れっつ hang out

ひまをつぶしましょう

共感につぐ共感:『私をくいとめて』

小説を読んでいて、「これ、自分のことを描かれている!!」とびっくりすることが稀にあります。そんな作品の一つ、綿矢りさ『私をくいとめて』は、面白おかしくも、それだけでは帰してくれない、ちょっと意地悪な小説でした。

私をくいとめて

私をくいとめて

 

三十路を過ぎてなお独身、恋愛沙汰も随分ご無沙汰だが仕事はそこそこ頑張っているOL・黒田みつ子を主人公に、みつ子の仕事上の取引相手でご近所の青年・多田くんや、みつ子の先輩でちょっと変わった独身OL・ノゾミさん、残念な顔だけイケメン・カーター(片桐)など、個性豊かでどことなくモラトリアムな現代の大人達を描く群像劇です。

 

みつ子はある日突然自分の脳内に顕在したAと言うもう一人の自分(しかも男性人格)と対話することができる特殊能力があります。

このAがまた面白い。時雨沢恵一キノの旅』シリーズのエルメスのように、寄り添いつつも少し毒があり、けれども優しい相棒のような存在なのです。

物語序盤で、Aが初めてみつ子の意識内に立ち現れた場面が描かれているのですが、そこで明らかになったみつ子のパーソナリティが、思わず「お前は私か!」と叫ぶレベルで自分を言い当てられたようで驚きました。

「私はね、あなたの生活にもっとカラフルを足せばいいと思うんですよ。たとえばこの部屋。いまは夜ふけに沈んでなにもかも薄暗いけど、電気を点けたところで、白か薄ねずみ色か木目の色しかないでしょう?しかも今引っ越してきたばかりなんじゃないかと思うくらい、物が少ないし。シンプルすぎます。(中略)」

「たしかに殺風景すぎるかもね。自分では落ち着くけど」

部屋を見渡すと、目に見えない収納を徹底した分、クローゼットでも開けないと、毎日の生活空間とは思えないくらいに無機質だった。シンプル・アンド・クリーンを目指したんだけどなぁ。 

”白か薄ねずみ色か木目の色しかない”部屋、まさしく今の私の部屋です。ちなみに住みだして5年目を過ぎ、目に見える収納はゼロです。

さらに身につけるものについても・・・

「(前略)なぜ好きなものを着られるのに、あなたはプライベートの服さえ、制服のようなレパートリーにしてしまうんですか。いくら上質の肌ざわりが気に入ったからって、無地のTシャツを同じもの三枚も買うのは止してください。人には、洗濯しないで同じのばかり着てる、あの人、って思われてるかもしれませんよ」

「でも下着はカラフルだよ」

今日も私は声の主が言うように、ボタンシャツとコットンパンツという、いつも通りの格好をしていたが、下着は鮮やかな水色のタンガだ。

「下着だけは派手っていうそのこだわりも恐いんです、何を目指してるんだこの女は、という感じで。(後略)」 

”無地のTシャツを同じもの三枚”で”下着だけは派手”、これも私そのままでした。恐ろしいくらい自分を言い当ててくる、何という小説なんだ!と仰天しました。

だからこそAの冷静かつ客観的なツッコミが面白くて爆笑してしまいました。

 

もう一つ、この小説で声を出して笑えるのが、みつ子の会社の同僚・片桐直貴、通称カーターの記述です。

彼はみつ子より一年後に入社してきた誰もが認める端正な顔立ちと長身を誇る真性イケメンで、入社当初は女子社員も色めきだったとのことです。しかし、それは最初だけ。同性愛者でも既婚者でもないカーターが、同性からも異性からも距離を置かれる要因は”あまりに個性的過ぎる”性格とファッションセンス。その描写がまた秀逸なのです。

内面がばれる以前から、彼のファッションセンスは不吉だった。週に一度のカジュアル・デーに彼とすれ違った社員たちは息をのんだ。うちの会社の服装規定が甘いのをいいことに、悪趣味なけばけばしい色合いのスカーフを巻いたり、カマキリかと思うくらい派手な緑色のシャツを着たり、どこに売ってるのと不思議になるような、妙に先のとがった魔女っぽい革靴を履いてきたりする。一見すれば普通のスーツを着てきたことがあり、片桐にしては地味だと皆思っていたら、実は裏地が七色のレインボー柄で、彼は得意げに両腕を広げ、モモンガのポーズで裏地を自慢した。あれ売れたとき店員嬉しかっただろうねと、あとで社内の人たちと話した。 

このそしり方、なんてセンスでしょう。最高にクールです。何回読んでも笑えます。

そんな残念なイケメン・カーターに、皆がとっくに興味を失っている中、一人だけずっと夢中でいるのが、みつ子の先輩女性社員・ノゾミさんです。38歳独身のノゾミさんは、なかなか捌けていて個性的な人で、でも私はノゾミさんにもすごく共感できました。私もカーターみたいな奇抜な人って結構好きですし。

社内運動会のときには、五月半ばなのに薄いセーターを着てきた。セーターは地が茶色で全面にスパンコールやメタリックな刺繍糸で雄々しいタイガーがデザインされていて、妙に高そうだったが、大阪のおばちゃんという印象しか、みんなに与えなかった。見てはいけないものを見てしまった、と大方の人間が目をそらすなか、ノゾミさんだけが彼を褒めそやした。

「今日の片桐くん、気合十分だね!神々しささえ、感じるわ。虎で勝つって意味でしょ?阪神ファン?」 

本人はまったくもって褒めているのですが、どう聞いてもバカにしているようにしか聞こえない、この会話センスが最高です。

ノゾミさんは本気でカーターを好きだけれど、自分を同じ土俵に無理に上げずに”ただのファン”の姿勢を崩さない謙虚さも素敵です。

 

登場人物の個性豊かさもさることながら、主人公・みつ子が33歳くらいという難しい年齢設定でもあり、世の働く独身女性の描写もかなりキレキレです。私は”子どもを生む/生まない”についてのみつ子の独白がとても好きです。

子どもかー、いたら楽しそうだけど別にいなくてもいいや。子どもがどうしても欲しい人には分かってもらえないが、意地でも誇張でもなく、等身大の正直な本音だ。そう言ってても後で欲しくなるんだって、と言われても、やっぱり実感がわかない。私にとって子どもは”まだ欲しくない”ものではなく、”欲しいか欲しくないか聞かれれば、積極的に欲しいとは思わない”に分類されている。それが時間経過と共に変わるかは”いま生きていたいからって、いつか辛いことがあって死にたいと思うかもしれないじゃない”と言われているのと同じくらい、理屈はわかるが実感がわかないできごとだ。 

