れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

芳醇な歌声とターバン:Yuna

最近猛烈にハマりつつあるマレーシアのシンガー・Yuna。

Pink Youth

Pink Youth

  • ユナ & Little Simz
  • ポップ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

この「Pink Youth」という曲がラジオから流れた時とてもいいなと思い、

その後Youtubeで最近公開されたばかりのMVが、またなんというか、とても「ニンジャスレイヤー」っぽくてツボでした。

  

曲もとてもいいですがとにかく声がまさに"Mellow"なのです。セクシーで、芳しくて心地よく美しい。

Yunaの公式Youtubeを流しで観てみると、マレーシアの音楽フェスのPVなども出てくるのですが、マレーシアってなかなか楽しそうな国ですね。行ってみたくなりました。

 

R&Bのメインストリームさも感じつつ、アジアの親しみやすい雰囲気もあります。曲もシンガー本人のパーソナリティも非常に魅力的です。

もうすぐ新しいアルバムが配信予定となっており、早く通しで聴きたいです。

Rouge

Rouge

 

名盤間違いなし!

 

彼女がいつも身につけてるターバン、日本で流行らないかなーと願ってます。

髪の毛ひとまとめにしたい族なので。。

アフリカン巻き?みたいに言われることもある巻き方のようで、調べていたら日本語の巻き方解説動画を発見しました。


Na'ilah Al'Muslima®︎ ❤︎ African Style Turban Tutorial - アフリカンスタイルのターバン巻き方講座

こういう活動をしている方がいらっしゃるのですね。大変勉強になりました。

 

***

 

最近仕事が本当にバタバタしていて全然休めていなくて心身がだいぶ疲弊しているのですが

こうやっていい音楽に出会えると少し救われます。

ほんと、いい音楽は燃料、ガソリンと同じですね。おわり。

美と偏見と価値観:『ララバイ・フォー・ガール』

美容系の会社に転職して1年が経ちました。

三十路目前独身女性となった私は、中学や高校の頃のようにファッションに興味があるわけでもコスメに関心があるわけでもなく、いつも同じ髪型で休みの日はスッピンでいつも同じユニクロ無印良品の服を着ています。

「いつまでも若く美しくいたい」なんていう思想は不自然で不健康だとさえ思う私が、なぜ大手エステ企業に転職したかというと、WEB面接というお手軽採用方法に惹かれたのと、自分の貯金を崩さずに引越ししたかったからでした。

 

それでも、やっぱり自分が微塵も関心を持てないような、例えば車メーカーとか不動産とか、そういう業種には当然目が向かないわけで、美容に興味ないとか言いながらも無関係ではいられないとは考えていたのです。

社会人女性としてやっていく中でどうしても化粧はするし、いくらネットが普及した社会だからといって、休みの日のパジャマすっぴん姿のままで他人と仕事するのには限界があります。

いわば私にとって、化粧やオシャレや美容とは、好きでもなければ興味も持てないけれど取らないと卒業のための単位が揃わないから渋々履修している教養科目みたいなものなのです。

 

***

 

今の仕事に就いてから、”美意識”について考える機会が増えました。

頭のてっぺんからつま先まで綺麗に整えているお客様を目の前にして「なにがそこまでこの人を掻き立てるのだろう?」と疑問に持ったり

指導しながら私の美意識の低さを嘆く先輩スタッフを見ながら「なんでこの人はそんなに美しいことにこだわるんだろう」とか思ったり。(実際訊いてみても要領を得ない回答しか返ってこない)

美意識を私に振りかざす人々は、各々自分の中に絶対的に掲げる”美しさ”の基準があり、それを目指すことは当然であると考えているのです。まるで生まれたときから遺伝子に組み込まれているような迷いのなさで。

 

そんな折、先日本屋でたまたま手にとった作品が、また思考の種になりそうな良作だったので記録しておきたいと思います。

ララバイ・フォー・ガール (フィールコミックス)

ララバイ・フォー・ガール (フィールコミックス)

 

美意識やセクシャリティについて発展途上の女子高生たちが織りなすオムニバスの群像劇、松崎夏未『ララバイ・フォー・ガール』。

特に意識に残るのは2作目の「今夜、ヴォーグのフロアで」と、4作目の「EVER GREEN UTOPIA」です。

 

***

 

「今夜、ヴォーグのフロアで」は、読者モデルで生まれつき”カワイイ”を手に入れている主人公・ありさが、年齢を重ねる中で自分の身の丈を知る話です。

あれから何年も経ってしまった

”カワイイ”ひとつ手に入れるのにもめちゃくちゃ苦労するようになった

もう前みたいに無条件で”カワイイ”は手に入らなくなった

普通に大人になったし普通に就職してOLになった

(中略)

普通なりにもっとキレイになりたいし

もっとカワイくなりたい 

特別にカワイイと思ってた自分が実はそうでもなくて、でもやっぱり昔の快感を忘れられなくて苦しむ姿は、美しさに限らず10代の頃に栄光を手にしたことのある人間なら共感せずにはいられないだろうと思いました。

 

ある日高校の同窓会に行ったありさは、昔自分がブスだと馬鹿にしていじめていた同級生・花岡が、見違えってミスユニバース級美人に生まれ変わった姿を目の当たりにします。

この、劇的変貌を遂げた花岡という同級生がなんともまた・・・花岡サイドからみれば逆境に立ち向かって成功を手にしたサクセスストーリーなんですけど、ありさ側からみるとどこか薄ら寒くて手放しにおめでとうって気持ちになれないんですよね。

ありさたちが高校生の時、ひょんなきっかけでありさが花岡を蹴っ飛ばしてボロクソにシメあげる場面があるんですが、花岡もブスなりに芯のある人間なのでありさの脚を掴んで反抗するんです。

「ゴミのくせに・・・!」

「見た目が悪かったらこういうのも甘んじて受け入れると思わないでくれる?

鈴木さん顔は可愛いのに そういうのもったいないよ」 

この時点では、私は花岡の考えに全面賛成なんです。確かに可愛いのはいいことですが、だからって何してもいいとは思わないし、見た目が悪いからってナメた真似されたら怒って当たり前だと思います。

でも、花岡はその後見た目の悪さを自分で否定して覆すわけです。ある意味でありさの主張に屈しているようにも見えてしまって、その手のひら返した感じがどうにもいけすかないのかもしれません。

同窓会で再び相見えたありさと花岡は化粧室で言い合いになります。

「私は あなたの言うとおりにブスだったの

でも今はちがう 私は変わった

昔が懐かしい!

鈴木さんにはずいぶん外見のことでからかわれたけど

今はもう昔と比べ物にならないくらい楽しく過ごせてるの

私ね ミスユニバースの代表になって・・・

(中略)

今ならあの時あなたが言ってたことよく分かるの

これが価値ある人生なんだ・・・・・・って

あなたみたいな普通の人生もう考えられない・・・!

