2017年

シャガール 三次元の世界

これもとても不親切なチケットですね〜何を観たかわからない!

検索した感じはおそらく「シャガール 三次元の世界」を観たと思います。ぼんやり覚えてるので。

シャガールはそこそこ好きですが、それはハハが画集を持っていて小さい頃見せられた影響もあるかもしれません。

 

たばこと塩の博物館

墨田区界隈を散歩していた時、たまたま見つけて入った「たばこと塩の博物館」。

たばこのパッケージとか、ちょっと昭和レトロな感じもあってなかなか面白かった記憶があります。

煙草はしばらく吸ってません。

 

怖い絵展

怖い絵展。行きましたね〜、多分テレビで見たのだと思います(また『美の巨人たち』かな)。

すごく混んでました。絵よりも人混みの印象が強いです。入場に並んだなぁ。

やっぱりこのチケットの絵(レディ・ジェーン・グレイの処刑)がとてもいいですね。

 

***

 

2015〜2017年といえば、前の会社で営業マンしてた頃です。

おそらく社会人になってから一番人と話す仕事してた時期だと思いますが、それがさほど自身に影響を与えてない感じがしました。

つづく。

終活で身辺整理:展示のチケットその1

先日、夜眠れなくてTwitterをだらだら見ていたら下記の記事を見つけました。

「富士山噴火と巨大地震」リスクが巨大になると人は思考停止に:日経ビジネス電子版

なるほどこれを読むと、2030年から2040年までの間に、南海トラフ巨大地震というとてつもない災害がかなり高い確率で起き、その合間に富士山噴火と首都直下地震が加わるらしいです。

そんな天変地異を生き延びられる自信は全くないので、ひとまず自分の寿命は長くてあと8年〜18年くらいだと定め、いわゆる終活、身のまわりを整理することにしました。

 

といっても、私は普段からどちらかというとミニマリストで、あまり余計なものは持っていません。

コンマリ先生の本も読んで断捨離もしています。

コンマリメソッドでは、一番最後に手をつけるべきというのがいわゆる「思い出の品」系で、私はこれまでこのジャンルは手をつけていませんでした。

改めて考えると、思い出の品ほど個人的で、取っておいてもどうしようもないものもないですよね。毎日使うものでもないし、たまに見返しても役に立つ訳でもない。

 

私がこれまで深く考えもせずに取っておいた思い出の品の1つが、美術展や博物展のチケットです。

なぜ捨てずに取っておくようになったのか、経緯は全然思い出せないのですが、気がついたら結構溜まってました。

ここ数年はWEBチケットも増えたので、そこまで量は多くないですが、この際写真を撮って振り返ってみようと思います。そして処分していくことにします。

 

2012年

数ある中でどうやら一番古いのがこちらでした。

大塚国際美術館

徳島にある大塚国際美術館。2012年の3月に行った記憶があります。大学の卒業旅行で西日本をぐるりと旅した時、最初の目的地がここでした。初めて夜行バス乗ったなぁ。というか夜行バスはこの時しか乗ってないかも。

世界の陶板名画が展示されていて、だいたい美術史に沿った順番で並んでました。

ずーっとお綺麗な西洋美術が続いていた中に、ドカンと突如ピカソの絵が登場した時のインパクトがすごくて、ピカソってまじで天才だったんだなと思いました。

なかなか辺鄙な場所にあるけど、いいところだったなぁ。

 

2013年

ミュシャ展

ミュシャ展ってわりと頻繁にあちこちでやってるイメージあります。この時はテレビ(『美の巨人たち』かな?)か何かで見て興味を持って観に行った気がします。

ミュシャの絵ってオシャレですよね。イラストとして好きって感じでしたが、今はそうでもないかな。

 

夏目漱石の美術世界展

夏目漱石の美術世界展、これはとてもよく覚えています。

夏の暑い日、東京藝術大学大学美術館の入り口に向かって歩いていたら、前方からやってきたマダムに「あなたこれから観にいくの?よかったらこれ貰ってくれないかしら」とチケットを渡されたんです。

一緒に行くはずだった方が来られなくて無駄になっちゃうから、よかったら使ってと。

こんなことは初めてだったので驚きましたが、嬉しかったです。ありがたく頂戴して展示を観たのでした。

展示もすごく面白かったです。ここで出会ったミレイのオフィーリア(この展示では本物は飾られてなかったですが)が好きになり、いつか実物を観たいと思っていたら後に別の展示で拝めました。