この表現、すごいと思いました。私はみつ子よりもう少し強迫めいていて”欲しいと思うことすら恐ろしい”レベルで子どもを欲しない立場ですが、みつ子の表現もすごく好きです。自分の会社に「そう言ってても後で欲しくなるんだって」という輩があまりにも多い(しかもその輩はみんな子持ちで半分以上が女)ので、なんだか救われたような心持ちもしました。

 

みつ子は仕事というものに対しても、示唆に富んだ視点を持っています。

辛い顔をしてないと頑張っていないと思われる日本社会は、息苦しい。仕事をエンジョイしているうちはまだまだ序の口と思われて、次々に新しい仕事が降ってくる。仕事は大変で、なによりも優先しなければいけないという共通認識があるから、面倒なことに関わりたくないときや単純に興味の無い出来事に巻き込まれそうになったとき、「仕事がいそがしいから」と言い訳すれば、言われた相手は文句が言えない雰囲気が漂っている。実際に死ぬほどいそがしいならいいが、好きな、やりたいことは何を差し置いてでもやるくせに、やりたくないことに直面すると「仕事が」と言い出す人は、私は嫌い。やりたくないのは人の気持ちだからしょうがないけど、仕事が、と”社会に必要とされている”自分をアピールしながら相手に文句を言わせない言い訳が聞き苦しいと思う。だから私はどれだけいそがしくても、できるだけ涼しい顔をしていたい。必要とされる喜びと利用される悲しみが混ざり合う「仕事」に、魂まで食われてしまいたくない。 

「めっちゃわかるわ〜」と唸ってしまった上記の記述。”必要とされる喜びと利用される悲しみ”かぁ。これまで考えてもみなかった視点でした。でも言われてとてもしっくりくる表現でした。 

 

この作品を読んだ後、作者である綿矢りささんのインタビュー記事をいくつか読みました。

この物語に流れる大きなテーマとして「一人で生き続けること」の在り方があるようなのですが、それに対する回答の一つとして、ストーリー終盤のみつ子とAとのやりとりは、とても心に残りました。

「一体なにがそんなにショックだったんですか。多田さんとの距離がぐっと縮まる良い機会じゃないですか。抱きついてきた彼に幻滅したんですか」

「ううん、多田くんは何も悪くなくて。自分が根本的に人を必要としていないことがショックだったの。人と一緒にいるのは楽しい。気の合う人だったり、好きな人ならなおさら。でも私にとっての自然体は、あくまで独りで行動しているときで、なのに孤独に心はゆっくり蝕まれていって。その矛盾が情けなくて」

「オレンジジュースを飲まないと死んでしまう人はいますか?」

「めったにいない」

「水を飲まないと死んでしまう人はいますか?」

「人間はみんなそうだよ」

「では、オレンジジュースが好きな人はいますか?」

「いっぱいいる」

「そうです。根本的に必要じゃなくても、生活にあるとうれしい存在はたくさんあるんです。というか、私たちはそういうものばかりに取り囲まれて生きていますよ。根本的に、なんて思いつめなくていい(後略)」 

なんという慧眼!このオレンジジュースのくだりは、この小説を読んで一番の収穫といってもいいくらい私にとってパンチがありました。

「根本的に、なんて思いつめなくていい」って、つくづくすごい台詞だなと思いました。私は知らず知らずのうちに、なんでも”根本的に”考えてしまう節があるのかもしれません。根本的に無駄だからいらないとか、根本的に間違ってるから好きになれないとか、根本的におかしいから信用できないとか。。

論理学なんて学んでいた弊害でしょうか(違うか)。因数分解して、真か偽か、ばかり見極めていると、自分にとって大事なことを見落としてしまうのかもしれないと思い至りました。

 

このように、様々な示唆に富んだ秀作『私をくいとめて』ですが、ギャグ小説としても非常にクオリティが高いと思います。大声でゲラゲラ笑えて、でも面白いだけでは終わらない、大変優れた作品でした。おわり。

『手のひらの京』

綿矢りささんの作品の面白さがうなぎのぼりです。

手のひらの京

手のひらの京

 

京都に暮らす三姉妹とその家族の物語。

三十路を過ぎてにわかに出産のタイムリミットに焦りつつもどうすればいいかわからない長女・綾香、したたかで派手だけど根っこは臆病な次女・羽依、成績優秀で努力家な三女の末娘・凛が、それぞれのライフステージの壁と”京都”という柔らかく閉ざされた特殊な地方都市の風土と戦い・寄り添いながら生活しています。三姉妹それぞれの視点が短編のように折重なりながら話が進行します。

 

私の身近にも何組か三姉妹がいるのですが、羽依みたいな次女は見たことがないです。

羽依はスクールカースト上位層っぽい可愛くて派手な子で、男ウケするし女子には割と嫌われやすい自覚もあり、それでも陰口を叩かれたり社会的脅威にさらされそうになるとヤクザ並みの啖呵とよく回る頭と口でハッタリをかまし、したたかに戦う女の子です。

私の周囲にいる次女は総じて暗く一人だけちょっと変わっているというか向いている方向が違くて、どちらかというとネガティブな人が多いです。家の中と外で人格が変わる人も多いように思います。

まあ、創作物なのでバースオーダーと人格についてそこまで深く考えなくてもいいかもしれません。

羽依はその激しい性格のために、新社会人となってからも様々ないざこざを引き起こしてしまいます。

その一つ、上司でイケメンの前原と付き合い、お局に目をつけられ女性社員たちから村八分にされ(京都では”いけず”というらしい)た羽依は、ある日とうとう戦う決意をし、ロッカー室で「聞こえよがしのいけず」を浴びせるお局一行に反旗を翻します。

「それ私に向かって言うてんの?」

鬼の形相で素早く振り返ると、お局たちの驚愕した顔があった。京都ではいけずは黙って背中で耐えるものという暗黙のマナーがある。しかしそんなもん、黙ってられるか。私はなんでも面と向かって物言うたるねん。

「私に向かって悪口言うてるんかと聞いとるんや!」

ほとんど咆哮に近い羽依の怒声がロッカー室に響き渡る。(中略)

「言うとくけど、私は前原さんと寝たりしてないし、もちろん捨てられてもいないから。いい加減なデマを車内で流したら、パワハラや言うて訴えてやるからな!いままでのお前の嫌みも全部持ち歩いてたICレコーダーに録ってあるから、法廷出たら覚悟せえよ!!」

