れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

視界のひらけかた:『ブルーピリオド』

最近ひたすら読んでた漫画が山口つばさ『ブルーピリオド』。

読めば読むほど自己を内省したり過去を反芻したり、思うことがたくさんある作品でした。

Amazonの無料セールで読み始めましたが、マンガ大賞を受賞していたりアニメ化が決まっていたり、かなり有名な作品のようです。

 

物語のあらすじは以下。

成績優秀かつスクールカースト上位の充実した毎日を送りつつ、どこか空虚な焦燥感を感じて生きる高校生・矢口八虎(やぐち やとら)は、ある日、一枚の絵に心奪われる。その衝撃は八虎を駆り立て、美しくも厳しい美術の世界へ身を投じていく。美術のノウハウうんちく満載、美大を目指して青春を燃やすスポ根受験物語、八虎と仲間たちは「好きなこと」を支えに未来を目指す!

講談社コミックプラスより)

面白くて10巻まで読みました。

 

私が通っていた高校は地方の公立進学校です。

芸術科目は美術と音楽と書道の3つから1つを選択する形式で、私は3つの中では音楽が一番得意だったので、音楽を選択しました。 何の努力をしなくても、絵を描くよりは歌ったり楽器を演奏したりする方が上手くできました。

さいころから誰に何を言われなくてもお絵描きはずっとしていましたが、ある一定レベルには達していないことは小学生の頃に気づきました。 市か何かの小さいコンクールで佳作レベルの賞を獲ったこともあるけど、まぐれのレベル。

中学でも美術の成績はよかったけれど、それは絵がうまいというより美術の先生になぜか気に入られていたということのほうが大きいかも。

そんなわけで15歳以降、絵画を学ぶ機会はほぼありませんでした。自主的にしていたお絵描きも、歳を重ねるごとにほとんどしなくなりました。

 

だからというわけでもないですが、絵を描くことがこれほど大変だとは想像していませんでした。

同級生の中には美大を受験する子もいて、そんな彼女らを当時の私は「学科を頑張らなくてもいいんやね~」くらいにしか思ってなかったです。今思い返すと、めちゃくちゃ失礼な話です。

10代の私はそれくらい、”数学や英語でトップをとり、先生をはじめとする周囲の大人たちを喜ばせること”ばかりに価値観の物差しが偏っていました。

本当に、驚愕するほど視野の狭い子供だったのだと再認識しました。

 

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主人公の八虎はすごくまじめで素直で、少し洒落っ気がある少年です。

なんでもそつなくこなして周囲の期待に応えるのが上手いけど、ある日美術室で先輩の絵画に心を打たれて絵に目覚め、そこから絵を描くことを通して自分や周囲を見つめなおしていきます。

それまでどことなくつかみどころのなかった八虎が急に「美大を目指す」と予備校に通い始めたことで、感化された友人の恋ちゃん(やくざにスカウトされるほど強面だけど超優しい子)が製菓専門学校への進学を決めた話はめちゃ泣きました。いい話だった・・・。

 

八虎ってすごく”応援したくなる子”なんですよね。

一所懸命で、気遣いもできて、弱さも強さも兼ね備えている。人に好かれることのなんぞやを、八虎を見てるとすごく感じました。

その応援したくなる感じは藝大の受験がピークで、藝大入学後のストーリーはまた趣向が少し異なり、なかなかつらい感じでした。

受験ってものすごくわかりやすいコンテンツなんですよね。確かに藝大受験は試験内容の運による部分も大きいけど、受験自体はゴールが明確で、合格に向かって努力するしかない明瞭な道筋があります。

 

でも大学に入学した後は「絵画である意味」とか「何を選択して何を選択しないのか」とか、正解がない迷宮のような問ばかりで、現実社会と何ら変わりない。

受験でひたすら合格を目指してきた人ほど思考が迷子になるし、この足場がない感じはきついと思います。

 

そんな五里霧中な八虎が、予備校時代からずっと気にかけている天才・世田介君とすったもんだあり、最初に絵を選んだときのことを思い出すまでの流れもかなりドラマティックでした。