私は特別なんだって思えるの」

「っさいわね だからなんだっての

勝手にユニバースでも何でもなってれば?

張り合ってるつもりなんか全然ないし

あたしはあんたのことなんか今の今まで忘れてたし

あたしはあたしで幸せなのよ!」

ありさの反論もどことなく負け犬の遠吠え感が拭えないですが、でも私は花岡よりはありさの方が共感できるというか、ありさの方が健康的に見えました。

物語の最後、ありさは普通に結婚して可愛い娘と2人でまったり過ごしている場面で終わります。

 

すごく短い話なんですが、とてもよく練られた構成で無駄がなくいい短編だと読み返して改めて思いました。まるで芥川龍之介の作品のようです。

結局カワイイとか美しいとか以前に、自分の人生の幸福度を他人と比べることで実感するような態度が虚しいのだなと感じました。だから花岡に賛同できないし、「あたしはあたしで幸せ」だと中指を立てるありさもどこか滑稽に感じてしまう。

可愛さや美しさは手段であって、それ自体が目的になるのかだんだん疑問になってきました。

美しさが手に入ったからといって幸せになれるとは限らないというか、そこに相関関係や因果関係が果たして生じうるのでしょうか?

例えば朝起きて自分の顔や体が北川景子ばりに美しくなっていたからといって、多分私は何にも幸せではないだろうなと思いました。

でも朝起きて職場から「今日は休業」とか言われていきなり休みの日になって1日ゴロゴロしてゲームできることになったら、多分めちゃくちゃ嬉しくて小躍りするくらい喜ぶと思います。幸せを噛みしめるでしょう。

しかしさらに、朝起きて急に顔面蕁麻疹とか体重が30kgくらい増えてたりとか、大きく容姿が損なわれていたら、多分今以上にダメージを受けてダウナーな気分になるとも思います。

つまり、幸せに美しさは大きく関与しないけれど、不幸には美醜がある程度影響を及ぼしているということですかね?

美しさは、増えても大して嬉しくないけど、大きく目減りするとかなり困るものってことでしょうか。・・・何だかすごくグラフを描きたくなるような理論です。

 

***

 

4作目の「EVER GREEN UTOPIA」は、登場人物が好みでした。特に宇津見という同性愛者の子が美人で理知的で好きです。

主人公のゆかりは少し無神経なところもあるけど心根の優しい子で、宇津見とは高校で知り合って以来親友同士。

ある日校内でいちゃついているレズカップルを偶然見たことから、宇津見が同性愛者であることや、自分の中に無意識レベルの差別意識や偏見があることがだんだんわかってきて、様々な考えを涵養していって最終的に少し成長したところで物語は終わります。

こちらもさっぱりした話ですが問題の根の深さをきちんと描いていて心に残りました。

 

特にいいスパイスというか、当て馬的な存在なのがゆかりの彼氏・かずきです。

かずきは別に悪人ではないのですが、彼もまた無意識のうちに差別意識や偏見を刷り込まれていて、きっとこういう男子がそのまま大人になって老害的男性になっていくんだろうなと思いました。こことか↓

「見てあれすっげーな デモ行進なんて恥ずかしくないのかね

(中略)

つーか別学にそこまでメリットあるか?3年間野郎ばっかの中で過ごすのがいいなんてヤベーだろ

やっぱホモとかレズとかいんのかね?」 

こことか↓

「出た!女同士のドロドロ

仲良いふりして裏では〜みたいな」

「いや違うから」

「宇津見さんプライド高そうだしなー

顔いいのにもったいねーモテないよ」

「ーー・・・」 

このものすごい短絡的決めつけ思考に最後はゆかりも呆れ果てて、その場で別れを決意します。

 

今の職場は男性が全然いないので最近こういうことに腹を立てることはありませんが、昔男性社会で働いていたときは、やっぱりこういう無神経な発言にイラっとしたことがあったなぁとぼんやり思い出しました。

でも、イラっとしてもその齟齬を噛み砕いてしっかり対話して歩み寄るほど相手を大切に思ってるわけでもないので、面倒で結局流しちゃうんですよね。だから全然何も解決しないまま、かみ合わないままになってしまう。

こうしてオジサンとオンナノコの溝は深まる一方・・・という社会構図。

 

もちろん物語序盤のゆかりみたいな、無神経な女性だっています。何も男性だけが全面的に悪いわけではないです。が、やはり私自身が女性なので、女性に何かを決めつけられるよりも圧倒的に男性に勝手に断罪されることの方が多かったんですよね。余計なお世話感がすごいというか。

でも自分はヘテロなので、やっぱり男性からの評価を意識してるのです。

むしろ最近気づきましたが、私は女性からの評価は微塵も欲していなかったのです。

だから今の仕事について周囲に男性がいなくなったら、スカートも履かないし最小限の化粧しかしないしそもそも自分の容姿を美しく保とうという動機が生まれないのでした。

同性だけの環境に身をおいて初めて、自分がいかに男性を意識して振る舞っていたのかということに思い至りました。

私は自分のためや女性の同僚や知人たちのためにはおしゃれも化粧もしない人間だったのです。

 

私は自分の好き嫌いに関わらず、男性の目を気にしてそれまで洋服や化粧や髪型を選択しているのでした。

29年近く生きてきてやっとその事実に気づいた時、それまでの自分がひどくバカバカしく矮小に思えましたが、でももう変わらないのかもとも思います。

一体いつの間にこんなふうに刷り込まれてしまったのか、自分が自分をいつどのようにそんなふうにしたのか。。

でも、見た目もそうだし勉強や仕事のモチベーションにも男性が関わっているだろうなと思います。

私は共学の学校にしか通ったことはありませんが、もし女子校に行っていたら、多分あれほど勉強しなかっただろうなと思います。私は同性に対する闘争心が皆無なのです。

成績でも何でも、男子に勝ちたかった。男子に負けたくなかった。

仕事でもそう。女性でバリバリ頑張ってる人を尊敬はしても妬んだり羨んだりすることはなかったですが、男というだけで優遇される奴には負けたくないと思っていました。

この思考形態は、いつ私に染み付いたのだろう。不思議です。

 

***

 

そんなこんなで、読み心地はとても軽くさっぱりしたものでしたが、

美しい絵と計算された構成で実に示唆にとんだ良作漫画でした。おわり。

人との関係性と食事:『セッちゃん』

日比谷シャンテの3階にある本屋「日比谷コテージ」が好きです。

今年の冬の終わりくらいに、日比谷で映画を観ようとチケットを買って、開場前の暇つぶしに日比谷コテージをふらついていた時手に取った漫画がずーっと意識の底からはがれ落ちずにひっそりと佇んでいました。それが大島智子『セッちゃん』。

セッちゃん (裏少年サンデーコミックス)

セッちゃん (裏少年サンデーコミックス)

 

ほんわかとゆるいタッチのイラストで、ストーリーは明るくも暗くもなく、ドラマティックな展開といえば主人公の女子大生・セッちゃんがヘルシンキの空港で撃たれて死んでしまうくらいなのですが、なぜかずっと心に残る不思議な作品です。

