れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

『それでも町は廻っている』

とにかく笑えて、ちょっと萌えて、最後にほろりと泣ける素晴らしい漫画が

石黒正数それでも町は廻っている』、通称”それ町”です。

丸子町という下町の商店街を舞台に、嵐山歩鳥という元気な女子高生とその友人たち、そして地元の大人や子供達を描いたコメディ群像劇でした。

全部で16巻ありますが、時系列がバラバラに描かれていて、基本的に一話完結型なので、どこから読んでもさほど問題なく楽しめます。

 

主人公の歩鳥は、いい具合にアホな子ですが、頭の回転が早く思慮深いところもある聡い女の子だと思います。私にも歩鳥のようなクラスメイトがいたらよかったなぁと思うくらい魅力的な女の子です。

歩鳥の幼馴染で同じ商店街に暮らす魚屋の息子・真田がこれまた私の”不憫萌え”にドストライクな男の子で大好きです。

他にも、美人で実は甘えん坊なお嬢様の紺先輩とか、近所の頭が良くてミステリアスな静ねーちゃんとかもかっこいいし、歩鳥の弟・タケルと妹・ユキコもすごくいいキャラクターで、とにかく登場人物一人一人が愉快で面白いです。

 

本当にどの話も好きなんですが、特に笑ったのが、歩鳥が小学生の時に好きな男の子に作ったチョコレートを結局渡せず、回り回ってそのチョコレートが真田の元に来たものの、「From嵐山」が「Form嵐山」と書いてあったり、チョコのアクセントとして何故かオカメの落雁が埋め込まれていてびっくりしたドキドキが、吊り橋効果で好意と勘違いしてしまったり(それ以来真田はずっと歩鳥が好き)とにかく笑えました。あのチョコレートは傑作。ぜひ見てほしいです。

 

歩鳥は毎日を本当に面白おかしく楽しく過ごしている子で、それが周りのみんなのおかげだということをちゃんと認識しているのです。そしてそんな大好きな「いつもの感じ」がいつまでも続かないことも理解していて、少し怯えているという描写が要所要所にさりげなく入っています。

それが極限まで高まったのが最終巻の高校3年の初夏、クラスメイトでバイト仲間のメガネ女子・辰野トシ子(通称タッツン)が「真田に告白する」と歩鳥に決意表明したところです。

「あんた 私の事どっかナメてるでしょ」

「そんな事ないって!!

一体この質疑はさっきから何を証明しようとしているの!?」

「もし私が告白すると

上手くいってもフラれてもどっちにしろ

あんたの望まない事が起きる」

「・・・何が起きるの」

「メイド長がいて

あんたと私がバイトしてて

時々 真田君が来て・・・

っていうあの感じが

何かの形で変わるよ」

「!!」

「あんたが ひと一倍好きであろう「いつもの感じ」が

変わっちゃうかもしれないっつってんの!!」 

歩鳥はどこか蓋をしていた自分の心の奥底の気持ちを指し示された事にショックを受けますが、それでもそこまで自分の事をわかってくれていたタッツンに感激し、「変わらないことより尊い」とタッツンを激励します。

結局タッツンもヘタレで告白せずに終わってしまうというオチがありますが。。

 

特に最終巻である16巻は笑いよりも示唆に富んだ話が多く収録されているように思いました。人間の怖さや狂気に触れ、それでもめげずに前を向いて生きていく歩鳥たちは本当に愛しいです。

そしてエピローグがこれまた感動的でした。あの静ねーちゃんの顔。あの3カットで涙がこみ上げます。素晴らしいエピローグでした。これもぜひ見てほしい!

 

こうして感想を書いていて思い出しましたが、私もこれまでの人生で数年だけ、歩鳥のように毎日楽しくて仕方がない時期がありました。

あの頃の私も歩鳥のように、楽しいのが周りのみんなのおかげで、そしてそれが長くは続かないことを、いつか終わりが来ることをわかっていました。

人が生きている限り、変わらないことはありえないし、大好きな「いつもの感じ」はいつかなくなるものです。

それでも、それは思い出になって、何年も何十年も後になっても思い出す、それが人間というものなんでしょう。おわり。

念のために生きている:『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』

中学生の頃、同じクラスで近所の友人(女子)が西尾維新クビキリサイクル 青色サヴァン戯言遣い』を朝の読書の時間に読んでいました。

表紙が可愛かったので、私も借りて読んでみたのですが、中学時代の私はあまり気が長くなくて、いかんせん本が分厚くて、最初だけ読んでほとんどわからず返してしまいました。

そんな作品が、十数年の時を経てOVA化されました。

物語シリーズ』でおなじみのシャフト制作、音楽は梶浦由記Kalafinaがテーマソングを歌っていて、キャストも豪華声優陣の文句無しのアニメ化でした。

特にOVA最終巻の、哀川潤が登場するところは、観ていて非常に引き込まれる回で、あまりに良かったのでこれを機にもう一度原作を読んでみようと思いました。

クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)

クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)

 

読んだ感想は「この文体は・・・読むのちょっと厳しい・・・」でした。

しかし、原作でもやはり終盤の哀川潤との会話シーンは素晴らしいと思いました。

 

物語のあらすじは以下。

日本海に浮かぶ孤島、鴉の濡れ羽島。 そこに建つ屋敷には、島の主の赤神イリアによって あらゆる分野の天才たちが客として招かれていた。 だがある朝、屋敷の中で、首斬り死体が発見される。 そして事件は、それだけでは終わらなかった――

OVA「クビキリサイクル」公式サイトより)

首切り殺人とか、ミステリ的要素は私はそこまでアツくならない質なのですが、

主人公のいーちゃんが全て解決し、島を出て日常に戻ったところに哀川潤という人類最強の請負人がやってくる後日談の部分が秀逸なのです。

 

