れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

こんな世界はもうどうでもいい:『クジラの子らは砂上に歌う』

現在放送中の梅田阿比原作のアニメ『クジラの子らは砂上に歌う』は

イラストも音楽も素晴らしく美しい作品です。

先月から放送開始されたばかりなのですが、第3話のある一場面が妙にずっと頭から離れないので、記録しておこうと思います。

  

物語全体のあらすじは以下。

砂がすべてを覆い尽くす世界。砂の海に浮かぶ巨大な漂泊船“泥クジラ”で暮らす人々の多くは、感情を発動源とする超能力“情念動(サイミア)”を操るも短命だった。 「外界から閉ざされた“泥クジラ”で短い一生を終える」 その運命を受け入れる少年チャクロは、ある日突然漂着した廃墟船の中で1人の少女と出会う。彼女の故国「帝国」は“泥クジラ”の住人の祖の故郷であり、自分達が流刑囚の末裔であることを知る。帝国との戦いの後、第3勢力「スィデラシア」の青年貴族ロハリト一党を仲間として迎え入れた矢先、チャクロらは短命の原因が“泥クジラ”に命を吸われているためだと知る。あまりにも残酷な秘密に他の者には隠し、守ってゆく誓いを立てる。しかし、無印を蔑み彼らに仕切られることに不満を抱く双児シコクとシコンが印である自分達が泥クジラの運命を決めて無印を切り捨てる呼びかけをし、泥クジラの住人の間に動揺が走る。

Wikipediaより)

原作の漫画は2017年11月現在も連載中で、アニメでどこまで描くのかわかりませんが

アニメは各話のタイトルが登場人物のセリフから取られているんです。

その中で、第三節「こんな世界は、もうどうでもいい」がなぜか異様に好きなのです。

 

平和だった泥クジラがいきなり帝国に襲われ、無抵抗な人々が次々と殺されます。

泥クジラ一強いとされる青年・オウニは、泥クジラが襲撃された直後まで”体内エリア”と呼ばれる、船の中の監獄のようなところに収容されていました。

外の異変に気付いて体内エリアから出てきたときには、すでに仲間の何人かが殺された後でした。

オウニは元々泥クジラでの日々を面白く思っておらず、外の世界にずっと憧れていた青年です。自分の信頼できる仲間だけでグループを作り活動していて、泥クジラの規律を度々乱しては体内エリアに収容されることが多かったので、彼のグループは”体内モグラ”と呼ばれていました。オウニはそこのリーダー格なのです。

憧れていた外の世界からやってきた帝国の人間に仲間を殺されたオウニは、外の世界が思い描いていたような未知なる世界でないことを知り、また、仲間を救えなかった自分への深い絶望からやけになります。

「・・・こんなもんかよ

俺やこいつらが憧れてきた砂の海の外は

顔の見えない人間かもわからない連中が

簡単に俺たちの夢を踏みにじる

・・・そんな世界だったのかよ」

「オウニ!!」

「・・・目ぇ覚めたわ

 

もういい

 

どうでもいい」

梅田阿比クジラの子らは砂上に歌う②』秋田書店 H26.4.30) 

アニメでは、オウニの声は梅原裕一郎さんが演じていらっしゃるのですが

もう彼の「どうでもいい」が脳裏に焼き付いて離れないのですよ。

観ているこちらも、「ああ、ほんと、もうどうでもいいや」と感情を引き摺られるような、迫真の「どうでもいい」なんです。

 

この第3話を観てから、つまんない仕事も、めんどくさい取引先も心の底から「どうでもいい」と感じるようになり、あまりとり合わなくなりました。

投げやりだけれど気は楽です。

 

オウニはその後帝国の兵士を次々と殺し、捕虜をとらえて帝国の情報を吐かせたりして、なんだかんだ言いながらも泥クジラの主要戦力として帝国に立ち向かっていきます。オウニは本当に強くてかっこよくてイケメンです。オウニ大好き。

 

アニメはエンディングテーマもとても良いのです。

TVアニメ『クジラの子らは砂上に歌う』ED主題歌「ハシタイロ」

TVアニメ『クジラの子らは砂上に歌う』ED主題歌「ハシタイロ」

 


rionos/ハシタイロ MUSIC VIDEO(FULL SIZE) (TVアニメ『クジラの子らは砂上に歌う』ED主題歌)

美しいメロディと和音、このエンディングに乗って展開される次回予告も毎回とてもドキドキする演出で大変素晴らしいです。

続きが楽しみなアニメがあるというのは実に幸せなことです。

どうでもいい世界における、ほんの一粒の光のような。おわり。

 

原作も面白いです。やっぱりストーリーをきちんと追うには漫画ですね。

ダーク成分補給:『SWEET CLOWN ~午前三時のオカシな道化師~』

毎日笑ってゴキゲンに過ごしたい。そう思う気持ちも嘘ではないですが

時折どうしても暗いもの、悲しいもの、怖いものに惹かれてしまいます。

自分の中の明るい部分と暗い部分のバランスをとるように。

SWEET CLOWN 午前三時のオカシな道化師

SWEET CLOWN 午前三時のオカシな道化師

 