自分が表現したかった、言いたかったことを、自分の描いた絵を見た人が気づいてくれた時の喜び。

進級制作の講評シーンで教授の一人が言っていましたが、アートはコミュニケーションの一つの手段なんですね。

音楽もプログラミングも数学も、小説もブログもInstagramも、

自己表現のひとつの手段で同時にコミュニケーションの手段なんですよね。わかってはいたつもりだけど、ついつい忘れがちかもしれないと思いました。

 

私は「別に自分は誰にも理解してほしくない、誰かに言いたいことがあるわけじゃない」とか言いながら、ずーっと何かを書き続けて撮り続けて歌い続けています。

私にとって一番何かを伝えたい相手は昔から”これ(日記とか写真とか)を見返す未来の自分”ですし、それ以外の他人に伝わるかはとても疑問ですが、でもやっぱり少しでも伝わったと感じたらきっと嬉しいだろうなと思いました。

 

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なんか他にもすごく色々考えて書いておきたいことがあったような気がしたんですが、情報量と熱量が多過ぎて全然まとまりそうになくて諦めました。それくらい非常に多くのテーマを含んだ漫画でした。

 

この漫画を読むと、美術館に行きたくなります。久々に2つ企画展を見てきました。

www.artizon.museum↑これ(STEPS AHEAD: Recent Acquisitions 新収蔵作品展示 )と、

 

www.yokosuka-moa.jp↑これ(みみをすますように 酒井駒子 展)。

 

どちらも良かったです。

構図とか色んな技法について漫画で学んだので、最初はそういう観点も意識しながら見ていましたが、最終的にはいつものように「これいいな、好きだな」か「これはよくわからないな」という非常にシンプルな感想に落ち着くのでした。

 

私が美術館や博物館によく行くようになったのは大学生以降です。多分単純に暇な時間が増えたからだと思いますが、もっと幼い頃からたくさん行っておけばよかったなぁと漫画を読んで感じました。

なんのためにアートを観るのか深く考えてこなかったけれど、いろんな作品に触れて自分の「好き」がわかると、自分自身への理解も深まるし、同時に他人の多様な価値観を感じることもできるんですよね。

同じ教室、同じ職場、同じ家で、同じようなことをして同じような価値観の中でだけ社会生活をしていると、ただでさえ人間には多くの認知バイアスがあるのに、さらに偏りが大きくなってしまう。

もちろん今いる場所や今ある関係性が心地いいなら、無理に奮起してそこから飛び出す必要はないとも思います。

でも、私は別に心地いいわけではなかったんです。ただ、価値観そのもの(在り方)に言及するような、メタ的な思考や客観性を全く持っていなくて、見ておいた方がいいことが見えてなかった。だから異常に視野が狭かったんです。

もしかしたら、そのせいでいろんな人を傷つけてきたのかもしれません。

きっともうその人たちに会うこともないでしょうけれど。おわり。

この人のために:『メイドの岸さん』

どこかの家の住み込みメイドになりたい願望があります。

Amazonの1巻無料セールを久々に覗いたら、面白い漫画にたくさん出会えました。

その中の一つが『メイドの岸さん』。

表紙の岸さんがとても可愛かったので購入したんですが、笑いと萌えが詰まった素敵なラブコメでした。

 

物語のあらすじは以下。

ポンコツご主人がクールなメイドをとにかく喜ばせたいラブコメディ!主人公・早瀬貴一朗は日本有数の名家「早瀬一族」の次期当主で、数々のグループ企業を束ねるエリート中のエリート。そんな彼の唯一の欠点である”ドジ”をいつもクールにカバーするメイドの岸さん。どんな時も表情一つ変えない彼女を、貴一朗はとにかく喜ばせようとするが…?

「クールな君を甘やかしたい」早瀬貴一朗は日本有数の名家「早瀬一族」の次期当主で、数々のグループ企業を束ねるエリート中のエリート。そんな彼の唯一の欠点である“ドジ”をいつもクールにカバーするメイドの岸さん。どんな時も表情一つ変えない彼女を、貴一朗はとにかく喜ばせようとするが……? ポンコツご主人が、塩対応メイドを喜ばせようと四苦八苦!