哀川潤という女性は名探偵的ポジションで、一応事件を解決に導いたに見えた主人公・いーちゃんたちの、微妙な違和感を巧みに説き伏せていきます。

そして、一見解決したように思えた事件には、さらなる真相が隠されていることを諭します。

犯人(園山紅音)が死体(伊吹かなみ)を再利用して連続殺人に見せかけたと思いきや、事件の前にそもそも犯人とされる人物(園山紅音)と被害者とされる人物(伊吹かなみ)があらかじめ入れ替わっていたという事実に突き当たるいーちゃん、そしてその事実に困惑するいーちゃんの、事件と関係ない根底的な部分にまで言及してくる哀川潤のやりとりがとにかく面白かったです。

「動機は・・・・・・それだったっていうんですか。でも、それ、一体なんのためにそんなこと・・・・・・」

「はっ!」哀川さんは嘲笑たっぷりに目を細め、身体を揺する。「それは実に、筆舌につくしがたいほどつまらない質問だぜお兄ちゃん。ヘイお兄ちゃん、お前、たとえば何のために生きてるって訊かれたとき、なんて答える?」

「・・・・・・・・・・・・」

「お兄ちゃん。確かにお前みたいなタイプは思ったことがないかもしれねえな。お前、何かになりたいって思ったことはないだろう?何者かになりたいって思ったことがないだろう?だったらいくら説明しても、伊吹かなみの気持ちは分からねえ。てめえでてめえのスタイル確立しちまってる人間には、伊吹かなみの気持ちは三千世界に行っても理解できねえよ」

(中略)

「・・・潤さんには分かるみたいな物言いですね」

「分からねえさ。他人の気持ちなんか分かるもんか。だけど考える頭があれば想像することくらいはできる。(後略)」 

”何かになりたい”、”何者かになりたい”と思ったことがない人って、世の中にどれくらいいるのだろうと考えてしまいました。

私は幼い頃から何かになりたかったです。薬剤師とか服飾デザイナーとかいう職業的なことではなく、誰もが一目おく地元の先輩とか、勉強なんて全然しないでおしゃれとプリクラと彼氏のことしか考えてないクラスの可愛い女子とか、魔法少女とか、そういう何者かになりたかったです。

何者にもなれないことに気づいたのは高校生くらいになってからかもしれません。

 

さらに話が進むにつれて、物語全体を通して描かれている”天才”という存在についても言及されます。

「お兄ちゃんは天才をどう定義した?《遠い人》だってな。イリアから聞いた。だけどそりゃ間違いだ。ベクトルなんだよ、要するにな・・・・・・。人生における時間を、一つの方向に向けて全部発揮できる人間。人間にはいろんなことができる。だけどいろんなことをやらずに、たった一つだけにそれが集中したとき、それはとんでもねえ力を発揮できる。それこそ、遠くの人だと思えるくらいにな」

そして、ついつい予定調和のように小さくまとまろうとしてしまういーちゃんに、激励とも言える言葉を投げかける哀川潤。だっていーちゃんだって、能力は高いですしね。あとはそれこそベクトルの問題だけなのです。

「ダスト・ザ・ダスト・・・・・・つまりはそういうこったよ。よくやったよ、お兄ちゃん。本当によくやった。誉めてやろう。だけどもう少し、もっともっと頑張りな。不満があったら誤魔化すな。不安定なもんはちゃんとちゃんと安定させろ。不条理は条理の中へと押し込んじまえ。てめえの考えをくだらない感傷だなんて思うな。オッケイ?」

「・・・・・・オーケイ」

いい返事だ、と哀川さんは真っ赤な舌を出す。

「そんじゃ、そういうわけでお邪魔様。世界はお前らみたいなのがいるから生きてるだけの価値がある。そう思うよ。だけどお兄ちゃん、お前は少しばかりサボり過ぎだ。人間っつうのはもっとスゲエ生き物なんだからよ、ちゃんとしろ、ちゃんと」 

すごい、この言葉を中学2年生の私に聞かせてあげたかったです。そしたらもうちょっと頑張った人生になったかも・・・なんて思ったり。

しかし、27歳の私と同じく、大学生のいーちゃんもそんな素直に頑張ろうとは思わないのです。

これ以上考えるのは、もう、面倒臭い。あとは考えたい奴が勝手に考えればいい。哀川さんには悪いけれど、僕は別に、世界に価値を与えるために生きているわけじゃない。

たとえばきみは何のために生きているのかと訊かれたら、ぼくは念のためだと答えるだろう。人が生きている理由なんてその程度のものだし、ぼくが生きている理由もその程度のものだし、大抵の人はその程度のものなのだ。 

「念のため」!これには目からウロコでした。念のために生きている、その通り、むしろそれ以外の表現がありえないくらいしっくりくる表現だと思いました。

そうなのです、生まれてきてしまった事実に文句もとっくに言い飽きて、ただ「念のため」に生きているのです。そして大抵の人はその程度のものなんですね。

あ〜、この後日談だけでも、中学のうちに読んでおけばよかった、とちょっと後悔しました。

読んだからって、何かが変わっていたのかというと、多分何も変わらないのかもしれませんが。

むしろ、今だからここまで自分の心に残るのかもしれないですね。十数年の時を経て、ようやく読むべき時がきたということでしょうか。西尾維新さん、凄過ぎです。まさに”天才”ですね。おわり。

愛の怖さとマイノリティ:『にいちゃん』

表紙からインパクトのすごい漫画『にいちゃん』。

にいちゃん (Canna Comics)

にいちゃん (Canna Comics)

 

「鬼の話かな?」と思うようなすごい配色です。ストーリーは、確かに鬼といえば鬼。いや、人間の話ですけど、鬼がかってるというか、神がかってるというか、迫真です。

 

あらすじは以下。

かつて、近所のにいちゃんに手を出され、

現場を母親に見られてしまったゆい。

それを境に、いつも遊び相手になってくれていた

にいちゃんは姿を消し、

親からは過保護なまでの監視を受けるようになってしまった。

あれから時が経ち、にいちゃんを忘れられないゆいは、

ある日もあてもなく街を徘徊し、

そして、ついに再会の日がくる――。

しかし、久しぶりに会ったにいちゃんは、

昔のような優しいにいちゃんではなくなっていて……。 

(背表紙「Story」より)

 

