れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

存在を消すために心を砕く

お正月休みですっかり緩んでリラックスしていたのに、あっという間に仕事に飲み込まれ殺伐とした日常生活がやってきて、相変わらず冴えない人生を送っています。

 

久しぶりに山田詠美さんの小説を読みました。

姫君 (文春文庫)

姫君 (文春文庫)

 

初版は2001年の9.11よりも前に出版されたんですね。すごい。

短編集でどれも面白かったですが、私が特に好きだったのは1番目の「MENU」という物語です。

 

主人公の男子大学生・時紀は、幼い頃に母が自殺して、善良で裕福な伯父の家に引き取られ、これまた善良な血の繋がらない兄・聖一と、蠱惑的な妹・聖子といった家族の中で独自の成長をとげます。

 

文庫版の解説が金原ひとみさんで、彼女が昔好きだった男性がこの時紀にそっくりで嫌な男だった、というようなことを書いていました。

時紀は多分見目麗しく理知的で、女の子には不自由してなくて、どことなくシニカルで意地悪で性格が悪い男の子です。きっと身近にいたらすごく嫌な奴だろうなと私も思います。

けれども不思議と読後感が悪くなくて、それでいていつまでも心に残っているのです。

時紀は女の敵みたいなクズな男なんですが、どうにも共感せずにはいられない。時紀の思想は自分にも通ずるところがあるというか、私がうまく表現できなかった自身のあり方を、的確に体現してくれていたんですね。

ぼくは、母に感謝してもいる。彼女は、死ぬことによって、ぼくに、その先の指針のようなものを与えてくれた。人に必要とされてしまったら、死ぬ自由すら手に入れることが出来ないのを教えてくれた。そして、ある人間を必要としてしまったら、その人の自由を奪ってしまうことも。ぼくは、生きるのが楽だと思いたい。記憶は溜まって行くが、そこに何の不純物も付随させたくないのだ。

山田詠美「MENU」『姫君』文春文庫2004.5.10)

「記憶に不純物を付随させたくない」というのは、若さ特有の潔癖さも感じますが、人に必要とされることに一種の恐怖や嫌悪を感じる気持ちはすごくわかるなぁと思いました。

 

時紀の大学のクラスメイトの女子・麻子と、時紀の兄・聖一が付き合うようになって、時紀は心のバランスを少しずつ崩していきます。

麻子は時紀にとって他のどんな女とも違う、存在しない幻の弟みたいな存在でした。他の女のように時紀に惚れず、求めず、しかし言葉を正しく交し合える、きちんとした共通言語をもつ友人でした。それでいて好きでも嫌いでもない、しかし深いところで一種の支えになっている独特の存在でした。

そんな麻子が思いやりの化身みたいな聖一と付き合い、少しずつ変化していく。静かに反発する時紀に麻子が言い放った台詞がこの小説の中で一番好きです。

「言ったじゃない。トキと私は、まったく違うって。あんたは、存在を消すことに一生心を砕く人。私は、誰かのために存在したいのよ」

(同上)

ああそうか、と自覚しました。私は誰かのために存在するっていうのが耐えられないのだと。

 

麻子は終盤、苛立った時紀に犯され、妊娠して聖一と結婚します。

時紀の子なのか聖一の子なのかは明らかになりませんが、麻子は「これで自分は一生誰かのために存在できる」というようなことを言って、時紀に礼を言いました。

 

私が子供を絶対に産まないと言っているのは、生まれてくる子供が不憫だからということもありますが、自分が誰かのための存在になってしまうのが嫌だからという理由もあったんだなと、この物語を読んで思い至りました。

 

時紀の兄・聖一は穏やかな人で、時紀がショッキングな事情で自分の家に引き取られてから、本当の兄弟のように接しようと、時紀の本当の家族として心の拠り所となれるよう心を砕いていました。聖一は育ちの良さが爆発したような本当に気遣いと思いやりが服を着て歩いているような人です。

こんなにいい人なのに、どうにも斜めに見てしまう私(と時紀)は、やはり思考が歪んでいるんですかね。

「出ましたね、セイ兄の気づかい」

「そうじゃないよ。ぼくは、彼女の喜ぶことがしたいだけなんだって」

聖一は、真剣さを滲ませて言った。彼は、いつも自分の中で他人の幸せを構築する。

(同上)

”自分の中で他人の幸せを構築する”。なんて的確な表現でしょう。さすが山田詠美さん、とうなりました。

たとえ本当に自分が幸せを感じる事柄だったとしても、私以外の人間が、私の幸せを自分の中で勝手に構築していた結果だとしたら、私は気持ち悪いと思うし拒絶したいと思ってしまいます。

なんせ、存在を消すために心を砕いているような人間なんですから。

私は生まれてしまった事実を諦念とともに受け入れ、手に余るこの自分の存在というものを、自分のため以外には使いたくないのです。

 

存在なんて、本当はしたくない。

けれど、もう存在してしまっている。私の意に反して。

そして存在を消すことは難しく、死ぬのは痛そうで怖い。

だからせめて、どうせ存在してしまっているのなら、自分だけのために存在したい。

他の誰のためにも在りたくない。

そう強く思いました。

 

***

 

自分の意に反して存在してしまったことについて、最後に収録されていた「シャンプー」という話の一節が痛快でした。

両親が離婚した小学生のおませな女の子の独白です。

つまり、ある時期、この二人は同類だったのだ。私は、小学生で、そのことを悟ってしまったのだった。私の両親は、私を作成した時、二人共、馬鹿だったのである。

以来、私は自分のルーツに思いを馳せるのを止めた。ただでさえ、私は忙しいのだ。両親の失策など思い悩んでいる暇はない。

山田詠美「シャンプー」『姫君』文春文庫2004.5.10)

”両親の失策”に声を出して笑ってしまいました。ほんと、その通りだなって。

私の存在も、ただの馬鹿者二人の失策にすぎないのです。おわり。