この冬とてもよく読んでいる”えすとえむ”さんという漫画家の作品で
特に気に入っているのが『IPPO』です。
若き靴職人・一条歩の挑戦と、その周りの人々の人間ドラマです。
イタリアの靴職人である祖父・フィリッポ・ジェルリーニの元で修行し、22歳にして独立した歩は、昔祖父が日本で開いていた店を改装して、自身のブランド「IPPO」を立ち上げます。
広告の営業マンや、事故で左足が義足になった元モデルの女性、靴のコレクターやセレクトショップのバイヤー、テレビによく出る有名俳優など、実に様々な人がIPPOを訪れます。
歩は高い技術と持ち前のマイペースさ・創造性を存分に発揮して、依頼者の人生に寄り添った靴を一つ一つ作っていきます。
1足30万円からという決して安くない買い物ですが、歩の作品を履いた依頼者たちは、それぞれとても幸せそうな顔をして帰っていくのです。
あまりに依頼者に寄り添いすぎるために、歩の作品には一見すると一貫性がありません。
そのために、他の靴職人から「君の靴は美しくない」「美学が感じられない」とよく言われてしまい、歩自身もそれについて時々悩むことがあります。
しかし、歩にとって、そして依頼者にとっての”いい靴”を追究し続けることにとことんこだわるその姿勢には、ライバルの職人たちも一目置いています。
歩の”いい靴”への挑戦は、まだまだ続くのです・・・。
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作中に出てくる営業マンが
歩に採寸されながら、こんなことを言います。
・・・ああ
やっぱりええな
食べもんも着るもんも
住むとこも身の回りのもん全部
作った誰かが見えるんはほんまにええ
僕らは”作る”ってことはできひん人間やけど
(中略)
バイヤーの仕事
大きく言えば営業の仕事もそうやな
物と人をつなげるだけやなく
人と人をつなげる仕事をしていけたら
これってそれの一番ゼイタクな形やんなあ?
この場面、なんだかすごく心に残りました。なんでだろう・・・自分が営業職だからかもしれません。
この漫画は”仕事”というものの捉え方について、非常に示唆に富む場面がたくさんあります。
回想シーンで、歩の祖父・フィリッポが、修行中の歩に諭す下記のシーンもすごく好きです。
・・・いつか 魔法の話をしましたね
技術は魔法ではありませんが
創造性を持つこと 真心をこめること
そこに魔法はあるかもしれないと
・・・私たちにとって大切なのは
ここ(手)と
ここ(頭)と
そしてここ(心)
”手だけで仕事をするものは労働者である”
”手と頭で仕事をするものは職人である”
” 手と頭・・・そして心で仕事をするものは
・・・芸術家である”
イタリアの聖人の言葉です
芸術家かはともかく
創造性を失ってはいけない
今の時代に求められているものをとても的確に言い表している場面だと思います。
どうせ働くなら”芸術家”になりたくはありませんか?
芸術家とは、何もアーティストだけを指すものではないのですね。
手と頭と心をどれだけ駆使できるか・・・今後仕事をしていく上で意識したいところです。(なかなか難しいのかもしれませんが)
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また、”いいものを持つ”ということの意味についても考えさせられます。
私はもともと所有という行為があまり好きではなくて、なるべく物は持たないし、あまり高価なものも持たないです。が、
安くてそこそこなものをある一定期間所有し、破棄するというサイクルに
正直しんどさも感じています。
自分にとっての”いいもの”がまだ定まっていないせいもあるかもしれませんが
所有という行為と人生の豊かさとの関係について、もう一度考え直したいと思いました。
そもそも、どうして所有欲のない私が靴職人の物語であるこの『IPPO』を手に取ったかというと、
私にとって”靴”というアイテムが少し特別だったからです。
私は洋服もさほど好きではないしカバンも持たないし、食器も化粧品もそこまでこだわりはありません。
でも、靴だけは違います。
私の足は子供の頃から少々奇形で、小学生の頃には専門店で足型を取り
自分のためのインソールを使用していました。
そのため、履ける靴にはいろんな注意点があります。必ずしも高価ではありませんが、靴だけはあまりちゃちなものは履きません。
そんな足を持つ身であるため、『IPPO』のあらすじを少し見ただけで気になったのだと思います。
持ち物はできるだけ少なくしたいです。
バックパック一つで一生困らないくらい、所有物を厳選して生きていきたいといつも思っています。
だからこそこの『IPPO』のような、”いいものとはどういうものか”を思い出させてくれるような作品は、私にとって非常に価値のある物語なのだと思います。おわり。