もちろんICレコーダーなんて持ってないし、言ってることもめちゃくちゃだが、これだけ怒ってるし何するか分からへんぞ!という印象を相手に植えつけるのが第一だ。

ここのくだりは笑えました。というか、なんだかんだ言って三姉妹の中で特に気性の激しい羽依のパートが読んでて一番笑えたし、一番ドキドキしました。

ちょっと『亜人ちゃんは語りたい』のひかりを思い出しましたが、羽依は関西人なので、ひかりよりもさらにドスがきいてる感じがしました。

その後羽依がロッカー室を出ると、羽依を可愛がっている男性上司が飲み会に誘ってくれて、羽依は紅一点としてちやほやされます。

トイレから戻る途中、羽依から人が剥がれたタイミングを見計らい近寄ってきた同期の男・梅川にも心配してもらい、羽依はいい気分になりながらも冷静に自分を見つめます。

梅川のいたわりが優しく胸に染みていくなか、なるほど同性の女の人らが私に腹立つのも分かるわ、と合点がいった。べつにいじらしく耐えてたわけでもない、ついさっきタンカ切って青筋立てて詰め寄っていたくせに、いまではか弱いふりして男に慰められている。いけずしてる子達のなかには、前原さんを本気で好きな子もいたのかもしれない。なんでいつもあの子だけがちやほやされるの、と思うのだろう。

ははは、愉快愉快。 

いやー羽依、面白いです。

だいたい事の発端は理不尽でもあり、羽依は客観的に見れば基本的に被害者なのですが、自分にも一因があることも自覚しており後々反省もする、そこが羽依のえらいところだと思いました。

 

この物語は京都という日本の中でも特殊な雰囲気を持つ土地が舞台で、京都の風土が非常に色濃く描かれています。

主人公三姉妹の暮らす奥沢家は、両親も京都生まれの京都育ち、祖父母も皆京都人で生粋の京都ファミリーです。皆地元が好きで誇りを持っており、京都から出ることなど考えたこともない人たちです。

しかし、末娘の凛だけは違いました。大学院まで進んだ凛は、就職を足がかりに関東圏へ移り住む計画をずっと温めてきました。

凛は京都が嫌いなわけではないけれど、うまく言葉に表せない複雑な気持ちがあり、とにかく京都を出なければ、という思いが強い子です。

一所懸命勉強してきた凛は、教授の推薦もあって無事東京の大手メーカーから内々定をもらいます。

両親は最初は大反対していましたが、最終的には折れて、家族皆凛を応援するようになります。

基本的に、奥沢家はすごく仲良し家族です。こういう家族に囲まれていたら、確かに普通は地元を離れようとは思わないかもしれないですね。

私はもう実家が霧散しているというか、兄弟もいないし両親も離婚してるし父とも母とも連絡を取り合っていないので、奥沢家のような家族にかこまれて暮らすのがどういった気持ちなのか正直想像もつかないのですが、でも物語を読んでいて、素敵だな、と素直に思いました。

 

東京に移り住んで慌ただしい新社会人生活をスタートさせた凛のもとに、父から電話が入ります。

父の人間ドックで、前立腺にガンが見つかったという連絡でした。

まだ詳細はわからないけど、ひとまず事実を受け入れて前を向いて生きていくこと、一ヶ月後くらいに手術すること、母も姉たちもショックは受けたが明るく振る舞いともに支え合うと決めたこと、凛は体に気をつけつつあまり心配せず毎日を頑張りなさいという励まし、を電話口の父や母から聞かされる凛。

両親の声の後ろから、酒を飲み楽しげに話す姉たちの声も聞こえ、凛はにわかに家族に会いたい気持ちでいっぱいになります。

しかし、彼女は東京に出てくることを選んだのです。自分の選択に責任を持ち、慌ただしい社会人としての日々をまずは着実にこなすことを、改めて決心します。

故郷は記憶のなかですり減っていくが、すぐには無くならない。もっと大らかに時を越えて私の周りを漂っている。(中略)

「自分で選んだ道や」

声に出して呟いてみると、思ったほど厳しい言葉ではなく、どんな言葉よりも自分を励ます言葉に聞こえた。そうや、自分で選んだ道や。自分が前に進むためだけに鎌で草を刈りながら、無舗装の道を歩いてゆく。辛いこともあるけど、私はいま、とても贅沢なことをしている。泣きごとを言う資格はない。

とはいえ、できれば人生は楽しい、優雅な面だけ見て生きてゆきたい。難しいときこそ、楽観的に。そう思うことは弱虫じゃない。生きるためにひらひら舞いながら踊り続けたい。たとえ少し後ろを振り向いただけで、暗い影が自分にまとわりついているのを見つけたとしても。 

故郷の表現がとても秀逸だと思いました。

私の故郷は京都のように特殊でも雅でもない関東平野で、27年間ここから出たことがありません。旅行では47都道府県すべて回りましたが、住居としては生まれた時から同じ県に住んでいます。

凛が感じるのとは別の気持ちかもしれませんが、私もこのままここから出られなくなりそうな恐怖を感じる時があります。

京都のように盆地でもない、山に囲まれている土地でもないのに、見えない力に取り囲まれているような心持ちがすることがあります。

ここから出るのは、やはり相当なエネルギーを要する気がします。

でも、出たいなぁ、と凛の物語を読んで改めて思いました。どうして出たいのかも、うまく表現できないんですが。

 

読みながらいろんなことをつらつら考えましたが、単純にエンターテイメントとしてとても面白い小説でした。おすすめです!おわり。

人間が嫌い、でもどうしても人間が好き:『あやかしごはん』

相変わらずPS Vitaで乙女ゲームBLゲームを嗜んでおります。

先日『あやかしごはん~おおもりっ!』をプレイしました。

PSVita あやかしごはん~おおもりっ!~ 通常版 - PS Vita

PSVita あやかしごはん~おおもりっ!~ 通常版 - PS Vita

 

多少のバグはあったものの、ほっこりストーリーでホロリと泣けるヒューマンドラマでした。

 

