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ひまをつぶしましょう

共感につぐ共感:『私をくいとめて』

小説を読んでいて、「これ、自分のことを描かれている!!」とびっくりすることが稀にあります。そんな作品の一つ、綿矢りさ『私をくいとめて』は、面白おかしくも、それだけでは帰してくれない、ちょっと意地悪な小説でした。

私をくいとめて

私をくいとめて

 

三十路を過ぎてなお独身、恋愛沙汰も随分ご無沙汰だが仕事はそこそこ頑張っているOL・黒田みつ子を主人公に、みつ子の仕事上の取引相手でご近所の青年・多田くんや、みつ子の先輩でちょっと変わった独身OL・ノゾミさん、残念な顔だけイケメン・カーター(片桐)など、個性豊かでどことなくモラトリアムな現代の大人達を描く群像劇です。

 

みつ子はある日突然自分の脳内に顕在したAと言うもう一人の自分(しかも男性人格)と対話することができる特殊能力があります。

このAがまた面白い。時雨沢恵一キノの旅』シリーズのエルメスのように、寄り添いつつも少し毒があり、けれども優しい相棒のような存在なのです。

物語序盤で、Aが初めてみつ子の意識内に立ち現れた場面が描かれているのですが、そこで明らかになったみつ子のパーソナリティが、思わず「お前は私か!」と叫ぶレベルで自分を言い当てられたようで驚きました。

「私はね、あなたの生活にもっとカラフルを足せばいいと思うんですよ。たとえばこの部屋。いまは夜ふけに沈んでなにもかも薄暗いけど、電気を点けたところで、白か薄ねずみ色か木目の色しかないでしょう?しかも今引っ越してきたばかりなんじゃないかと思うくらい、物が少ないし。シンプルすぎます。(中略)」

「たしかに殺風景すぎるかもね。自分では落ち着くけど」

部屋を見渡すと、目に見えない収納を徹底した分、クローゼットでも開けないと、毎日の生活空間とは思えないくらいに無機質だった。シンプル・アンド・クリーンを目指したんだけどなぁ。 

”白か薄ねずみ色か木目の色しかない”部屋、まさしく今の私の部屋です。ちなみに住みだして5年目を過ぎ、目に見える収納はゼロです。

さらに身につけるものについても・・・

「(前略)なぜ好きなものを着られるのに、あなたはプライベートの服さえ、制服のようなレパートリーにしてしまうんですか。いくら上質の肌ざわりが気に入ったからって、無地のTシャツを同じもの三枚も買うのは止してください。人には、洗濯しないで同じのばかり着てる、あの人、って思われてるかもしれませんよ」

「でも下着はカラフルだよ」

今日も私は声の主が言うように、ボタンシャツとコットンパンツという、いつも通りの格好をしていたが、下着は鮮やかな水色のタンガだ。

「下着だけは派手っていうそのこだわりも恐いんです、何を目指してるんだこの女は、という感じで。(後略)」 

”無地のTシャツを同じもの三枚”で”下着だけは派手”、これも私そのままでした。恐ろしいくらい自分を言い当ててくる、何という小説なんだ!と仰天しました。

だからこそAの冷静かつ客観的なツッコミが面白くて爆笑してしまいました。

 

もう一つ、この小説で声を出して笑えるのが、みつ子の会社の同僚・片桐直貴、通称カーターの記述です。

彼はみつ子より一年後に入社してきた誰もが認める端正な顔立ちと長身を誇る真性イケメンで、入社当初は女子社員も色めきだったとのことです。しかし、それは最初だけ。同性愛者でも既婚者でもないカーターが、同性からも異性からも距離を置かれる要因は”あまりに個性的過ぎる”性格とファッションセンス。その描写がまた秀逸なのです。

内面がばれる以前から、彼のファッションセンスは不吉だった。週に一度のカジュアル・デーに彼とすれ違った社員たちは息をのんだ。うちの会社の服装規定が甘いのをいいことに、悪趣味なけばけばしい色合いのスカーフを巻いたり、カマキリかと思うくらい派手な緑色のシャツを着たり、どこに売ってるのと不思議になるような、妙に先のとがった魔女っぽい革靴を履いてきたりする。一見すれば普通のスーツを着てきたことがあり、片桐にしては地味だと皆思っていたら、実は裏地が七色のレインボー柄で、彼は得意げに両腕を広げ、モモンガのポーズで裏地を自慢した。あれ売れたとき店員嬉しかっただろうねと、あとで社内の人たちと話した。 

このそしり方、なんてセンスでしょう。最高にクールです。何回読んでも笑えます。

そんな残念なイケメン・カーターに、皆がとっくに興味を失っている中、一人だけずっと夢中でいるのが、みつ子の先輩女性社員・ノゾミさんです。38歳独身のノゾミさんは、なかなか捌けていて個性的な人で、でも私はノゾミさんにもすごく共感できました。私もカーターみたいな奇抜な人って結構好きですし。

社内運動会のときには、五月半ばなのに薄いセーターを着てきた。セーターは地が茶色で全面にスパンコールやメタリックな刺繍糸で雄々しいタイガーがデザインされていて、妙に高そうだったが、大阪のおばちゃんという印象しか、みんなに与えなかった。見てはいけないものを見てしまった、と大方の人間が目をそらすなか、ノゾミさんだけが彼を褒めそやした。

