れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

架空のお葬式と現実の葬式

今月の上旬に、父方の祖父が亡くなりました。

二十数年前に曾祖母が立て続けになくなって以来、本当に久しぶりに葬儀というものに参列しました。

はるか昔に参列したその曾祖母の葬儀は、幼かったこともあって記憶が断片的です。したがって自意識のはっきりした状態で参列する葬儀は、今回が初めてでした。

 

新幹線で祖父母宅へ向かう間、お葬式を題材にした物語をいくつか思い出していました。

たとえば、ふみふみこ『めめんと森』。

めめんと森 (フィールコミックス) (Feelコミックス)

めめんと森 (フィールコミックス) (Feelコミックス)

 

主人公の目野優子が葬儀場でのアルバイトを通して、失踪した兄にまつわる過去と折り合いをつけたり、上司の黒川森魚と恋愛したりする群像劇で、独特のテンポで死生観を描く良作です。

 

また、たとえば江國香織の短編集『ぬるい眠り』に収録されている「清水夫妻」。

ぬるい眠り (新潮文庫)

ぬるい眠り (新潮文庫)

  • 作者:江國 香織
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2007/02/28
  • メディア: 文庫
 

赤の他人のお葬式に参列するのが趣味の不思議な夫婦・清水夫妻の話で、死というものを穏やかで静かなもののように表現する、これまた心に残る良作です。

 

さらには、世界的な傑作映画『おくりびと』。

映画「おくりびと」【TBSオンデマンド】

映画「おくりびと」【TBSオンデマンド】

  • 発売日: 2016/07/15
  • メディア: Prime Video
 

もはや国民的映画といってもいいくらい、観てない人もなんとなく知ってるレベルの名作。私も話題になった少しあとくらいに(大学生の頃でした)DVDで観て、人並みに感動して泣きました。

 

そんなわけで、これまで出会ってきたお葬式にまつわる物語がわりと穏やかで良いものばかりだったので、私は結婚式や卒業式なんかよりはお葬式のほうがはるかに好き、というと語弊がありますが、とにかく性に合っているというか、冠婚葬祭のなかでは一番マシだと考えていました。普段着も黒が多くて、日常的にお通夜みたいな恰好で生活していました。それが落ち着くと思っていました。

 

しかし、実際に葬儀を体験すると、ものすごく消耗し、金輪際御免蒙りたいとすら感じました。

 

私にとって亡くなった祖父という人は、これといって好きでも嫌いでもない、あえて積極的に会いたいわけでもない、強い思い入れも思い出もない親戚でした。遠方に住んでいたせいもあって、生涯で会った回数もそんなに多くない人です。

祖父にとっては私は長男の一人娘で、さぞやかわいい孫娘であっただろうと思います。お小遣いもたくさんもらっていたと思います。有難かったといえば有難かったけれど、だからといって「おじいちゃん大好き」とはならなかった。大概の親類縁者がそうであるように、なんとなく性格的に合わないけれど絶縁するわけでもない、ゆるいつながりのある人。それが祖父でした。

 

今年に入って具合が悪かったことはなんとなく聞いていたので、亡くなった知らせをうけたときも「やっぱりか」くらいで驚きはありませんでした。

祖父母宅に着くと、先に集まっていた祖母も父も叔母もいとこも皆落ち着いていて、特段悲しむでもなく普通にテレビを見たりしていました。

 

しかし、いざ仏間に横たわる祖父の遺体を目の当たりにすると、なんとなく居心地の悪さを感じました。遺体というのは、なんともいえないオーラのような、異質な雰囲気があり、想像していたより怖かったです。

通夜にむけて葬儀社の人が祖父の遺体を運び出すとき、布団がめくれてちらりと見えた祖父の脚がびっくりするくらい細くて、当たり前ですが血色も悪くて、ますます不気味でした。

葬儀社に移動すると、今度は故人の体を清めるなどといって遺体を洗う儀式(?)があったのですが、これもまた嫌でした。遺族も体を拭いたりするんですが、私は絶対に触りたくないと思い、最後の最後まで、指一本祖父の遺体に触れませんでした。

 