そんなわけで、『SWEET CLOWN ~午前三時のオカシな道化師~』は暗いけど面白いゲームでした。

主人公の橿野柘榴17歳は、5年前に双子の弟と白樫の森で離れ離れになって以来、心の中の何かが欠けたままの女の子です。

ある日明らかに怪しげな"午前3時のお茶会"の招待状を受け取った彼女は、

そのお茶会の場所と日時が弟を失った日と同じであることに引っかかりを感じ、その危ないお茶会に出向いてしまいます。

そこで出会ったのは、柘榴と同じように「何かを失い欠けている」少年たちと、「スイートクラウン」と名乗る悪魔とその部下たちで・・・というような話。

 

BGMも背景デザインも全体的に不気味でダークでゴシックな雰囲気で、物語世界にぐんぐん引き込まれました。

イラストは綺麗で幼い感じで可愛らしいですが、キャラクターの性格は主人公の柘榴も含めて総じて悪くて、でもそこがいいと思いました。

明るくていい子で応援したくなるような登場人物には心が洗われますが、共感できるかどうかは別問題です。

その点、このゲームのキャラクターたちは、ゲスすぎて呆れてしまう人もいますが、「気持ちはわかる」と思わず共感してしまいます。

 

以下キャラクターの感想です。

【蜜原誠丞】

生まれついた美貌と両親から正しい愛を注がれなかったことによる歪んだ性格で女たらしのゲス野郎になってしまった少年。話せば話すほどクズ、でも嫌いにはなれないタイプでした。彼は演技をするのが大変上手な分、綺麗事を許せない純粋さと真理を見抜く慧眼を持ち合わせていて、そこは素直に感心しました。

「俺は最初から誰も好きなんかじゃないし、誰も信じちゃいない」

「”ありのままの貴方が知りたい?”綺麗事言うな」

「人間、知り合いには皆偶像を作る。興味があればあるだけ、偶像は膨らんでいく」

「そしてその通りの人物でなければ、人は失望する。”ありのまま”を受け入れる人間なんていないんだよ」

さすがよくわかっていますね、蜜原少年。私も肝に銘じたいと思います。

【久瀬蒼馬】

スイートクラウンの手によって柘榴のために作られた菓子人形の少年。魂は蜜原が生まれるときに失った双子の弟。菓子人形なので人生の記憶がほとんど無いけど柘榴のことを大切に思っている、都合のいい存在でした。こんな人形が1人くらいいたらいいかもしれません。

【古橋旺一郎】

パッケージデザイン的にメインヒーローっぽいのに影が薄い青年でした。物語の根幹に関わる元王子様で、スイートクラウンの双子の兄だった人。

【日之世武尊】

眼帯のイカれサド少年。とにかく頭おかしい感じの人ですが、柘榴と両想いになった後は結構可愛い男の子でした。ツンデレはやっぱりいいですね。いや、ツンデレとはちょっと違うかもしれませんが・・・一番性欲もありそうで、性格はゲスですが健康的な少年でした。

【真井知己】

このゲームの中で一番萌えました。実は柘榴の双子の弟であった少年。

双子の姉である柘榴のことが好きすぎて好きすぎて(もちろん性的な意味で)、己の欲に耐えられずにスイートクラウンの力に頼らざるをえず、5年前に離れ離れになったのでした。

血縁の兄弟なので、彼のルート(真相ルート)ではラブラブになることはありません。でも、どのエンディングも胸がきゅっとなるストーリーでした。

私は一人っ子なので姉弟の近親相姦ものには抵抗がなく萌えに萌えます。双子の姉と弟で愛し合う閉じた世界は歪んでいますが美しいと思いました。

【スイートクラウン】

骨のピエロみたいな姿をした悪魔。午前3時のお茶会を開いた首謀者。

彼の能力はゲーム全体の核なんですが、非常にユニークな能力ですね。「他人の願いを叶えることができるが、願いを叶えた本人をお菓子にして食べてしまう」という。

さらに、「スイートクラウンになると甘いお菓子と紅茶しか受け付けない体になる」って、面白すぎます。私もスイートクラウンになってみたい。

柘榴を次のスイートクラウンにしようとするのですが、スイートクラウンになるためには"欲"の力が足りない柘榴。強欲になればなるほどスイートクラウンに近づくのです。すごいなぁ、この設定ひらめいた企画者は天才です。

柘榴が攻略対象に恋心を抱き始め、好きになればなるほどお腹が減ってお菓子を食べずにいられなくなる様は、やっぱり不気味で怖いです。でも面白い。

恋の、相手の全てが欲しくて欲しくて仕方がなくなるどうしようもなさを巧みに効果的に描く素晴らしい設定だと思います。

【ネージュ】

サブキャラクターのロバでスイートクラウンの部下である悪魔なんですが、彼(彼女?)の一挙一動には本当に笑いました。多分登場人物の中で一番性格が悪いんじゃないでしょうか。でも好きです。

以下、ネージュの名言。

「卑劣なのは当たり前。人間なんて皆不幸のどん底に落ちて泣きわめけば良い。 その方がずっと面白いです」

「この面白さが分からないなんて哀れです。心から可哀想な奴ですよ」

共感しちゃいけないかもしれませんが、共感できて笑ってしまいました。

 

 

私だって、いつも他人の不幸を望んでいるわけではありません。

世界が平和になればいいと思うし、皆好き勝手して幸せになれればそれが一番いいとも思います。

しかし、世界はいつまでたっても平和になんかならないし、理不尽と不条理に満ちているし、綺麗事にはヘドが出るのが現実です。

そんな現実に揉まれて、時には「皆死ね」と思ってしまうことはありませんか?