講談社サイトより)

岸さんの主人である貴一朗がアホでかわいいです。アホだけど優しくて一途に岸さんを想っています。

メイドの岸さんはクールで不器用だけど、岸さんなりに貴一朗を大事に想っていて、相思相愛なのに互いにずれてる面白さが漫画特有のギャグタッチで描かれています。

 

早瀬家のような、大きなお屋敷にハウスメイドが何人もいるお金持ちの家って、全世界に今どれくらい存在してるんですかね。

あくまで漫画やアニメやゲームの世界でしか見たことがないので、現実でどのようにメイドたちが過ごしているのかわからないですが、物語世界しか知らない自分からすると「ハウスメイドになってみたいなぁ」と思うことが結構あります。

 

労働内容としては掃除とか洗濯とか配膳とか、肉体労働が中心でまあまあキツいかもしれませんが、住み込みで衣食住は約束されてるし、メイド仲間とわいわい働けて楽しそうだし、自分が仕えたいと思える主人のためにする家事は、一人暮らしでおこなう家事よりずっとやりがいがありそうだなぁと憧れます。

そう、メイドの仕事の一番の魅力は「特定の誰かのためだけに働ける」ということだと思うのです。

 

資本主義社会で働いてると、市場という不特定多数の人々に向けて商売をするわけで、それが自分にはいつまでたってもしっくりこないのだなと最近気づきました。

インビジブル・ハート』だったと思うんですが(違う本だったらすみません)「パン屋が君を愛していなくてもパン屋は君のために毎朝パンを焼いてくれる」みたいな話を読んで、資本主義の素晴らしさってそういうことか〜と昔感じたんですよね。

確かに自分が誰からも愛されなくても、お金を払って美味しいパンがいつでも食べられる現代社会の仕組みは素晴らしいと思います。

でも自分が働く側になった時、自分にとって特別でもなんでもない赤の他人が、自分の仕事で喜んでいても、あんまりというか全然嬉しさを感じません。

 

もちろん10年弱社会人として働いてきたので、仕事をして誰かに「ありがとう」と礼を言われたことは何度もあります。でも、それで心底嬉しかったことは一度もないです。

だって、私は自分に馴染みのないお客様にも、好きでもない同僚にも、喜んでほしいと思って仕事をしたわけではないのですから。

ただ雇用条件を満たして給料をもらうためにやったこと。私がしてきた仕事はほぼ全てそれだけに尽きます。

 

私が喜んでほしいと思うのは、自分が心から好きな相手だけです。

片想いの相手や尊敬する先輩や仲の良い同僚。自分に近しかったほんのひと握りの人たちだけが喜んでくれたら、それだけで嬉しいです。その他の人にいくら喜ばれても、それは私の幸せにはなり得ません。

 

だからたとえメイドになったとしても、もし自分が好きでもなく尊敬してもいない主人に仕えるメイドだったら、他の労働と変わらないだろうと思います。

でも岸さんたちのように、自分が「好きだな、素敵だな」と思える主人にメイドとして仕えることができたなら、単調な家事でも毎日楽しいだろうなと想像しました。

そしてそう考えた時、専業主婦も同じ感じかなぁと思い至りました。

 

大好きな旦那様や愛する子供たちが家族だったら、怒涛の終わりなき家事でもやっぱり楽しいんじゃないですかね。もちろん向き不向きもあるけど、少なくとも私は元来料理も掃除も洗濯も好きな方なので、今みたいにただただ生きながらえてる自分一人のためにする家事よりは、大好きな人たちのために家事をしたいと思いました。

(問題は大好きな人というのがこの世に一人も存在しないことです。)

 

反対に、家族が存在するけどそれが好きでもない旦那や子供、下手をすると両親なんかだとしたら、それは今やっている会社勤めの労働かそれ以上に苦痛だろうと思います。会社勤めの方がかろうじて給料もらえるからマシかもしれません。

 

「この人のために」、そう思える誰かがいたら素敵ですね。

今回『メイドの岸さん』を読んで改めてそう感じました。

私は、好きでもない自分のために頑張ることはやっぱりできないみたいです。

かといって好きな人もこの世にいません。

誰か、自分が好きな誰かのためだけに生きてみたい。なんの関わりもない、たまたま巡り合わせた”お客様”のために労働するのは、全然楽しくないんですもん。おわり。

物語に寄り添うかっこよさ:tricot「いない」

春の呪い』がドラマ化されていまして、ドラマは観ていないんですが、ドラマ主題歌のtricot「いない」がとても良いです。

J-WAVEの土曜朝の番組『RADIO DONUTS』のゲストでヴォーカルの中嶋イッキュウさんが出演していて、その時は寝ぼけた意識できちんと聴いていなかったけど、脳みその片隅に情報がメモされていました。

