れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

90年代に子供だった私たち『岡崎に捧ぐ』

昨日なんのけなしに手に取った漫画が結構面白かったです。

岡崎に捧ぐ(1) (コミックス単行本)

岡崎に捧ぐ(1) (コミックス単行本)

 

1巻しか読んでないですけど、自分の世代とドンピシャかかなり近くて、懐かしいけどどこか残酷なお話でした。

作者の山本さほさんはおそらく私と同い年か少し先輩くらいだと思います。

このコミックはエッセイ漫画で、山本さんが小学生のころのお話が第1巻でした。

小4のときに岩手から横浜に引っ越してきた山本さんは、同じクラスの少し風変わりな女子・岡崎さんと、ひょんなことから仲良くなり、彼女と青春を過ごします。

小学生時代の山本さんはあんまり女子女子していない印象の子で、ゲームしたりジャンプ読んだり(「なかよし」も好きだったらしい)新しい遊び(キムタクゲームとか)を考案したり、さばさばしていてアホなことが大好きな面白い子だったようです。そして絵が上手で、このころから漫画家になるという意識があったみたいですね。

そんな山本さんとたいてい一緒にいる岡崎さんは、いつも半裸で自宅にいる父親と普段何をしているのかわからないワインばかり飲む母親とヒステリーな妹の4人家族で、小汚いが無法地帯で自由な家に暮らしている、優しくてひかえめな女の子。

山本さんの突飛なアイディアを面白がって一緒に楽しんでくれる懐の深い彼女も、色気づかない独特の女子ですね。

他にも「あ~こういうやつクラスにいたかもな」という感じの個性的なキャラクターがたくさん出てきて、90年代の小学生あるあるを面白おかしく描いた作品でした。

 

この漫画でたくさん出てくるゲーム機やゲームソフト、ジャンプやコロコロ、バトル鉛筆やハイパーヨーヨーポケモンのカードやシールやたまごっちなどなど、私が小学生の時も周りで持っている人がいたり話題になったりしていました。

私も少しは興味があって、たまに母親がパチスロの景品でゲームやヨーヨーをとってくれたり、拾ったバトル鉛筆をとりあえず持っていたこともありましたが、ポケモンは初代すら最後までクリアできないまま失くしてしまったし、ヨーヨーも遊ぶよりも分解するほうが楽しかったし、ジャンプやコロコロよりはりぼんや花とゆめやLaLaや別冊フレンドのほうが好きでした。

こうして振り返ると、自分ってもともとめっちゃ女子脳だったんだなと思いました。

 

作中のエピソードで、クラスのトップヒエラルキーの女子2人が喧嘩をして、他の女の子たちがそれぞれどちらの味方になるかで決選投票することになり、山本さんが「めんどくさい」といって岡崎さんと2人だけで中立票を入れた話があるのですが、とても感心してしまいました。

私も26歳の今なら山本さんと同じことをしたと思います。やっぱりめんどくさいし、別にどちらかの大きな力に迎合しなくても日々を楽しくやっていける自信があるからです。

でも、小学生の頃の私は違います。特にこういう問題がよく起きる小学校高学年のころ、女子(とくに少しマセた子)グループは定期的に誰かがハブられ、そこから化学反応が起き新たな人脈が生まれるというループを繰り返しており、常にギスギスした雰囲気があったのを覚えています。

今日仲良しだったあの子も明日何かが変わって敵になるかもしれない、そういう世界が女子の世界でした。

私も小5くらいまではそういう波の中でぐるぐるしていましたが、小6のとき、私にとっての”岡崎さん”みたいな人ができて、それからはだいたいその子と2人で本屋で立ち読みしたりアニメイトに行ったり絵を描いたり、2次元趣味に没頭していました。(ちなみに私も”漫画クラブ”に入っていたことを思い出しました)

でも、山本さんたちみたいにさばさばはしていなかったです。作中でも言及されていましたが、りぼん派・なかよし派で分けると私は完全にりぼん派の女子でした。りぼん作品はそこまで読んでなかったですけど。もっと詳しく言うと私は白泉社派でしたけど。

小学校高学年のころはpopteenとかのファッション誌を読むのが好きだったし、ルーズソックスとかも好きでギャルとかに走り始めていましたね。。

そんなマセガキだった私は、大人になった今、小学生の山本さんに凄く共感できるし好感が持てるようになっていました。

同じクラスに同じタイミングで居たら、タイプが違くてたいして興味を持たなかったかもしれないですが、今になって見ると、背伸びしてマニキュア塗ったりコロンをつけたりするよりも、自分の頭で考えて面白いことだけを追求している山本さんみたいな子供のほうが、成熟しているように見えます。