小学生のころ、セックスする土壇場で怖くなって景から逃げ出したゆいは、何が怖かったのでしょうか。

いつもと違う雰囲気のにいちゃんも怖いし、自分のものと全然違うにいちゃんのいきり勃つ男根も怖い、もしかしたら痛いかもしれないという痛覚への恐怖、他にもたくさんあると思うんですが、この恐怖をうまく言語化できないのです。

そもそも恐怖って、理屈抜きで湧き上がる感情なので、言語化しなくてもいいのかもしれないですが。。

最初のこの場面でゆいが逃げ出したことによって、景の憎悪と歪んだ復讐心の種が埋め込まれるのです。

 

大きくなってゆいが高校生となり、再会し体を重ねるようになった時、景はしきりに「許さないよ もう俺から逃げない? 約束して? 俺のものになる? 何されても逃げないね」と、とにかくもう逃げられないように何度も言質をとるんです。

多くのBL作品、そしてBLに限らず恋愛作品において、”相手の気持ちや自分の気持ちが信じきれない/二人の将来に不安がある/相手の期待に応えきれない自分を想像するとやるせない”等の理由で、相手から/相手の気持ちから逃げる、という流れがよく描かれます。しかし、この『にいちゃん』はそういうのとは少し違う感じがするんです。

 

景もそうですが、終盤二人が無事結ばれた後にゆいも「もう逃げないって約束できる?」と景に諭すんですよね。二人してどんだけ相手に逃げられるのが怖いんだろうって思うんですけど、逆に相手が逃げたくなるようなことを自分がしているという自覚があるのかもしれないと思いました。

私がこう思い至ったのは、同作品のドラマCDのキャストトークで、景を演じられた加藤将之さんが「演じていく中でゆいの愛が怖いと感じた」というようなことを話されていたのを聞いたからです。

にいちゃん

にいちゃん

 

ゆいは小学生の頃セックスが怖くなって景から逃げ出したことをずっと後悔していて、もう一度景に会いたくて街を徘徊して必死に探して、そしてやっと再会できたと思えば今度は嬲られてひどいこといっぱいされるのに、一貫してずっと景のことが好きという超一途というか、ちょっと妄信的ともいえるくらい景を愛しているのです。

 

景は昔幼い自分に手を出してきたおじさんをずっと想っていて、けどおじさんは逮捕されたし娘もいたしもう20年弱会ってない。行き場のない強い思いを、かつておじさんが愛してくれた自分と同じくらいの少年を愛でることで慰めようとしていました。そして少年・ゆいに逃げられたのを裏切りと感じ、また失意の闇に落ちていく。

 

景は幼いゆいを可愛いとは思っていましたが、おそらく愛してはいなかったでしょう。再会した後もゆいを捌け口にはしていても愛してはいない。つまりゆいの片思いなんですね。

景はそもそもゆいに愛される覚えがないというか、ゆいが幼い頃レイプしかけて、再会してなおゆいにひどいことばかりする自分が、どうしてゆいに愛されるのか訳が分からないと思うんです。

しかしそれでもゆいの愛は確かに本物なのです。

「・・・俺は ゆいの人生をまげちゃったのかな」

「うん、責任・・・とってほしいなあ・・・

にいちゃんと一緒になれるなら 俺は全部捨てる覚悟があるよ」

「・・・・・・・・・」

「明日もくるね

愛してる」 

 

ゆいの愛が一気に景をめがけて流れ出すのは、景の過去を知ってからです。

ゆいのクラスメイト・舞子が、なんと景の好きだったおじさんの娘で、舞子の父であるおじさんと、景がどういった経緯で愛し合って別れることになったか知りました。

それらを見て「景が自分にひどいことばかりしていたのは、誰かに愛されたくて仕方なかったのに勇気がなくて自分を捌け口にしていたからだ」という結論に行き着いたゆいは、「自分が景を愛してあげるのだ」と一気に決心し、強硬手段に出ます。

漫画で読んだときはそこまで感じなかったんですが、ドラマCDで改めて聴くと、確かにゆいの愛は怖かったです。笑 声優さんすごい。

愛って人を追い詰めるんですね。勉強になりました。

 

作者のはらださんの他の作品もいくつか読んでいるのですが、この『にいちゃん』は特にすごく好きな作品になりました。

はじめはちょっとショッキングかなと思ったのですが、繰り返し読みたくなる魅力があって、読めば読むほど心に残っていくのです。

どうしてこんなに好きになったのか思い当たる節は1つ、登場人物がすごく好きだからです。

特に舞子。舞子は可愛くて利発で気の利く女の子ですが、すごくしたたかで実はそんなにいい子ではない、しかしそこがとてつもなく魅力的な人です。

ゆいも好きです。最初は暗くてすっきりしない奴だと思っていたけれど、景への愛を加速させるうちに、すごくくえない奴になって、色気も増した気がします。

景も、やっぱりちょっと気持ち悪いけど、彼が抱えてきた葛藤や耐えてきた受難を思うとどうしても嫌いになれないし、世の中に馴染みたくても馴染めないつらさに共感を覚えます。マイノリティの権利ってなんなのか、景の半生は私たちに厳しく問いかけてきます。

 

漫画は漫画で素晴らしいし、ドラマCDはドラマCDで優れた作品ですが、両方読んで・聴いてさらに大好きな作品となりました。おわり。

心に灯るあかり:『雑草たちよ大志を抱け』

プリンセスメゾン』ですっかりファンになった漫画家・池辺葵さんの短編集がこれまた素晴らしい。

雑草たちよ 大志を抱け (フィールコミックスFCswing)
 

切ないけれど、優しい気持ちになれる作品です。

 

眉毛の太い地味な女子高生・なづなと、なづなの小学校の頃からの親友でスラッとした長身で飾り気のない園田卑弥呼(ひーちゃん)、

彼女たちが中学生の時に転校してきた小柄なゲーム好き少女・ピコ、メジャーではない男性歌手にメロメロになっているおさげの久子さんなど、

教室の中であまり目立つ存在ではない女の子たち。

 