主人公の朱音凛ちゃんの幼少時代から物語は始まります。

母子家庭でなかなか家族の愛に恵まれなかった凛ちゃんは、とある夏休みを祖母の家で過ごすことになります。

紅葉村という田舎にある祖母の日本家屋には、祖母の他に吟さんという青年も暮らしていました。

人見知りな凛ちゃんを何かと気にかけてくれる祖母と吟さん。

凛ちゃんがなかなか素直になれない中、ちょっとした事件が起き、そこで吟さんが人ならざるもの・狐のあやかしであることが判明します。

実は紅葉村は昔から、人間とあやかしが共存してきた土地なのでした。

吟さんのあやかしの姿に恐怖をおぼえ、拒絶反応を示す凛ちゃん。そんな凛ちゃんに、祖母はあやかしも人と同じように心を持っていることを諭します。

選択肢で夏休みが終わるまでに吟さんと打ち解けるか・打ち解けないかで、ルートが分岐していきます。

 

攻略した順にキャラクターの感想を書きます。

【犬嶌詠】

紅葉神社の双子の狛犬のあやかしのうち、弟の方。主人公とともに同じ家で暮らすことになります。

クールでツンツンしていて生意気ですが、まあ、王道のツンデレキャラです。徐々に萌えました。

狛犬双子は昔は人間が大好きだったけれど、人々の信仰心がだんだんと薄れていき、ある日悪ガキに片目を破壊されてしまって以降、本格的に人間を恨むようになりました。

しかし、心の根っこの部分で、どうしても人間を嫌いになれない詠たちに、どうしようもなく共感し、惹かれました。

彼らのようにあやかしでなくたって、自分自身が人間であったって、人間なんて嫌いです。これまで何度もそう思いました。人間となんて関わりたくないって。

それでも、どーーーーしても嫌いになりきれなくて。

どーーーしても好いてしまう。

腹がたつのに、悲しかったのに、辛くて苦しくてめんどくさいのに、それでも人を愛す。

詠ルートに入っただけで、もう物語にすっかり引き込まれ、切なかったです。

 

【犬嶌謡】

狛犬兄弟の兄の方。クールな弟の詠とは対照的な元気キャラでしたが、やはり彼も弟同様人間に対しいろんな感情を抱えていました。

謡もツンデレといえばツンデレですね。狛犬兄弟は両方可愛かったです。

 

【伊吹萩之介】

紅葉神社の一人息子。人間です。神社の息子だけれどあやかしを見ることができない彼は、明るいムードメーカー。気のいい少年でした。

明るく振る舞うわりには、人とご飯を食べるのがあまり得意でないなど、少し影を感じる少年で、過去に結構辛い体験をしている人でした。

彼は強いですね。いろんな場面で救われた気がしました。萌えもなかなか申し分ないです。

 

【芹ヶ野真夏】

唯一萌えが全くなかった八百屋の息子。悪い人ではないけれど、なよなよしてて、好きになれなかったです。しかも、凛ちゃんを好きになった理由が、まさかの千年越しの前世パターンで、私は前世の記憶を持ち出されては萌えることができないことに気づかされました。

それから、これは真夏に限ったことではないですが、私服のセンスがダサすぎます。もうちょっとマシなカッコをしてほしかった。

悪い人ではないんです、が、萌えない。とにかく萌えませんでした。

 

【花蘇芳】

最萌でした。猫又のあやかしで、犬嶌兄弟と同じく人間に思うところあってキツくあたることもあるのですが、彼もやはり心の底では人間を好きでいます。

そしてとっても寂しがりや。

おまけに俺様で自由奔放でわがまま。でもたまに優しくて、そして色っぽいのです。

蘇芳の色気には完全にやられました。

立ち絵はさらっとした少年なんですが、凛ちゃんと両想いになった後のグイグイくる男らしさと、色っぽい眼差しにメロメロになってしまいました。これがギャップ萌え・・・?

ハッピーエンドの後日談のスチルのくしゃっとした笑顔も最高でした。ああ、愛しい。

 

【木邑浅葱】

ネタばらしキャラです。キャラクターボイス石田彰ですからね。そういう感じの人です。かわいそうで切ない役回りでしたが、物語のための存在、という感じでした。

 

攻略対象は上記6名です。彼らの他にキーパーソンとして、冒頭にも出てきた狐のあやかし・吟さんと、その息子・綴くん、紅葉神社の神様など、愛くるしく魅力的なキャラクターがたくさん出てきました。

個人的には神様が好きです。神様の、美味しいものを食べてはにゃ〜となっている顔が可愛くて大好きです。

あと、神様の着ているTシャツに「ONAKA SUITA BOY」って書いてあるのが地味にウケました。同じTシャツ作りたいです。

 

音楽もとても良かったです。公式ホームページで楽曲が聞けます。

http://www.honeybee-cd.com/ayakashi/special_bgm.html

 

人と関わることに疲れ果てていたり、人間関係が煩わしくて仕方がない時、

このゲームでちょっと癒されるのもいいかもしれません。

心に深く残った、とまではいかないですが、優しい世界が確実に少し心を軽くしてくれると思います。おわり。

意識の変容と宇宙の彼方の恋:「消去」

数年ぶりに国会図書館(永田町の方)に行きました。

なんの気なしに蔵書検索すると、あるにはあるが電子版で、それもKindleのような形態ではなく、紙の本を1ページ1ページ写真撮影したものでした。読みづらいったら・・・

そこで広尾の都立図書館へ行き、改めて読み直しました。ハヤカワの『SFマガジン・ベスト No.2』。

結構古い本で、紙も辞書くらいのペラ紙ですが素晴らしい書物です。電子化して再出版して欲しいです。

こちらに載っている筒井俊隆「消去」という作品は、知る人ぞ知る秀作です。

 

話は若くして不毛な画家・正彦が風呂場で手首を切り、自殺するところから始まります。

出血し、意識が飛んだところで正彦の意識は異世界のような空間で目覚め、かつての恋人・ユミにそっくりな女性が登場します。

ユミ(仮)が語りだしたのは、衝撃の事実でした。それは、正彦が先ほど自殺を図った世界は全てとある脳髄が見ていた夢のようなもので、今まで正彦の脳髄は6000回以上様々な人生の夢を見続けている、ある意味転生しているというのです。

 

人類が増え続け地球が手狭になり、あちこちの星へ移住するようになった時代、ハリス博士とたくさんの移住民を乗せた巨大ロケットもまた、新天地を目指していました。

しかしなかなかいい星が見つからず、食糧や燃料も厳しくなってきたところで、ハリス博士は大きな決断をしました。

それは、ロケットに乗る人々を脳髄だけの状態にし、培養するという手段でした。

ハリス博士はなんとか着陸できた荒れ果てた砂漠のような星に巨大なドームを建て、移住民一人一人を脳髄だけの状態にし、透明な液で満たされた培養器に移しました。

地球にいるときにあらかじめ最悪の事態を想定していたハリス博士は、これまで地球上で生きたあらゆる人生と呼ばれる記憶を蓄えた電子頭脳を用意しており、脳髄たちをその電子頭脳と人造繊維で接続し、脳髄たちにたえず刺激を与える仕組みをつくりました。