 

あとがきもまたよかったです。

世の中には子供だから気付けないことと、大人だから気付けないことがある。

小学校のクラスメイトの家に遊びにいくといつもいる若い男性、この人は誰なんだろうと不思議に思いながら挨拶をしてたけど、大人になりアルバイト帰りのバイクに乗っている途中に突然気付いた。「あ!あれおばちゃんの彼氏か!!」

そんな感じの「今思うと」はたくさんある。

今思うとおかしなことを言うのでみんなが避けていたあの子は、ただみんなより頭が良いだけだったと思う。

今思うと授業中に白目を剥いで倒れてみんなの気を引くあの子は、両親がいなくて寂しかったんだと思う。

今思うとあの子が大人たちから煙たがられているのは、家族ぐるみで変な宗教にハマっていたからだと思う。 

子供のころのことに限らず、一定の時間が流れた後の物事には「今思うと」が溢れていますよね。

私も、今思うと過剰なくらい女の子でした。

それがどうして、今ではこんなに”女の子”が苦痛なのだろう。

 

この作品は過去の話を描いたものではありますが、ただノスタルジーに浸るだけでもなければギャグだけで終わるものでもない、かといってセンチメンタルでもなくて、子供のころの体験を生き生き描きながら浮き上がる「今思うと」をざくざく突き刺してくる、そういう作品だと感じました。

続きも読もうと思います。おわり。

包丁で切り裂いた人生の断片『平田俊子詩集』

先日ご紹介したマツモトトモ『インヘルノ』の中に、平田俊子の詩集が出てきました。

さらには引用もされていて、その詩集『ターミナル』は日本全国でも数えるほどの図書館にしか置いていないようでした。

なんだか少し気になって、とりあえず近所の図書館にあった『平田俊子詩集』でざっくり読むことにしました。

平田俊子詩集 (現代詩文庫)

平田俊子詩集 (現代詩文庫)

 

詩集を読んでこんなに「面白い!」と強く感じたことは、今までなかったかもしれません。茨木のり子くらいでしょうか。

自分にとってかけがえのない詩集の一つに金子千佳『遅刻者』があるのですが、『遅刻者』はもっと追い詰められたヒリヒリとした感触があって、引き込まれるし夢中になってページをめくるけれど「面白い!」というのとは少し違う気がするのです。エンターテイメントではないというか・・・

それにひきかえ平田俊子の詩は一番初めの「ラッキョウの恩返し」から、面白くてびっくりしました。え〜!面白い!どうしよう・・・という感じです。笑えるしドキドキしました。

まったくの創作物というよりは、平田俊子その人が垣間見える作品も多く、エッセイに近いものからSFが混じったようなシュールなものまで幅広いです。

しかしそれらの作品が、まるで平田俊子の(もしくはとある女の)人生を刃物で切り裂いた切れ切れのように、生々しくリアルで、色鮮やかで血が滴るような体温の残る肉片みたいなのです。んん〜上手く言い表せなくてもどかしいんですけど。

生い立ちや生来の性格によるものなのかもしれませんが、物事を他の人とは違ったレベルで正直に捉え、涵養し、小気味よく歪に形作られた言葉と物語を紡ぐことができるこの平田俊子という人の才能に、完全に魅了されてしまいました。

 

・・・ああ、ダメですね。全然彼女と彼女の作品の凄さを言い表せていない。

一言に集約すると「面白い」となってしまう。だって面白いんですもの!!

詩集の裏表紙に辻征夫(詩人)のコメントが載っているのですが、とても共感できます。

平田俊子はめずらしく、退屈しないでおしまいまで読める詩を書く人である。彼女が朝日新聞日曜版に詩を連載したときには、あまりのおもしろさにふと危惧さえ感じたくらいだった。 

詩人が危ぶむほど面白い詩を書く詩人、それが平田俊子なんですね。

詩を読んでも退屈しか感じない人にも、他に好きな詩人がいる人にも読んでほしい作家です。詩ってこんなに豊かな表現方法だったのかと驚きます。

 

最後に「これは名言だな」と思わず笑ってしまった一節を引用します。

夫を殺したくなったときはがまんしないでやるべきです。殺意と尿意をこらえるのは女性のからだに大敵です。おもいきって実行しましょう。

詩集<(お)もろい夫婦>「ネンブツさん大忙し」より。

あ、こんな話ばっかりじゃないですよもちろん。男性の方にも是非読んでいただきたいです。おわり。

 

飢えるほどの愛と後輩君が可愛くてたまらない『インヘルノ』

昨日コミックコーナーでなんとなく目を惹かれた作品が、マツモトトモ『インヘルノ』。

インヘルノ 1 (花とゆめコミックス)