私はあります。

そういう心の毒素をいい感じにエンターテイメントにした作品がこのゲームだと思います。


SWEET CLOWN ~午前三時のオカシな道化師~ オープニングムービー

音楽も本当に世界観によく合っていました。サントラ欲しいな〜。

 

前向きでおあつらえ向きな予定調和に辟易している乙女にオススメのゲームでした。おわり。

至上の愛。:『イトウさん』『I-イトウさん2-』

素晴らしいラブストーリーに出逢えました。 

イトウさん (EDGE COMIX)

イトウさん (EDGE COMIX)

 

 

I -イトウさん 2- (EDGE COMIX)

I -イトウさん 2- (EDGE COMIX)

 

胸のあたりがキュッとして、切なさで涙がこみ上げる、

こんな気持ちを生きている間にあと何回味わえるのでしょう・・・この作品は傑作です。

 

物心ついた頃から娼夫として保護者に使役され体を売っている少年・キョウスケと、

ある日キョウスケの前に現れ、毎週火曜日の常連客となったスーツ姿の男性”イトウさん”のラブストーリーです。

イトウさんは実は殺し屋で、これまでひたすら任務に忠実で自分の意思どころか名前さえない、コードネーム”I"という存在でしたなかったのに、

キョウスケと出会い自我が目覚め、キョウスケが当てずっぽうで呼んだ「イトウさん」を自分の名前として生きていくことにします。

 

仕事以外では人を殺すことを禁じられていたのに、キョウスケにまとわりつくたちの悪い客を自らの意思で葬ってしまうイトウさん。

自分を育ててくれた"ボス"の命令に背いてしまったことで、属していた組織から追われる身となります。

最初は自分の罪を受け入れおとなしく処分される気でいたのに、キョウスケに「会いたい」と言われたことで決意が崩れ、キョウスケを連れて逃避行します。

 

イトウさんはキョウスケに自分の欲望を全然ぶつけないんですよね。優しく見守っているだけです。キョウスケは生まれてこのかた誰にもそういう形の愛を向けられたことがないので、イトウさんのために何もできない自分が歯がゆくて不安になります。

イトウさんはキョウスケのためなら何だってしてあげたくて、でも人の心の機微に疎いところがあるので、自由になってと言って札束の山を差し出したりしてしまう。

互いが互いをこんなに想い合っているのに、うまくかみ合わないのが切なく、でもとても愛おしく感じました。心の底から彼らに幸せになってほしい気持ちでいっぱいになります。

 

イトウさんは途中でキョウスケに自分の財産を渡し、自由になって好きなことをするよう勧め、"ボス"への贖罪をなすため離れようとしますが、やはりキョウスケに「好き」と言われ離れないことを決心します。心も体も強く結ばれ、二人で”海が綺麗であたたかくて何もない”島国へ逃げようなどとロマンチックなことを言っていた矢先、ボスが自分の失敗作となったイトウさんを自らの手で処分すべく彼らの前に現れます。

 

この”ボス”がまた・・・難儀な人でした。続編の『I-イトウさん2-』ではイトウさんがコードネーム”I”として、ボスにいかにして育てられたかが描かれるのですが、ボスはイトウさんを愛していたのにそれを認めるのが怖くてうまく表現できなかった人です。

イトウさんの脳を処理してキョウスケの記憶を消したボスは、キョウスケを薬漬けにして部下にめちゃくちゃに犯させた挙句、最後に記憶をなくしたイトウさん自らにキョウスケを殺させようと銃を構えさせます。

でも、イトウさんからキョウスケを愛する気持ちを消すことは、ボスの最新鋭の技術をもってしてもできなかったのです。どうしてキョウスケを殺せないのか自分でもわからないイトウさんは、命令に背いているのにボスが自分を”廃棄”しない理由もわからず混乱します。この構図が素晴らしい。

イトウさんが自分にとって絶対であるボスの命令が下っていてもキョウスケを殺せない原理も、ボスが自分の命令をきかない失敗作となってしまったイトウさんを殺せない原理も、同じ「愛しているから」です。

「何故 再び 目覚めた」

「・・・・・・目覚め・・・・・・た・・・?

ボス・・・・・・僕に何が・・・・・・」

「 お前は命令に背き 幾度も同胞を殺めた・・・・・・何故だ」

「何故 僕を撃たないのですか

どうして躊躇している?

僕は処分されるべきだ 何故まだ生きている・・・・・・?