小学館のサイトで試し読みができるようです。

 

誰とでも寝てしまう女子大生・セッちゃん(セッちゃんのセはセックスの「セ」なのだそう)と、ひょんなきっかけで仲良くなる少し冷めた常識人の同級生・あっくん。

セッちゃんは誰とでも寝るけどあっくんとだけはセックスすることはないです。二人は友人であり、恋人同士にはならないけれど不思議な仲の良さを育みます。

作品の舞台は現代日本と同じようなSNSスマートフォンが発達した世界ですが、物語の中では学生運動や世界的な社会運動が活発になってきていて、まるで1960~70年代と平成をミックスしたような世界観です。

 

平成のお気楽でお手軽な平和な日常と、それらをじわじわ脅かそうとする社会的な闘争の動きがあり、アンバランスで危うい日常生活の中でセッちゃんもあっくんも精神的に均衡を保ちにくくなり、それでもお互いが絶妙な距離感で補い合ってなんとか健全に生きていこうとします。

そして最後、日本の生活に疲れてフィンランドに留学することにしたあっくんと、あっくんに会いに行くことにしたセッちゃんは、ヘルシンキの空港で久々の再会・・・したところでテロリストが銃を乱射してセッちゃんは呆気なく撃たれて死んでしまいます。

その後も特に悲愴的な感じはなく、淡々と時間が進んで物語は終わります。

 

この作品がどうしてずっと心に残るのか、もう一度よーく考えてみましたが、はっきり指摘したり言い表すことができなくて、でもとても好きな作品となりました。

まず、セッちゃんが自分にとってとても魅力的なのだと思います。

セッちゃんはそこそこお金持ちの家庭の長女で、年の離れた妹・うたちゃんのことは大好きですが、それ以外の家族はそこまで愛着を持っていないように見えます。父親に至ってはセッちゃんが死ぬまでずっとセッちゃんを軽蔑している態度でかなり実家は居心地が悪かったようです。

セッちゃんが誰とでも寝るのは、淋しがり屋ではあるけれど会話による微細なコミュニケーションが苦手で、本音と建前を使い分けて度々精神的に摩耗したり、誰かと結託したり深い仲になるのが好きではないからだと思います。

若くて可愛いセッちゃんが相手であれば、男子や男性のほとんどはセックスができればそれ以上あまり深入りしてこなくて、たまに本気でセッちゃんにのめり込みそうになる男とはセッちゃんは距離を起きスッと逃げます。

 

セッちゃんの、他人との距離感がとても好感が持てます。

セッちゃんは相手に過度に求めないし、セックス以外は取り立てて何か与えたりもしないし、自分の考えはあるけれどそれを押し付けたりはしないし、かといってなんでも素直に口に出すかというとそうではなくて、不用意な言葉は発しない奥ゆかしさがあります。そして受け取った側が卑屈にならない程度に優しさもあります。

職場の同僚がみんなセッちゃんみたいな性格だったらいいのに・・・(遠い目)。

 

セッちゃんとあっくんの仲も素敵です。

私は男女問わず友達がいないので、男女の友情が成立するか否かという議論になんの主張も自己体験も持ち合わせていないのですが、セッちゃんとあっくんみたいな関係性が友情の一種なのだとしたら、そういう友人がほしいなと思います。

軽口叩いたりからかったりもする、一緒に映画を見たり部屋で漫画読んだりダラダラできる、そして一緒にカレーを食べると美味しくて、でもセックスはしない、そんな関係。別に男女じゃなくて同性同士でもいいのかもしれませんが。

 

セッちゃんが親から大量に送られてきた野菜に困ってあっくんとカレーを作って食べる場面が、なんだかはっとさせられました。

自炊なんて滅多にしない二人が作ったカレーは、ご飯もべちゃべちゃで野菜も火が通りきっていなかったりして、お世辞にもいい出来とはいえないんですが、

セッちゃんは「だれかとするよりおいしい」と口にして、セックスと食事を混同したセリフに自分自身うろたえながらも、「おいしいよ、ふつうに」と食べ続けながら向かいに座るあっくんを盗み見ます。

あっくんもなんともいえない嬉しい気持ちになりながら、二人は黙々とカレーを食べ続けるのでした。

 

接待やら忘年会やら、仕事で必要に迫られた時以外、誰かと食事をするというのがもう何年もないので、一緒に食べる相手によってそんなに味が変わる(というか美味しくなる)ことがあるのかといまだに懐疑的な私ですが、逆に食事が不味くなることは確実にあって、それはいまだに度々体験することです。

料理の味が一番よくわかるのは一人で食べる時だと私は思っていて、基本的に食事はずっと一人でとっています。普段の食事は単なる栄養補給なので特段味わうこともないですが、グルメを求めて行く旅行先の有名店や話題の新店などは必ず一人で行きます。まあ単純に一緒に行く人もいませんが。

 

この習慣の起源は中学2年生くらいまで遡ります。

当時まだ実家に住んでいた私は、核家族の父、母と3人で暮らしていて、両親は働いていたので毎日一緒のテーブルにつくことはなかったですが、月に何日かは3人が食卓に揃うことがありました。

その日は地元の美味しいお肉屋さんでユッケや牛肉のたたきなどを買ってきて夕飯に並べていました(昔から生肉大好きなのです)。

美味しいお肉に機嫌よく箸を進めていたのですが、途中で今となってはよく覚えてない些細なことで斜向かいに座る父と口論になり、我慢ならなくなった私は肉を食べきって自室に引き上げムカついて泣きました。

父の言い分や言い方にもきっと腹を立てていたのだと思うのですが、私が何より許せなかったのは、自分の好物である美味しいものを、つまらない人間のせいでじっくり味わい堪能することができなかったことです。

この出来事はある種の”食べ物の恨み”となって私の記憶に深く刻まれ、それ以来今に至るまで父とはほぼ会話していません。同じ食卓につくこともなくなりました。

もっとも、父はその後まもなく単身赴任して別々の住まいになったこともあるのですが、私はそれ以来誰かのせいで美味しいものの味が損なわれることが許せなくなり、本当に味わって食べたいものは一人で食べることにしたのでした。

 

そんなことがあり、私は「誰かと食べるほうが美味しい説」には確固としてNOと言うのですが、でも失敗したカレーでさえ美味しくしてしまうような相手に出会えたら、それはとても幸せなことだろうなとも思いました。

だからセッちゃんが若くて可愛くてしかもまだ空港に着いたばかりだったのにも関わらずいきなり撃たれて死んでしまっても、セッちゃんの人生は全然悔しくないし何も勿体無くないし、むしろそれでよかったのかも、とも思えるようなスッとした最期なのでした。