「今日の片桐くん、気合十分だね!神々しささえ、感じるわ。虎で勝つって意味でしょ?阪神ファン?」 

本人はまったくもって褒めているのですが、どう聞いてもバカにしているようにしか聞こえない、この会話センスが最高です。

ノゾミさんは本気でカーターを好きだけれど、自分を同じ土俵に無理に上げずに”ただのファン”の姿勢を崩さない謙虚さも素敵です。

 

登場人物の個性豊かさもさることながら、主人公・みつ子が33歳くらいという難しい年齢設定でもあり、世の働く独身女性の描写もかなりキレキレです。私は”子どもを生む/生まない”についてのみつ子の独白がとても好きです。

子どもかー、いたら楽しそうだけど別にいなくてもいいや。子どもがどうしても欲しい人には分かってもらえないが、意地でも誇張でもなく、等身大の正直な本音だ。そう言ってても後で欲しくなるんだって、と言われても、やっぱり実感がわかない。私にとって子どもは”まだ欲しくない”ものではなく、”欲しいか欲しくないか聞かれれば、積極的に欲しいとは思わない”に分類されている。それが時間経過と共に変わるかは”いま生きていたいからって、いつか辛いことがあって死にたいと思うかもしれないじゃない”と言われているのと同じくらい、理屈はわかるが実感がわかないできごとだ。 

この表現、すごいと思いました。私はみつ子よりもう少し強迫めいていて”欲しいと思うことすら恐ろしい”レベルで子どもを欲しない立場ですが、みつ子の表現もすごく好きです。自分の会社に「そう言ってても後で欲しくなるんだって」という輩があまりにも多い(しかもその輩はみんな子持ちで半分以上が女)ので、なんだか救われたような心持ちもしました。

 

みつ子は仕事というものに対しても、示唆に富んだ視点を持っています。

辛い顔をしてないと頑張っていないと思われる日本社会は、息苦しい。仕事をエンジョイしているうちはまだまだ序の口と思われて、次々に新しい仕事が降ってくる。仕事は大変で、なによりも優先しなければいけないという共通認識があるから、面倒なことに関わりたくないときや単純に興味の無い出来事に巻き込まれそうになったとき、「仕事がいそがしいから」と言い訳すれば、言われた相手は文句が言えない雰囲気が漂っている。実際に死ぬほどいそがしいならいいが、好きな、やりたいことは何を差し置いてでもやるくせに、やりたくないことに直面すると「仕事が」と言い出す人は、私は嫌い。やりたくないのは人の気持ちだからしょうがないけど、仕事が、と”社会に必要とされている”自分をアピールしながら相手に文句を言わせない言い訳が聞き苦しいと思う。だから私はどれだけいそがしくても、できるだけ涼しい顔をしていたい。必要とされる喜びと利用される悲しみが混ざり合う「仕事」に、魂まで食われてしまいたくない。 

「めっちゃわかるわ〜」と唸ってしまった上記の記述。”必要とされる喜びと利用される悲しみ”かぁ。これまで考えてもみなかった視点でした。でも言われてとてもしっくりくる表現でした。 

 

この作品を読んだ後、作者である綿矢りささんのインタビュー記事をいくつか読みました。

この物語に流れる大きなテーマとして「一人で生き続けること」の在り方があるようなのですが、それに対する回答の一つとして、ストーリー終盤のみつ子とAとのやりとりは、とても心に残りました。

「一体なにがそんなにショックだったんですか。多田さんとの距離がぐっと縮まる良い機会じゃないですか。抱きついてきた彼に幻滅したんですか」

「ううん、多田くんは何も悪くなくて。自分が根本的に人を必要としていないことがショックだったの。人と一緒にいるのは楽しい。気の合う人だったり、好きな人ならなおさら。でも私にとっての自然体は、あくまで独りで行動しているときで、なのに孤独に心はゆっくり蝕まれていって。その矛盾が情けなくて」

「オレンジジュースを飲まないと死んでしまう人はいますか?」

「めったにいない」

「水を飲まないと死んでしまう人はいますか?」

「人間はみんなそうだよ」

「では、オレンジジュースが好きな人はいますか?」

「いっぱいいる」

「そうです。根本的に必要じゃなくても、生活にあるとうれしい存在はたくさんあるんです。というか、私たちはそういうものばかりに取り囲まれて生きていますよ。根本的に、なんて思いつめなくていい(後略)」 

なんという慧眼!このオレンジジュースのくだりは、この小説を読んで一番の収穫といってもいいくらい私にとってパンチがありました。

「根本的に、なんて思いつめなくていい」って、つくづくすごい台詞だなと思いました。私は知らず知らずのうちに、なんでも”根本的に”考えてしまう節があるのかもしれません。根本的に無駄だからいらないとか、根本的に間違ってるから好きになれないとか、根本的におかしいから信用できないとか。。

論理学なんて学んでいた弊害でしょうか(違うか)。因数分解して、真か偽か、ばかり見極めていると、自分にとって大事なことを見落としてしまうのかもしれないと思い至りました。

 

このように、様々な示唆に富んだ秀作『私をくいとめて』ですが、ギャグ小説としても非常にクオリティが高いと思います。大声でゲラゲラ笑えて、でも面白いだけでは終わらない、大変優れた作品でした。おわり。