何故・・・・・・どうして僕は この子を殺せない・・・・・・

どうしてこんな・・・・・・

この子がこんなに 心の底から」

(『イトウさん』より)

イトウさんに感情が残ってしまっていたことと、その原因が自分がよく知らないたった一人の少年のせいだと思うと、ボスの怒りは頂点に達し、激情にかられ引き金を引きます。

しかしボスよりイトウさんの一撃の方が速かった。イトウさんはキョウスケを守るためなら本当になんでもします。これまで自分にとって絶対的存在であったボスにさえ引き金を引くほどに。

 

イトウさんに撃たれ、もう彼の心は自分にはどうにもできないことを悟ったボスは、好きに生きて自分の前から消え失せるよう最後の命令を下します。

 

その後ボスに射たれた薬のせいでそれまでの記憶がすべて消え、長い病棟生活の後社会復帰し駆け出しのバーテンダーとなったキョウスケ。

そして毎週火曜日にキョウスケを訪ねてやってくるようになった常連客のおじさん”イトウさん”とのその後が、『I-イトウさん2-』に描かれています。

 

イトウさん、殺し屋をやめて随分人間らしくなりました。笑顔が最初の頃と全然違います。

キョウスケも、暗く澱んだ過去を忘れているせいか、影はあるものの素直な表情を見せるようになり、記憶がなくともイトウさんへの愛情があふれています。

ある日「あたたかくて静かで何もない海」へ行きたいというキョウスケのリクエストでレンタルの無人島へ2人で旅行します。

そこでイトウさんに優しくされ、彼への好意を再認識しつつも、イトウさんが好きなのは記憶がある過去の自分であって、記憶のない今の自分は本当は愛されていないのではないかという不安をキョウスケは抱きます。

でも、イトウさんは記憶があろうがなかろうが関係なく、本当にキョウスケを愛しています。

キョウスケがイトウさんの愛情の深さと、自分の奥底にあるイトウさんを想う気持ちに気づく場面はこの上なく素晴らしかったです。

「記憶を失くして過去を失くしても

君は変わらない 僕の大切な 恭介くんだ

 

・・・僕に キスしてくれないかい

 

そうすれば理解る」

(『I-イトウさん2-』より) 

動揺しつつも、意を決してイトウさんに口付けたキョウスケから涙が溢れ、

こらえきれなくなったイトウさんはキョウスケを抱きしめます。

 

愛だなぁ。この上なく、愛、って感じです。

自分の乏しい表現力が歯がゆくて仕方がないくらい、本当に本当に素晴らしい物語なんです。

読み終わった後ずっと「はぁ〜素晴らしい」ってブツブツ独り言が止まらなかったです。感動を自分の身体の中だけで処理しきれず、口から吐いて出てしまうような。

恋愛は種の保存のための脳のシステムに文学的な名前をつけただけの熱病だとボスは言っていて、確かにそうかもしれませんが、

それでも恋愛に溺れてしまうのが人間だし、そういう人間だからこそ愛おしく感じるのだと思います。

ボスの命令に忠実で優秀なコードネーム"I"だった無表情なイトウさんも魅力的な美少年ではありましたが、

やはりキョウスケへの愛がだだ漏れの微笑みをたたえるイトウさんが一番素敵です。

ああ〜イトウさん大好きです!

 

余談ですが、作品を読んでいる間、イトウさんの声がどうしても速水奨さんで再生されてしまいます。なぜだろう・・・さらにボスは大塚芳忠さん。『亜人』か何かに引っ張られてるのかしら・・・。

 

さらに気になるのが、もしキョウスケが女で、この物語がBLでなかったとしても、私は同じように感動したのだろうかということです。

BLである必然性の闇は深い・・・。おわり。

『それでも町は廻っている』

とにかく笑えて、ちょっと萌えて、最後にほろりと泣ける素晴らしい漫画が

石黒正数それでも町は廻っている』、通称”それ町”です。

丸子町という下町の商店街を舞台に、嵐山歩鳥という元気な女子高生とその友人たち、そして地元の大人や子供達を描いたコメディ群像劇でした。

全部で16巻ありますが、時系列がバラバラに描かれていて、基本的に一話完結型なので、どこから読んでもさほど問題なく楽しめます。

 

主人公の歩鳥は、いい具合にアホな子ですが、頭の回転が早く思慮深いところもある聡い女の子だと思います。私にも歩鳥のようなクラスメイトがいたらよかったなぁと思うくらい魅力的な女の子です。

歩鳥の幼馴染で同じ商店街に暮らす魚屋の息子・真田がこれまた私の”不憫萌え”にドストライクな男の子で大好きです。

他にも、美人で実は甘えん坊なお嬢様の紺先輩とか、近所の頭が良くてミステリアスな静ねーちゃんとかもかっこいいし、歩鳥の弟・タケルと妹・ユキコもすごくいいキャラクターで、とにかく登場人物一人一人が愉快で面白いです。

 

