れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

旅とスタンス:『from everywhere.』

小学校低学年の頃『ロードス島戦記-英雄騎士伝-』は、ストーリーはほとんど理解できないにも関わらず毎週観ていた稀有なアニメ番組で、成長してからもこのアニメのオープニングテーマとエンディングテーマがずっと心に残っていました。

小学校高学年になった頃「あの曲なんていう曲なんだろう」とふと思い出し、朧げに覚えていた歌詞を自宅のパソコンで検索すると、坂本真綾という人の「奇跡の海」という曲のコード表が出てきました。

ちょうどその少し後『ラーゼフォン』というアニメを視聴していて、またオープニングテーマが魅力的な曲で、それも坂本真綾さんが歌っていました。(「ヘミソフィア」という曲です。)

 

そんなことがあり、思春期の多感な時期によく聴いていた音楽の一つに坂本真綾さんの楽曲が数多くあり、彼女の曲は今でも好きでよく聴いています。

そんな坂本真綾さんが、自身が29歳の時の約5週間にわたるヨーロッパひとり旅の模様を書いたエッセイを読みました。

from everywhere.

from everywhere.

 

坂本さんは8歳の頃から子役として芸能界で活躍していて、この旅に出た29歳になるまでずーっと働き続けていたそうです。

すごいなぁ。数ヶ月ちょっと働いただけですぐ嫌になる自分からは想像もつかない世界です。

 

そんな彼女が初めて捻出した長期休暇で一人旅する様子は、とても素直でユーモアとセンスに溢れていて面白かったです。そして示唆に富んでいました。

 

坂本さんがこの旅を敢行したのは2010年、ちょうどスマートフォンが多数派に切り替わるくらいの年。

このころも昔に比べれば旅のための環境が格段に整備されていますが、そこからさらに8年経った今、時代はますます大移動時代に突入しているように思います。

スマートフォン1つでLCCのチケットから宿の手配からガイドから美味しいお店の口コミまで揃う、こんなに旅がしやすい時代が未だかつてあったのでしょうか。

そんな時代だからか、ここ数年は旅を推奨する言説が随分増えたように感じます。

 

坂本さんは本書の最後で「ひとりになりたくて旅に出たのに、私は人を求めて歩いていたんだと、今日わかった。」と書いています。

私はなんのために旅に出るのか、改めて考えたことがあんまりなかったことに思い至りました。

 

私は長年飛行機が苦手で、克服したのはこの2、3年のことです。

大学の時の地理学の先生が鉄道オタクで、彼の話が面白くて日本国内を電車で旅行するようになったのは20歳になる少し前でした。

大学を卒業するときは夜行バスも使って、四国と九州をめぐりました。

フリーターになった頃はほとんど休みがなかった中なんとか夏の数日間だけ時間を取り、東北地方でまだ足を踏み入れていなかった山形、秋田、青森を18きっぷで巡り、

新卒で入社したメーカーに勤めていた頃は、設備の故障で急に降って湧いた休みに長瀞や新潟に遊びに行ったりもしました。

そのメーカーをやめた直後は鳥取、島根、長崎を含む西日本旅行をし、

前の職場では夏休みに高知と愛媛、春には仕事を抱えたまま大分と宮崎をめぐり47都道府県全てに旅することができました。

それからは、家族旅行で10歳の時以来一度も行っていなかった北海道に行くべく10年ぶりに飛行機に乗り、高校の修学旅行以来行っていなかった沖縄に行くべくまた飛行機に乗り、さらには奄美大島にも飛行機で行きました。

立て続けに飛行機に乗ってやっと慣れてきて初めて海外旅行が視野に入るようになりました。

 

10代の頃も家族や学校の行事や部活動の合宿その他で大きい意味での旅行はいろんなところに行きました。でもなんだかどれも断片的な記憶しかありません。

自分の心に強く残っている旅はどれも10代最後から始まった一人旅の記憶です。

一人旅を始めた頃は「47都道府県全てに足を踏み入れる」という目標があって、それを達成した26歳の春にはそれなりに達成感がありました。

その次は「すべての都道府県の鉄道に乗る」ことを目標とし、北海道と沖縄という、10代の頃に行ったきりの場所に苦手だった飛行機で一人旅しました。

奄美大島にも行った頃心底満足するとともに思ったことは、確かに所変われば食べ物や雰囲気やいろんなところが違うけれど、あくまで日本はどこ行っても日本だな、ということです。

