れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

生活水準と愛と幸せについて:『ワンルームエンジェル』

私はたまたま中流家庭に一人っ子で生まれて、たまたま父が大企業に勤めていて、

両親ともそこまで浪費家でもなく、子供にまあまあなんでもやらせてまあまあ何でも買い与える人たちだったので、

生活にこれといった不自由は感じませんでした。

 

小学校の頃も、中学の頃も、一緒に遊んでいたクラスメイトや先輩の中には数名”マイルドヤンキー”的な家庭の子達がいて、彼らの家に遊びに行くのが好きでした。

物が多くてごちゃごちゃした狭い平屋やアパートで、体に悪そうなお菓子やジュースや酒やたばこの吸い殻がたくさんあって、敷きっぱなしの布団と放り出してあるゲームや漫画の山があって、パチモンのヴィトンの財布やカバンがあって、109系のギャル服と雑誌と安い化粧品が並んでて、とにかくカオスな空間。

そして話してて面白いけど何となく少し怖い彼らの親や兄姉たち。

彼らのことを思い出すと、当時は言葉を知らなかったのでわからなかったけれど、いわゆる貧困層だったのかもしれないと思います。

 

今でこそ格差社会がとりただされて騒がれている時代になりましたが、思い返せば昔から格差はいたるところにあったのでした。

そして10代半ばの頃、私は自分のいる中流階級が、全くの運によるところで、元来自分自身にも両親にもそんなステータスを勝ち取る実力はないということに気づきました。

母も父も商業高校卒で特に教養もなく、酒もたばこもパチスロもちょっと嗜み、これといった趣味もない人たちでした。

たまたま時代の流れで大きな企業や組織に就職して、自ら変化を起こすような意志の強い人たちでもないので、そのまま不満があってもズルズルと何十年も働いているだけだったのです。

そして私はそんなある意味我慢強い両親たちの稼ぎの恩恵を受けていただけの何もできない子供でした。

 

私は、自分自身はいっぱい勉強して実力をつけてしっかり稼ぎ、自分の力でいい暮らしをしよう・・・

などとは全く考えませんでした。

考えたのは、生活水準をできるだけ低くしようということです。

それまでのように、小綺麗なマンションに住みお金の心配をせず好きなものを買うような生活は、自分自身の力ではかなり頑張らないと難しいと感じました。

両親と違って我慢強くない私は、給料が良くても同じ場所でずっと働き続けるということができません。

なので、初めからフリーターレベルの収入を想定した、低い生活水準で不自由を感じないように自分で自分を教育しました。

最初から目線を低くしておけば、水準を低くしておけば、幸せのハードルも一緒に低くなるように思えたので。

 

具体的にどれくらいの生活水準かというと、はらだ先生の最新作『ワンルームエンジェル』の主人公・幸紀くらいです。

ワンルームエンジェル (onBLUEコミックス)

ワンルームエンジェル (onBLUEコミックス)

 

公式サイトで1話が試し読みできます。

 

物語のあらすじは以下。

趣味なし、友人なし、恋人なし。

人生に対し投げやりになっていた幸紀。

ある日、チンピラに 絡まれ

ナイフで刺された その時

目の前に現れたのは美しい天使

一命を取り留め帰宅すると

部屋にはあの時の天使が…

天使との不思議な同居生活が始まる─…!

 

公式サイトより)

主人公の幸紀は三十路超えの独身男性で、深夜のコンビニバイトをしていましたが冒頭の事件でバイトもクビになります。

幸紀は若い頃チンピラみたいなことをしていて、巻き込んだ弟の友紀はヤクザになって、シングルマザーだった元ヤンママの母・あり紗は田舎でスナックをやっています。

幸紀はセリフなどを読んでいてもわかりますが、見かけによらず教養があり、難しい言葉もよく知っています。今風にいうと地頭が良さそうな人です。

幸紀はたまたま生まれた環境の水準が低くて、元から多くを望まない性格になった人でした。

 

物語冒頭での幸紀の独白からパンチがあります。

テレビもネットもない

狭くて汚いワンルーム

時計がわりのボロいガラケー

男、30代

今からコンビニバイトの夜勤

金がないので

酒も煙草も

ギャンブルもやめた

 

趣味なし

友人なし

恋人なし

生きる価値

なし

 

人生、クソ

(はらだ『ワンルームエンジェル』祥伝社 2019.3.25) 

「生きる価値なし」と思っていた幸紀ですが、その後出会った謎の”天使”との交流を通して、生きる価値や幸せを見つけます。

 

幸紀たちの幸せって、すごくささやかなものなんですよね。

一緒にご飯を食べて、雪が降ったら雪合戦して遊んだり、カラオケ行ったり。

はたから見ると特別なことは何もしてないんです。

でも、互いを想いあって二人でともに過ごしている、それこそが幸せの核なんですよね。

つまり、愛。

 

最後、幸紀と天使の二人の心が満たされて、天使は成仏したのか幸紀の前から姿を消します。

幸紀は冒頭の独白の時と状態的には何も変わってないんです。

狭くて汚いワンルームも、趣味も友人も恋人もいない事実も、何一つとして変わっていない。

けれど、「生きる価値なし」とはならない。天使との出会いがその価値観を変えたんです。

社会的な生活水準は何も変化していないのに、心の持ちようが確かに変わっているんですよね。これってすごいことだなと思いました。

 

私はいまだに愛というものをあまり体験していないのでどうしても想像の域を出ないのですが、

愛ってそんなになんでも飛び越えた存在なのでしょうか。

逆に、愛がないと、結局何も満たされないってこともあるのでしょうか。

たとえしゃにむに働いて稼いで生活水準が上がっても、あぶく銭を手に入れて好きなように豪遊しても、愛がなかったらどこか足りない感じがしてしまうのでしょうか。

もしそうだとしたら、幸せのハードルが高すぎるなぁと思います。生活水準の高低以上に、愛が手に入るかどうかは運しかないような気がするので。

 

少し悲しいお話でしたが、幸紀は天使に出会えてやっぱり幸運だったなぁと思います。

こうして感想を書いているうちに、またもやもやといろんなことを考え込んでしまいました。

今日は休みですが上司から仕事のミスについて連絡が入り、まさに「人生、クソ」と言いたい気持ちでこの文章を書いています。

愛する人がいたら、心安らげる誰かがそばにいたら、こんなすさんだ気持ちにはならないのでしょうか。おわり。