本当にどの話も好きなんですが、特に笑ったのが、歩鳥が小学生の時に好きな男の子に作ったチョコレートを結局渡せず、回り回ってそのチョコレートが真田の元に来たものの、「From嵐山」が「Form嵐山」と書いてあったり、チョコのアクセントとして何故かオカメの落雁が埋め込まれていてびっくりしたドキドキが、吊り橋効果で好意と勘違いしてしまったり(それ以来真田はずっと歩鳥が好き)とにかく笑えました。あのチョコレートは傑作。ぜひ見てほしいです。

 

歩鳥は毎日を本当に面白おかしく楽しく過ごしている子で、それが周りのみんなのおかげだということをちゃんと認識しているのです。そしてそんな大好きな「いつもの感じ」がいつまでも続かないことも理解していて、少し怯えているという描写が要所要所にさりげなく入っています。

それが極限まで高まったのが最終巻の高校3年の初夏、クラスメイトでバイト仲間のメガネ女子・辰野トシ子(通称タッツン)が「真田に告白する」と歩鳥に決意表明したところです。

「あんた 私の事どっかナメてるでしょ」

「そんな事ないって!!

一体この質疑はさっきから何を証明しようとしているの!?」

「もし私が告白すると

上手くいってもフラれてもどっちにしろ

あんたの望まない事が起きる」

「・・・何が起きるの」

「メイド長がいて

あんたと私がバイトしてて

時々 真田君が来て・・・

っていうあの感じが

何かの形で変わるよ」

「!!」

「あんたが ひと一倍好きであろう「いつもの感じ」が

変わっちゃうかもしれないっつってんの!!」 

歩鳥はどこか蓋をしていた自分の心の奥底の気持ちを指し示された事にショックを受けますが、それでもそこまで自分の事をわかってくれていたタッツンに感激し、「変わらないことより尊い」とタッツンを激励します。

結局タッツンもヘタレで告白せずに終わってしまうというオチがありますが。。

 

特に最終巻である16巻は笑いよりも示唆に富んだ話が多く収録されているように思いました。人間の怖さや狂気に触れ、それでもめげずに前を向いて生きていく歩鳥たちは本当に愛しいです。

そしてエピローグがこれまた感動的でした。あの静ねーちゃんの顔。あの3カットで涙がこみ上げます。素晴らしいエピローグでした。これもぜひ見てほしい!

 

こうして感想を書いていて思い出しましたが、私もこれまでの人生で数年だけ、歩鳥のように毎日楽しくて仕方がない時期がありました。

あの頃の私も歩鳥のように、楽しいのが周りのみんなのおかげで、そしてそれが長くは続かないことを、いつか終わりが来ることをわかっていました。

人が生きている限り、変わらないことはありえないし、大好きな「いつもの感じ」はいつかなくなるものです。

それでも、それは思い出になって、何年も何十年も後になっても思い出す、それが人間というものなんでしょう。おわり。

念のために生きている:『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』

中学生の頃、同じクラスで近所の友人(女子)が西尾維新クビキリサイクル 青色サヴァン戯言遣い』を朝の読書の時間に読んでいました。

表紙が可愛かったので、私も借りて読んでみたのですが、中学時代の私はあまり気が長くなくて、いかんせん本が分厚くて、最初だけ読んでほとんどわからず返してしまいました。

そんな作品が、十数年の時を経てOVA化されました。

物語シリーズ』でおなじみのシャフト制作、音楽は梶浦由記Kalafinaがテーマソングを歌っていて、キャストも豪華声優陣の文句無しのアニメ化でした。

特にOVA最終巻の、哀川潤が登場するところは、観ていて非常に引き込まれる回で、あまりに良かったのでこれを機にもう一度原作を読んでみようと思いました。

クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)

クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)

 

読んだ感想は「この文体は・・・読むのちょっと厳しい・・・」でした。

しかし、原作でもやはり終盤の哀川潤との会話シーンは素晴らしいと思いました。

 

物語のあらすじは以下。

日本海に浮かぶ孤島、鴉の濡れ羽島。 そこに建つ屋敷には、島の主の赤神イリアによって あらゆる分野の天才たちが客として招かれていた。 だがある朝、屋敷の中で、首斬り死体が発見される。 そして事件は、それだけでは終わらなかった――

OVA「クビキリサイクル」公式サイトより)

首切り殺人とか、ミステリ的要素は私はそこまでアツくならない質なのですが、

主人公のいーちゃんが全て解決し、島を出て日常に戻ったところに哀川潤という人類最強の請負人がやってくる後日談の部分が秀逸なのです。

 

哀川潤という女性は名探偵的ポジションで、一応事件を解決に導いたに見えた主人公・いーちゃんたちの、微妙な違和感を巧みに説き伏せていきます。

そして、一見解決したように思えた事件には、さらなる真相が隠されていることを諭します。

犯人(園山紅音)が死体(伊吹かなみ)を再利用して連続殺人に見せかけたと思いきや、事件の前にそもそも犯人とされる人物(園山紅音)と被害者とされる人物(伊吹かなみ)があらかじめ入れ替わっていたという事実に突き当たるいーちゃん、そしてその事実に困惑するいーちゃんの、事件と関係ない根底的な部分にまで言及してくる哀川潤のやりとりがとにかく面白かったです。

