れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

罪悪感と胸騒ぎと恋と愛情:『春の呪い』

ずーっと前から本屋で表紙を見るたびに気になっていたのに、なかなか読まずにいた作品をついに読みました。

繰り返し読み終わるたびに「いい話だなぁ」と声に出してしまうほど好きな作品でした、小西明日翔春の呪い』。

癖のある独特の絵柄もインパクトがありますが、ストーリーと登場人物の感情の描写がとても胸に迫る良作です。

 

あらすじは以下。

妹が死んだ。名前は春。まだ19才だった。

妹が己のすべてだった夏美は、春の死後、家の都合で彼女の婚約者であった柊冬吾と付き合うことになる。

夏美は交際を承諾する条件として、冬吾に、春と二人で行った場所へ自分を連れて行くよう提示した。

そうして、妹の心を奪った男と夏美の季節は巡り始める――。

pixivコミックより) 

 

一般中流家庭で育った夏美とその妹の春ですが、彼女たちの父親の血筋が少し特殊なことから”婚約者”として2人の前に冬吾が現れます。

眉目秀麗な冬吾に一目惚れする春、溺愛していた妹・春の心を奪われた冬吾を殺したいほど憎く思いつつも愛する妹の想い人を受け入れるしかない夏美、家の意向のまま何も考えることなく春と交際しつつもその姉の夏美に惹かれ続ける冬吾という三角関係は、春の病死によって夏美と冬吾2人だけの閉じた関係に形を変えます。

 

2話で冬吾がどのように夏美に惹かれるようになったかが描かれるのですが、私も夏美に惹かれる冬吾の気持ちにとても共感してしまいました。

夏美は基本的には明るくて闊達で社交的な女性です。たくさんアルバイトしていてよく働きよく笑う、それでいてとても気がつく心優しい女性だと思います。

けれどどこか見ていて不安になる心もとなさや儚さを持っていて、そのギリギリのバランスが目を離せなくて放っておけないんですね。

 

夏美と春は思春期の少し前くらいに実の母親が家出しており、現在の母親は父親の再婚相手です。血の繋がらない新しい母親はとても分別のある善良な女性ですが、彼女と父親の間に年の離れた弟も生まれ、夏美と春はどこか新しい家に馴染めず、互いだけが唯一の家族と考えるようになります。

2人はとても仲のいい姉妹でしたが、夏美の方が幾分か愛情が強く、二十歳を迎えてもなお恋人も作ったことすらなく、ひたすら妹だけを愛していました。

妹だけが自分のすべてだった夏美は、ずっと2人でいたいという願望と、それが叶わない現実への失望と、自分の異常性を後ろめたく思う諦念と、大好きな妹の心を奪っていった冬吾への言いようのない嫉妬心と、いろんな闇を抱えていました。

そんな闇の気配にいち早く気づき、またそこから目が離せない冬吾は、婚約者である春の見舞いに病院を訪れるたびに夏美の方を気にしてしまうんです。

 

冬吾は生まれた時から学歴もキャリアもあらかじめ決められているような典型的金持ちのエリートで、生まれ持った素質と欲のなさでほとんど表情筋が動かないような穏やかな男性なんです。そんな彼が初めて恋をしたのが夏美で、自分で制御できない強い感情に翻弄される冬吾を見ていると胸がきゅっと苦しくなります。

春が死んだ時本当は夏美の家とは縁が切れるはずだったのを、これまで何も要求したことがなかった母親を説き伏せ、夏美に嘘をついてまで夏美を自分のそばに置こうとした冬吾。冬吾も春への罪悪感が全くないわけではないし、夏美が自分以上の罪の意識に苦しみ追い込まれるとわかっていても夏美のそばにいたい気持ちを抑えられない冬吾の、静かなる強い恋心がたまらないです。なんて素敵なラブストーリーだろうと思いました。

 