今思い出してYouTubeでミュージックビデオを観てみたら、めちゃくちゃ素晴らしかったです!


www.youtube.com

曲もかっこいいし、歌詞も『春の呪い』にすごく合ってる。

MV自体も『春の呪い』っぽさ全開。小西先生(漫画原作者)のあの独特の暗いパワフルさがそのまま音楽になっていて、「tricot、すごっっ!!」って驚きました。

しかもリピートすればするほど音楽自体が気持ちよくて、こういうのをスルメ曲とかいうんですかね。

 

もともと音楽がついてない、作中にもなんの音楽要素もない2次元の物語を、これだけ巧みに音楽に昇華できて、さらにそれが物語に寄り添ってより原作をもパワーアップさせてしまう。優れたアニソンとかドラマ主題歌ってそういう力があります。

音楽を聴くだけで、聴衆を物語の世界へトリップさせてしまう。漫画を開かなくても、動画を観なくても、一瞬で作品世界に浸らせることができる。

魔法のような、まさに職人技です。

 

tricotは存在感があって気になるバンドでしたが、楽曲を繰り返し聴くことはこれまであまりなかったんですよね。

でもこの「いない」は『春の呪い』の力と相まってすごく気分が上がるので、間違いなくプレイリスト入りです。めちゃくちゃいい音楽に出会えて嬉しい。幸せ。おわり。

 

映画『82年生まれ、キム・ジヨン』を観ました

韓国で「『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだ」と言った女性芸能人が、写真を燃やされたりネット上でバッシングを受けたりSNSが炎上したりしているそう。何それ怖、って感じです。

私は原作小説は読んでませんが、今しがた映画を観ました。

J-WAVEで日曜の午前中に放送している『ACROSS THE SKY』という番組が好きで、そこでナビゲーターの玄理さんが映画を観た感想をお話しされていて興味を持ちました。

 

物語のあらすじは以下。

結婚・出産を機に仕事を辞め、育児と家事に追われるジヨン。常に誰かの母であり妻である彼女は、時に閉じ込められているような感覚に陥ることがあった。そんな彼女を夫のデヒョンは心配するが、本人は「ちょっと疲れているだけ」と深刻には受け止めない。しかしデヒョンの悩みは深刻だった。妻は、最近まるで他人が乗り移ったような言動をとるのだ。ある日は夫の実家で自身の母親になり文句を言う。「正月くらいジヨンを私の元に帰してくださいよ」。ある日はすでに亡くなっている夫と共通の友人になり、夫にアドバイスをする。「体が楽になっても気持ちが焦る時期よ。お疲れ様って言ってあげて」。ある日は祖母になり母親に語りかける。「ジヨンは大丈夫。お前が強い娘に育てただろう」――その時の記憶はすっぽりと抜け落ちている妻に、デヒョンは傷つけるのが怖くて真実を告げられず、ひとり精神科医に相談に行くが・・・。

 

公式サイトより)

ラジオで玄理さんがいうには「原作より旦那さんが優しい」らしいです。「優しいからこそ真綿で首を絞められるようだった」みたいなことを言っていた気がします。

私は概ね旦那のデヒョンはいい人だなぁと思って観ていました。もちろん「あ?」と思う場面もありましたけど。

 

レボリューショナリー・ロード』と似たテーマもありつつ、もっと女性の生きづらさ全体を表現したような作品でした。

主婦の苦悩だけじゃなくて、幼い頃の扱われ方から、思春期の時に受けた侮辱や、職場でのセクハラや待遇差別その他もろもろ、脈々と続いてきた「女が女であるから悪いのか?」と絶望するような苦痛の連続です。

 

チーズ・イン・ザ・トラップ』のことも思い出しました。チートラの雪も、自分の方が優秀なのに弟ばかり恵まれて腹を立てていましたね。韓国ってそういうお国柄(男子が猫可愛がりされる家族制度の国)なのだなぁと改めてわかりました。