 

5年に及ぶ脳髄化手術で、いよいよ博士の助手まで脳髄化し終え、荒れた星には数万の脳髄が培養される巨大ドームとそれらにつながる電子頭脳、そしてロケットと博士のみになりました。博士はこの5年ろくに寝ておらず、ロケット内で久々の眠りについたまま死んでしまいました。

そうして現在に至るまで、数万の脳髄たちは電子頭脳によって様々な人生を経験し、記憶を消去され、また別の人生を経験し・・・の繰り返し。ユミ(仮)の正体は電子頭脳そのもので、脳髄が一つの人生を終えるたびに登場し、上記のような事の経緯を説明した後で、次はどんな人生を生きたいか希望を聞いて、また記憶を消去し一から人生を再生する・・・ということでした。

「あなたは移住民第三〇〇一号の脳髄なのよ。今から三十万年前、地球からこの星に移住してきた一人なの。あなたの経験した芸術家としての一生も、実はさつき説明した架空の世界でのものだつたわけよ。でもあなたは自由に思考したり、行動したり、恋さえできたんだから、真実の一生だつたともいえるかもしれないわね 」

正彦は深くためいきをついた。もちろんこのためいきも幻影なんだろうが・・・・・・

 

この、現実意識を根底から揺るがす物語世界、なんて素晴らしいのでしょう。

ここまで意識を揺るがすことのできる小説、出会えたことが限りない幸せです。

私が今生きているこの現実も、電子頭脳が見せている幻影の人生かもしれない。それは世界の内側からは正しいとも間違いとも証明ができないことです。ああ、夢が膨らみます。

 

正彦たちが会話している途中、突然激しいスパークが正彦の目の前で飛び散り、世界は暗闇と静寂で真っ暗になります。

暗闇の中で自分の意識の存在も危うくなりかけた頃、遠くからユミ(仮)の声が聞こえてきます。

 「動力源に異常が起こつたのよ。太陽電気発電所からの送電が止まつてしまつたので、調べたら何かが送電の途中で電気を吸収してしまつているらしい。何か生物がいるつてことはわかるんだけど、全然見えない・・・・・・姿が。場所は電流計で調べてわかつたので、原子破壊銃を照射したんだけど、全然効果なしだわ。原子構造をもたないエネルギーだけの生物らしい。とすると、超心理の産物以外にはないのよ。そこであなたに助けていただきたいの」

それから正彦は”超心理”的な力を使って電子系統に悪さをする怪物を退治しようと頑張るのですが、最終的にはたまたま星にやってきた地球人に助けられます。

戦いで飛んでいた意識が戻った正彦は、ユミ(仮)から事の経緯とさらなる衝撃の展開を聞かされます。

電子系統を食い散らかしていた怪物は、最近宇宙で電気を貪り食っているエネルギーだけの生物であること。現在地球ではかつてとは逆に人口減少が起きており、昔他の星へ移住していった人々を連れ戻していて、正彦を助けてくれた地球人もそのためにやってきていたこと。現在の地球では人間の肉体に近いものを作り出すことに成功しており、その肉体をロケットに積んで来ていること。そして、ユミ(仮)はこれから脳髄一人一人の意志を確認し、人間の姿に戻って地球に帰るか否かを聞いて回るとのこと。さらに、ユミ(仮)は電子頭脳であり巨大すぎて、地球には戻れないこと。

正彦はまだ疲労が抜けず再び眠りにつき、その間にユミ(仮)は脳髄一人一人に意志確認をおこないます。

眠りから覚めた正彦は、ユミ(仮)が戻ってくるまでの間、思い悩みます。

ユミがこの星に放置されたままになるとすれば、彼女のあのしなやかな身体はいつたいどうなるのだろう。話相手になる脳髄もなく、いつまでも孤独でこの荒れ果てた地上にたった一人さまよいつづけるのだろうか?そんな残酷なことがあつてもいいものだろうか?いくら電子頭脳だといつても、彼女はすでに人並み以上の人格と、芸術品のようなすばらしい肉体と、驚異的な個性を持つた一つの生命なのだ。 

 

正彦の元にユミ(仮)が戻り、脳髄たちの意志について聞くと、全員肉体を手に入れ地球に戻るとのことでした。

そんな、深い孤独に打ちひしがれるユミ(仮)に「ユミ、君を愛してるよ」と告げ、正彦は脳髄のまま残ることを選びます。

翌日、他の脳髄たちは人間の姿に戻りロケットで地球に帰っていき、正彦の脳髄は記憶消去装置にかけられ、また新しい人生を歩みます。

 

物語の終わり方がまたすごく詩的で美しいんですよ。

転生(?)した正彦(すでに正彦ではない)は男子高校生で、時々電車や映画館の中で、美しい瞳の女性にほんのり微笑みかけられるんです。彼女は少年を見つめながら人ごみに消えていくんですが、遠い昔に会ったことのあるような、不思議な感覚を少年は味わい、そこで話は終わります。 

なんて果てしなく切ない恋物語でしょう。読み終わった後、遠く離れた星に思いを馳せずにはいられません。

 

ただ思うところはあって、果たして数万ある脳髄が、本当にみんな肉体を手に入れ地球に戻りたがるのかな?とは考えました。

電子頭脳に恋しなくても、脳髄のままの方がいいと思う人もいそうじゃないですかね。

もし自分が選択するならどちらかなぁ。。新たに得る肉体のスペックにもよるような気がします。美少年の肉体を得られるなら脳髄やめるかも。なーんて・・・

 

この物語はあくまでSFとして書かれたものですが、現実にこういったことが起こらないとは限りませんよね。

もし私の今のこの人生が終わりを迎え、かつて愛した人が意識の中に突如現れ「実はさっきのお前の人生は俺(電子頭脳)が見せていた幻影で、これまで6000回以上こういう手順を繰り返している・・・」と種明かしされたら、私は「やっぱりね」と納得してしまうでしょう。おわり。

読むのがつらい、でも読みたい『メイドインアビス』

今年の夏アニメでかなり完成度が高い『メイドインアビス』。

続きが気になって先に原作を読みまして、あまりの衝撃に1週間くらい感情が塞ぎこんでしまいました。

隅々まで探索されつくした世界に、唯一残された秘境の大穴『アビス』。どこまで続くとも知れない深く巨大なその縦穴には、奇妙奇怪な生物たちが生息し、今の人類では作りえない貴重な遺物が眠っている。 「アビス」の不可思議に満ちた姿は人々を魅了し、冒険へと駆り立てた。そうして幾度も大穴に挑戦する冒険者たちは、次第に『探窟家』呼ばれるようになっていった。 アビスの縁に築かれた街『オース』に暮らす孤児のリコは、いつか母のような偉大な探窟家になり、アビスの謎を解き明かすことを夢見ていた。そんなある日、リコはアビスを探窟中に、少年の姿をしたロボットを拾い…?