 

三菱一号館美術館名品選2013

三菱一号館美術館名品選2013。印象派の展示だったみたいですが、あまり印象に残ってないです。

印象派の絵は基本的に好きですけどね。気が向くと今でもちょこちょこ観に行きます。

 

 

2014年

大浮世絵展

大浮世絵展。これもテレビか何かの影響で観に行ったのかも。そんなに記憶にない。

 

江戸桜ルネッサンス

江戸桜ルネッサンスアートアクアリウムのですね。春夏と立て続けに行ったみたいです↓

 

アートアクアリウム2014

アートアクアリウム2014。

今ではすっかりお馴染みのアートアクアリウムですが、この頃はまだ新鮮な感じで観てました。

 

ラファエル前派展

ラファエル前派展。ここで先述のミレイのオフィーリア実物を見ました。

 

特別展「医は仁術」

特別展「医は仁術」、これもとても記憶に残ってます。すごく面白かったです。

人間って有機的な機械なんだ〜って感じ。胎児の展示とかほんと面白かったなぁ。また観たいです。どこかでリバイバルしてくれないですかね。

 

特別展 超絶技巧!明治工芸の粋

特別展 超絶技巧!明治工芸の粋。これも良かったです。どれも本当に粋で実に美しかったです。茶道を習ってたので茶道具を観るのが特に好きで、これ以降似たような展示を見つけると結構行くようになりました。

 

特別展 ガウディ×井上雄彦 シンクロする創造の源泉

特別展 ガウディ×井上雄彦 シンクロする創造の源泉。あーこういうのもあったなぁって感じです。あんまり細かくは覚えていません。

 

足立美術館

島根にある足立美術館は、新卒で入ったメーカーを退職した後の記念旅行で立ち寄りました。展示よりは庭園を目当てに行きましたが、横山大観の作品を観た記憶があります。もちろん庭園も素晴らしかったです。

 

***

 

まずは2012年から2014年までを振り返ってみました。

この頃はまだ地元に住んでいたので東京は今ほど近くないんですけど、結構色々観に行ってたんだな〜とちょっと驚きです。

こうやって振り返ると、チケットが残っていようがいまいが、覚えているものはよく覚えているし、記憶にないことは全然思い出せないという、当たり前のことが再認識できました。つづく。

人の人生を知らないあなたへ:『みんなのうた』

複雑な面白さを持つ漫画に出逢いました。

見ていてどことなく不安になる絵柄や、若干引くほど不幸な登場人物たちが織りなす群像劇が不思議な可笑しみをはらんでいて、なかなか癖になりました。

 

主人公の枯巣公志(33)は個人タクシードライバーで、退屈な自分の人生に張り合いを出すために、タクシーのトランクに自死できる規模の爆弾を積んでいます。

僕は望みどおりに行動して 望みどおりの生きかたをしている

じゃあ今の僕は幸せか?

イヤ…人生に飽きている…

だったら自分で張り合いをつくるしかない……

青野春秋みんなのうた講談社2022.4.20)

いつでも死ねる切り札をもつことで、自分の人生に張り合いを持たせようとする思考は結構共感できました。

終わりの見えない仕事だとやる気が湧かないけど、退職日が決まった瞬間軽やかな気持ちになり、あれほど面倒だった業務も普通にこなせるようになる、みたいな。

いずれ自分と関わりがなくなることがわかっているものへの、無責任になれる楽さ。

終わりがコントロールできることで生まれる前向きな気持ち。

 

枯巣がどうやって爆弾を手に入れたかは不明ですが、先日世間を賑わせた元首相銃撃事件の犯人は銃を自作したそうですよね。

いままでまったくそういう発想が無かったので知らなかったですが、銃って手製できるんだ〜とちょっとした発見でした。

銃で死ぬという選択肢も(大変だとは思うけど)あるんだなぁと。日本にいながらでも。

 

***

 

トランクに爆弾を載せたところで枯巣の人生に一気に張り合いが生まれたかというと、まったくそんなことはないです。

ただ、たまたまタクシーに乗せた劇団員のアルバイト・目白有希子(28)から演劇のチケットをもらったり、たまたまタクシーに乗せたAV監督・阿尾地拓(37)の思いつきに巻き込まれたついでにAV女優の川島鈴芽(24)と観劇デートすることになったり、たまたま出会ったソープ嬢・林𣴎美(20)が詐欺師に騙されていることを知り、放っておけなくて元ヤクザのチンピラ・途毘陽平(33)を問いただすうちに一方的に友達扱いされたりと、