私の親の世代くらいは、日本でも似たようなものだったと思うのですが(父やハハ方の叔父に祖父母は甘い)、今はどうなんですかね。私は一人っ子で、男兄弟がいる友人もあまりいなかったので、こういったあからさまな区別を受けて育った女の子は周りにいませんでした。

 

ジヨンの立場だったら、確かに姑に腹立つと思いますよ。結婚を急かし、孫を急かし、男の子が欲しいとかなんとかしつこく電話してくるなんて地獄です。

でも自分が姑の立場だったら、そうしてしまう気持ちも全然不思議じゃないと思うんですよね。自分の可愛い息子が結婚したら子供を持って欲しいと思うかもしれません。息子の嫁が職場復帰したいから、息子が育休を取ると言ったら、息子が無理をしていないか心配になります。嫁なんて所詮他人ですし、嫁がどんなに頭のいい美人ないい子でも、それとこれとは話が別だと思うかも。

 

カフェで子連れのジヨンがコーヒーを床にぶちまけてしまうシーンも印象的でした。慌ててジヨンが床を拭くのを遠目で見ていたサラリーマンたちが悪態をつくんですけど、韓国のカフェって本当にあんな感じなんですかね?それともちょっと過剰演出なのかな?

客が飲み物をこぼしたら、店員は掃除を手伝わないんでしょうか?もしくは、他のお客さんの中にも一人くらい手伝う人っていませんか?

ジヨンの立場だったら、もちろん自分を「ママ虫」とか陰口叩いたサラリーマンに腹立ちますよ。「なんだてめー今なんつった??」ってメンチ切るかもしれません。

でも、サラリーマン側の気持ちも実はちょっとわからなくもないのです。悪態はつかないですが、子供がうるさいなぁとは思うことはあるかもしれません。子供の泣き声というのは不快に感じるように作られてると学校で習ったことがあります。本能的に泣き止ませる行動を親に取らせるためだとかなんとか(うろ覚え)。だからかわかりませんが、子供の泣き声というのは苦痛を伴うものです。

子連れを鬱陶しく思うことが全然ない人って世の中にどれくらいいるんでしょうか。綺麗事抜きで。

もし私が子持ちで、自分も子育てしていたら、ママ側に感情移入できるのかなぁ。

子育てが大変なことは、頭ではわかっているんですけど、何も同情できないんですよね。自分が子供だった時代があるのもわかっていますし、自分だって子供の頃ギャーギャー泣き喚いていたかもしれない。きっと泣き喚いていたでしょう。でもそれと他人の子供の鳴き声がうるさいのは全然別の事象だと感じてしまう。

「あなたも産めばわかるよ」と言われても、私は絶対に子供は産んではならないと思っているし、産まないんですよ。

 

さらにいうと、専業主婦になりたいと思っていても、貰い手もいないので仕方なく働いて生き延びてるだけなんです。だから外で働きたくてもがくジヨンに共感することもできません。

 

でも、高校生のジヨンがバスで痴漢を受けた場面は辛かったです。近くに居合わせたOLのおばさんが助けてくれて本当によかった。

助けに呼んだ父に「スカートが短い」と叱られた時、あまりの理不尽さに腹が立ったのもわかります。悪いのはスカートの長さじゃない。悪いのは痴漢です。

・・・でも、もし自分の娘が短いスカート履いてたら、可愛いと思いつつもちょっと心配してしまうかもとも思います。叱りはしないけど、心配はする。

だ・け・れ・ど・も、大事なことなのでもう一度言います。

悪いのは短いスカートじゃない。悪いのは痴漢です。

性犯罪被害にあった女性に落ち度は求めません。

 

そんな感じで、ジヨンやジヨンの母も姉も元上司も元同僚も、女性たちが連綿と受け続けてきた不当な扱いや苦しみに、共感したり同情したりしながらまぁ泣きました。

泣きながら、ではどういった社会になったらこの課題は解決したと言えるのかと考えていました。

 

男子ばっかり可愛がられない子育てとか?

文化の違いもあるかもしれないですが、どの子供を一番可愛く感じるかは、性別もあるけど性格的なものも大きい気がするんですよね。別に自分の子供だからといって全員平等に愛さなければならないとも思わないですし。子供でもなんでも、個人の好みはどうしようもない部分もありますよね。

 

育休を取ってもキャリアが傷つかない労働社会とか?