まんがライフWINより)

1巻では、アビスという深さ不明の大穴と、その周りにつくられた街オース、その西区にあるベルチェロ孤児院で暮らす主人公・リコたちについて描かれます。

探窟中に出会った記憶喪失の少年型ロボット・レグと過ごすある日、リコの母であり伝説の探窟家として知られるライザの封書と白笛(伝説級の探窟家のみが所持する特殊な笛)がアビスから上がります。

たった一人のライザの遺族であるリコは、母の白笛を形見として受け取り、封書の閲覧が許されます。

付き添いのレグとともに見に行ったライザの封書には、アビスの6層(行ったら二度と帰ってこられないほどの深層)にいる原生生物のスケッチや、レグにそっくりの謎の人物についての描写がありました。

そしてそれらと別の小さな紙切れに走り書きされた「奈落の底で待つ」というメッセージ。

リコはそのメッセージをちょろまかし、そのすぐ後「アビスの底でお母さんが待っている」と信じて単身アビスの底を目指して旅に出ることにします。

レグも自分が何者であり、どうしてオースまで上がってきたのか、その記憶を取り戻すためにリコと一緒に旅に出ることになります。

 

リコたちが旅立つところも、感動でかなり泣きました。

ナットという男の子(多分リコのことが好き)が健気で可愛いんですよ。

ずっと一緒に過ごしてきた仲間・友達と二度と会えなくなるとわかっていても、リコは奈落の底を目指す気持ちを抑えられないし、そのことをナットたちもよくわかっているんです。

1巻はまだ感動的ないい話、で終われます。

 

2巻はリコたちが2層の監視基地にたどり着き、ライザの師匠でもある白笛・オーゼンに会うところまでが描かれます。

オーゼンは年齢不詳の身長が2メートルを超える大女で、見た目はかなりミステリアスです。

最初、ものすごくオーゼンが怖かったです。

レグもリコもオーゼンにボコボコにされますが、それはオーゼンなりの教育だったのです。

アビスの深層には非常に狡猾で獰猛な原生生物がたくさんいて、そこで生き延びて冒険を進めていけるよう、オーゼンが教育的指導を施してくれました。

オーゼンにボコボコにされたことで、自分たちの弱さや甘さに気づいたリコたちは、訓練を受けます。そしてオーゼンも、「子供騙しは嫌い」と言って持てる知識の全てをリコたちに話してあげます。

2巻の巻末にオーゼンの回想シーンがあり、ライザとの出会いからリコが生まれた時のこと、そしてライザが絶界行(ラストダイブ・二度と戻ってこられない6層以降のアビスの底への旅)に行く前の、ライザとオーゼンの会話が描かれています。

ここは日本漫画史に残る名シーンだと思います。

「リコは 私にとってあまりにも大事なんだ

どんな遺物でも 私の何もかもを払っても足りない

尊いものの積み重ねが今のあの子を生かしている」

(中略)

「なあオーゼン

再びリコが地の底を目指して あんたの前に立ったら

教えてやって欲しいんだ」

「自分が動く死体かもってことをかね?」

「そうだ

どれだけの奇跡が君を動かしてきたのかって事と

その先で待つ 素晴らしい冒険への挑み方を」

「面倒だね 自分でやりな

ま・・・お前さんのとこに送り出すぐらいなら やってやるさ」 

 

3巻は私にとって読むのが一番つらいところでした。

3巻ではリコたちはオーゼンの元を旅立ち、4層まで降ります。

4層で出くわした毒を持つ原生生物にリコが刺され、リコは瀕死に陥ります。

死にそうなリコの様子にうろたえ泣き叫ぶレグの元に、ウサギと人間がミックスされたような容姿の少女・ナナチが現れます。

ナナチのアジトについていき、リコの治療をしてもらう中、レグはナナチから”アビスの呪い”の正体について聞かされ、リコを刺した原生生物への対処法を学びます。

そんな中レグの火葬砲という非常に強力な攻撃法を目の当たりにしたナナチは、レグにある頼みごとをします。

その頼みごととは、ナナチの親友であるミーティを殺すこと。

 

そこからナナチの過去回想が始まるのですが、これがもう、本当に読むのがつらいです。アウシュビッツかそれ以上か、とにかくひどいです。

ナナチは元は貧民街の子供でした。ある日白笛のボンボルドという男の軍団が、貧民街の子供達をそそのかし、彼らをアビスの深層へ連れて行きます。

未知への冒険に夢いっぱいの子供達。そして、そこでナナチはミーティという少女と出逢います。

探窟家に憧れるミーティとナナチは意気投合し親友となりました。

ある日、ミーティがボンボルドに呼ばれどこかに連れて行かれる際、ナナチはボンボルドの心無い一言を盗み聞きします。

ミーティが心配になったナナチは連れて行かれたミーティを追いかけます。

そこで行われていた人体実験で、ミーティとナナチは被験体にされます。

”アビスの呪い”−−−アビス内で下から上に上がる時にかかる上昇負荷と呼ばれるもので、1層では軽い吐き気やめまいで済みますが、4層くらいだと全身から血が流れ、5層では全感覚の喪失やそれに伴う意識混濁が起こり、6層に至っては人間性の喪失や死に至ります。

ボンボルドは呪いの克服のためにならずものや貧民街の子供を被験体に、5層〜6層にかけての自身の箱庭で非人道的な実験を繰り返していたのです。

ミーティとナナチはそれぞれ大きい試験管のような入れ物に入れられ、6層まで下ろされます。

この特殊な装置は、片方にかかる呪いをもう片方に押し付けるというもので、ミーティは呪いを押し付けられる側、そしてナナチは呪いを押し付ける側に入れられていました。

装置が5層に引き戻される時、ミーティは全身に激しい痛みが走り、人間の形を保てなくなり体が崩れ落ちてぐちゃぐちゃになります。

「いたい、ころして」と叫びながら崩壊するミーティを間近で見ながら、ナナチの体からはウサギのような耳が生え体毛が生え尻尾が生え、現在のようなウサギと人間のミックスされたような見た目になりました。