それまで家族も友人もなく静かで退屈だった枯巣の日常がざわつき始めます。

 

枯巣も含めたこの登場人物6名が、ほんとそれぞれどこかネジが外れた(もしくは外れかけてる感じの)思考回路を持っていて、でもすごく親近感が湧いて憎めなくて、それでもって皆不幸なんです。

しかもその不幸が結構皆引くレベルでエグくて、飲み会とかで話を聞いたら場が凍るタイプの笑えない不幸です。

そんなに不幸なのに、この独特のタッチで描かれると、ちょっとクスッとしてしまったり。これは作者の才能ですね。

「笑いに昇華する」とかそんなレベルではないです。別に大爆笑できるような物語でもないし、ギャグ漫画になっているわけでもない。エピソードだけ読んだらほんとにただただ不幸なだけです。

でも、その悲惨さを絶妙に可笑しく描いています。これはぜひ読んで体感してほしい感覚です。

 

不幸って、笑い飛ばしてもらったほうが楽になるタイプもあれば、笑った奴は全員殺したくなるようなタイプもあるので、何でもかんでもライトに描けばいいってもんでもないじゃないですか。

でも、ただ同情して悲しい顔をされてもやっぱり救いは全然ないとも思うので、結局はこうして物語化してエンタメにするのがいいのかもなーと思いました。

不幸があってはじめて物語に奥行きが出ますからね。

 

***

 

イヤな奴だと思いつつ、元ヤクザの途毘が結構好きです。絶対関わり合いたくないけど、物語をうんと面白くするキーマンです。

さすが詐欺師として稼いでいるだけあって、他人の心を揺さぶるのがとても上手い。

特に好きなシーンが、枯巣との2回目のタクシードライブで奥多摩に行くところです。

何故タクシーに爆弾を積んでいるのかを訊かれた枯巣が「死は救済」と言い放ったとき、途毘は核心をついてきました。

「枯巣ちゃん あんたはまず誰かの人生に深く関わるべきだ…

人の人生を知らない独りよがりのナルシスト野郎だからな……」

「…ナルシスト野郎?

なんでそんなことがわかる…僕のコトをほとんど知らないだろう?」

(同上)

確かに途毘は枯巣のことを全然知らないですが、それでも枯巣は“人の人生を知らない独りよがりのナルシスト野郎”に他ならないのです。

そして枯巣も図星だったので、途毘のこの言葉が心に残っており、1巻終盤で川島鈴芽に告白された際に背中を押されOKをしたのでした。

うーん、途毘、恐るべし。

 

まあでも、枯巣や私のように、家族も友人も(もちろん恋人も)いない人生を長年送ってきた三十路過ぎなんて、すべからく“人の人生を知らない独りよがりのナルシスト野郎”になってしまうと思いますね。だからこの台詞は刺さる人多いんじゃないかなーと思います。

そしてこの救いのない言い回しがやけに気に入ってしまいました。自己紹介文に使いたい(自己紹介する機会がないけど)。

 