まぁこれはできますよね。やる気がないだけで。

私の今いる会社は育休上がりの優秀な女性上司は何人もいます。

ただ、女性役員が申し訳程度にしかいないのは問題だと思いますけどね。男性役員があんまり優秀に見えないのも問題ですが・・・。

 

シッターや保育園が十分に用意されている社会とか?

何人のシッター、どれくらいの保育園があれば需要が満たされるんでしょうね。

保育ロボットが誕生すれば変わりますかね。人間より優れたアンドロイド保育士とかだったら子供の養育面にもプラスかも?

 

無意識下で女性蔑視してくるおじさんおばさんが再教育されて思想改造されるとか?

倫理的に問題があるのはわかりますが、多分それくらいしないともうしばらくこの問題って消えないですよね。女性蔑視が染み込んだ社会で育つと、若者でも女性蔑視するんですよ。おまけに、蔑視されてる女性側も同じ蔑視を内在していたりして、ますますタチが悪い。単純に男対女の構造でもないんですよね。幼少期から刷り込まれていて、女の中にも女性差別が眠っていたりする。いつ刷り込まれたのか、自分でもわからない時があります。

 

色々考えましたが、ひとまず今よりマシな社会にしていくためには、ジヨンの姉・ウニョンの行動パターンが一番いいかと思いました。

腹が立ったら抗議する、変だと思ったら指摘する、闘うべきだと思ったら闘うこと。

ジヨンも「疲れない?」って心配してましたけど、言っても無駄だからと黙っていても、結局損なわれた心は誰も救ってくれないし、受けた傷は自分で「大したことない」と思い込んでも静かに蓄積して自分を蝕むものです。

(本人が望んだかどうかに関わらず)女性である私が、大学教育まで受けられて、正社員として就職できて、選挙で投票もできて、一人でなんとか生き延びていられるのは、これまで闘って闘って闘ってきたたくさんの女性たちのおかげであることは間違いないと思うので。

もちろんほんとに疲れたら休みますけどね。おわり。

死に際に立ち寄りたい場所:『光の箱』

不思議な読後感を味わえる漫画に出会いました。衿沢世衣子『光の箱』。

表紙が可愛くて手に取ったのですが、なかなか味わい深い作品でした。

 

この世とあの世の狭間の世界に存在するコンビニエンスストアで、

店長とアルバイトのタヒニ(ともに魔)、

事故で死にかけていたところ店長に面接され、魔の刻印を得て一命を取り留めたアルバイトのコクラ(半分人間)、

タヒニが飼い育てるヤミネコ(闇)といった多種族が働いています。

現世で死にかけている人間(の魂?)たちが客としてコンビニを訪れ、買い物したり何かに迷ったりしながら、そのままあの世に行って死ぬか、生き延びて現世に戻るかしています。

 

すごく不思議な世界観でしたが、コンビニという身近な舞台のおかげで、すっと物語に没入できます。

ブラック企業に27連勤させられて過労死寸前のOLや、

決断力がなくて仕事に追い詰められたサラリーマン、

部活の顧問や父親に暴力を振るわれボロボロになって自ら死ぬことにした女の子たち、

死ぬ直前まで仕事を続け天寿を全うした名俳優、

前科持ちだけど今は慎ましく真面目に働くも同僚に襲われた工場勤務の女性など、

死にかけている人間たちがふらっとコンビニにやってきて、闇に襲われたり不条理な状況に追い込まれてパニックになったり、酒を買ったりタバコを買ったりしながら、ふと大切なことに気づき現世に帰ったり帰らなかったりする。

 

なんだか夢の中みたいな作品だなぁと思いました。

私がよく見る夢は、現実世界が少し捻れてズレたような世界であることが多いです。

中学の同級生と職場の同僚が同時に出てきたり、持っていないはずの車を飛ばして追っ手から逃げていたり、石田彰と会話してたり、産んでいないはずの子供がいたりします。

目覚めて夢から醒めた後も結構引きずることが多いです。たまに、あまりに現実に近すぎて、夢なのかそうでないのか長い間なかなか判断がつかないような夢もあります。

夢から醒める直前のふわふわした”狭間”の時間が私は好きで、いつも醒めたくないと思うのですが、醒めてしまう。

醒めないままあの世に行けるのはいつなのでしょう。

 