あっくんが、誰とでも寝てしまうセッちゃんの人生を、辛気臭くないさっぱりものにしたんですね。よかった。

恋とか愛とかだけが人生を救うのではないんですね。おわり。

生活水準と愛と幸せについて:『ワンルームエンジェル』

私はたまたま中流家庭に一人っ子で生まれて、たまたま父が大企業に勤めていて、

両親ともそこまで浪費家でもなく、子供にまあまあなんでもやらせてまあまあ何でも買い与える人たちだったので、

生活にこれといった不自由は感じませんでした。

 

小学校の頃も、中学の頃も、一緒に遊んでいたクラスメイトや先輩の中には数名”マイルドヤンキー”的な家庭の子達がいて、彼らの家に遊びに行くのが好きでした。

物が多くてごちゃごちゃした狭い平屋やアパートで、体に悪そうなお菓子やジュースや酒やたばこの吸い殻がたくさんあって、敷きっぱなしの布団と放り出してあるゲームや漫画の山があって、パチモンのヴィトンの財布やカバンがあって、109系のギャル服と雑誌と安い化粧品が並んでて、とにかくカオスな空間。

そして話してて面白いけど何となく少し怖い彼らの親や兄姉たち。

彼らのことを思い出すと、当時は言葉を知らなかったのでわからなかったけれど、いわゆる貧困層だったのかもしれないと思います。

 

今でこそ格差社会がとりただされて騒がれている時代になりましたが、思い返せば昔から格差はいたるところにあったのでした。

そして10代半ばの頃、私は自分のいる中流階級が、全くの運によるところで、元来自分自身にも両親にもそんなステータスを勝ち取る実力はないということに気づきました。

母も父も商業高校卒で特に教養もなく、酒もたばこもパチスロもちょっと嗜み、これといった趣味もない人たちでした。

たまたま時代の流れで大きな企業や組織に就職して、自ら変化を起こすような意志の強い人たちでもないので、そのまま不満があってもズルズルと何十年も働いているだけだったのです。

そして私はそんなある意味我慢強い両親たちの稼ぎの恩恵を受けていただけの何もできない子供でした。

 

私は、自分自身はいっぱい勉強して実力をつけてしっかり稼ぎ、自分の力でいい暮らしをしよう・・・

などとは全く考えませんでした。

考えたのは、生活水準をできるだけ低くしようということです。

それまでのように、小綺麗なマンションに住みお金の心配をせず好きなものを買うような生活は、自分自身の力ではかなり頑張らないと難しいと感じました。

両親と違って我慢強くない私は、給料が良くても同じ場所でずっと働き続けるということができません。

なので、初めからフリーターレベルの収入を想定した、低い生活水準で不自由を感じないように自分で自分を教育しました。

最初から目線を低くしておけば、水準を低くしておけば、幸せのハードルも一緒に低くなるように思えたので。

 

具体的にどれくらいの生活水準かというと、はらだ先生の最新作『ワンルームエンジェル』の主人公・幸紀くらいです。

ワンルームエンジェル (onBLUEコミックス)

ワンルームエンジェル (onBLUEコミックス)

 

公式サイトで1話が試し読みできます。

 

物語のあらすじは以下。

趣味なし、友人なし、恋人なし。

人生に対し投げやりになっていた幸紀。

ある日、チンピラに 絡まれ

ナイフで刺された その時

目の前に現れたのは美しい天使

一命を取り留め帰宅すると

部屋にはあの時の天使が…

天使との不思議な同居生活が始まる─…!

 

公式サイトより)

主人公の幸紀は三十路超えの独身男性で、深夜のコンビニバイトをしていましたが冒頭の事件でバイトもクビになります。

幸紀は若い頃チンピラみたいなことをしていて、巻き込んだ弟の友紀はヤクザになって、シングルマザーだった元ヤンママの母・あり紗は田舎でスナックをやっています。

幸紀はセリフなどを読んでいてもわかりますが、見かけによらず教養があり、難しい言葉もよく知っています。今風にいうと地頭が良さそうな人です。

幸紀はたまたま生まれた環境の水準が低くて、元から多くを望まない性格になった人でした。

 

物語冒頭での幸紀の独白からパンチがあります。

テレビもネットもない

狭くて汚いワンルーム

時計がわりのボロいガラケー

男、30代

今からコンビニバイトの夜勤

金がないので

酒も煙草も

ギャンブルもやめた

 

趣味なし

友人なし

恋人なし

生きる価値

なし

 

人生、クソ

(はらだ『ワンルームエンジェル』祥伝社 2019.3.25) 

「生きる価値なし」と思っていた幸紀ですが、その後出会った謎の”天使”との交流を通して、生きる価値や幸せを見つけます。

 

幸紀たちの幸せって、すごくささやかなものなんですよね。

一緒にご飯を食べて、雪が降ったら雪合戦して遊んだり、カラオケ行ったり。

はたから見ると特別なことは何もしてないんです。

でも、互いを想いあって二人でともに過ごしている、それこそが幸せの核なんですよね。

つまり、愛。

 

最後、幸紀と天使の二人の心が満たされて、天使は成仏したのか幸紀の前から姿を消します。

幸紀は冒頭の独白の時と状態的には何も変わってないんです。

狭くて汚いワンルームも、趣味も友人も恋人もいない事実も、何一つとして変わっていない。

けれど、「生きる価値なし」とはならない。天使との出会いがその価値観を変えたんです。

社会的な生活水準は何も変化していないのに、心の持ちようが確かに変わっているんですよね。これってすごいことだなと思いました。

 

私はいまだに愛というものをあまり体験していないのでどうしても想像の域を出ないのですが、

愛ってそんなになんでも飛び越えた存在なのでしょうか。

逆に、愛がないと、結局何も満たされないってこともあるのでしょうか。

たとえしゃにむに働いて稼いで生活水準が上がっても、あぶく銭を手に入れて好きなように豪遊しても、愛がなかったらどこか足りない感じがしてしまうのでしょうか。

もしそうだとしたら、幸せのハードルが高すぎるなぁと思います。生活水準の高低以上に、愛が手に入るかどうかは運しかないような気がするので。

 

少し悲しいお話でしたが、幸紀は天使に出会えてやっぱり幸運だったなぁと思います。

こうして感想を書いているうちに、またもやもやといろんなことを考え込んでしまいました。

今日は休みですが上司から仕事のミスについて連絡が入り、まさに「人生、クソ」と言いたい気持ちでこの文章を書いています。

愛する人がいたら、心安らげる誰かがそばにいたら、こんなすさんだ気持ちにはならないのでしょうか。おわり。

『はやく老人になりたいと彼女はいう』

先月から出張で内陸の地方都市に滞在しています。

人口30万人ほどのこの街は電車の本数も商業施設も娯楽施設も少なくて周りは見渡す限り山ばかり、気温がいつまでも低く桜もいっこうに咲きません。

駅のホームに立つと、あまりの静寂に不安な気持ちになるほど、とにかく何もない退屈な街です。

そんな退屈な街にも必ずある安上がりな娯楽が図書館で、2ヶ月しか滞在しないにもかかわらず、利用者カードを作り適当に3冊借りてきました。

そのうちの1冊がなんだかよかったので記録しておきたいと思います。

はやく老人になりたいと彼女はいう

はやく老人になりたいと彼女はいう

 