独りよがりの、夢も希望もない毎日を送っている人間が読んで、何か救われる漫画ではないかもしれません。

ただ、エンタメとして、物語として面白く、漫画としてもじわじわ効いてくる妙作だと思います。おわり。

プレゼント・デイ、プレゼント・タイム:『serial experiments lain』

梅雨のせいか、最近ほとほと疲れていて、死ぬことばかり考えてしまいます。

仕事は全然暇だし、フレックスだから好きな時間に起きて好きな時間に眠れるのに、なんでこんなにしんどいのか。

死にたみがあるのは物心ついたときからですが、近頃は飛び降りが一番いいかしらなんて考えるようになりました。

そんな折、『serial experiments lain』を鑑賞しました。

アニメ界では知る人ぞ知るSF作品、らしいです。

1998年にテレビ放送されたそうですが、これを地上波で放送するって、90年代ってほんといろいろザルだし病んでた時代なんだなと思いました。

あらすじは以下。

ネットワーク社会。今よりも多少未来の東京のこと。

情報端末NAVIが普及し、テレビと同じくらいに

メディアとしての力を持っている。

人とコミュニケートするにはネットワークを通してがあたり前という時代。

NAVIを通して誰かと「つながる」ことで、

無意識に「安心」という買い物をする、そんな時代。

渋谷に遊びに行ったり雑貨を買い集めたりするのと同じ様に、

まったく自然に携帯NAVIを使いこなす少女たち。

学校での噂話や流行の情報をやりとりする、

そんな彼女たちにとってNAVIは

友達と自分を結び付ける手段としてなくてはならないもの。

肥大化した記録や情報と、拡大していくネットワーク。

現実世界での自分とは違う人格を設定して

ネットワークで行動することはもちろん、

ネットワークの世界でしか存在しない「人種」も生まれ始める。

そして、やがて現れたのは、それを操作し、

コントロールすることに利益と野心を見いだす者たち。

リアル・ワールドで、ワイヤーで、 彼らは動き始める…。

公式サイトより)

1話の冒頭で、主人公・玲音の同級生の女の子が雑居ビルの屋上から飛び降りるんですが、このシーンが結構好きです。

ああやって柵に片手でつかまって、組体操の端っこの人みたいな体勢でスタンバイすれば、少しは恐怖が薄れるかなぁとイメトレしてみたり。

あの体勢からきちんと頭から落ちられるんですかね?人間の体って頭が一番重いというし。 側転みたいにくるくる回転してしまうことなんてないよな…

こういうとき物理学の知識が必要になるのだなぁと思いました。もっときちんと勉強しておくんだった。(参考ページ

 

正直言って物語の内容はあまり理解できませんでしたが、観終わった後の余韻もいいし、記憶に残る雰囲気アニメとして結構好きな作品でした。

主人公の玲音ちゃんも可愛いし。

既視感のある作風だと思ったら、監督がWOWOW放送版『キノの旅』と同じ中村隆太郎氏でした。

雰囲気が似てます。好きだったなぁWOWOW版キノ。

中村監督、2013年に癌でお亡くなりになっていたんですね。知らなかったです。

 

***

 

玲音ちゃんの台詞で「なるほど」と思ったものがありました。

「人は 人の記憶の中でしか実体なんてない

だから いろんなあたしがいたの

あたしがいっぱいいたんじゃなくって いろんな人の中にあたしがいただけ」

12話に出てくる玲音ちゃんの独白です。

自分の知らないところで"lain"が誰かをそそのかしたり悪戯したりしている。

玲音ちゃんは人から聞かされる"レイン(玲音、lain、れいん)"の話に混乱し、

自分が誰で、どこにいるのかわからなくなります。

レインはもともとプログラムなので、確かに実体なんてないのです。

けどそれは、我々肉体を持つ人類も、実はさほど変わりないのかもなと思いました。

 

私がこの肉体をもって実感している「今日、いまここにいる」私と、

同級生の記憶の中に残っている私も、

家族や親戚の記憶の中にいる私も、

同僚の記憶の中にいる私も、

みんなバラバラで、別々の実体なんですね。

私が今この体を投げだして、この実体を終わらせたとしても、

いろんな人の中にいる私は情報の影響(更新)はされても消滅はしないんでしょう。

 

いろんな人の中の私が消滅するのは、その人の記憶から消えるか、その人自体が消えるときだけ。

結局のところ、私が私の命をどう扱うかは、

私自身の認識する私の実体にのみかかっているんですね。

思いがけず救われたような気分になり、どこかほっとしたのでした。おわり。

 

***

OPはほんと名曲ですね。lainを観ようと思ったのも、わしゃがなTVで星野源さんがこの曲を紹介していたからなのでした。


www.youtube.com

 

Duvet

Duvet

  • Nettwerk Music Group
Amazon

 

今月一番思考を持っていかれた『売れっ子漫画家×うつ病漫画家』

先日の亜獣譚エントリにも書きましたが、pixiv漫画『売れっ子漫画家×うつ病漫画家』がマインドをえぐりまくりでどえらいハマっています。

www.pixiv.net

売れっ子とまではいかないまでも、誠実にいい作品を描いて賞なども獲っていた漫画家・古印葵こと福田矢晴は、編集者との齟齬などから精神に不調をきたします。

いつしか矢晴のアパートはゴミ屋敷となり、矢晴はアルコール中毒にもなり、当然ながら漫画も書けず、貯金は底をつき、文字通り死にかけます。

そんななか、あるきっかけで古印葵の大ファンだという売れっ子漫画家・望海可純こと上薗純と出会うや否や、純はかつて憧れていた古印葵の変わり果てた姿に驚愕し、度を越した庇護欲をもって彼を自宅に居候させます。