なづな達のようなカーストにいると、卑屈になってくさってしまう人も多いと思います。

可愛くてオシャレで男の子とも仲の良い上位カーストの女子や、スポーツ万能で面白くて明るい男子など、日向の存在がキラキラしていればいるほど、可愛くも頭がいいわけでも運動神経がいいわけでもない自分がどうしようもなくつまらない人間に思えます。

でも、なづな達は、それぞれ支え合い互いを認め合って、なんとかまっすぐに生きようとしているように感じました。

 

全然有名でない男性歌手・白鹿堂々のコンサートに初めて行って感動冷めやらぬ久子さんが、なづなにコンサートでの感激をこれでもかとまくし立てキラキラしている時に言った一言が最初に心にぐさっときました。

「そんなはずないんだけど何回も目が合った気がして・・・

 

そんなの気のせいだし私なんかって思うけど でも

それでもちょっとでもましに見えたいなーって

 

くさったりしないでかわいく見えるように

せいいっぱい努力してみようって思ったんだー」

努力しても無駄かもしれないけど、それでも投げやりにならずにできることをしようとする久子さんの輝きに、なづなも読んでいる私も圧倒されました。

久子さんに感化されて、ゲジゲジの眉毛を剃りすぎて麻呂眉になってしまったなづなも可愛かったです。

 

私が登場人物の中で特に好きなのはひーちゃんこと園田卑弥呼です。

クールな感じで、背が高くて感情をあまり表に出さず、長距離走が得意な彼女は、小学生の時にいじめにあったことがあり、そこでなづなに救われた経験があります。

人の弱さを理解し、全体を俯瞰できる冷静さを持つひーちゃんを羨ましく感じました。

 

学校の合唱コンクールでクラスの指揮をする池上君は、音楽が心の底から大好きで、クラス合唱にも情熱的に取り組んでいる眼鏡の男の子。

あまりに熱血な様子にクラスのみんなは呆れてバカにしたり笑ったりするのですが、

一人真剣に指揮の練習をする池上君を見たひーちゃんは、池上君に素直に感心し、声をかけました。

 「君は

笑わないんだな

僕を」

「お前みたいに自分の好きなもんに必死になれるんは

かっこいいって言うんやぞ

人の目も気にせず一心不乱になれるんは

どうしようもなくかっこいいっていうんや」

その後歌が苦手なひーちゃんに個人レッスンをつける池上君。彼らはなかなかいい感じになります。応援したい2人です。

 

自分に自信がなかったり、誰かに好かれたことがないと

いつしか自分と他者の壁を厚く高くしてしまったり、他者の好意に疑心暗鬼になってしまうことがあります。

この作品は、そんな諦めかけた、でも心の底で諦めきれないなづなのような人たちのために描かれたのではないかと思いました。

 

エピローグの、三者面談で学校に来ていたピコの母が、なづな達と連れ立って下校する際に、なづなに諭すように語りかける場面がとても美しかったです。

「私は 私の心は誰にもわたしたくないな・・・

まあ まず誰もほしがらんわな」

 

「そんなさびしいこと言わないで

 

愛した人に愛されるってすばらしいことよ

たとえばそれが泡みたいに消えてしまう儚いものでも

愛を交わした瞬間を胸に生きていくことだってできるのよ

 

だから

愛することにも愛されることにも素直でいなくちゃ」

元旦那に5人も愛人がいて離婚したという経歴を持つピコの母ですが、それでも愛し愛された瞬間を宝物に生きているのです。

すごいなぁ、と思うと同時に、愛ってなんだろうともしみじみ考えてしまいました。

でも、誰にも愛されなくても、誰を愛することができなくても、卑屈にならずにくさらずにいたいなあと願うのです。おわり。

萌えと憂国:『大正メビウスライン』

大変面白いBLゲームをプレイしました。

大正メビウスライン Vitable - PS Vita

大正メビウスライン Vitable - PS Vita

 

大正時代を舞台ないしモチーフにしたゲーム作品って、なんでか好きなものが多いです。

大正×対称アリス、月影の鎖シリーズ、蝶の毒花の鎖も確か大正時代だったような。

 

あらすじは以下。

時は大正末期。日本が軍事国家として世界と争わねばならない、熾烈な時代。 主人公・柊 京一郎は帝國大学へ進学するため、帝都へと上京する。 勉学に邁進し、郷里のためにひとかどの人物になると決意していた京一郎はしかし、 己が持つ特別な力のために軍部-大日本帝國陸軍-に目をつけられることになる。 死んだ人間――死霊が見えるようになったのは大病を患った幼少時。 その時からずっと京一郎にとって恐怖の対象でしかなかった死霊を、 軍部は外国の脅威に対抗するための力として用いようとしていた。 軍部とその計画を阻止しようとする者たちの対立が、 京一郎の運命を巻き込んで帝國の未来を変えていく――。

公式サイトより)

とにかくシナリオが濃く、遊びごたえがありました。

キャラクターも魅力的だし、音楽も雰囲気に合っていて、難易度やオマケ要素の量もちょうどいい。素晴らしいゲームでした。

何より、プレイした後の余韻・読後感が心地よいのです。萌えるし笑えるけど、切なくて悲しくて、なおかつ考えさせられる。

重厚な物語世界にずっと浸っていたい欲に駆られます。

 

主要キャラクターの感想を書きます。

 

【主人公・柊京一郎】

総受けの帝大生。桃木村という田舎から、進学のために上京してきたお坊ちゃま。育ちの良さが前面に出ています。

いろんな運命が絡まって、霊が見えたり破魔の力を使えたりする異能を持っており、そのせいで帝都のいざこざに巻き込まれていきます。

そして後述しますが、神様をも籠絡する色気ムンムン美青年として描かれます。本人は無自覚ですけどね。そこもかわいい。京一郎かわいい。

お煎餅が大好物とのことで、物語の中でも度々お煎餅を頬張る場面があるのですが、私もすっかり感化されておやつが醤油せんべいになりました。

 

【時雨】

あまりよく考えず選択肢を選んでいったら、時雨のルートに入っていました。

時雨が照れたり余裕がなくなったりすると非常に萌えました。時雨も生まれつき異能を持ちつつ京一郎とは違った運命をたどり、孤児となって影の異能集団・五本刀に属することになるのですが、五本刀で大切に育てられてきたため、末っ子気質の愛され気質を持っているように見えました。