 

小学生の男の子・和馬は、夏休みに昔住んでいた母・麻里子の地元の夏祭りに親子2人で来ていて、そこで麻里子の遠い昔の恋人・敬吾とその娘・美優に偶然会います。

和馬と美優はたまたま同い年で、麻里子と敬吾も久々の再開で少し話したい気分だったので、子供たちと大人たちで別れ祭りを楽しむことになりました。

麻里子たちがチューハイ片手にのんびり昔話や近況報告をしあっている間、和馬たちは地元の小学生たちと山へ肝試しに行くことになり、途中で美優が体調を崩したせいで和馬と美優は森の中で集団からはぐれ迷子になってしまいます。

そんな森の中にいきなりおばあさんが現れるのですが、このおばあさんは昔和馬がよく行っていた駄菓子屋のおばあさんで、少しボケも入ってそうなおばあさんは死んだ夫の墓を掘り起こしに行くと話して森の奥へ進んで行きます。

和馬たちはおばあさんの後をついて行き、子供達がいなくなったことに気づき顔面蒼白の麻里子たちも森に捜索に出向き、そこですったもんだあり・・・という、一夏の祭の夜に田舎の森の中で起こる群像劇です。

 

物語の概要としては大きなドラマもなく非常にさっぱりしていて、時系列も短いのですが、この作品はとにかく言葉のセンスが非常によく、要所要所の”言い得て妙”とも言えるとても巧みな表現が印象的でした。

 

例えば和馬が昔通っていた駄菓子屋について、店のおばあさんと交流し始めた時の描写。

おばあさんと話すようになってから、和馬はいろんな相談をした。学校でいじめられたことや、本当は私立の学校に行くほど家計に余裕がなかったこと、そもそも自分は勉強にむいていないことなども自由に話せた。というのも、おばあさんが数日経てば忘れてしまうのがわかっていたからだ。話だけは覚えていたとしても、誰が言ったことなのかわからなくなる。こう言うとおかしく聞こえるかもしれないけれど、おばあさんは、しわくしゃになったインターネットみたいだった。匿名だからなんだって言える。

「しわくしゃになったインターネット」ってすごくピッタリした表現だなぁと感嘆しました。

 

他にも、麻里子が脳出血で亡くなった父の話を、今の年下の恋人・キヨシくんに話した時にキヨシくんが同じく脳出血で亡くなった自身の叔母の話を引き合いに出して「わかるわかる、そういうのわかるよ」と同情された時に感じた怒りの感情についての描写。

でも、叔母さんは遠すぎる。失礼だけれど、ペットの死と一緒にされたようで、ものすごく腹立たしかった。気安く人の不幸に相乗りするな。私をこれ以上悲しませるなと憤った。

”気安く人の不幸に相乗りする”という言い回しがとても心に残りました。似たようなことって身近によくあるのではないかと思うんですが、同情されるのが腹たつのではなくて、気安く自分の不幸に相乗りされて、相手がタダ乗りしてるような感じが癇に障るんですよね。これはとても慧眼で発見でした。

 

中でも1番深く感銘を受けた言葉が、和馬が行方不明になって不安になった麻里子が、和馬の父親でもある元夫に念のため連絡した時の描写です。

『連絡もらってよかった。一人で大丈夫なんか』

怒られるだろうと思って構えていたのに、彼からの言葉は優しかった。いや、正しい距離さえちゃんと保っていられれば、どんな男女も優しくなれる。

これって、男女に限らず、すべての人間関係に言えることだと思いました。その人同士が互いに一番快適な”正しい距離”を保っていられれば、憎むことも羨むこと疎むこともないのだろうと。

距離というのは時間的にも物理的にも、だと思います。

例えば、職場の同僚たち。今の職場に来てもうすぐ1年が経とうとしてますが、正直あまり好きではない同僚もいるし、馴染めているとも思っていません。でも、先月からしばらく出張で自分の部署を離れて、たまに連絡を取り合ってみると、なんだかみんなが懐かしく思え、あまり煩わしくなく、素直に感謝を伝えられたりしました。

これまで一緒に働いてきた人たちは大概そうで、ずーっと毎週顔を合わせていると、相手の嫌なところがやたら目についたり、逆に自分のこともうるさく指摘されたりして面倒で、互いに優しくなんてなれないものでした。けれど、退職して環境を変えると、たまに思い出す彼らは皆良い人に思え、楽しかった記憶や為になった助言などが思い出されて、しまいには感謝の念までいだいて優しい気持ちになれたりします。

もしかしたら、大概の人と私にとっての「正しい距離」というのは、物理的に100〜200km以上離れていたり、時間的に数ヶ月以上会わないくらいの距離なのかもしれません。

しかし中には、物理的にも時間的にもじゅうぶんに離れているのに、それでも疎ましくて仕方のない存在もいます。

例えば母親です。

もうずっと会ってませんが、母は今も生きていて、たまにLINEなどで連絡をよこしてきますが、私はずっと母に対して優しい気持ちになれません。別に虐待されてたわけでもないし、言葉の暴力を受けた覚えもないし、ネグレクトもされてないし、極めて一般的な我が子を愛する母親だと思います。

でも、私は昔からどうしても母を人間として好きではなくて、実家を出て一人暮らしをするようになり多少は疎ましい気持ちが軽減されたとはいえ、やはり感謝の念をいだいたり優しい気持ちになったりすることはできません。

いつか一番遠い場所、つまり死別でもしたら、やっと好きになったりできるのでしょうか。大変不謹慎ではありますが、そんなことまで考えてしまいました。

 

***

 

この本を手に取ったのは『はやく老人になりたいと彼女はいう』というタイトルがとても良いと感じたからです。

タイトルの”彼女”とは麻里子のことで、恋愛や家族やいろんな人間関係によって感情が揺さぶられることに疲れた麻里子は、若さによる強迫観念や思い込みからはやく脱して、穏やかに達観してすべてをどうでもよくなりたいと考えるようになっています。

 

私も10代の頃から「はやく老人になりたい願望」を持っていますが、三十路間近になった今になって考えると、果たしてこのまま生き延びたとしてそんな理想の老人になれるのだろうかという疑念はあります。

29歳になった今、わりとすでにどうでもいいことは多く、こだわりや執着も昔に比べて随分減りましたが、時折やっぱりなくならない弱さや不安が顔を出すし、達観するには知らないことも多いです。きっとまだいろんな人や物事との正しい距離を図りかねているのだと思います。おわり。

美しさについて:『エフェメラル -FANTASY ON DARK-』

昨年末のセールでVitaにダウンロードしていたゲームを今頃プレイしました。

予想以上に示唆に富んだ良作でした、『エフェメラル -FANTASY ON DARK-』。

エフェメラル -FANTASY ON DARK- - PSVita

エフェメラル -FANTASY ON DARK- - PSVita

 