こうして売れっ子漫画家の、うつ病漫画家への献身的で倒錯的な看病の日々が始まるのですが…。

 

まずはですね、矢晴の言葉の力にとても引っ張られます。

私はうつ病って、普段人が見ないようにしている真実から目を逸らせなくなる病気って感じがするのですが、矢晴はまさにみんなが忘れたふりしている「本当のこと」を的確に言い当てていると思います。

「愛されない弱者を救う方法は

強者の中で他人を愛する才能のある人が多数派になれば解決する話ですが

強者の中身なんて普通の人と同じで

全員へ老婆心を持ち合わせてるわけじゃないから解決しませんよね

好きなものしか愛せないのが人間の弱さですから」

 

(溺英恵『売れっ子漫画家×うつ病漫画家』pixiv)

「愛されない弱者」っていうのはキーワードのひとつですね。

矢晴は純と出会ったことで「愛された弱者」となれたわけですが、もし純との出会いがなかったら、あのまま衰弱して死んでいたでしょう。

愛されたって救われずに死んでしまう人もいますが、愛されない弱者はもっと悲惨な死に様になるよなぁと思いました。

きっと私も死ぬ時は「愛されない弱者」としてくたばるに違いないです。

 

***

 

まだ矢晴が元気だった頃のシーンも印象的でした。

出版社のパーティーにて壇上で挨拶する矢晴の台詞は、その後の彼の転落を思うとものすごく切ないです。

「ーーきれいだな 忘れたくないなと思ったものをカメラで撮るのが日課

漫画も

忘れたくないと思ったモノや感情を取り込んで形にしてます

それがたくさんの人に読まれたり褒められたりすると なんだか不思議な気持ちです

とても嬉しいです」

 

(同上)

このときのウブな矢晴の横顔が可愛くて…。ああ切ない。

私もカメラ付きのガラケーを持った思春期の頃からずっと「きれいだな 忘れたくないなと思ったものをカメラで撮るのが日課」です。最近はフィルムカメラでも撮ってます。

でも、仕事やなんやで心が荒んでくると、いつの間にかカメラを起動しなくなるんですよね。

すっかり病んでしまった矢晴も、写真なんてずっと撮っていないです。

スマホ社会になって一億総カメラマンみたいな時代になってますが、案外こういうことも健康のバロメーターになっているのかもしれません。

 

***

 

矢晴には共感する部分も多いのですが、純のほうは少し超人的なところがあって、共感というよりはハッとさせられる発言が多いです。慧眼、という感じ。

「暴言って動機に下心がありがちだし

その瞬間は自分がスッキリするけど人類にとってそんなに必要ないし」

(人類…)

 

(同上)

ほんまその通りやな、と思いました。

私は結構短気なので、すぐ苛立ってトゲのある言葉を吐いてしまうのですが、それが人類にとって必要かと考えると、全然必要ないなって感じです。

暴言を吐かれるのももちろん嫌ですが、吐いて一時的にスッキリしても、結局響きが残って後味悪いんですよね、暴言って。

悪口はセンス良く言えば笑いに昇華できることもありますが、暴言は文字通りただの言葉の暴力で、暴力はどう転んでも笑えないわけです。

 

別のシーンで、合コンについての持論も興味深かったです。

「……それに合コンとか婚活とかさ

人間が人間を品定めする場面を見るのがしんどいんだよね

私も他人を品定めするの気分悪いし

品定めしなきゃいけない場所なのは分かるんだけどさ」

 

(同上)

「人間が人間を品定めする場面を見るのがしんどい」。ほんと、それな、略してほんそれ(何)。

前の職場で婚活イベントやるたびに感じていたなんともいえない徒労感はこれだったんだなぁと腑に落ちました。

同じような理由で就職面接も苦手です。それこそ品定めしなきゃいけない場面ですけどね。

 

何故人間が人間を品定めする場面を見るとしんどくなるのかっていうと、やっぱり自分が品定めされた時に感じる、自分の底が割れたような居心地の悪さとか不当に評価された時の怒りと失望などを思い出してしまうからですかね。

なんかもー好きにさせてくれ、ほっといてくれって気分になりますよね。

その一方で、好きなものしか愛せない弱さも併せ持ってるのだから、人間ってタチが悪いなーとあらためて思ったのでした。

 

さらにさらに、しばしば我々が自己嫌悪に陥る己の“ガキっぽさ”に対しても、純の慧眼は役に立ちます。

「人間ってみんなもともと子供だろ?