「動機は・・・・・・それだったっていうんですか。でも、それ、一体なんのためにそんなこと・・・・・・」

「はっ!」哀川さんは嘲笑たっぷりに目を細め、身体を揺する。「それは実に、筆舌につくしがたいほどつまらない質問だぜお兄ちゃん。ヘイお兄ちゃん、お前、たとえば何のために生きてるって訊かれたとき、なんて答える?」

「・・・・・・・・・・・・」

「お兄ちゃん。確かにお前みたいなタイプは思ったことがないかもしれねえな。お前、何かになりたいって思ったことはないだろう?何者かになりたいって思ったことがないだろう?だったらいくら説明しても、伊吹かなみの気持ちは分からねえ。てめえでてめえのスタイル確立しちまってる人間には、伊吹かなみの気持ちは三千世界に行っても理解できねえよ」

(中略)

「・・・潤さんには分かるみたいな物言いですね」

「分からねえさ。他人の気持ちなんか分かるもんか。だけど考える頭があれば想像することくらいはできる。(後略)」 

”何かになりたい”、”何者かになりたい”と思ったことがない人って、世の中にどれくらいいるのだろうと考えてしまいました。

私は幼い頃から何かになりたかったです。薬剤師とか服飾デザイナーとかいう職業的なことではなく、誰もが一目おく地元の先輩とか、勉強なんて全然しないでおしゃれとプリクラと彼氏のことしか考えてないクラスの可愛い女子とか、魔法少女とか、そういう何者かになりたかったです。

何者にもなれないことに気づいたのは高校生くらいになってからかもしれません。

 

さらに話が進むにつれて、物語全体を通して描かれている”天才”という存在についても言及されます。

「お兄ちゃんは天才をどう定義した?《遠い人》だってな。イリアから聞いた。だけどそりゃ間違いだ。ベクトルなんだよ、要するにな・・・・・・。人生における時間を、一つの方向に向けて全部発揮できる人間。人間にはいろんなことができる。だけどいろんなことをやらずに、たった一つだけにそれが集中したとき、それはとんでもねえ力を発揮できる。それこそ、遠くの人だと思えるくらいにな」

そして、ついつい予定調和のように小さくまとまろうとしてしまういーちゃんに、激励とも言える言葉を投げかける哀川潤。だっていーちゃんだって、能力は高いですしね。あとはそれこそベクトルの問題だけなのです。

「ダスト・ザ・ダスト・・・・・・つまりはそういうこったよ。よくやったよ、お兄ちゃん。本当によくやった。誉めてやろう。だけどもう少し、もっともっと頑張りな。不満があったら誤魔化すな。不安定なもんはちゃんとちゃんと安定させろ。不条理は条理の中へと押し込んじまえ。てめえの考えをくだらない感傷だなんて思うな。オッケイ?」

「・・・・・・オーケイ」

いい返事だ、と哀川さんは真っ赤な舌を出す。

「そんじゃ、そういうわけでお邪魔様。世界はお前らみたいなのがいるから生きてるだけの価値がある。そう思うよ。だけどお兄ちゃん、お前は少しばかりサボり過ぎだ。人間っつうのはもっとスゲエ生き物なんだからよ、ちゃんとしろ、ちゃんと」 

すごい、この言葉を中学2年生の私に聞かせてあげたかったです。そしたらもうちょっと頑張った人生になったかも・・・なんて思ったり。

しかし、27歳の私と同じく、大学生のいーちゃんもそんな素直に頑張ろうとは思わないのです。

これ以上考えるのは、もう、面倒臭い。あとは考えたい奴が勝手に考えればいい。哀川さんには悪いけれど、僕は別に、世界に価値を与えるために生きているわけじゃない。

たとえばきみは何のために生きているのかと訊かれたら、ぼくは念のためだと答えるだろう。人が生きている理由なんてその程度のものだし、ぼくが生きている理由もその程度のものだし、大抵の人はその程度のものなのだ。 

「念のため」!これには目からウロコでした。念のために生きている、その通り、むしろそれ以外の表現がありえないくらいしっくりくる表現だと思いました。

そうなのです、生まれてきてしまった事実に文句もとっくに言い飽きて、ただ「念のため」に生きているのです。そして大抵の人はその程度のものなんですね。

あ〜、この後日談だけでも、中学のうちに読んでおけばよかった、とちょっと後悔しました。

読んだからって、何かが変わっていたのかというと、多分何も変わらないのかもしれませんが。

むしろ、今だからここまで自分の心に残るのかもしれないですね。十数年の時を経て、ようやく読むべき時がきたということでしょうか。西尾維新さん、凄過ぎです。まさに”天才”ですね。おわり。

愛の怖さとマイノリティ:『にいちゃん』

表紙からインパクトのすごい漫画『にいちゃん』。

にいちゃん (Canna Comics)

にいちゃん (Canna Comics)

 

「鬼の話かな?」と思うようなすごい配色です。ストーリーは、確かに鬼といえば鬼。いや、人間の話ですけど、鬼がかってるというか、神がかってるというか、迫真です。

 