もとはスマートフォンのアプリゲームで、そのためかわかりませんがストーリーはそこまで重厚ではなくさっぱりしていて、難易度というほど難しいこともなくサクッとプレイできます。

ただ、遊びごたえとしてはとても軽いけれど、その世界観や登場人物たちの掛け合いの中には、非常に哲学的な側面があり、ただ「面白かった〜」だけでは終わらせない読後感があります。

 

あらすじは以下。

主人公・クロエ(名前変更可)の住む町は、

金網が厳重にはられ、まるで檻のような場所だった。

そこは自分を含め、ゾンビしかいない町。

寿命を全うする前に自ら死んでしまう仲間が多いこと以外、

日々平穏に過ごしていたある日……。

もっと外の世界を見たいと願うクロエの元に、

優秀な生徒だけが行くことを許される

多種族が通う名門校の入学案内状が届く。

**

オオカミ男・透明人間・吸血鬼・ミイラ など

魅力的な闇の住人たちと送る、階級学園生活!

クロエはそこで、種族を超えた禁断の愛を知ることになる――。 

 

公式サイトより)

 

主人公のクロエがゾンビというところからしてとても突飛ですが、この作品世界でのゾンビという種族はいくつか特徴があります。

まずゾンビは、心臓が動いている若いうち(と言っても200年以上ある)は、数ある種族の中でトップ階級とされる人魚にも匹敵する、非常に美しい見目を持ちます。

そして、心臓が止まっても生き延びる代わりに、心臓が止まると急激に肉が腐り剥がれ落ち醜くなり、最終的には骨だけの姿になってしまいます。

さらに、最終的に骨だけになってもせいぜい400年程度が寿命であり、ほかの種族に比べて短命であることと、若いうちも血の巡りが悪いので体がもろく怪我も治りにくいです。そのような弱い肉体を持つ上に、昔からとある理由で世界から隔離された町に追いやられてもいる、カースト最下位の種族でもあります。

 

ゾンビはもともと短命な上に、とある理由で若いうちに自殺してしまうものが多く、平均寿命がとても短いです。

その理由とは・・・「醜くなる自分の姿に耐えられず、美しい若いうちに死にたい」と考えるものが多いから。

カップルで心中するケースも少なくないんだとか。

 

主人公のクロエは、物語序盤、自分の見た目について下記のような独自の理論を語ります。

「だって、ゾンビってね、老いが進むと

肉が腐り落ちて、骨だけになっちゃうから。

こうして皆と同じ姿を保っていられるのは、

若い内だけ。

ひとときの美醜なんて、

あんまり意味がないとも思わない?」

「私にとって、この身体は

肉と皮で出来たハリボテみたいなものなの。

いずれは骨になるとわかっているから、

それまでの飾りみたいなものだと思ってる。

だから、私は今の姿を失ったとしても・・・・・・

何も怖くないよ。」 

その肉と皮で出来たハリボテが誰よりも美しいクロエは、しかし自分の美しさに無頓着なのです。

とても合理的でさっぱりしたいい考え方だと思いますし、個人的に非常に共感できます。

しかし、頭で納得できても、心の何処かで受け入れきれない自分がいることも確かです。

クロエ本人も、物語が進む中で、新しい気持ちに気づいていきます・・・。

 

***

 

攻略キャラクターごとに感想と考えたことを書いていきます。

 

【ナギ】

透明人間の優しい秀才くん。ゾンビほどではないけれど、カーストは中の下といったレベルの種族です。

透明人間の特徴として、ネガティブ思考に陥りやすく、ふさぎ込むと姿が透明になってしまい自分でもコントロールが効かないという点と、人生終盤の300年くらいは透明になってしまい、他人から認識されないまま生きていかなければならないという点が挙げられます。

クロエの素直さや優しさに触れ、心から彼女を愛するようになったナギ。思い合う2人は生涯の愛を誓い合います。

ナギルートではクロエの唯一の肉親であるユリアおばあちゃんが重要な役目を担います。

ユリアおばあちゃんは、クロエが幼い時から、誰も愛してはいけない、恋をしてはだめだと言い聞かせていました。

その理由は、自身が昔透明人間の男性と恋に落ち愛し合ったものの、ゾンビの特性である肉の腐敗が始まった時、どうしても彼にその姿を見せられずそのまま別れてしまった後悔の念からくるものでした。

クロエはほかの人より透明になったナギを探すのがなぜか上手いという特技があったのですが、そのわけはおじいちゃんが透明人間だったからなのでした。

もう一生会わないと思われたクロエのおじいちゃんは、実は透明になったままずっとユリアおばあちゃんの側にいました。

さらには、おじいちゃんはなんとナギたちが通う名門校・アルデリック校の理事長だったのでした。(だからクロエに入学案内が届いたのですね)

おばあちゃんも死ぬ間際に心救われ、ナギとクロエも生涯愛し合うハッピーエンドでした。

ナギは普通にいい人だったんですが、ほかのキャラクターの印象が強すぎて、今振り返るとどうもぼんやりしています。さすが透明人間。

 

【ナツメ】

ミイラと自称する包帯巻きの美少年。実は人魚の男性・マーマンでした。

最初は意地悪で感じの悪いことばかり言ういけすかないやつでしたが、クロエをからかううちに本気で好きになってしまい、最終的にはヤンデレとも思えるほどクロエにぞっこんの独占欲丸出しの溺愛状態になります。かなり萌えました。1番好きかもしれないです。

種族カーストの頂点である人魚は、絶世の美貌と他人を魅惑する美しい歌声をもち、知力やカリスマ性も備え持つ完璧超人みたいな種族なのですが、その完璧さゆえ、周囲の人間や環境が自分の思い通りにならないと気が済まない、自分が1番でないと我慢できないという特性があります。全てに秀でている分性格に難ありなのですね。

特に女性の人魚・マーメイドはその特性が強く、自分より美しくなる息子であるマーマンを嫉妬に狂って殺してしまうことが多いと言います。だからマーマンは公に姿を表すことはなく、禁忌の存在とされているのでした。

ナツメも自分がマーマンであることを隠すためにミイラに扮して過ごしていました。彼もまた母親に殺されかけ、返り討ちにしたという過去を持ちます。

ナツメは人魚という自分の種族が大嫌いなのですが、クロエを好きになるうちに、自分自身の恐ろしいほどの嫉妬心や独占欲から、己に流れる人魚の血を自覚せざるを得なくなります。

いや〜この、ナツメのヤンデレ具合が最高でした。ゾクゾクするほど妄信的にクロエを愛する姿、萌えに萌えます。

それにしても人魚の設定はとても良くできてるなと感心しました。眉目秀麗で寿命も長く才色兼備なのに、だからこそ自分の思い通りにならないと我慢ならなくて同族殺しも厭わないほど暴君であるという・・・ある意味でとてもバランスの悪い存在ですよね。面白いなぁーほんと。