それでも彼は五本刀頭領として若いながらも奮闘し、面倒見の良さも併せ持つようになります。おかげで京一郎相手だと恋人時々オカンみたいな人になります。そこも愛しい。

 

【千家伊織】

登場人物の中で一番好きです。彼が登場した時、魔王オーラがすごくて一瞬で虜になりました。千家様最高。

千家は物語の大半で悪役として描かれ、ダークヒーロー的な立ち位置です。煮ても焼いても食えない性格ですが、難儀な生まれで過酷な人生を歩んできた苦労人でもあります。そして、その苦労を正当化するために、ひたすら国を憂い、強国・大日本帝國を熱望し暗躍する軍人。

千家は大変な読書家でもあり、彼の思考形態は独特なものを感じます。

例えば、京一郎と仲睦まじくなりつつも、互いの性別について京一郎が何か小言を言った時、彼は

「肉体など、所詮魂の器に過ぎない。

 ただの器でしかないものに、

男だ女だと拘るなど愚かだ」

とおっしゃいました。

物語がそもそも心身二元論的世界観で描かれているので、こういう発言が繰り出されるのですが、二元論者でない私でもこの言葉は救いを感じました。

 

千家は幼い頃からとてつもない苦行と期待をその身に一心に受けて育ち、親も兄弟も全て失い、己と憂国だけを拠り所に生きてきた孤独な人です。

なので、神のような、信仰する対象にすがるような真似はしません。自分の人生に何の希望も持っていない、あらかじめ絶望から思考が始まっている人です。

でも、だからこそ強い。彼が戦いのときに静かに言った台詞が、かなりシビれます。

「私が神ならば、事は容易い。

ただ欠伸をこらえつつ、

この世の全てを消し去るだけだ」

(中略)

「飽かず欲を追い求め、権力に順い、裏切り、呪う。

神代の昔から纏綿と繰り返された営みごと吹き飛ばし、

空劫の零とするだけだ」

「しかし、どう足掻いても神ならぬ身であれば--」

千家は流れる仕草で刀を抜き放つ。

京一郎も躊躇わず抜刀した。

「-ー戦って勝つしかなかろうな」 

かっこいいーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!抱いて!!!!!!

となってしまうではありませんか。惚れ惚れしてしまいます。千家様最高。愛しています。

 

【館林開】

千家と昔馴染みで、なおかつ正反対の軍人。伯爵家のおぼっちゃまでノーブル感全開ですが、忠義に厚い素敵な人だと思います。

部下思いで、清濁併せ呑む懐の深さも持っています。理想の上司キャラってところでしょうか。ちょっと堅物ですが。

でも、そんな堅物もお色気美青年の京一郎の前では形無しです。

館林がどうこうというより、館林ルートでの京一郎がとても可愛かったです。恋とはこういうものだよね、というのがよく表現されていました。

京一郎の妹・櫻子が欲しがっている楽譜がなかなか手に入らず苦労している、という京一郎の何気ない話を館林が覚えていて、何かのお礼の際にその楽譜を京一郎にプレゼントするシーンがあるのですが、

帰宅後一人になった京一郎が嬉しさと切なさがないまぜになった表情で楽譜を抱きしめる場面が大好きです。

何の気なしに話したことを覚えていてくれて、なおかつさりげなくプレゼントしてくれるなんて、それが好きな人からなら喜びもひとしおです。

でも、男同士だし、自分は学生で相手は軍人で貴族で、社会的にも身分的にも釣り合わない悲しさもあって、この恋心は誰にも悟られぬよう自分の胸にしまって大切にしよう、という健気な京一郎。まるで古文の和歌のよう。美しいです。

 

【ミサキ】

ほだされの神様。桃木村の神木と柊家のいろんな働きかけのために京一郎と繋がってしまった彼は、好色で世話焼きでヤキモチ焼きの、その辺の千家なんかより何倍も人間らしい神様です。とにかく京一郎にメロメロ。

真相ルートの最後で、力を使いすぎてちっちゃくなっちゃったミサキも面白くて可愛かったです。

でも、キスも満足にできずに、欲求不満になるだろうなぁとちょっと不憫にも思えました。

「神様なめんな」って、ミサキしか言えないかっこいいセリフが好きです。

 

@@@

 

サブキャラクターも素敵な人がたくさんいます。女軍人の時任さんとか。かっこいい女性でした。

キャラクター感想文からいかに萌えたかお察しいただければ幸いなのですが、でもただそれだけではない作品でした。

特に思ったのが、国を憂うってすごいなということです。

お国のためとか御上のためとか、現代ではなかなか考えることってないのではないでしょうか。

私も普段から大変個人主義的で、「国とか会社とかそんなののことは上の人が考えるべき」「一人一人が自分の幸せを追い求めるべき」「一人一人が好き勝手するべき」みたいな思想に走りがちなのですが、この作品でそんな考えをするのは神様であるミサキだけです。

一介の学生である京一郎を始め、軍人である千家と館林も、五本刀の時雨でさえ、日本国や天皇のことを心から誇りに思っていて、未来を危ぶんでいて、国や天皇のために自分の命を費やすことを是としているのです。

それがいいとか悪いとかは個人の自由なのでなんとも思わないですが、素直に「すごいなー」と感心してしまいました。

自分の人生やさだめに大きな意義を見出して、それを信じて邁進している大正の人々。

ゲームはあくまでフィクションですが、かつてこの日本にはそういう人たちがいて、その人たちが戦争したり復興のために尽力したりした末に、今の私たちの日本での暮らしがあるのだなぁ、と、改めて実感したのでした。

 

こんなに重厚な物語世界を味わうことができる作品に出会えて幸せです。『大正メビウスライン』まさしく日本ゲーム史に残る傑作だと思います。おわり。

共感につぐ共感:『私をくいとめて』

小説を読んでいて、「これ、自分のことを描かれている!!」とびっくりすることが稀にあります。そんな作品の一つ、綿矢りさ『私をくいとめて』は、面白おかしくも、それだけでは帰してくれない、ちょっと意地悪な小説でした。