あらすじは以下。

かつて、近所のにいちゃんに手を出され、

現場を母親に見られてしまったゆい。

それを境に、いつも遊び相手になってくれていた

にいちゃんは姿を消し、

親からは過保護なまでの監視を受けるようになってしまった。

あれから時が経ち、にいちゃんを忘れられないゆいは、

ある日もあてもなく街を徘徊し、

そして、ついに再会の日がくる――。

しかし、久しぶりに会ったにいちゃんは、

昔のような優しいにいちゃんではなくなっていて……。 

(背表紙「Story」より)

 

小学生のころ、セックスする土壇場で怖くなって景から逃げ出したゆいは、何が怖かったのでしょうか。

いつもと違う雰囲気のにいちゃんも怖いし、自分のものと全然違うにいちゃんのいきり勃つ男根も怖い、もしかしたら痛いかもしれないという痛覚への恐怖、他にもたくさんあると思うんですが、この恐怖をうまく言語化できないのです。

そもそも恐怖って、理屈抜きで湧き上がる感情なので、言語化しなくてもいいのかもしれないですが。。

最初のこの場面でゆいが逃げ出したことによって、景の憎悪と歪んだ復讐心の種が埋め込まれるのです。

 

大きくなってゆいが高校生となり、再会し体を重ねるようになった時、景はしきりに「許さないよ もう俺から逃げない? 約束して? 俺のものになる? 何されても逃げないね」と、とにかくもう逃げられないように何度も言質をとるんです。

多くのBL作品、そしてBLに限らず恋愛作品において、”相手の気持ちや自分の気持ちが信じきれない/二人の将来に不安がある/相手の期待に応えきれない自分を想像するとやるせない”等の理由で、相手から/相手の気持ちから逃げる、という流れがよく描かれます。しかし、この『にいちゃん』はそういうのとは少し違う感じがするんです。

 

景もそうですが、終盤二人が無事結ばれた後にゆいも「もう逃げないって約束できる?」と景に諭すんですよね。二人してどんだけ相手に逃げられるのが怖いんだろうって思うんですけど、逆に相手が逃げたくなるようなことを自分がしているという自覚があるのかもしれないと思いました。

私がこう思い至ったのは、同作品のドラマCDのキャストトークで、景を演じられた加藤将之さんが「演じていく中でゆいの愛が怖いと感じた」というようなことを話されていたのを聞いたからです。

にいちゃん

にいちゃん

 

ゆいは小学生の頃セックスが怖くなって景から逃げ出したことをずっと後悔していて、もう一度景に会いたくて街を徘徊して必死に探して、そしてやっと再会できたと思えば今度は嬲られてひどいこといっぱいされるのに、一貫してずっと景のことが好きという超一途というか、ちょっと妄信的ともいえるくらい景を愛しているのです。

 

景は昔幼い自分に手を出してきたおじさんをずっと想っていて、けどおじさんは逮捕されたし娘もいたしもう20年弱会ってない。行き場のない強い思いを、かつておじさんが愛してくれた自分と同じくらいの少年を愛でることで慰めようとしていました。そして少年・ゆいに逃げられたのを裏切りと感じ、また失意の闇に落ちていく。

 

景は幼いゆいを可愛いとは思っていましたが、おそらく愛してはいなかったでしょう。再会した後もゆいを捌け口にはしていても愛してはいない。つまりゆいの片思いなんですね。

景はそもそもゆいに愛される覚えがないというか、ゆいが幼い頃レイプしかけて、再会してなおゆいにひどいことばかりする自分が、どうしてゆいに愛されるのか訳が分からないと思うんです。

しかしそれでもゆいの愛は確かに本物なのです。

「・・・俺は ゆいの人生をまげちゃったのかな」

「うん、責任・・・とってほしいなあ・・・

にいちゃんと一緒になれるなら 俺は全部捨てる覚悟があるよ」

「・・・・・・・・・」

「明日もくるね

愛してる」 

 

ゆいの愛が一気に景をめがけて流れ出すのは、景の過去を知ってからです。

ゆいのクラスメイト・舞子が、なんと景の好きだったおじさんの娘で、舞子の父であるおじさんと、景がどういった経緯で愛し合って別れることになったか知りました。

それらを見て「景が自分にひどいことばかりしていたのは、誰かに愛されたくて仕方なかったのに勇気がなくて自分を捌け口にしていたからだ」という結論に行き着いたゆいは、「自分が景を愛してあげるのだ」と一気に決心し、強硬手段に出ます。

漫画で読んだときはそこまで感じなかったんですが、ドラマCDで改めて聴くと、確かにゆいの愛は怖かったです。笑 声優さんすごい。

愛って人を追い詰めるんですね。勉強になりました。

 

作者のはらださんの他の作品もいくつか読んでいるのですが、この『にいちゃん』は特にすごく好きな作品になりました。

はじめはちょっとショッキングかなと思ったのですが、繰り返し読みたくなる魅力があって、読めば読むほど心に残っていくのです。

どうしてこんなに好きになったのか思い当たる節は1つ、登場人物がすごく好きだからです。

特に舞子。舞子は可愛くて利発で気の利く女の子ですが、すごくしたたかで実はそんなにいい子ではない、しかしそこがとてつもなく魅力的な人です。

ゆいも好きです。最初は暗くてすっきりしない奴だと思っていたけれど、景への愛を加速させるうちに、すごくくえない奴になって、色気も増した気がします。

景も、やっぱりちょっと気持ち悪いけど、彼が抱えてきた葛藤や耐えてきた受難を思うとどうしても嫌いになれないし、世の中に馴染みたくても馴染めないつらさに共感を覚えます。マイノリティの権利ってなんなのか、景の半生は私たちに厳しく問いかけてきます。

