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ひまをつぶしましょう

のんきなおじさんになりたい:『水は海に向かって流れる』

常々思っていることに、「のんきな大人になりたい」というのがあります。

見方によってはすでにじゅうぶんのんきな大人になってるのかもしれませんが、自分の理想とする”のんきな大人”の見本のような人を目にすると、私はまだまだ肩の力が抜けきれてないなぁと思います。

最近1番好きなのんきな大人は、田島列島『水は海に向かって流れる』に出てくる主人公の叔父・ニゲミチ先生です。

水は海に向かって流れる(1) (KCデラックス)

水は海に向かって流れる(1) (KCデラックス)

 

すごく好きな漫画になりました。早く2巻も読みたいです。

 

主人公は15歳の男子高校生・熊沢直達くん。通う高校が実家から遠いため、学校の近くに住む叔父の家に居候することになります。

雨の日、駅に直達を迎えにきたのは叔父ではなく榊さんという若い女性でした。

仕事で手が離せないという叔父に変わって直達を迎えにきたという榊さんに連れられ、広い一軒家にやってきた直達。榊さんが振舞ってくれた牛丼の暴力的なまでの旨さにちょっと惚れそうになりつつ、与えられた自室の隣が叔父の部屋だと聞いた直達は、叔父の部屋を訪ねます。

 

襖を開けた叔父は直達に「何も言わずに この×のとこを黒く塗ってほしい」と原稿を渡します。

話を聞くと、叔父は会社を辞め漫画家になっていました。

「会社は?」

「やめた!

おじちゃんは現代人に向いてないし

風邪でも休めない現代人が大嫌い!」

それでも漫画で生計を立てられているのだからいいではないかと直達は返しますが、叔父は両親の思うような人生を送れないことが後ろめたく、親戚一同には内緒にしてほしいと言います。

さらに話を進めるうちに、この家の全貌が少しずつ明らかになります。榊さんは叔父の彼女ではなく同居人で、この家には他にも住人がいる(つまりホームシェア)のでした。

 

お家の佇まい的には雲田はるこいとしの猫っ毛』とちょっと似てるなぁと思いました。こういう日本家屋にホームシェアする住人というのは、得てしてみんなのんきになるのでしょうか。というか、のんきだから一緒に暮らしていける?

この、他人同士が絶妙な距離感でゆったり暮らしているのって、ほんと憧れます。

 

しかし、話が進むと一つの重大な過去が、登場人物たちの心情をゆっくりかき乱していきます。

それは、直達の父と榊さんの母が10年前にW不倫をして駆け落ち失踪したという事件があったこと。

直達の父はその後家庭に戻りホームパパになりましたが、榊さんの母は戻らずにそれっきり行方知れず。

榊さんは直達が、消えた母親の元恋人だということを気づいていますが、直達は10年前の記憶があやふやで父親にそんな過去があったことを知らないのです。

 

榊さんはニゲミチ先生(直達の叔父のペンネームで、みんなこう呼んでいる)から直達を迎えに行くよう言われた時渡された、熊沢家の年賀状に写っていた家族の写真を見て、直達の父に眠りかけていた静かな怒りを覚えます。

まあ当然と言えば当然ですよね。ひとさまの母親に手を出し連れ去った挙句、一人のこのこ家庭に戻って優しそうなホームパパしてるんですから。自分の母親はそのまま帰ってこず、家庭を破壊されたという被害者意識が強まって当たり前だと思います。

しかし一方で榊さんは、息子の直達は気遣いのできるとてもいい子で、彼に自分の怒りや彼の父親のろくでもない過去のことを知らせるのは得策でないとも考えます。

 

ある日、同居人一同で開催された直達の歓迎会で庭でバーベキューをしていた日、直達は偶然、榊さんと同居人の一人である教授(初老の男性。榊さんの古い知人でW不倫のことも知っている)の会話を立ち聞きしてしまい、自分の父と榊さんの母の間の過去のことを知ってしまいます。

しかし直達はとてもいい子なので、自分が聞いてしまったことは一度胸の奥にしまい、榊さんや叔父たちの気持ちを慮って振る舞います。

このあいだの彼らの、知ってるか知らないか、疑うか疑わないかの微妙な心の読み合いとギクシャクしたり思いやったりする静かな駆け引きが実に面白いです。

 

1巻の中盤、GWで帰省した直達と入れ違いで、彼らの住まいに訪ねてきた直達の父と榊さんがばったり対峙してしまう場面があります。

榊さんの要らなくなった洋服をもらうために遊びにきていた直達の同級生の楓ちゃんは直達たちの複雑な事情をよく知る一人なのですが、状況を察した楓ちゃんが急いでニゲミチ先生を起こしに行くところが大好きです。

「ニ ゲ ミ チ 先 生ー(前転しながら華麗にニゲミチ先生の布団をひっぺがす楓)

エマーーーーージェンスィー」

「もっとラノベに出てくる妹みたいに起こしてくれーっ」 

「ちょっと何言ってるかわかんない

早く下に行って!!熊沢くんのお父さんが来てるの」

「・・・・・・・・・なんで?」

「こっちが聞きたい」

「ちょっと待て

オレ何に見える!?」

「のんきなおじさん」

「そーじゃなくて 会社員に見える!?」

「うーん・・・納期前のSEになら見えなくもない・・・

じゃねーわ早くーーー」

ここ何回読んでも笑ってしまうくらい好きです。楓ちゃんもまたいい子なんですよねぇ。寝起きのニゲミチ先生が本当にどこからどう見てものんきなおじさんにしか見えなくて、楓ちゃんの瞬発的早さで繰り出される的確な表現力に脱帽です。

 

作品全体に流れる人間らしくも穏やかな雰囲気とか、ゆるいけれど能天気ではない登場人物たちの心の機微とか、懐の広さと繊細さが同居した優れた作品世界が読むたびに心地いい良作だと思います。

 

はぁー、私も早くニゲミチ先生みたいに、大嫌いな現代人を辞めて、のんきに暮らしたいです。

 

余談ですが、この漫画を読んでから私も榊さんの牛丼(通称”ポトラッチ丼”)が食べたくて、昨日スーパーで半額になっていた国産牛と普通の玉ねぎと冷蔵庫に残っていた普通のめんつゆで作りました。数年ぶりに料理しましたが、美味しかったです。おわり。