 

それからは、国内あちこちフラフラしつつもイマイチ気分がパッとしなくて、やっぱり一度海外に行ってみなければ、でも言葉わからないしなんかあったら怖いし、と思い悩んで28歳になってすぐ行ったのが台北でした。

ほぼ日本とも言われる台北は、確かに言葉がちょっと通じない陽気な東京みたいな感じでしたが、帰国した時に「ああ、あそこは外国だったんだ」とハッとしたのを今でもよく覚えています。

日本を出て初めて日本が相対的に見えるんだなぁ、と沖縄と対して変わらない位置にある台湾に行ってさえ感じるのだから、ヨーロッパなんて行ったらもっとカルチャーショックがあるのでしょう。

 

***

 

さて、この本を読んで「ほんとその通りだな」と思った箇所。

外国でことばが通じないときに感じる疎外感は、同じ日本語で話しているのに自分の気持ちがうまく伝えられない、人と腹を割ってわかり合えないと思うときのそれに比べたら、どうってことない。私は英語が喋れないことよりも、自信のなさを取り繕ってかっこつけていることのほうがよっぽど恥ずかしい。

私も海外旅行をまだ視野に入れていなかった頃は「英語喋れないし聞き取れないしわかんないし無理」って思っていたけど、いざ行くことを決めたら「まあなんとかなるでしょ」と妙に楽観的になり、そして本当にその通りでした。(不便はあるので語学はできるに越したことはない。)

実際はことばが通じるかどうかの不安よりも「おかしな振る舞いをして変に思われたらどうしよう」とか「おどおどして怒られたらどうしよう」とか、そういう”周囲からの目線”に変に怖気づいてしまうことのほうが多かったです。多分、日本にいても無意識のうちにそういう思考だったんでしょうね。

よくよく考えればどこから見ても明らかに外国人だし旅人なんだから、少し変な感じでも誰も気にしないし、というか旅先で恥かいたって別にどうってことないんですよね。もっといえば、別に日本に居たってどこに居たってそんなに他人の目をきにする必要はないのです。

そういう知らず識らずのうちに自分に染み付いて居た余計な癖みたいなものを認識して、取っ払う訓練ができるのは、海外旅行のいいところだと思いました。

 

***

 

坂本さんは旅の後半の19日目くらいから、旅先も、自分が自分の日常を過ごす場所も、本質的には同じはずであるということに気づき始めます。

ここではないどこか、それを探し求めていたけれど、どこであれこの世界に特別でない場所なんてない。毎日が特別な日だし、誰もが特別な命を生きている。ただ、あまりにも近くにありすぎて普段はそれに気がつかないだけなのかもしれない。

私が呼吸し、立っている場所がすべて特別なのだとしたら、東京のいつもの生活もすでに私にとってはちゃんと帰るべき場所であったのかもしれないと。こんなに遠くまで来てやっと気がつき始めたようです。 

そして最終日にはこう書いています。

旅は現実逃避だったの?

否定できない。だけど、例えそうだとしても、いつかは坂本真綾という人間の日常へ私は帰るしかないんだ。いつまでも旅人でいたいけど、旅の中でしか自由な自分でいられないなんて、そんなの変だもの。

世の中には”いつまでも旅人”な人ももちろんいるけれど、また最近はそういうライフスタイルが結構もてはやされているけれど、少なくとも自分には向いていないとつくづく感じます。

旅は面白いし発見がたくさんあるけど、やっぱり疲れます。ずーっと旅行に行けないのもつらいけど、ずーっと旅行していなければならないのもしんどい。だからこそ、旅の中でも外でも、ちゃんと自由でいられるようになりたいと思いました。

 

***

 

ヨーロッパには行ってみたいけどどこから行こうかちょっと考えあぐねてたんですが、

この本を読んでリスボンバルセロナフィレンツェプラハ、パリに行ってみたいと思いました。おわり。