インヘルノ 1 (花とゆめコミックス)

 

正直読み応えとしてはそこまで深い作品でもないのですが、とにかく主人公の生徒会での後輩・古庄君が可愛すぎて可愛すぎて・・・この気持ちを書き留めておこうと思いまして。

 

高校2年生の主人公・家入更(さら)と一つ年下の家入轟(ごう)は実の姉と弟で、

4年前両親が離婚し離れ離れになった2人でしたが、その両親が再婚することになり、再びともに暮らすようになるところから物語は始まります。

更は眉目秀麗・才色兼備の超人みたいな人ですが、情緒に少し欠陥があるというか、他人への興味が人一倍薄い人間です。

そんなアイスドールな更が唯一心から求めてやまない人間が弟の轟。小さい頃から大好きな弟ではあったものの、今では弟ではなく一人の男性として轟を手に入れたい気持ちがあります。

一方の轟も、物心ついた頃から更に特別な感情を抱いていました。大人になるにつれて自分の気持ちが社会的にも倫理的にも許されないものだと何度も思い知るのですが、それでも更を想う気持ちをどうしようもできない苦しみを味わい続けます。

4年ぶりの再会ではピリピリしていた轟ですが、本能に抗えるわけもなく、2人は互いに求め合うようになります。

と言ってもまだある程度プラトニックではあるみたいですが。

家に2人きりだと結構チュッチュチュッチュしてて「この姉弟すごいなー」って感じです。

 

花とゆめコミックスを久しぶりに読んだのですが、花ゆめってページの脇に作者のコメントとか解説が入っているんですよね。

2巻の最初のコメントに書いてあるのですが、この作品の素材として近親愛を選んだのは”激しい恋を描く手段”としてであり、それ自体を目的としているのではないということでした。なるほど。

確かに、轟の激しい感情なんかは近親愛だからこそあそこまで熱く描きあらわせるのかもしれません。

1巻の最後の部分の表現が非常にいいなと思いました。

これは   地獄

 

楽しくなんかない

優しくもなれない

火を飲んだみたいに

胸を焦がし

出口は ない

永遠に

 

だけど

 

それでも いい

それでも いい

それでも いい

 

と 

”火を飲んだみたいに”って、素敵な表現だなぁと感心しました。

それくらい激しい気持ちで人を好きになれるのって、やっぱり素晴らしいですね。羨ましいです。

ちなみに「インヘルノ」とはポルトガル語で「地獄」という意味なのだそう。

 

しかし、この作品には轟とはまた違った雰囲気の、更に静かに燃える恋心を抱く少年がいるのですよ・・・

それが、更の後輩の古庄君です!!

更は生徒会長なんですけど、古庄君は更の側近のような立ち位置の男の子で、年は高1で轟と同じです。

古庄君は更ほどではないにしても秀才で賢い子なので、更たちの立ち居振る舞いから家入姉弟のただならぬ関係に気づいています。

そしてその上で更に恋しているのです。

「返事はいいです」と予防線を張りながら更に想いを打ち明けるのですが、更は自分と轟のために古庄君を利用します。更は古庄君と付き合うことにするのです。

古庄君も更の気持ちが自分の方を向いていないことはわかっています。それでも「どうしたら轟から奪い取れるか」日々思考を重ねます。

・・・匂いませんか、彼からそこはかとなく”不憫”の香りが・・・!!

以前も書いたかどうかわかりませんが、私は大の不憫萌えであります。

アルドノア・ゼロのスレイン、涼宮ハルヒの憂鬱の古泉くんなど、報われない想いを静かに抱き続ける少年が大好物なんです。悪趣味ですみません。

もう、とにかく古庄君が可愛すぎます。特に、更と初めてのデートで築地に行った時の可愛さといったら・・・下調べしたことが更にバレて顔真っ赤にしてる古庄君最高すぎて悶えました・・・可愛すぎかよ・・・

そして余裕がなくなると大阪弁が出るところも最高に可愛いです。狙ったような萌えキャラです。古庄君、恐ろしい子

しかしそんな楽しかったデートの翌週、古庄君は生徒会室の机の上に投げ出されていた更の手帳の中をうっかり見てしまいます(わざとじゃないです。風にはためいてたまたま見えたのです。目は凝らしましたけど)。

更の手帳の、楽しかったデートの土曜日に書いてあった文字は「轟 体育祭」。

更の心が全く手に入らないことを再認識しつつ、それでも轟から更を奪いたいと再び闘志に燃える古庄君なのでした・・・。

 