私をくいとめて

私をくいとめて

 

三十路を過ぎてなお独身、恋愛沙汰も随分ご無沙汰だが仕事はそこそこ頑張っているOL・黒田みつ子を主人公に、みつ子の仕事上の取引相手でご近所の青年・多田くんや、みつ子の先輩でちょっと変わった独身OL・ノゾミさん、残念な顔だけイケメン・カーター(片桐)など、個性豊かでどことなくモラトリアムな現代の大人達を描く群像劇です。

 

みつ子はある日突然自分の脳内に顕在したAと言うもう一人の自分(しかも男性人格)と対話することができる特殊能力があります。

このAがまた面白い。時雨沢恵一キノの旅』シリーズのエルメスのように、寄り添いつつも少し毒があり、けれども優しい相棒のような存在なのです。

物語序盤で、Aが初めてみつ子の意識内に立ち現れた場面が描かれているのですが、そこで明らかになったみつ子のパーソナリティが、思わず「お前は私か!」と叫ぶレベルで自分を言い当てられたようで驚きました。

「私はね、あなたの生活にもっとカラフルを足せばいいと思うんですよ。たとえばこの部屋。いまは夜ふけに沈んでなにもかも薄暗いけど、電気を点けたところで、白か薄ねずみ色か木目の色しかないでしょう?しかも今引っ越してきたばかりなんじゃないかと思うくらい、物が少ないし。シンプルすぎます。(中略)」

「たしかに殺風景すぎるかもね。自分では落ち着くけど」

部屋を見渡すと、目に見えない収納を徹底した分、クローゼットでも開けないと、毎日の生活空間とは思えないくらいに無機質だった。シンプル・アンド・クリーンを目指したんだけどなぁ。 

”白か薄ねずみ色か木目の色しかない”部屋、まさしく今の私の部屋です。ちなみに住みだして5年目を過ぎ、目に見える収納はゼロです。

さらに身につけるものについても・・・

「(前略)なぜ好きなものを着られるのに、あなたはプライベートの服さえ、制服のようなレパートリーにしてしまうんですか。いくら上質の肌ざわりが気に入ったからって、無地のTシャツを同じもの三枚も買うのは止してください。人には、洗濯しないで同じのばかり着てる、あの人、って思われてるかもしれませんよ」

「でも下着はカラフルだよ」

今日も私は声の主が言うように、ボタンシャツとコットンパンツという、いつも通りの格好をしていたが、下着は鮮やかな水色のタンガだ。

「下着だけは派手っていうそのこだわりも恐いんです、何を目指してるんだこの女は、という感じで。(後略)」 

”無地のTシャツを同じもの三枚”で”下着だけは派手”、これも私そのままでした。恐ろしいくらい自分を言い当ててくる、何という小説なんだ!と仰天しました。

だからこそAの冷静かつ客観的なツッコミが面白くて爆笑してしまいました。

 

もう一つ、この小説で声を出して笑えるのが、みつ子の会社の同僚・片桐直貴、通称カーターの記述です。

彼はみつ子より一年後に入社してきた誰もが認める端正な顔立ちと長身を誇る真性イケメンで、入社当初は女子社員も色めきだったとのことです。しかし、それは最初だけ。同性愛者でも既婚者でもないカーターが、同性からも異性からも距離を置かれる要因は”あまりに個性的過ぎる”性格とファッションセンス。その描写がまた秀逸なのです。

内面がばれる以前から、彼のファッションセンスは不吉だった。週に一度のカジュアル・デーに彼とすれ違った社員たちは息をのんだ。うちの会社の服装規定が甘いのをいいことに、悪趣味なけばけばしい色合いのスカーフを巻いたり、カマキリかと思うくらい派手な緑色のシャツを着たり、どこに売ってるのと不思議になるような、妙に先のとがった魔女っぽい革靴を履いてきたりする。一見すれば普通のスーツを着てきたことがあり、片桐にしては地味だと皆思っていたら、実は裏地が七色のレインボー柄で、彼は得意げに両腕を広げ、モモンガのポーズで裏地を自慢した。あれ売れたとき店員嬉しかっただろうねと、あとで社内の人たちと話した。 

このそしり方、なんてセンスでしょう。最高にクールです。何回読んでも笑えます。

そんな残念なイケメン・カーターに、皆がとっくに興味を失っている中、一人だけずっと夢中でいるのが、みつ子の先輩女性社員・ノゾミさんです。38歳独身のノゾミさんは、なかなか捌けていて個性的な人で、でも私はノゾミさんにもすごく共感できました。私もカーターみたいな奇抜な人って結構好きですし。

社内運動会のときには、五月半ばなのに薄いセーターを着てきた。セーターは地が茶色で全面にスパンコールやメタリックな刺繍糸で雄々しいタイガーがデザインされていて、妙に高そうだったが、大阪のおばちゃんという印象しか、みんなに与えなかった。見てはいけないものを見てしまった、と大方の人間が目をそらすなか、ノゾミさんだけが彼を褒めそやした。

「今日の片桐くん、気合十分だね!神々しささえ、感じるわ。虎で勝つって意味でしょ?阪神ファン?」 

本人はまったくもって褒めているのですが、どう聞いてもバカにしているようにしか聞こえない、この会話センスが最高です。

ノゾミさんは本気でカーターを好きだけれど、自分を同じ土俵に無理に上げずに”ただのファン”の姿勢を崩さない謙虚さも素敵です。

 

登場人物の個性豊かさもさることながら、主人公・みつ子が33歳くらいという難しい年齢設定でもあり、世の働く独身女性の描写もかなりキレキレです。私は”子どもを生む/生まない”についてのみつ子の独白がとても好きです。

子どもかー、いたら楽しそうだけど別にいなくてもいいや。子どもがどうしても欲しい人には分かってもらえないが、意地でも誇張でもなく、等身大の正直な本音だ。そう言ってても後で欲しくなるんだって、と言われても、やっぱり実感がわかない。私にとって子どもは”まだ欲しくない”ものではなく、”欲しいか欲しくないか聞かれれば、積極的に欲しいとは思わない”に分類されている。それが時間経過と共に変わるかは”いま生きていたいからって、いつか辛いことがあって死にたいと思うかもしれないじゃない”と言われているのと同じくらい、理屈はわかるが実感がわかないできごとだ。 