子供の性質は人間の持って生まれた性質だよ

性質は成熟過程で薄まりはしても消えはしない

みんな死ぬまで持ってる 君も私も」

 

(同上)

間寛平のギャグ「いくつになっても甘えん坊〜」もまったくこの理論なわけです。諦めようと思いました(白目)。

純って視座が高いですよね。人間とか人類とか、広く一般化して物事を見ています。

そういう視座の持ち方は、かえって矢晴のような病人と対峙するときはいいのかもしれません。不用意に引き摺られずに済むし、落ち着きを失わなそう。

 

***

 

最後に、現時点での最新話に大きな山場があるので、そこに触れたいと思います。

純が「矢晴には」危害を加えないということから発展して、その純の物言いに激昂した矢晴の怒涛の反論が、なんかもう、すごすぎました(語彙力)。

「考えろ!!どうして四階はクソになったか?

不出来を他人に助けてもらえず壊れていったからだ

誰かが助けないと自分の中に助けるべきものがあることすら人間は気付けないから!

不出来が原因で歪んだ思考が人に嫌われる言動として発露したら誰もそいつを助けようと思わない!

誰も止めないと壊れた車になる!

修理されない車は歪みは増えても減ることはない!

歪みが増えれば増えるほどもっと止められなくなる!誰も助けない!

私もお前もだぞ!

自分の中に必ず壊れた車がある!

いつかなにかの歯車が狂って私も四階になるかもしれない!

なにも考えずになにが「矢晴には」だ!!」

(中略)

「そんなにたくさん他人の人生を考えられる人が 四階みたいになるもんか!」

「なにが再現だ なにがならないだ お前の低解像度でモノを語るな!

(中略)

お前だってなにかのかけ違いでこっち側にくる未来がどこかで待ってるぞ」

 

(同上)

四階というのは矢晴たちが出会った出版社の嫌われ社員です。四階が矢晴の漫画をボロクソに言ったところに純が来て、四階にバチバチの精神攻撃を仕掛けて撃退したのでした。

四階みたいなクソ野郎に対して、どうしてそのような人間になってしまったかに思い至る矢晴の想像力も確かにすごいですが、言われてみれば確かにそういうものだよなと納得しました。

 

よく、ブスに生まれたり出来のいい兄弟と比べられたりすると、心無い言葉をたくさん言われて育つので、その中で性格が歪んでしまう、みたいな話ってありますよね。

別に醜い容姿や劣等感だけじゃなくて、人間の心を殺しにくる事象ってたくさんあります。そんな何かに傷付けられて、誰も助けてくれなくて、さらには自分が傷ついてることにも気づけなくて、歪んで壊れたまま生き続けると、四階みたいなクソ野郎に成り下がってしまう可能性も、誰しもが持ち合わせているのかもしれません。

 

まあ、それに思い至ったところで助けてやる義理はないし、とっとと逃げたほうがいいんですけどね。

私もすでに壊れたまま走り続けて歪みきってしまった車を何台も所持しているのかもしれません。

廃車手続きしたいんですけど、どうしたらいいですかね。おわり。

濃い漫画:『亜獣譚』

先日Twitterでトレンド入りしていたpixiv上のWEB漫画『売れっ子漫画家×うつ病漫画家』が面白くて、どハマりしました。

www.pixiv.net

この漫画を"趣味で"描いているという作者の溺英恵氏は、商業漫画家・江野スミ(朱美)先生としても活躍されているそうな。

そこで江野スミ作品も読んでみよう!と手に取った『亜獣譚』が、熱量高すぎてこれまたすっかりハマってしまいました。

あらすじは以下。

第3回 次にくるマンガ大賞 Web部門入賞。

 

その愛には獣の臭いが染み付いていた——

 

男の名はアキミア。

職業、害獣駆除兵。

女の名はソウ。

職業、衛生兵。

 

獣を喰らう男と愛を知る女、

この二人の出会いの先にあるは安寧か破滅か…。

鬼才・江野スミが描く新境地、ハードアクションファンタジー開幕!

裏サンデー作品ページより)

セリフの一つ一つ、登場人物のキャラクター性と彼らそれぞれのエピソードの一つ一つがめちゃくちゃ濃く・重く・強烈で、面白いけど読むのに気力を使いました。

画力も素晴らしく強くて、読み終わった第一印象は「とにかく濃い漫画だったなぁ」でした。

 

愛と友情、正義とは何か、善と悪、正常と異常、性についてetc...

