最近ひたすら読んでた漫画が山口つばさ『ブルーピリオド』。
読めば読むほど自己を内省したり過去を反芻したり、思うことがたくさんある作品でした。
Amazonの無料セールで読み始めましたが、マンガ大賞を受賞していたりアニメ化が決まっていたり、かなり有名な作品のようです。
物語のあらすじは以下。
成績優秀かつスクールカースト上位の充実した毎日を送りつつ、どこか空虚な焦燥感を感じて生きる高校生・矢口八虎(やぐち やとら)は、ある日、一枚の絵に心奪われる。その衝撃は八虎を駆り立て、美しくも厳しい美術の世界へ身を投じていく。美術のノウハウうんちく満載、美大を目指して青春を燃やすスポ根受験物語、八虎と仲間たちは「好きなこと」を支えに未来を目指す!
(講談社コミックプラスより)
面白くて10巻まで読みました。
私が通っていた高校は地方の公立進学校です。
芸術科目は美術と音楽と書道の3つから1つを選択する形式で、私は3つの中では音楽が一番得意だったので、音楽を選択しました。 何の努力をしなくても、絵を描くよりは歌ったり楽器を演奏したりする方が上手くできました。
小さいころから誰に何を言われなくてもお絵描きはずっとしていましたが、ある一定レベルには達していないことは小学生の頃に気づきました。 市か何かの小さいコンクールで佳作レベルの賞を獲ったこともあるけど、まぐれのレベル。
中学でも美術の成績はよかったけれど、それは絵がうまいというより美術の先生になぜか気に入られていたということのほうが大きいかも。
そんなわけで15歳以降、絵画を学ぶ機会はほぼありませんでした。自主的にしていたお絵描きも、歳を重ねるごとにほとんどしなくなりました。
だからというわけでもないですが、絵を描くことがこれほど大変だとは想像していませんでした。
同級生の中には美大を受験する子もいて、そんな彼女らを当時の私は「学科を頑張らなくてもいいんやね~」くらいにしか思ってなかったです。今思い返すと、めちゃくちゃ失礼な話です。
10代の私はそれくらい、”数学や英語でトップをとり、先生をはじめとする周囲の大人たちを喜ばせること”ばかりに価値観の物差しが偏っていました。
本当に、驚愕するほど視野の狭い子供だったのだと再認識しました。
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主人公の八虎はすごくまじめで素直で、少し洒落っ気がある少年です。
なんでもそつなくこなして周囲の期待に応えるのが上手いけど、ある日美術室で先輩の絵画に心を打たれて絵に目覚め、そこから絵を描くことを通して自分や周囲を見つめなおしていきます。
それまでどことなくつかみどころのなかった八虎が急に「美大を目指す」と予備校に通い始めたことで、感化された友人の恋ちゃん(やくざにスカウトされるほど強面だけど超優しい子)が製菓専門学校への進学を決めた話はめちゃ泣きました。いい話だった・・・。
八虎ってすごく”応援したくなる子”なんですよね。
一所懸命で、気遣いもできて、弱さも強さも兼ね備えている。人に好かれることのなんぞやを、八虎を見てるとすごく感じました。
その応援したくなる感じは藝大の受験がピークで、藝大入学後のストーリーはまた趣向が少し異なり、なかなかつらい感じでした。
受験ってものすごくわかりやすいコンテンツなんですよね。確かに藝大受験は試験内容の運による部分も大きいけど、受験自体はゴールが明確で、合格に向かって努力するしかない明瞭な道筋があります。
でも大学に入学した後は「絵画である意味」とか「何を選択して何を選択しないのか」とか、正解がない迷宮のような問ばかりで、現実社会と何ら変わりない。
受験でひたすら合格を目指してきた人ほど思考が迷子になるし、この足場がない感じはきついと思います。
そんな五里霧中な八虎が、予備校時代からずっと気にかけている天才・世田介君とすったもんだあり、最初に絵を選んだときのことを思い出すまでの流れもかなりドラマティックでした。
自分が表現したかった、言いたかったことを、自分の描いた絵を見た人が気づいてくれた時の喜び。
進級制作の講評シーンで教授の一人が言っていましたが、アートはコミュニケーションの一つの手段なんですね。
音楽もプログラミングも数学も、小説もブログもInstagramも、
自己表現のひとつの手段で同時にコミュニケーションの手段なんですよね。わかってはいたつもりだけど、ついつい忘れがちかもしれないと思いました。
私は「別に自分は誰にも理解してほしくない、誰かに言いたいことがあるわけじゃない」とか言いながら、ずーっと何かを書き続けて撮り続けて歌い続けています。
私にとって一番何かを伝えたい相手は昔から”これ(日記とか写真とか)を見返す未来の自分”ですし、それ以外の他人に伝わるかはとても疑問ですが、でもやっぱり少しでも伝わったと感じたらきっと嬉しいだろうなと思いました。
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なんか他にもすごく色々考えて書いておきたいことがあったような気がしたんですが、情報量と熱量が多過ぎて全然まとまりそうになくて諦めました。それくらい非常に多くのテーマを含んだ漫画でした。
この漫画を読むと、美術館に行きたくなります。久々に2つ企画展を見てきました。
www.artizon.museum↑これ(STEPS AHEAD: Recent Acquisitions 新収蔵作品展示 )と、
www.yokosuka-moa.jp↑これ(みみをすますように 酒井駒子 展)。
どちらも良かったです。
構図とか色んな技法について漫画で学んだので、最初はそういう観点も意識しながら見ていましたが、最終的にはいつものように「これいいな、好きだな」か「これはよくわからないな」という非常にシンプルな感想に落ち着くのでした。
私が美術館や博物館によく行くようになったのは大学生以降です。多分単純に暇な時間が増えたからだと思いますが、もっと幼い頃からたくさん行っておけばよかったなぁと漫画を読んで感じました。
なんのためにアートを観るのか深く考えてこなかったけれど、いろんな作品に触れて自分の「好き」がわかると、自分自身への理解も深まるし、同時に他人の多様な価値観を感じることもできるんですよね。
同じ教室、同じ職場、同じ家で、同じようなことをして同じような価値観の中でだけ社会生活をしていると、ただでさえ人間には多くの認知バイアスがあるのに、さらに偏りが大きくなってしまう。
もちろん今いる場所や今ある関係性が心地いいなら、無理に奮起してそこから飛び出す必要はないとも思います。
でも、私は別に心地いいわけではなかったんです。ただ、価値観そのもの(在り方)に言及するような、メタ的な思考や客観性を全く持っていなくて、見ておいた方がいいことが見えてなかった。だから異常に視野が狭かったんです。
もしかしたら、そのせいでいろんな人を傷つけてきたのかもしれません。
きっともうその人たちに会うこともないでしょうけれど。おわり。