自意識も記憶もそのまま保って戻って来たナナチは「祝福の子」としてボンボルドに賞賛されますが、化け物になったミーティは二重の呪いを受け、すり潰されても死ねない、意思の疎通もはかれない生き物になってしまいました。

ボンボルドが怖くて彼の実験をしばらく手伝っていたナナチでしたが、ついに耐え切れず化け物になったミーティを連れて4層に逃げ出しました。

 

この実験が、未だにトラウマです。初めて読んだ時、怖くてショックすぎて何もできませんでした。

ナナチはミーティの尊厳を取り戻すためあらゆる方法を試みますが、苦しむものの死ねないミーティ。そしてそこに現れたレグたちと、レグの驚異的な破壊力を持つ火葬砲。

すがるような気持ちでナナチはレグに「ミーティを殺してくれ」と頼むのでした。

迷ったレグですが、リコを助けてもらった恩と、ナナチの苦しみを理解した上で、ミーティが死んだ後も生き続けることを条件に、ミーティを火葬砲で葬ります。

ナナチの苦しみを思うと、今こうして思い出すだけでも涙が出てきます。

 

今までもいろんなアニメや漫画や小説で、マッドサイエンティストのひどい実験というのは出てきました。

彼らは知的好奇心から非人道的な手段に出てしまいますが、別に誰かを苦しめようとしているわけではないんですよね。目的はそこじゃなくて、あくまで目的は自分の知的探究心を満たすことと、ひいてはそこから生まれる発明で世の中をより良いものにすることです。

ボンボルドはとことん外道として描かれているようですが、彼だって子供たちを苦しめようとしているわけではない。ただ、必要な犠牲くらいにしか思っていないだけです。

4巻以降でさらに詳しく描かれますが、ボンボルドは実験で使った子供達をみんなちゃんと覚えているんですよね。名前も、どんな子供で何が好きだったか、一人一人覚えている。実験のために切り刻んでバラバラにしたり、ミーティみたいにぐちゃぐちゃの化け物みたいにした子供達のことも、どれが誰でどういう子かいちいち覚えているんです。

でも、だから余計に苦しい、悲しいと感じるのかもしれないと思いました。

あまりにやるせない気持ちになるのです。

 

この作品は一貫して”何かの犠牲の上に成り立つ命”が描かれている気がしました。

最新刊の6巻ももうすぐ出るようで、きっとまだまだつらい展開が待っているのでしょう。

けれど、主人公のリコを始め、アビスで生きてく探窟家たちは皆とてもタフです。

自分の命が常にいろんなものの苦しみや悲しみの上に成り立っていることをちゃんとわかっていて、その上で先に進もうとしています。

精神的にも体力的にもつらいアビスの中で、汚いものも痛いものも臭いものも信じられないくらいつらいことも山ほど味わい、それでも奈落の底を目指して潜ることをやめないリコたちは、本当に強いなと思います。

ここまで諦めない何かを見つけられる人生って、本当に羨ましいと思います。

 

書いていて思い出しましたが、ボンボルドの娘・プルシュカの生い立ちで、似たようなことを思った描写がありました。

プルシュカはボンボルドの手下か誰かの子供で詳しくはわかりませんが、”運び損じ”扱いされ呪いのせいでひどい精神崩壊を起こしており、再起不能に思われました。

しかしボンボルドは彼女を自分の娘とし、育てることにします。

喜びしか知らぬ者から祈りは生まれません

生を呪う苦しみの子・・・

君にしかできないことが必ずあります

君の名はプルシュカ 夜明けの花を意味する言葉です

パパです 私がパパですよ 

投薬もうまくいかないプルシュカに、ある日ペットとしてメイナストイリムというふわふわした生き物を与えるボンボルド。世界の全てを拒絶していたプルシュカが、初めて興味を示し心を開きます。

プルシュカ・・・好きなものが出来たのですね

プルシュカ たった今から 君の世界は変わってゆきます

生のすべてを呪っていた君が 最初の喜びを見つけたのです

これからの一歩一歩が君を創ってゆくでしょう

今日が君の誕生日 君の冒険の始まりです 

ああそうか、好きなものが出来てから人生というものは始まるのだと妙に納得しました。

恋愛もそういう表現されますよね。「君を好きになって世界が変わった」とかそういう。

冒険も旅も、好きなものから始まるのかもしれません。

好きなもの、喜び、私が見つけた最初の喜びって何だったか、思い出せないです。

思い出したいなぁ。そうしたら、今抱えている閉塞感を突破できそうな気がします。おわり。

『エゴン・シーレ 死と乙女』

職場で隣の席の聡明な女上司から教えていただいた映画『エゴン・シーレ 死と乙女』を観ました。

エゴン・シーレ 死と乙女 [DVD]

エゴン・シーレ 死と乙女 [DVD]

 

この映画の話を聞くまでエゴン・シーレという画家のことを知りませんでした。

画家の伝記はほとんど見聞きしたことがないのですが、この映画はなんだか物悲しくて、しかし一つの物語として胸を打つ作品でした。

あらすじは以下。

第一次世界大戦末期のウィーン。天才画家エゴン・シーレスペイン風邪の大流行によって、妻エディットとともに瀕死の床にいた。そんな彼を献身的に看病するのは、妹のゲルティだ。――時を遡ること、1910年。美術アカデミーを退学したシーレは、画家仲間と“新芸術集団”を結成、16歳の妹ゲルティの裸体画で頭角を現していた。そんなとき、彼は場末の演芸場でヌードモデルのモアと出逢う。 褐色の肌を持つエキゾチックな彼女をモデルにした大胆な作品で一躍、脚光を浴びるシーレ。その後、敬愛するグスタフ・クリムトから赤毛のモデル、ヴァリを紹介されたシーレは、彼女を運命のミューズとして数多くの名画を発表。幼児性愛者という誹謗中傷を浴びながらも、シーレは時代の寵児へとのし上がっていく。しかし、第一次世界大戦が勃発。シーレとヴァリの愛も、時代の波に飲み込まれていく――。

公式サイトより)