棺に入れるといういろんな葬儀社のオプションの話を聞くのも疲れました。遺族の気持ちに寄り添うような語り口での訳の分からない蝋燭だの遺髪入れだののセールストークは断ったもののうんざりして、その後誰が誰だかわからない親類縁者のおじさんおばさんたちにも辟易して、お坊さんのやけに長いお経にも疲れ、極めつけにはろくな挨拶もできない喪主の父の頭の悪さにも嫌悪感しかなく、とにかくすべてがウンザリでした。

 

翌日の葬式で棺に皆で花を入れた時、おばさんたちやいとこやハハが、皆しくしくと泣き出しました。私も一瞬もらい泣きしそうになりましたが、どうにも空虚な気持ちと疲労感が勝って、すぐに涙は引っ込んでしまいました。

火葬場の独特のにおいも嫌でした。遺体が骨になるのを待つ間、おばさんたちの話に相槌をうつのも面倒で、焼かれた骨を目の当たりにしたときもこれまた不気味でした。

 

最後の食事を終えて一同が解散して、そのまま帰りの新幹線で東京に戻りました。

葬儀がすべて終わったあとは本当にどっと疲れて、異様に眠くてすべてが面倒で鬱陶しく感じました。

どうしてこんなに疲れて嫌な気持ちでいっぱいなのか、暮れてゆく車窓の外を眺めながら考えていました。

 

遺体というものの異質さと怖さ。

それまでろくに連絡も取りあってなかったのに、死んでから惜しむ遠縁の親類たちのオーバーリアクション。

実の父親である祖父に対して何一つ語ることのできない、何も考えてない喪主の父の無能さ。

一人残されてより小さくか弱く見える祖母の心細い佇まい。

父やら親類やらの悪口と不平不満ばかり言うハハの醜さ。

線香くさい真っ黒な喪服。

 

なにもかもが嫌で嫌で仕方なくて、東京に着いた頃には苛々した気持ちが頂点に達していました。

あんな悲しい場所はもうたくさんだと思いました。

こんな煙くさい黒い服なんて今すぐ脱ぎ捨てたい、黒い服なんてもう着たくないし全部捨てたいと思いました。

あんなに激しい感情は久しぶりで、自分でもちょっと驚いたし持て余しました。

 

帰り道に派手なピンクのニットを買いました。小学生のころ以来着たことないようなピンク色の。

帰宅したら塩を振りまきまくって、玄関で下着まで全部脱いで洗濯機を回し、シャワーを浴びました。

派手な花柄のパジャマを着て、やっと少し落ち着きました。意味もなく部屋中に掃除機をかけました。

翌日、午前休で買い物に行きました。真っ赤なニットやゴールドのピアスを買ってつけたりしました。

夕方にはロックバンドのライヴに行き、翌週は東南アジアに旅行しました。

騒がしくてカラフルな空間に身を投じると、なんとなく死が遠のいてくれるような感覚がありました。一瞬ですけど。

 

今になって思うと、死が怖かったのかなと思います。

人間誰しも死ぬってわかってるけど、実際に死んだ人を目の前にして、それが知識を超えて現実として立ちはだかったんですよね。

漫画とも小説とも映画とも違った、現実の葬式。現実の死。

現実は、物語とは全然違かったです。考えてみれば当然かもしれないけれど。

死は穏やかでも静かでもなかったです。ただただ不気味で、異質で、怖いものでした。

葬式は何一ついいものではなく、ひたすらに居心地の悪い、疲れる、摩耗するものでした。

 

もう誰の葬式にも出たくないと思いました。

私が死んでも葬式なんて挙げてほしくないと思いました。

別れるのに、いちいち儀式なんて要らないって思ってしまいました。

そんな区切りいらないって。

 

それから、街にもっともっと明るい色が溢れたらいいと思いました。

もっともっと騒がしくなればいいと思いました。

目が覚めるような真っ赤とか真っ青とか真っ黄色とか、ピンクとか黄緑とかオレンジとかゴールドとか水色とか、もっともっと明るくて鮮明で鮮烈な色で世界が彩られればいいと思いました。

現実逃避。最後には絶対逃げられないって、頭ではわかっています。それでも、

逃げて逃げて、死ぬまで逃げて、誤魔化して、逃げ続けたいと思いました。おわり。