 

漫画は漫画で素晴らしいし、ドラマCDはドラマCDで優れた作品ですが、両方読んで・聴いてさらに大好きな作品となりました。おわり。

心に灯るあかり:『雑草たちよ大志を抱け』

プリンセスメゾン』ですっかりファンになった漫画家・池辺葵さんの短編集がこれまた素晴らしい。

雑草たちよ 大志を抱け (フィールコミックスFCswing)
 

切ないけれど、優しい気持ちになれる作品です。

 

眉毛の太い地味な女子高生・なづなと、なづなの小学校の頃からの親友でスラッとした長身で飾り気のない園田卑弥呼(ひーちゃん)、

彼女たちが中学生の時に転校してきた小柄なゲーム好き少女・ピコ、メジャーではない男性歌手にメロメロになっているおさげの久子さんなど、

教室の中であまり目立つ存在ではない女の子たち。

 

なづな達のようなカーストにいると、卑屈になってくさってしまう人も多いと思います。

可愛くてオシャレで男の子とも仲の良い上位カーストの女子や、スポーツ万能で面白くて明るい男子など、日向の存在がキラキラしていればいるほど、可愛くも頭がいいわけでも運動神経がいいわけでもない自分がどうしようもなくつまらない人間に思えます。

でも、なづな達は、それぞれ支え合い互いを認め合って、なんとかまっすぐに生きようとしているように感じました。

 

全然有名でない男性歌手・白鹿堂々のコンサートに初めて行って感動冷めやらぬ久子さんが、なづなにコンサートでの感激をこれでもかとまくし立てキラキラしている時に言った一言が最初に心にぐさっときました。

「そんなはずないんだけど何回も目が合った気がして・・・

 

そんなの気のせいだし私なんかって思うけど でも

それでもちょっとでもましに見えたいなーって

 

くさったりしないでかわいく見えるように

せいいっぱい努力してみようって思ったんだー」

努力しても無駄かもしれないけど、それでも投げやりにならずにできることをしようとする久子さんの輝きに、なづなも読んでいる私も圧倒されました。

久子さんに感化されて、ゲジゲジの眉毛を剃りすぎて麻呂眉になってしまったなづなも可愛かったです。

 

私が登場人物の中で特に好きなのはひーちゃんこと園田卑弥呼です。

クールな感じで、背が高くて感情をあまり表に出さず、長距離走が得意な彼女は、小学生の時にいじめにあったことがあり、そこでなづなに救われた経験があります。

人の弱さを理解し、全体を俯瞰できる冷静さを持つひーちゃんを羨ましく感じました。

 

学校の合唱コンクールでクラスの指揮をする池上君は、音楽が心の底から大好きで、クラス合唱にも情熱的に取り組んでいる眼鏡の男の子。

あまりに熱血な様子にクラスのみんなは呆れてバカにしたり笑ったりするのですが、

一人真剣に指揮の練習をする池上君を見たひーちゃんは、池上君に素直に感心し、声をかけました。

 「君は

笑わないんだな

僕を」

「お前みたいに自分の好きなもんに必死になれるんは

かっこいいって言うんやぞ

人の目も気にせず一心不乱になれるんは

どうしようもなくかっこいいっていうんや」

その後歌が苦手なひーちゃんに個人レッスンをつける池上君。彼らはなかなかいい感じになります。応援したい2人です。

 

自分に自信がなかったり、誰かに好かれたことがないと

いつしか自分と他者の壁を厚く高くしてしまったり、他者の好意に疑心暗鬼になってしまうことがあります。

この作品は、そんな諦めかけた、でも心の底で諦めきれないなづなのような人たちのために描かれたのではないかと思いました。

 

エピローグの、三者面談で学校に来ていたピコの母が、なづな達と連れ立って下校する際に、なづなに諭すように語りかける場面がとても美しかったです。

「私は 私の心は誰にもわたしたくないな・・・

まあ まず誰もほしがらんわな」

 

「そんなさびしいこと言わないで

 

愛した人に愛されるってすばらしいことよ

たとえばそれが泡みたいに消えてしまう儚いものでも

愛を交わした瞬間を胸に生きていくことだってできるのよ

 

だから

愛することにも愛されることにも素直でいなくちゃ」

元旦那に5人も愛人がいて離婚したという経歴を持つピコの母ですが、それでも愛し愛された瞬間を宝物に生きているのです。

すごいなぁ、と思うと同時に、愛ってなんだろうともしみじみ考えてしまいました。

でも、誰にも愛されなくても、誰を愛することができなくても、卑屈にならずにくさらずにいたいなあと願うのです。おわり。