 

【シバ】

オオカミ男の少年。勉強はあまりできないけれど素直で元気な男の子、メインヒーロー的な立ち位置で、カーストは真ん中くらい。

私はシバだけは許せません。彼が素直でいい子なのはわかります。しかし彼は乙女ゲームという恋愛アドベンチャーにおいて、言ってはいけないことを口にした男です。

ほかのキャラクターと同じように様々なイベントを通してクロエとシバは恋人同士になりますが、私が一気にシバにキレたのは恋人同士になった後のひと騒動のときです。

イタズラ好きのシバは、しばしば街のイタズラグッズショップで変な品を買ってはクラスメイトで試すという悪癖がありました。

ある日そこで買ってきた一見なんの変哲も無い紅白饅頭を、シバはナツメとレイという2人のクラスメイトに食べさせようとします。しかし、ナツメもレイも頭がいいのでシバの思惑に気づき饅頭を口にせず、返り討ちにしてシバに食べさせました。

もう片方の饅頭を誰に食べさせるかですったもんだしていたところに、マーメイドのクラスメイト・オリヴィアがやってきます。

その場の流れでオリヴィアがもう片方の饅頭を一口食べると、饅頭に入っていた惚れ薬が発動し、シバはオリヴィアを好きになってしまいました。

目の前で突然オリヴィアに愛の告白をするシバに、クロエはショックを受け自室に籠ります。そこに謝りにきたシバですが・・・

「嘘の気持ちのはずなのに、これが嘘なのか、実は本当に好きだったんじゃないかって・・・・・・。

それすら、自信がない。」

「シバ・・・・・・何が言いたいの?」

「・・・・・・クロエ。オレと別れてくれ。」

「っ・・・・・・!!!」

「オレのこと、なじってくれていいよ。

恨んでくれてもいい。

オレ、オマエが好きだよ。

でも・・・・・・今はそれ以上にーー。

・・・・・・気の迷いかも知れない。でも、どっちが気の迷いだったのかも、今はわからないんだ。」

「それって・・・・・・私への想いが

気の迷いだったのかもって言いたいの?」

「・・・・・・ごめん。こんな中途半端な気持ちで、

オマエの側には居られない。 」

これには私が完全に頭にきました。さっきまであんなにラブラブだったのに、紅白饅頭が出てくる前までは、あんなに愛し合ってた2人だったのに・・・

何が許せないかというと”気の迷い”という言葉です。これは、百年の恋も一瞬で冷ますキラーワードだと思いました。

もともと恋愛などというものは皆思い込みの勘違い、熱病みたいなものだと思います。だからこそ、”気の迷いかも知れない”などと疑いが出た時点で、土台から崩れ落ちてしまうのです。どんなに強く愛し合って居たとしても。むしろラブラブであればあるほどダメージが大きいと思いました。

惚れ薬のせいだったとしても、抗えない科学的な力で思考が捻じ曲げられたとしても、もう少し言葉を選ぶべきだったと思いました。まあ、それくらい強力な惚れ薬だったんだとは思いますが。。

最終的に薬の効果も切れて仲直りしてハッピーエンドを迎えても、シバだけは釈然としませんでした。それくらいいただけない台詞でした。言葉の力ってすごいなと改めて思いました。

 

【レイ】

吸血鬼の貴族の男の子。クロエが編入した当初、学園に人魚はいないことになっている(ナツメがミイラということになっている)為、カースト最上位に君臨しているのがレイです。

吸血鬼の特性としては人魚についで美しく強いほかに、美しいものをこよなく愛すという習性があります。

クロエはゾンビでカーストは最下級ですが見た目の美しさは最上級なので、レイもその見た目のみでクロエに関心を持ちます。

しかしゾンビの血は恐ろしく不味く、クロエが吸血欲を満たすエサとして使えないことがわかり、あっさり興味を失います。

レイルートはクロエが猛アタックしレイがだんだん心を開くという展開なのですが、最終的にはレイはクロエの見た目だけでなく、誰にも媚びず素直な心根の美しさに惹かれ、彼女を愛するようになります。

最初に書いたように、クロエははじめは自分の美しさに全く頓着しませんでしたが、どのキャラクターのルートでも、恋を知るようになって初めて、自分の顔の美しさが失われることに恐怖を覚えるようになります。

中でもレイルートでは、レイが人一倍クロエの顔を褒める為、その美しさを保たなければという強迫観念がクロエを支配するようになります。

ひと時の美しさなんてハリボテのようなもので、

どんな姿になろうと、

私が私であるという事実は変わらないと。

(レイに綺麗だって言われ続けてる内に、

そんなことも忘れてたみたい・・・・・・) 

レイの取り巻きの女の子に逆恨みされ、片目と頬に消えない傷を負わされたクロエが、もうレイに褒めてもらえないと絶望し鬱ぎ込むところは泣いてしまいました。

そしてクロエが美しいのは顔だけじゃない、傷を負ってもなおお前は美しいとその全てを愛で包み込むレイの男らしさに心打たれました・・・レイは見た目だけじゃなく心もイケメンです・・・素敵・・・。

恋人同士になった後のレイルートでは、彼の独自の審美眼や美的感覚についてさらに知ることができて面白かったです。

吸血鬼は美しいものにとにかく目がないですが、レイの言う”美しさ”とは見た目だけでない、もっと多くの概念を内包するもので、彼の考えはとても共感できる部分が多いなぁと思いました。

特に印象深かったのは、クロエがお菓子の食べすぎで頬にニキビができてしまった時の場面です。

 「み、醜いって・・・・・・ニキビで!?

じゃあこの目の傷だって・・・・・・。」

「目の傷はお前のせいではないだろう。

だが、ニキビは確実にお前の責任だ。

怠慢を棚に上げて自己を正当化しようとするな。」

レイ様のおっしゃる通り・・・と自戒しました。。

同じような理由で、普段から考えていることがあります。

私は現在美容関係の仕事をしているので、毎日朝から晩まで美肌だの何だの言って化粧品を売ったりエステコースを契約させたりしてるんですが、

私自身は別に肌がすべすべであることにそこまで価値を見出してないし、カサついてようが体毛がいくら生えてようがそれをとやかく言う権利は誰にもないと思っています。

乾燥肌でも、色黒でも、アトピー肌でも、毛深くても、それはその人のせいではないからです。

でも、びっくりするくらい太ったお客様が目の前に現れた時、仕事なのでにこやかに丁寧にお話はしますが、心の中では「まず痩せろデブ」となじってしまうことがあります。疲れてたり忙しかったり心に余裕がないと特にそういった気分になってしまいます。

パンパンに脂肪で膨れた四肢や脂ぎった顔は、本人の怠惰によるものだと思えてしまうのです。

いくらコスメやエステで肌がツヤツヤになったとしても、だらしない締まりのない肉の塊であっては美しいとは言えない・・・と、やるせなさを感じることがあります。

体質で痩せられない人がいるのかどうかわかりませんが、そんなわけで度の過ぎた肥満体型にはつい侮蔑の眼差しを向けてしまいます。

逆に、目鼻立ちや骨格や、整形手術以外で自分ではどうにもできないことに対してとやかく言う人もあまり好きになれません。

少しでも理想の美しさに近づこうと、整形でも脱毛でもエステでも、できる手を尽くして何でもしようとする人を見ると、素直に「すごいなぁ」と感心はしますが、それを偉いなどとは思わないし、するもしないも本人の自由だと思っています。

 

昨日も、職場の朝礼で上司が「女性としての美しさ云々・・・」と講釈をたれていましたが、全然響かないどころか反感さえおぼえてしまう自分がいました。

”女性としての”?さぁ。女性が美しくなければいけないなんて、誰が決めたんでしょう。

シミのある肌がなぜいけないんでしょう?誰かに迷惑かけましたか?

