れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

人生を生き延びるということ:『憤死』

先週海外旅行で飛行機に乗っていた際、自分の人生の記憶を覚えている限り最初から振り返ってみる、という試みをしたのですが、幼少期の記憶がほとんど曖昧であることに気づきました。

少なくとも小学校に入る前の、3歳〜5歳くらいの記憶だとおもうのですが、それが果たして本当に自分が記憶しているものなのか、親などの他人から教えられてあたかも自分が記憶しているように錯覚しているだけなのか、確証がもてない事柄が非常に多いです。

 

人々がどのくらい昔からの記憶を保持しているのか、ちょっと気になります。

そんな、幼い頃の記憶が大人になっても人生に絡まるような物語の短編集が綿矢りさ『憤死』です。 

憤死

憤死

 

この表紙、めちゃめちゃインパクトあって好きです。

 

綿矢さん自身の幼少期のお話「おとな」から始まり、少年時代の不思議なおじいさんとその後の同級生とのホラーな展開がちょっと怖い「トイレの懺悔室」、好きじゃないけれどなんとなくつるんでいた気性の激しい女友達との再会の話「憤死」、そして男子の親友3人組が小6の時に遊んだボードゲームを巡って数奇な運命をたどる「人生ゲーム」の計4篇が収録されています。

 

読んでいて思ったのが「”世にも奇妙な物語”っぽい」、ちょっとゾクッとする話が多かったです。

「憤死」は笑いましたけど。

 

タイトルの「憤死」とは、同小説によると世界史でちょくちょく出る死に方だそうで、「どうやら誰が見ても悔しく失意のうちに死んでいった人物を、憤死扱いにするらしい」のですが、私は世界史をかけらも勉強しなかったので知りませんでした。

語り手の女性の同級生の佳穂が失恋の末自殺未遂を起こし、それを面白がって語り手が見舞いに行くという話なのですが、佳穂の自殺がまさしく憤死なのだと思い至る語り手の表現が秀逸で面白かったです。

佳穂は自分の命に八つ当たりした。小学生の頃と変わらないパワーで癇癪を爆発させて、怒りにまかせて、軽々と自分の命に八つ当たりしたのだ。

「死ぬかもしれないのに、恐くなかったの?」

「死なんて、」驚いたことに佳穂は鼻で笑った。「あんまり腹が立ってよく考えてもいなかったわね。看護婦をしてるあなたにこんなこと言ったら、叱られそうだけど、生きるか死ぬかなんて、本当にどうでも良かったのよね。ただあの瞬間、身が焼き切れそうな怒りから逃れられればよかったの」

 

綿矢りさ「憤死」『憤死』河出書房新社 2013.3.30)

”自分の命に八つ当たり”ってすごい表現だな〜と感心しました。

佳穂みたいな激しく自分の人生に没頭している人って羨ましいといつも思います。失恋して殺人とか自殺とか、よく知らないけどイタリア人みたいっていうか、ラテンぽいというか。そういう情熱的な人生って素敵だなぁと他人事のように思います。

 

***

 

この短編集の中で一番好きな話は最後の「人生ゲーム」です。

小学6年生のコウキとナオフミと語り手の仲良し3人組がコウキの家で人生ゲームをして遊んでいると、2階から降りてきてキッチンの牛乳を飲むコウキの兄の友人らしき青年からちょっかいをかけられます。

そんなボードゲームよりリアルな人生の方がずっと大変だと茶化すと青年は「おまえらが本物の人生で大変になる場面に、マークつけてやる」と言い出しマジックで3つのマスに丸印をつけてしまいます。

すっかり興が削がれた3人は人生ゲームをやめて公園で遊ぶことにしました。

 

その後彼らは中学生になり高校生になり大学生になり、別々の学校に進みつつも付かず離れず仲良くしていた3人に大きな出来事が起こります。それはナオフミの交通事故でした。

大学生だったナオフミは取り立ての免許で彼女とドライブしていたところ事故を起こし、自身は軽傷で済んだものの一緒に乗っていた彼女は脚に大きな怪我を負い、ぶつかった相手も全身打撲で入院。ナオフミの人生は一転し、大学を辞め多額の慰謝料を返す日々を送ることになります。

コウキたち親友もできるだけの援助はしたものの、会うたび辛気臭くなるナオフミに内心嫌気がさして少しずつ疎遠になりかけていました。

そんな折にナオフミが自殺してしまいます。

何も言えないナオフミの葬儀の後日、コウキに呼び出された語り手はコウキの実家で昔遊んだ人生ゲームを見せられます。

忘れかけていた小6の時の記憶。謎の青年が勝手に丸印をつけたうちの一つのコマ、”買ったばかりの新車で人身事故! 一万三千ドルはらう”を目にして血の気が引く2人ですが、丸印をつけた青年の身元や消息は謎のまま、ただの偶然ということでやり過ごしました。

それから数年、社会人になった彼らはまたもや難儀な運命に直面します。

コウキが勤めていた大手銀行が突然の破綻、なんとか次の就職先を見つけたコウキでしたが、再会した彼の様子はとても大丈夫じゃなさそうでした。

居酒屋で再会したコウキはあの人生ゲームを持ってきていて、青年が丸印をつけた二つ目のコマ、”勤めていた会社が倒産! 無一文に”に2人は少し冷静でいられなくなります。

それでもどうすることもなくやりすごすしかなかった矢先、前の銀行で不正融資に手を染めていたことが発覚したコウキは投身自殺してしまいました。

語り手の彼は大事な親友2人を失い、偶然にしては出来過ぎている謎の丸印がついた人生ゲームをコウキの形見として貰い受けました。

最後に残った彼はそれなりに幸せな人生を全うし、妻に先立たれて一人ぼっちになった自宅であの曰くの人生ゲームを一人でプレイします。

一人でゲームを進める彼の車が止まった三つ目の丸印のついたコマは、”がんが見つかる! 手術代として一万ドルはらう”。

 

この後の展開はちょっとファンタジーなので実際読んでいただくとして、この作品は一人の男性の一生が実に巧みに鮮やかに描かれていて、本当に見事で圧巻でした。

最後の方の、彼の人生語りは読んでてじんわり泣けてきました。決して世界に名を残す偉業を成し遂げたわけでも、ドラマティックな大恋愛をしたわけでもないけれど、様々な登場人物との思い出や嬉しかったこと悔しかったこと悲しかったこと楽しかったことが走馬灯のように口から溢れ出し、目の前に広がるような様子は、人生を懸命に生き抜いた人の美しさに満ちていると思いました。

彼が語り終え再びルーレットを回して、ようやくゴールにたどり着くところもとてもいいです。

 

***

 

過去には戻れないし未来もわからない、人生は常に今しか実際に見ることはできません。

記憶は時間とともに美化されたり歪曲されたり忘却されたりしますが、それでも人が生きていくということは、確かに過去を生きて積み重ねたということに他ならないのだと、この作品を読んで改めて思い知りました。

どんな人にも生き延びていく限り、過去があり、経験があり、思い出があり、後悔があり、未来があるのですね。おわり。