しかし、ラブストーリーだけではないのがこの作品の素晴らしいところで、2巻では夏美が偶然見つけた春の生前のSNSから、さらに深い群像劇になっていきます。

春は自分が入院して見舞いの場で鉢合わすようになった冬吾と夏美の様子を見ているうちに、だんだん不安に襲われるようになります。

冬吾は春に対してとても優しいけれど、一緒にいてもあまり楽しそうにはしません。冬吾にとって春は親が用意した婚約者であってそれ以上でも以下でもないんです。進学先や就職先と同じようなレベルの存在だったのです。

そんな冬吾が夏美に向ける視線は、自分に向かうものとどこか違って見えるわけです。とある冬の雪の日、夏美が足を滑らせて冬吾と2人すっ転んだ時など、冬吾は楽しそうに微笑みさえしたのです。そのかすかな微笑みを見た春はどうしようもないほど焦燥し、姉・夏美に対して羨望と嫉妬と憎しみを抱いてしまいます。

さらに、一向に回復しない自分の病状への不安もあいまって、最終的には冬吾の幸せだけを望み、冬吾への強い愛情だけを確かなものとし、姉は地獄に道連れにしてもいいとすら思うようになっていたのでした。

夏美は春の知られざる内面を彼女の死後知って、ただ一人溺愛していた妹の感情に完全に打ちのめされます。

 

私は一人っ子なので兄弟姉妹の間の情というのがどういう感じなのか想像することしかできませんが、どんなに仲の良い姉妹でも、恋愛による軋轢には勝てないんですかね。

春のSNSで一層罪悪感を深くした夏美に、今度は母親からの忠告も飛んできます。

夏美が冬吾と付き合うようになってから生じた夏美の変化(週末必ず出かけるけれど夜9時までには必ず帰る、携帯でこまめに誰かと連絡を取っている等)に気づき「冬吾と付き合っていた頃の春に似てきた」という母親の指摘に激しく動揺した夏美は、それまで心の底で抱えてきた母親や父親への鬱憤を思わず口にしてしまいます。

この、夏美の2番目の母親が、本当にいいお母さんなんですよねぇ。つくづく家族というのは血のつながりじゃないですよ。所詮は人と人、思慮と性格の問題です。

最後、夏美が家を出て行くときのお母さんの独白のシーンは何回読んでも泣いてしまう名シーンです。

 

***

 

ほかに特に好きなシーンは、主に冬吾が夏美が死ぬ(もしくは死んだ)んじゃないかと焦っているところです。読んでて本当にドキドキします。

夏美は春が死んだ絶望で生きる意味を見出せず、さらに春が愛してやまなかった冬吾と交際している罪悪感で相当切羽詰まっているんですね。そこで実際一度線路に身を投げようとしたことがあって、冬吾はそれを止めたんです。

好きな人が死んでしまうかもしれない焦りって、こんなに心臓がバクバクするんだと読みながら実感できるほど描写が迫真なんです。こんな胸騒ぎ、私はこれまで一度も味わったことがないと思うほどに。

物語終盤の、冬吾が街中で投身自殺の噂を耳にして「もしや夏美ではないか」と焦って現場へ走るところもすごく好きです。夏美から離れて、彼女に出会う以前の自分に戻るだけだと思っていたのに、結局夏美のことが頭から離れず彼女が死んだんじゃないかと想像するだけで我を失うほど焦る冬吾は、事故現場で死んだのが夏美じゃない赤の他人であることに図らずも安堵してしまい、そして自分の本当の気持ちをまざまざと認識するのです。もう夏美と会う前の自分になんか戻れるわけがないことに気がつくのです。

その直後、今度は冬吾が交通事故に遭い、その知らせを受けた夏美も同じくらい焦って街中の病院を探し回ってついに2人が再会するところがこの作品最大の山場で、この告白シーンはものっすごくドラマティックでああ本当に、もう・・・(言語化閾値を超える)とにかく最高です。

 

たった2巻で季節が一巡し完結する物語ですが、何度も読み返したくなる極上のラブストーリーでありヒューマンドラマです。大好きな作品がまた一つ増えて嬉しいです。おわり。