この表現、すごいと思いました。私はみつ子よりもう少し強迫めいていて”欲しいと思うことすら恐ろしい”レベルで子どもを欲しない立場ですが、みつ子の表現もすごく好きです。自分の会社に「そう言ってても後で欲しくなるんだって」という輩があまりにも多い(しかもその輩はみんな子持ちで半分以上が女)ので、なんだか救われたような心持ちもしました。

 

みつ子は仕事というものに対しても、示唆に富んだ視点を持っています。

辛い顔をしてないと頑張っていないと思われる日本社会は、息苦しい。仕事をエンジョイしているうちはまだまだ序の口と思われて、次々に新しい仕事が降ってくる。仕事は大変で、なによりも優先しなければいけないという共通認識があるから、面倒なことに関わりたくないときや単純に興味の無い出来事に巻き込まれそうになったとき、「仕事がいそがしいから」と言い訳すれば、言われた相手は文句が言えない雰囲気が漂っている。実際に死ぬほどいそがしいならいいが、好きな、やりたいことは何を差し置いてでもやるくせに、やりたくないことに直面すると「仕事が」と言い出す人は、私は嫌い。やりたくないのは人の気持ちだからしょうがないけど、仕事が、と”社会に必要とされている”自分をアピールしながら相手に文句を言わせない言い訳が聞き苦しいと思う。だから私はどれだけいそがしくても、できるだけ涼しい顔をしていたい。必要とされる喜びと利用される悲しみが混ざり合う「仕事」に、魂まで食われてしまいたくない。 

「めっちゃわかるわ〜」と唸ってしまった上記の記述。”必要とされる喜びと利用される悲しみ”かぁ。これまで考えてもみなかった視点でした。でも言われてとてもしっくりくる表現でした。 

 

この作品を読んだ後、作者である綿矢りささんのインタビュー記事をいくつか読みました。

この物語に流れる大きなテーマとして「一人で生き続けること」の在り方があるようなのですが、それに対する回答の一つとして、ストーリー終盤のみつ子とAとのやりとりは、とても心に残りました。

「一体なにがそんなにショックだったんですか。多田さんとの距離がぐっと縮まる良い機会じゃないですか。抱きついてきた彼に幻滅したんですか」

「ううん、多田くんは何も悪くなくて。自分が根本的に人を必要としていないことがショックだったの。人と一緒にいるのは楽しい。気の合う人だったり、好きな人ならなおさら。でも私にとっての自然体は、あくまで独りで行動しているときで、なのに孤独に心はゆっくり蝕まれていって。その矛盾が情けなくて」

「オレンジジュースを飲まないと死んでしまう人はいますか?」

「めったにいない」

「水を飲まないと死んでしまう人はいますか?」

「人間はみんなそうだよ」

「では、オレンジジュースが好きな人はいますか?」

「いっぱいいる」

「そうです。根本的に必要じゃなくても、生活にあるとうれしい存在はたくさんあるんです。というか、私たちはそういうものばかりに取り囲まれて生きていますよ。根本的に、なんて思いつめなくていい(後略)」 

なんという慧眼!このオレンジジュースのくだりは、この小説を読んで一番の収穫といってもいいくらい私にとってパンチがありました。

「根本的に、なんて思いつめなくていい」って、つくづくすごい台詞だなと思いました。私は知らず知らずのうちに、なんでも”根本的に”考えてしまう節があるのかもしれません。根本的に無駄だからいらないとか、根本的に間違ってるから好きになれないとか、根本的におかしいから信用できないとか。。

論理学なんて学んでいた弊害でしょうか(違うか)。因数分解して、真か偽か、ばかり見極めていると、自分にとって大事なことを見落としてしまうのかもしれないと思い至りました。

 

このように、様々な示唆に富んだ秀作『私をくいとめて』ですが、ギャグ小説としても非常にクオリティが高いと思います。大声でゲラゲラ笑えて、でも面白いだけでは終わらない、大変優れた作品でした。おわり。

『手のひらの京』

綿矢りささんの作品の面白さがうなぎのぼりです。

手のひらの京

手のひらの京

 

京都に暮らす三姉妹とその家族の物語。

三十路を過ぎてにわかに出産のタイムリミットに焦りつつもどうすればいいかわからない長女・綾香、したたかで派手だけど根っこは臆病な次女・羽依、成績優秀で努力家な三女の末娘・凛が、それぞれのライフステージの壁と”京都”という柔らかく閉ざされた特殊な地方都市の風土と戦い・寄り添いながら生活しています。三姉妹それぞれの視点が短編のように折重なりながら話が進行します。

 

私の身近にも何組か三姉妹がいるのですが、羽依みたいな次女は見たことがないです。

羽依はスクールカースト上位層っぽい可愛くて派手な子で、男ウケするし女子には割と嫌われやすい自覚もあり、それでも陰口を叩かれたり社会的脅威にさらされそうになるとヤクザ並みの啖呵とよく回る頭と口でハッタリをかまし、したたかに戦う女の子です。

私の周囲にいる次女は総じて暗く一人だけちょっと変わっているというか向いている方向が違くて、どちらかというとネガティブな人が多いです。家の中と外で人格が変わる人も多いように思います。

まあ、創作物なのでバースオーダーと人格についてそこまで深く考えなくてもいいかもしれません。

羽依はその激しい性格のために、新社会人となってからも様々ないざこざを引き起こしてしまいます。

その一つ、上司でイケメンの前原と付き合い、お局に目をつけられ女性社員たちから村八分にされ(京都では”いけず”というらしい)た羽依は、ある日とうとう戦う決意をし、ロッカー室で「聞こえよがしのいけず」を浴びせるお局一行に反旗を翻します。

「それ私に向かって言うてんの?」

鬼の形相で素早く振り返ると、お局たちの驚愕した顔があった。京都ではいけずは黙って背中で耐えるものという暗黙のマナーがある。しかしそんなもん、黙ってられるか。私はなんでも面と向かって物言うたるねん。