ああ、誰かをこんなに好きになって、求めて、苦しんで・・・

当人は絶対に辛いんですけど、やっぱり憧れます。人をそんなに好きになれるということに。

私も今まで付き合った人とか、片想いした人とか、いるにはいるんですけど、

最近「本当にあの人のこと好きだったのかな?」と疑問を抱く時があります。

なんとなく好きだと思っていたとか、ただ好きと言われたから一緒にいたとか、

そういうぼんやりした気持ちではなかったか?と顧たりすることが、最近多々あるんです。

・・・ここ1年くらい誰も好きになってないからかもしれません。

恋愛から遠ざかっているうちに、過去の恋愛まで不審に思ってしまうなんて、なんだか薄情で嫌だなぁ。

轟や古庄君みたいに、誰かを強い気持ちで想うことが、果たしてあるのか。

なんだかしみじみ考えてしまいました。おわり。

女、男、取り分の差と暴力・・・『先生の白い嘘』

一昨日と昨日、仕事で研修に行ってきました。

営業の勉強会のような内容で、日中座学やディスカッションなどがあり、夜は2日間懇親会という名の宴会でした。

1日目の宴会ではテーブルが各グループごとに分かれた形となっており、余興なども用意されていました。

私の所属する業界では、営業マンはまだまだ男性の数が多く、各テーブルに女性は1人ずつしかいませんでした。

グループ対抗でゲームをいくつかやらされ、優勝チームには大したことない賞品が用意されていました。

私はもともと懇親会や飲み会が大嫌いなのですが、職業柄止むを得ずと考えていましたので、ちびちびビールを飲みながらご飯を黙々と食べていました。

ところが、ゲームがそこそこ盛り上がりを見せる中、部長や支社長レベルのオヤジたちの女性への(おそらく無意識レベルの)セクハラが目に余るようになってきました。

身体に触るという分かりやすいセクハラは、他の男性陣がワーワー避難したりもしますが、それもどこかおざなりというか、ニヤニヤしながら軽くいなす程度。

言葉でのセクハラについては、おそらく若い男性も含めてまったく気にとめられないようでした。

 

私はどんどんバカらしい気持ちになり、後半はずっと煙草を吸っていました。

 

女性陣の中には男たちのセクハラを逆手にとってうまく立ち回る利口な人もいました。(というか、実際私以外の女性は皆そうやってうまくかわしていたように見えました。)

でも私はその雰囲気自体がどうしてもダメで、不快感を押し殺すことができなかったように思います。

顔が険しくなったり、もともと良くない愛想がさらに悪くなったりしたかもしれません。

日中に聴いた勉強になる話が全部流れてしまうかと思うくらい腹立たしい気分になっていました。

 

どうしてあんなにイラついていたのか、そして今もモヤモヤした気持ちが消えないのはなぜなのか、

何に対してこんなに納得がいかないのか、未だに心の整理がつきません。

しかし、この気持ちは初めてではない気がするのです。

社会に出て、いろんな大人と働く中で、何度もこんな気持ちを味わってきたように思えるのです。

 

ふと、この、うまく言語化できない問題のひとかけらを、巧みに表現した漫画を最近読んだことを思い出しました。

それが鳥飼茜『先生の白い嘘』です。

先生の白い嘘(1) (モーニングコミックス)

先生の白い嘘(1) (モーニングコミックス)

 

Kindleで1巻無料だったのです。運良く。

結構話題になっている作品のようですね。

Wikipediaを見ると「レイプを題材にしている」とのことですが、私の読後感としてはレイプというよりは、もっと広い性差別とかジェンダーとか男女差の扱いの難しさのようなものを浮き彫りにした作品だと感じました。

 

主人公は高校教師の美鈴で、ひとえまぶたで内気な24歳です。

大学時代に友人・美奈子の恋人・早藤にレイプされ、以後脅されながら体の関係を続けており、強いストレスから生理は1年止まっています。不眠や味覚障害も自覚しているようで、見かけ以上に重い心の傷を抱えています。

そんな美鈴の受け持ちのクラスの男子生徒・新妻君は、ひょんなきっかけでバイト先の人妻熟女とホテルに行くことになってしまい、そこで自分の意に反してセックスすることになったのを「人妻にレイプされた」と考えていました。

ホテル街での目撃情報が教室で広まり、教師陣の命で美鈴は新妻君の事情聴取をすることになるのですが、そこで新妻君は「女の人のアソコが怖い」と打ち明けます。

この進路指導室での美鈴と新妻君の会話は、現代漫画史上に残る名場面だと思います。ここだけでも読む価値あります。

「あの日

どこまでが俺の「そうしたかった事」なのか

わかんないんです・・・今も」

「自分の欲求満たしておいて

自分のせいじゃなかったって言う話?