体毛を生やしっぱなしで肌を出したら何がいけないんでしょう?

・・・でもそれを言ったら、自社の商品は売れないですからね。結局、皆が一つの美意識(ムダ毛がなく白く潤ったキメの整う滑らかな肌が美しい)を共有しているから今の商売が成り立つんですよね。

私が本能的に許せない肥満体型だって、見方によっては別に誰にも迷惑かけない、本人の自由なのかもしれません。

 

自分の美意識って、いつの間に自分の中に構成されたんでしょう。不思議です。

言語化すればするほど、認知的不協和や自己矛盾が浮き彫りになって、何だかきまりが悪いのです。

 

***

 

こうして、見た目の美しさについてあれこれ思考喚起をさせるこの物語ですが、

救いがあるのは、攻略キャラクター全員が、クロエの見た目の美しさだけでなく、クロエの存在そのもの、クロエの心を愛してくれたことです。

ナギもナツメも(シバは釈然としないですが)レイも、クロエが歳を重ね肉が腐り落ち骨だけになった最期も、変わらず愛を捧げてくれました。これはとてつもないことです。

クロエがクロエであるだけで愛せるというのは、とても驚異的なことです。彼らのような愛が本当の恋愛なのかなとも思いますが、それはとてもハードルの高いことのように思えます。

 

ある日あなたの恋人が、事故や災害や事件に巻き込まれて、皮膚は削げ目も開けられないほど、見るも無惨な肉体になってしまったとして

あなたは変わらず愛を囁けますか?

 

全然違う作品ですけど、『はだしのゲン』で似たような場面があるんですよね。

原爆の強烈な爆発の後、ある女の子の前に、皮膚が焼け爛れてデロデロになった人のようなものが来て「助けて」というのですが、女の子は「あんたみたいなお化けしらない!」と言って逃げるんです。そのデロデロになった人は、女の子のお母さんだったのに。

 

逆に、見た目がそのままだったとして、事故か何かで記憶や性格がガラッと変わってしまった恋人なら、愛せるでしょうか?

どう変わってしまったかにもよりますが、こちらのケースの方が、最初の心理ステップのハードルが低い気がするんですよね。私って、外見至上主義なんでしょうか?

 

普段あえて深く考えないようにしている”美”という概念について、そしてその人がその人であるために何が必要条件かという哲学的問題について、そして愛するという行為のレベルについて問題提起してくれる優れたゲームでした。

オープニングテーマも好きなんですよね。よく見たらクリエイターがオバケストラの人じゃないですか!フルで聴きたいです。おわり。


PS Vita版『エフェメラル -FANTASY ON DARK-』オープニングムービー

ホーンテッド・オバケストラ

アニメやゲームのオープニング曲やエンディング曲、キャラクターソングというのは、メロディや歌い手の歌唱力や主題である物語が融合して、普通の商業音楽とはまた違った魅力があると思います。

近年は、流行りの『ヒプノシスマイク』もそうですが、音楽が先行してそこにキャラクターや物語群が立ち現れるプロジェクトもたくさんありますね。

そんなコンテンツで去年から気になってるのが『ホーンテッド・オバケストラ』です。

obake-music.com

舞台は東京都あやかし区。破格の賃貸料に惹かれたあなたは区の外れにある大きな洋館の一室へ引っ越してきました。ある晩、不気味な音に気づき、いかにも怪しい地下室へ恐る恐る入ってみることにしたあなた。そこでは、謎の隣人達が古めかしい楽器を手に演奏していました。

彼らの正体はモンスター。地球には数多くのモンスターが生息しており、中でも音楽好きのモンスターは年に一度ウィーンで開かれる音楽祭MELLOWEENでの演奏を目指し腕を磨いているのだというのです。それぞれ理由を抱え日本へやってきた隣人モンスター達と織りなす、あなたへ贈るハートフル・モンスター・ミュージック・コメディ。

――というストーリーが土台のキャラクターコンテンツです。自由にかつ妥協せず。楽曲制作を中心に「楽しい」を提供します。

公式サイトより)

 

知ったきっかけは、出演者の一人である声優・伊東健人さんのtwitterでした。

伊東さんの歌声大好物なんですが、このオバケストラのイグナーツ(CV伊東健人)のキャラソンは特に最高で即ダウンロード購入した作品です。


「ホーンテッド・オバケストラ」キャラクターソング Vol.2『Ausfahrt』イグナーツ(CV:伊東健人)試聴動画

かっこいい〜〜〜〜何回聴いてもいいです。

特にフルで聴いた時の終盤「Ausfahrt 運命など 知るか馬鹿」〜♪ってところが大好きです。ぜひ聴いてほしいです。

 

そして先日発表された第6弾のエナス・ディオス・トレイス(CV 新垣樽助)の曲も結構好みでさらにオバケストラがきになる存在になってきました。


「ホーンテッド・オバケストラ」キャラクターソング Vol.6『バズキルキラ』エナス・ディオス・トレイス(CV:新垣樽助)試聴動画

新垣さんってすごいですね。全然違う3人が歌ってるようにしか聴こえないです。

メロディも編曲も凄く面白い、いい曲だと思います。これも中毒性ある曲ですね〜。

 

これだけ曲が良くてキャラクターも魅力的だと、いちオタクとしてゲーム化やアニメ化を望まずにはいられないです。

ミュージカルにはなってるようですが、2.5次元にイマイチ食指が動かない私としては、まだコミカライズの方が嬉しいですが、やはり楽曲が最高なので2次元のまま映像化してほしいです。

これからの展開が楽しみな音楽コンテンツです。おわり。

 

Ausfahrt

Ausfahrt

 

 

バズキルキラ

バズキルキラ

  • アーティスト: ディオス(CV:新垣樽助)& トレイス(CV:新垣樽助)エナス(CV:新垣樽助)
  • 出版社/メーカー: ホーンテッド・オバケストラ
  • 発売日: 2019/01/31
  • メディア: MP3 ダウンロード
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