内包されているテーマもてんこ盛りです。むしろ全部のせって感じ。

なのですが、

ラストはやさしいハッピーエンドで、後味はとてもさっぱりしているのです。不思議~。

 

読んでいる間はとにかく物語に引き込まれて、同時に登場人物たちと一緒にあれこれ考えさせられるんですが、

読み終わった後は「あ~面白かった」ってあんまりうだうだ考えなくて済んでます。

少しもったいない気持ちもしましたが、あくまでエンタメに徹した作品なのかもしれません。

 

最近仕事や親族関係で煩わしいことが多々あり、とにかく2次元に逃げ込みたい気分なので、

思考を根こそぎ持って行って没頭させてくれる、強烈に面白い作品というのがとにかくありがたいです。

おかげさまでこの数か月は面白い漫画にたくさん出会えているので、なんとか生き延びられています。

 

***

 

この作品はとにかく世界観や設定が山盛りなので、一つ一つ掘り下げると何時間あっても足りない感じなのですが、

個人的に「おお」と思ったのは、中盤から出てくるエドゥルという国のあり方についてでした。

主人公・アキミアたちの暮らす国・ノピンよりも数段科学技術が進んでいるエドゥルには、人間と遜色ないアンドロイドが1,000万人暮らしており、オーガニックな人間は1,000人しかいません。

古風な街並みですが、目に見えるもの全てはインターネットにつながっていて、センサーで位置情報が常に取得されています。

 

国の人口の大半を占めるアンドロイドの中には、他国で死亡した後に献体として運ばれエドゥルの蘇生術を受け、オーガニックな人間だった頃の記憶を受け継いだままアンドロイドとなった人もいます。

かつてアキミアの幼い頃、彼の目の前で殺されたシュンカ姉ちゃんもその一人。

 

14年ぶりに再会したシュンカ姉ちゃんに、なぜノピンに帰国しないのかとアキミアは問いました。

その答えは「そっちの国の法律じゃ 身体のほとんどが人工物の人間は 生きてる人間だって認めてくれなくてさ」というものでした。

だから死亡届を取り消せないし、戸籍も取れないから家も借りられないと。

 

哲学の思考実験そのもののストーリー展開でした。久々にこの感覚を味わいましたね。

4巻の終盤でこのエドゥルのあり方とアンドロイドと人間の違いについての会話シーンが出てくるのですが、実に興味深いです。

オーガニックな人間がお年寄りに席を譲るのは「親切」で、アンドロイドがお年寄りに席を譲るのは「模範的で教科書通り」と捉えられるとか。なるほどなぁ。

オーガニックな人間だって思考せずに機械的に行動することだってあるのに、オーガニックな人間であるというだけで、行動は心情(動機)と結び付けられてしまうんですね。

アンドロイドはその逆で、心の働きから生まれた行動でも、プログラム処理の結果としか思われない。

 

さらに、オーガニックな人間が人口減少した社会で、「人権のない働き手がほしい」企業がエドゥルからアンドロイドを買っていくという話も面白いです。

アンドロイドには人権がないという前提があると、エドゥルのようなアンドロイドが多数の国はただの「工場」にとどまり、独立した国になりきれないと。

人権を持つアンドロイドと人権を持たないアンドロイドが両方存在するのかもしれないけど、その境界線って何を持って定義するのか?答えは果たしてあるのでしょうか。ああ面白い。

 

アンドロイドの人権はセンシティブな問題ではあるけれど、私はエドゥルみたいな国があったらそこで暮らしてみたいなぁと思いました。

人権があるはずのオーガニックな人間を人権無視して働かせる企業が横行する現代日本みたいな国よりは、人口の99.99%がアンドロイドで福祉が充実しているエドゥルの方がはるかに暮らしやすそう。

 

***

 

エドゥルの話は物語の本筋というほどでもないんですが、その1エッセンスを取り出すだけでも楽しい作品でした。

これだけ色々詰め込まれているので、読んでいる間脳みそは絶えず刺激を受け続けることができます。

それでいて、最後は爽やかに優しいハッピーエンドなんですから、実に素晴らしい優れたエンターテイメント作品だと思います。

笑えてヌけて思考実験できる、地獄と天国の両方を味わえる濃ゆ〜い漫画でした。おわり。