(嫌な話)

男の癖に・・・」

「先生も

セックスはいつだって男のせいだって思ってますか

その人はそういう風に言ったんです

あの時直前になってやっぱ違うって思って

「ここまでついて来たけどできません」って謝ったんです

でもすでに遅かった

空気が・・・もうそれまでと違ってたんです

それまでのすごい親切な俺の知ってる青田さんじゃなくなってた」

(嫌)

「俺 なんかその空気にのまれるって思って

のまれたら終わりだって気がして

フタしたんです 怖いって気持ちに

そしたら段々・・・途中から俺 わかんなくなっちゃったんです

違うし嫌だって思ったのに

もしかしてこれ 自分の意思なのかなあ?って

確かに怖いって逃げたいって思ったのに

逃げないでそこに居続けたのはなんで?って」

(嫌な話) 

新妻君の独白を聞いながら、自分の過去を思い出す美鈴。

ここでシーンは美鈴が早藤にレイプされた4年前になります。

 私が声をあげることをしなかったのは ある可能性に気づいたから

すべて私の

すべて女の自分のせいという可能性

 

生きてるだけでこんな目に遭う

私が女のせいで

女が女というせいで

そうして美鈴は自分がされた仕打ちは自分のせいだと思い込むようになったと言います。自分のせい、女のせいだと決めることによって蓋をした美鈴は、男である新妻君が被害者ぶった発言をすることで自分の蓋を開けられるような心地悪さを覚え、新妻君に当たります。

 「・・・みとめない」

「え」

「だって男だもん・・・

本気で逃げようと思ったら 力ではね返すことはできたでしょう?」

「力じゃない暴力もあると思います・・・

暴力の前でやるしかないから・・・やったんです」

「・・・力を持ってる側の人がそれを言うの?」

「だって先生 男も女も平等じゃないんですか?」

(平等のわけないだろう)

「知らないの?

女が正しく生きられないのが誰のせいか・・・」

(中略)

「男のせい・・・って言うんですか」

「他に誰がいる?」

「先生は正しく生きてないんですか?」

(そう私は正しさを失ったのだ)

「よく・・・わかんないですけど

男ってだけで先生がそんな怒ってるなら悲しいです

だって俺男に生まれたくて生まれたんじゃないし

先生も好きで女に生まれたんじゃないわけで

両方選べないのは同じなら 男とか女だとかで争わない方法があるんじゃないですか

(中略)

なかったら俺も先生もこの先救われなさすぎます」

(中略)

「アンタが怖いのは女のアソコじゃない・・・

男に生まれてしまった自分自身よ

ホテルであなたは男と女が平等じゃないって知ったのよ

女から正しさを奪って 女から自由まで奪ってしまえる

そういう不条理な力を持ってること・・・誰かに許されたいだけよ

でも大丈夫・・・そのうちすぐ慣れるよ

これから沢山の女をみにくく汚して生きていくの

自分ではそんな気なくても そういう風にしか生きられないの

そんなの誰も許してくれるわけない

少なくとも私は絶対許さない

絶対許したりしない」

この美鈴の慧眼、本当にびっくりしました。

SFとか不条理小説とかいろいろありますけど、こんな身近に一番耐え難い”不条理”があることを、というかそれをまさに”不条理”ということをすっかり忘れていました。

新妻君の言うこともわかるんです。性別を選んで生まれてきたわけじゃないし、こんな考え方じゃ救いがないのもごもっともです。

でも、本当に救いがないんですよ。どうしたって平等じゃないんです。

というか、社会に平等なものなんてありますかね?

 

この美鈴との会話をきっかけに、新妻君は美鈴に強い興味を持ち、急速に惹かれていきます。

他にも、学校一の頭脳派美少女で奥手処女の三郷佳奈、「女のコはみんなかわいい」というチャラいイケメン和田島君、グラビアデビューして謹慎をくらった和田島君の元カノでトップオブヒエラルキー・緑川椿などなど、個性的でそれぞれ問題を抱える登場人物たちが有機的に繋がっていき物語は進みます。

私はまだ4巻までしか読んでないんですが、5巻 の表紙は三郷佳奈でしたね。この子の過去も明らかになるのでしょうか・・・。

 

私が一番好感を持ったのは和田島君です。女のコはみんなかわいくてセックスが楽しくて「チンチン最高!!」とまで言い切る彼はチャラいですが潔いし健全に見えます。

早藤と違って処女マニアでもないしレイプは好きじゃないし、きちんと避妊しているし、大変いい青年ではないですか。

緑川椿もかっこいいです。私は勝気な美人が大好きです。強者ゆえの暴力的なまでの正論を吐いたりしますが、芯が通っていて尊敬できます。

「先生

もっと自分の体のこと大事にしなよ?