このコンビニは外は真っ暗闇で人間には何も見えないのですが、特殊な光で周囲を照らしてみると、実は本屋なども存在しているのでした。

「死に際に立ち寄りたいのが

コンビニという人ばかりではないでしょう」

「・・・・・・・・・

オレはコンビニにするかな」

「お待ちしてます」

 

衿沢世衣子『光の箱』小学館 2020.7.15)

自分が死に際にお店に立ち寄るならどこがいいかなぁと考えました。

コンビニはいいですね。肉まんとかアイスとかチューハイとかを買うかもしれない。

TSUTAYAみたいな書店もいい。雑誌を立ち読みしたり、漫画を買ったりするかも。

伊勢丹みたいなデパートだと、ちょっとトゥーマッチな気がします。逆にスーパーやドラッグストアもどこか物足りない感じ。

 

この漫画を読んで、自分は結構コンビニが好きだということに気づきました。

台湾や香港やシンガポールやタイに行った時もかなりの頻度で立ち寄りました。海外のコンビニのローカルなスイーツやドリンクが好きです。

ヨーロッパにはあまりコンビニないですよね。あちらの人は死に際にどんなお店に立ち寄りたいのでしょう。エノテカ(ワインショップ)やカフェとかかな。

 

東京の夜は明るすぎると言われることがありますが、本当に真っ暗な夜というのは怖いです。本能的に恐怖を感じます。

地方のローカル線に乗るとき、昼間は美しい自然を眺めることができますが、夜は灯りのほとんどない闇の中を走ったりするんですね。その時の寂しくて心許ない気持ちをよく思い出します。

窓の外の真っ暗な闇の中に、ぽつりとコンビニの看板が見えると、すごくほっとします。まさに「光の箱」といった佇まいですよね。

真っ暗闇に呑まれたまま人生を終えるのもそれはそれでアリかもしれませんが、死ぬ間際に電気がまぶしいコンビニに立ち寄れたら、少しは救われた気持ちになるかもしれないと思いました。終わり。

 

岸本佐知子さんの爆笑エッセイ『ひみつのしつもん』

明るい作品をもう一つ。

翻訳家・岸本佐知子さんはエッセイストとしても有名らしいのですが、お恥ずかしながら全然存じ上げませんでした。

表紙がかわいいな〜とたまたま手にとってパラパラ流し読みした時、目についた一文が下記でした。

五十年以上人間をやっていると、私のようなぼんくらでも、人生の法則、と呼んでいいようなものを一つか二つは見つけたりする。

そのうちの一つは、「人とはウジの話でけっこう盛り上がれる」というものだ。

 

岸本佐知子「人生の法則一および二」『ひみつのしつもん』筑摩書房 2019.10.10)

「ウジ」?!って驚くし、「五十年以上人間をやっていると」という書き出しも好感がもてて、一気に興味が湧きました。

 

自虐かもしれない表現でもいやらしさや嫌味がなく爽やかで、エスプリがきいたユーモアあふれる軽快な文章は、実に不思議で心地よい読後感です。

そして空想力も素晴らしい。エッセイですが、まるでショートショートのような物語的面白さもあります。

岸本さんの翻訳された本も読んでみたいと思いました。

 

先週末、朝方に用事があって眠気を引きずりながらカフェでお茶しつつこの本を読んでいたんですが、あまりに笑えて気だるい朝がすっかり愉快なものになりました。

活字でこれだけ笑わせられるって、本当にすごいです。

これまで同じくらい笑った文章は、夏目漱石吾輩は猫である』と三島由紀夫三島由紀夫レター教室』くらい。

 

とくにめちゃくちゃ笑ったのが下記。

そういえば何年か前のオリンピックで、ハンマー投げ金メダルの選手のドーピング疑惑がもちあがり、メダルを剥奪されたために日本の選手が繰り上げで一位になったことがあった。尿検査の際にカプセルに入れた他人の尿を肛門に隠していたという疑惑だったのだが、その選手の名前はアヌシュさんだった。

オリンピックは嫌いだが、このエピソードだけ、ちょっと好きだ。

 

岸本佐知子「名は体を」同上)