「私に向かって悪口言うてるんかと聞いとるんや!」

ほとんど咆哮に近い羽依の怒声がロッカー室に響き渡る。(中略)

「言うとくけど、私は前原さんと寝たりしてないし、もちろん捨てられてもいないから。いい加減なデマを車内で流したら、パワハラや言うて訴えてやるからな!いままでのお前の嫌みも全部持ち歩いてたICレコーダーに録ってあるから、法廷出たら覚悟せえよ!!」

もちろんICレコーダーなんて持ってないし、言ってることもめちゃくちゃだが、これだけ怒ってるし何するか分からへんぞ!という印象を相手に植えつけるのが第一だ。

ここのくだりは笑えました。というか、なんだかんだ言って三姉妹の中で特に気性の激しい羽依のパートが読んでて一番笑えたし、一番ドキドキしました。

ちょっと『亜人ちゃんは語りたい』のひかりを思い出しましたが、羽依は関西人なので、ひかりよりもさらにドスがきいてる感じがしました。

その後羽依がロッカー室を出ると、羽依を可愛がっている男性上司が飲み会に誘ってくれて、羽依は紅一点としてちやほやされます。

トイレから戻る途中、羽依から人が剥がれたタイミングを見計らい近寄ってきた同期の男・梅川にも心配してもらい、羽依はいい気分になりながらも冷静に自分を見つめます。

梅川のいたわりが優しく胸に染みていくなか、なるほど同性の女の人らが私に腹立つのも分かるわ、と合点がいった。べつにいじらしく耐えてたわけでもない、ついさっきタンカ切って青筋立てて詰め寄っていたくせに、いまではか弱いふりして男に慰められている。いけずしてる子達のなかには、前原さんを本気で好きな子もいたのかもしれない。なんでいつもあの子だけがちやほやされるの、と思うのだろう。

ははは、愉快愉快。 

いやー羽依、面白いです。

だいたい事の発端は理不尽でもあり、羽依は客観的に見れば基本的に被害者なのですが、自分にも一因があることも自覚しており後々反省もする、そこが羽依のえらいところだと思いました。

 

この物語は京都という日本の中でも特殊な雰囲気を持つ土地が舞台で、京都の風土が非常に色濃く描かれています。

主人公三姉妹の暮らす奥沢家は、両親も京都生まれの京都育ち、祖父母も皆京都人で生粋の京都ファミリーです。皆地元が好きで誇りを持っており、京都から出ることなど考えたこともない人たちです。

しかし、末娘の凛だけは違いました。大学院まで進んだ凛は、就職を足がかりに関東圏へ移り住む計画をずっと温めてきました。

凛は京都が嫌いなわけではないけれど、うまく言葉に表せない複雑な気持ちがあり、とにかく京都を出なければ、という思いが強い子です。

一所懸命勉強してきた凛は、教授の推薦もあって無事東京の大手メーカーから内々定をもらいます。

両親は最初は大反対していましたが、最終的には折れて、家族皆凛を応援するようになります。

基本的に、奥沢家はすごく仲良し家族です。こういう家族に囲まれていたら、確かに普通は地元を離れようとは思わないかもしれないですね。

私はもう実家が霧散しているというか、兄弟もいないし両親も離婚してるし父とも母とも連絡を取り合っていないので、奥沢家のような家族にかこまれて暮らすのがどういった気持ちなのか正直想像もつかないのですが、でも物語を読んでいて、素敵だな、と素直に思いました。

 

東京に移り住んで慌ただしい新社会人生活をスタートさせた凛のもとに、父から電話が入ります。

父の人間ドックで、前立腺にガンが見つかったという連絡でした。

まだ詳細はわからないけど、ひとまず事実を受け入れて前を向いて生きていくこと、一ヶ月後くらいに手術すること、母も姉たちもショックは受けたが明るく振る舞いともに支え合うと決めたこと、凛は体に気をつけつつあまり心配せず毎日を頑張りなさいという励まし、を電話口の父や母から聞かされる凛。

両親の声の後ろから、酒を飲み楽しげに話す姉たちの声も聞こえ、凛はにわかに家族に会いたい気持ちでいっぱいになります。

しかし、彼女は東京に出てくることを選んだのです。自分の選択に責任を持ち、慌ただしい社会人としての日々をまずは着実にこなすことを、改めて決心します。

故郷は記憶のなかですり減っていくが、すぐには無くならない。もっと大らかに時を越えて私の周りを漂っている。(中略)

「自分で選んだ道や」

声に出して呟いてみると、思ったほど厳しい言葉ではなく、どんな言葉よりも自分を励ます言葉に聞こえた。そうや、自分で選んだ道や。自分が前に進むためだけに鎌で草を刈りながら、無舗装の道を歩いてゆく。辛いこともあるけど、私はいま、とても贅沢なことをしている。泣きごとを言う資格はない。

とはいえ、できれば人生は楽しい、優雅な面だけ見て生きてゆきたい。難しいときこそ、楽観的に。そう思うことは弱虫じゃない。生きるためにひらひら舞いながら踊り続けたい。たとえ少し後ろを振り向いただけで、暗い影が自分にまとわりついているのを見つけたとしても。 

故郷の表現がとても秀逸だと思いました。

私の故郷は京都のように特殊でも雅でもない関東平野で、27年間ここから出たことがありません。旅行では47都道府県すべて回りましたが、住居としては生まれた時から同じ県に住んでいます。

凛が感じるのとは別の気持ちかもしれませんが、私もこのままここから出られなくなりそうな恐怖を感じる時があります。

京都のように盆地でもない、山に囲まれている土地でもないのに、見えない力に取り囲まれているような心持ちがすることがあります。

ここから出るのは、やはり相当なエネルギーを要する気がします。

でも、出たいなぁ、と凛の物語を読んで改めて思いました。どうして出たいのかも、うまく表現できないんですが。

 

読みながらいろんなことをつらつら考えましたが、単純にエンターテイメントとしてとても面白い小説でした。おすすめです!おわり。