 

って他人に言えるほど先生は大事にしてんの?

他人の意識変えようって気で喋るんなら

せめて自分に嘘つかないくらいの責任もちなよ」 

シビれる〜!緑川椿、やっぱりかっこいいです。

 

逆に一番嫌いなのは、当たり前かもしれませんが早藤です。

こんな人、近くにいたら嫌ですね。

婚約者となった美奈子が妊娠し、赤ちゃんのエコー写真を見て吐く早藤を見たときは少し「ざまあ」と思いましたが、早藤の子供として生まれてくる子がなんか不憫で・・・。

早藤はさらに頭がキレるから腹が立ちます。

「こういう・・・二人で会うのも もうやめるから」

「なんで?」

「だって・・・これって暴力ですよね?」

「ぶはは

違うよ? だって今日も自分の意思で会いに来たじゃん俺に」

「だから・・・暴力をやめてもらうために」

「わかんねー女だな 暴力じゃないよって言ってあげてんの

もしこれが暴力だったら 傷付くの誰か 自分が一番わかってんじゃん

ホントは暴力された女になんか成り下がりたくないんだろ?

私は求められた女なんだって思い込めば楽になれるよ

暴力も愛も自分の思い込み次第って

女ってそういうエゲツない生き物だろ」 

この”ヤプーの幸福”的論理構成、それをお前が言うかって感じでした。

こういう考えのもと処女をレイプしてるんですね、この男は。

「暴力も愛も自分の思い込み次第」って、男の人はどうなんですかね。男性もそういう部分ってあるんでしょうか。

でも、早藤ほど鬼畜ドSでなくても、男性は多かれ少なかれこういう考えを持っているんでしょうね、多分。

オヤジであればあるほどその傾向は強いように見えます。

女に一方的に値札をつけて棚に並べたり汚したり壊したりするんでしょう。

自分も値付けされうることを、彼らはいつまでもいつまでも考えないんですね。

 

とても読んでいい気分になれる漫画ではありませんが、読んだほうがいい作品であることは間違いありません。

物語としても非常に面白い優れた作品ですし、この作品を通して少しでも性差やジェンダーに関する問題に思考が生まれれば、とても素晴らしいと思います。

そして、くだらないセクハラまがいの暴力が横行するインチキ懇親会が、一刻も早くこの世から消えればいいのにと切に願うのでした。おわり。

『さきくさの咲く頃』

心がざわめき、なんともいえない気持ちを運んでくる作品に出逢いました。

さきくさの咲く頃

さきくさの咲く頃

 

ふみふみこ『さきくさの咲く頃』。

なんのけなしに手に取った漫画だったのですが、こんなに胸がえぐられたような、ざわざわと落ち着かない感覚を味わうことになるとは思いませんでした。

 

物語は、高校3年生の澄花、澄花のいとこで美形の双子暁生・千夏の3人の群像劇です。

幼い頃父親を自殺で亡くした澄花。その父の葬儀ではじめて、いとこの暁生と千夏に出会います。

近所に住むことになった3人はその後も仲良く青春を過ごしていました。

澄花は物心ついたときから暁生のことが好きなのですが、誰にも言わずにいました。

そんな澄花の気持ちに気づいている千夏は、静かに見守りながらも澄花のことが好きなのでした。

自分が女であり、暁生が男であること、そして暁生が澄花の心をずっとつかんで離さないことに、内心苛立っている千夏。

そして暁生は、フーテンのふりしてフラフラしているけれど、本当は友人の木村君が好きなのです。

・・・この三角関係だけを見ると、『彼女とカメラと彼女の季節』などを連想しますが、どうもこちらの関係性はそんなに甘酸っぱいものには思えないのです。

 

千夏たちの家と川を挟んで対岸に位置する澄花の家。

その澄花の部屋から、澄花は双眼鏡で暁生の部屋を覗き見する日々を送っていました。

双眼鏡の向こうで繰り広げられる暁生と知らない女子の情事を見て、その様子を暁生と木村君のBL設定に脳内変換して自作漫画に描き続ける澄花の変態性は、異常だけれど咎められない、不思議な魅力をもって作品に描かれています。

 

双眼鏡の向こうに欲情している澄花ですが、ある夏の日、ひょんなことから暁生と付き合うことになります。

焦がれ続けた暁生と身体を重ね、しびれるような達成感を感じる澄花でしたが、

それと同時に、今まで双眼鏡でしか見なかった窓の向こうを知ってしまった喪失感にも包まれます。

そして暁生と一緒にいればいるほど、どうしても無視できない、木村君を見る暁生の視線の熱と、「自分が本当は見られていない」という事実に、澄花はついに耐え切れず、自分のBL作品を暁生に見せてしまいます。