下ネタと言えば下ネタなんですが、面白すぎて他人に教えたくなるレベルの小話でした。名は体を表す例でこのエピソードが浮かぶセンスが最高。

 

このエッセイを読んでいると、難しいことや重苦しいことはとりあえず横に置いて一時休戦したいような気分になりました。

悲しいことや腹の立つ出来事でも、見方を変えるとなんだか可笑しく思えることがあるかもしれない、そんなふうに思わせてくれる力がある文章でした。

笑えるって大事なことです。おわり。

登場人物全員かわいい『恋と呼ぶには気持ち悪い』

昨日書いたエントリが暗かったので、今日は明るい作品について語りたいです。

今期観ているラブコメディアニメ『恋と呼ぶには気持ち悪い』!

初回から笑わせてもらって、すっかり作品のファンになり、原作漫画も読みました。

女子高生・有馬一花が駅の階段で偶然助けたイケメンサラリーマン・天草亮。

彼は実は一花の親友・天草理緒の兄で、2人は理緒の家でばったり再会します。

女にモテてモテてしょうがなくてすっかり天狗になってた亮の態度を「気持ち悪い」と一蹴した一花。これまでされたことのない扱いを受けた亮は、一瞬で一花を好きになってしまい、猛アタックを開始するーーーというお話です。

 

割とよくある展開のラブコメなんですが、とにかく登場人物がみんな可愛くて、アニメを観ては毎週悶えています。

特に大好きなのが・・・一花たちのクラスメイト・多丸快くん!!!

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アニメ公式サイトより

多丸くん最高にかわいいんです・・・不憫萌えでもある。

文化祭で亮が一花に抱きついてるところを偶然目撃してしまい、それからちょこちょこ一花を気にかける多丸くん。

特に修学旅行のシーンはもう〜〜〜かわいさ大爆発です!!!

水族館でグループからはぐれた一花と偶然二人きりになった多丸くんが、一花の手を握ろうとして未遂に終わるところとか、「クゥ〜〜〜〜ッッッ」と悶絶しました。

またその次の日に、一花と同じ趣味であるラノベ聖地巡礼にかこつけて、自由行動に一花を誘ってデートするところも最高です。あー多丸くんかわいいよ多丸くん。

ポジション的に絶対一花と結ばれないことが嫌というほどわかるので、それも切ない。はい、大好きな不憫萌えです。

 

多丸くんと同じようなポジションである、亮の同僚・松島有枝さんもすごくよかった。

一花との出会いのおかげで雰囲気が柔らかくなった亮。松島さんは偶然アニメのキーホルダーを拾ってもらったことから亮のことが気になりだします。

松島さんが頑張って亮にアプローチする姿はとても胸打たれました。こういう人を「大人かわいい」って言うんだな〜って感じです。美しくも健気。

松島さんが真摯なので、亮も真剣に向き合って、最終的にはきっぱり断るんです。ホワイトデーのお返しとして亮からもらったクッキーを、帰りの駅のホームで一口齧ってうるっとしてしまう松島さん、本当にかわいかった。もう〜〜〜抱きしめたい!!!って感じ!!!(暴走)

 

もちろん主人公の一花も乙女ゲームのヒロインちゃんよろしく健気で素直で頑張り屋でとってもいい子ですし、亮も一花にメロメロになってからは不器用ながらも懸命に一花を想っていてかわいらしいです。亮の妹であり、一花の親友である理緒も、クールビューティーな美人さんだけれども温かい心を持つとってもいい人。

とにかく作品全体を通して、悪人が全然いません。どこまでも優しい世界です。癒されます。

 

アニメを観てると、作品舞台が恵比寿駅周辺みたいなんですよね。

以前職場が恵比寿だったので、見覚えがある場所がたくさん出てきて勝手にキャラクターたちに親近感を抱いたりします。

恵比寿、いい街ですよね〜。また恵比寿で働いてみたいなぁ。

 

そんなわけで、萌えと癒しを存分に味わいたい方に大変おすすめな作品です。おわり。

 

***

 

年の差ラブコメディという点で、下記楽曲がBGMとなって頭を駆け巡りました。このゲームほんとよかったんだよなぁ。誰かシリーズ制作再開してくれないかなぁ。


www.youtube.com