エゴン・シーレを演じる俳優ノア・サーベトラさんが終始イケメンすぎてちょっと笑えました。

こういう甘いマスクのダメ〜な男の人って、かなり好きです。というか、この人どう見てもモテるな、って瞬時にわかりますね。

優男シーレの周りには、いろんな女性たちが登場します。私が一番心に残った女性はやはりヴァリです。

ヴァリは内縁の妻のような立ち位置ですが、シーレの芸術の一番の理解者でもあり、恋人であり家族であり・・・いろんな関係性を内包する非常に懐の深い女性に見えました。

でも、兵役することになったシーレは彼女ではなく、別の女性(エディット)と結婚するんです。

エディットの事も愛していたのかもしれませんが、ヴァリを正妻にしなかったというのはつくづく”結婚”という制度の不可思議さを再認識させられます。

全然違うのにいくえみ綾『あなたのことはそれほど』を思い出してしまいました。

シーレは自分の周りの女性への好意に順番をつけられたのか、つけられなかったのか・・・。

 

最後、エディットを正妻に選んだことがどうしても受け入れられないヴァリはシーレの元を去るのですが、のちにどこかでまたシーレに会えないかと思って従軍看護婦になります。しかしついにシーレには会えないまま、病気に罹って死んでしまいます。

自分の緊急連絡先をシーレにしていたヴァリ。ヴァリの訃報がシーレに届くとき、彼は自身の個展を開いていました。

ひときわ目を引く位置に飾られた彼の傑作「死と乙女」。描かれた女性(ヴァリ)を見つめながら、シーレは彼女と過ごした年月を静かに思い起こすのです。

ああ、今思い出しても泣けます。

このくだりがどれくらい真実なのか定かではありませんが、こんなに物語的な人生も珍しいのではないかと思います。本当に切なくて悲しい話です。

 

その後シーレも当時の流行病に罹り28歳の若さでこの世を去るのですが

高熱に苛まれた彼が最後に思い返した女性は誰だったのでしょう。

Wikiを見ると直前まで妻エディットのスケッチを描いていたとのことですが、私はどうにもヴァリ贔屓で、生気のないシーレのまぶたの裏に彼女の姿を見てしまうのでした。

 

この作品を教えてくださった女上司は海外旅行もお好きな方で、エゴン・シーレ美術館にまで作品を観に行ったことがあるそうです。

私も現地に作品を観に行ってみたくなりました。

映画の感想としてついつい恋愛ロマンスにばかり重きを置いてしまいましたが、彼の芸術に対する情熱は確かに相当なものだとわかりました。

いろんな女性を振り回しながらも、それでも自身の信じる芸術を追求したエゴン・シーレ。その短いながらも物語性の高い人生に、憧憬すら抱いたのでした。おわり。

 

『Life 線上の僕ら』

将来に対しての葛藤を描くボーイズラブ作品を読むたび

私も男性に生まれて、男性の恋人を持ちたかったなぁと考えてしまいます。

Life 線上の僕ら (花音コミックス)

Life 線上の僕ら (花音コミックス)

 

手持ち無沙汰でなんとなく購入した『Life 線上の僕ら』。

漫画ならではのご都合展開でありつつも、やっぱりほろりと泣いてしまう、ハートフルラブストーリーでした。

裏表紙にあるあらすじは以下。

下校途中の一人遊び「白線ゲーム」で偶然出会った

生真面目な伊東と無邪気な西。

恋に落ち、「白線の上だけの逢瀬」に

もどかしさを覚えた伊東は咄嗟に西へキスをしてしまって・・・・・・

 

高校生から大学生、そして大人へ−−

変わらない想いと、変わりゆく現実の狭間で 

愛に翻弄された二人の男の人生を描いた感動の話題作。

 最初は「男子高校生が白線ゲーム毎日するか?」とちょっと微妙な気持ちだったのですが、

想いが通じあい身体も結ばれた大学生時代、そして同棲を始めた社会人生活に至る頃には物語にすっと気持ちが入っていきました。

 

この物語は、時系列ごとに彼らの年齢が記されています。

大きなひずみが生まれるのが28歳、一般的なサラリーマンである伊東は取引先の女性から告白されたり、会社の同僚などから結婚について唆されたりします。

脚本家となった西も、親から「孫の顔が見たい」などと似たような圧を受けるようになっていました。

もともと無駄に考えすぎる質である伊東は、ついに未来への不安に耐え切れず、西に別れを切り出してしまいます。

これを受けた西の独白が私には沁みました。

くだらない

くだらない男

普通 普通

十分普通だろ ありふれたサラリーマンが

 

不毛?俺といる事が?

自分の弱さを誤魔化す為に未来の俺の気持ちまで決めつけるな

 

何か産み出さなきゃ悪いのか?

女孕ませて家でも建てりゃ満足か?

反吐が出る

 

あんなに

 

あんなに俺を愛したくせに

全然目新しい視点じゃないんです。BLではよくある、未来が怖くなって相手の気持ちも決めつけて突き放してダメになる展開、ただそれだけなのに、

彼らの葛藤や苦しみがとても胸に迫ってくるのです。

自分の気持ちが世の中の常識に受け入れられない理不尽さに立ち尽くし、それでも最後はどうしても愛する人と一緒にいたいともがく。

そういう登場人物たちがどうしようもなく愛おしくて、似たような展開でも、結末が読めていても、どうしても読むのをやめられない、そんなボーイズラブなのです。

 

そして、あらかじめ子供を産むことのない彼らへの羨望もあります。

彼らが子供を産めないことと、女性が子供を産まないと決意すること(もしくは何らかの理由で不妊であること)は根本的に違います。

ガールズラブだって通常の妊娠・出産はありませんが、彼女たちは(私たちは)”妊みうる体をもつもの”なのです。

ホルモン剤の投与や手術などで妊娠することのない体を得ることは可能ですが、場合によってはその後に大きな不調をきたすこともあります。

女性であることで、ただそれだけで、伊東や西たちとは比べものにならないレベルで出産への社会的圧力が存在するのです。

私はそれがすごく嫌で(理由はそれだけではありませんが)どうしても自分の性を肯定的に捉えられなくて、男性に生まれたかったな、と思ってしまいます。

性自認をいくら省みてもやはり女性なので、どうしようもないんですが。。

 

種の保存やジェンダーや、そういう面倒な山積みの問題を乗り越えて、心のそこから愛する相手と人生を歩んでいく物語の終盤は心が温まります。

私もこういう人生を歩んでみたかったな、としみじみ思うのでした。おわり。