 

暁生と別れた澄花に告白した千夏とも、澄花とのことがきっかけで木村君に愛を打ち明け、その噂が学校に広まり登校できなくなった暁生とも距離ができていく澄花。

そんな3人が受験前の冬の寒い夜、ふとしたきっかけで土手に星空を見に行く場面があります。それが最後の青春の一滴のようで、はかなく、もう戻らない何かの象徴であるかのようでした。

 

暁生は高校を中退して上京、千夏は医学部に現役合格、そして澄花は大学受験を辞め、自作の漫画を出版社に送る日々。

久しぶりに千夏に会ってみるも、会話はどこかぎこちなく、以前のように気さくに話せなくなってしまったことに、澄花はいいようのない喪失感をおぼえます。

 

寂しさに持て余した身体を、いつか抱かれた暁生との思い出をおかずにして慰める澄花。

そんな澄花の独白の最中に突如現れた、自殺した父と考えたキャラクター「ぶたーまん」。彼が澄花に放った辛辣な指摘が、どうにも胸に突き刺さって抜けなくなりました。

こういうなんでもないことを

話したいのに

話す相手は

もう

 

「暁生ちゃ…」

 

もういない

 

誰もいないんや

「ぜんぶそうやってひとりよがりだからだブー」

「暁生とのことも

千夏のことも

受験も

まんがも

母親

父親のことも

セックスも

ぜんぶ

のぞいて

オナニーして

一人で満足して

自分とは無関係だって

自分のことしか考えてなくて

ぜんぶぜんぶひとりよがりだからだブー」

 

 

 

せやねん」 

 

また、余白やコマの使い方が絶妙なんですよね。このあたりが特に。

ふみふみこさん、まるで映画のような漫画を描く方だと思いました。 

 

「うん

わかったようなふりして

ひとりで傷ついたような顔して

なんもわかってへんかってん

ごめん

 

ごめんなさい

 

またあそぼうね」 

 

私はこの物語の終わり方がハッピーエンドなのかバッドエンドなのかまったく見当がつかないのですが、

この読後感の心が絞り潰されるような感覚は、正直あまりいい心地ではないです。

しかし同時に「すごい物語に出逢えた」という、静かな興奮もあって、こういう感覚にしてくれる作品はそうそうないので、そういう意味では非常に幸せです。

 

さらっとした絵と、空白を巧妙につかった演出で非常に読みやすいのに、

読者を簡単な感動で帰してくれない、そんな作品です。

素晴らしいので、是非読んで見てください。おわり。

のんきに、真摯に、ひとを愛す『いとしの猫っ毛』

BLばかりおすすめしていてアレかもしれませんが、優れた作品が多いのですよ。ボーイズ・ラブ。

いとしの猫っ毛 (シトロンコミックス)

いとしの猫っ毛 (シトロンコミックス)

 

近所のTSUTAYAで見かけてなんとなく手に取ったのです。

作者の雲田はるこさんは、現在好評放送中のアニメ『昭和元禄落語心中』の原作者でもあり、どことなく昭和っぽい絵がコミカルでほのぼのします。

『いとしの猫っ毛』はストーリーと言うほどのストーリーはないというか、どちらかというとドラえもんクレヨンしんちゃんのような、個性的で魅力的なキャラクターの日常を描き出す作品です。

 

主人公の沢田恵一(恵ちゃん)が、地元・小樽から恋人の住む東京に上京してくるところから、物語ははじまります。

小学生のころから幼馴染だった花菱美三郎(みいくん)と高校3年生のときに恋人同士になり、みいくんの事情で6年間遠距離恋愛になってしまったものの、なんとか一緒に暮らせるようになった2人。

ところが、クタクタになって空港からみいくんの住むアパート”またたび壮”にたどり着いた恵ちゃんを待っていたのは、オカマのポンちゃん、夜の蝶ヨーコさんとその息子ケンタ、そしてオタクの蛭間さんという変人達でした。

クセがありながらもやさしい住人たちと、いとしい恋人に囲まれて、恵ちゃんの新生活がはじまるのです。。

 

1巻が春、2巻が夏、3巻が秋で4巻が冬という流れで描かれています。

また、恵ちゃん・みいくんの学生時代を描いた「小樽篇」もありますが、そちらは若干シリアスな内容です。でもそれもいい。

みいくんは幼いころからとにかく恵ちゃんが大好きで、それは24歳のいまでも変わらないのです。それどころか、一緒にいればいるほど、どんどんもっと好きになっていくようです。

恵ちゃんも、もとはノンケだったのですが、みいくんと真剣に向き合えば向き合うほど、彼にさらに恋に落ちる自分に気づいていきます。

 

ほんtttっとーーーーーーーーーに、仲良しなんですよね、この2人。

 

世の中にどれくらいこんなに愛し合っているカップルがいるのかわからないですが、世界一好きあってるんじゃないかと思うくらい、仲がいいです。

4巻でみいくんが祖母の仕事の手伝いで海外に出かけてしまう回があるのですが、そこでヨーコさんが2人のあまりの仲のよさに心底びっくりするシーンがあって、私もやはりヨーコさんと同じようにびっくりしました。

「そういえばおれ

一人でいる方が楽とか 考えたことないなあ」

「え゛っ そうなのアンタら」

「ウンそうだよ

みいくんに何も気い使う事ないしょお」

「アタシだってケンタが遊べってうっとおしい時あるし

ケンタに邪魔にされる事もあるし」

「ウーン邪魔かあ

ン――― 無いなあ

いつまでだって一緒に居れますよ」

「ちょっとアンタたち変よ」

「そう?」

「人間じゃないよ」

「嫌だあ~」 

邪魔に思うことが無いって、他人に対して滅多にないのではないでしょうか。

私はどんなに好きな相手でも、邪魔にならないことは無いです。今までの経験上。

みいくんと恵ちゃんって、本当に2人で1人というか、まさに「ニコイチ」といった風情なんですよね。

ファンタジーですけど、そういう相手に出会えたことを羨ましく思う部分もあったりして、だから2人の世界にものすごく引き込まれるのです。

 

そして、そんな愛し合う2人ですが、とにかく性格がのんき。

2人だけではなく、またたび壮の住人全員のんき。

オマケに恵ちゃんの家族もみいくんの家族も、みいくんの友だちもみんなのんきです。

この漫画の大きなキーワードでもあると思います。「のんき」って。

いい意味で肩の力が抜けて、「ああ、これでいいのだ」と赤塚先生のようなセリフが出そうになるくらい、ゆるい気分になれる漫画です。

この絶妙な脱力具合って、実は描くの難しいと思うんですよね。

あんまりお気楽すぎては、かえって腹が立つような気がしますが、『猫っ毛』にはそういう癇に障る能天気さはなくて、自然に腑に落ちるのんきさなのです。

それが凄く心地いいです。

だから、結構寝る前なんかに読みます。幸せな気持ちで眠りにつけます。

 

BL作品としてのエロもあるにはありますが、どうもこの作品のエロは常に笑いとセットなので、ドロドロのエロBL希望の方にはおすすめしません。

どこまでもほのぼのした、そしていとしい漫画です。おわり。

劇場版アニメ、ひいては映画の最高峰『同級生』

映画館に同じ映画を3回以上観に行くという経験をはじめてしました。

観るたびにキュンとくる、観るたびにジーンとする、観るたびに幸せな気持ちになる。

そういう映画が中村明日美子原作『同級生』です。

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20日の公開初日に観に行って、本当に感動して、

次の日中野ブロードウェイで開催されていた原画展にも行ってきました。

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作者の中村明日美子さんの作品は『ウツボラ』と『鉄道少女漫画』シリーズしか読んだことがなかったのですが、この「同級生」展を観た後、また劇場で映画を観て、その後原作シリーズを購入して読みました。

原作ももちろん素晴らしいです。BL界では知らない人はいないとまで言われることもある名作中の名作です。

しかし、原作が素晴らしくても、アニメ化したり実写化したりして、残念な結果になってしまうものも世の中にはたくさんあります。

でも、映画『同級生』は原作を超えるほどの良作になりました。

アニメやBLという枠を超えて、映画としてこんなにも美しい作品がこの世にどれくらいあるのか?と思うほど、美しい映画です。

人物の描写、背景となる校舎や街並みや木々や雫の一粒にいたるまで、非常に繊細に美しく活き活きと描かれています。

そして音響や音楽も大変良いです。絵や効果を引き立てる、最高にいい仕事をされています。

初日の舞台挨拶で原作者の中村先生が、作品を「絵と音の総合芸術」と評した話をネットで見かけましたが、非常に的確な表現でびっくりしました。

本当に”総合芸術”そのものだと思います。

この映画に関しては、あらすじやら前評判やらすべて流して、とにかく観てほしいと心から思います。

観るとね、本当に胸のところがキュンとなりますよ。

恋したくなるし、優しい気持ちになれます。

そういう映画です。

こんなに美しい映画に出逢えて、心から幸せに思います。おわり。

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こちらの曲をBGMに書いていました。

毎日聴いてます。名曲。

同級生

同級生